なかなか戻ってこないアスカを心配していたヒカリだが、いきおいよくドアをあけてミサトが教室にはいってくると、反射的に号令をかけてしまった。
「起立!礼!着席!」
ヒカリの声にあわてて自分の席に戻ろうと右往左往する生徒達。
だがミサトは笑顔のまま、みんなが席に着くのを待っていた。
「遅くなってごめんね。お詫びに今日の授業は無しよ。」
わぁっと歓声があがる。
「そのかわりってわけじゃないんだけど、転校生を紹介するわ!」
どよめきが教室にわきあがる。
だが、アスカが戻ってこないので、ヒカリは気が気ではなかった。
ミサトがアスカの不在に気づかぬはずがない。
案の定、次の瞬間、ミサトの視線はヒカリに向けられた。
怒られるのかな、と身体を固くしたヒカリだが、ミサトから送られてきたのは叱責の声ではなくウィンクであった。男子生徒の嬌声が沸き上がる。
まちがいなくウィンクよね。わたしにウィンク?なぜ?
混乱したヒカリが視線をさまよわせている間にミサトが言葉を続けていた。
「よろこべ女子!売約済みだけど、みんなの幸せは保証するわ!」
わけの判らないことを言い放って、ミサトが廊下に向かって声をかけた。
「いいわよ。はいってきて!」
ドアが開いて背の高い少年が入ってきた。だが少年は一人ではなかった。
真っ赤な顔をして少年と手をつなぐアスカの姿がクラス中の視線を集めた。
教室中をしんとした沈黙がおおった。
「シ、シンジやないか!」
真っ先に我にかえったトウジが立ち上がって叫んだ。
はにかみながら手をあげてシンジが応えた。
それが引き金となった。
「「「「「「うっそぉ~~~」」」」」」(大合唱)
しかし、アスカにあこがれていた男子の絶望の声は、より以上の驚きと喜びの声に押しつぶされていた。
第一高校のアイドル。女王、惣流・アスカ・ラングレー、ついに陥落。
しかもその相手は見たことも無い転校生である。
照れくさそうだが落ち着いたそぶりの転校生に対し、真っ赤な顔でうつむいているアスカの姿をみれば、どちらに主導権があるか誰の目にも明らかだった。
まさに陥落。誰一人として接近すらできなかった牙城をあっさりと突き破り、その内に広がる世界を掴み取ったのは、この穏やかなやさしい表情をした転校生だった。
多くの女子生徒達は驚きとともに、この事実がもたらすであろう自分達にとって好ましい未来を予想して、この転校生を好意的に受け入れることを決定事項とした。
多くの男子生徒達は驚きと失望と沸き上がる嫉妬により、自分達のあこがれの対称をいきなり現れて横から奪い取った冴えない外見の転校生に、憎悪ともとれる感情を抱いていた。シンジがクラスの男子に受け入れるまでかなりの困難が予想される。が反面、あまりに颯爽と現れた転校生の存在に爽快感すら覚えるのも
事実であった。
洞木ヒカリはうれしそうに壇上に寄り添うアスカとシンジを見つめていた。
よかったね。ほんとうによかったね、アスカ・・・.。
そんな心の声が聞こえそうなほど、幸せそうにうれしそうに微笑んでいた。
トウジは単純に喜んでいた。シンジが帰ってきた。
きっと自分の怪我のことも悩みつづけていたにちがいない。
だが明るい顔で自分に応えてくれた。
シンジは強くなった。そう、彼は友の成長と帰還を心から喜んでいた。
ケンスケは少し複雑な心境だった。心の奥に小さな痛みを感じていた。
だが、やはり帰ってきた親友の姿を見て、嬉しいと感じる自分がいた。
だから笑顔でシンジとアスカを見た。少し寂しげではあるが笑顔でいられた。
そんな生徒達の反応を確認してミサトは笑顔のままパンパンと手を叩いて、生徒達の注意を自分に取り戻した。
ひそひそとささやきあう声はあちこちから聞こえるが、ほぼ静かになった室内に満足して、シンジを手で招きよせる。
シンジが教壇の上に上がると、しっかりと手をつないだままのアスカも必然的に教壇の上に上がってしまう。
職員室で簡単にシンジの転入に関する諸手続きの指示をマヤに伝えて、すぐにもどってきたミサトが見たのは、ふたたび廊下で抱き合っているシンジとアスカの微笑ましい姿だった。
二度も邪魔をするのはさすがに気が引けるのだが、仕方なく二人に声をかける。
「そろそろ教室に行くわよ。」
ミサトの言葉に残念そうに抱いていたアスカを手放すシンジ。
アスカも無意識のうちに残念そうな視線をシンジに向けている。
完全にいっちゃってるわね・・・二人とも・・・ミサトは苦笑した。
