第2話

幻を見ていた
少年は、幻を見ていた
恐怖、裏切、殺戮、破壊
その影に在る死の匂い

現を見ていた
少年は現を見ていた
少女の悲鳴、大人達の咆哮
辺り一面に漂う血の香り

彼の者を呼ぶ声がする
その言葉は失望の言葉
針が突き刺さるような痛みと、押しつぶされそうな重圧を

彼の者を呼ぶ声がする
その言葉は拒絶の言葉
染みついて取れない血臭と、腑を掻き回されるような吐き気を

 


 

「うわぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ」
その夜、少女は隣に眠っているはずの少年の悲鳴で目が覚めた。
少女は飛び起きて少年を抱きかかえる。
「シンジぃ、しっかりしてぇ」
少女の瞳は涙目だ。
「うっ、うっ、うっ・・・うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ」
少女の声は少年には届かないのか。
「シンジぃ!」
少女はさらにきつく少年を抱きしめる。
叫び声さえ上げなくなったが、少年の呼吸は荒い。
「シンジ、シンジ、シンジぃ」
少女は片方の手で少年の頭をなでる。
少年は次第に落ち着きを取り戻し始めた。
「・・・・・・・・・マナ・・・」
「そうよ、わたしよ。」
「・・・・・・マナ、ごめん・・・」
「いいの、いいのよ・・・」
少女 マナ は必死に涙をこらえながら、がたがたと震える少年 シンジ をぎゅっと抱きしめた。
シンジが気を取り戻したその夜の事であった。

「はい、これ飲んで。」
マナはホットミルクの入ったマグカップを二つ持ってきて、そのうちの一つをシンジに渡した。
シンジが受け取ったホットミルクは表面に波が浮かんでいる。
その様を見たマナはそっとベッドの上でシンジに寄り添った。
「怖いんだ、すごく」
マグカップから出る微かな湯気を見ながらシンジはぽつりと言った。
「・・・・・・うん」
ホットミルクを一口すすったマナが頷いた。
シンジは未だに口を付けられないでいた。
「どうしたの? 具合、悪いの?」
そう尋ねるマナにシンジは申し訳なさそうに言った。
「駄目なんだ。
何を食べても、何を飲んでも不味いんだ。
何を食べても、何を飲んでも血の味がするんだ。」
「シンジぃ・・・」
マナが哀しそうな目をシンジに向ける。
そんな彼女の表情を見てシンジはそっと自分の手でマグカップを口に付ける。
ゆっくりとマグカップを傾け、ホットミルクを口の中に入れる。
「・・・でも、このホットミルクはおいしい。」
「うん!」
マナは笑った。

「わたしね。」
二人がホットミルクを飲み干した後、最初に口を開いたのはマナだった。
「あの後、シンジ君と別れた後ね、早速捕まっちゃったんだ。」
マナは何かを思い出すように遠くを眺めた。
「ばかみたいよね。
せっかくみんなが助けてくれたのにね。
せっかく自由になれたと思ったのにね。」
大きくため息をつく。
シンジは黙ってうつむいていた。
「でも、殺されなかった。
その代わりまたロボットのパイロットにならなきゃいけなかった。
今ね、そのための訓練をここでしてるの。
なんだか知らないけど、わたしには才能が在るんだって。」
気が付くとシンジはマナの方を向いていた。
「毎日毎日つまらなかった。
・・・実を言うとね、わたしもシンジ君みたいに死のうと思ってたことがあったんだぁ。
でも死ねなかった。
ううん。気持ちだけよ、そう言う気持ちだけ。わたしは思ってもなんにも出来なかったの。
・・・生きてたら、また逢えるかな?っておもったから。」
そう言ってマナはシンジの方を向いた。
二人の目が合う。
「そして、またこうして逢えたわ。
だからわたしは今、とっても幸せ。」
その言葉を聞いたシンジの顔が次第にうつむいていく。
やせこけた自分の両手に視線が移る。
「僕は・・・僕は・・・
追い出されたんだ。
逃げ出したんだ。」
マナはじっとシンジの言うことに耳を傾けている。
「マナを見送った後も僕はEVAに乗り続けた。そうするしかなかったから。
いろんな目に遭った。死にかけた事なんていくらでも遭った。
やめようとも思った。」

