エヴァのパイロットでなくても、自分を見てくれるひとがいる。
他人より優れていなくても、自分を認めてくれるひとがいる。
それに気付いた時、アスカは背伸びをすることをやめた。
勿論、自分一人でも生きていける、という思いは、未だ彼女の中にある。
だが同時に、他人を受け入れる事を知ったアスカは、変わった。
脇目もふらず、ただ他人に認めて貰うためだけに全力で走り続けてきた過去を想い、ふと、立ち止まってみようと思ったのだ。
そこには、アスカの知らない世界があった。
同じ年齢の少女達との、他愛のないお喋り。
ホントかウソか判らない噂。
来シーズンのファッション。
昨日のドラマ。
恋。
嫌いな先生の悪口。
ダイエット。
友達の家でのお泊まり会。
皆で出掛けるショッピング。
服やアクセサリーを選びあったり、ブランド物の店を冷やかしてみたり。
放課後の寄り道。
雑誌に載っていた美味しいケーキのお店。
ダイエットは明日から、とついつい入ってしまう甘味処。
今まで友達を持たず、大人達に負けまいと、肩肘を張って生きてきたアスカには、全てが新鮮だった。
そして、楽しかった。
その中で、親友と呼べる友達もできた。
「私はもう、大丈夫」
天と地のはざまで<2>
再会
通学路には、華やかな傘の色が溢れている。
その中に紛れたアスカは、優美なラインを描く眉を顰め、小さな溜息を吐く。
くっきりとした二重瞼の下の、晴れ渡った夏空のような鮮やかな青い瞳に、憂いの色が過ぎり、僅かに俯けた雪花石膏のような頬に、蜂蜜色の髪が流れ落ちた。
(・・・・・・ああ、もう! ミサトの奴が変なこと言うから!)
美の神に愛でられし美貌を持つ少女は、再び溜息を零す。
(意識しちゃうじゃないのよ!)
脳裏に浮かぶのは、2年間音信不通の元同居人の顔。
あの日、最後に見た綺麗な笑顔。
(・・・・・・それにしても! あの馬鹿は何で連絡寄越さないのかしらね?!)
無事で、上手くやっているのだろう。
今までに2回、誕生日に年齢分のバラの花束などという、鈍感少年には似合わない、誰かの入れ知恵と思しき気障な真似をしてくれたからだ。
ただ、いつもメッセージはなかった。
(こっちからは連絡しようがないし)
(メールのやり取りくらい、したいのに)
再び、桜色の唇から溜息が漏れた。
(・・・・・・あいつは私のことなんて、どうでもいいのかな?)
(そもそも、本当に私はあいつのことが好きなのかな?)
(でも、あの時は『好き』だと思った)
(それってあいつをエヴァの代わりにしてただけ? ママの代わりにしてただけ?)
(あいつも、私に縋ってただけ?)
(結局、私の気持ちって?)
(あいつの気持ちって?)
無限ループに陥りそうな思考を止めたのは、明るい声だった。
「アスカ!」
名を呼ばれ、アスカは立ち止まって振り返った。
赤みがかった明るい黒髪をショートカットにし、大きな瞳と、くるくると動く表情が印象的な少女が、彼女の方へ駆け寄る。
その後ろから、漆黒のロングヘアを編み込みにして、細いフレームの眼鏡を掛けた、小柄な少女がついてきていた。
霧島マナと山岸マユミ、高校に入学してから出来たアスカ親友である。
「おっはよ、アスカ」
「アスカさん、おはよう」
「おはよう。マナ、マユミ」
二人の挨拶に、アスカは笑みを返した。
そして、並んで歩き始める。
現在、第三新東京市には、私立公立あわせて三校の高校がある。
彼女達三人、そして、疎開先から戻ってきたヒカリ、トウジ、ケンスケらは、市立第壱高等学校の2年B組に在籍していた。
「あ~あ、鬱陶しい雨ねぇ」
「そうね。こう毎日だと、身体にカビが生えそ」
マナの言葉に、アスカは頷く。
セカンドインパクト前のこの時期は、何時もこうだったと聞いて、彼女達はぞっとした表情を浮かべたものだ。
「でも、午後には止むみたい・・・・・・って言ってもあんまり当たらないのよね、天気予報」
マユミが微笑む。
天気予報とは、基本的には、過去に蓄積されたデータから導きだされるものである。