あれこれ考える必要もなかったのね。
いきなり二人っきりにしてあげれば良かっただけかぁ・・・
少し残念な思いの残るミサトだった。
廊下を連れ立って歩きながらミサトが言った。
「これから教室でクラスメートにシンジくんを紹介するわ。
いい、アスカ?あんたも呼ぶまでシンジくんといっしょに廊下にいるのよ。
呼んだらいっしょに入ってきて。」
「どうしてよ?」
「決まってるでしょ!シンジくんに他の女の子がちょっかいださないうちに、既成事実としてシンジくんの占有権を周囲にアッピールするのよ!」
教師という自分の立場を無視して、ミサトの意識はシンジとアスカを結び付けようという、あたしはあんた達の味方よモードに突入していた。
「な、なんでアタシがシンジを・・・」
むきになって反論しようとするアスカに、ミサトの視線が食い込むように突きささり、アスカの言葉は語尾が弱まり消え入りそうになる。
心配したシンジがそっとアスカの手をにぎった。はっとして振り向くと優しく微笑むシンジと視線が重なった。シンジの左手がアスカの右手をやさしく握る。
何か言おうと口をあけたがアスカは何も言う事ができなった。
「そうやっていつも素直でいればいいのに・・・」
ミサトの呟きが耳に届いた瞬間、アスカの顔は真っ赤に染まった。
「もういいわ。シンジくん。そのままアスカの手をにぎってなさい。
アスカはしゃべらないこと。しゃべるのはあたしとシンジくんの仕事よ。
いいわね。」
といういきさつのあった、先ほどの廊下での会話を思い出しながら、ミサトは自分に注目している生徒達に話しはじめた。
「さぁさぁ。みんな!色々と聞きたいことは山ほどあるでしょうけど、まずは謎の転校生に自己紹介してもらうわよ。さ、シンちゃん。自己紹介よろしくぅ!」
ミサトの打ち解けた口調に違和感を感じる生徒達だったが、注意は既に転校生に注がれている。
シンジはクラス中の視線を浴びていたが不思議と落ち着いていた。
つないだ手から伝わるアスカの緊張感が逆にシンジを落ち着かせていたのだ。
シンジは黒板に自分の名前を大きく書いて、ゆっくりと話し始めた。
「はじめまして。碇シンジです。2年ほど前に第三新東京市に住んでいましたので、僕のことを知っている人も何人かいると思いますが、あらためてよろしくお願いいたします。」
そう言って一旦言葉を切り、シンジはごく自然に柔らかな微笑みを浮かべた。
きれいなその微笑みに女子生徒達の一部の心に、はやくも後悔の念が過ぎりはじめたようだ。教室のあちこちから小さなため息が聞こえる。
アスカを射止めたこの転校生の価値がおぼろげながら判り始めたのだ。
同年代の男子には無い透明感。身体の線の細さとはうらはらに逞しさを感じさせる立ち姿。なにより中性的なやさしい顔立ちとほれぼれするようなその笑顔。
アスカにステティが存在することを知って感じた喜びと同じぐらいに、この転校生が既にアスカのものであるという事実に寂しさを感じてしまうのだ。
「隠していてもいずれ判ってしまうことですし、卒業までの間いっしょに生活するみなさんに誤解されたくありませんので、少し時間をいただいてみなさんに聞いていただきたいことがあるんです。申し訳ありませんが、しばらく僕の話を聞いてください。」
そう言ってシンジはクラスの生徒に向かって話し続けた。
全てを正直に話すことは許されないから、これからクラスメートとなってくれる人達に嘘もつかねばならない。
事情を知るトウジやケンスケ、洞木さんはきっと判ってくれる。そう信じて、シンジは自分の身の上を話すことにした。
「まず、最初に・・・僕には身寄りがありません。孤児です。
2年前まで父が生きていましたが、父はとても忙しい人でしたから、僕が幼い頃母が他界した直後から、僕は遠縁の叔父夫婦のもとに預けられました。
父の都合で3年前に第三新東京市へ呼び寄せられて、この街で生活することになったんですが、父はその頃も大変忙しく満足に僕の面倒を見られないということで、当時父と同じ職場にいらっしゃったこちらの・・・え~と・・・」
言葉を濁したシンジに微笑みを浮かべながらミサトが助け船を出した。
「学校ではミサト先生と呼ばれているわ。」
「あ、はい。すみません。ありがとうございます。
当時父と同じ職場にいらしたミサト先生のお世話になっていたんです。
ミサト先生には、第三新東京市での僕の保護者になっていただいてました。