「そんなとき、一人の人に言われたんだ。
『君には君にしかできない、君には出来ることがあるはずだ。』
って。」

「僕はまた乗ったよ。初号機は僕しか動かせなかったし、何よりみんなを守りたかった。
そしてやっと最後の使徒を倒したんだ。
ううん。倒したんじゃない、殺したんだ。」
シンジの目に涙が浮かぶ。
黙っていたマナがシンジに聞く。
「使徒って、化け物みたいなのじゃないの? なんで『殺した』って・・・」
「カヲル君は化け物なんかじゃない!」
シンジはわなわなと震えながら怒鳴った。
「!・・・」
ここに来て初めて感情を爆発させたシンジを見て、マナは驚くこと以外何が出来たであろう。
「カヲル君は、カヲル君は、僕に優しくしてくれたんだ。僕を好きだって言ってくれたんだ。
なのに僕は・・・僕は・・・」
「シンジぃ・・・」
マナがシンジにそっと寄り添った。
荒かったシンジの呼吸が次第に戻っていく。
「・・・ごめん、マナ。つい怒鳴ったりして・・・」
「ううん。わたしの方こそ、ごめんなさい・・・」
「・・・マナ・」
シンジは再びうつむいた。
シンジは泣いていた。
「・・・・・・シンジ・・・」
マナはシンジの背中をさすりながらその名を呼んだ。
彼女は彼が次第に落ち着きを取り戻していくのを感じた。
「・・・僕は使徒であるカヲル君を殺した。
でも、それで終わるはずだったんだ。僕がEVAに乗ることも、僕が戦わなきゃいけないことも。
でも・・・でも・・・・・・」
シンジの瞳に恐怖が浮かぶ。
「終わらなかったんでしょ?」
「マナ・・・」
驚いたシンジを前にして、マナは大きくため息をついた。
「わたしがいる所は軍だからね。ちょっとだけ知ってるんだ。」
「・・・そっか・・・」
「うん。」
「国連軍がネルフに襲撃して、いっぱい人が死んだって聞いたわ。」
「僕は・・・誰も助ける事が出来なかった。
・・・そして・・・アスカの首まで絞めようとしてたんだ。」
「・・・えっ?」
「何故だか判らないけど、そうだったんだ。
結局僕はみんなを守るどころか、不幸にしてしまったんだ。」
シンジは自分に寄り添っている少女の手を取った。
マナは握られた手が汗でしめっていて、握る力がだんだん強くなるのを感じた。
明らかにシンジがその時の恐怖を黄泉還らせていることが判った。
彼女は、だからこそ、シンジに安らぎの声をかけようとした。
「・・・でも、そんなのシンジのせいじゃないよ・・・きっと。」
その言葉は空しくもはねかえった。シンジは自分を責めるように怒鳴った。
「僕のせいなんだよぉ!僕がみんなを不幸にしたんだ!
あのとき僕がもっとしっかりしてれば、僕がちゃんとEVAを動かしてれば、
僕が・・・僕が・・・僕が・・・
うっわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」
シンジはマナの胸の中で泣いた。
大きな大きな声で泣いた。
第三新東京市を独り旅立ってから初めての涙だった。

—–

「ええぇぇぇぇぇぇ?!シンジが行方不明ぃぃぃぃぃぃ?!!」
ネルフ本部の中の待合室で叫ぶ少女がいた。
「ちょっとアスカぁ、そんなに大きな声で言わなくったって聞こえるわよ。」
「ご、ごめん、ヒカリ。」
「碇君が行方不明なの、そんなにショック?」
「ショックだとか、ショックじゃないとか、そう言う問題じゃないでしょぉ?」
「だってもう一ヶ月もたつんだよ?」
「一ヶ月ぅ?!」
「だからそんなに大きな声で言わなくったって聞こえるって。」
アスカは呆然となった。言い意味でも悪い意味でもアスカ自身を取り戻し、生きていくための糧となったシンジがいないのだから。
そんなアスカをヒカリはただ黙ってみていた。
アスカの考えていることが判らなかったから。
「なんやなんや?」
「なんか叫び声が聞こえたけど・・・」
アスカとヒカリは声のする方を向いた。
「なんであんた達がここにいるわけぇぇぇぇぇぇぇ?!」
アスカ復活の狼煙であった。

