それは同情ではなかった。
ましてや、憐れみですらなかったと思う。
銃を手に取る。
弾倉はすでに目一杯だ。
代えのマガジンをジャケットの内ポケットに忍ばせた時、胸に手が当たった。
私は思わず、そのまま自分の鼓動を確認する。
服の上からでも柔らかな感触ごしに、定期的な心音を感じることが出来た。
これは人間の鼓動。私の鼓動。生そのもの。
不思議と緊張はない。
それが少し可笑しかった。
これから人間同士で殺し合いをするというのに。
重い鉄の弾は肉をえぐり、骨をも砕く。
急所に当たれば即死だ。
そう、死。
死ぬ。
死なされる。
他人から与えられる最大の不条理。
幼児ですら、その不道徳さを心得ている。
それを今からしようというのだから、ある意味、私たちは幼児以下なのかもしれない。
そんなことを思うと、何だか自嘲の念が浮かんできて、私は軽い笑みを漏らしてしまった。
殺気立った発令所では、それは完全に浮いている。
装備の最終確認をする。
支給のソーコムが一丁、マガジンが三倉といつもの防弾チョッキが一着。
彼らのものに比べれば、陳腐すぎる代物だが泣き言は吐けない。
素人だらけの中、戦闘員はすでに出払ってしまった。私が行くしかないのだ。
発令所に響く雑音は、私の決心を後押す。
私は昇降機を下る。
セーフティーロックはもうはずれていた。
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My Beautiful World - episode1 - written by rego
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G31ポイントへは2つのルートがある。
危険な近道とそれなりに安全な回り道。
私は後者を選択した。
私が死んでは、全ては終わりだし、
何より前者には、ベークライトの予定注入箇所が含まれるからだ。
間に合えばいいが、そうでなければ、大幅に時間をロスしてしまう。
後者にはその心配はない。
その上、敵部隊の展開数も少ないので、
上手くいけば前者よりも早く目標到達地点にたどり着くことが出来る。
この施設の通路にしては狭いそれを、私は慎重に、そして全力で駆ける。
道中、通路を曲がるたび、職員の死骸が目に入る。
頭部を打ち抜かれたもの。
消し炭になってしまったもの。
バラバラにはじけ飛んでいるもの。
死体はライトで照らされ、その醜態を細部まで鮮明に晒している。
無機質な空間に嫌というほど死の匂いが充満していた。
不思議なことに何かを感じるということはない。
J番ブロックに差し掛かった時、アクシデントが起きた。
ベークライトが予定のないこの場所に注入されていたのだ。
私は発令所を出る前に、敵部隊の侵攻状況によって臨機応変に対応するよう指示を出した。
つまりこの場合、制圧ポイントが予想より早く拡大されたということに他ならない。
更に迂回すべきか、直進か。
私は急いで無線を引っ張り出し、守秘回線につなぐ。
「こちら葛城三佐、敵部隊の侵攻状況は?」
「RからZまでの区画は全占拠、その他は以前交戦中ですが、状況は芳しくありません。」
この地区を迂回する暇は予想通りない。
危険だが、このまま突っ切るしなさそうだ。
私は無線を切ると壁を背にし、じりじりと歩き出す。
最新鋭の索敵装置の前では気休め程度にしかならないが、何もしないよりはマシだ。
そうやって、何度かコーナーを曲がりきる。
そして、何本目かのそれを曲がった時、
突然、通路の奥の胸くらいの高さに黒光るものが現れた。
銃声が耳にこだました。
瞬間、私は反転し、通路の奥へと飛び込んだ。
身体を確認する。ジャケットの左上腕部に亀裂が入ったが、特に怪我はない。
