夢を見ていた。
彼女は夢を見ていた。
自分の首を絞めた少年。
自分に生き甲斐をくれた少年。
頼りなく、情けなく
いつしか追い求めた少年の姿はそこにはなかった。
哀しさと優しさ
二つの感情は少年の瞳を変えた。
「私たち、これからどうなるんだろうねぇ・・・」
4人の子供達は監視付きの士官室に軟禁されていた。
もともと牢獄の数が少なかった基地であったが、一回目の攻撃の時、半壊してしまったのと、敵とはいえシンジの友人でEVAのパイロットでまだ14歳の子供である。ある意味当然の処置であった。
「ま、こうなった以上はじたばたしてもしょうがないさ。」
腕を頭の上で組んで壁に背もたれて座っているケンスケがあっさりと言う。
「それに下手すればシンジやマナ、俺達と同じ年の人を殺してしまうところだったんだ。それに比べればこれぐらいで済んでよかったよ。」
「せやな。わしみたいな思いをさせようとしとったんやもんなぁ。」
トウジは作られた左足を見ながら、その手でさすりながら言った。
「・・・まだ痛むの?」
その様を見てヒカリが言った。何か話していないと不安だった。
「ん?・・・痛くはないんやけどな、こうやってさすっとったら、そのうち自分の脚やと思えるかもしれん、と思ってな・・・」
「そうなんだ。」
「何や子供っぽい話やけど・・・」
「ううん、そんなことない。」
三人がそんな話をしているとき、アスカはただ一人壁に向かって座っていた。
何もできなかった・・・一発殴ってやろうと思っていたのに・・・
何もいえなかった・・・一言だけ言いたいことがあったのに・・・
『ごめん、みんな・・・』
そういって倒れるシンジ。
優しく抱きかかえるマナ。
ただ突っ立っていた自分。
アスカは自分の想いの沼に沈んでいた。
ヒカリがそんなアスカを見て何か声をかけようかとした、その時。
「面会だ。」
扉が開いて屈強な兵士が現れた。
アスカは初めて振り返った。
そこには自分が見たこともなかった、そしていつしか求めていた少年の姿があった。
「シンジ・・・・・・」
痩せた体ににつかわない瞳の輝きに、他の3人は言葉もなかった。
「ひさしぶり。」
シンジは足取りも確かに部屋の中に入ってきた。
ついさっき、倒れて救急車に乗せられたとは思えないほど。
「ほんま、ひさしぶりやな。もっともこういう形で会うとはおもわんかったけど。」
トウジが左足をさするのやめて言った。
「トウジ・・・その、ごめん・・・」
「ん?足の事か?」
「うん。」
「ええって。シンジが謝らなあかんことやない。偽もんやけど、こうやって歩けることやし。」
「うん。」
ちょっと嬉しそうな哀しそうな表情を浮かべるシンジ。トウジもそれに照れてしまう。そこへ今度はまじめな顔をしてケンスケが聞いてきた。
「シンジ。そんなことを言いに来たんじゃないんだろ?」
「じつはね。時間もあんまりないから単刀直入に聞くけど・・・」
シンジもまじめな顔に戻る。彼にとってこれだけは譲れなかったのかもしれない。
「まず一つ。あそこにある破片・・・見覚えある?」
そういってシンジは窓の外から見える、白い物を指さした。
「量産機ちゃうか、あれ?」
「そうだ。奥の方のケイジの中にあったやつだ。」
シンジの指した物は彼が破壊した、4人が来る前にここを攻撃してきた白いEVAの装甲板の破片であった。
「でも何でここに・・・」
「みんなが来る前にここに攻め込んできた。たくさんの人を殺して傷つけた。」
4人の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
とりわけアスカの表情は厳しい。
「もう一つだけ。今日ここに来たのは、ミサトさんの命令?」
「いいや。葛城三佐も意外な命令だったらしいけど。」
「そう・・・。じゃあ司令が言い出したことだね。」
「わしら最近おうてへんからようわからんけど、そうちゃうか。」
「うん、ありがと。」
そういってシンジは4人に背を向けた。ちょうど扉が開く。