「なんでぇ・・・・」
「アスカっ。集中しなさぁい。」
「ほーい。」
「じゃあ実験始めるわよ。」
四人の子供達はEVAのシンクロテストを開始した。
そのうち二人は久しぶりの、二人は初めてのテストだった。
プラグ内の四人がリツコやミサトがいるコントロールルームにあるモニターに映し出される。モニターの下の方にはそれぞれのシンクロ率を表すグラフが表示されていた。
リツコはそれを見ても顔色一つ変えない。
ミサトは苦虫を潰したような顔をしていた。
「ねえリツコ、こんなモノなの?」
「判っているのは全員適応していない、ということだけよ。」
リツコは端的に事実だけを述べた。
そうなのであった。
四人が四人とも うち二人は過去に起動させたことがありながら 起動できるところまでシンクロ率が上がらないのだ。
「シンちゃんがすごすぎたのか・・・」
「ミサト!」
「・・・ごめん。」
「まあいいわ。もうちょっと続けてみましょ。アスカだけなら何とかいけそうだし。」
「わかったわ。
ほら、あんたたち、しっかりやりなさぁい。」

結局起動臨界点を突破したのはアスカだけだった。
それもギリギリではあったが。

四人の少年少女は控え室で落ち込んでいた。
アスカは全盛期の自分に遠く及ばなかったし、トウジは後一歩のところで届かなかった。ケンスケとヒカリは問題外、と言ってよい程シンクロ率が上がらなかった。
「まあ、あれね。明日からまたがんばればいいじゃない。」
ミサトが全員を慰めた。ように思えた。
「くよくよしても仕方ないわ。今日のところはかえってよく休みなさい。」
ミサトがそう言うと四人はぞろぞろと更衣室に向かっていった。

そのころリツコはゲンドウの前にいた。
「どうだ。」
「はい。アスカ以外は起動臨界点すら達しませんでした。アスカにしても以前のようなシンクロ率は出ませんでしたし・・・」
ゲンドウは黙って聞いていた。永遠とも思える一瞬が過ぎる。
「一ヶ月」
まるで表情を変えないゲンドウ。その彼の口からぽつりと単語だけが紡ぎ出される。同席している冬月やリツコにはその一言の意味することをすぐには理解できなかった。
が、それもつかの間、その意味に気がついたリツコがゲンドウに問い直す。
「い、一ヶ月ですか?」
「そうだ。それ以上はゆるさん。」
有無をいわせないゲンドウの口調にあらゆる意味で従わざる終えない二人。
「わ、判りました。」
「以上だ、下がっていい。」
「はっ。失礼します。」
リツコは冷や汗をかきながら退出した。

「碇、いくら何でも無茶じゃないのか? EVAの修理増産体制もまだ未整備なのに。」
「我々の敵がいるのだ。」
まったく持ってゲンドウの言うことには無下もない。その調子がだんだんとおかしな方向になり始めているのを感じ取っているのは、今ここで彼と話をしている冬月かいなかった。
「奴らが準備するより早く、こちらが動かなければならない。
それが一ヶ月だ、と言うだけの話だ。」
冬月の顔が険しくなる。
「ずいぶんと時間を与えてしまったな。」
「ああ。だが我々にはもう一つの手がある。」
「・・・ダミーか?」
「そうだ。」
「しかしあれは・・・」
「赤城博士は大したモノだ。ダミーを完全なモノに変えてくれた。」
「そ、そうか。わたしの知らないところでいろいろと事が進んでいるのだな。」
「・・・」
「まあいい。だがこれからは情報規制などかけないでくれよ。」
ゲンドウからの答えはなかった。
冬月がため息をついた。サングラスと、両手で隠されている口元のその下で、何を考えているのか判らないゲンドウを前にして。
そしてゲンドウは、彼自身の本心を隠すかのように、その色の付いた眼鏡をくっと押し上げた。

翌日からのテスト と称した訓練 は熾烈を極めた。
それでも四人の少年少女は逃げ出したりしなかった。
逃げ出すことが出来なかった。
彼らの上司であるミサトはこの時気がつくべきであった。
この異様で異常な状況に彼女自身も置かれていることに。

