「・・・・・・ただいま」
明かりの点いていない家の中へ声をかけるのは、単なる習慣だった。
この任務の為につけられた『父親』は、まだ帰っていないらしい。
明かりを点けぬまま、自分の部屋へ戻る。
それを待ち構えていたかのように、電話のベルが鳴った。
部屋の主は、もの憂げに受話器に手を伸ばす。
ぼんやりとした光を放つ液晶ディスプレイを見れば、秘匿回線での呼び出し。
規定通り、コールが3回鳴ってから保護をかけ、通話ボタンを押す。
『0618』
抑制された男の声が、数字を告げた。
「『サロメ』、了解」
自分でも、口調が乾いているのが判る。
『作戦を第2段階に移行。イベント決行日は追って連絡する』
「・・・・・・了解」
短い会話を終えると、電話を切る。
手の中から、受話器が滑り落ちた。
「何故、戻ってきた・・・・・・碇シンジ」
天と地のはざまで<4>
蠢動
「ようこそ、ヴァティカンへ」
ローマ法王グレゴリウス十七世は、ナポリ訛りの英語でそう言うと、右手を差し出した。
「初めて御意を得ます、猊下」
Nerv総司令碇ゲンドウは、滑らかな英語で応じると、差し出された手を握り返す。
カソリック教徒であるならば、法王の指輪にくちづけるのが、本来の挨拶である。
唯一無二の神の代理人であるが、信仰を持たない者や、他の神を信仰する者に対しても、好意的な態度を示す法王は、それを咎めなかった。
「早速ですが、用件に入らせていただきます」
ゲンドウは、勧められた椅子に座るなり、事務的な口調で言う。
非公式なこの会談に割かれた時間は、僅か15分。
一国の元首以上に忙しい法王が相手である以上、仕方のないことだった。
「Nervドイツ支部所属のサードチルドレンを、日本本部に戻すことに、ご助力をいただけないでしょうか?」
「・・・・・・これはまた、変わったお願いですね」
無骨な顔をした東洋人の奇妙な依頼に、グレゴリウスは困惑を隠さず応じる。
「この二年間、サードチルドレンの誘拐未遂は二桁に上ります。いずれも、サードインパクトの鍵となった彼を手中に収めることで、自らが神になろうとする不遜な輩ばかりです。今までは、運良く退けることが出来ましたが、我々としては、大事をとって、完璧な護衛の出来る第3新東京市に、彼を戻したいと考えています」
今まで、サードチルドレンがドイツ支部に所属していたのは、適格者の一極集中による国際非難を躱すためである。
それを敢えて日本に戻す以上、根回しが必要だった。
そのための法王のとの会談である。
例えば、欧州・中南米でのテロリスト相手の交渉では、必ずと言っていいほど、ヴァティカンもしくは聖職者が、仲介役として絡む。
特定の宗教を持たない日本人にとっては、奇異に感じるかもしれないが、聖職者は中立であり、かつ、カソリック社会において、法王の言葉が高い影響力を持つためである。
無論、全て政局に反映するわけではないが、それでも幾ばくかの効果は期待できる。
「何故、ドイツ支部では、完全な護衛が出来ないのですか?」
グレゴリウスが訊く。
「・・・・・・鍵になったのが、無信仰の東洋人の子供では、納得しない者が多い、ということです」
ゲンドウは、微妙な言い回しを用いて、白人至上主義について触れる。
サードインパクト後、Nerv情報開示で、別名『空白の日』と称されるこの日の道標となったのは、14歳の日本人とだけ発表された。
だが、それを聞いて、憤然とした者達がいる。
『世界を指導するのは、白人でなければいけない』
そう考える愚劣な輩だ。
そしてそれは、新たなテロを生む。
「なるほど・・・・・・確かに危険かもしれません」
法王は信仰心だけではなく、政治家としても一流の手腕を要求される。