セカンドインパクトでそのデータが散逸し、地軸ジャンプで海流や気流に大幅な変化があったため、天気予報は全くアテにならない状態だった。
サードインパクトから気候が戻りはじめたとはいえ、相変わらず予測が難しいことに、変わりはない。
他愛のないことを話しながら、三人は校門を抜け、昇降口へ向かった。
下駄箱を開けると、それぞれ手紙・・・・・・ラブレター・・・・・・が溢れ出す。
だが、反応は三者三様だった。
手紙を握り潰すアスカ。
無言で溜息を吐くマユミ。
枚数をチェックするマナ。
そして、三人は、自分の鞄の中に手紙を押し込んだ。
「・・・・・・流石のアスカも、悔い改めたわね」
マナが茶化す。
「まあね。あんなの見たら、しょうがないでしょ」
アスカは、憮然としたまま作業を続ける。
中学時代から、手紙はゴミ箱に直行させていたアスカだが、ある時、それが拾われ、書いた当人がからかわれているところを見てしまった。
その光景と、友人達の多大なお小言には、流石のアスカもばつが悪くなり、読みはしないが、持って帰るだけ持って帰って捨てるようにしている。
だが、それが男子生徒に希望を与え、悪循環になっていることもまた事実である。
「それにしても、アスカさんって、どうして誰ともつき合わないの?」
教室へ向かいながら、幾度も繰り返された問いをマユミが発した。
「ふっふっふ! それはねぇ~!」
「マナ! あれはウソだからね!!」
楽しそうに言うマナに、アスカは顔を真っ赤にして喰ってかかる。
つい三日前、マナの家に泊まりに行き、しこたま飲んで、あること無いこと喋らされたのだった。
「マナさん、後で教えて下さいねっ」
マユミは、胸の前で両手を組み合わせ、にっこり笑う。
「勿論よ、マユミ」
「マナぁ!!」
マナの笑顔と、アスカの叫びが交錯した。
「・・・・・・なんや、朝っぱらからうるさいやっちゃな~」
不意に、三人の背後から、似非関西弁が飛んでくる。
振り返ると、長身の精悍な顔立ちをした少年が立っていた。
「鈴原君、おはよう」
マユミが律義に挨拶する。
「おはようさん」
鈴原トウジは頷く。
「あれ? ヒカリは?」
中学時代からの親友の洞木ヒカリの姿を求め、アスカが訊く。
「なんや先生に呼ばれて、職員室行ったわ」
トウジとヒカリは、高校入学を契機に付き合っており、周囲も認める公認カップルである。
その熱愛ぶりは、中学時代は『ジャージはワイのポリシー』などといっていたトウジが、ヒカリの一言で、今ではちゃんと制服を着ているという事実に集約される。
「ふ~ん。何だろうね?」
マナがそう言いながら、教室のドアを開けた。
「よう、おそろいで」
相田ケンスケが、片手を挙げる。
「おはようさん」
トウジは自分の机にリュックを置きながら応える。
「ビッグニュースだぜ、トウジ」
「何がや?」
「急なんだけど、山本先生今日から産休でさ、新しい先生が来る」
どんな情報網を持っているのか、眼鏡をかけた少年はとんでもなく早耳である。
「女か?」
トウジが身を乗り出して訊く。
「美人だ」
ケンスケは、カメラの調整に余念が無い。
高2になっても、ミリタリーオタクのカメラ小僧は、相変わらず写真で小遣い稼ぎをしてるのである。
「よっしゃぁ!」
「・・・・・・何がよっしゃなの?」
ガッツポーズをとるトウジの後ろから、快活な声が飛ぶ。
「・・・・・・ヒ、ヒカリか。何でもあらへんわ」
引き攣った笑みを浮かべつつ、トウジは振り返る。
「あ、おはよう、ヒカリ!」
「おはよ!」
「ヒカリさん、おはよう」
美少女三人は、それぞれ挨拶をする。
「みんな、おはよう」
セミロングの髪を、あっさりと後ろでまとめた少女が、にこりと笑う。
アスカ、マナ、マユミ、ヒカリ、あわせて壱高美少女揃い踏みである。
「で、何がよっしゃなの?」
ヒカリがもう一度訊く。
「担任が代わるんだって!」
マナが答えた。
「言い出したのは相田? 相変わらず早耳ね」