—–

シンジがマナの家に住み着いてから一ヶ月が過ぎた。
一人で体も動かせるようになり、日常生活においてはなんの不便もなかった。
時折夜中にうなされることがあったが、それもマナの献身的な介抱で次第に減っていった。気を取り戻した後などはそれこそ毎日のように彼女は夜中に起こされていたが、近頃はめっきり減った。それがそのままシンジの精神状態とつながっているかどうかは本人しか判らないことではあったが。
そして今日、とうとう医師からの許可が下りた。
普通に生活してもよい。
マナは天にも昇る気持ちであった。
シンジはその医師に感謝の気持ちを表せはしたものの、表情は以前と変わりなかった。
「ねえシンジぃ、ちょっと散歩しようよ。」
医師がマナの家を出ていってからしばらくして、マナはシンジにそう提案した。
シンジはしばらく考えていたようだが、それを承諾した。
マナはクローゼットをあけると、二人分の服を引っぱり出した。
「へへぇ。こっちが前にデートしたときの服。こっちが今日のためにシンジに買っておいた服だよ。」
マナは呆れたことにシンジの分まで服を用意しておいたらしい。
もっとも、ここに来た時のシンジの服で表に出られるものではなかったが。
「じゃ着替えよ。恥ずかしいから、お互い背中向けようね。」
「えっ?何もここじゃなくても・・・」
「いいのぉ。ここで着替えるのぉ。」
そう言って彼女はシンジに背を向けた。
シンジもやれやれといった感で、マナにならって背を向けて着替え始めた。
二人の背後で、それぞれが着替える音がした。
「ねえシンジ、着替えた?」
「う、うん。」
「じゃあ、いっせぇーのーで、でふりかえるんだよ。」
「う、うん。」
「いっせーのーでっ!」
二人は振り返った。
振り返った際にシンジは白のワンピースを着たマナを見た。とても愛らしかった。
振り返った際にマナは自分が見立てたポロシャツにジーンズを着たシンジを見た。少し服がだぶついて見えた。
「ちょーっと、おおきかったかなぁ・・・」
そう言ってマナはぺろっと舌を出した。
その仕草も愛らしく思えた。
シンジにとってこれまた久しぶりの人間らしい生活の予感であった。
「さ、行きましょ。」
マナは財布とカギを入れたポシェットをたすきにかけて、シンジの手を取った。
シンジは引っ張られるままマナについていった。

「緑がいっぱいある所なんだねぇ。」
シンジが評した緑がいっぱいの所というのは、単に緑しかない場所でもあった。そこを二人はとぼとぼと歩いていた。マナがシンジの歩くペースに合わせていたからだった。
「うん。でも、ここは基地の敷地の中なんだぁ。」
「えっ?ここが?」
「うん。まあ敷地と言っても、シンジ君がたどり着いた所も敷地みたいだからねぇ。
実はわたし、その敷地から出ちゃいけないことになってるんだ。」
「そ、そうなんだ。」
「そんな哀しい顔しないでぇ。ずいぶん広いんだもの。全然気にしてないんだから。」
二人はぽつりぽつりと会話しながら、ゆっくりと歩いた。
シンジはしっかりと大地を踏みしめるように歩いていた。
生きていることを実感しながら。
「ねえシンジぃ。ちょっと休んでいきましょ。」
マナがそう言ったのは芝の多く生えた広場のような所だった。
上を見ると高い高い空が見えた。
「そうだね。」
シンジはマナの意見に同意した。
二人は芝の上に座り込んだ。

「いいきもち・・・・・・」
「そう・・・だね。」

二人は風の音を聞いた。
二人は雲の微笑みを見た。
二人は草木の声を耳にした。
二人は生きていた。
大いなる自然と共に。

無言で時を過ごす少年と少女。
そのうちに少年は全身で大地の鼓動を感じることになった。
少年はその場に寝転がったのだった。
「ねえシンジ、疲れた?」
「ちょっとね。」
二人の間を取り持つように空の風が雲を運ぶ。
二人の間を取り持つように草と木と大地が鼓動する。

「シンジぃ」
マナは隣に寝そべっているシンジの手をそっと握ると、彼の名を呼んだ。
「わたしね。こうやってシンジが元気で隣にいるのがすっごい幸せ。」
マナの髪の毛が風になびく。
マナの瞳は風が行く所を見る。
「だから、一つだけお願い。」
マナの視線がシンジの方に移る。
「お願いだから、生きて。」
瞼を閉じたままの彼に、彼女の癒しの声は聞こえたのだろうか。
空や風や雲、草や木や大地が持つ、人を癒す力が彼に伝わっているのか。
それ以前に彼がそれらを受け入れようとしているのか。
誰も判る者はいなかった。