グレゴリウスは、ゲンドウの言わんとすることを、正確に理解していた。
「判りました。福音を説きましょう」
ジョークに韜晦し、グレゴリウスは言質を与えた。
「ご協力、感謝いたします」
ゲンドウは軽く一礼した。
「・・・・・・お時間でございます」
部屋の片隅に控えていた僧衣の男が、静かに言う。
世界を動かし得る『力』を持った二人の男は、同時に立ち上がった。
そして、再び握手を交わす。
一礼して立ち去ろうとするゲンドウの背中に、グレゴリウスはラテン語の呟きを投げかけた。
「Benedictus」
祝せられよ。
ゲンドウはドアを閉じると、自嘲の笑みを浮かべた。
「罪深き私には、神の祝福は届きませんよ」
*
*
*
放課後になると、シンジ、アスカ、トウジは、シンクロテストのためNervへ赴いた。
「シンジ、IDカード持ってる?」
ゲート前についたところで、アスカが問う。
「うん。一度挨拶に来たからね」
シンジは頷いて、写真入のカードを見せる。
サードインパクト以降、Nervはテロリズムに対する警戒を深めた。
本部内の警備システムの強化はもとより、職員全員にIDカードの着用が義務づけられ、声紋、指紋、掌紋、網膜パターンをMAGIに登録されている。
「なんや、センセ。セキュリティ・ランクなしか?」
トウジが不思議そうに言う。
IDカードには、それぞれの機密接近許容度、通称セキュリティ・ランクを示したカラーの縁取りがされている。
そして、このカードは微弱な電波を発しており、ランク外の行動 関係のないフロアに立ち入るなど を示した場合、警備局員が駆けつける仕組みになっている。
最低がFランクで赤。これは部外者を指す。
それ以上は、職員の勤務等級に等しく、Dが青、Cが橙、Bが黄、Aが緑、そして最高がSの黒で、これはゲンドウを始めとするほんの数人しかもたない。
AからDの四段階には、更に細かく十段階のランクが設定されている。
エヴァのパイロットであるアスカとトウジのセキュリティ・ランクは、B-3。下士官レベルである。
だが、シンジのカードには、何も書かれていなかった。
「・・・・・・まだ処遇が決まってないからだって」
シンジは、微笑む。
「でも、二人と同じ範囲なら動けるって、ミサトさんが言ってたよ」
その言葉は、嘘ではないが、真実でもない。
シンジのセキュリティ・ランクは、S-1のミサトよりも上、S-8のリツコより下、加持と同じS-5である。
だが、それを示せば、この2年間、彼が何をしていたのかということを明かさなければならない。
『ケルベロス』としてNervの裏面を支え、ゼーレと渡り合い、Nervの機密を掌握しているという事実を。
「そ。じゃ、行きましょ」
アスカが先に立ち、ゲートをくぐる。
それ以上詮索されずに済んで、シンジは気付かれないように安堵の溜息を吐いた。
三人は、まず、実験管制室に向かった。
ドアが開くと、栗色の髪を顎のラインで切り揃えた、怜悧な美貌の女性が振り返り、にっこり笑う。
「あら、いらっしゃい」
「早かったわね」
隣にいたミサトも、笑顔を見せる。
「あれ? 今日、来る日だっけ?」
赤木 戸籍上は『碇』だが、仕事では旧姓を名乗っている リツコの出迎えに、アスカが驚いたように訊く。
「いいえ。シンジ君に逢いたかったから、今日は特別」
現在、彼女は、毎週火曜と金曜の限られた時間だけ、Nervに来ている。
なるべく子供の カヲルとレイの傍にいてやりたい、というのがその理由だ。
「おかえりなさい。シンジ君」
そう言って、リツコは柔らかく微笑む。
二児の母となった彼女の表情からは、昔のような張り詰めた鋭さは消え、代わりにあたたかさに包まれている。
シンジが、一歩前に進み出て、リツコに会釈した。
