第36話 穏やかな決断

事情が分かっているからこそ、朝の気恥ずかしさというものがある。それが、通学路で二人を迎える者達の感想だった。何しろ、二人が昨夜、ナニをしたのかが分かりすぎているのだから。
そこに、やけにさっぱりとした顔の二人が現れたとなると、その思いはなおさらなのである。とはいえ、そこは友達がいのある彼らである。トウジ達一行は、いつもと変わらぬ顔をしてアスカとシンジを迎えた。

「おっす」「おはよう」「おはようさん」「おはようございます……」

等々、挨拶に個性こそあれ、いつもと変わらぬ朝。少しだけ変わった関係。しっかりと手をつないで現れた二人に、全員がそれを感じていた。もちろん、それは良いことなのだと誰もが理解していた。

「……なにか、僕の顔に付いている?」

それでも、全員の視線を集めて居心地が悪いのか、シンジはそんなとぼけたことを口にした。

「いや、やけにさっぱりとした顔をしているなと思っただけさ」
「さっぱりとした顔って……」

どういう意味だと、シンジはケンスケに聞き返した。

「さっぱりした顔はさっぱりとした顔だよ。
それ以上、細かな説明は野暮ってものだろう?」
「ケンスケ、それってよく分からないよ」
「朝から、猥談はしたくないってことさ。
特に、こんなさわやかな朝にはな」

見上げた空には、雲一つ浮かんでいなかった。

普段から注目を集めている二人なのだから、その日の二人の変化は直ちに学校中に知れ渡ることになった。もちろん、二人が関係を隠そうとしないのだからそれも仕方がないのだが。もっとも生徒達の想像は、シンジとアスカ、二人の関係に追いついていなかった。真実を知っているのは、トウジ達ごくわずかな者達だけだった。
それでも一つだけ確かなことがあったのは、これでレイコがフリーになったと言うことだ。

「マナ……なにか、視線が痛いのですけど」

収まるところに収まったと言う感があったため、むしろ周りの注目はレイコに集まっていた。そこには、シンジに完全に振られたということへの同情や、だったら俺がと言う下心まで入り乱れたものだった。
午前の授業がおわってお弁当を広げたところで、レイコは思わず親友にこぼしていた。今日は二人に気を遣ったこともあって、マナとレイコは教室で机を合わせていた。

「あんたでも理由ぐらいは分かっているでしょう?
だったら、しばらくは我慢することね」
「でも、関係に進展があったのはシンジさんですよ。
どうして、私が注目を集めなくてはいけないんですか?」
「あのね、レイコ……
それが、昨日までお兄ちゃんラブラブだった人の言うこと?」
「昨日までって……」

あのねと嘆息した後、レイコは爆弾発言をした。

「今だって、少しも思いは変わっていませんよ。
でも、さすがに今日は遠慮しないと不味いじゃないですか」
「……まだ、あきらめていないの?」
「……ちょっとマナの言うのとは違って居るんですけどね」

さすがに不味い話題と言うこともあり、周りに聞こえないよう顔を寄せ合った。

「少なくとも、あたしにはレイコの考えは分からないわ」
「でも、マナだってシンジさんのことを嫌いになった訳じゃないでしょう?」
「でも、恋愛対象とは考えていないわよ。
麗しき兄弟愛ってところかしら?」

あんたは違うでしょうと、マナはレイコを見た。

「私の場合は、まだシンジさんより好きな人が現れないだけのことです。
シンジさんの次でも構わないのですが……」
「その気になれば、見つかるんじゃないの?」
「何も慌てる必要はないと思いません?
その点、マナは良いですね。
兄で手を打てばいいのですから」
「手を打つって……
レイコ、結構きついことを言うのね」
「たまには、そう言うのも仕方がないと思いません?
いつもいつも、いい子で居られる訳じゃありませんから」
「レイコ……」

持っていた箸を置いて、マナは親友の顔をまじまじと見つめた。

「こんどとことんつきあってあげる。
パフェだろうがケーキだろうが、なんでもオッケーよ。
大丈夫、お金はお兄ちゃんから巻き上げておくから……」
「そんなことをしたら、太ってしまいます。
もう少し、ウエスト辺りを落としたいんだから」
「レイコ……それって、敵を作る発言よ」

