最終話

教師の声が教室に響く。

生徒は(表面上は)熱心に授業を受けている。

しかし、アスカは、独り、心ここにあらずの風情だった。

『授業早く終わらないかな。料理する時間がなくなるじゃない』

時間はまだ午前中。まだ、放課後にはほど遠い時間だった。

 

 

 

 

 

昼食時間

アスカとヒカリとレイはお弁当を食べていた。

「で、アスカ、今日は何をつくってあげるの?」

ヒカリが謎の笑いを含みながらアスカに尋ねる。

レイは静かに食事を取っている。

アスカはヒカリの笑みの意味をわかっていたが、わざと簡単に答える。

「野菜を中心としたカレーシチューと牛肉の巻き焼きおにぎりよ 」

「きっと碇君喜ぶわ」

ヒカリからレシピをほめられ、アスカの顔が輝く。

レイは会話を聞いて、食事する手を止め、アスカに尋ねる。

「碇君がどうかしたの?」

アスカは今日シンジが退院する事をレイに告げた。

レイは嬉しそうに「そう、良かったわね」と一言言った。

そのレイの言葉を聞いた時、アスカはふと思いついた。

「今日、シンジの快気祝いをするわよ。そこで、レイ、アンタも来るのよ」

ちょっとびっくりした顔でレイはアスカを見る。

「私?」

「そう。そして、レイだけじゃないわ。ヒカリや鈴原たちもよ。ちょっと、鈴原」

ヒカリの作った大盛り弁当をかき込んでいたトウジが顔をあげた。

「なんや?いまワシは忙しいんやで」

「今日、シンジの快気祝いをするからヒカリと一緒に来るのよ。ケンスケも右に同じ」

「シンジの快気祝いなら喜んでいくわい。のう、ケンスケ」

「ああ、いいよ」

「旨いもんもぎょうさん用意してや」

「アンタに食べさせるんじゃないけど、まぁ、いいわよ。じゃあ、決まりね」

ヒカリが心配そうにアスカに言う。

「大丈夫なの。私達が押しかけても?」

「大丈夫よ。『我に秘策あり』だわ」

そして、アスカはいたずらっぽく笑った。

 

 

夕方、マンション駐車場。

ミサトのルノーが珍しく静かに停まった。

「シンちゃん、着いたわよ」

シンジは助手席から降りながら、『ミサトさん、いつもこんなおとなしい運転をして欲しいなぁ』と思う。

ミサトはシンジの退院に付き添ってきたのだ。さすがに帰りは安全運転で帰ってきたらしい。

「シンちゃん、ごめんね。今日も忙しいの。これからネルフに戻るわ。なるべく早く帰るから」と言ったミサトはニヤリとする。

「だからアスカを押し倒したりしちゃ駄目よん」

「し、しませんよ!」

「傷に障るしね」

「だから、しませんって」

ミサトは、笑いながらシンジの抗議を聞き流し、続いて話す。

「ふふっ、シンちゃん。今日はアスカ達が快気祝いをしてくれるらしいわ。 だから、みんなもう来ていると思うわよ」

「快気祝いですか」

「そう、だから私も仕事頑張ってなるべく早く帰ってくるわね。
ああ、それと後ろの荷物は後で私がもってくるから。じゃあねん」

そう言い残し、ミサトは車を発進させた。

 

 

