いつもと同じ天井。アタシの部屋だ。気分的には上々の目覚め。ぐっすり眠れたみたい。たぶん昨夜の加持さんとの電話のおかげ。
いつもと違うミサトの不在に不安を感じて眠れそうになかったんだけど、加持さんのおかげで気が紛れたんだと思う。
ベッドの上で大きく身体を伸ばす。気持ちいい。
そうか・・・目覚まし時計が鳴るまえに目が覚めたんだ。寝不足のはずなんだけどすっきりしている。これも加持さんのおかげなのかな?
今朝も独りだからたっぷり時間があるということ。
ゆっくりシャワーして朝シャンしても大丈夫よね。
月曜日って何かと忙しいことが多いんだけど、きょうはちょっと違う感じ。
余裕があるって素敵なことなんだ。
うきうきした気分でタオルを片手にシャワールームに向かうアスカだった。
登校途中の交差点。いつもアスカとヒカリが待ち合わせする場所。
いつもの時間になっても現れないアスカを心配していたヒカリは、必死に走る
アスカの姿を遠く見ながら、珍しいわね、と首をかしげていた。
「・・・お、おはよう。ヒカリ。」
「おはよう。アスカ・・・って、どうしたの?そんなに息をきらせて。」
「・・・はぁはぁ・・・ちょっとのんびりしすぎちゃって・・・」
「寝坊したの?」
「その反対・・・」
手をひらひらさせながら息を整えたアスカが応えた。
「いつもより早く起きたのよ。ミサトも出張でいないから、ゆっくり朝シャンしてたのが間違いだったの。遅れちゃってごめんね、ヒカリ。」
「ううん。別に遅刻するわけじゃないし大丈夫よ。
それよりミサト先生が出張ってことは・・・昨日はお料理できなかったのね。
せっかく頑張って覚えたのに残念ね。」
アスカがヒカリの家に泊りがけで遊びにいくことは珍しくないことだが、今回は遊びにいくというより新しい料理を教えてもらうことの方に重きが置かれていたのだ。
とりあえず家事を覚え料理の腕もあがってきているとはいえ、やはり2年弱のキャリアではレパートリーにも限界がある。アスカの場合基本的に食べなれている洋食を中心に、基本的な和食と簡単な中華料理が作れるぐらいだ。
ただしレパートリーは少な目でも味付けの方はヒカリのお墨付きだ。
一度覚えた料理は、何度も作ってアレンジを加えて自分のものにしている。
日本に来たばかりの頃は抵抗感があった和食も、慣れてしまえば美味しいし何より健康にも美容にも良く、最近は和食のレパートリーを増やすことを目標にしている。今回もヒカリの指導で煮物と鍋料理を1品つづ習ったのだ。
「せっかく作ってもねぇ・・・食べてくれる人がいないと張り合い無いしね。」
「そうよね。でも帰ってきたら作ってあげればいいんだし。」
「うん。そうするつもり。たぶん明日には帰ってくる予定だしね。」
肩を並べて談笑しながら学校へ向かう二人。
二人が通う第三新東京市立第一高校は、現在3学年で200名弱の生徒しかいないが人口増加に備えて、最大1000名余りの生徒を受け入れ可能だ。
高校としては贅沢なカレッジ並みの敷地に広いサーカーコートが4面取れるグラウンドに、公式大会を開催できる規模の体育館、闘技場、プールが完備されている。実はチルドレン収容のためNERVが管理しているからこその充実だが、一般には公開されていない。知っているのは極一部の人間だけだ。
正門をはいって広い前庭を100m以上歩いてようやく正面玄関に辿り着く。