そうでしょうかと、ウエストに手を当てたレイコに、ひきっとマナのこめかみが引きつった。

何かおかしい。アスカは午前中いっぱいその違和感に囚われていた。シンジとのことが知れ渡ったのは仕方がないだろう。別に隠そうとも思わなかったし、隠すようなことでもないと思っていたのだ。幸い、ネルフからくぎを差されているのか、それともパイロットに対する遠慮だろうか。教師達も何も言ってこなかった。だがアスカは、何かが足りないのではと考えていた。
いくら考えても出てこない。周りの友人に聞いても、それらしい答えを返してくれない。そうなるとよけいに気になるもので、シンジとそろいの弁当を食べるときにも、つい考え込みがちになっていた。

「アスカ、何か気になっているの?」

まあ、普段なら見過ごすような変化なのだが、さすがに身体を重ねた翌日ともなれば相手のことが気になって仕方がない。鈍感、朴念仁と言われたシンジも、アスカの変化に気が付いていた。

「う~ん、気になっているというか……その、
奥歯にものが引っかかったというか、魚の小骨が取れないと言うか……」
「どうしても、思い出せないことがあるって言うんだね。
何か、僕にも力になれること?」

のど元まで出てきているいやらしさは、シンジにも分かることだった。しかしアスカは、手伝おうというシンジに、多分だめだと打ち明けた。

「なにか、欠けている気がするのよ。
シンジが退院してくるまで、なにかを毎日していたはずなのよね」
「周りに聞いてみた?」

当然と、アスカは頷いた。

「ヒカリやクラスの友達にも聞いてみたわよ。
誰か、そう、誰かが欠けているのよ。
でも、それが誰かって思い出せないのよ」
「誰かって……学校の中のことだろう?
だったら、名簿を見れば思い出せるんじゃないの?」
「それもやってみたわよ。
学校中の名簿を引っ張り出して、隅から隅まで照合してみたわ。
でも、どう頑張ってみても、該当者が居ないのよ」
「……気のせいってことはないんだよね」

一番高い可能性なのだが、真剣なアスカの表情に、それはないのだとシンジも理解した。

「アスカ、それっていつから感じ始めたこと?」
「気になってしょうがなくなったのは今日から。
でも、何かおかしいと感じ始めたのは昨日からよ」
「ゲイツさんとかダンチェッカーさんのことじゃないよね」
「あの人達のことを忘れるわけがないでしょう。
これからのこともあるから、近いうちに連絡するつもりだから」

これからのことというのは、二人の将来に関わることでもある。本当ならとても重要なことなのだが、今はアスカの気持ち悪さを解消すべきだとシンジはそのことに触れなかった。

「ああ、なんか、こう、胸のところが気持ち悪くなるのよねぇ……
ここまで出かかっているのに、なんかもやもやして……」

気持ち悪いと胸に手を当てたアスカに、突然背後から声が掛かった。

「あ~~~~すかっ、いきなり悪阻?」
「昨日の今日でそんなことがあるはず無いでしょう!!」
「へぇ~っ、昨日はそう言うことをしたんだ!」

振り返ったアスカに、カオルはにやりと笑った。

「心当たりがあるってことは、当然つけないでしたってことよねぇ。
きゃあ、あの清純だったアスカちゃんがぁ。
あたしと一緒に清い身体のまま神に召されると約束したアスカちゃんがぁ……!!」
「いつ、そんな約束をしたぁ!!」

ごん。痛そうな音に、シンジは思わず首をすくめた。

「アスカぁ、痛いじゃないのぉ。
いくら恥ずかしいからって、そんなに過激にならなくても良いじゃない!」
「あんたが馬鹿なことを大声で言うのが悪いんじゃない!」
「アスカの声だって、十分に大きいよぉ!」

