<修学旅行3日目 京都市内>
3日目、グループ単位の自由行動である。
当然の事ながらミサトはシンジ達と一緒にいた。マヤは別グループに随行している。
「しかし、さすがに2日も回った後だとメジャーな名所は残ってないわね~」
ガイドブックを見ながらミサトが言った。
最初の2日で金閣寺や清水寺等々代表的な名所は既に回り尽くしている。そのため3日目はその後に残る名所を各々探し回ることとなっている。一応は古文・日本史の授業を兼ねているという話だが真相は不明である。
「古い街並みを歩くだけでも結構楽しいですよ」
シンジが言った。
「そうですね。私こういう所好きです」
マユミも同意する。
「シンジも山岸も渋いね」
ケンスケは古い街並み(をバックにした女性陣)の撮影にいそしんでいる。
「まっセカンドインパクト前なんてレベルの古さじゃないもんね」
マナは辺りの家屋を見回した。
瓦屋根が延々と続くというだけでも実感が違う。第三新東京市ではまず見る事は不可能な景色だ。
「結構、悪くないわね。ヨーロッパの古城なんかとはひと味違うわ」
思いの外楽しんでいる様子のアスカ。
「アスカ、お城とか行ったことあるの?」
「一応ね。ま、いまいちだったけど」
「いいわね。私も一度行ってみたいわ」
「わいは日本の城に行ってみたいけどな」
「そうね鈴原ってそういう感じよね」
一通り意見が回った後あることに気付く一同。
ミサトがこめかみを押さえる。
「…シンジくん」
「すいません。油断してました」
ため息をつくシンジ。
「別にシンジのせいじゃないわよ」
「そうね、悪いのはあいつだわ」
「しゃーないやっちゃな」
フィフスチルドレンこと渚カヲルはこりずに迷子になっていた。
「…不穏な気配がするね。残念なことだ」
常日頃と異なる真剣な表情で呟くカヲル。
カヲルは木造の橋の上に立って川のせせらぎを眺めている…ように見える。
「…僕にも何かするべき事があるのかい?」
「………」
彼の視線の先の少女は無表情のまま答えない。
ただ、その赤い瞳の輝きがわずかに増した。
「…なるほど。今はまだその時では無いというわけだね」
一人で納得したように頷くカヲル。
「…」
少女が不意に視線をずらす。カヲルもその方角に顔を向ける。
目に入るのは岸辺の家々だけだが、カヲルは何かに気付いたようだ。
「…シンジ君が来たようだね」
「………」
少女は無反応だ。
「…会わないのかい?」
「………」
少女はやはり無反応だったが再びカヲルを見る視線は先ほどとはやや異なっていた。
「…そうか、わかったよ」
カヲルは瞳を閉じる。
再び瞳をひらいたとき少女の姿はどこにもなかった。
シンジ達が橋の上に辿り着いた時、カヲルはただ川面を見つめていた。
「いや、みんなすまないね。きれいな鳥が飛んでいたので目で追いかけていたら体の方も追いかけちゃったというわけだよ」
相変わらず屈託のない笑みを浮かべるカヲル。
「…そのうち車にはねられるわよ」
「…その前にドブか川におちるんじゃない」
「…電柱にぶつかるというパターンはありそうですね」
「…ちょっと3人とも」
「…ほんまの所危ないんとちゃいますかミサトさん?」
「…う、あたしもそうは思うんだけどね」
「…シンジ、エヴァのパイロットってこんなのでつとまるのか?」
「…カヲル君、少し変わってるから」
一同ずいっとカヲルを睨むがカヲルは一向に動じなかった。
<京都市内そば屋>
ずずずっとざるそばをすする9名。昼食の最中である。
「シンジの作るおそばもおいしかったけどこれもまた格別ね」
「さすがに本職の人にはかなわないよ」
苦笑するシンジ。
「そぉ?あたしはシンちゃんの作った方がいいけど」
「…ミサトの舌は当てになんないわよ」
「碇君っておそばまで作ってたんですか?」
「昔、何度かね」
「ふーん」
さすがに麺を打つとなると重労働なのでやったことのないヒカリがうなる。
「そういやセンセ、最近は料理しとらんみたいやな」
「弁当も惣流が作ってるみたいだし」