苦笑とも呆れともつかない表情で、ヒカリは言う。
「何だ、知ってたのか、委員長」
ケンスケはつまらなそうだった。
責任感が強く、気さくな性格のヒカリは、中学から引き続き、クラス委員をしていた。
「ええ。今、その件で職員室に行って来たところ・・・・・・っと、噂をすれば、ね」
朝のSHRを告げるチャイムが鳴り響く。
クラスメイトが、それぞれの席へと散らばる。
「あ、そうだ。鈴原! ミサトから伝言よ。今日の『バイト』は中止だって」
アスカは忘れないうちに、ミサトの言葉を伝える。
『バイト』とは即ち、エヴァの実験のことである。
表向き、アスカとトウジは、国立運動機能研究所、通称機能研で、『セカンドインパクトの年に生まれた子供の運動機能の調査』と称した『バイト』をしていることになっている。
また、復興されたとはいえ、サードインパクト前に一度崩壊した都市に戻ってくる者は少なく、アスカやトウジがエヴァのパイロットであることを知る人間は、現在ではほとんど居ない。
機能研は、最高機密であるチルドレンの保護のために設けられた身元遮蔽なのだった。
「さよか、おおきに」
トウジの返事と同時に、ダークブラウンの髪を肩口で切り揃え、ブルーのツーピースを着た美女が、颯爽と現れた。
「きりーつ! 礼! ちゃくせきー!」
事情を理解できていないクラスメイトが、ヒカリの号令にあわせ、何となく挨拶する。
「皆さん、おはよう! 突然ですが、このクラスの担任でいらした山本先生が、産休に入られることになりました。そこで今日から私が、このクラスの担任になります」
黒板に、自分の名前を書く。
「加賀エリカです。28歳、独身。身長164cm、体重とスリーサイズはヒ・ミ・ツ。趣味はスキューバダイビング。担当は英語よ。よろしくね」
涼やかな笑顔に、男子がどよめく。
反対に女子は、冷ややかな反応だった。
エリカは、ざわめきが落ち着いたところを見計らって、再び口を開く。
「さて、今日の一限目は、数学だったと思うけど、三限目の英語と入れ替えます。授業はやらないかわりに、皆さんに自己紹介をして貰います」
エリカはもう一度微笑んだ。
「じゃあ、まずは窓際の一番先頭のひとからお願いね」
*
*
*
司令に挨拶に行くというシンジとダグラスと別れ、加持とミサトはミサトの執務室へ向かった。
部屋に入るなり、ミサトはソファに座り込んだ。
仕事量が減った所為か、はたまた本人の努力によるものか、2年前に見たときより、はるかに整理された部屋を見て、加持は素直に感嘆の意を表す。
「こんなに広かったんだな、この部屋」
「ん~」
ミサトは中空を見つめたまま、生返事を返す。
「・・・・・・どうしたんだ、葛城」
朝からずっと、どこか上の空なミサトに、加持は訊く。
「彼のことか?」
ミサトは、視線を床に転じた。
「・・・・・・シンジ君、変わったわね」
ぽつり、とミサトは呟く。
「渡された資料見て、正直逢うのが恐かった。逢ってみたら、笑顔は変わってなくて、安心したわ。でも、やっぱり何か違うの」
独白のようなミサトの言葉を、加持は黙って聞いている。
「言っちゃなんだけど、昔のシンジ君って、後ろ向きでおどおどしてて、端から見ても、自分に自信が無いっていうのが判るコだった。でも今は・・・・・・話し方が違う。表情が違う・・・・・・知らない間に『男』になっちゃったのよね」
「・・・・・・この2年間いろいろあったからな」
すべてをつぶさに見てきた青年は、複雑な思いを込めて言う。
「もう、大人として扱うべきだと思うぞ」
子供のまま扱うべきか、対等な大人と見做すべきか。
加持は、ミサトの戸惑いを正確に見抜いていた。
「・・・・・・なんか、親離れした子供を見る母親の気分だわ」
ミサトは苦笑する。
「ところで葛城」
「何?」
「明日から暫く、司令のお供でブリュッセルに逆戻りなんだ」
Nerv総司令の主な仕事は、資金調達と、政治的根回しである。
EUの本部があるベルギーに出掛けるのも、不思議ではない。