そしてその間にアスカの前を立ちふさがるように幾人もの男子生徒が、中には他校の生徒もいるようだが、アスカに交際を申し込もうと現れるのが日課だった。
アスカはその全てを軽くきっぱりと断り、しつこい相手には得意の平手打ちをふるまって校舎に入る。だが彼女の受難は続く。
下駄箱をあけると雪崩れ落ちるように溢れ出すラブレターの山。下駄箱の中に残っているものも全て取り出して捨て、おもいっきり土足で踏みつけて上履きに履き替える。ヒカリも毎朝のことなので注意するのも諦めて黙って見ている。
「ほんっとーに、どうして男って、馬鹿でトンマで学習能力が無いのかしら。」
これもお約束のセリフ。こう言い捨ててヒカリとともに自分達の教室へ向かうのが日課のようだ。
教室に入ると、普段は一番乗りに近いのだが、今日は何人か先に登校してた友人達と挨拶を交わし、自分の席にカバンを置いて教室の窓際に空いたスペースに仲良しで集まってHRまでおしゃべりを楽しむ。
授業は退屈。13歳で大学を卒業しているアスカの知識欲を満たすものは、何も無いと言い切って差し支えないのだ。それでもこうして学校に通うのは表向きは日本語を学ぶためであるが、実際には同年齢の友人達との日常生活を楽しむことこそが本当の目的だった。
考えてみれば贅沢な話しだが、14歳まで全速力で走りつづけるような生活を続け、一度は心も身体もぼろぼろに壊してしまった経験を持つアスカにとって、今の生活は何者にも代え難い平温で暖かで居心地の良いものだった。
アスカの生活に欠けているものを強いてあげれば恋愛という項目がすっぱりと抜け落ちていることだろう。
アスカに熱をあげる男子生徒がいないわけではない。逆に鬱陶しいほどアスカにまとわりつく。だがアスカは一度して男の子と交際したことがない。
アスカがフリーだから勘違いした男の子がアスカへの思いを募らせる。アスカにステディな相手ができれば、それ以外の男の子達はアスカへの思いを諦めるで
あろう。
自分が思いをよせている男の子がアスカに夢中になっていることが面白く無い女子生徒が幾度もアスカに問い掛けた。
「どうして惣流さんは誰とも付き合わないの?」
「尊敬できる人なら付き合ってもいいんだけどね。」
「尊敬できるって、具体的にどういうこと?」
「例えば・・アタシより頭がいいとか、アタシよりスポーツ万能だとか、アタシより強いとか、とにかく何かひとつでもアタシより秀でてることが条件ね。」
「・・・」
「だからアタシは誰とも付き合わないの。わかった?」
無茶苦茶な言い分なのだが、実際入試成績トップの成績を維持し、スポーツ万能、軍の特殊部隊相手に通用する格闘技も身につけているアスカであるから、こう言いきられては返す言葉がない。
来日以来の女王様モードはいまも健在だった。
担任のミサトが不在のため朝のHRには副担任のマヤが現れた。
童顔のマヤもまた男子生徒に圧倒的な人気を誇る。
生徒数から学年毎に2クラスしかない第一高校にあって、この1年A組は正副両担任とも学校の誇る独身美女。もちろんミサトとマヤの二人である。
対して1年B組はというと・・・正副両担任とも定年間近の男であった。
実際には第一高校の女性教師というのはミサトとマヤ、そして非常勤保健医のリツコの三人しかいないのだ。
常勤のたった二人しかいない美女がそろって1年A組の担任を受け持っているものだから、他のクラスや上級生からはクレームの声が上がっているそうだ。
「みなさん、おはようございます。」
「おっはようございまーーーす。」