「時間・・・だが、いいな。」
先ほどの兵士がシンジに確認する。
「はい。」
そういってシンジは部屋から出ていった。
「こっちも聞きたいこと、ぎょーさんあったんやけどなぁ。」
「仕方ないだろ、俺達はこれでも捕虜だからな。」
「でも・・・碇君、変わったね。」
ヒカリの意見には誰もが答えられなかった。
会話らしい会話をしたトウジでさえも。
2ヶ月という時間と、シンジが置かれた状況は、彼自身を大きく変えるの十分であったといえる。
「バカシンジ・・・・・・」
一人呟くアスカの声はどこの誰を指したのだろう。
「ネルフに行って来ます。行って司令に・・・父さんに聞いてきます。」
マナと司令がいるブリッジに戻ったシンジは開口一番そう言った。
彼の目に迷いはない。
だが、マナの目には不安が浮かぶ。
「大丈夫だよ。父さんにあって話するだけなんだから。」
「じゃ、わたしも行く。」
「えっ?」
「だって『大丈夫』なんでしょ。」
「いや、あの・・・」
二人のやりとりを見て、司令が思わず笑う。
「碇君、君の負けだ。それに君一人ではどっちみち行けないだろう。ここは一つ霧島君と一緒に行ってはどうだ?」
「・・・し、司令。」
「それこそ『大丈夫』だ。霧島君は軍隊の訓練も受けている。」
「・・・わかりました。」
そこまで言われてはシンジとしても承諾せざるおえなかった。
シンジとマナは空の人となった。
戦火を免れた輸送機に乗せられて、二人は第三新東京市に向かう。
シンジにとって2ヶ月ぶりであった。
「あの、シンジ。もしかして・・・おこってる? 無理矢理付いてきたの。」
「ちょっとね。」
輸送機の後部座席でマナはシンジに恐る恐る声をかけた。
怖い顔をしてじっと一点を見つめていたシンジ。
だがマナに声をかけられて、少し表情が崩れる。
「でも、ここまで来たらしょうがないよ。」
「うん。」
二人はそれっきり黙ってしまった。
先ほどまでの変な緊張感はない。
マナは降下用のパラシュートを点検し始める。
シンジはぼんやりと窓から外を眺める。
外はすでに夕方で、太陽が沈んでいくのが見える。シンジは飛行機から見る夕暮れを始めてみたのか、じっと窓に釘付けになっていた。その様は端から見ると14歳という年相応の姿であったが、果たしてその中身はエヴァのパイロットで、歴戦の勇士であり、つい先ほど群がる敵を一掃した人物でもある。
マナがパラシュートの点検も終えたとき、太陽はほとんど沈んでいたが、シンジはいまだ外を見ていた。ふと見ると、シンジの横顔が紅く染まっているのがわかる。そしてその瞳すらも。
そしてそれらが元の色を取り戻した頃、マナはシンジに話しかけた。
「ねえ、シンジぃ。綺麗たっだ?」
「うん。こんなとこから夕日を見るなんて初めてで。」
「そっかぁ。」
シンジはそれだけ言うと、また夕日の方に向かい考え事をし始める。
そんなシンジを見て邪魔してはいけない、と思ったマナも、違う窓から外を見始めた。シンジ同様、その姿は14歳の少女という姿でもあった。パイロットが後ろを振りかることが出来たら「この輸送機はまるでプライベート機だな。」と思ったに違いない。
そのうちに外を見るのを飽きたマナは、唐突にシンジに話しかけた。
「ねえシンジぃ。お父さんと会ってどうするの?」
「わからない。」
「わからない?」
「うん。本当はいろんな事話し合いたいんだけどね。」
シンジは相変わらず窓の外に顔を向けていたが、その目は外ではなく、どこか遠いところを見ていた。
「母さんのこと、僕のこと、ネルフのこと、そして今日のこと。でも、話してくれないかもしれないし、話しても納得できないかもしれない。」
「・・・」
「でも、僕は引かない。いや、引けないといった方が正しいかもしれない。」
「・・・」
「僕は決めたんだ。守る、って。だから・・・そのためには・・・」
シンジはそれっきり黙ってしまった。
言葉には出来ない、したくない決意を胸にしたシンジを見て、マナもなにも言えなかった。