だが、時期が悪い。
場所が悪い。
「何でこの時期に司令が? それに、相手のテリトリーにのこのこ出掛けていくなんて・・・・・・」
ミサトの疑問も当然のことである。
「シンジ君を日本に召還するための根回しと、ゼーレに対する牽制さ」
加持は事も無げに言う。
そして、声のトーンを落とした。
「此処だけの話だが、司令はゼーレと相打ち覚悟らしい。仮に生き残っても、ゼーレ殲滅後は、おそらく辞任する気だ」
「え?!」
驚愕の表情を浮かべるミサトとは対照的に、加持は一切の表情を消している。
「だから、後任に据えるつもりの副司令を、安全なまま残しておきたいんだろう」
爆弾テロ以降、ゲンドウは冬月を表に出さないようにしている。
そして、密かに、ガードを強化するよう命じていた。
「・・・・・・ま、本人に聞いた訳じゃないから、どうなるか判らないけどな」
加持は、何時もの軽い笑みを浮かべる。
「・・・・・・気をつけなさいよ」
ミサトは、苦い表情で言う。
「お、心配してくれるのか?」
「誰もあんたの心配なんかしてないわよ! 司令のこと! 司令に何かあったら、リツコが悲しむでしょ?!」
茶化すような男の言葉に、ぶん、と音がしそうなくらい派手に、ミサトは顔を背けた。
長いつきあいから、目の前の女が素直では無いことを知っている加持は、柔らかに微笑んだ。
「で、また暫く逢えないから、今晩食事でもどうかな、と・・・・・・」
「・・・・・・」
ミサトが答える前に、デスクの電話が無粋な茶々を入れる。
「はい、葛城」
ミサトは身を翻して、受話器をあげた。
『高橋です。全員揃いましたが』
電話を掛けてきたのは、保安局の部下。
シンジ達の帰国で、組織機能の変更があり、これから警備シフト等の再編を行うことになっている。
「すぐ行くわ」
ミサトは受話器を置き、加持を振り返った。
「会議の時間よ」
「もうそんな時間か」
加持は、腕時計に目を走らせる。
「行きましょ」
ミサトは仕事の顔になると、男の脇をすり抜け、部屋を出る。
「おい、返事は?」
さっさと歩き出したミサトの後を、加持は慌てて追う。
「仕事が早く終わったらね」
正論だった。
*
*
*
地形の把握は、戦略の基本である。
保安局・・・・・・今では、保安部警備局・・・・・・のシフト変更会議を終えると、ダグラスとシンジは、車で雨上がりの第3新東京市に出掛けた。
何処に何があり、どの道が何処に繋がっているのか。
交通規制はあるか、道路の幅はどれくらいか、交通量はどれほどか、環境はどのようなものか。
最悪、この街で『追いかけっこ』をすることになるのだ。
地図を見ただけでは判らない部分を、実際に走ることで、身体に覚え込ませることが必要だった。
「・・・・・・あれ? ダグ、運転しないんですか?」
さっさと助手席に座ってしまったダグラスに、シンジは訊く。
「久しぶりの右ハンドルだから、自信がねぇ」
親しい者の前で日本語を使うと、何故か伝法な口調になってしまう生粋のイギリス人は、しれっと言ってのける。
「何言ってんですか? イギリスだって右ハンドル左側通行でしょう」
シンジは、呆れたように男を見る。
「別にいいだろうが? お前だって免許持ってるんだから」
ダグラスは端正な頬に、人の悪い笑みを浮かべた。
彼の言うとおり、シンジが16歳の時に、日本政府の特例によって、車とバイクの国際免許証が与えられている。
「・・・・・・はいはいはい」
人生の師とも言うべき男には、口で勝てた例しはないので、シンジは投げ遣りな返事を返した。
「にしても、誰がこんなマニアックな車を選んだんだか」
シルバーとレッドのカラーリングが施された、ケーターハム・スーパー7。
作戦部の車両整備班によって、フルチューンが施されたスーパー7は、セル一発で目覚めた。
ガソリン車特有の、キレのいい排気音が、地下駐車場に響く。
セカンドインパクト以来、原油の産出量が激減しているため、現在は電気自動車が主流である。