銃声は今も等間隔で聞こえる。
多分、9mmのSIG・P220。
何人かで組まれた小隊か。
SMGを連射されていたら、死んでいたかもしれない。
相手にとっても咄嗟のことで、そうする暇がなかったのだろう。
このようになった以上、こちらのルートを選んだのは結果的に誤まりだった。
あえて良い点を挙げるなら、入り組んだ通路で身を隠す場所には事欠かないというくらいだが、
それは敵も同じだ。
さあ、どうしたものか。
装備も人数も圧倒的に向こうが上。
しかも相手はプロだ。
私を殺すことに躊躇などないだろう。
飛び出したら、確実に消される。
爆風。
うなり声を上げながら、辺りの景色が一瞬にして炎と硝煙にまみれた。
怒声とともに速いテンポで近づく足音は、私に軽い焦燥感を覚えさせる。
向こうは強攻策を選択したようだ。こっちの都合はお構いなしに。
そういう男は一般論として女性に嫌われていることを、やつらは知らないのだろうか。
通路の死角ぎりぎりに身を寄せる。
彼らに女性の扱い方を教えてやりたいと思う。
駆ける音は止まない。
黒いものが見えた。
刹那、私は通路に飛び出し、それの下部を思い切り横ばいに蹴る。
黒い物体は一瞬空中で翻るが、すぐさま重力に引かれて落下し、
ドスンという鈍い音と共に、一瞬、時を止める。
私は銃でその物体を打ち抜いた。
躊躇はなかった。
黒い物体は銃弾が突き刺さった部位から、似つかわしくない程の鮮血を上げる。
私はそれの最後を確認することもせず、
逆の通路に飛びながら、もう一つの黒い影に向かって発砲した。
二つの銃声が同時に鳴り響き、一瞬自分を失念したが、
はっきりとした意識があることに私は安堵を覚える。
前を見ると、私の放った弾丸が頭部を吹き飛ばし、それはあっけなく倒れた。
先ほどと同じように、瞬時に血しぶきがほとばしる。
2つの黒から上がる真紅のそれは、
手榴弾で吹き飛んだ空間を真っ赤に染め上げた。
自分を見る。赤くはなかった。
再度、死体を確認する。
身体を痙攣させながら、のた打ち回っている。
醜い。そう思う。
私を素人だと思ったのだろう。それが彼らの運の尽きだった。
絶叫が上がった。
もう一人いたのか。
これには困った。
向こうも馬鹿じゃない。さっきのように突っ込んでくることは、もうないだろう。
一対一なら負ける気ないが、身を隠す場所が多いのは向こうも同じだ。
このまま戦闘を継続すれば、おそらく長期戦になる。
それを避けるには、どちらかが勝負を仕掛けなければならない。
目標がいる対壁の十字路までは15メートル程もある。
無策で突っ込むには、いくらなんでも長すぎる距離だ。
私が今、思案しているこの間にも、目標はこちらにSMGを速射してくる。
飛び出せば、蜂の巣は免れない。
鳴り止まぬ銃声の中、私は一心不乱に考える。
あの敵をどう殺すか。それのみを。
失敗すれば、私を死が待っている。
今、目の前に転がっている二つのそれと同じように。
既に痙攣は止み、ピクリとも動かなくなっている。
頭部を吹き飛ばされた方の目玉が飛び出ていて、それは私を凝視していた。
ほんの先ほどまでは生気を宿していたそれ。
面白い。
良い手を思いついた。
死体をまさぐり、例のものを探す。
腰に達した時、指先にコツンと金属の感覚を覚えた。
ベルトからそれを引きちぎり、手に取って確認する。
それは黒く光り、ただ冷たい。
私は目的のものを発見し、満足する。
それのピンを引き抜くと、私は目標に向かって軽く投じた。
閃光と同時に、耳を劈くような轟音が辺りに響き渡った。
そのタイミングを逃さず、私は対壁へ向かって駆ける。
相手からの放銃はない。
10メートルほど進んだところで、こちらからの死角が減る。