日はすっかりと沈み、かわりに月が出ていた。
「僕のせいで、月が紅いのかな。」
第三新東京市上空でのことであった。
——
二人はパラシュート落下の後、ざるのような警備網のネルフ本部にいとも簡単に入り込むと、さっさと執務室の前に現れた。子供二人が易々と執務室まで来ることが出来てしまうという事実に、いくばくかの疑問が残ったが、二人とも「ネルフの人員不足は解決されていない」という事で納得した。
とりあえず二人はドアの前に立ってみた。
ぷしゅっ、という空気音が鳴り、ドアが開く。
「誰だ。」
シンジとマナが執務室にはいると、ゲンドウの声が飛んできた。
「誰だ、と聞いているのだ。」
「碇シンジです。」
「聞かん名だ。」
一瞬悲しそうな顔をしたシンジをマナは見逃さなかった。
「い、碇・・・シンジ君がせっかく帰ってきたんだぞ。」
「知らんといったら知らん。」
「碇!」
「いいんです。冬月副司令。父さんが・・・いや、司令がこう言うことは、覚悟してましたし、僕は帰ってきた訳じゃありませんから。」
「シンジ君?」
「司令。」
シンジはゲンドウの方に向き直った。
ゲンドウは変わらず椅子に座ったまま、口元で手を合わせている。
「なんで、あんなことしたんですか?」
「なんのことだ。」
「・・・じゃあ言い換えます。あなたが送り込んできた白いEVA9体を壊して、僕の友達の乗るEVA4体から、パイロットを引きずり出したのは、この僕です。」
「なんだと!?」
ゲンドウの顔色が一瞬にして変わる。
シンジは顔色一つ変えずさらに言う。
「もう一度聞きます。なんで、あんなことしたんですか?」
「貴様などに教えてやる義理はない!」
「そうですか。やっぱりあなたが仕組んだことなんですね。」
執務室が静かになる。
ゲンドウの歯ぎしりの音が聞こえ出す。
「罪のない人をあんな物で殺して、傷つけて・・・
母さんがそんなこと望んだとでも言うの?!」
初めてシンジは叫んだ。
今までじっと抑えてきた感情がここに来て現れ始めた。
「うるさいっ! お前がユイを語るなぁ!!」
それはゲンドウについても同じであった。
「お前にユイの何がわかる。ずっと逃げていたお前に何がわかる!」
ゲンドウの手は震えていた。
シンジの手はぎゅっと握られていた。
冬月とマナは立場は違うがじっとそんな二人を見ていた。
「そうだね。僕はずっと逃げていたんだね。」
シンジは手の力を抜くとあっさりゲンドウの言うことを肯定した。
そしてもう一度自分の手を握りしめた。
「でも、それはあなたも同じでしょう。」
しっかりと前を見据えているシンジ。その先には真実を見抜かれたのか、わなわなと震えるゲンドウの姿があった。
「母さんが死んだことを認めないでEVAのせいにして、それを隠れ蓑してあなたは逃げているんだ!」
「・・・!」
「そのくせレイを造り、リツコさんやリツコさんのお母さんの人生まで狂わせて自分を慰めた。」
「・・・!!」
「そして僕を自分の事のように逃げただの臆病者だのと言って責め続けてる。」
「・・・!!!」
「そんな・・・そんな・・・そんな父さんこそ、母さんのことが言えるの?!」
シンジが泣いてる。
マナはシンジを後ろから見ながらも、そう感じた。
自分の父親を責めなければならない重圧。同じく自分をも責めなければならない重圧。その二つの圧力に耐えながら前を見なくてはいけない重圧。
そんなシンジを見て、マナは再び彼を支えたい、と思った。
しかしそんなマナの心情とは裏腹にゲンドウの不気味に落ち着いた声が部屋の中に響く。
「私に対してそこまで言ったことは誉めてやろう。その代わり覚悟は出来ているだろうな。」
父親である私に殺される覚悟は。
「・・・うん。」
もう一度、自分の手を血に染める覚悟は。
逃げ出した出発点は同じだった二人。
一人は逃げ出した先に自分の生き方を見つけた。
一人は自分の野望を暴走させて逃げ続けた。
一人の女性から愛された二人の男は、お互い決して相容れないことを覚悟した。