ガソリン車を使うのは、よっぽどのマニアか、金持ちか、はたまた酔狂な人間だけだった。
「俺」
ダグラスは簡潔に答えると、サングラスを掛ける。
「おまけに、今時ハイオクガソリン車とは・・・・・・」
呟くように言うと、シンジもサングラスを掛け、車を発進させる。
スーパー7は、Nervが持っている偽装ビルの地下駐車場のスロープを滑らかに駆け上がり、あっという間に幹線道路へでた。
「気に入らねぇか?」
「アシ、つきますね」
目立つな、痕跡を辿られるような手がかりは残すな、特徴を掴まれるような癖はつけるな。
それは訓練中、言語から生活習慣、戦闘においてまで、叩き込まれた事である。
だが、マニア向けの車種、それもガソリン車では、その原則を完全に無視している。
「囮だろ? 派手に動かなくてどーする」
ダグラスは他人事のように言う。
「・・・・・・そう言う問題じゃない気がする」
シンジは、整備された片側三車線をいっぱいに使い、エンジンにものを言わせて、次々と車を抜いて行く。
『公道用ゴーカート』の異名をとるスーパー7は、高速走行向きではないが、非常に操作性に優れている。
市街地でカーチェイスをやらかす気なら、理想的な車と言えた。
ただし、屋根なしであるが。
「気に入らねぇんなら、俺が使うから構わねえぞ」
「いえ、気に入りました。反応良くて」
「だろ?」
ダグラスは、我が意を得たり、とばかりに頷く。
「色が嫌なら変えて貰え」
「そうします」
「・・・・・・さて、夕方の渋滞は、あと」
そう言って腕時計を見たダグラスは、それが未だドイツ時間のままなのに気付き、ダッシュボードのディジタル時計に視線を向ける。
「2時間後ってとこか?」
「でしょうね。問題はその渋滞の程度ですが」
シンジは、器用に肩を竦めてみせる。
「じゃ、繁華街行け」
高度計や方位磁石のついた、戦闘機パイロットが使うような精密時計の時刻をあわせながら、ダグラスは軽く言う。
「了解」
予め頭に入れておいた地図と、車に装備されたナヴィゲーションマップを重ね合わせ、経路を決める。
程なくして、繁華街に入った。
このあたりは、車よりも歩行者の方が多い。
「おい、シンジ。左車線でゆっくり走れ」
ダグラスは、歩道の方、自転車に乗った女の子へ視線を固定したままで言う。
スーパー7は、車高が低い。
故に、ミニスカートの女の子が自転車に乗ってたりすると、とてもいいアングルになる。
「ダグ・・・・・・それが目的ですか?」
シンジの声は、とても冷たかった。
「目の保養だ」
だが、40代半ばの男は動じない。
これでは、ただのスケベなおっさんであるが、これでも本国に帰れば、侯爵家の三男坊。見目良い事も手伝って、ヨーロッパの社交界では紳士で通っている。
そして、英国陸軍特殊空挺部隊出身で、裏社会では『隠者』の名前で恐れられている男でもある。
「馬鹿なことばっかり言ってないで、真面目にやって下さい」
シンジは溜息を吐いた。
「・・・・・・そーいや、あれ位の年だっけ? お前のガールフレンド」
ダグラスは、ぼそり、と呟く。
「え?!」
完全に不意打ちの台詞に、シンジは動揺を露わにした。
「惣流・アスカ・ラングレー」
「アスカとはスティディな関係じゃないですよ!」
サングラスを掛けていてもそれと判るほど真っ赤になり、シンジは慌てて否定する。
周りの大人に鍛えられ、このテの話にも強くなった彼だが、アスカが絡むと、どうしても反応が素直になる。
「どうして、秘密にしようと思ったんだ?」
ダグラスは、少年の言葉など無視して、話を続ける。
「・・・・・・何を?」
「帰国のことだよ。あっちこっち口止めして、お姫様には知らせてないんだろ?」
シンジの表情が、一転して暗くなった。
「・・・・・・俺には、彼女に逢う資格がないから」
自嘲するような言葉。
血と硝煙に塗れた、恒常的な騙しあいの世界に生きる自分。
アスカを傷つけるだけの存在である自分。
だから、逢えない。