赤の他人の僕をミサト先生は家族のように扱ってくれました。
ミサト先生には本当に感謝しています。
ミサト先生は、僕がこの街で一番信頼する大人の人でした。
でも、2年前に父が亡くなったとき、僕は再び叔父のもとへ戻りました。
父が死んで僕がこの街にいる必要がなくなったからです。」
この時、自分の手を握るアスカの手に力が入ったことをシンジは感じた。
アスカの手をそっと握りかえして、シンジは言葉を続けた。
「そうして僕は叔父の元で生活していたのですが、その叔父も昨年末に脳溢血で倒れそのまま目覚めることなく先月亡くなってしまいました。
僕にはその叔父以外の身寄りがなく、叔父が他界したあと国の選んだ弁護士の先生がやってきて、大人になるまで自分が孤児院などの施設で生活しなくてはならなくなったことを知りました。。
僕は孤児院へ行きたくありませんでした。でも僕にはもう身寄りがありません。
勝手なことと判っていましたが、叔父を無くした僕にとって唯一信頼できる大人の人だったミサト先生しか、この事を相談できる人は思い当たりませんでした。
ミサト先生は、こんな自分勝手な僕の力になってくれて、ミサト先生の尽力もあり僕は第三新東京市で、孤児院に入らず新たな生活を始めることができることになりました。ミサト先生には今回も助けていただいて本当に感謝しています。」
混乱の続く現代ではこのぐらいの境遇の子供は大勢いて特に珍しいことではないから、クラスの生徒達はただ黙ってシンジの話を聞いていた。
シンジが淡々と話し続けることから、特に同情を引こうとか、そういう考えで話しているのではないことが判っていたし、自分達の担任教師で第一高校の人気者でもあるミサトの名前が出たことで、シンジの話にいくばくかの興味を持ったことも事実であろう。
「後から個別に説明するのは大変なので、ここで正直にみなさんにお話します。
孤児院へいきたくなかったのも事実ですが、僕はこの第三新東京市に戻ってきたいと思っていたんです。
たった1年ほどの生活でしたが、この街で大切な友達もでき、ミサト先生のような頼れる大人の人と知り合うことができ、なにより僕にとってかけがえの無い思い出のできたこの街に戻ってきたかったんです。
だからミサト先生にお願いして、第三新東京市に戻ることができて、僕はとても嬉しい気持ちでいっぱいです。
実は前回この街で暮らしたときも、そして今回も僕はミサト先生のご自宅でお世話になるんです。
もうみなさん知ってると思いますが、アスカもミサト先生の自宅で暮らしていますから、アスカとも同居するということになります。」
シンジの言葉に静かだった教室中から悲鳴のような歓声があがった。
「・・・ほんとう?」
それまで黙っていたアスカがシンジの顔を覗き込みながら尋ねた。
騒然とする教室の中で、アスカの問いはシンジにだけ届いた。
シンジはにっこりと笑いながらアスカに応えた。
「ほんとうだよ。またいっしょに暮せるね。」
「・・・バカ・・・」
アスカはふたたび顔を朱に染めると俯いた。再び手がつよく握り締められた。
シンジの言葉が嬉しくて、つながれた手からシンジの気持ちが伝わったような気がして、アスカの意識は徐々に現実感を喪失しはじめていた。
もうシンジとつないだ手の感触以外の全ては、なにか薄いベールの向こうで演じられている架空の出来事のようで、それらはもうどうでも良い事のように思えてきて、シンジ以外の全てが色と形を失いはじめていた。
やや時間をおいて教室が静けさを取り戻すとシンジがふたたび口を開いた。
クラス中の視線がただまっすぐにシンジの次の言葉をまっていた。
「僕とアスカの関係は・・・ごらんの通り・・・の間柄です。」
さすがに照れるのか言葉を区切りながら懸命に言葉を捜すシンジ。
「僕は・・・その・・・アスカのことを大切に思っています。
そして、2年も離れて暮らしたことを本当に後悔しています。
けっして、いいかげんな気持ちなんかではありません。
転校してきて勝手に言いたいことだけ言って嫌なやつと思うかもしれませんが、最後にこれだけは言わせてください。
アスカのことだけは・・・誰にも譲れません。」
そう言いきったシンジの、真っ赤に照れてはいても晴れやかな笑顔を、アスカは桜色にそまった顔に呆然とした表情を浮かべて見詰めていた。
現実感を喪失しているアスカの心に、シンジの言葉だけがリフレインしていた。