「帰国してから、ご挨拶に伺わなくてすみませんでした。あの・・・・・・その・・・・・・お・・・・・・お・・・・・・」
何度か口を開きかけ、シンジはようやくその言葉を吐き出した。
「お、お義母さん・・・・・・」
言ってから、シンジは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
リツコもまた、慣れない呼ばれ方に、恥ずかしそうに俯く。
「げ、元気そうで何よりだわ・・・・・・」
「あの、リツ・・・・・・お義母さん・・・・・・髪どうしたんですか?」
俯いたまま、シンジが訊いた。
「染めるのやめたのよ。カヲルとレイがいるから・・・・・・」
リツコも、俯いたまま答える。
「そうですか・・・・・・」
「あの、シンジ君・・・・・・」
「何でしょう?」
「今まで通りの呼び方でいいわ・・・・・・何か、恥ずかしいから」
「・・・・・・そうですか・・・・・・そうします」
「あんたたち、何やってんのよ」
まるでお見合いの席のような状況に、苛々したらしいミサトが、呆れたように言う。
「見てるこっちの方が恥ずかしいわ」
「そや!」
アスカの言葉に、トウジが同調する。
「あの、先輩・・・・・・そろそろ始めませんか?」
オペレート業務をしていた伊吹マヤが、おずおずと声をかける。
「え? ああ、そうね」
リツコは途端に、科学者の表情に切り替えた。
「アスカとトウジ君、着替えてきて。シンジ君は、せっかく来てもらって悪いんだけど、まだプラグスーツができてないから、今日は見学」
「「「はい」」」
三人は揃って返事する。
「ほな、センセ。また後でな」
「うん。頑張って」
シンジの応援に、トウジは片手を挙げて応じると、管制室を出て行く。
「ちょっと、シンジ!」
「何?」
呼ばれて振り返ると、アスカはシンジの鼻先にびしっと指をつきつける。
「ボケっとしてないで、私の実力よぉく見ときなさいよ!」
「・・・・・・判った。頑張ってね」
シンジは微笑む。
その笑顔に弱いアスカは、さっと頬を紅潮させる。
だが、すぐに踵を返して、管制室を出ていった。
ドアが閉まると、シンジはリツコの方に向き直る。
「・・・・・・アスカ、シンクロできるようになったんですね」
サードインパクト直前の状況を思い出し、シンジは微かに表情を歪めた。
「ええ」
ミサトが頷く。
「あなたがドイツに行ってから、一ヶ月くらい後かしら。あの子、『ママを乗り越えなきゃ』って言って乗ったの。それからシンクロを取り戻して、今は平均シンクロ率73%よ」
「そうですか・・・・・・トウジは?」
シンジは、問いを重ねる。
「足の治療と、家族の安全を優先することで、パイロットを引き受けてくれたわ」
それは、一度でも実戦に投入された適格者を、Nerv以外の組織に渡さないための交換条件。
「シンクロ率は?」
「アヴェレージ51%」
ミサトに代わって、リツコが答える。
ふと、彼女は労るように少年を見た。
「私が言うのも何だけど・・・・・・二人はもう、大丈夫よ」
シンジは、複雑な笑みを浮かべる。
「でも、現在の状況を考えると、素直には喜べませんね」
「そうね・・・・・・」
リツコは、視線を落とした。
過去がもたらす罪悪感と、適格者でなければ狙われないという現実。
確かに喜べるわけがない。
「ところでリツコさん、お願いがあるんですが」
シンジは、表情を改める。
「何?」
「エヴァのシステムでいじりたいところがあるんで、MAGIのアカウントが欲しいんです」
「シンジ君、MAGIのプログラミングが?」
「・・・・・・ミサト、報告書読んだ?」
驚くミサトに、リツコは冷ややかな視線を向ける。
「え? あ、そういえばそんなことも書いてあったわね」
