第壱話 帰宅

<7番ケイジ>

四つのモノアイがアスカを見下ろしていた。

正確にはアスカを見ているわけではない。

なぜならその目に光が宿ることはもはやないからだ。

最後の戦いで徹底的に破壊されたエヴァンゲリオン弐号機。

だがサードインパクトの後、弐号機は傷一つない姿でジオフロントに横たわっていた。

それもまたリリスの癒しの一部なのだろうか?

ネルフが下した決定は無期限凍結。

弐号機はケイジに安置され安らかな眠りについた。

壱高の制服の腰に手を当て弐号機を見上げているアスカ。

「…また来ちゃった。私もまだまだ弱虫ね、ママ」

無論、答えは返っては来ないのだが構わない。

「弱虫、か」

視線を左に向ける。

ただ安置されている弐号機と違い、硬化ベークライトで厳重に封印された初号機が目に入った。見えるのは紫色の頭部だけ。その眼窩にも光はない。

「バカシンジ…」

無意識のつぶやきは誰の耳にも入ることはなくケイジに消えていった。

<リツコの研究室>

「アスカいる~?」

旧友の研究室に入るなりミサトは言った。

この部屋は正確には技術局一課研究室とかなんとかいう名前だが、『リツコの研究室』という名前がもっとも実状に即しており、本部内の通称もそれに準じている。

そのまま遠慮せず中を見回していたミサトは、目的の人物がいないのを確認した。

「…ここでもないか」

そこでやっとモニターから顔を上げる研究室の主。

「どうしたのミサト?今日はもうあがりでしょ」

こっちはこれから残業だけどね、という皮肉を込めて尋ねるリツコ。

「へへへ~残業ご苦労様。まぁリツコあってのネルフだもんね~」

そういってミサトはご機嫌をとった。

実際問題として相も変わらずリツコは忙しい。

使徒の殲滅を終えて暇になった作戦部と違ってネルフのオーバーテクノロジーを管理している技術部の仕事量は以前とさしてかわらない。研究・開発に専念できるようになっただけマシなのだがリツコには更に忙しくなる理由が別にあった。それゆえ毎日ネルフに来ているわけではないし、一日中仕事に専念出来るわけでもない。下手をすると使徒が襲来していた昔の頃の方が暇だったかもしれない。

「…心にもないことは言わないことね」

それらの事情を反映したリツコの言葉はそっけなかった。眼鏡の奥の目が冷たい光を放っている。

「ごめんちょ。ところで、アスカ見なかった?一緒に帰ろうと思ったんだけどどこにもいないのよ」

「ミサトの車に乗る危険性をやっと認識したんじゃないかしら?」

「あによ、今日はやけにつっかかるわね」

ミサトは口を尖らせた。

「…別に」

リツコは素知らぬ顔でモニターに向かう。

(…むっかつくわねぇ)

ミサトの頭脳がリツコにやりかえす方法を捜すべく猛回転を始める。同時に情報を集めるべく無意識に視線をあたりにさまよわせる。すると答えがあっさりと導かれた。

「あ、そっか」

「何?」

「確か碇司令、今日は珍しく早くあがるって話よねぇ」

ミサトの顔が独特のニヤニヤした笑顔に変わる。

ゲンドウのニヤリ顔とはひと味違うが、ろくでもないことには変わりない。

「…そ、それがどうかしたのかしら?」

顔は冷静だが声は動揺しているリツコ。

「結婚してまだ2年だもんねぇ~早く帰りたいわよねぇ?」

ミサトはずいと身を乗り出しリツコの机に肘をついた。

「べ、別にそんなことないわよ」

「…じゃ、この料理の本は何よ」

書類の山の中に手を無造作に突っ込むと一冊の本を取り出すミサト。

「こ、これは…そ、そう、科学者だからって料理の一つもできないというのは良くないから、知識だけでもね」

(…まったく、妙なところでめざといわね)

「ほー科学者ねぇ」

ミサトのニヤニヤ顔がさらにエスカレートする。

だが、このままやられているようでは赤木リツコ博士とは言えない。ぼそっとつぶやく。

「…ミサトみたいにはなりたくないしね」

「どういう意味よ!」

バンと机を叩くミサト。

(…ほ~らすぐにムキになる)