そしてついにアスカの心の中からシンジ以外の全てのものが消え去った。
アスカは気付かぬうちにシンジの腕をとってその身をすりよせていた。
シンジもそんなアスカを見つめて、そっと微笑んでから正面を向きクラスの全員に向かって深々と頭を下げた。
既にシンジ以外が見えなくなっているアスカも、あわててシンジに付き従うようにいっしょに礼をしてしまう。
自分が何をしているのか、自分の行動が何を意味しているのか、もうアスカは何も考えていなかったし、そんなことに何の興味も感じなくなっていた。
「僕の話を最後まで聞いてくれて、ありがとうございます。
そして、これから、本当によろしくお願いします。」
そんな二人の姿に見とれていた教室の生徒達から拍手がわきおこった。
こうして登場とともに碇シンジと惣流アスカラングレーの二人はクラス担任兼保護者ならびに第一高校1年A組全員が(一部はしぶしぶ)認めるカップルとして公認されることとなった。
この事件は後々まで「結婚式みたいだったね」とからかいの種となるのだが、舞い上がってしまっているアスカは、最後のシンジのセリフに完全にいってしまい全身から幸福のサインを全開で振りまきながら、最後までシンジに寄り添っていたのである。これではさすがのアスカも反論のしようがなかった。
以後この件が、アスカ迎撃用最終兵器となったことは言うまでも無い。
シンジの自己紹介が終わったところで、ちょうど6時間目の終了をつげるチャイムの音が鳴り響いた。
シンジの落ち着いた言動は嬉しい誤算ではあったが、自分の期待以上の事態の進展に満足してミサトが授業の終わりを告げた。
「ナイスタイミングね。これで6時間目は終わります。
HRまでちょっち職員室にいってくるけど、みんなあんまり二人をいじめないようにね。
それからシンちゃん。手続きはこっちで全部やっちゃうから、このままHRが終わったらアスカと帰っていいから。
じゃ、みんな。また後でね!」
そして、ヒカリが委員長としての役目を終えると、ミサトはクラスの生徒達にひらひらと手をふりながら教室を後にした。
クラスの注目を集めている二人は、アスカの席に向かって歩きはじめた。
そしてシンジがはたと困った顔をしてヒカリに向かって助けを求めた。
「洞木さん?」
「あ、なに?碇くん。」
「僕の席って・・・あるのかな?」
「・・・あ、そ、そうよね。机と椅子、足りないわ。
ねぇ鈴原、相田くんといっしょに持ってきてくれない?
ちょうどアスカの横にスペースがあるから。」
ヒカリは慌てて立ち上がるとトウジとケンスケに、予備教室から机と椅子を持ってくるようお願いした。
「シンジのためや、わしらが用意するのが当然や。」
「そうそう。」
笑いながら立ち上がる二人に、シンジがすまなそうな笑顔を向けた。
「トウジ、ケンスケ・・・悪いね。二人とも。」
「気にするなよ。シンジ。」
「そうや。センセェは今日はお客さんやからな。わしらにまかせとき。」
「ありがとう。」
慣れ親しんだ様子で会話する4人を見て、残るクラスの生徒達は先ほど自己紹介でシンジが言った知っている人達だと理解した。
本来ならHRまでの間にもシンジとアスカを質問攻めにするところなのだが、所在なげに立ち尽くすシンジとひたすらそのシンジを見つめて寄り添っている見慣れぬ様子のアスカに、立ち寄り難いものを感じて行動を起こすことをためらっていたのだ。
その矛先が彼ら転校生の過去を知る者達に向かったのは当然だろう。
ヒカリと比較的仲の良い女の子達がさっそくヒカリの側に集まってきた。
トイジやケンスケと仲のより男子もヒカリの机に集まってきた。
実際、これだけでほとんどクラス全員が集まったのに等しいのだが・・・
「ねぇ洞木さん。アスカ達のこと知ってたの?」
興味津々という顔つきで回りを取り囲む級友達になんと言って応えて良いのか悩むヒカリに、やっぱり問われるのはあの二人の関係に関する質問であった。
「碇くんってやさしそうだけど、アスカの言ってた条件にはとても当てはまらないと思うんだけど。どうしてあのアスカが碇くんにあんな風になったの?」
「自分の目でみても信じられないよな」
「惣流って、ずっとあの転校生のこと待ってたってのか?」
「あたしたち中学校もいっしょだったんだけど、昔のアスカと碇君ってあーいう感じじゃなかったわよね。」
「そうそう。惣流なんて碇のこと『下僕』よばわりしてたよな。」
