「アスカ。素直にならないと後悔するって、私言ったわよね?」
ヒカリは、アスカを廊下の端まで引っ張って行くと、開口一番そう言った。
「碇君のこと、いいの?」
「・・・・・・関係ないわ」
ぷい、と顔を背けたまま、アスカは答える。
「本当に? このままマナと彼がつき合ってもいいの? 正直に答えて」
ヒカリは、真剣な表情で訊く。
アスカは無言。
「アスカ」
「・・・・・・だ」
「え?」
「ヤダ・・・・・・」
俯いたアスカが、弱々しく呟く。
「やっと、本心を言ったわね」
ヒカリは、母親のような笑みを浮かべた。
「アスカ。今の言葉、碇君に伝えなさい」
「ダメなの・・・・・・今更、素直になんかなれない」
バカシンジと呼んで、気に入らなければひっぱたいて、やることなすことに文句をつける。
今更、『好き』だなんて、言えるわけがない。
「ほんのちょっとでいいのよ。別に、ダイレクトに『好き』って言う必要はないと思うの。ただ、ほんのちょっと、素直になればいいだけ」
ヒカリの言葉は、魔法のようだった。
アスカのこころに静かに沁みる。
「・・・・・・できるかな、私に」
「アスカなら、大丈夫」
心細げに言う親友に、ヒカリは笑顔で太鼓判を押す。
「・・・・・・やってみる」
「それでこそアスカよ」
その言葉に、アスカは顔を上げ、笑顔を見せる。
「さ、戻ろ? 次の授業始まっちゃう」
「うん」
二人は連れだって歩き出した。
(・・・・・・ごめんね、マナ)
ヒカリは、内心でもう一人の親友に謝る。
(アスカはとても辛い思いをしてきたから・・・・・・)
(だから、幸せになって欲しいの)
(ごめんね、マナ。今回は、アスカの味方をするから・・・・・・)
天と地のはざまで<3>
束の間の平穏
B part
二限目は、生物だった。
先程、きちんと質問に答えた所為か、シンジ宛てのCALLは、ほとんど止んでいた。
だが。
(・・・・・・視線が痛い)
気がつけば、アスカが、視線だけで殺せそうな目つきで、こちらを睨んでいる。
そして、別な方向からは、マナが笑顔を振り向けている。
壱高が誇る美少女四人のうちの半数から、好意(?)を寄せられている少年は、ノートパソコンの陰に隠れて、盛大な溜息を吐いた。
(何でこんな目に遭うんだろう?)
他の少年達に聞かれたら、羨望の余り袋叩きに遭いそうなことを思いつつ、シンジはもう一度溜息を吐いた。
「・・・・・・具合悪いんですか?」
隣に座るマユミが、小さな声で、気遣わしげに訊く。
シンジは、顔を上げると、彼女の方を向き、苦笑を浮かべた。
「ありがとう。何でもないよ」
その穏やかな表情につり込まれるように、内気なマユミとしては珍しく、自分から話題をふった。
「・・・・・・マナさんのこと、なんですけど」
シンジの苦笑が、更に深まる。
「あの、誤解しないであげて欲しいんです。先刻のは確かに強引でしたけど、彼女、素直ないい子なんです。だから、先刻のことはなかったことにして、普通に接してあげて欲しいんです」
「・・・・・・うん。そのつもりだよ」
シンジはそう言ってから、ふと気付いたことを口にした。
「山岸さんって、霧島さんと仲いいの?」
「ええ。親しくさせてもらってます。それから、アスカさんとも」
突然、アスカの名前を出され、これまでの経緯を知らないシンジは、何とも言えない表情を見せる。
それを察したのか、マユミは言葉を続けた。
「碇君の話、アスカさんから聞いてます」
「・・・・・・なるほど」
(一体、何を言われたやら・・・・・)
シンジは苦笑を浮かべる。
「・・・・・・次の図は、酸素呼吸の第二段階だが」
男性教師がテキストから視線を上げ、教室中を見回した。
そして、よそ見をしている(ように見える)マユミに目を留める。
隣が転入生だと言うことは、勿論知っていたが。
「じゃあ、山岸。次の問いに答えて」
だが、マユミは呼ばれたことに気付かない。
「や・ま・ぎ・し~」
「あ、はい!」
一音一音区切るように言われて、マユミは慌てて返事をする。
「転入生の面倒をみるのはいいことだが、ほどほどにな」