ドアの音が低くひびいた。

「ただいま」

シンジは約1ヶ月ぶりに帰ってきた。

シンジは昨日と比べ掃除が行き届いている事に気がつく。

玄関回りに結構綿埃とかゴミがたまっていたのである。

『掃除…アスカ…しかいないよな』

と思いながら上がり框に足をかけたシンジに声が掛かった。

「シンジ、お帰り」

「碇君、お帰りなさい」

「退院おめでとう。碇君」

「センセ、お疲れさん」

「退院おめでとう」

シンジは声の主達に笑顔を見せた。

「うん、ただいま」

本当に嬉しそうなシンジの表情をみて、アスカも嬉しくなる。

「シンジ、荷物は?」

「ミサトさんが後から持ってきてくれるって。あれっ?みんな、どうしてエプロンしているの?」

シンジはアスカや友人達のエプロン姿に気がつく。

「シンジ、今日はシンジの快気祝いよ。」

「うん。ありがとう。でも、それと関係があるの?」

「きょうはね、餃子パーティなの。それで、みんなで餃子をつくっているのよ」

「あ、なるほど」

「まぁ、けが人はこっちでゆっくりしなさい。今日はみんなで準備しているから」

アスカはシンジをリビングのソファに座らせた。

「どんな餃子を作っているの?」

シンジが尋ねる。

「いろいろとね。普通の餃子、といってもヒカリの特製だけどね。
肉は挽き肉じゃなくて、薄切り肉をフードプロセッサーを使って作ったのよ。
その方が配分が楽しめるし、安心できるからって。今度、家でもハンバーグのときは試してみるわね。
ええと、それとね、あとは海老餃子でしょう。それと、手羽餃子。イカのすり身のやつもあるし、
変わったところでは肉の代わりにツナを使ったものがあるわ。そうそう、パンプキンやチーズもあるわよ」

アスカが説明した後、くすっと笑って付け加える。

「後、ニンニク餃子。レイの発案でニンニクの一かけらを丸ごと入れたものね」

「アスカ!言っては駄目」

レイが真っ赤になってアスカに抗議する。

シンジはそんなレイに答える。

「あ、それは油で揚げるといいかも」

シンジの意見にヒカリも続けて言った。

「ほら、碇君も私と同じように言っているでしょう。大丈夫だって。
だいたい、トウジがからかうからいけないのよ」

「ワシはなにも…」

「アンタ何か言う事があるの?ごちゃごちゃ言うと何も食べさせないわよ」

「こら。なんでワシがそないに言われなアカンねん」

「トウジ、やめとけ。口では惣流に敵うわけないだろ」

「なんですって!相原!『口では』って何よ。アタシがオバサンみたいじゃない。
それにだいたいアンタがアタシに対抗できるのは変な趣味だけじゃない。失礼しちゃうわ」

会話を聞いていたシンジは笑いを堪えきれなかった。

「ふふっ、あはははは」

アスカがシンジに向かって言う。

「シンジ、何が可笑しいのよ」

「アスカ、可笑しくて笑ったんじゃないんだ。ただね」

「なによ」

「いや、別に」

「アンタ、おかしいんじゃない?大丈夫?」

「大丈夫だよ。ははっ」

「まぁ、いいけどね」

シンジはいつもの仲間達の会話に、やっと帰ってきたとの実感を得たのであった。

 

 

シンジはある香りに気がつく。

「ところで、何かカレーの匂いもするのだけど。ま、まさか、ミサトさんが…」

「アンタの快気祝いにそんな病院送りのものを用意するわけが無いでしょ。
アタシが作ったカレーシチューよ。もう少し煮込んでからね」

「そうなんだ。アスカ、ありがとう。楽しみだな」

「そ、そう。口に合えばいいけどね」

少し赤くなりながらシンジに答えるアスカであった。

 

 

 

やっと仕込みが終わり、2台のホットプレートのコンセントをつなげ、スイッチを入れる。

とたんにブレーカーが落ちた。

「ブレーカーやろ。シンジ、配電盤はどこや」

「それと別の系統につなげないといけないよな。延長コードはある?」

てきぱきと対処するトウジとケンスケ。

その時、トウジを頼もしげにみていた一人の少女がいたとかいないとか。

「長い延長コードなんてあったかなぁ」

「センセは日本中から延長コードで電気引っ張った経験があるくせに家には無いんかい」

「トウジ、それは関係ないだろ。それにそれは僕じゃないよ」

「ほうか。そりゃまた失礼」

とかなんとかいいながら準備を進めていくのであった。

ゴマ油の香りが立ちこめた部屋のなかにご機嫌なトウジ達がいた。

「シンジ、もっと飲まんかいっ」

なぜかシンジをのぞいたメンバーの顔が少し赤いのはどうしてだろうか?