童顔に似合わぬナイスなプロポーションを持つマヤの笑顔にクラスの男子の元気な声が唱和する。女子の一部は不機嫌な顔をしている。
恨むならアスカと同じクラスにいることをこそ恨むべきだが、一部の人間を除いて事実は公開されていない。
「今日は葛城先生が急用のため午前中はお休みされるそうです。」
「英語の授業は自習ですかぁ?」
「2時間目の英語の授業は、6時間目の数学と入れ替えです。」
「ええ~~~~!」
「葛城先生も、6時間目には戻られるそうよ。だから入れ替え。残念でした。
じゃ、そーいうことで今日も一日頑張りましょう!」
「は~~い!」
笑顔でガッツポーズを作るマヤにつられて元気に応える生徒達。
そして最後にアスカに向かってウィンクを残して教室を後にする。
「良かったね。アスカ。ミサト先生今日帰ってくるんだ。」
「うん。さっそく昨日の成果を見せてミサトを驚かせてあげるわ。」
ヒカリの言葉ににこにこと応えるアスカ。ご機嫌だ。
友人の笑顔をみてヒカリも嬉しくなる。
今日は朝から良い一日かもしれない。
だがその二人の機嫌を損ねるヤツがいた。
「くうっ・・・最っ高の写真が取れたよ。感激だぁ。」
マヤの姿がドアの向こうに消えるなりケンスケが興奮した声をあげる。
興味深々でケンスケのデジタルカメラに集まる男子生徒達。
「どないしたんや、ケンスケ」
「トウジ。これこれ。これを見ろよ。」
震えるケンスケの手の中のスクリーンに、画面一杯に広がるマヤの笑顔。
そして艶やかなウィンク。回りを囲む男子生徒達からため息がもれる。
「こりゃあ傑作やな。」
トウジが腕を組んでうんうんと何度も頷く。
ケンスケは嬉しそうに応える。
「な、トウジも、そう思うだろ。・・・売れる・・・こいつは売れるぞ!」
トウジがケンスケの肩に手をおいて小声でつぶやいた。
「・・・友達価格でたのむで・・・」
「おれもおれも!」
トウジの言葉に争うようにケンスケの前に並ぶ男子達。
そんな男子達をジト目でにらむ女子一同。
「ほんっとうに、うちのクラスの男子ってバカよね!」
吐き捨てるように断言するアスカ。
普段はアスカの強すぎる物言いにやんわりとフォローに回るヒカリだが、こういうシュチュエーションの場合、極一部の人間にはアスカより恐い存在となる。
「す~~ず~~は~~ら~~~~」
「あたたたた。なにすんねん。いいんちょ。やめて~な。」
耳をひねり上げられ引きずられてゆくトウジ。中学時代から変らぬ光景だ。
ヒカリを恐れるごく一部の人間とは、見てのとおりトウジに違いない。
こうして第一高校1年A組に一日が始まった。
いつもと違う天井。一瞬自分のいる場所が判らなくて混乱する。頭も痛い。
そして思い出す。いろんな事があった昨日という一日の出来事を。
自宅の窓ガラスが全滅してしまっていたので昨日はホテルに宿泊したのである。
スイートに泊まっていることを思い出し、ベッドの枕元にある時計を見る。
「はぁ~・・・まだ眠いや・・・もう8時半か・・・
えっ?8時半?完璧に遅刻じゃないか。」
たちまち目が冴えしっかり覚醒するシンジ。
あわてて衣類を身につけて、隣のベッドで豪快に眠りこけているミサトを起こしにかかる。
「ミ、ミサトさん、ミサトさん。起きてください。もう8時半ですよ!」
「・・・うっ~~ん・・・あと5分・・・あと5分寝かせてぇ・・・」
「駄目ですって、ミサトさん・・・ミサトさん?ミサトさん!!!