口の端に笑みを浮かべるリツコ。立場は逆転した。

「さあ?一緒に暮らしているアスカに聞いてみたら?…そうそうアスカを捜してるんだったわね」

話が最初の用件に戻ったためミサトも追求を断念せざるをえない。

「テストの後、ケイジの方へ行ったみたいよ。…少し調子悪いみたいだし、たぶんいつもの所じゃないかしら?」

「そう。…ま、アスカも年頃の女の子だもんね。いろいろあるか」

ミサトの顔が娘を心配する母親のような表情になる。

つられてリツコの表情も柔らかくなった。

「ふふ、あなたいい母親になるわよ」

「えへへ」

少し照れて笑うミサト。

「そうそう、ちょうどいいわ。渡すのは明日にしようと思ってたんだけど…はい」

リツコは一冊のファイルを取り出すとミサトに渡した。

「何、これ?」

「いいものよ」

にっこり笑うリツコの言葉に胡散臭そうなものを感じるミサト。

とりあえずファイルを開いてみる。

題名を見たミサトは軽い頭痛を覚えて顔をしかめた。

「…あんたって本当に悪趣味ね」

「あら、そうかしら」

表紙には『マルドゥーク機関による報告書』と記してあった。


<碇ゲンドウ宅 リビング>

国連直属の特務機関ネルフ総司令碇ゲンドウ。

形式上のことであれ彼に命令を下せる人物は世界でも数える程しかいない。

だが、そのゲンドウも今は逆らうことを許されなかった。

「キャッキャッ」

ゲンドウの腕の中の人物はゲンドウの髭をつかむと引っ張った。

何を気に入ったのかわからないが先ほどから力一杯に引っ張っている。

だが、ゲンドウは微動だにせずにこの拷問に耐えていた。

今日はリツコが残業で遅くなるというので珍しくゲンドウが彼女…碇ゲンドウ・リツコ夫妻の養女である…碇レイ満2歳を連れて帰ったのである。

「レイ…髭を引っ張るのはやめてくれんか」

いくら子供の力でも痛い物は痛い。既に髭が何本も引き抜かれている。

たまらず言ったゲンドウであったが…レイはゲンドウの言葉を聞くと突如顔を歪めた。

(…しまった!)

ゲンドウがそう思った瞬間、レイは目に一杯の涙を浮かべ大声で泣き出した。

「待てレイ!私が悪かった!」

慌ててご機嫌取りを始めるゲンドウ。

「ほらほら、髭を引っ張っても構わんから、なっなっ」

そしてにっこりと笑う…はっきりいって怖い。ネルフ職員のほとんどが裸足で逃げ出すだろう。もっとも生まれてからずっと見てればさすがに怖くないということだろうか、レイは泣きやむと笑顔で再び髭を引っ張り始めた。

「キャッキャッ」

ゲンドウはリツコが早く帰ってくることを祈り続けた。

<7番ケイジ>

「アスカ~帰るわよ」

ケイジに入るなりミサトは声をかけた。

初号機を見ていたアスカが振り返る。

「ミサト?よく居場所がわかったわね」

「ま、だてに3年も同居してないってところね」

ミサトはそう言ってアスカの隣に並んだ。

「で、どうしたの?弐号機かと思ったら初号機を見上げて」

「う…べ、別に何でもないわよ」

ごまかすようにアスカは言った。

「ふ~~~~~~ん」

半眼になるミサト。

「何よ、その疑いに満ちた眼は?」

「ぶぇっつにぃ~~」

「さ、さぁ早く帰るわよ!」

アスカは足音も高らかにケイジを出ていく。

(…シンジくんのことを思い出してたのね)

アスカと同じように初号機を見上げる。

サードインパクトを起こした初号機は国連事務総長の名において永久封印が決定された。本来は解体したいところだがさすがに恐ろしくてできなかったらしい。形式上であれ国連の指揮下である特務機関ネルフはそれに従い、ネルフ本部に初号機を封印した。ただ、大多数がターミナルドグマへの封印を提案したにもかかわらずゲンドウはケイジでの封印にこだわった。以来、7番ケイジが2体のエヴァの寝所とされ、一種の聖域とされている。ここに入ることを許されている者は少ない。