「今はアスカが台所を支配してるもんね~」
ミサトが思わせぶりに言う。
アスカは先の展開が読めるため無視して食事に専念した。しかし、
「へーそうなんですか~」
マナという共犯者がいるときのミサトの冷やかし度は1.5倍(当社比)となる。シンジが絡まなければいい親友なのだが…
「旦那様は座ってて、なんてところですか?」
「そうなのよ。まるで新婚家庭でしょ?」
「ミサト先生も大変でしょ~」
「あ、わかる? もぉ当てられて当てられて」
パキッ
アスカの手の中で割り箸が二つに折れた。
「ア、アスカ?」
シンジが心配そうに顔をうかがう。
「大丈夫よシンジ。いつまでも子供じみたからかいに付き合うなんて大人のすることじゃないものね」
と、懸命に普通の顔を保ち新しい割り箸をとるアスカ。
「…結構こらえるわね」
「ミサト先生が年中からかってるから耐性ができたんじゃないですか?」
「甘いわマユミ。腐ってもあの惣流アスカラングレーよ。爆発するのは時間の問題よ」
「だったらマナもいい加減にしなさいよ」
女性陣の話をよそにぽつりとカヲル。
「ふーん。ところで二人はいつ結婚するんだい?」
バキッ
二つに割られる前の割り箸が中央から二つに折れた。
すくっと立ち上がるとテーブルを離れていくアスカ。
「アスカ、どこいくの~?」
ミサトが陽気に聞いた。
「お手洗いよ!!」
団体様ご歓迎と看板に掲げている店だけあって化粧室も奥に広いスペースをとっている。
アスカは肩をいからせながら歩いていた。
「…んとにまったくあの腐れ使徒は…………?」
何かに気付きふと立ち止まるアスカ。
テーブルにいた時と違い妙に静寂感が漂っている。
なにか…なにか違和感を感じる。
それは久しく感じたことの無い空気だ。
この場をすぐに離れた方が…
「な…に?」
シュッ
微かな音がした。
すぐに意識が遠くなっていく。
(そんな…催眠ガ…)
アスカの姿が見えなくなってからカヲルが言った。
「何か悪いことを言ったかな?」
はぁ、とため息をつく一同。
もっともミサトは一人上機嫌でぽんぽんとカヲルの肩を叩く。
「いーのいーの、この調子でよろしくねん」
「いえどういたしまして」
「ミサトさ……………?」
ミサトをたしなめようとしたシンジがしゃべる途中で固まる。
「どうしたのシンジくん?」
「何か…においませんか?」
そう答えるシンジの表情が徐々に変わっていく。
「え、そう?」
鼻をくんくんさせるマナ。
「そーいや、なんか嗅ぎ慣れたようなにおいが…なんやったかな?」
鼻のいいトウジが言った。
「確かに僕も…」
怪訝そうな表情を浮かべるカヲル。
「エヴァのパイロットって鼻もいいのかな?」
「エヴァって何か臭うんですか?」
「生ものやないんやさかい、そんな…あ、思い出したわ」
「そうかLCLに似てい…」
カヲルの顔が険しくなる。
すばやく視線を交わすミサトとシンジ。
うなずくミサト。シンジは席を立つと店の奥へ向かった。
ミサトは携帯を取り出し、短縮ボタンを押す。
「おいシンジ!?」
トウジの呼びかけにシンジは足を止めもしない。
「…ミサトさん」
なじみがないわけではない空気を感じて言外に問い掛けるマナ。
マナだけにわかるように目で答えながらミサトは他の面々を安心させるように言った。
「アスカの様子を見に行ってもらっただけよ。あなたたちはここにいて…あ、日向君?」
訳が分からず座ることしかできないトウジ達。
その中でカヲルは一人何かを探るかのようにじっと目を閉じていた。
<ネルフ本部発令所>
「葛城一佐から連絡が入りました!!」
日向が司令塔に向かって報告する。リツコから報告を受けていた冬月が振り返る。
「内容は?」
「ケース202です!」
「20…アスカ君か」
表情一つ変えることなく冬月は命令を発した。
「総員第一種警戒態勢!!」
サイレンが鳴り響き、MAGIのアナウンスが始まる。
『総員第一種警戒態勢、総員第一種警戒態勢、各員…』
「周囲に展開中の部隊は?」