「そうよ!アンタのお祝いでしょうが。付き合い悪いわね!」

アスカがシンジにコップを突き出した。

ビールやワインの瓶がその回りに林立しており、良く見ると相当の酒類が費消されているようである。

当然、ミサトのストックであろう。

「ア、アスカ、飲み過ぎはいけないと思うけど(汗)」

「何が飲み過ぎよっ。アタシは酔ってなんかいないわ。ねぇ、ヒカリ」

アスカは、そう言いながら自分とヒカリのグラスにワインを注ぐ。

ヒカリは嬉しそうに受けながら相づちを打った。

「そうよねー。今日は碇君の退院のお祝いだから、少しくらい羽目を外してもいいわよねー」

「そうよ。だから飲みなさいって言っているのよ」

「まだボルトが骨に入っているし、だめだよ」

「シンジ、酒はカルシウム分が豊富なんだぜ」

「ケンスケ、……嘘をつくなよ」

「あははは、堅いこと言うなよ。惣流から注いでもらえ」

「しょうがないなあ」

「何、その言い方。アタシの酒をいやいや飲むの?」

「ち、違うよ……ほら、僕たち未成年だから」

「『歩く良識』のヒカリからもお墨付きが出ているのよ。問題はないわ」

仕方なくシンジがアスカから注いでもらい、一口飲んだ。

そのシンジにも1人の少女がガラスの杯を差し出した。

「碇君、御返杯」

レイである。少し目が潤んでいて色っぽい。

その姿を見ながら思わずグラスを取ってしまうシンジ。

レイはグラスを渡すと黙って日本酒を注いだ。

それを見たアスカは心中穏やかではない。

「シンジ、レイのときは素直になるのね」

『しまった』

シンジの背中に汗が一筋流れる。

「いや、これは……ごめん」

「アタシの酒は飲めないのにレイのは飲むわけね。ふ~ん」

「うっ。ごめん。つい、手が出てしまったんだよ。」

「『つい』ねぇ。ふ~ん、そうなの。昨日のシンジの言葉ってアタシの聞き間違いだったのかしらね」

その言葉にケンスケが眼鏡を光らせた。

「おっ、シンジ、ついに惣流に愛の告白か?」

「センセもついに年貢の納め時というわけやな」

と言いながらケンスケとトウジはげらげら笑い転げる。

「アンタ達、バカじゃないの」

アスカは真っ赤になって(酒のせいもあるが)、そう言うのがやっとだった。

「いや。その。あははは」

シンジも返事に困って、笑って誤魔化した。

その2人の様子をヒカリ、そしてレイがやさしく微笑んで見ていた。

 

 

 

「ところで、シンジ、バイクはどうする。また、うちで修理するか?」

ケンスケがシンジに尋ねた。

「修理はしようかなと思っているのだけど……」

「思ったより壊れていないから結構簡単に修理できるぜ。転び方がよかったんだな」

「ははっ、『転び方がよかった』はないだろ」

シンジが苦笑いして答えた。

「碇君」

レイがシンジに声をかける。

「何? 綾波」

「バイクはもうやめて」

「え?」

その言葉にみんなが注目した。

レイは真っ直ぐにシンジを見る。

「あのような思い、私も……アスカもしたくはないの。アスカ、そうでしょう?」

「…うん、でも、シンジが乗りたいというなら…あのバイクはシンジの想いも入っているし。けど……」

アスカはシンジから昨日の話しを思いだし、すこし躊躇した。

「理由はともあれ私も綾波さんと同じ。反対よ」

ヒカリも反対票を投じた。

「バイクが男のロマンちゅうことはわかるけどな、ワシもあまり賛成できん。
しかし、シンジが決める事や。今日はもうええやろ」

と、トウジがみんなに言った後、シンジの方を向いた。

「でも……シンジ、綾波や惣流の気持ち、考えてやれや。のう」

「うん」

シンジは返事をした後、ワインを口に含んだ。

静寂が辺りを包み、少し気まずい雰囲気となった。

その沈黙を破ったのはケンスケであった。

「すまん。ちょっと、座がしらけてしまったな」

「ワシもや。似合わん事言うてもうたわ」

アスカが、すかさずフォローする。

「だいたい、シンジが事故を起こすからこういう話しになるのよ。
これからは絶対事故に遭わない事。これは約束だからね。わかった?」

「うん、わかったよ。」

「じゃあ、約束の杯よ。ほら、ぐっと飲む」

アスカはシンジのグラスにワインをなみなみと注いだ後、レイに向いた。

「レイもよ」

そして、杯に日本酒を注ぐとき、小さな声で 「ありがとう」 と囁いた。

レイはアスカの言葉に安心したように微笑むと、ぐっと飲み干した。

そして、「アスカにも」 と言ってアスカに杯を渡した。

アスカも注がれた酒を飲み干し、2人は顔を見合わせてニッコリと笑った。

 

 