ミサトは、誤魔化すように笑う。
相変わらずデスクワークが苦手な親友を無視し、リツコは頷いた。
「判ったわ。すぐに発行してあげる」
「それと、出来れば人もお借りしたいんです。それも、なるべくセキュリティ・ランクの高い人がいいんですが」
「それは急ぎ?」
「はい」
リツコは僅かに考え込むと、最も信頼する部下に声をかけた。
「マヤ」
「はい、何でしょう?」
マヤが椅子ごと振り返る。
「MAGIのプログラミングなんだけど、後でシンジ君を手伝ってあげてくれる?」
「え? あ、はい」
マヤは驚きながらも、素直に頷く。
「よろしくお願いします。詳しい話は後ほどします」
シンジは軽く頭を下げる。
「ええ。判ったわ」
マヤはにっこり笑う。
「・・・・・・それじゃ、シンクロテストが終わるまで、ちょっと出てきます」
シンジは踵を返す。
「何処に行くの?」
ミサトが問う。
「身体を動かしてきます。訓練をサボると怒る、鬼教官がいるもので」
シンジは笑いながら、管制室を出た。
*
*
*
シンジは、実験管制室を出ると、格闘技訓練場へ向かった。
更衣室でトレーニングウエアに着替えると、誰もいない広い訓練場で、ストレッチを始める。
刹那、背後から殺気を感じて、身体を前に投げ出した。
一回転して振り向いたところへ、うなりをあげて左回し蹴りが襲いかかってくる。
シンジはそれを、肘をたててブロックし、空いた手で相手の足を掴んで、身体を捻って拉ぐ。
同時に、右斜め前方から、シンジの頭に向けて足刀が放たれた。
シンジは、掴んでいた足を放し、身を反らしてそれを躱す。
その首筋に、背後から腕が巻き付けられた。
シンジは、左手でその腕を押さえながら、相手の臑に蹴りを、顔の辺りに裏拳を同時に叩きつけ、更に肘撲ちを入れる。
相手の腕が僅かに緩んだ隙を見逃さず、シンジはそのまま引き手を取らずに、強引に背負い投げをかけた。
その身体が、床に叩きつけられるかつけられないかのうちに、右側面からの正拳が、シンジの顔面を狙う。
バックステップして避けたところへ、今度は、左から中段膝蹴り。
シンジは、蹴りを腕でブロックしながら、自分から相手の足へぶつかって行く。
そして、半歩相手の懐につけいると、右掌底と右膝蹴りを同時に放った。
相手は防ぎきれずに、鳩尾に膝を受け、身体を折り曲げて跪く。
と、シンジの背後から、すかさず蹴りが繰り込まれた。
「ぐっ!!」
ガードが間に合わず、側頭部へ蹴りをもろに受けてしまう。
ウエイトの入った靴のため、恐ろしく重い蹴り。
シンジは、横へ吹っ飛ばされた。
そこへ、間髪入れずに追いすがった相手が、鳩尾へ正拳を繰り出してくる。
咄嗟に腹筋を締めて、内臓へのダメージを軽減するが、一瞬呼吸が詰まる。
相手は更に、喉元へ向けて、右抜手を放った。
シンジは、相手の手首を左手掴むと、身体の外側へ向けて捻りつつ、左膝を鳩尾に叩き込む。
「そこまでっ!」
鋭い女性の声が響く。
シンジの足が、相手に触れる寸前で、ぴたりと止まる。
彼の蹴りを、止めることも避けることも出来なかった東洋人の男は、徐ろに口を開いた。
「シンジ君、学校には慣れましたか?」
流暢な日本語で、エドワード・ラムは訊く。
「・・・・・・もう、三日目ですから」
彼が少しズレた感覚の持ち主であることを、十二分に弁えているシンジは、構えを解きながら答える。
お互い、相当な運動量の筈だが、全く息を切らしていない。
「そうですか。お友達はできましたか?」
あくまでも真面目に言う、30代後半の中国系イギリス人は、イギリス軍事情報5課に所属していた工作員である。
無音殺傷を得意とする彼は、ダグラスによって零班へヘッドハントされ、シンジの徒手格闘の師を務めていた。