今まで辛いことばかりだった彼女には、幸せになって欲しいから。
「今回だって、状況が許せば、影で動いて、彼女に逢わずに済ますつもりだったんです。だから口止めしたんですよ」
既にアスカとトウジが通う高校に、零班の工作員を教師として送り込んでいるが、あまりにもあからさますぎて、敵の警戒を誘ってしまう。
そこで、急遽、シンジも編入することになったのだ。
「・・・・・・逢う資格ってぇのはな、お前が決めることじゃねぇ。お姫様が決めるこった」
ダグラスは、鼻で笑う。
だが、その言葉は、父親が息子を励ますような、暖かさに満ちていた。
「どーせ明日にゃ逢わざるをえねぇ。先手を打って、今日逢って来い」
シンジは、無言で聞いている。
その横顔を見て、ダグラスは静かに微笑んだ。
「出歯亀は全て下げてやる。心おきなく『資格』とやらを確かめて来るんだな」
「・・・・・・ありがとうございます」
ダグラスの気遣いに、シンジはぎこちない笑みで応えた。
*
*
*
「ああん、もう! すっかり遅くなっちゃった!」
『バイト』が休みになったので、アスカは久しぶりに、ヒカリ達と寄り道をした。
お喋りに夢中になり、気が付けば時刻は、午後7時。
今日はアスカが食事当番なので、今頃ミサト苛々しながら、彼女の帰りを待っているだろう。
「今晩手抜きだな」
アスカは呟きながら、黄昏のなかを走って行く。
その時、10mほど前方に、ガードレールに座っている少年の姿を認めた。
黒いシャツにブラックジーンズ姿の少年は、何かに気付いたようにこちらを見ると、ゆっくり立ち上がった。
身長は180cm位だろう。体格は、男としてはやや細い印象を受ける。
少し長めの髪と、静かな瞳は、闇に溶けるように黒い。
思わず、アスカの足が止まった。
「・・・・・・アスカ」
秀麗で女性的な顔立ちに、柔らかな笑みを浮かべている少年は、ゆっくりと口を開いた。
「久しぶりだね」
少しだけ甘い、ハイバリトン。
2年前よりも、大人の男になった声。
「・・・・・・シンジ、なの?」
アスカの声は、少しだけ震えていた。
こころの底で、ずっと逢いたいと願っていた少年の姿が、目の前にある。
「うん」
シンジは小さく頷く。
(・・・・・・初めて会った時、なんて冴えない奴だろうと思った)
(身長も変わらなかったし、身体つきだって、女の子みたいに華奢だった)
(それが、たった2年逢わなかっただけで、別人のように変わってしまった)
(知らない人みたいになってしまった)
アスカは唇を噛み締めると、少年につかつかと近寄り、左手で胸座を掴んだ。
「アスカ?」
力任せに引き寄せられ、シンジは驚いたように、少女の美貌を見つめる。
瞬間。
ぱああんっ!
いっそ小気味良いほどの音をたて、シンジの左頬が鳴った。
「なんで連絡寄越さないのよバカシンジ!!」
青い宝玉のような瞳から、堰を切ったように涙が溢れる。
シンジの驚いたような表情が、やがて優しい笑みに変わった。
「・・・・・・ごめん」
囁くように言うと、アスカを抱き寄せる。
今では、少女の華奢な身体は、すっぽりと腕の中に収まるようになっていた。
「・・・・・・ひぅっく、馬鹿シンジの、くせに、っく・・・・・・生意気よ、っく・・・・・・」
アスカは泣きながら、それでもいつもの口調を崩さない。
「うん、ごめん」
シンジの声はあくまでも優しい。
「そうやって、すぐ謝るっ・・・・・・」
アスカは、少年のシャツをきゅっと握りしめる。
「うん」
宥めるように、シンジはアスカの蜂蜜色の髪を撫でた。
「・・・・・・おかえり、シンジ」
細い声。
少年は、更に笑みを深めた。
「ただいま、アスカ・・・・・・約束、守ったよ」
| ※この物語はフィクションであり、現存する組織、団体、個人などとは一切関係ありません。 |
Ver.1.0 1998.05.26
Ver.1.1 2008.01.15
感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