起きてください!もう8時半ですよ。」
「・・・へっ?8時半???」
ようやくシンジの切迫した声に気付いたミサトが、がばっとはねおきる。
シーツの下からあらわれるミサトの眩しい下着姿。
「わっ・・・ミ、ミサトさん!」
あわててミサトが見えないよう壁の方へ向き直るシンジ。
その顔は真っ赤になっている。
ミサトは胸元に膝を抱え込むようにベッドの上に座ってシンジをからかう。
「あたしの下着姿見て興奮しちゃったかなぁ?」
「そ、そんなんじゃないですって!は、はやく服を着てください。
じ、時間が無いんですから!!お願いします。」
「う~ん」
ほとんどシンジの言葉など聞いていないミサト。
大きく伸びをして身体をほぐすと、携帯電話を持って下着姿のままペタペタとバスルームに向かって歩き出す。
「昨日はお風呂入れなかったしねぇ~。ちょっちシャワーあびてくるわ。」
「・・・ミサトさ~ん。時間が無いんですってば。もう8時半過ぎてるんですよ。
僕、学校いかなくちゃならないし、ミサトさんだって仕事どーするんですか?」
後ろを向いたまま抗議するシンジに、バスルームのドアから顔だけ出したミサトが応える。
「あのさ・・・シンちゃん。
昨日のアレの片がきっちりつくまでは普通の生活に戻れないと思うの。
ともかく今日は学校は休んでもらうことになると思うわ。
取りあえずシャワー浴びてすっきりしてから考えましょ!いい?」
結局ミサトがシャワーを浴びたあと、シンジもシャワーを浴びることになり、シンジがさっぱりとした顔でリビングに出てきた頃には、ミサトが注文したのであろう朝食のセットがテーブルに用意されていて、ミサトは携帯電話で誰かと話しをしているところだった。
シンジがミサトの向かいの席に腰をおろすとほぼ同時にミサトの通話が終わったみたいだ。ミサトの表情は暗い。
「冷めないうちに食べましょ。」
「はい」
こんがり焼いた厚焼きトーストにスクランブルエッグ。ツナの入ったグリーンサラダとデザートにミルクプリンが添えられていた。
紅茶のセットとたっぷりお湯の入ったポットも並んでいる。
もくもくと無言で食事を取る二人。
ミサトが真剣な表情をくずさないのでシンジも話し掛けられないでいた。
きれいに朝食を食べ終えてシンジが入れた紅茶を受取ると、ようやくミサトが口を開いた。
「ほんと、ごめんね。」
「・・・何か悪い知らせだったんですか?」
「う~ん・・・思ったよりも大事になっちゃったみたいなのよ。」
「大事って?昨日の事件のことですよね?」
「そうよ。昨日のあれに関することなんだけどね。
シンちゃんにも昨日話したけど、うちの保安諜報部の手勢だけじゃ足りなくて、戦自の特殊部隊に協力してもらったでしょ。
まぁ、そもそもがあたしの不注意で情報がもれちゃったのが幸いして、戦自がシンジくんの保護のため出てきただけなんだけど。
昨日のドンパチが派手すぎたみたいね。あたしもNERVだけで処理できると思ってたんだけど、そうもいかなくなっちゃったのよ。」
「・・・かなり悪い知らせだったんですね・・・」
「そうなのよねぇ。戦自から政府に報告が入ったのもあるし、リツコがサポートのために日本上空に位置していた人工衛星をぜ~んぶ特務権限で徴用しちゃったもんだから、戦闘内容が全て国連にばれちゃったのね。
今、冬月司令がホロ会議で国連と渡り合ってくれてるんだけど、雲行きが怪しいらしくて・・・かなり厳しい条件を課せられたらしいの。」
「条件って?」
「えっとね、シンちゃんがこの街で暮しつづけるなら、戦自の陸空部隊の常駐基地を設営して、24時間常に市外を出入りする道路に検問を敷設して、同様に空から24時間攻撃ヘリによる哨戒をかけて、シンちゃんには最低4名以上のガードが常に身辺警護のためにはりつく・・・ってのが最低条件みたい。」
「・・・それじゃ囚人と変わんないじゃないですか。勘弁して欲しいです。」
ミサトの言葉にがっくりと肩を落とすシンジ。
昨日の事件を考えれば自分に護衛がつくことは仕方が無いと思うが、それだけにとどまらず街全体が軍隊の支配下にあえぐことになってしまいそうだ。
