第拾六話 絆

「加持さん、今日は泊まっていってくれない?」

皆が帰った後、後片付けを(家主の代理として)手伝ってくれている加持にアスカが言った。

「は?」

皿を拭く手を止めて辺りをさっと見回す。

ミサトは入浴中。

シンジは手伝うな、と言われてリビングで転がっている。

「だからぁ今夜は帰らないで欲しいの」

アスカは繰り返した。

世の男の大半は間違いなくあらぬ事を想像して舞い上がることだろう。

(…一人暮らしの女の子に誘われたわけじゃあるまいに。)

加持はちらりと考えて返事する。

「まあ用事があるわけじゃないし別に構わないが…わけを聞いてもいいかい?」

「加持さんと朝食を食べたいっていうんじゃ駄目?」

アスカはにっこりと笑った。

「そいつは光栄だが…それだけじゃあるまい?」

「そのうちわかるわ」

悪戯っぽく笑うとアスカは洗い物に戻った。

すでに加持が泊まるものと決めてかかっている。

(…まあ確かに泊まるわな、これだけ言われたら。)

それに加持が葛城家に泊まるのは最近では珍しくない。

仕事が楽になったのもあるが、加持にも人並みにおいしい食事をしたいという願望があるためもある。

「ま、いいさ」

 

 

「さてと、時間は…」

ミサトは時計を見た。

午前1時ちょうど。

明日は日曜日、問題は何もない。

「ふーいい湯だった…おい」

風呂を出た加持は葛城家に泊まるときの寝床であるリビングに入ったのだが、そこではちょうどミサトがビールの栓を開けようとしていた。

「まだ飲むのか?」

「明日は日曜だしねー。ほら、加持君もやりなさいよ」

そういって加持にコップを渡す。

「へいへい。しかしもうツマミはないぞ」

あぐらをかいて座り込む浴衣姿の加持。相変わらずタンクトップとショートパンツのミサトと向かい合う姿はなんとも妙な雰囲気である。

「それが問題ね。シンちゃんとアスカは?」

「シンジくんには一番風呂に入ってもらったからな、もう寝てるんじゃないか? アスカももうそろそろ寝る頃だろう」

「さすがに今日はもう頼めないか、仕方がないわねあたしが…」

腰を浮かすミサトを慌てて止める加持。

「ま、待て葛城! 何か作ろうにもたぶんもう材料が無いだろう?」

「明日の朝食用になんかあるでしょ」

「そんなことをしたら明日は一滴たりともビールを飲ませてもらえないぞ!」

「…それもそうね」

仕方なく座るミサト。

ほっと胸をなで下ろす加持。

そのとき、シンジの声が聞こえた。

 

「アスカ!?」

 

「あれシンちゃん?」

「どうかしたかな?」

ダダダダダダ!

音を立てて走ってきたシンジがリビングに現れる。

さっと見渡しアスカがいないのに気付くと今度はアスカの部屋に向かった。

「あ、シンちゃ…」

「いっちまったな」

声を掛けるまもなくシンジは消えた。

何を思ったのかニンマリと笑うと缶ビールを持って立ち上がるミサト。

「葛城?」

「ツマミができたわ」

そういうと足音を忍ばせてリビングを出ていく。

「やれやれ…」

加持は肩をすくめると後を追った。

 

シンジが叫んでリビングに走っていった。

リビングにいないのに気付いたのだろう。足音が近づいてくる。

アスカは深く息を吸い込むと心を落ち着けた。

(…アスカ、行くわよ)