ゲンドウが机の引き出しに手をかけた。
シンジは背中に隠し持っていたナイフをそっと確認した。
「死ね。」
「バカなまねはよせっ!碇!!」
「シンジぃ!」
一回だけ銃声が響く。
鳴り終わったあとそこに倒れていたのは冬月だった。
「邪魔をするな!!」
ゲンドウがもう一度銃口をシンジに向けようとしたとき、シンジはすでにゲンドウに向かって走っていた。
「・・・父さん・・・」
慌てて銃のトリガーを引くゲンドウ。
発射された弾はシンジの頬をかすめ、一条の赤い線とする。
それでもシンジは走った。
ゲンドウは三発目をねらった。
がら空きの左胸に、ナイフを
がら空きの左肩に、銃口を
突き立てる。
銃声と鈍い音が同時になる。
シンジはその場に立ちすくんだ。
どくどくと血を流す左肩に右手をあてて。
どくどくと血を流す左胸を見つめて。
その場に倒れ込む自分の父親を見つめて。
再び血に染まった自分の手を見つめて。
「・・・残念だったな。シンジ。」
立ったまま自分を見つめるシンジを、ゲンドウは見ていなかった。
「私が死ねば・・・
・・・ドグマに仕掛けた核爆弾に火が入る・・・
・・・10分もすればお前も、お前の後ろにいる少女も、跡形もなく燃える。」
シンジは息をのんで横たわるゲンドウを見つめていた。
自分で殺した自分の父親の最期を見届ける為に。
「・・・残念だ・・・
我が息子がここまで強くなるとは・・・おもわ・・・なかった・・・」
ことりと音を立ててゲンドウの首は横を向いた。
その瞳は閉じていた。
その体に水滴がしたたり落ちた。
—–
発令塔にまるで断末魔の叫びのようなサイレンが鳴り響く。
「なっ、なに?」
ミサトには何がなんだか理解できなかった。
敵襲とも使徒出現とも違うサイレンの音に。
「何が起こったの?」
ミサトは目の前に座る日向の座席に手をかけてコンソールをのぞき込む。
「わ、わかりません。レーダーにも何も引っかかってませんし・・・」
日向が困惑した表情で答える。
その両隣ではマヤもシゲルも判らないと言った表情をしている。
そして前方のモニターに大きくカウントダウンを始めたタイマーが出現する。
「な、なに、これ?」
「あの人が死んだの。」
それまで沈黙を保っていたリツコがぽつりと言った。
「あの人が死んだら、ドグマにある核爆弾に火が入ることになってるの。そのタイムリミットがそれ。」
刻々とカウントダウンを続けるタイマーを見ながらリツコは虚ろな目をしていた。
「・・・リツコ?」
怪訝な顔をするミサト。その表情が驚愕に変わるまでにさほど時間は要らなかった。
「私も逝くわ。」
リツコはそう言うとポケットから拳銃をその銃口を取り出して自分のこめかみに当てた。
「リツコ!」
「先輩っ!」
「さよなら。」
マヤは口に手を当てまま動けない。
ミサトが走る。
銃声とともにマヤ達3人が見たモノは、リツコを押さえつけているミサトの姿だった。その左手にはうっすらと煙が見える。
「なんで?何で逝かせてくれないの?」
「友達だからよ。」
ミサトは右手のやけどの痛みをこらえながら言った。
リツコは目に涙を浮かべた。
「なんで・・・なんで・・・」
ミサトがリツコの手から拳銃を引ったくるようにして取りあげた。
そこへ扉が開くのと同時に意外な声が聞こえた。
「な、何ですか今の銃声?」
肩に怪我をした冬月を支えながらマナが入ってきた。
「・・・霧島さん?・・・に、副司令!!」
「はい。それよりもこの人の手当を、お願いします。銃で肩を撃たれてるんです。」
「えっ?だ、誰に?」
「シンジ君のお父さん・・・です。」
ミサトはにわかに信じられなかった。自分たちがぼんやりとしていた間に起こったことを把握するには時間がなさ過ぎた。
「わ、わかったわ。救護班!今すぐ副司令を医務室に運んで!!」
とりあえず今彼女の前に銃弾に倒れた副司令がいるのは事実である。ミサトは手早く指示を出した。
「で、霧島さん。あなたはなぜここへ?」