でもと、急にカオルは声を潜めた。

「……痛かった?」
「そんなこと、聞かんでもいい!!」
「いやぁ、乱暴にしないでぇ~!!」

ついに追いかけっこ始めた二人に、シンジはやれやれとばかりにお弁当のふたを閉じた。このままでは、お弁当を食べるどころではない。先に食べたとなれば、ご機嫌を損ねることは火を見るよりも明らかだった。アスカを待つ間、シンジはゆっくりと壁にもたれかかった。
しかしと、追いかけっこをする二人に、シンジは目を細めた。いつの間に、あんな仲の良い友達が出来たのかと。

「良い天気だなぁ……」

いささか暑すぎるとも言えるのだが、青く澄み切った空をシンジは見上げた。そこには、雲一つ浮かんでいなかった。

「なぁに、一人でのんびりしているのよ!」

そんなところにきつい声を掛けられたため、シンジは思わず首をすくめた。

「なにをって、アスカが勝手に追いかけっこを始めたんじゃないか」
「そりゃあ、追いかけっこをしたわよ。
でも、一人我関せずとのんびりされたら癪に障るじゃない!」
「だからって、僕が一緒に走り回ることじゃないだろう?」
「気に入らないものは気に入らないのよ!」

いじめっこの論理だな。そう思いはしたが、もちろん口からその思いが出ることはない。シンジは、アスカに追いかけられていた相手に話を移した。

「ところで、もう終わったの?」
「当然よ、あたしから逃げおおせるはずが無いじゃない!
しっかりと殲滅してあげたわよ」

すっきりとした顔をしたアスカに、そうとうたまっていたのかとシンジは変なことを考えた。

「あたしの顔に何か付いてる?」

じっと見つめていたのだろう。どうかしたのかと、アスカはシンジの顔を覗き込んだ。急に近くに現れたアスカに、シンジは慌ててなんでもないと言い訳をした。そんなシンジの様子に、アスカは口元を少しほころばせて、見とれる気持ちは分かると言ってシンジの隣に腰を下ろした。
ふわりと、少し汗の混じったアスカの香りがシンジの鼻を突いた。

(昨日したばかりなのに……)

たまっているのは自分の方か。真っ昼間からそんなことを考えていることに、シンジは少しだけ自己嫌悪の気分を味わった。
そんな自己嫌悪を、若さに責任を押しつけて解決したシンジは、さっきのは誰だったのだと話をそらした。

「さっきの……ああ、カオルのことね。
あれっ、シンジはカオルを知らなかったっけ?」
「……知らないから、聞いて居るんだけど?」

そりゃあそうかと、アスカはシンジが入院中に転校してきた二人の生徒のことを説明した。

「最後の戦いの後、シンジが入院したじゃない。
その直後に、二人転校してきたのよ。
それが、よりにもよって綾波レイに渚カオルよ。
そのときは、ちょっとした騒ぎになったのよ」
「綾波レイに渚カヲル……?」
「性別と、名前が微妙に違って居るんだけどね。
さっきじゃれついてきたのが渚カオル。
カオルのオの字がア行のオなのよ。
それで、もう一人の転校生が綾波レイ。
こっちは、それなりにいかした男の子よ」
「ふ~ん、で、どんな騒ぎが起こったの?」

聞いていないと、シンジは言った。

「あのころのシンジは、まだ意識が戻っていなかったからよ。
で、騒ぎの方だけど、名前が名前でしょう。
それに、時期も悪かったから、戦自まで動員して身柄の確保をしたのよ。
まあすぐに身元が確認されたから良かったけど、そうで無ければ今頃リツコの実験材料ね」
「リツコさんのって……」

そう言う風に見られているのか。アスカの言いように、シンジは少しだけリツコのことを同情した。

「でもさ、本当に使徒だったらエヴァじゃないと押さえられないよ」
「人間型だから、少しは話が通じると思ったんじゃないの?」
「そりゃあ、そうだろうけどねぇ……」

問答無用の扱いに、実際に被害に遭った二人にもシンジは同情したが、それと同じくらいに綾波レイと渚カヲルにもシンジは同情した。

(綾波、カヲル君……君たちはどうしているんだい?)