ミサトはこの紫の巨人に乗っていた少年の事を思い出していた。傷つき苦しみ血を吐くような思いをしながらそれでも自分たちを救ってくれた少年の笑顔を。

「ミサト!!」

「はいはい今行くわ」

ミサトは可愛い妹の方へ歩き出した。

ハッチを出るときに………一度だけ振り返った。

<旧東京湾上>

『間もなく新横須賀に到着だ、寝ぼけた頭を起こしてくれよお客さん方』

パイロットの声が響きわたる。無論、乗客が寝ていないことは承知している。

「…だそうだシンジくん。降り支度をするとしよう」

無精ひげをさすりながら加持が寝台から身を起こす。もっとも寝台といっても荷物の上に毛布を敷いたり、ハンモックを吊るしてある程度のものなのだが。

「やっと煙草が吸えるな」

そう言ってポケットの中身を確かめる。

「支度って言っても荷物もないでしょう?」

寝心地の悪い寝台の上で身体を伸ばしながらシンジが言った。

「ま、そりゃそうだ。支部の荷物は後から別便で来るしな」

「明日…じゃなくて今日ですか…時計を直さないといけないな…今日は久しぶりにまともな所で眠れそうですね」

思えばここ数日まともに眠った覚えがない。

耐えられない訳ではないがやはり柔らかい寝床で眠りたいと思うのが人情だ。

おまけに…赤い染みや黒い染みに彩られた自分の戦闘服を見下ろす。

さすがに清潔とは言い難い。

「病院のベッドに送られるのは願い下げだけどな。

油断するなよシンジくん。アスカは随分と格闘技の腕があがったそうだからな」

加持がそういうとシンジの顔色が変わる。

「な、なんでそこでアスカの名前が出て来るんですか?」

「照れることないじゃないか」

加持の顔がにやける。

狭い床の上で腕立て伏せをしていた巨漢の黒人が起きあがった。

床の上にあぐらをかき、少し考え込んでから周囲に訪ねる。

「アスカっていや、確かセカンドチルドレンの女の子だったかな?」

ハンモックでクロスワードをしていた金髪女性が追い打ちを掛ける。

「あら、シンジの恋人なの?」

「ち、違いますよ!」

ついむきになるシンジ。

巨漢がにやりと笑う。

「あのシンジがここまで動揺するんだ、まちがいないな」

「あたしとは遊びだったのね、シンジ」

そういいながら女性は両手で顔を覆って泣く真似をする。

「な、何言ってるんだよ!ジャネット!!」

「おや、シンジくん。ジャネットとはそういう仲だったのか」

「違うに決まってるでしょ!」

からかわれているのはわかっているがついムキになる自分がうらめしい。

同じようにからかわれても軽く受け流すであろう加持がとどめをさす。

「安心しろシンジくん。ちゃんとアスカに殺される前に救出してあげるから。

ま、俺の見立てでは全治1ヶ月というところだな」

「…加持さん」

シンジはがっくりと肩を落とした。

「ねーねーシンジの彼女ってプリティーなの?」

興味深げにジャネットが聞いた。

「ん?…そうだな。数年前は超がつく美少女だったからな、今はさぞかし美人に…」

「…だから彼女じゃないですってば」

ぼそりと呟くシンジ。

「じゃ、紹介してくれ」

ジョニーが唐突に言った。

「ジョ、ジョニー?」

「安心しろ、お前の友達だ、悲しませるような事はしないさ。ただちょっと楽しい夢を…まあ待てシンジ、人間話せばわかる。俺達は仲間だろ?な、落ち着け。とりあえずその銃口をだな」