「そんなことよりも爆弾です。今シンジ君がEVAに乗ってその爆弾を処理しようとしてます。手伝ってあげてください。」
半泣きになりながらマナはミサトに嘆願した。
「シンジ君が・・・ここにいるの?」
ミサトがそう呟いたとき、マヤが信じられない報告を再びもたらす。
「葛城さん!EVA初号機が起動します!!」
「なんですって?充電も何もしてないというのに・・・
・・・やっぱりシンジ君が来てるの?。」
その時であった。
『ミサトさん!』
スピーカーから聞こえてきたのはシンジの声だった。
「シンジ君?!」
『詳しい話はあとです。僕はこれからドグマに降りて爆弾をなんとかします。ミサトさんはみんなを避難させてください!』
「わかったわ。」
そう言ったミサトに水を差す台詞が聞こえた。リツコであった。
「無駄よ。あと10分足らずで時限装置を解除できるはず無いわ。それにたとえシンジ君のATフィールドでも核爆発には耐えられない。私たちはここで死ぬのよ。」
「なぜ!?N2爆弾の威力でもATフィールドは破れないのよ。」
「判ってないのね、ミサト。
ATフィールドは確かに破れないかもしれないけど、ドグマは密室。ATフィールドに阻まれた爆発エネルギーはどこへ行くと思うの?」
しんと静まり返る他の5人。
「そういうこと。行き場を失った爆発エネルギーはドグマを破壊し本部ごと、いや、第三新東京市ごと埋没させ、あたりに放射能をまき散らすでしょうね。もう私達はここで死ぬ以外道はないの。」
ミサトがいきなりリツコの頬をひっぱたく。
ぱぁん、という音が響く。
「あんたさっきから黙って聞いていれば死ぬ死ぬって、ガキの戯言みたいに言うんじゃないわよ。」
「か、葛城さん・・・」
「いいこと。私達は今、生きてるの。生きている間は生き続けるために何かやらなきゃいけないの。これが人間としての義務。」
「・・・」
「そしてたとえ生き残る可能性が少なくても、ここにいる全員が生き残るように指示を出し導いていく。これが私の責任者としての義務。この二つを邪魔するなら、いくらあんたでも容赦しないわ。」
「・・・」
誰もなにも言えなかった。
そしてリツコにはミサトの圧力に対して屈服する以外の手がなかった。
「さてと。青葉君、状況は?」
「は、はい。初号機はもう間もなくドグマに到達します。」
「そう。じゃあウインチを出して頂戴。日向君、リニアレールの状況は?」
「はい。オールグリーンです。ですが・・・表に出しても核爆弾じゃ意味無いですよ。放射能に汚染されてしまいます。」
「いいから。リニアレールはどれでも使えるようにしておいて。
マヤちゃん。シンジ君の状況は?」
「はい、各数値とも、問題ありません。ただ・・・」
「ただ?」
「シンクロ率が異常に高いのですが・・・」
「高い分には問題ないでしょ。
さぁ、頼んだわよ、シンジ君。」
皆の不安を吹き飛ばすかのようにミサトは次々と指示を出す。
それも自信たっぷりに。
その後ろ、座り込んだリツコは死ぬ機会を与えられずまた虚ろな瞳でミサトの後ろ姿を見ていた。
そしてもう一人、マナはじっと手を握って祈っていた。
シンジ、お願い私達を助けて。そして生きて。
シンジの左肩の応急手当をしたその手は震えていた。
「そう言えば、カヲル君を追いかけたときもここだったな。」
シンジは延々とドグマにつながる縦穴を見ながら、そんなことを思い出した。
「いくぞ。」
呟くと同時に縦穴に初号機を投じるシンジ。
落下重力が容赦なく初号機にそしてシンジに襲いかかる。
「くぅ!」
思わず左肩を押さえる。
マナに止血してもらい気休めばかりの痛み止めを飲んだが、それでも左手はあまり自由に動かせない。
「このぐらいの痛み・・・・・・みんなを、マナを守るためなら・・・・・くぅっ!」
シンジは自分自身に気休めを言っているのを自覚していた。
その証拠にシンジの額からは脂汗が流れ出し、LCLに溶けていく。
それでも初号機は落下を続け、重力は前にも増してにシンジの体を、肩を痛めつける。
急げ。
急げ。
急げ!