青葉に尋ねる。
「保安部の4個小隊です。うち1小隊は………5分前からLOST!?」
「何でこっちに報告が来てないんだ!?」
日向が怒鳴る。
「わかりません! 保安部からの報告では…続けて2番目もLOST!」
『京都周辺のネットワーク回線で広範囲にノイズ発生!』
「対処用プログラム3番から5番まで即時放出!」
オペレータの報告に叫ぶリツコ。発令所内各所のオペレータ達の動きが慌しくなる。
「保安部の件は後回しだ! 戦自の部隊は?」
「現在展開中。ですが展開終了まで10分はかかります!!」
「やむをえんか…」
警報がなり、メインスクリーンがMAGIのモニターに切り替わる。
『EMERGENCY』
スクリーンを覆い尽くすメッセージ。
冬月とリツコの顔色が変わる。
「ネルフ本部に対しハッキング!」
「目標は保安部データバンクに侵入!」
「早いな!」
報告しながら青葉と日向と彼らの部下達が侵入者撃退に当たる。
「回線封鎖完了、敵性体に対し攻勢プログラ…え? 侵入者消滅、回線遮断…」
あまりのあっけなさに日向も唖然となる。
「…もろすぎるな」
「ええ、MAGIの防衛段階を変更した方がいいでしょう。場合によっては封鎖の必要が…」
冬月とリツコが顔はますます厳しくなっていく。
再び、青葉が叫んだ。
「再度ハッキング!…いえ、排除終了。両者に…続けて3回線から同時に侵入!」
「どうなってるんだ…」
日向がうなる。もっとも、ここにミサトがいたら既に解答を導いていたかも知れない。
「敵性体三者とも排除。先の二つとほぼ同レベルと推測されます!」
「再度侵入! 今度は5回線からです!!」
「………」
リツコは無言で司令塔を降りていく。
「何が狙いだ…」
冬月は眉間に一際皺を寄せた。
<そば屋化粧室>
「……………」
シンジの目の前は血の海だった。
店の店員と変装した保安部員が数人、血塗れで倒れている。
喉を切られたのが直接の死因の様だが、はっきりしないのはその後めった刺しにされているためだ。
(…プロには違いないが二流だな)
辺りを見回し敵の力量を推察する。
殺害後の無意味な行為に、辺り構わず残った痕跡。
(…雇われ殺し屋レベルか?)
(…いや、違うな。そう思わせておいて)
あくまで最悪の可能性を考慮しておかなくてはならない。
(…アスカはまだ無事だ)
そう考えて気を落ち着けるシンジ。
携帯を取り出すと保安部を呼び出した。
『………現在、回線が非常に混み合っております。しばらくしてからお掛け直し下さい』
やけに長い呼び出し音の後に帰ってきたのはそんなメッセージだった。
直通回線が阻害され、通常民間回線もまた妨害されている。
「………なるほど」
内心焦っていたシンジの頭が冷静になっていき、神経が静かに研ぎ澄まされていく。
(絶対不健康だよな、こういうのって)
異常事態や危険を前にすると返って冷静になるという一種の職業病に陥っている自分自身に対して笑みを浮かべると、シンジはかすかに残るガスの臭いを血の臭いからかぎ分けた。
耳がかすかな音を捉えたときシンジは既に跳んでいた。
<京都市内路上>
「shit!!」
ジャネットは舌打ちした。
二台の乗用車が前方を塞ぐ形で左右から飛び出したためアスカを乗せた車を取り逃がしてしまったのだ。徒歩、それもバスガイド姿で乗用車に追いつけたかどうかも問題だがそれはそれ。
直後、小気味良い破裂音が連続して続いた。
「ジョニー! “ワルキューレ”をロスト! そっちは!?」
レシーバーに叫びながらサブマシンガンのマガジンを交換するジャネット。
『…おいおいこっちは観光バスだぞ? 追いかけるだけ無駄だ。シンジに早めに知らせなかったのが裏目に出たな』
相棒の報告を聞きながら自分の方へ転がってきた車のタイヤを蹴り飛ばすジャネット。
「…すんだことは仕方ないわね。あたしは一応こいつらを調べてから合流する」
『了解。こっちは“ピュアレディ”の回収に向かう』
通信が切れるとジャネットは二台の乗用車を眺める。