「おい、エディ。そいつを言っちゃいけないぜ」
そう言ったのは、甲斐ヨシヒロ。
生粋の日本人だが、医大を中退してフランス外人部隊に飛び込み、5年の任期を勤め上げて、フランス国籍を取得した30代後半の男である。
その後、退役し、医師免許を取って緊急救命医をしていたところをスカウトされ、医療とサバイバル術をシンジに教えていた。
「大人だけじゃ手が足りないから、しょうがなくて潜り込んでるんだ。友達ができるも何もなかろう?」
「そうですね。失言でした」
「・・・・・・悪かったわね、役立たずで」
戦いを止めた声の主が、むっとしたように言う。
加賀エリカ。
シンジ達のクラスの担任である彼女こそ、零班から壱高へ派遣された工作員なのだった。
アメリカ陸軍士官学校出身のエリカは、国防総省で情報分析官をしていたところをヘッドハントされ、シンジの戦略戦術教官を務めている。
心理学の学位と、カウンセラーの免許を持つ彼女はまた、シンジの専属カウンセラーでもあった。
「おい、ジーン! ちょっと来い!」
床に叩きつけられたときのままの姿勢で、金褐色の髪と、ブルーグレイの目を持つ30代半ばの男が、大声を上げる。
彼の名は、マーク・ヘルムズ。
ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学んでいたが、ある時突然転身して、アメリカ海軍士官学校に進み、SEAL中隊の隊長まで務めた変わり種である。
彼もまた、ヘッドハントされて零班に加わった、シンジの教官だった。
彼ら4人に、ダグラスと加持を加えたのが、零班のメンバーである。
「此処ではその名前で呼ばないで下さいよ」
シンジは、わざと日本語で応じると、倒れているマークに近付く。
しかし、微妙な距離を置いた。
「・・・・・・流石に学習したな」
つまらなそうに日本語で呟くと、マークは身を起こす。
目の前の少年が、不用意に近付いてくれば、足払いをかけて、一撃するつもりだったのだ。
「そりゃ、あれだけ扱かれれば」
シンジは、肩を竦めて苦笑する。
この2年間は、24時間の緊張を強いられる生活だった。
ゼーレ側の襲撃もさることながら、訓練が苛烈を極めたためだ。
徒手格闘、射撃、サバイバル術、屋内制圧、水中爆破作業、隠密接敵、パラシュート降下、武器の取り扱い方、尾行の仕方、その撒き方・・・・・・
ありとあらゆる状況での戦い方を、骨の髄まで叩き込まれた。
それだけではない。
眠っている時に、零班のメンバーから夜襲をかけられたことも、たびたびあった。
5人同時に、本気で襲い掛かられ、大怪我をしたこともある。
時には死者や発狂者もでるという、軍隊でも最も過酷とされる、単独山林踏破訓練の実施は10回を数えた。
でもそれは、自分で望んだことだ。
ただ護ってもらうだけの、無力な存在では嫌だった。
誰かに護られるより、誰かを護れる人間になりたかった。
だからこそ、自分の存在が乱を招くと知ったとき、シンジは戦うことを選んだ。
自らの手を血で染めて。
「ま、そうでもなきゃ、教えた甲斐がないってもんだ」
マークがにやりと笑う。
「それにしても、何時こっちに?」
シンジか訊く。
「一時間くらい前だ。向こうの件、『コークスクリュー』に引き継ぎしてな」
甲斐が答える。
『コークスクリュー』は、コルク栓抜きのように、世界中の何処にでも入り込んでいって、『穴』を開けてしまうところからついた、加持のあだ名である。
「さあ、お遊びの時間は終わりよ。あまり遅くなると、我等が大将の雷が落ちるわ」
エリカが言う。
イギリス人にしては珍しく、ダグラスは時間に厳しかった。
「ブリーフィングですか?」
「ええ。監視シフト再確認と、調査結果報告」