「ねえ、マナ?来た道と違うんじゃない?」
「いいのよ。こっちからでも帰れるし、来た道を単に戻るなんてつまんないでしょ?」
二人は十分休んだ後、帰り道を歩いていた。
結局シンジがマナの、そして大自然の意志を受け入れたかどうかは判らなかったが、昨日の今日でそう易々と答えが出るものではないことを彼女は知っていた 自分も経験していた からそれほど元気を無くすことはなかった。
二人は柵のある道を通っていた。
その柵から向こうはマナが所属する基地の中であった。
マナは基地の施設が見える場所で唯一ここが好きな道であった。理由は簡単だった。柵のこちら側に自然と自由があったからである。
行きと同じくとぼとぼと歩く二人の足を止めたのは大きな音だった。
シンジはその音を聞いたことがあった。
自分自身が何度も何度も聞いた音だった。
そして彼の目の前に巨大な物体が現れた。
「あ・・・あれ・・・・・・」
シンジは目を丸くしてその物体を指さした。
「そう。あれが私たちのEVA。」
「じゃ、じゃあマナは・・・・」
「そう。あれのテストパイロットなの。」
シンジの目は釘付けになった。無理もない。ネルフ以外には存在しないと思ったEVAが今、この地で、自分の目の前に立っているのだから。
「行く?」
マナがそうシンジに尋ねても返事はなかった。
シンジはふらふらと柵に寄りかかって5体のEVAを見始めた。
マナもそれにつられて、シンジのそばについた。
シンジの目の前で、EVAがアンビリカルブリッジから解き放たれる。
そして5体のEVAはシンジの予想もしなかった行動に出た。
歩く。
走る。
跳ぶ。
その様はまるでロボットの運動会だった。
そんな様を見てシンジがこう聞いたのも無理はなかった。
「あれって・・・EVAなの?」
「うーん。正直に言うとね、まるっきり偽物なの。」
マナはあっけらかんと言った。
「何でもネルフにいたスパイからの情報を元に作ったらしいの。それでも軍のえらい人に言わせればすごいことだったらしいの。」
シンジはぼんやりと健全に動くEVAを見ていた。
「もちろん軍でも研究してるらしいんだけどね。シンジの乗ってたやつとはずいぶんと違うと思うわ。」
「ふーん。」
多少は考えることがあったのか。シンジはしばらく黙っていた。
シンジの目の前ではとても奇妙な光景が広がっていた。
「でも、命の心配しないで、あれだけ楽しそうに、EVAを動かせるって、なんかいいなぁ。」
マナがその言葉を聞いてはっとシンジの方に振り返る。
「『命の心配』って、どう言うこと?!」
珍しくマナの語彙が荒い。
「わたしも、みんなも、毎日へとへとになるまで訓練してあれに乗ってるのよ!」
マナは肩で呼吸をしていた。
それほどまでに大きく、荒い声だった。
「ごめん、マナ。」
シンジは心底申し訳なさそうにうつむき、謝った。
「でも、これだけは判って欲しいんだ。ここには使徒も、政府軍も来ないんだろ。」
その言葉にマナは再度はっとなる。
「・・・・・」
「僕がいたところは違った。敵はみんな僕を殺そうと来るんだ。だから、その、なんて言うか・・・・・・」
「・・・ごめん、シンジ。」
今度はぶるぶると震え出すシンジにマナが謝った。
「いいんだ。僕も言い過ぎたし・・・」
「ううん、わたしのほうもついかっとなっちゃって・・・」
「ごめん」
思わず二人の謝る声が重なった。
二人は思わず吹き出してしまった。