男性教師が、にやりと笑いながら注意した。
同時に、クラス中に笑いが起きる。
勿論、笑わない者も数人居た。
「す、すみません」
マユミは俯いた。
「酸素呼吸の第二段階、穴埋めして」
「え? あ、はい」
マユミは慌てて、テキストを見る。
サークルになった化学式の下に、丸つき数字が書かれた空欄がある。
完全に文系のマユミは、ちょっとしたパニックに陥った。
と、突然、シンジからメールが来る。
『1から順番に、活性酢酸・クエン酸・イソクエン酸・オキザロコハク酸・α-ケトグルタール酸・サクシニルCoA・コハク酸・フマール酸・リンゴ酸・オキザロ酢酸。回路名はクレブスサイクル』
思わずマユミが、隣に視線を向けると、少年は黙って笑った。
生体工学の世界的権威であるサイラス博士に師事していたシンジにとっては、高校の生物程度ならば造作ない。
そんな事情は知らないが、マユミは転入生を信じて、教えられた通りに答えた。
「正解。よくできたな、山岸。答えられなきゃ、惣流を当てようと思ってたんだが」
男性教師は、驚いたようにマユミを見た。
文系である彼女には、ちょっと荷が勝ちすぎたか、と思いながらも指名したのである。
「そ、そうですか・・・・・・」
自力で答えたわけではないマユミは、曖昧に笑って誤魔化す。
「ということで、今、山岸が答えてくれたのが、クエン酸回路、またの名をTCA回路と言う。これは発見者がクレブスさんだったんで、クレブス回路とも言うな・・・・・・テストに出すぞ」
教師の言葉に、生徒達がえ~、と不満の声をあげる。
その騒ぎのなか、マユミは、教師にばれないように、シンジへ軽く頭を下げる。
「・・・・・・ありがとうございます」
「どうしたしまして」
シンジは笑顔で応える。
マユミは、思わずその笑顔に見とれた。
と、不意に、マユミとシンジのノートパソコンに、同時にCALLが入ってくる。
(アスカと霧島さん?)
(アスカさんと、マナさん?)
シンジとマユミは、自分のディスプレイを注視する。
その二人に宛てられた、彼女達の文面は、奇しくも同じ物だった。
『あとで、ゆ~っくり話したいことがあるんだけど』
何かを感じて、マユミは、のろのろと顔をあげ、親友達の方を見た。
凶悪なまでの笑顔の中に潜む、殺気。
(・・・・・・生きて帰れないかも)
半ば、覚悟を決めたマユミの隣では、シンジが引きつった笑みを浮かべていた。
*
*
*
二限目の授業が恙無く終わると、 シンジは即座に教室からの脱出を試みた。
しかし、彼の行動よりも早く、アスカとマナが目の前に立ち塞がる。
「シンジ!」
「シンジ君!」
満面の笑顔の二人。
だが、目は笑っていない。
あまりの迫力に、クラスメートは彼らを遠巻きに眺めるだけだった。
「・・・・・・何かな?」
シンジは冷や汗をかきながら、二人の美少女に問う。
「「先刻のマユミとのアイコンタクトは何?!」」
二人の声が綺麗に揃った。
どうやら、彼女達は授業中、シンジから片時も目を離さなかったらしい。
「え?」
シンジは、自分の行動を思い返す。
「・・・・・・Tri-Carboxylic Acidの答え、教えたこと?」
「バカシンジの癖に、なんでそんなの知ってるのよ?!」
アスカが怒鳴る。
彼女が知る範囲での、シンジの学校の成績は、凡庸を絵に描いたようなものだった。
そして、どちらかと言えば文系だったはずだ。
「向こうで習ったんだよ」
シンジは、注意深く答える。
「・・・・・・アスカさん。碇君の呼び方、ひどい」
突然、マユミが静かに言う。
滅多にない出来事に、アスカだけでなく、マナも彼女の顔をまじまじと見つめる。
人見知り傾向のあるマユミが、初対面に近い人間を庇う。
それは、二人にとって驚愕に値した。
そして同時に、新たなライバルの出現を悟った。
「・・・・・・いいのよ、私は昔からこう呼んでるんだから!」
いち早く精神的再建を果たしたアスカが叫ぶ。
「それが失礼なのよ! だいたいアスカ、あなたシンジ君とは関係ないんでしょ?! どうして彼のこと気にするワケ?!」