戦うことになるのかも知れないが、それでも話をしてみたいとシンジは願っていた。

***

話し合わなければならないことは沢山有るはずだった。そして家に帰って二人きりと言う状況は、これからのことを話し合うのに申し分のない状況のはずだった。しかしそこが若さと言うところだろう、夕食が終わったところで二人は、シャワーを浴びるのもそこそこに行為に突入してしまった。まあ、夕食すら忘れた前日に比べれば、少しは進歩したのかも知れないが。

「あたし達って、サルになってる……」

胸に抱かれたまま、アスカはそうぽつりと漏らした。

「ん……?」
「ほら、他にしなくちゃいけないことが沢山あるはずなのに。
それなのに、二人っきりになるとすぐにしたくなるから……」
「一番、優先順位が高いからじゃないかな?」
「そう考えることが問題だってこと。
気持ちの良いことに逃げ込んで居るんだから」
「アスカ、気持ちよかった?」
「気持ちよくなければ、こんな恥ずかしいことはしないわよ……」

でもと、アスカは言葉を付け足した。

「もちろん、それだけじゃないわよ。
なにか、確かな絆が出来た気がするの。
それが、とっても気持ちいいのよ」
「確かな絆?」

それは何かと尋ねたシンジに、よく分からないとアスカは答えた。

「そう感じるってこと。
他の人には感じない、あたしとシンジを繋ぐものかしら。
シンジは、あたしとして何か感じなかった?」
「僕は……」

怒らないでと、シンジは前置きをした。

「ようやくアスカを僕のものに出来たと感じたことかな?」
「あたしが、シンジのものになった?」
「そう思ったってことだよ」
「結構傲慢なことを思っているのね。
一度寝たからって、あたしのすべてが自分のものになったって?」
「だから、怒らないでって言っただろう?
でもさ、好きだって告白すること、キスをすること。
そして、こうして抱き合うこと……
なにか、大きな壁を一つ一つ越えていくことだと思わない?」
「それは、確かにそう思うところもあるわよ……」

そうねと、アスカは少し考えて口を開いた。

「シンジは、もっと壁を乗り越えたいと思う?」
「そうすることで、アスカがもっと僕のものになるのなら……
そう言うアスカこそ、どう思ってる?」
「私は……」

当然聞かれる質問に、アスカはどう答えるか答えを選んだ。

「私は、なにも考えていなかったわ。
と言うか、いくら考えても答えが決まらなかった。
自分が結婚することなんて想像も付かなかったし……
子供を産むことは、考えたこともなかったわ」
「今でも考えていない?」
「そんなことはないわ……」

アスカはそう言うと、シンジの隣に転がった。その胸元は、しっかりとシーツで隠されていた。

「シンジとこうして……その、抱かれるのはとても気持ちいいわ。
そして、どうして気持ちいいのかその理由も分かっている。
満たされた喜び、そう言えばいいのかしら。
今、それを実感しているの……」

シンジは、黙ってアスカの言葉を待った。アスカは、言葉を選びながら自分の考えをシンジに伝えた。

「前にシンジが言ったわよね。
私たちは、欠けたピースの両側だって。
シンジがそう言った意味が、今なら分かるの。
ドイツに居るとき、何かが違うとずっと感じていたわ。
でも、その思いも、いつかは薄れるものだと思っていた。
事実、フランツと付き合っているときは、シンジのことを忘れていた。
あんなことがなければ、あたしの初めてはフランツ相手だったと思う」

アスカの言うあんなことの意味を、シンジは尋ねなかった。今重要なことは、過去を暴くことでは無いのだから。

「そして、それはとても自然なことだと思ったわ。
だって、あの時の状況なら、私とシンジの人生は二度と交わらないはずだったもの。
だったら、あたしがシンジ以外の人を相手にするのは不思議なことじゃない。
シンジも、そうだったのでしょう?」