「…とはいったものの調べるところなんて残ってないわね」
ジャネットが蜂の巣にしたあげく手榴弾で爆砕した車は真っ赤な炎と真っ黒な煙を上げていた。
シンジはなるべく人を殺したくないと思っている。
それは戦場においては単に甘いだけでしかない。
訓練中もその甘さゆえ幾度となく病院に担ぎ込まれることとなった。
それでもシンジはその気持ちを捨てたくはなかった。
そして、今のシンジの実力であれば相手を殺さずに制圧することも可能である。
生かしておけばアスカの情報も手に入れられるかも知れない。
だが…
今は確実に息の根を止めなくてはならない、しかも一撃で。
自分一人ならどうとでもなるがすぐ近くにはミサト達がいる。
躊躇している間に被害が増えることはなんとしても避けなければならない。
多勢に無勢、こちらは素手。
迷いは…無かった
何かが砕ける音が数回、ほぼ同時に聞こえた。
シンジがその場を立ち去った後、血の海に横たわる人間の数は数名増えていた。
「…もしもし?日向君!?ちょっと返事しなさいよ!」
突如通話が途切れた。ミサトは反射的に怒鳴りつけるが、携帯にいくら怒鳴っても返事は返ってこない。
(ま、わかっちゃいるけど)
戻ってきたシンジを見つけて携帯をしまうミサト。
「ミサトさん」
「どうだった?」
トウジ達から少し離れる二人。
「思った通りです」
ミサトの顔が一段と険しくなる。
「そう…アスカはよりにもよって他の男とデートの最中というわけね」
「…女性かも知れませんよ」
わずかに聞こえてくる内容はふざけていても顔は真剣なためトウジ達も二人に話しかけられない。
「保安部も潰された様です。近くにジャネットとジョニーがいるはずですから、ミサトさんはみんなをつれて合流して下さい」
「ちょっとシンジくん!」
「僕はアスカを迎えに行きます」
断固とした口調でシンジが言った。
「………」
「………」
一段と小声でミサトが言った。
「…足手まといかしら?」
「そんなことはありません。ですがカヲル君やトウジ達の護衛が必要です」
「敵はシンジくんを目的にしてるのかもしれないわ」
「でも、二人は放っておけません。しかし、アスカも急いで追いかけなければなりません」
「お困りのようだねお二人さん」
「「加持(さん)!?」」
二人の間に加持が顔を出した。
<発令所>
「この程度の力しかないのにMAGIに喧嘩を売るとは妙ね。それとも余程の馬鹿かしら?」
「そうですね。この程度なら松代の2号機で余裕で対処できます」
リツコと日向はあまりにも弱体な侵入者について話し合っていた。
後ろでは青葉がひっきりなしに侵入と排除を報告している。
音楽の練習で鍛えた彼の声は残念ながら仕事場において役に立っているようだ。
「それで、MAGIの分析は?」
「90.9%の確率で時間稼ぎです」
「…なるほどね」
「つまり、敵は本部に対し絶え間なく攻撃を続けることで、我々が京都に対し直接ないし間接の支援行動を行うのを阻害しているというわけだな?」
報告を聞いた冬月が言った。
「はい。侵入回線はバラバラで発信源も世界各地に点在しています。これらを逆トレースして物理的に排除して回ることは可能ですが、敵の狙いが時間稼ぎであるならば時間と人員が掛かるだけで無意味です」
「しゃらくさいまねを…」
忌々しげに呟く冬月。
「それで肝心の京都のサポートはどうなっているのかね?」
「MAGIが自己防衛を行わなければならないため予定の3割も行えていません。松代など他の支部経由も考えましたが京都自体のネットワークは規模が小さいため…」
日向は言葉を濁した。
「満足にはいかんか…しかも、本部の人員もおかげで大忙しだな」
冬月はてんやわんやの発令所を見下ろした。
マヤは京都、日向はミサトの代理でゲンドウ達の所にいるため青葉が一人で必死に切り盛りしている。
「…敵は象に群がる蟻のようなものだ。まともにやっても勝てない事を知っている」
ゲンドウが呟く。