マナが、アスカを潰しに掛かる。
「か、関係なくはないわよ! 先刻は言い忘れてたけど、私は昔からこの馬鹿の面倒をみなきゃいけない義務があるのよ!」
「何よ、それ」
「私とシンジはね、昔一緒に暮らしてたの! その時に保護者から頼まれてるのよっ!」
半ば事実、半ば虚偽の、このアスカの発言は、他の生徒達にとって、まさに青天の霹靂だった。
女子の悲鳴と、男子のどよめきが、2-Bの教室を揺るがす。
「・・・・・・義務で面倒を見るのは、失礼だと思う」
マイペースなマユミが、ぼそりと突っ込む。
「そーね。義務でしかたなしなら、そんなことしない方がいいわね」
マナが、意地悪い笑みを浮かべる。
「・・・・・・でも、保護者の期待は裏切れないの」
ミサトの信頼などどうでもいいくせに、アスカは心にもないことを、さらりと言う。
「あら、遠慮しなくていいわよ? 私が代わってあげるから」
と、マナ。
「何でしたら、私も先生から頼まれてますから」
とマユミ。
「マユミ、あなたも別に無理しなくていいのよ」
「そうよ。それこそ、義務なんじゃない?」
マナとアスカが突っ込む。
「私は別に無理してないわ」
マユミは平然と言う。
(この娘・・・・・・)
アスカとマナは、同時に呟く。
意外な強敵の出現に、二人は焦る。
何時の間にか、三人の中では、『シンジの面倒を見る=シンジの彼女』という図式が、既定の事実となっていた。
旧知・保護者の依頼をかざすアスカ。
好意を前面に押し出すマナ。
この二人に対して、一歩も退かないマユミ。
まさに三つ巴。
三人は、表面上の笑顔を貼り付けたまま、牽制し合う。
だが、全員がこの戦いは不毛だと思っていた。
なにしろ、このままでは決着がつかないのである。
「・・・・・・思ったんだけど、碇君に聞くのが一番かも」
ふと、合理的な提案したのは、マユミだった。
「それもそうね」
「いいこと言うわね、マユミ」
三人の美少女が振り向く。
だが。
最重要当事者は、近年獲得した素晴らしい逃げ足を使って、既に脱出した後だった・・・・・・
*
*
*
無事、教室を抜け出すことに成功したシンジは、ようやくもう一人の親友と、会話を交わすことを得た。
「・・・・・・ほんと、久しぶりだな。シンジ」
ケンスケは、笑みを浮かべる。
「うん。ケンスケも元気そうで何よりだよ」
シンジも笑顔で応じる。
「何か、ものすごく変わったな、お前。最初、判らなかったよ」
ケンスケは眩しそうに、眼鏡の奥の目を細めた。
「それほどでもないと思うけど?」
シンジは小首を傾げる。
「変わったさ。あの場から抜け出してこれたのが、いい証拠だ」
それを言われては、シンジとしては苦笑するほかない。
「ところで、また急な帰国だな。『機能研』絡みか?」
好奇心旺盛な少年は、さっそく本題に入る。
ケンスケとヒカリは、Nervやエヴァについて多少知っており、かつまた、アスカやトウジの微妙な立場や、機能研の存在意義を理解しているので、言動には最大の注意を払っている。
「まあ、そんなところだよ」
シンジは、曖昧に答える。
親友にさえ嘘を吐く自分に、微かな嫌悪感を覚えながら。
「・・・・・・センセ」
背後から独特の口調で呼びかけられ、シンジとケンスケは振り返った。
トウジとヒカリが、近付いてくる。
「久しぶりね、碇君。元気だった?」
ヒカリは微笑む。
「久しぶり、洞木さん。挨拶遅くなっちゃったね」
シンジは笑顔を向ける。
「・・・・・・それにしてもセンセ、相変わらず女で難儀しとるのう」
トウジが人の悪い笑みを浮かべる。
「本当に、あんな事態になるとは思わなかったわ」
ヒカリは、困ったように笑う。
「俺としては、羨ましい限りだな」
ケンスケが肩を竦める。
「・・・・・・俺としては、何でこうなるのか、困ってるんだけどね」
三者三様の感想に、シンジは苦笑した。
「あ、そうだ。シンジ、今日の放課後、暇か?」
不意に、ケンスケが訊く。
「え? 暇といえば暇だけど・・・・・・」
放課後には、Nerv本部へ行くつもりであったが、シンジはそう答える。