月も西に傾いた頃……

「ほう、やっているな」

「ちょっと、あんた達」

「あ、加持さん、こんばんは。ミサトさん、リツコさんも一緒ですか」

リョウジ、ミサトそしてリツコが家に帰って見ると、ベレケ状態のチルドレン達の惨状が待っていた。

かろうじて、シンジが正気を保っているようである。

「さすがミサトの家ね。って、レイ!あなたまで」

真っ赤な顔をして眠っているレイの姿を見て、リツコが声を上げた。

「無様ね」

ミサトが横でリツコの十八番のセリフをつぶやく。

「何? ウチのレイに酒を飲ませておいてその言いぐさ。ミサト、私に喧嘩売っているの?」

「『飲ませた』ですって? ど~だか。レイの日本酒好きはリツコと同じよね」

ミサトがニヤリと笑う。

「私、聞いたんだ~。リツコが最近はまた純米大吟に凝っているらしいって言う事。晩酌しているそうね、お二人で」

「ぐっ」

どうやら、リツコはレイを晩酌に付き合わせていたらしい。

珍しくリツコが言葉につまるが、素早く立ち直る。

「ふっ。まぁ、良いけど。でも、この状態だったら、あなたの家の冷蔵庫空っぽだわね」

余裕ぶちかましていたミサトは、あわてて酒専用の冷蔵庫を開き、顔色が変わる。

「あ、あ~っ。ビールがこんなに減ってる~っ。あのワインも。熟成させていた日本酒も無くなっている。ふぇ~ん」

「ふっ、無様ね」

「葛城、良いじゃないか。シンジ君の快気祝いと言う事だし」

「リョウジ、あんたのヴィンテージ・ラムも開けられているわよ」

「そ、そうか。あははははははは………くっ(涙)」

 

「ごめんなさい。みんなで調子に乗ってしまって」

シンジは頭を下げた。リョウジが気を取り直して答える。

「飲んでしまったものはしょうがないさ。どうだい、みんなの様子は?」

子供達の様子をみていたリツコが答えた。

「大丈夫みたいね。強いわ、この子達。体温を下げないようにしておけば、このままでも大丈夫と思う。
起きたら喉の渇きを訴えるから、何かスポーツドリンクみたいなものを用意しておく事ね」

「そうか。なら俺達も少し飲もうか?食事もまだだしな」

「私は失礼するわ。レイをこのままにしておけないし」

そして、ミサトが車で二人を送っていった。今日2回目の安全運転であった(笑)。

 

 

シンジがかけ布団をみんなにかけ、スポーツ飲料を用意した頃、ミサトも帰ってきた。

「私、ちょっち、お風呂に入るから、先に食べていてね」

そう言い置いて、ミサトはバスルームに消えた。

 

遅い食事が始まる。

「これは旨い」

リョウジがつぶやく。

「そのカレーシチューはアスカが作ったんです。すごくおいしいですよね」

シンジが嬉しそうに答えた。

「はははは、シンジ君。君は正直だな」

「え?何がですか?」

「いや、思った事が顔に出ていると言う事だよ」

「はあ」

「気に障ったらすまない」

「いえ、別に」

「そうか。ところで、入院生活はどうだったかい」

リョウジはそう言って、ビールを一口飲んだ。

「ええ、まずまず快適でした」

「あそこはなかなか美人揃いだろう?」

と言ってウインクをする。

「そうですね」

「おっ、そう来たか。気に入った娘はいたかい?」

「いえ、そんなことはありませんでしたよ」

「そうかい? 元気な男がそういう事ではいけないな。 ああ、アスカが毎日来るからな。できないよな」

「アスカは関係ありませんよ」

「あははは、そうか? まぁ、順調に回復して良かった」

 

 

他愛のない会話をしつつ、食事を終えた。

リョウジは、モルトウイスキーをグラスに注ぎ、煙草に火をつけた。

「加持さん」

「ん?」

「今回、僕のためにみんなに心配かけました」

「そうだな。それで?」

「アスカにも負担をかけてしまいました。
そして、僕は昨日までアスカの気持ちにも気がつきませんでした」

「そうか……でも、君が気がついたという事は君たち2人はずっと近くにいるという事だ」

「僕、やっぱり怖いんです。
昨日、寝る直前にふと思ったんです。
いつか僕が別の人を好きになってしまわないか。
また、将来もアスカが僕の近くにいてくれるだろうかって」