そうだと、シンジは頷いた。

「僕は二度とネルフに関わらない。
それは、アスカと二度と会わないという意味だからね。
僕の心の中には、ずっとアスカが住んでいたよ。
だから、レイコちゃんの気持ちに気づいていても、
僕は、彼女になにもしなかった……出来なかった」
「あたしのことが好きだから?」
「アスカのことが気になっていたから。
そんな気持ちでレイコちゃんと付き合うのは不誠実だと思っていた」

でもと。

「でも、そんな気持ちも次第に薄れていったよ……
どうしてアスカじゃなきゃいけないんだ。
次第にそう考えるようになっていた。
二度と会わないつもりなんだから、もう忘れたって良いんじゃないかって。
アスカへの気持ちがあるから不誠実だと思ったけど。
僕自身、レイコちゃんのことは大好きだったからね」
「でも、あたし達はこうして再会し、愛し合うようになった……
あたしは、フランツに裏切られたわ。
でもシンジは、そう言う訳じゃないでしょう?」
「でも、僕の中ではアスカが特別だった……
だから、こっちに戻ることが決まった時点で、
僕の心の中は、アスカでいっぱいになっていたよ」
「あたしで?」

もう一度、シンジは頷いた。

「もちろん、良いことばかりじゃなかったさ。
だって僕たち、最低の別れ方をしただろう?
アスカへの思いが一方通行だと言うことも分かっていたからね。
だから、どんなひどい目に遭わされるのかと期待していたよ」
「ひどい目って……普通は期待しないんじゃないの?」

だがシンジは、違わないと首を振った。

「言っただろう、僕たちは最低の別れ方をしたって。
その前にしたところでそうじゃないか。
僕とアスカの関係は、今みたいに仲が良かった訳じゃないだろう?
だから、僕が恐れたのは僕がアスカの瞳に映らないことだったんだ。
僕自身の存在を認知してもらえない。
それが、一番怖かったんだ」
「あたしだってそうよ……
シンジが最悪だと思っていたのなら、あたしもそう思っていたんだもの。
あたしはシンジに嫌われていると思っていたし、
シンジにガールフレンドが居ることも知っていたわ。
それに、あたしの手は沢山の人の血で汚れている。
あたしの存在自体、シンジのためにはない方が良いと思っていたもの。
あたしこそ、シンジに過去にされたらどうしようかと怯えていたわ」

アスカはそう言って、シンジの左腕を抱きしめた。

「話を戻すわね。
シンジに抱きしめられて、キスされて、抱かれて……
ああこれなんだって、私が欲しかったのはこれなんだって分かったの。
キス一つ取っても、フランツとしたときとは違っていたわ。
あの時は、どきどきして次のことを期待したけど、
それは、フランツじゃなくても同じ気持ちになれるものだった。
シンジとキスをして、そのことが分かったの。
涙が出るほど、胸が苦しくなることなんて無かったもの。
なくしていたもの、それにようやく巡り会えたそう思ったもの。
だからシンジに抱かれたとき、私も同じことを思ったわ。
ようやくシンジを手に入れたって、私だけの男に出来たって……」

ベッドの中で、他の男の話などするものではない。フランツとキスをしたことを言われたときには、そう言いたいところもシンジにはあった。だが、その後の言葉で自分が何を伝えなければならないのか、シンジははっきりと理解した。

「やっぱり、こういうことは僕から言い出さなくちゃいけないね。
さっきアスカが聞いただろう、もっと先に進みたいかって。
アスカと話していてはっきりと分かったよ。
僕は、アスカを誰にも渡したくない。
僕だけが、アスカのすべてに触れる存在で居たい。
形に囚われるのはおかしいと思うかも知れないよ。
でも形は、周りのみんなに僕たちの心を伝える方法でもあるんだ」

シンジはそう言って、抱きしめられていた左手をアスカの下に回した。そして、アスカをぐっと自分の方へと抱き寄せた。
アスカは、シンジに抱かれながら不思議に自分が冷静な気持ちで居るのに気が付いた。シンジが次に何を言おうとしているのかは想像が付いている。そして、自分の答えも決まっていた。