平和な街だったのに僕一人いるために・・・やっぱり僕はここに居てはいけないんだ。
だが俯いて考え込んでしまったシンジには見ることができないのだが、そんなシンジを見つめるミサトの顔には、あのニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
「そうじゃなければ、国外の国連軍基地で暮すという手もあるし、国内であればNERV本部のある第三新東京市で暮すしか無いらしいわ。
シンちゃん、どうする?」
第三新東京市という言葉に反応するシンジ。
あわてて顔をあげるとミサトの笑顔が待っていた。
「ミサトさん・・・」
「そ。冬月司令が頑張ってくれたわ。わたし達の街、第三新東京市であれば鉄壁に近いNERVのガードが期待できるから。どうする?」
「はい。第三新東京市に戻ります。」
シンジが決断してからのミサトの行動は迅速だった。
すぐにホテルをチェックアウトしてシンジの自宅に戻り、最低限の着替えなどをまとめさせると、そのままシンジの通っていた学校へ向かう。
驚いたことにシンジの暮していた家は何事もなかったかのように既に窓ガラスなどの修理も終わっていて、前庭に面する通りの路面の一部が黒く焼けこげている以外、昨夜あれほどの戦いがあったとは思えないほどに日常が戻っていた。
ただ家の周囲に黒いスーツ姿の屈強な男達が警戒していることで、やはり昨夜の戦いが現実のものであったと痛感させられた。
ミサトは授業中で静まり返っている学校のグラウンドに、目一杯ど派手なドリフトで突っ込んでいった。けたたましい轟音に学校中の注意が集まる。
校舎の窓には黒山の人だかり。職員玄関からはあわてふためいて何人かの教師が走り出してきた。シンジはおもわず助手席で頭を抱えこんでしまった。
「ミサトさ~ん・・・派手すぎますよ。」
「いいのよ。気にしない。気にしない。」
「ミサトさんは気にしなくたって、僕は気にします。」
「もう。シンちゃんのいけずぅ。」
居心地の悪そうなシンジを追い出してから、ミサトもルノーを降りた。
校舎の窓のあちこちからどよめきがあがる。
シンジがミサトの方を振りかえると、そこには校舎に向かって投げキッスを特売中のミサトの姿があった。ますます頭のいたいシンジであった。
「そこの男子生徒!1年の碇だな!」
ようやく教師達が駆けつけてきてシンジに向かって怒声をあげた。
「こんな派手な車で学校にくるとは。非常識にもほどがある。
だいたいこんな時間に女といっしょにくるとはどういう了見だ。」
見ると学年主任の数学教師と生活指導の体育教師3人が出てきていた。
よりによって一番うるさい教師のお出迎えとはついていない、とシンジはますます落ち込んだ。
だが、ミサトはよってきたむさ苦しい教師達にも愛想の良い笑顔のまま痛烈な激を飛ばした。
「そこの一般人!シンジくんから離れなさい!」
「い、一般人・・・!?」
ミサトの威勢におもわず引く教師達。ミサトはそこに追い討ちをかける。
あでやかな微笑みとともにきっちりと型にはまった敬礼をし、ミサトが叫んだ。
「特務機関NERV作戦本部長、葛城一佐です。
NERV特務権限に基づき本日現時刻を持って、碇シンジくんの学籍を貴校より第三新東京市立第一高校に引き取らせていただきます。
なおこの件に関する一切の手続きは国連法に基づき後日NERVの担当官が改めて貴校に赴きますので、御質問等はその時にお願いいたします。
本日は碇シンジくんのクラスメートへのお別れの挨拶の時間をいただくために、わたくしが同行させていただきました。
では、これより当該クラスへまいりたいと思いますがよろしいですね?」
「・・・は、はい。結構でございます。」
硬直したままわけのわからない返事をする学年主任と、体育会系の性か直立不動で固まってしまった体育教師達を横目に、ミサトとシンジは生徒用玄関から校舎に入っていった。
もう完全にミサトのペースである。ほとんど飛ぶように歩くミサトにシンジは力の抜けた声で話し掛けた。
「ミサトさん・・・どこ行くんですか?」
「えっ?決まってるじゃない。シンちゃんのクラスまで行くのよ。」