「そうか」

リョウジは、紫煙とともに、ため息みたいなつぶやきを漏らす。

「ひとつ聞いていいですか?」

「ああ」

「加持さんはミサトさんと心が結ばれていますよね。どうしたらそこまでなれるのかって思って」

リョウジはグラスのウイスキーを飲む。

「シンジ君、君はそれを聞いてどうするつもりだい?」

「え?」

「君の不安もわかる。でも、それは君自身とアスカ君との問題だ。俺の話しは参考にはならない。
それに俺達はそこまで信頼しきっていないよ」

「でも、加持さん、待っていたミサトさんの所に戻ってきたじゃないですか」

「それはそうだが、だからといって俺の話を聞いてどうする」

「……」

シンジはうつむく。

リョウジは煙草をもみ消し、シンジを見た。

「ひとつ指摘しておこう」

「はい?」

リョウジを見つめるシンジ。

「シンジ君、君は他人が経験していないことをしている」

「エヴァ…ですか?」

「違う」

「?」

「アスカ君と一緒に暮らしているじゃないか」

「あ……」

「他人と住む事はとても難しいものだ。
いま、君が自信がないという事は今までの君たちの生活を否定する事じゃないのかな?
それこそアスカ君が聞けば怒ると思うがな。違うかい?」

「………そのとおりですね」

「そして、『これからも』じゃないのかい?」

「えっ、あ、そ、そうですね。」

リョウジはシンジに微笑むとグラスに口をつけた。

「まぁ、シンジ君が悩むのもしょうがないかもしれないな。
でも、俺からみれば、ミサトやアスカと一緒に住んでいるシンジ君の方がずっとすごいと思う。
なにせ、ミサトはなぁ……」

 

 

「私がどうかしたの?」

風呂上がりのTシャツにショートパンツ姿のミサトが部屋に入って来た。

「おっと、早いな。カラスの行水みたいな風呂だな」

リョウジは少しあわてた。

その姿をみて、シンジはくすっと笑う。

「なに言っているの。あんた、私の悪口を言っていたんでしょう?」

「あはははは、ミサトは俺のことは何でもわかるのだな」

リョウジの軽口にミサトが赤面した。シンジの前で言われたのが少し恥ずかしかったらしい。

「バカ」

と一言リョウジに呟くように言ったあと、ビールのプルタブを開けながら、シンジに向かって言った。

「ね、シンちゃん」

「はい」

「バイクはどうするの?」

「修理はするつもりです。
でも、そのあとはもらった所に返すか、もし、そこの家の人が賛成してもらえるなら
大切にしてくれる人に譲ろうとおもっています」

「ふ~ん、もう乗らないの?」

「そうですね、もう乗らないかもしれません。さっきもみんなから怒られました。
さしあたり、明日、マウンテンバイクを買おうと思います」

「そう、明日……あ、思い出した。明日ね、ネルフに来てもらいたいって」

「誰がですか?」

「碇首席顧問よ」

「父さん?」

「そうよ。アスカも一緒にということだったわよ。アスカにはシンちゃんから伝えてねん」

とミサトはあっさりとシンジに告げ、その後はその話題は口にしなかった。

 

 

 

 

翌日、シンジはアスカとネルフに向かっていた。

「シンジ、頭いた~い」

アスカがシンジに言う。

「昨日飲みすぎるからだよ。自業自得だね」

シンジが笑いながら言った。

アスカはその態度にかちんと来る。

『むっ、バカシンジ!!そういう態度ならアタシも……』

「シンジ、冷たいのね。」

と言って、立ち止まり、うつむく。

シンジはアスカの雰囲気が暗くなったので少しあわてた。

「アスカ」

返事をしないアスカ。

「ねえ。怒らないでよ。アスカ」

まだ、黙ったままである。

「アスカさん」

「……」

「アスカ様」

「……」

『やれやれ、仕方ないなぁ』

「お嬢様、後でご一緒にケーキはいかがですか?」

「3回」

「は?」

「カトルズジュイエとシェ・タニのケーキセット、それにプー横町のホットココア」

「はい?」

「今週はこの3つのお店で手を打つわ」

「『3つ』って……(汗)。僕、そんなには無理だよ」

「だめよ。これはシンジへの罰だからね。それに私にいくつ借りがあると思っているの?」

「うっ……それは……わかったよ。でも、今週だけだよ。食べ過ぎはいけないからね」

「わぁい、シンジ、太っ腹っ!」

アスカはシンジに飛びついて喜んだ。

『アスカ、ありがとう。』

シンジは、アスカの心遣いをわかっていた。

全ては、シンジの緊張を解きほぐすため。

アスカを優しく見つめながら、心の中で感謝した。

 