「京都への回線を維持するためにも本部と外部との通信を遮断することはできません。である以上、全ての敵を排除するまではこの状態が続くことになります」
「だが敵は戦力を小出しにして持久戦か…それで、肝心の京都の状況は?」
「現在、戦自からの報告のみで詳細は不明ですが、1300時に加持三佐が京都に入りましたのでまもなく情報が入ると思われます」
「どうする碇?」
「………」
<そば屋店内>
「冗談じゃないわ! 行くったら行くわよ!」
「おい葛城、これは俺達のしご…」
「関係ないわ! 嫁入り前の妹を連れ去られて、はいそうですか、とおとなしくしていられるほど大人じゃないのよ私は!!」
ネルフ保安部の残存部隊が封鎖したそば屋の店内に大声が響いていた。気の毒な店員達は現在別の場所で、加持が手配した日本政府筋によって事情聴取という名の尋問を受けているはずだ。
「ミサトさん、声が大きいですよ」
シンジはそういって横目でトウジ達を見る。
トウジ達は話術巧みなジャネットとぎこちないながらも会話を続けているのだが、カヲルの笑みがいつもとやや違っている気がして少し気にかかる。
「どうするシンジくん?」
「加持さんが決めて下さいよ。一応は上官なんですから」
「階級はあいにくと葛城の方が上でね。未来の総司令命令、ってのは無理か」
『絶対行く!』と顔に書いたミサトの方をうかがう。発令所に居るときと異なり、上司も部下もいないせいか地が出ている様だ。
「ところで肝心のアスカは?」
「あっちこっち走り回っているようだ。こっちの目をまくためだろうが…どうやら東の方向に向かっているらしい」
ミサトと話す傍ら、加持は耳に差し込んだイヤホンでずっと各種報告や通信を聞き指示を出している。
ジャネットやネルフ保安部の追跡を振り切った誘拐犯達だったが戦自の追跡部隊…さすがに日本国内は彼らの方が専門である…による徹底的な監視を受けていた。
「戦自は?」
「さすがにおおっぴらに道路封鎖ともいかんからな。適度に警戒線を張って時間稼ぎをしてもらっている」
アスカがいなければ誘拐犯達がとっくに地上から消滅しているのは疑いようのない事実だ。自国内で世界レベルのVIPを誘拐されたとあっては諸外国に対する面目丸潰れである。犯人を発見次第、町中だろうとお構いなしにロケット弾の二三発も撃ち込むだろう。あくまでもアスカを拘束しているからこそ悠々と走っていられるのだ。
「…仕方ない。葛城も連れていくか」
「…そうですね、時間がもったいないですし」
嘆息する男二人。
「本部のサポートもないし、何かの役には立つだろう」
決定すれば行動は早い。すぐさま3人は店を飛び出した。
「なによ、ここは…」
アスカは辺りを見回した。
周囲は赤と白に彩られている。
白い大地に赤い湖。
空は暗黒。
湖の岸に自分は立っている。
寄せては返す赤い波。
赤い水…LCL?
湖の中央には巨大な白い人型の物体が存在していた。
それが一体何なのか、自分が知っている
知っている気がするのに思い出せない。
「…えーと、私何やってたんだっけ?」
たしか………………思い出せない。
「それにしてもシンジは何やってんのよ! アタシをこんなところに一人に…」
一人
…一人
……ひとり
………ヒトリ
アスカの体が震え出す。
…何よ、何だってのよ! 私は大丈夫。昔の私じゃない! 一人でいいって強がって大丈夫ぶっていたけど本当は寂しかった私じゃ…
「…それって結局、一人がイヤということには違いないか。…ねえシンジどこ?早く迎えに来てよ」
涙がこぼれ落ちる。
それもかまわない。
シンジがいないと寂しいのは本当だから。
『何を願うの? 何を望むの?』
<ネルフ本部発令所>
技術部長赤木リツコ博士はご立腹だった。
言ってみれば蚊の群に取り囲まれているようなものだ。うっとうしくて払っても払ってもきりがなく、たまに刺されると痛いわけではないが腹が立つことこの上ない。おまけに…
(…うちの可愛いお嫁さんをさらっていくなんていい度胸じゃない!!)