シンジの問いに、エリカは事務的な口調で答えた。
「・・・・・・覚悟しなさい」
*
*
*
30分後。
ブリーフィングルームには、保安部所属の職員のほとんどが集まっていた。
まず、到着したばかりの零班のメンバーが紹介され、彼ら一人一人をチーフとする新しいグルーピングがなされた。
その後、現在の護衛・監視状況の報告が始まる。
「・・・・・・護衛対象ランクA3プラスの住居総点検を行いました。屋内及び、半径500m以内で発見された敵性監視装置は15。全て無力化しました」
護衛対象はA3プラス~Cの十二段階、監視対象は1~5の五段階で表される。
護衛対象ランクA3プラスは、セキュリティ・ランクSの人間と、エヴァ・パイロットに対して行われる護衛で、常に二人一組5チームが貼り付き、あらゆる防諜手段が執られる。
ちなみに現在では、エヴァのパイロットに対する監視は行われておらず、護衛のみである。
「再発防止策は?」
部下の報告に、警備局長に就任したダグラスが、冷ややかに訊く。
「『消毒』の期間を従来の2週間から、5日に変更します」
「3日にしてください。それと、屋外のパトロールの強化を」
エドワードが静かに言う。
「了解しました」
「次」
ダグラスが促す。
「空港、鉄道、道路の監視レベルを、一段階あげました。今回の件に関係あるかは判りませんが、不審人物を発見しました」
そういうと、プロジェクターに5人の顔写真が映し出される。
空港と鉄道はターミナルに、第3新東京市境の道路には、オービスに似せた監視装置がある。
そこで得られた写真は、インターポールと警察庁が持つデータと照合され、不審人物を弾き出す仕組みになっていた。
「左が空港で撮影されたもの、右がインターポールの傭兵リストの写真とデータです」
「監視は?」
甲斐が訊く。
「3名を失跡。1名が国際手配となっていましたので、警察に拘留させました。もう1名は現在監視中です」
「失跡、ねぇ・・・・・・」
マークは口許を歪める。
「よくまあ、そんな報告ができる」
無能、と言いたげな新参者の言葉に、保安部員達は一様に、むっとした表情を見せた。
「過ぎたことを責めても始まらないでしょう。それよりも、この失点をどうやって取り戻すかが問題です」
険悪な方向に流れそうな空気を察したシンジが、とりなすように言う。
「現在の監視のレベルは?」
ダグラスが訊いた。
「3です」
「1まであげろ。入国管理局のデータを拾って、前にいた国の立ち回り先を洗え」
監視レベルが1ともなると、24時間の尾行・監視体制が敷かれ、電話、郵便、電子メールから通常の会話まで盗聴・検閲がかけられ、その相手まで調査の手が伸びる。
「それから、ロストした奴らを大至急捜索。発見次第、レベル1で対応」
ダグラスの指示に、報告者は頷いた。
「次は、お待ちかねの『資産』か」
ダグラスの呟きにあわせ、エリカが立ち上がった。
『資産』の身元調査は、二尉待遇で先に着任していた彼女が指揮を執っている。
「まずは、Nerv全職員の身元調査です。戸籍、住民票、経歴、素行、金品の動き等について不審な点、確認できない点があったのは、72名」
「多いな」
ぼそり、とマークが呟く。
「セカンド・インパクト直後は混乱していたから、経歴に空白があることは避けられんよ。これだけ絞り込めたら、誉めるべきだと思うぞ」
皮肉屋の同僚に向けて、甲斐が言う。
エリカは、マークと甲斐のやりとりは意に介さず、報告を続けた。
「うち、38名に背任行為の疑いがあります。特に、11名については、ゼーレの幽霊会社から、多額の現金が家族名義の口座に振り込まれていることが確認されています。既に全員拘束済み、事情聴取を行っています」
「うたってるか?」