「お前の帰国祝いやろうぜ」
「おお、そりゃええわ」
ケンスケの言葉に、トウジが同調する。
が。
「「ちょおっと待ったぁ!!」」
突然、女の子二人の声が響いた。
「アスカ、マナ・・・・・・」
駆け寄ってくる美少女二人に、ヒカリが呆れたような声をかける。
「そういうことなら、私にも相談してもらわないと!」
マナがにっこり笑う。
一体どんな耳をしているのか、結構な距離があったはずなのに、マナは少年達の会話を、きっちり把握していた。
「何であんたに相談しなきゃいけないのよ」
アスカが突っ込む。
「よろしければ、お手伝いします」
遅れてついてきたマユミが、さりげなく自分を売り込む。
「マユミまで・・・・・・」
ヒカリは処置なし、という表情をする。
少年達は、ただただ、唖然としている。
だが、その中でも立ち直りが早かったのは、ケンスケだった。
本当なら、男三人だけでやるつもりだったのだが、そんなことを言えば、その瞬間に目の前の少女達から、鉄拳制裁を受けるだろう。
それに彼の『バイト』にとっては、好都合な事態でもある。
それだけの計算を瞬時に終え、ケンスケは口を開いた。
「でも、この人数じゃ、場所どうするかな?」
「センセの家、どないなっとんや?」
トウジが訊く。
「まだ荷物が片付いてないんだ。それにワンルームマンションだから、来てもらうのは無理かな」
Nervのことを知らないマナとマユミが居る手前、シンジは適当な事を言って誤魔化す。
「じゃあ、ウチでやるわよ」
アスカが断言する。
「アスカ、バイトはいいの?」
本気で心配しているのか、はたまたライバルを蹴落とすためか、マナが訊く。
「1日くらい休むわよ! 鈴原、あんたもでしょ?」
「ああ、そやな」
トウジは、気圧されたように頷く。
現在のNervでは、その程度の自由は認められていた。
「じゃあ、決定」
アスカがにっこり笑う。
「で、何時から始める?」
「そうね・・・・・・ヒカリ、何時くらいがいいかな?」
「すぐに帰って用意するとして・・・・・・6時くらいかしら?」
「ほな、それまでワイらは外で時間潰しとるわ」
「はいはいはいっ! 霧島マナ、シンジ君のために料理の腕を奮っちゃいま~す!」
「あ、私お手伝いします」
わいわい言いながら、教室に戻る友人達。
「・・・・・・俺の意志って?」
会話に参加できなかったシンジの呟きは、誰の耳にも届かなかった・・・・・・
*
*
*
三限目、四限目と、無事に授業が終わり、昼休みとなった。
女の子達はそれぞれ自分で作ったお弁当、トウジはヒカリの『愛妻弁当』、シンジとケンスケは購買部で買ってきたパンだった。
「なんやセンセ、作っとらへんのか?」
中学時代のシンジは、何時も弁当持参だったので、トウジは不思議そうに訊いた。
「まあね。最近はあんまり作ってないんだ」
シンジは曖昧に笑う。
この二年間、シンジは零班のメンバーと共同生活をしていたため、以前のような専業主夫状態からは、解放されていた。
だが、当番制によって他人が作る普通の家庭料理が味わえたのは、ほんの僅か。
訓練ばかりのシンジが最も食べていたのは、戦闘用糧食だった。
カロリーと栄養バランスだけが最優先されたCレーションは、限りなく不味い。
おかげで、今では、ミサトのカレーでも食べられるくらいに、味覚を麻痺させることが出来た。
「ほうか・・・・・・ほな、ちゃっちゃとメシ済ませて行くで」
「え? 何処に?」
「今朝、言うたやろ? ワイの足がどないになっとるか見せたる、ってな」
シンジの問いに、トウジはそう言ってにやりと笑うと、弁当をかっこむ。
「見てのお楽しみさ」
ケンスケは、そう言いながらトウジに倣う。
シンジも、訳が分からないまま、手早く食事を済ませる。
もともと、男の食事に時間は掛からない。
「ほな、行くで」
そして、彼らが向かったのは、体育館だった。
そこには、十人近い男子生徒が集まっていた。
「おっせーぞ! 鈴原!」
バスケットボールをドリブルしていた少年が、トウジの姿を見つけて声をかける。