二人が再びマナの家に帰ろうとしたとき、その声が聞こえた。
「おい、こっち来てみろよ、マナが男連れだぜ。」
とかく下品な、とても少年とは思えない声だった。その声につられてどこから現れたのか、ぞろぞろと数人の少年が現れた。
「おおっ、ほんとだ。それも俺達の知らないやつだ。」
「案外スパイかなんかじゃないのかぁ。」
「へっ、お高く止まってると思えばこれかよ。」
「優等生はいいねぇ、休みの日にスパイさんとデート、ってかぁ。」
少年達は口々に罵詈雑言を並び立てるとまた下品な笑い声をたてた。
「ちがうもん。シンジ君はスパイなんかじゃないもん!」
マナの必死の抵抗も、彼らには快楽にしかならなかった。
「ふーん。そのひょろっちいの、シンジ、っていう名前なんだ。」
少年は嫌らしい笑みを浮かべた。
「ねえマナ。この人達は?」
それまで沈黙を保っていたシンジが聞いた。
「わたしの・・・仲間・・・」
それを受けてマナはぽつりと言った。
「仲間・・・?」
シンジの疑問は当然であったがその言葉は一人の少年によって遮られた。
「軽々しく仲間なんて呼ぶんじゃねぇよ!」
その少年の声にほかの少年も続く。いつの世も数の暴力というのは存在していたし、集団心理が加速するのも同じであり、彼らもまた例に漏れなかった。
「そうだそうだ。」
「お前みたいな裏切り者の生き残りと仲間になんかされてたまるかよ。」
「そうだぁ、臆病者ががたがた言うんじゃねぇよ。」
その時、シンジがすっと彼らからマナを守るように横に移動した。
同時に石が投げつけられる。
その石はシンジの頭を直撃した。
「し、シンジぃ!」
マナがシンジの後ろで叫ぶ。
シンジの頭からどろりとした血が流れ出し、頬を伝う。
シンジは痛みを表すどころか、少年達に向けて言葉を放った。
「そうだね。こういう連中が仲間じゃ、マナがかわいそうだよ。」
もしマナがシンジの前にいて、その顔を見ることが出来ていたら、始めてみる彼の狂気の瞳に思わず腰を抜かしたかもしれない。
だが今シンジはマナに背を向けていたし、顔はうつむいていたからその表情の片鱗も垣間見ることはなかった。
「なんだと?!」
少年のうちの一人、このグループのリーダーらしきものがシンジに近寄っていく。
「もう一回言う度胸があるのか、こらぁ!」
言葉の凄みと音量の大きさと、そして自身の体つきでシンジに詰め寄る。
「もう一回言ってみろよ!」
シンジはそんな言葉の暴力は受け流し、うつむいたまま言った。
「何回も言われなきゃ判らないなんて、所詮君たちはその程度なんだよ。」
「なにぃぃぃぃ!」
リーダーらしき少年はシンジの胸元をつかんだ。
誰もがその後に起こる惨事を予想した。
「シンジぃ!」
マナが叫ぶ。
「うるさい、お前は後でたっぷりいじめてやる。」
少年が勝ち誇った顔をしようとした、その時であった。
「マナをいじめるな。」
シンジが初めて顔を上げて、ぽつり、と言った。
その顔はまるで物静かな少年の顔だった。
だからこそ、彼の瞳から発せられる狂気の光は凄みを持った。
シンジの胸元をつかむ少年の手は次第に力が抜け、その顔は次第に恐怖へと変わる。
シンジはそんな少年をただ黙ってにらみつける。
「どうしたんだい?僕を殴るんじゃなかったのかい?」
シンジの言葉は静かだ。
だからこそ、恐怖が少年の体中を駆けめぐる。
「何もしないんだったら、この手を離してもらえるかな。」
そう言うとシンジはいとも簡単に少年の手を払いのけた。
そしてその瞳で後ろに並ぶ少年達を睨み付ける。
「僕たちはこれから帰るんだ。そこをどいてくれないかな。」
そう言ってもう一度リーダーを含めた全員を睨み付ける。
その時、シンジの後ろ、柵の向こう側から声がした。
「それは困るな。」
「先輩っ!」
「その様子だと俺らの後輩をずいぶんとかわいがってくれたようだな。」
マナは後ろを振り向けなかった。そこに誰がいるか判っていたから。
「おいっ!そこのひょろっちいの!!こっちを向いたらどうなんだ!!!」
シンジの後ろから彼を罵倒する声が跳ぶ。
ふぅ、とため息一つつき、シンジは振り返った。
「ほほう、いい面してんじゃねぇか。」
先輩連中でも一番の強面がシンジに言う。
「うんっ? で、おまえは何者だ?」
強気にそう言い放つ。それもそうだろう、シンジの後ろにはおびえているとはいえ数人、そして柵のこちら側には1ダースもの屈強な少年がいるのである。万が一にも負ける心配はなかった。
「お前は何者だ?って、聞いてるんだ。答えろよ!」
自分の言うことを聞かないシンジを前にして少年はいらついていた。
「なんにも言わないんなら、そこのマナから無理矢理聞いたっていいんだぜ!」
少年は言ってはいけないことを言った。
シンジの逆鱗にまたしても触れてしまったのだ。
「碇シンジ。」
シンジは誰よりも早く、その次の言葉を言った。
「元特務機関ネルフ所属、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジだ。」
そう言ってシンジは再度少年達をその狂気の瞳で睨み付けた。
「ネ、ネルフの・・・・・・」
「い、生き残り?」
少年達の間に言いもしれぬ緊張が走る。
それもそのはずであった。つい一ヶ月ちょっと前、自慢の国連軍が出撃してだれ一人還ってこなかったのである。
それ以上にシンジの持つ瞳の狂気に気圧された。
幾多の生命の危機を乗り越え、自分の親友をその手で殺してしまい、多くの大人達の死を見てきたシンジである。そんな彼にだれ一人としてかなうはずもなかった。
それでもいるものである。虚勢を張る者が、集団の中に一人ぐらい。
「お、お前ら、何ビビってんだよ。相手はたった一人なんだぞ。やっちまえよ!」
ついさっきまでシンジに罵詈雑言を浴びせていた少年だったが、少年達に対してなんの支配力もなかった。
「くっ!なんならそこのマナだけでもいい、やっちまえぇ!」
少年には学習能力がなかったのか、三度シンジの逆鱗に触れてしまった。そしてそんな彼を今のシンジがほおっておくはずはなかった。
「マナを、いじめるな。」
先ほどと台詞は同じだったが、その瞳の狂気はますます増大していた。
そして先ほどの言葉の主を流し目で睨み付けた。
「ひっ、ひぃっ・・・・」
少年は声にならない悲鳴を上げて腰を抜かした。
そのほかの少年はまるで金縛りにあったように動かなくなる。
その時、一人の大人がその場にいる一番大きな少年ほどの高さの柵をひょい、と飛び越えてきた。
「し、司令?!」
シンジの隣でへたりこんでいたマナがそう呟くとシンジはその司令と呼ばれる男を見た。変わらぬ瞳で。
そんなシンジに一歩も引くことなく、その男はシンジに声をかけた。
「君が碇シンジ君か。なるほどいい目をしている。」
シンジにはその男の真意がつかめなかった。が、それは男の方からあっさりと提示してきた。
「どうだい?ちょっとお茶でも飲んでいかないか?」
「はっ?!」
シンジの張りつめていた緊張感は、この言葉とともに霧散した。