痛めつけられてもそれを凌駕する気迫で耐える。
初号機の落下スピードはぐんぐん増す。
周りの壁がだんだん狭くなるような錯覚に陥る。
左腕はあまりの痛みに痛覚を失い始める。
そしてようやくヘブンズゲートが見えはじめた。
ミサトから通信が入る。
『シンジ君、聞こえる?』
「ミ、ミサトさん!」
『・・・?どうかしたの?』
「な、なんでもないです。」
『シンジ君、ウインチを用意したわ。上に登るときはそれを使って頂戴。』
「わかりました。カタパルトは使えますか?」
『ええ。どれでも使えるわ。ただ・・・』
「ただ?」
『ヘブンズゲートをあけるのに時間がかかりそうなの。』
「ええっ?!」
『とにかくシンジ君は開くまで待機して頂戴。』
「爆発まであと何分ですか?」
『・・・5分・・・切ったわ。』
「・・・わかりました。」
シンジはそこで通信を切った。
最下層まであと少し。
そう思った次の瞬間、両肩のジェット噴射機のスイッチを入れる。
「あれ?」
何回押しても動かない。
このまま落ちてしまっては爆弾の処理どころか自分の命まで危ない。
「くっそぉぉぉぉぉぉおお!」
シンジは初号機の両手を壁に当てた。
落下をその両手でくい止める気であった。
EVAの手のひらにある金属部分が摩擦によってトンネル内に火花を散らす。
そのことはシンジをさらに痛めつけた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
もはや痛みに対する叫びか、止まってくれと願うことに対する叫びか、本人すらも判らない状況が続いたあと、初号機はヘブンズゲートの前に落ちた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
シンジの呼吸は荒い。
2ヶ月以上ぶりに初号機を操縦してこれほどまでに無茶をしているのである。
そしてその無茶はまだ続くのであった。
「ミサトさん!ミサトさん!!」
『シンジ君!下についたのね。』
「まだ開かないんですか?」
『ごめん』
「わかりました。これからこじ開けます!」
『ちょっと、シンジ君?』
「もう時間ないんでしょ?!」
そう言うやいなや、シンジはプログナイフを取りだした。
「たのむぞぉ・・・」
そのまま扉のつなぎ目に向けてプログナイフを振り下ろす。
初号機の両手はその時すでに素体が見えていた。
それでもなお二度、三度と両手で握ったプログナイフを振り下ろす。
「の、残り3分です!」
マコトが悲鳴さながらにミサトに告げる。
「ど、どうなってるの?」
「わかりません。今、初号機は何もモニターできません。」
「ヘブンズゲートは!?」
「こちらからの操作はいまだ不能です。ですが各センサーのレッドランプが・・・」
「シンジ君、本当にこじ開けてるの?」
ミサトが信じられない、といった表情を浮かべた。
その時、マナがミサトの袖を握る。その手は微かに震えている。
「霧島さん、怖いの?」
小さく首を横に振るマナ。
「・・・違うんです。シンジ君、左肩を怪我してて、それで・・・それなのに・・・」
ミサトはぱっと振り返り、マナの両肩を抱いた。
「だいじょうぶ。あなたが信じたシンジ君なのよ。何も心配要らないわ。」
「でも・・・」
「それにシンちゃんのことだから、きっと泣いてるあなたを見ると哀しむわ。」
「・・・」
「だからあなたはここでしゃんとしてなくちゃね。」
「・・・はい。」
マナは泣くのをやめた。
ミサトが手渡してくれたハンカチで頬にある涙をぬぐい取る。
「ヘブンズゲートが・・・ATフィールドで破壊されました!」
「シンジ君、やったわね。
・・・残り時間は?!」
「あと2分です。」
「シンジ君聞こえた?ウインチに捕まってケイジに急いで!」
『わかりました!』