「おう、済まんな!」
トウジがコートに駆け込む。
「・・・・・・最近、皆で昼休みにバスケしてるんだ。一応、クラス対抗。今日はAとだな」
状況が飲み込めていないシンジに、ケンスケが説明する。
「へぇ・・・・・・」
シンジの視線の先では、既にゲームが始まっていた。
現在、ボールを支配しているのは、相手チームであるA組。
どうやら、バスケ部に所属しているらしい、抜きんでた技量の少年が、軽やかにボールを操る。
そして、その少年に食らいついているのがトウジ。
身長はシンジとほぼ同じくらいだが、がっちりした体格のトウジは、同世代の少年達より大柄に見える。だが、如何せんテクニックの差は明らかだった。
ガードも虚しく、抜かれてしまい、3ポイントシュートを決められてしまう。
だが、B組も負けてはいない。
ロングパスで攻め上がり、トウジがドリブルシュートを決める。
「本当に、元通りになったんだ・・・・・・」
親友の勇姿を見ながら、シンジは呟く。
「おい、センセ! 入れや!」
相手チームが一人、早々にメンバーチェンジとなると、トウジはシンジを呼んだ。
「え?」
シンジは戸惑う。
「行って来いよ」
隣に立つケンスケが、笑顔でシンジの背を押した。
「ケンスケは?」
「俺は、これがあるからな」
そういって、ケンスケはカメラを見せる。
実は、シンジの写真の注文が、十数件来ているのである。
「・・・・・・判った」
シンジはコートに歩み寄った。
「転入生の碇シンジや! あんじょうよろしゅうな」
トウジが、本人に代わって紹介する。
「よろしく」
シンジは、軽く会釈した。
「笠原、天野、佐々木、東がおんなじクラス、チームや」
トウジが、クラスメートを指差して告げる。
まだ顔と名前が一致していないシンジが、クラスに早く馴染めるようにとの気遣いなのだろう。
「よろしく」
シンジは、もう一度言った。
今朝からのがどたばたで、同じクラスの少年達は、ややシンジに対して一線をひいていた。
ただ、トウジの顔を立てるということで、それを表には出さない。
だが、ゲームが始まるとそれは一変した。
的確な指示、正確なパス、バスケ部員にも劣らないテクニック。
何時の間にか、シンジがゲームメーカーとなっていたのだ。
そして、誰もが自然と彼に従った。
「碇君かっこいい!」
コートの周囲から、黄色い声援が飛ぶ。
何処から聞きつけたのか、体育館には、2-Bの女子が集まっていた。
勿論、アスカ達もその中にいる。
「シンジ君! 頑張れ!」
マナが大声で叫ぶ。
シンジが気になって見に来ては見たものの、その状況が面白くないアスカは、憮然としてゲームを眺めていた。
(・・・・・・バカシンジのくせに)
アスカの内心の呟きが聞こえたかのように、不意に、隣に居た少年が口を開いた。
「シンジはさ・・・・・・」
「え?」
アスカは、ファインダーを覗いたままのケンスケを見る。
「あいつはカリスマだよ。自分自身で気が付いてないみたいだけど」
若さに似合わぬ、冷静な観察眼を持つ少年は、シャッターを切り続ける。
彼の言う通り、シンジには父同様、カリスマがあった。
ただ、ゲンドウが独裁者傾向の『冷たい』カリスマであるのに対し、シンジのそれは宗教者にも似た『優しい』カリスマだった。
「見ろよ」
促されて、アスカがコートに視線を移すと、ダンクシュートを決めたシンジが、クラスメートからもみくちゃにされていた。
「先刻まで、お前らの件で反感食らってたはずなのに、この短時間でああだぜ」
ケンスケの声には、どこか羨むような響きがある。
「・・・・・・カリスマ、ね」
アスカは小さく呟いた。
その言葉はまるで、自分とシンジの距離を現しているように思えた。
*
*
*
シンジの帰国祝いは、予定時間通りに始まった。
殆どドツキ漫才に近いアスカとマナのシンジの取り合いがあったり、ミサトの乱入があったりしたが、宴会は始終和やかな雰囲気ですすんだ。
時計が9時を回ったところで、ヒカリがお開きを提案した。
「じゃあ、片付けましょ」