「で、僕に何かご用ですか?」
「いや、別にこれといった用はなかったんだけどね。」
とりあえず頭の怪我を治療してもらったシンジはマナと一緒に司令室にいた。
出された紅茶を一口すすった後、シンジは司令に尋ねて、そして思いがけない返事をもらったのだった。
「別に君のことを根ほり葉ほり聞こうだとか、そう言うわけではないことだけ判って欲しい。・・・・・・が、ちょっと説明がいるね。」
司令は不思議そうな顔をしているシンジとマナの顔を見て、そう言った。
「いや、あの場でああいう具合にしておかないと、双方立場がなかっただろう。
だからまあ、こういった具合に持っていたのだがね。あ、後君の頭の怪我も気になってはいたしね。」
「そ、そうですか。」
シンジが気のない返事をする。もっともそれ以上のことを言える者などいはしないのだが。
「いやぁ。それにしても私の部下が失礼なことをした。」
「い、いいんですよ、もう気にしてませんし・・・」
「そうか。いや、本当にすまなかった。」
二回も謝られてシンジは恐縮した。
そんな彼を見て司令は心底不思議そうな顔をした。
「それにしても、先ほどまでの君と、今の君が同一人物だとはねぇ。」
誰がどう見ても先ほどのシンジと同一人物とは思えないだろう。事実マナもそのことを感じていたし、そう感じていたが為に口を出せなかったのだった。
シンジはそれ言葉に対してうつむき加減で答えた。
「さっきは自分でもどうかしていたんです。たぶん・・・」
「そうかな。君はあのとき、確固たるモノを持って戦っていたように見えたが。」
「そんな・・・買いかぶりすぎです・・・」
「ふむ。」
「そんなことより、マナはいつもあんな目に遭ってるんですか?」
シンジは顔を上げて言った。その顔には優しさと哀しみがブレンドされたような表情が浮かんでいた。
「報告には聞いていたのだが、あれほどまで酷いことになっているとは思わなかった。以後注意するから、許してはくれないだろうか。」
司令は、外にいたときのあのシンジが来ると思って身構えていたが、それは杞憂に終わった。その名残か、言葉遣いが多少緊張していたが、普通の子供である二人には気がつかなかったようだ。
「・・・はい。」
「すまない。・・・もっとも彼らにはもう手出しは出来ないと思うが。」
そう言って司令は外を走る先ほどの少年達を眺めた。訓練をさぼり、規律を破ったという罰で彼らは基地の周辺をマラソンしていた。
「どういうことですか?」
「ん?」
そう言って司令は先ほどあれだけの人数に決して怯むことなく、眼光だけで退けたシンジを見た。
「ま、そういうことだな。」
シンジとマナは何がなんだかさっぱり判らず、思わず顔を見合わせた。
そんな二人を見て司令はふっと微笑んだ。