「・・・もう通り過ぎちゃってるんですけど。」
「あららら。いやぁねぇ。はやく言ってくれれば良かったのに。」
「ミサトさん、勝手にどんどん歩いてっちゃうんだもの。」
「あはははは。」
教室は既に静まり返っていた。授業はとっくに中断されている。
教師を含めクラスにいる全員の目が扉から入ってくるシンジとミサトに注がれていた。
シンジはバツが悪そうに。ミサトはいきようようと教壇の上にのぼった。
「授業中すみませんね。」
ミサトが窓際の隅に下がった教師に向かって挨拶した。
鷹揚に応える教師の姿に、ミサトはいたずらっぽい笑みを浮かべて教壇の上からクラス全員の顔を見渡した。すっかり気分は教師モードのミサトであった。
「みんな。ちょっち聞いてくれるかなぁ?」
「はぁ~い!」
のりの良い男子の幾人かがミサトに応じて大声で返事をする。
「突然なんだけど、このクラスの何人かの女子には悲しいお知らせがあります。」
「えぇ~~なんですかぁ~~」
先ほどより応える声が増えた。満足そうにミサトがうなずく。
「ここにいる碇シンジくんに思いをよせてる女の子達。今日でおわかれよん。
悪いんだけど、あたしがシンジくん連れてっちゃうの。ごめんして!」
どっとクラス中が沸きあがる。だが幾人かの女の子の表情が暗くなったことをミサトの鋭い目は見逃していなかった。
やっぱシンちゃんってけっこうもてるんじゃない、と不謹慎にも考えている。
「しっつもんで~~す」
最初からのりの良かった男子生徒が手をあげた。
「はい。そこの少しとぼけた男の子。質問をどうぞ。」
「おねーさんは碇の恋人さんですかぁ」
きゃぁきゃぁと歓声があがるなか、シンジは真っ赤な顔のまま硬直していた。
「ち、ちがう・・・」
シンジは否定の言葉を発しようとしたがミサトのセリフに遮られた。
「おしい!残念だけど、おねーさんにはちゃんと婚約者がいるんですよぉ。」
と左手をすっと持ち上げて加持からもらった指輪を見せる。
その輝きに女子生徒の口からため息がもれる。
室内のどよめきが徐々にひいていく。
「知ってるひともいるかもしれないけれど、ここにいる碇シンジくんは3年前から1年ほど、第三新東京市で暮していました。
事情があってシンジくんはこの街にもどってきていたのだけど、つい先日、この街でシンジくんの世話をしていた保護者だった方が亡くなられてしまったの。
2年前にお父様も亡くなられてシンジくんには身寄りがないので、以前、第三新東京市で暮した頃に保護者役だったあたしがシンジくんを迎えにきたんです。
ですから残念ですが、碇シンジくんは今日でみなさんとはお別れです。
さ、シンジくん。最後にちゃんと挨拶しましょうね。」
ミサトの言葉にしんと静まった教室で、シンジはクラスメートに別れを告げた。
妙に落ち着いた気持ちで、しっかりと話すことができた。
ミサトの絶妙なガイドのおかげかもしれない。
「みなさん。今説明がありましたが、僕がお世話になっていた孤児院の先生が先月亡くなりまして、今後はこちらの葛城さんのお世話になることになりました。
良くしてくれたみなさんとお別れするのは寂しいですが、第三新東京市で頑張りますので、どうかみなさんもお元気でこれからも頑張ってください。
本当にいままでありがとうございました。」
教壇で深々と頭を下げるシンジに、教室の中から静かな拍手が送られた。
顔をあげたシンジの目にはかすかに涙が滲んでいるようだった。
ミサトはそんなシンジをやさしく微笑みながら見つめていた。
教室の中にいる全員がその光景を美しいとさえ感じながら見つめていた。
「さ、そろそろお暇しましょう。おじゃまいたしました。」
ミサトが教壇の横にいる教師に挨拶し、シンジを促して教室をでようとすると、室内からシンジに別れの言葉が贈られはじめた。
「碇。がんばれよ!」
「碇くん。元気でね!」
「この街に遊びにきたら顔だせよ!」
「手紙ぐらいくれよな!」
シンジは心のなかが暖かくなるのを感じ、素直にクラスのみなに手をあげて応えた。
「みんな。ありがとう。必ずそうするよ!」
ミサトのおかげで良いさようならができたと感謝するジンジであった。