マナは立ち上がる。
「いいわ。私やるから」
アスカが、笑顔で制した。
「でも、量多いし。皆でやれば早いわ」
マユミが控えめに言う。
「あ、俺が手伝うから、皆帰ってもいいよ」
そう言ったのは、シンジだった。
「え? でも碇君が主役だもの。そんなことさせちゃ・・・・・・」
ヒカリが気遣う。
「別にいいよ。それより、女の子があんまり遅くなっちゃまずいでしょ? トウジとケンスケで送ってあげてよ」
シンジは、二人の親友を見た。
「え~、私、シンジ君に送って欲しいな」
マナの露骨な言葉に、シンジは苦笑する。
「ああ、ごめん。俺、この後ミサトさんに用事があるんだ。また今度ね」
「シンジがああ言ってくれてることだし、お言葉に甘えて、俺達は帰ろう」
親友の言葉の裏をくみ取ったのか、ケンスケが上手にフォローする。
マナとヒカリをトウジが、マユミをケンスケが送って行くこととなった。
「今日は、俺のために本当にありがとう」
「皆、また明日ね」
シンジとアスカは、友人達を玄関で見送る。
「ほな、また明日な」
「じゃあな、シンジ、惣流」
「アスカさんお邪魔しました。碇君、また明日」
「シンジ君、アスカ、バイバイ」
「二人とも、また明日ね」
口々に挨拶をし、少年少女達は、葛城家を出た。
ドアが閉まると、シンジは振り返り、蜂蜜色の髪を持つ少女の顔を覗き込んだ。
「・・・・・・具合でも悪いの?」
「な、何よ突然」
真顔で訊かれて、アスカは少々、慌てる。
「なんか、ずっと無理してるみたいだったから、気になってたんだ」
アスカは思わず視線を逸らす。
自分をちゃんと見ていてくれたという喜びと、妙なところで聡く、どうしようもないところで鈍い少年に、苛立ちを覚える。
だから、つい強がりが出た。
「・・・・・・あんたに心配されちゃ、私もおしまいね」
昔と変わらぬ口調。
シンジは微笑んだ。
「アスカ・・・・・・今、幸せ?」
突然の問いに、アスカは少年の顔を見直す。
透徹な眼差し。
その真摯すぎる問いに、答えをはぐらかすことは出来なかった。
「幸せよ」
アスカは素直に答える。
シンジは一瞬、何とも言えない表情になった。
だが、口にしたのは、何でもない言葉。
「・・・・・・さ、片付けよう」
シンジは、テキパキと後片付けを始める。
アスカは、彼が何を言いたかったのか、問いただしたい衝動に駆られたが、結局何も言わずに、黙って片付けに専念した。
家事の達人である少年と、要領を覚えた少女の手によって、臨時の宴会場は、あっという間に元の生活空間に戻った。 全てが終わった頃、Nervの制服を着たミサトが現れる。
「アスカ、これから本部に行くから。戸締まりよろしくね」
「ん。判った」
アスカは頷く。
「あ、シンちゃん、途中まで乗ってく?」
「お願いできますか?」
ミサトの誘いに、シンジはあっさり乗る。
「じゃ、行って来るわね」
「アスカ、また明日」
「ん・・・・・・」
冴えない表情のまま、アスカは二人を見送った。
玄関のドアが閉まると、シンジとミサトの表情はにこやかなそれから、硬いものに変化する。
二人は、無言のままエレベータに乗り、駐車場へと向かった。
ミサトが、ルノーのロックを開けながら、ぽつり、と呟いた。
「・・・・・・やっぱり、灰色かしらね」
シンジは黙したまま。
やがて、車が動き出すと、少年は口を開いた。
「・・・・・・明日、家を『消毒』してください。それから、相田ケンスケ、洞木ヒカリ、霧島マナ、山岸マユミについて、最優先で調査を」
淡々と告げるシンジへ、ミサトはちらりと視線を走らせる。
「・・・・・・あなたには、いつも辛い思いをさせるわね」
「いえ、自分で選んだことですから」
それきりシンジは、表情にブラインドをかけた。
| ※この物語はフィクションであり、現存する組織、団体、個人などとは一切関係ありません。 |
Ver.1.0 1998.07.08
Ver.1.1 2008.01.15
感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