あの死角に、先の私のように身を潜めているのだろう。
模倣は進化に欠かせないが、ただの猿真似は愚の骨頂だ。
新たに出来たその場所へ向かって、再度、私は手榴弾を投げた。
先ほどと同じような轟音が、私の耳を襲う。
周囲は沈黙した。
残りの距離をゆっくりと詰め、慎重に敵の残存を確認する。
私がそれを投げ込んだ場には、人だったものの残骸が散乱していた。
手足は吹っ飛び、真っ黒に焼け焦げた部分と、未だ血を垂れ流す部分。
酷いところは、内臓がベチャリといった感じに飛び出している。
その場は血の赤と通路の白、そして焼け焦げた場の黒が無造作に散らばり、
言いようもない見事な絵画を描いていた。
私は絵画には疎い。だが、これはいつか見たモネやピカソなんかよりも遥かに美しいと思う。
黒に赤が映え、それを白が優しく包み込んでいる。
普通に考えれば、ただの残虐な光景。
普段なら、例に漏れることなく私もそう思うだろう。
でも、今の私にはそれが至上だった。
何時までも見ていたい、自分のものにしたい、そう思った。
だが、それは私自身が投げた手榴弾の炎によって、今まさに消えようとしている。
刹那の芸術。
私はそれを壊す炎が憎かった。
* * * * * * * * * * * *
このF27番通路を通れば、もうすぐ目的地に出られる。
ここの通路の中心部はターミナル的な役割を果たす場所で、多くの中継地点となっているからだ。
敵部隊もそれは当然分かっているだろう。
おそらくこの場所は狙われている。
この区画へ進行する場合、どこを攻めるにしてもまずここを制圧し、
それから散開するのが一番手っ取り早いからだ。
ここへの通路は出来うる限りベークライトで固めさせたが、
それは言い返せば、それ以上の防護手段がなかったということだ。
ここにいる人間で、私のような生粋の軍人はほぼ皆無に等しい。
研究施設として重きを置いた場所なので、それはある意味当然なのかもしれないが。
私は壁際に沿いながら銃を胸の前で構え、開けたターミナルホールを窺う。
先ほど道に転がっていた死体から奪ったサーモグラフは、有人の反応を事細かに示している。
やはりいる。
敵は先ほどと同じ3人。一小隊だ。
ここの重要度を考えれば、もっと展開してもいい。
そうしないのは、単純にここに辿り着けていないのだろう。
ベークライトのおかげか、それともこちらの戦闘部隊が奮戦したのか。
私に残った武器は、ソーコム一丁と替えのマガジンが一つ、あとサバイバルナイフが一本。
ナイフは先ほど相手から奪ったものだが、同じく奪ったSMGは先ほど弾丸を使い切ってしまった。
状況はお世辞にもいいとは言えない。
一人はここからの精密射撃で倒せるだろう。
だが、残った二人はどうする。
相手はSMG二丁にその他諸々の装備、私は拳銃とナイフ。
身を隠す場所はここにはない。
明確すぎる戦力差に思わず笑いたくなった。
さっきと同じおかしな感覚だ。
無線が鳴った。
敵部隊のそれを傍受したものだ。
「…G31ポイント…、侵攻を…、ます。」
心臓が跳ねた。
G31ポイント。間違いない。
確かにそう聞こえた。
あの子がいる場所だ。
私は次の瞬間には死角からわずかに身を乗り出し、銃を構えていた。
右の人差し指に力を込めると、乾いた音が鳴る。黒いものが跳ねた。
私はそれと同時にホールへ飛び出す。
両手で銃を構え、低姿勢を保ちながらに走り、一人を狙い射撃を続ける。
当たった。腹部から血を流し、それは倒れた。
残る敵は雄たけびをあげながら、SMGを連射してくる。
私は走るのをやめない。やめられない。
銃弾が往復する空間で、私はただそうした。
床をけり、兵士に飛びかかる。