さほどシンジ達と親しくなかった中学時代からのクラスメートも話に加わり、場はますます昏迷を深めていく。
ヒカリはどこまで話していいものか迷っていたが、とりあえず話しても差し支えないと思われる一般的なことを話すことにした。
「アスカって、昔から今までみんなが知っていたアスカだったのね。
昔は碇くんのことも馬鹿にして相手にしていなかったの。
2年前に碇くんのお父さんが亡くなって碇くんがいなくなってしまうまで、アスカ、自分の気持ちに気付かなかったんだと思う。
わたしの目からみると、その前からアスカが碇くんをとても意識していたように見えたんだけど、アスカって意地っ張りだから自分の気持ちに気付かないふりをしていたんじゃないかな。
碇くんはとてもやさしいから・・・いつもアスカのこと気にかけて、いつもアスカを大事にしていたの。何をするにしてもアスカが一番だったの。
そのやさしさにアスカは気付かなかったのね。
いつの間にかそのやさしさが側にあることが当たり前になっていて、それが無くなってしまうまで側にあることすら気付かなくて。
だから碇くんがいなくなって、アスカは辛かったと思うの。」
「でも、それじゃ別に碇くんじゃなくたって、やさしい人なら誰でも良かったってことじゃないの?」
「ちがうの。それだけじゃないの。
碇くんはとても強いの。そう。おそらくアスカよりもずっとずっと・・・」
「うそぉ。そんな風に見えないよなぁ。あんなひょろっとしてるしさ。」
「おのれらにはわからんのや」
いつの間にか机をかかえたトウジが戻ってきていた。
憮然とした表情で言い放つとシンジの側にいき、アスカの机の横に運んできた机を置く。ケンスケが運んできた椅子をおいてシンジの席ができた。
「・・・いいんだよ。トウジ。」
「いいや。センセはよくても、わしには我慢できんのや。」
知らないうちに声が大きくなっていたのだろう。シンジのこと以外我関せずといってしまっているアスカはともかく、シンジの耳にはヒカリ達の会話が聞こえていたようだ。
苦笑するシンジを制してトウジが怒気をばらまく。
「シンジのこと、悪う言うやつは、わしがパチキかましたるんや!」
「そうだよ。好き勝手なこと言わしておくこと無いじゃないか。」
ケンスケもトウジの応援にまわる。
「トウジ、ケンスケ・・・聞いてよ。」
そんな二人を見て、シンジが静かに語りかける。
「もういいんだ。終わったんだから。そのことは思い出したくないんだ。」
「せやかて・・・あたたたた、いんちょ、いたいって」
反論しようとするトウジの耳をヒカリがひねりあげる。
「碇くんが嫌だって言ってるでしょ。」
「洞木さんもトウジを離してあげて。僕が話すよ。それが一番いいんだ。」
シンジの言葉にトウジが開放される。おもいっきりつねられたのだろう。
かなり痛そうな表情で耳をさすっている。
「みんな気付いていないだけなんだよ。
アスカだって女の子なんだ。か弱い女の子なんだ。
どんなに元気があったって、どんなにスポーツ万能だって、どんなに頭が良くたって、アスカは女の子なんだよ。
たまたま誰よりも先に僕が気付いただけなのかもしれない。
僕の目には、アスカはとても繊細でとてもか弱い女の子に見えたんだ。
だからアスカも心を開いてくれたんだと思う。
僕が強いわけじゃない。みんなアスカのこと誤解してるだけなんだ。
外見だけじゃ本当のその人なんて判らないんだ。
アスカはか弱い女の子なんだ。僕はそれを知っている。それだけなんだよ。」
「もういい・・・」
その時シンジの腕にもたれかかるように寄り添っていたアスカが口を開いた。
「シンジだけ・・・シンジさえ・・・判ってくれればアタシはいい・・・」
この時、アスカの頭の中にはシンジの言葉しか存在しなかった。
だから暖かなシンジの胸元にそっと頬を摺り寄せて、自分を理解し受け止めてくれるものの存在を、全身全霊で求めようとした。
シンジはそっとアスカを抱きしめ髪をすくように撫でてあげる。
そんな二人を見ていると誰もがシンジの言葉を納得せざるを得なかった。
結局それ以上誰も言葉を発することができなくなりHRの時間になった。
ミサトがHRのために教室に戻ってくると、はにかんだシンジと幸せそうに寄り添うアスカの二人と、それをうらやましそうに、しかし嫉妬や反感などの負の感情が皆無の暖かい視線で二人を見つめている生徒達の姿があった。
あらら・・・ひょっとして舞い上がりすぎちゃっていっちゃってるわけ??