マナはシンジが紅茶を飲み干すのを見て、帰る旨を司令に伝えた。
「おおそうか。もうそんな時間か。いやすっかり長居させてしまったね。」
「いいえ、とんでもありません。お紅茶、どうもありがとうございました。」
「うむ。気を付けて帰ってくれたまえ。」
「はい。」
失礼します、とマナが言いかけた時、司令が思いだしたようにシンジに話しかけた。
「そうだ、碇君。もしよかったらこれからもここに遊びに来てくれないか?」
「えっ?」
「もしよかったら、なんだが。」
「それはありがたいのですが、どうしてですか?」
シンジは率直に自分の疑問を投げかけた。自分自身でネルフの人間だ、と暴露したのにも関わらす、この司令は「遊びに来ないか?」というのである。疑ってかかるのも無理はない。
「ん? いや、君ともっと話してみたいと思ってね。どうだろう。」
「・・・・・・機会があれば。」
とりあえずシンジは差し障りのない答えを提示した。もっともそれは司令の予想を超えるものではないようであった。
「そうか。じゃ、その機会を楽しみに待つとしよう。それから霧島君。」
シンジにそう告げた司令は、今度はマナを呼び寄せて耳打ちする。
「いいかい。碇君は自分でも制御しきれない二面性を持っている。君も体験したとおりだとは思うが。
そしてそのカギを握るのは霧島君、私は君だとにらんだ。」
マナはとんでもない宣告を受けた。
「いいかい。君が彼を助けるんだ。さもないと彼は壊れてしまうかもしれない。」
「は、はい・・・」
「がんばるんだよ。こっちの方はどうにかしておくから。」
「は、はいっ。わかりました。」
「うむ、よろしい。
じゃ、気をつけて帰ってくれたまえ。」
マナはちょっと気持ちが楽になった。明日からはもうちょっとましな基地での生活が送られそうだったから。
「失礼します。」
シンジとマナは声をそろえて挨拶をし、司令室を後にした。
「碇シンジ君・・・か。彼はいったいどういう未来を歩くのだろうか・・・」
一人残った司令は窓際でそんな台詞をはいた。

マナはいつも基地から帰る道を歩いていた。シンジを連れて。
外はすっかり暗くなっていた。
街頭が二人の影を作る。
「あ、あの、シンジ。」
「何?マナ」
「ごめんね、こんなんなっちゃって・・・」
「いいよ別に。気にしてないから。」
「ホント?」
「マナには嘘つかないよ。」
マナの顔に喜びがいっぱいに浮かぶ。
「シンジ、大好き。」
そう言ってシンジの腕を取り寄り添った。

私がシンジを助けるんだ。なんとしても。
マナは決意を新たにした。

シンジは寄り添うマナをその腕に感じながら、別のことを考えていた。
『確固たるモノを持って戦っていたように見えたが。』
さっき司令が言った言葉だった。
僕は、本当は、あのとき言うべき言葉があったんじゃなかろうか・・・
でもそれって一体・・・
それにあのときの僕、なんであんな事が出来たんだろう・・・

「ねえシンジ、何考えてるの?」
「ん?大したことじゃないよ。今日のおかずは何かな?って。」
シンジ早速嘘をついた。
もっとも本当のことなど、シンジ自身も判っていなかったのだから、それはそれでまるっきり嘘というわけでもなかった。
「ふふぅん。それは秘密。でもがんばって作るから、期待してていいよ。」
「楽しみだね。」
「うん。」
そう言うとマナは満面の笑みを浮かべた。

まあいい。時間はたくさんあるんだ。ゆっくり考えよう。
それにマナの笑顔をみれたんじゃないか。
それだけで十分じゃないか。

いつしか頭上に月がいた。
月は果たして彼らの行く道を示してくれるのだろうか。