ミサトの額にも汗が浮かぶ。
それは皆同じであった。
誰もが焦りを感じている。
マナはミサトから借りたハンカチをぎゅっと握りしめていた。
降りる時のとはまた違う焦り。
シンジはそれを身をもって感じていた。
ウインチが巻き取られ登っていくスピードは遙かに遅い。
そして差し迫ってくるタイムリミット。
だがここで焦って落としてしまっては元も子もない。取りに行く時間はないし、落ちた衝撃で爆発しないとも限らない。
シンジは待った。
たった数十秒のことであるが、何十分にも感じた。
そしてようやくケイジにたどり着いた。
「ミサトさん!5番のカタパルト!」
『わかったわ!』
EVAは走る。
周りの設備に時々ぶちあたり、そのたびにシンジの体にはダメージとして蓄えられていく。
シンジはそれでも初号機を走らせ、カタパルトに載る。
「ミサトさん!」
『発射!』
アンビリカルブリッジによる固定がないため爆弾を守るようにカタパルトにしがみつく初号機。
その装甲版があちこちに当たるたび火花を、その素体があちこちに当たるたび体液を、それぞれ出しながらも猛スピードで上昇し、そのまま地上に打ち上げられた。
『シンジ君!残りあと一分よ!』
すでに返事が出来ない状況のシンジ。
バランスを崩しながらも核爆弾を落とさないよう着陸すると、そのまま走り始めた。
全速力で走り始めるが、初号機の足が地面につくたびその重さと摩擦熱でその部分が溶け、さらに爆弾の分の重さと動きにくさで、なかなかスピードに乗らない。
『50!』
初号機はまだ走る。
『40!』
風を切り裂くスピードで走る。
『30!もうだめよシンジ君!』
ミサトの叫びを聞いたシンジは、そのまま核爆弾を持つ右手を大きく振りかぶり、そして空に向かって投げた。
核爆弾が通った所にあった雲は、核爆弾と空気との摩擦熱で気化する。
そして肉眼では確認できなくなった。
『10・9・8・7・6・5・4・3・2・・・』
マコトのカウントダウンと同時に第三新東京市周辺は一時的に昼と夜が逆転した。
まばゆいばかりの光が発令所のモニターにも映る。
核爆弾は大気圏外まで出た後、爆発した。
—–
「信じられないわ。軌道計算も重力の脱出速度計算も何もなしにあれだけのモノを大気圏外までほおり投げるなんて。」
「あたしは信じてたわ。あのシンジ君が『なんとかする』って言ったんだもの。」
天空の光がようやく収まった頃、いまだに納得できないリツコにミサトはそう言い放った。
「さて、勇者様を迎えに行かなくちゃね。初号機はもう動いてないでしょ?」
「ええ、完全に停止してます。」
「そう。じゃ、ちょっちいってくるわ。霧島さんも、行くでしょ?」
「え、あ、はい。」
「じゃあ、そう言うことだから、後よろしく。」
「か、葛城さん・・・」
マコトが意見するより早く、ミサトはマナを連れて出ていってしまった。
いまだに何がどうなっているのか判らないまま、その場に残された人々は、とりあえず自分が生き残ったことを神に感謝するしかなかった。
「で、最初から説明してくれる?」
ミサトは車の中の助手席で小さくなっているマナにそう言った。
「シンジ君が出ていったのは知ってるんだけど、その後からさっぱり判らないのよね。そしていきなりEVA初号機に乗って現れて、核爆弾を宇宙に向かって投げた。なぜ司令が死んじゃって、副司令がああなったのか、全然わかんないし。」
「あの・・・シンジ君は悪くないです・・・」
「そうね。あの子がそんな悪い子なら今頃ここに来ないでしょう。だから、その辺を詳しく教えてくれる? もちろんその後は私からみんなに話すでしょうけど、出来るだけ正直にお願い。」
そう言われたマナはぽつりぽつりとシンジが来てからのことを話した。