「アスカ、結婚しよう……
すぐには無理かも知れないけど、僕が高校を卒業したら結婚して欲しい」

答えは分かっている。まっすぐに自分を見るシンジの顔に、そう書いてあるような気がアスカはした。だがアスカは、少しだけ想像と違ったシンジの言葉に失望していた。だから自分を失望させたシンジに、少しだけ意地悪をすることにした。

「嫌よ!」

そう答えたときの、シンジの表情の変化は見物だった。まるでこの世の終わりを見たような顔をしたシンジの首に、アスカは自分の両腕を巻き付けた。

「あたしは、そんなに待てないの!
可及的速やかにあたしの期待に応えなさい!」
「……アスカ、それって……」
「高校卒業まで待たせるなって言うことよ。
経済的なことも含めて、あたし達はそこまで待たなくちゃいけない理由はないわ。
だったら、法律的に問題が無ければすぐに結婚すればいいのよ」

もう少し言い方を選んでくれても良いのにと、シンジは内心文句を垂れていた。

「アスカは、もう結婚できるの?」
「あたしは、既に結婚可能年齢よ。
だから、あんたが18になるのを待てばいいってことよ!」
「僕と結婚してくれるの?」
「あんたこそ、あたしなんかで良いの?」
「アスカじゃなきゃ嫌なんだ!」
「まるでだだっ子の台詞ね。
でも、そっくりそのままお返ししてあげる。
あたしも、シンジじゃなきゃ嫌なのよ」

自分から言い出すことで主導権をとるつもりだったのだが、たった一言で簡単に主導権はアスカの方に移ってしまった。それを悔しいと思うのと同時に、それが自分たちの関係なのだとシンジは変に納得もしていた。

「じゃあ、後2ヶ月とちょっとだね」
「それって、シンジの誕生日のことを言っているの?」

ふむと、アスカは口元に手を当てた。

「まあ、そのあたりで手を打ちますか。
たぶん、いろんな準備に時間がかかるだろうから……」
「準備って?」
「あんたバカぁ~
あたしは、紙切れ一枚で終わらせるつもりなんか無いわよ!
その紙切れ一枚にしたところで、あたしとあんたの組み合わせは面倒なのよ。
婚姻後の国籍の問題とか、届をどうするのかとか……
あたし達の身分を含めて、政府問題になることもあり得るのよ。
2ヶ月で終わらせるのは、それこそウルトラCが必要になるわ」
「なんか、さっき言ってたことと違わない?」
「違ってなんか無いわよ!
あたしは、気持ちの問題を言っているの。
高校卒業までって先延ばしにしたことが許せないのよ。
あたし達はすぐにでも結婚したい。
でも、パイロットという重大な身分が、軽はずみな行動を許してくれない!
それだったら仕方が無いじゃない!!」

興奮して口走ったアスカを、シンジは少し醒めた目で見た。

「アスカ、何か自分に酔ってない?」
「な、なによ、あたしは事実を言った迄よ」
「だったら、いいんだけどね……」

じゃあと、シンジは前向きにこれからのことを口にした。

「アスカは、誰か個人的に報告する人はいる?
僕は、まず両親に許して貰わなくちゃいけないんだけど」

驚かれるだろうな。シンジは、結婚を打ち明けたときの霧島の両親の顔を想像した。

「あたしは、個人とパイロットが重なるから。
強いて言えば、クリスさんとかに報告することかしら?」
「ってことは、僕の両親だけが問題ってことだね」
「問題なの?」

少し不安そうな声を出したアスカに、シンジは少し慌てて言いつくろった。

「問題って言っても、アスカのことじゃないよ。
ほら、僕たちはまだ高校生だろう?
だったら、常識有る大人なら、まず最初に若すぎることを問題にするだろう?」
「世間体ってやつ?」
「それとはちょっと違うと思うよ。
やっぱり、人生の先輩としての心配じゃないかな?」
「人生の一大事だから、もっと時間を掛けなさいって?」