今頃お祭り騒ぎになっているだろうとワクワクしながらHRにきたミサトは、自分の予想だにしなかった教室の光景をみて、おもわず頬をひくつかせていた。
こ、今夜はこの子達を二人っきりにしちゃまずい・・・かもしれないわね。
さすがにアスカがまさかここまでいってしまうとは思いもしなかったわ。
ど、ど、ど、どうしたらいいんだろ・・・あはは・・・あはははは・・・・・
どこか室内の空気までばら色に染まったかと思える雰囲気の中、特に連絡事項も無いHRはすぐに終わり、逃げるように教室を立ち去るミサトだった。
HRが終わっても夢見心地のアスカを従えたシンジは、久々にいっしょに遊びにいこうと誘ってくれたトウジ達にすまなそうに謝っていた。
「ごめん。今日は無理みたいだ・・・」
状況を良く理解しているだけにトウジもケンスケも無理強いするつもりは全く無かった。
肩を並べて教室を出て行く二人を見送っていると、いつの間にかヒカリが側にきて、ポツリとつぶやいた。
「アスカ・・・本当に幸せそう・・・」
「そうやな。惣流のあんな表情見たことあらへん・・・」
トウジも半分遠い目をしてつぶやいた。
相づちをうつようにケンスケが自嘲気味に言った。
「さすがの俺も今日は撮影どころじゃなかったよ。二度と無いチャンスだったのに見とれてしまったんだ。まだまだ修行が足りないよな・・・」
「ケンスケ・・・お前・・・」
「何も言うな、トウジ。いいんだよ。シンジなんだから。」
ケンスケの思いを良く知るトウジである。
「ほな、今日はわしらだけでパァッと遊びにいかんか?委員長もたまにはどや?」
「・・・仕方ないわね。今日は特別。つきあってあげましょうか。」
ヒカリも素直にうなずいた。
「さ、いくで。ケンスケ。委員長。」
三人もまた仲良く教室を後にした。教室を出る頃には明るい表情に戻っている。
明日からは昔のように楽しい日々がまっていることが判っていたから。
まだ陽の高い下校時刻。
1年A組を驚愕させた事件の情報は、まだ外部には流出していなかった。
いや事実は徐々に校内に噂として広がりつつあったのだが、HRが終わるやいなや帰路に着くシンジとアスカを見送った級友達が、ようやくばら色の雰囲気から立ち直って帰宅の途につくことに思いたるまでに長い時間が必要であったから、噂が広がりはじめる前に、当の二人は玄関を出て歩きはじめていたのである。
今日こそは・・・とあわい期待を胸にいだいて第一高校の前庭や校門に集まるアスカファンクラブの面々は、桜色に頬を染めて潤んだ瞳で見知らぬ男に寄り添いながら下校するアスカに遭遇し、ほぼ全員が石化してしまっていた。
かろうじて石化を免れた少数の人間も、昨日までは謝絶であれ侮蔑であれ平手打ちであれ、とりあえず何がしかの反応をアスカより頂戴していたのだが、今日のアスカにとって彼らは存在すらせず、声をかけようとその前に立ちふさがろうと、文字どおり存在することすら気付かぬように無視され、追い討ちをかけるように同伴の少年にきっぱりと希望のかけらまで打ち砕かることとなった。
この日を境に惣流・アスカ・ラングレーの下駄箱をふさぐラブレターはますます増加の一途をたどり、あわせて碇シンジの下駄箱にはそれを上回る数の果たし状が転校早々届けられるようになったことは言うまでもない。
あのアスカの表情を一目でも見た男子達はそれが自分に向けられることを切望し、またそれを独占する碇シンジを憎悪することとなったのである。
事態が一応の落ち着きを取り戻すまで長い時間が必要となりそうだった。