見つけた時の事、死ぬつもりだった事、初めて基地に来た時の事、その後の楽しかった生活、そして今日、全てが無茶苦茶になった事。
ミサトは何も聞かず、マナの言うことだけを真剣に聞いていた。
「・・・それで、お父さんを刺したんです。」
「何も刺すことはなかったんじゃない?」
ミサトが初めてマナに質問したのは話もほぼ終わったときであった。
「・・・どうでしょう。話からするととても話を聞きだして説得させるなんて無理でしたし・・・・・・それに・・・」
「・・・それに?」
「・・・それに、シンジ君が刺さなかったら、お父さんに撃たれてました。」
「・・・そう。」
「・・・はい。」
「・・・悲しい選択ね。」
「・・・はい。」
話の重さに車内が静かになる。
殺さなきゃ殺される、究極の選択の中でシンジが選んだ答え。
生きること。
生き続けるために生きること。
生き続けるために殺すこと。
「シンジ君、強くなったのねぇ。」
EVA初号機はすぐ目の前だった。
「シンジ君!」
「シンジぃ!」
彼女らが初号機を発見したとき、シンジはすでにエントリープラグを降りていた。
「ここだよぉ。」
その声は小さかったがちゃんとマナには聞こえた。
「シンジぃ!」
マナはシンジを見つけるとまっすぐ駈けていった。
「シンジぃ、よかったぁ・・・よかっ、た・・・よか・・・」
先ほどミサトに言われたことは頭に残っていたが、それでも次から次へと出てくる涙には勝てなかったようだ。
マナはシンジに抱きついたまま泣き続けた。
ミサトはそんな二人を見つけるとばつを悪くしながら近寄っていった。
そして、自分たちを救ってくれた勇者を見た。
「・・・シンジ君?」
「ミサトさん、無事だったんですね。」
「ええ。・・・あなたホントにシンジ君?」
「い、いやだなぁ、もう顔を忘れちゃったんですか?」
「そうじゃなくって・・・こう・・・なんて言うか・・・」
ミサトは目の前にいる少年と、記憶にあるシンジを見比べたが、いまいち実感がわかないようであった。見た目はだいぶ痩せていたが、2ヶ月前よりも大きく見えていた。その差がミサトを錯覚へと導いたようだ。
「僕は碇シンジです。」
そんなミサトを見て、シンジは簡潔に自分の名前だけを言った。いつ頃からか見せ始めた哀しさと優しさをブレンドしたような瞳で。そんな彼を見てミサトも納得した。
「シンジ君、ご苦労様。」
そしてにっこりと微笑んだ。
マナはいまだシンジの胸の中で泣いていた。
「だめよ、あんまり女の子泣かしちゃ。」
「それはわかっているんですけど・・・」
ミサトの久しぶりの説教にシンジが口答えすると、ばっ、っとマナは起きあがった。
「ご、ごめん、シンジ。わたしのせいで・・・」
「べ、べつにマナのせいじゃないよ。」
「ごめん・・・」
「いや、あの・・・」
謝るマナに照れるシンジ。
そんな二人をほがらかに見ていたミサトに邪魔が入る。
彼女の車に備え付けられている車載通信の呼び出し音がなったのだ。
「なによ、もう・・・はい、こちら葛城・・・」
ミサトの顔つきが厳しいものになる。
「判ったわ、すぐ行くから。」
そう言って通信を切ったミサトはシンジとマナを見た。
マナはともかくシンジはとても連れて行けそうになかった。
「二人とも、後で迎えをよこすから。あたし、先に行くわね。」
「あ、はい・・・」
返事を聞いてミサトは車に飛び乗った。
二人は爆音を聞きながらそれを見送った。
「なにかあったのかなぁ・・・」
「さあ・・・」
通信の内容を知らない二人には首を傾げることぐらいしか残っていなかった。
シンジはそのまま初号機にもたれかかる。
マナはそんなシンジの横にちょこんと座る。
二人は同時に空を見上げた。
その仕草にマナは思わず微笑み、頬を染めた。
シンジの瞳には紅がさしていた。
「まだ、月は紅いままなんだね。」