ノックすら忘れて部屋の扉が開け放たれる。

「アス…カ?」

思いも寄らぬ光景に思わず声が止まるシンジ。

扉を開いたシンジの目の前、床に正座したアスカが両手をついて頭を下げている。

「あ、あの………」

さすがのシンジも当惑しているようだ。

とどめとばかりに衝撃的内容を告げるアスカ。

「…ふつつかものですが末永くよろしくお願いいたします」


「ちょ、ちょっと待ったあ!!」

思わず叫ぶミサト。

「い、いったい何!? アスカ、シンジくん!?」

シンジは放心状態、アスカは頭を下げたままだ。

「どれどれ…」

加持は原因と思われる紙をシンジの手から取り上げる。

ミサトも横からのぞき込んだ。

しばし沈黙する二人。

「「…婚姻届」」

第三新東京市市役所発行の婚姻届である。

妻の覧には既にアスカの名前が記入されている。

「…なるほど…これが…誕生日プレゼント…というわけね…」

「…俺達の…一歩先を考えているとは…さすがはアスカ…というべきか…」

二人の話を聞いて我に返るシンジ。

アスカは先程の姿勢のままである。

「ア、アスカ」

「…こんな私で良かったらもらってやって」

「………」

「………」

ミサトも加持もシンジの返事を待つ。

シンジはアスカの前で膝をつくと両肩に手を掛けアスカの体を起こした。

真っ赤になって照れているかと思ったが、予想と違いアスカの顔は真剣そのものである。

何とか言うべき言葉をシンジは探す。

「…あのさアスカ、こういうことは男の方から言い出すものなんじゃないかな?」

「好きって言ってくれたのはシンジの方からだったわ。だから今度は私。フェアじゃないと嫌なの」

「そういう問題じゃ…」

「私にとってはそういう問題なの。シンジとは対等の立場でいたいもの」

…それがこれからの私達にとって大切なこと

シンジは黙り込む。

「まだ早いってシンジは思うかも知れないわね。実際、私もそう思ったわ。それでもこれがこの1ヶ月考えて考えて考え抜いた結果よ。私は一分一秒でも早く一緒になりたいの」

口を挟むべきではないと思いつつもミサトは口を開いた。

「シンジ君。アスカはエヴァのパイロットであろうとなかろうとネルフに就職することを決めたわ。それはつまりいずれネルフの総司令となるシンジ君といつでも一緒にいるための道を選んだということよ」

「ま、ちょっと過激な方法ではあるがな」

加持が柔らかい口調で言った。

じっとアスカの瞳を見るシンジ。

アスカも瞬きせずに見返した。

 

 

「…加持さん」

アスカの瞳から目を逸らさずにシンジは言った。

「なんだいシンジ君?」

「…たしか未成年の婚姻届には証人が必要だったと思います。サインしてもらえますか?」

アスカがはっと息をのむ。

「もちろん。な、葛城」

即答する加持。その後ミサトに視線を移す。

「………」

ミサトは悩んでいた。

本当にこれでいいのか?

このまま結婚させていいのか?

自分は二人の家族として真剣に答えを考えなければならない。

シンジはじっと答えを待っている。

アスカはそのシンジをじっと見つめている。

 

2年前…もう3年になるのね。

あまりに対照的でそれでいてあまりに似すぎていた少年と少女。

自分が二人を引き取った時、いや二人があの空母の上で出会った時これは定められていたのだろうか?

そう考えてからミサトはそれをうち消した。

違う、この世に定められたことなんてなにもない。

この子達は自らの意志と力で運命の激流を乗り越えた。

その結果としてこの道を選びとったのよ。

だから私は…

 

ミサトは深く息を吐き、そしてにっこりと笑った。

「ま、何にしても先を越されたのはシャクだわね~」

そういって加持の手から婚姻届を受け取った。

「ありがとうございます」

シンジは礼を言った。そして、目を閉じる。

『…自分で考え自分で決めろ。自分が今何をすべきなのか。ま、後悔のないようにな。』

それが加持が言ってくれた言葉。そして今はもう自らの身体の一部となった言葉。

目を開きアスカに告げる。

「結婚しよう、アスカ。

そして、二人で幸せになろう」

「………シンジ」

アスカの目が潤み、涙がこぼれる。

美しい水滴を散らしながらアスカはシンジに抱きついた。

「うん。私達二人で幸せになろう」

「うん。だから僕たちはずっと一緒だ」

「ずっと一緒…」

瞳を閉じるアスカ。

(…でも)

そんなことは考えたくもない。

こんな時に言うことではない。

でも、だからこそ言わなくてはならない。

「でも、もし…もし、いつか離ればなれになることがあったとしても、そばにいることができなくても、心は一緒よ」

シンジも瞳を閉じアスカの言葉の意味を考える。

…一緒にいる、本当の意味。ただそこにいるだけでは意味がない。だから

「そうだね…もし何かの理由で離れていることがあっても僕たちは常に一緒だ」

そばにいなければ耐えられないような関係。

そんなのは違う。

僕たちが望む物じゃない。

「そうよ。レイと同じ。姿は見えなくてもいつも一緒」

あいつは今もいる。

「それを忘れないことが本当に一緒だということ」

そうだよ。

「…シンジ」

「何?」

「幸せになろうね」

「うん」

そのままアスカはシンジの胸に顔を埋め泣き崩れた。

シンジはその背中に手を回すとアスカを強く抱きしめる。

 

二人を見ていた加持は肩をすくめてミサトを見た。

「…とはいえ明日は日曜日だ。どうする葛城? 無理矢理ねじこむか? 所詮は書類上のことだしな」

「こういうのは月曜日に役所に行った方が趣があっていいのよ」

婚姻届をひらひらと振るミサト。

「そういうもんかな?」

「ま、いいんじゃない。さて、明日はいろいろと段取りがあるし、もう寝ましょ」

「段取り?」

「そ、段取り。ほら行くわよ」

加持の腕をひっぱりミサトは部屋を出た。

「いいのか?」

ミサトが二人を冷やかすのだとばかり思っていた加持。

「…あたしだってこんなときまで野暮じゃないわよ」

優しい顔をしたミサトを見て加持は相好を崩した。