日頃沈着冷静、ともすれば冷酷で通っているリツコの心の中はゴゴゴゴゴゴと音を立てて煮えくり返っていた。
作戦部長葛城一佐が同じ心境であるのは想像に難くない。
(くわばらくわばら)
今、二人が同じ場所にいないのは実に幸運だと日向は感じていた。
「伊吹一尉からです」
ジョニーのバスと合流したのだろう、マヤからの連絡が入る。もっとも簡潔な電子メールだけだが。
「それじゃ反撃開始といくわよ。飛んで火にいる夏の虫という言葉を身をもって教えてあげるわ」
<軍用ジープ車中>
『ピーピー』
音がしたのはシンジのトランクだった。
「あ、リツコさんみたいです」
「…リツコ? いっ?」
ミサトの見ている前でシンジがトランクを開くと簡易端末…当然、並のコンピュータではない…が立ち上がる。
(まぁた、趣味に走ってるわねぇ)
スパイ映画の小道具のようなトランクの中身を見て嘆息するミサト。
「やっとつながったか」
「やっと? まさか本部にもなにか?」
加持の声を聞いて、ミサトの顔が一層険しくなる。
「ま、ちょっとした嫌がらせだな、あれは。さぞかしリっちゃんはご立腹だろうよ。シンジくん運転を代わってくれ」
「わかりました」
一旦停止し交代したシンジの運転で走り出した車の助手席で加持は端末を操作する。
回線を開くとすぐさま膨大なデータが表示される。
「この回線は大丈夫なの?」
「衛星を介してはいますが、一応バスのマヤさんに直結です。その先は同様に本部のリツコさんへ」
「この回線に割り込む時は1分毎にマシンの買い換えを検討した方がいい…シンジくん、ナビにデータを送る。誘導に従ってくれ」
言いながら加持は端末から通信ケーブルを引き出す。
「わかりました」
「それにしても戦自は何やってんのよ!?」
ミサトはまだ怒っているようだ。
「道をあけてるのさ、相手が逃げやすいようにな」
3人を乗せたジープは山道へ向かって疾走していった。
声のした方角に振り返るアスカ。
蒼い瞳が一人の少女の姿を認識する。
「レイ? …違う。ファースト…綾波レイね」
制服姿のレイが立っていた。
14歳のままの姿で。
その体はぼんやりとしていて白く光っているようにも見える。
…いいえ、ファーストの体が白いの?
『何を願うの? 何を望むの?』
無表情に繰り返すレイ。
「…相変わらず愛想が無いわね」
一人じゃないと分かって安心したのか少し落ち着いた口調で話すアスカ。
「いったいここはどこなの? どうしてこんな所にいるの? 知ってるなら教えなさいよ!」
かすかにレイの視線がうつむく。
『…そう、あなたは覚えていないの。…それとも忘れたの?』
…そうだ、こいつはこういう付き合いにくい奴だったんだ。
そう思いつつ頭をかくアスカ。
「…とりあえず記憶にないわね、こんなわけわかんないところ」
『…ここは世界の一つの形。碇くんが願った世界の一つ』
「…シンジが?」
…シンジが願った? こんな何もない寂しい世界を?
『本当よ。世界は一度はこの形になったの』
「一度は?」
『碇くんが最後に願った世界が今の世界の形。あなたが当たり前と感じている世界の形』
アスカは考え込む。
レイはじっと待っている。
アスカは顔を上げると言った。
「…サードインパクト?」
『すべてのヒトが一つの存在になり互いの欠けた心を補完し合う。
それが心の補完。
それが人類補完計画』
「………」
アスカは黙って聞いている。
『ヒトは一つになった。
でも、また別れた。
それに耐えられないヒトは消えてしまった。
それがサードインパクト』
「………」
『一つになった心は傷つかない。でも、それは同時に例えようもない孤独』
「………」
『他人が存在するから初めて自分が存在する。
他人と触れ合うことでヒトは怒り、哀しみ、傷つく。
でも喜び、楽しみ、笑うことができる。
他人を、何より自分を完全に理解することはできない。
でも、だからこそ理解しようとヒトは努力する。
だから碇くんは願った。
再び、心の壁・ATフィールドが自分と他人を分かつことを』
「それが…」
『それが碇くんの願った世界。碇くんが望んだサードインパクト』
「シンジの願い、シンジの望み…」
アスカは繰り返すように呟く。
レイは再びアスカを視線で射抜くように言った。
『あなたは何を願うの? 何を望むの?』