「全てを疑え、でしょ」

ジョニーの眉間に黒光りする銃口を突きつけ殺気を隠さずにシンジは言った。

「あらジョニー。教え子の成長を身をもって確認できるなんて幸せねぇ」

「ああうらやましいな」

ジャネットと加持がうんうんとうなづく。

「すまんシンジ俺が悪かった!だから命だけは助けてくれ!」

どこで覚えたのか銃を突きつけられたままジョニーが土下座する。

「いえ、わかっていただければいいんです」

何事もなかったようにすました顔で銃を懐にしまうシンジ。

「ち、いつのまにか俺より手が早くなりやがって」

命拾いしたジョニーがぼやいた。

「ま、お前さんは別なものに手を出すのが早いからな。そっち方面じゃさすがのシンジくんもかなわないさ」

「リョウジには負けるよ」

「そういうのを五十歩百歩って言うんですよ。…あ」

シンジの表情が変わる。

「どうしたのシンジ」

「いえ、病院送りになるのは僕じゃなくて加持さんの方じゃないかと」

「ど、どういうことかなシンジくん?」

加持の顔色が変わる。

「おーおーリョウジが動揺している、明日は雪か?」

「まさにオリエンタルマジックね」

シンジはかつての自分の保護者に似た目つきで続ける。

「だって、ミサトさんにまだ連絡してないんでしょう?生きてるって」

「どーいうことなのシンジ?」

「加持さんは消されそうになって死んだ振りをしたんです。まぁ、訓練の手前、第一支部は仕方ないとしても、本部では知ってるのは司令と副司令くらいだけのはずです」

「ほーほー」

「で、恋人のミサトさんにも何にも言ってなかったから、ミサトさんは加持さんが死んだと思ってるんです」

「あらあらシンジよりひどいわね」

「で、その恋人って腕の方は?」

「仮にもネルフの作戦部長を勤めているんですよ?それにゲヒルン時代にしっかり訓練を受けているはずですし…」

「あーそれは駄目ね、ご愁傷様リョウジ」

「リョウジもバカだな。せっかく生き延びてたのに今日が命日か」

「シンジ、お葬式にはよんでね」

加持は脂汗を流しながらシンジに言った。

「あー、シンジくん?」

「駄目ですよ、加持さん。ミサトさん毎晩泣いてたんですから。責任とってください」

この点については妥協しないシンジ。

「ジャネット。どっちのほうが重傷か賭けないか?俺はリョウジの方」

「あら、年頃の女の子って怖いのよ~。じゃ、あたしはシンジね」

4人を乗せた輸送機はゆっくりと新横須賀へ降りていった。

<葛城家食卓>

葛城家では遅い夕食を取っていた。

二人の美女の足下ではペンペンが嬉しそうに魚をくわえている。

かつての同居人がいなくなって一時は廃墟となりかけた(一時は実際廃墟だったとある少女は証言している)葛城家だったが、恥も外聞もかなぐり捨てて周囲の助力を請い、血のにじむような努力を重ねた結果、人が住める環境、美味しいと人に言ってもらえる食生活を手に入れていた。もっとも、そのほとんどは年下の被保護者の力によるものが大きいのだが。

「…ねぇミサト」

後かたづけをしていたアスカはビールを飲んでいる保護者に声を掛けた。

「なーに?」

「…なにか私に隠し事してない?」

「ぶっ!ゲホッゲホッ…な、なんのことかしらね?」

(…まったく最近鋭くなってきたわねぇ)

吹き出した口元を拭きながらミサトは思った。

リツコによれば、

『もともとアスカは優秀な子だし、同居してればお互いに能力に磨きがかかるのは当然ね。ミサトの野性的な勘が受け継がれたのよ。もっともさすがにミサトの料理の腕までは…』だそうである。

「そ、そういえば今日の料理もおいしかったわよ。やっぱりアスカって天才よね~」

「…怪しいわね」

ジト目のアスカ。

実際アスカの料理の腕はあがっている。かつての同居人には及ばないものの最近はリツコが幼いレイを連れて教えを請いに来るほどである。おそらく学校やネルフに費やす時間を料理の勉強に使えば一流の料理人として暮らしていけるだろう。

「ま、いいわ。じゃ、アタシもお風呂入るね」

「ほーい」

追求を諦めたアスカがバスルームに消えるとミサトは胸をなで下ろした。

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