身体同士が衝突し、互いの拳銃が弾き飛んだ。
その衝撃で、私と兵士はもんどりうって床に転がる。
上を取られたら危ない。
身体が入れ替わるたび、私は上を取ろうと相手の身体を横に揺さぶった。
世界が回る。天井と床を交互に見ながら、私はそれを止めない。
だが、それを繰り返すには圧倒的に不利なものがあった。
私は女だったのだ。
何度目かの位置の交換の後、体重と腕力で男に負ける私はついに上を取られた。
男は片腕で私の顔を押さえつけ、どこからかナイフを取り出す。
相手の目を見るが、スコープで隠された表情を窺い知ることは出来ない。
天に振りかざされたナイフが思い切り振り下ろされる。
私は必死になって左手を差し出し、男の手首を押さえつけた。
辛うじてナイフの侵攻を阻止することに成功するが、
ぎりぎりまで迫っていたナイフが私の顔に薄い切り傷を付ける。
ほんの少しの傷。
でも、頬が熱い。
焼けるようだ。
男はナイフを持った手の力を緩めようとはしない。
次第に私の手に力が入らなくなってくる。
もともと力で負けている上、この態勢からでは男を跳ね除けることは出来そうもない。
ナイフは私の胸に向かって、じりじりと歩を進める。
1センチ、また1センチ。
「いい子にするんだな。」
男が低い声でそう言った。
死ぬ。
そう思った。
人を殺すにはあまりにも不恰好なその鈍重なナイフで。
私は殺される。
私は死なされる。
私がそうしてきたように。
頭は冷えていた。
私は考える。死んだ後のことを。
私が死んだら、先ほどのようなコントラストは生まれるだろうか?
三色が混じりあい、不似合いなように見えたそれ。
でも、見事なほどの調和を生み出していたそれ。
それを生み出せるなら、私は死をも厭わないだろう。
むしろ、喜んで死にさえするかもしれない。
ナイフは横に構えられ、肉をえぐり、骨を透き抜け心臓に達する。
動脈を破られたそれは、私の胸からポンプのように血を吐き出すのだろう。
一秒も絶えることなく噴水のように噴射するそれは、辺り一面を真っ赤に染め上げる。
無機的な白いタイルは抗うこともなく、ただそれに従うばかりだ。
やがて、血という血を失った私はその中心で穏やかに佇む。
あの光景に見送られながら。
そこにあるのは、私の血とタイルの絵画。
ダメだ。
死の恐怖が私を支配する。
私は生を渇望した。
死にたくない。切に思った。
こんな状況で考えられることではないかもしれない。
ニヒリストなどはそんな私を嘲笑うのかもしれない。
でも私は、やはりもう一度見たかったのだ。
あの光景を。
膝で思い切り男の背中を蹴飛ばした。
その反動で、男は私に覆い被さるように倒れこんだ。
行き場を迷走したナイフは、私の胸めがけて飛び込んでくる。
十分予測しえた事態だ。だが、後悔はない。
嫌な感触を胸に感じる。
それだけだった。
豊満すぎる胸に圧迫感を感じる意外に、痛みはまるでない。
内ポケットのマガジンがそれの侵攻を防いだ。
今の反動でずれた態勢を即座に入れ替え、私は男の背後に回った。
男の首を引っ掴み、脇の下に抱え込むようにして締め上げる。
力は最初から最大だった。
男はもがくようにヒューヒューと息をしていたが、やがてそれもなくなり、
顔を紫にして、ぐたりと私の上に倒れこんだ。
男からはもう何の力も感じられない。
女性の上に無断で覆い被さり、おまけに顔にも傷を付けた。
罪は重い。
「悪いけど、いい子は嫌いなの。」
私は乱れた髪を手櫛で整え、目標地点に駆け出した。
途中、何度も交戦と迂回を繰り返す中、私はずっとあの光景を思い浮かべていた。
あれは美しかった。
また見たい。
この状況を切り抜け、あの景色を見ることが叶うだろうか。
そうでないと、私はとても寂しい気がした。