<京都市郊外軍用ジープ車内>
「それで相手はどこの所属かわかりましたか?」
シンジは前を見たまま言った。
誘導通りならまもなくアスカを乗せた車を捕捉できるはずだ。
「まぁ問題といえば問題だが、赤木もそれどころじゃないらしいな」
既にネルフ本部…この場合MAGIと同義だが…は侵入者達の殲滅を最優先で行っている。加持たちのサポートは最小限のラインを松代との間に確保し、戦自のバックアップに任せっきり、要するに、京都での対処は全て加持に任せられている。
「もっともどこか判明する前に潰しちまうだろうなぁ…」
(まぁ信頼してくれているのは結構なことさ)
口に出したことと別なことを考えながら加持は肩をすくめた。
実際の所、ほとんど戦力を失った保安部はトウジ達のガードに回し、戦自の戦力のみで加持は行動していた。ネルフ側の戦力は今この場にいる人間のみである。そして、加持は最重要事項であるアスカの奪還はこの場の人間だけで行うつもりでいた。
「それにしても変ですね」
シンジは胸の中で燻っていた疑念を口にする。
加持も同意する。
「そうだな。アスカをさらうときの手際は見事だが逃走経路の方はおそまつきわまりない。それでいて本部に攻勢を仕掛けるだけの力がある」
「複数の組織による共犯でしょうか?」
「わからん。ま、面倒なことは本部の連中にお願いするさ」
「そうですね。今はまずアスカを取り返さないと」
後部座席のミサトは淡々と話すシンジの顔を見ていた。
その表情には変化が感じられない。
(…アスカがさらわれて怒り心頭かと思ったけど)
そんな感じはしない。
焦っているようにも見えない。
「どうした葛城?」
モニターから顔を起こし加持が言った。
「え?ああ、その………シンジくんがあんまり冷静なんで驚いてるのよ」
「………」
シンジは前を向いたままだ。
「あ、別にシンジくんが冷たいとか言うんじゃなくて…」
「わかってます。…僕だって本当は焦ってるんです。こうなる可能性が高いのは最初からわかっていたのにそれを防げなかった。護衛としては失格ですね」
そう、シンジにとって最大級の失敗だ。紛れもなく油断によるもの。責められるべきは保安部でもジョニー達でもなく自分自身だ。
シンジも当然尾行者の存在には気付いていた。ジョニー達からも何度も報告を聞いていた。それでも放置して置いたのは状況からして単なる監視員に過ぎないと判断したからだ。彼らが火器の類を持っていないのは確認されていた。無論、他にも人を殺す方法はいくつかあるが、その場合はシンジや保安部員達が介入する間がある。ゆえに無用の戦闘は避けたのである。
出来ることなら友人の目の前で人殺しはしたくない。
シンジの偽らざる本心だ。
そしてアスカの場合もアスカが席を立つのと前後して一般客を装った保安部員達が化粧室に向かうのを確認していた。
が、結果はこの有様である。
(…甘いな、僕は)
加持は無言で端末を睨んでいる。
(…だがなシンジくん。疑わしきは殺せ、そんなのは寂しいだろ?)
口には出さない。シンジもきっとわかっているはずだ。
「僕はアスカをさらった奴らを許せません。それは僕の本当の気持ちです。でも、それ以上に守りきれなかった自分を許せないんです。だから、アスカを助けるために冷静に相手を憎み、冷静に怒っているんです」
「…そっか」
ミサトはふっと肩の力を抜くとシートにもたれた。
「ミサトさん?」
「…シンジくんは知らない内にあたしより大人になってたのね」
「そんなことないですよ。僕はまだまだ子供です」
自嘲気味に呟くシンジ。
「…そう? ま、そういうことにしときましょうか。…でもね、あたしもまだまだ子供なの」
そう言って笑みを浮かべるミサト。
「おや、それは初耳」
キーを叩く指を止める加持。
「えへへ。…だからシンジくんを見習って冷静に相手を憎むわ」
ミサトの顔が引き締まる。先刻までとはまったく別の顔、世界に誇るネルフの作戦部長の顔だ。
シンジと加持はちらっと視線を交わす。ハンディキャップが強力な助っ人にかわったという事を確認するために。
すでにミサトの頭脳はウォーミングアップからフル回転に映っていた。勘が次第に研ぎ澄まされていく。普段のミサトの勘はまるで当てにならないが作戦中の勘は命を預けるに値する。