アスカの答えに、多分そうだとシンジは頷いた。

「でもさ、こうして同棲することを認めてくれて居るんでしょう?
だったら、反対されることも無いんじゃないの?」
「逆に、同棲させてあげて居るんだから、
慌てて結論を出す必要はないって言うんじゃないかな?」
「あたし達、何か急ぎすぎてる?」
「よく分からないね。
今僕が感じている気持ちは、決して一過性のものじゃないと思っているよ。
でも、それにしても、渦中に居るからそう思っているだけかも知れないから。
アスカはどう思う?」

シンジに答えを求められて、アスカはうんと考えた。

「やっぱり、あたしも当事者だから……
でも、さっきも言ったでしょう?
今更、他の男なんて考えられないって。
だったら、早いか遅いかの違いだけだと思うの」
「出す結論は同じだから?」
「あたしとのことが遊びじゃなかったらね」
「そんなはずなだろう!!」

慌てたシンジに、どうだかねぇとアスカは目を細めた。

「まじめな話をしているのに、なにか、さっきから当たって居るんだけど?」
「し、仕方がないだろう、若いんだから!!
アスカが、その、暖かくて柔らかくて……」
「じつは、そっちのことだけ考えているとか?」
「ば、ばかな、そ、そんなことはないよ」

慌てなくても良いのに。シンジの様子に、少し虐めすぎたかとアスカは反省した。シンジではないが、自分もそれを意識しだしたとたんに、体の芯が熱くなるのを感じていたのだ。

(あたしも同じか……)

やっぱりサルになっている。アスカは、今の状態を受け入れることにした。

***

不機嫌さを隠さない相方に、本当におもしろい変化だと渚カヲルは感心していた。相方が不機嫌な理由は分かりすぎるほどに分かっている。シンジを取られたことへの不機嫌さに加え、その行動が自分たちの神経を逆撫でしてくれるからである。何しろ、使徒である自分たちが世界の行く末に頭を案じているにも関わらず、その中心に居る二人が、世界のことを忘れて乳繰りあっているのだ。いい加減にしろと言いたくなる気も分かるのだ。

「だからと言って、彼らを責めるわけにはいかないんだけどねぇ」

くつくつと笑いながら、カヲルは相方-綾波レイ-に声を掛けた。

「どうだい、世界の流れは?」
「濁流の中の木の葉……混沌の極み……崩壊への序章」
「僕には、安定方向に向かっているように思えるのだけどね」

カヲルの言葉を、レイはふんと鼻であしらった。

「それは、単なる希望的観測」
「君の意見は、個人的感情が出過ぎているように思えるのだがね」
「私に意見を求めたのはあなた。
だから、私は私の感じたことを話したまで」

どこが悪いのだと、レイは赤い瞳でカヲルをにらみつけた。

「何も状況は変わっていないわ。
世界は相変わらず歪んだまま、使徒もエヴァも存在している。
その中心は……」

カヲルは、レイの口元が少し引きつったのに気が付いた。

「今、お楽しみの真っ最中……」
「確かに、癪に障るねぇ……」

そう言って、カヲルはくつくつとくぐもった笑い声を漏らした。レイは、どんとカヲルを突き飛ばした。

「やっぱり、当初の計画通りあの人を抹殺しましょう!」
「当初の計画って……
その計画通りなら、僕たちも消えることになるのだがね?
レイは、それでも構わないのかい。
それに、シンジ君の望みを叶えたいと言ったのはレイだったはずだよ」

感情から出た言葉に、冷静に反論されれば答えに窮するのは当たり前なのだ。そのためレイは、いくつもの矛盾を含んだ自分の願いに、どうしたものかと真剣に悩んでしまった。そんなレイに、カヲルはもう一度吹き零すと、そろそろ行動を始めようかと持ちかけた。

「シンジ君達には、十分すぎるほど時間を上げたからね。
そろそろ、決着をつけるのも悪くないだろうね」
「どう、決着をつけるというの?」
「それも含めて決着をつけるんだよ。
シンジ君に、どういう決着が好みなのか決めさせるんだよ」
「あなた……」

カヲルの言葉に、レイは大きくその瞳を見開いた。

「ずいぶんといい加減になったわね」
「それが、リリンの影響というものさ」

そう嘯いて、カヲルはにやりと笑って見せた。

続く