訊いたのはダグラス。
「一部、抵抗があります」
「薬物使用も許可する。情報を洗い浚い引きずり出せ」
「はい」
冷徹な言葉に、エリカは素直に頷いた。
「次に、第3東京市立第壱高等学校の全学生及び教職員、384名に対し、四親等以内までの調査で、戸籍、住民票、経歴、親族の存在とその勤務先などで、確認が出来ない項目があり、かつチルドレンと親しいという、ゼーレ側の証言を信じるならば、有力なのは、次の7名です」
再び、プロジェクターに顔写真が現れる。
そのうち4人は、シンジと親しい者だ。
相田ケンスケ。
霧島マナ。
洞木ヒカリ。
山岸マユミ。
「この7名に対する、レベル1での監視を提案します」
エリカは一瞬、シンジの顔へ視線を走らせる。
だが、エリカの言葉を聞き、被疑者の写真を見せられても、少年は全くの無表情だった。
「結構。それでやれ」
頷くと、ダグラスは、部下達を見回した。
「他に何かあるか? なければ各班ごとに、シフトチェンジ。結果は、責任者が1時間以内に報告に来い。以上だ」
がたがたと、保安部員達が立ち上がる。
「シンジ」
不意に、ダグラスが声をかけた。
「はい」
シンジは、表情を消したまま応える。
ダグラスは、黙って少年の秀麗な顔を眺めていたが、やがて、にやりと笑った。
「メシ食いに行くぞ。特別に、俺のおごりだ」
陳腐な慰めなど、口にしない。
だが、彼の心遣いは、ちゃんとシンジに伝わった。
「・・・・・・はい」
シンジはぎこちなく微笑んだ。
*
*
*
漆黒の闇に浮かぶ、三つのモノリス。
「Nervの新たな警備担当者は、なかなかの人物のようだな」
苦々しい声が、響く。
「左様。浸透していた者共のほとんどが、切られた」
「だが、修正可能な誤差だ」
「いかにも」
「しかし、計画は早急に進める必要がある」
「では、何時?」
「3日後、碇と生身で逢う。その時、彼に聞かせてやる最後の言葉としよう」
*
*
*
「明後日、『出張』だよ」
『父親』はそう言った。
Nerv側の監視が厳しくなったことが、肌で感じられるようになったため、家の中でも隠語が使われた。
『出張』とは、イベントの開始を表す。
もう、後戻りはできない。
薄暗い部屋の中、写真立てを手にした。
自分と、笑顔の友人達。
偽りではない、笑み。
任務のために、親しげに振る舞っていたはずなのに、いつの間にかそれが苦しくなった。
そして、ゼーレの意のままに動く『人形』として育てられた自分の存在に、疑問を持つようになった。
「惣流・アスカ・ラングレー」
生気に溢れ、高慢ともとれる自信に満ちた態度を見せる少女。
しかし、その裏に繊細で優しいこころを秘めていることを、自分は知っている。
ずっと、見続けていたのだから。
「鈴原トウジ」
男子生徒からは、厚い信頼を寄せられている彼は、『男らしさ』が口癖な少年。
でも、不器用ながら、ひとのこころを慮ることができる人間だ。
「碇シンジ」
この写真に写っていない少年に対して、自分はとても複雑な思いを抱いていた。
だが、一番のウエイトを占めるのは・・・・・・
「みんな・・・・・・」
組織のために、自分は彼らを裏切る。
自分に向けてくれた好意を踏みにじる。
「ごめん・・・・・・みんな、ごめん・・・・・・」
呟くと、そっと写真立てを伏せた。
| ※この物語はフィクションであり、現存する組織、団体、個人などとは一切関係ありません。
また、特定の宗教に関して、一切、誹謗・中傷などの意図を持っていないことを明言いたします。 |
Ver.1.0 1998.07.28
Ver.2.0 2008.02.06
感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