ネルフ。

すでにジオフロントは破壊され、地上施設のみとなっている。

戦後処理に追われていたネルフは、片づいた後、研究機関へ移行していた。

 

 

最上階のドアが鈍い音をたてる。

シンジとアスカは一緒に部屋に入った。

「シンジです」

「元気そうで何よりだ。シンジ君」

今はネルフジャパンの最高責任者である冬月が出迎える。

横の椅子にはゲンドウが尊大な姿で座っていた。

シンジはその横にレイが立っているのに気がつく。

そしてゲンドウが口を開いた。

「シンジ、もういいのか?」

「はい」

「そうか…。今日来てもらったのは他でもない。レイの事だ」

ゲンドウの声が部屋に響く。

 

数年前、全てが終わったとき、一番問題となったのがレイの処遇であった。

レイはみんなと生きていくことを望んだ。

シンジもアスカもレイと共に生きていきたいと考えた。

そして、ネルフの最高責任者であった碇ゲンドウと冬月コウゾウにその気持ちを訴えたのだ。

そのとき、ゲンドウは、黙ってシンジたちの話を聞くだけで何も言わなかった

 

ゲンドウの言葉は続く。

「本日からレイは『碇レイ』となる。シンジ、お前の妹だ」

「えっ」

冬月が口を開き、補足した。

「正式に養子縁組をしたのだよ。シンジ君」

「え、ヨウシエングミですか」

ゲンドウがふたたび口を開く。

「すでにレイには詳しい話をしている。後はレイから聞け。アスカ君もだ。話しはそれだけだ」

それだけ言うとゲンドウは三人に出ていくよう促した。

アスカはゲンドウの態度に腹が立った。すかさず抗議する。

「ちょっと、人を呼びつけておいてそんな態度はないんじゃない。今はネルフの直接指揮下にいるわけじゃないのよ」

「この話は君達二人が私たちに申し入れたことだ。 だから二人に必要な事を伝達したまでだ」

ゲンドウは眉ひとつ動かさずにアスカの抗議に回答した。

「くっ」アスカは言葉につまる。

『このオヤジ、相変わらず平然と憎まれ口を叩くわね』と内心で思うが、反撃の言葉が見つからなかった。

そんなイライラしたアスカの姿に冬月がとりなす様に話しかけた。

「アスカ君の言う通りだ。 碇も言い方を少しは考えないといかん。 それは、さておいて、シンジ君」

「はい」

「レイ君がゲンドウの養子でシンジ君の妹という立場になったということはレイ君の身分が安定、いや保証されたという事だ。
今日は、君たちにも安心してもらいたくて来てもらったのだよ。
でも、実生活はレイ君の姓が変わるほかは今までと何ら変わる事はない。
住む所も赤木博士の所だしな。
今まで通りにレイ君を頼む。シンジ君、アスカ君」

アスカは冬月の言葉に笑顔を見せた。

「わかりました。冬月さん。レイ、よかったわね」

「うん、あれがとう」

レイは少し照れたような表情でアスカに答えた。

シンジは二人の様子をみていたが、すぐに顔を引き締めるとゲンドウに話しかけた。

「父さん」

「なんだ。話しは終わった。早く帰れ」

「ひとつ答えてもらいたいのだけど」

「言ってみろ」

「僕の入院中、病院に来てくれたらしいけど、本当?」

「……ああ、本当だ」

「なぜ?」

「……そんなことか」

「僕はなぜ来たのかって聞いているんだ。答えてよ!」

シンジはゲンドウを問い詰める。

 

冬月はゲンドウに目配せをするが、ゲンドウは表情を全く変えなかった。

アスカとレイは緊迫した雰囲気の中、黙って見守っていた。

『シンジ、がんばって。』 『碇君、…お父さん』

 

「理由はない。」

「そんな言葉、聞きたくないよ。言い訳じゃないか」

「シンジ、自分の息子を見舞うのに理由がいるのか?」

「……でも、僕は父さんの気持が聞きたい」

「聞いてどうする。人は分かり合えるものではない。 このことは、シンジ、お前が証明した事だ」

「違うよ。希望、そう、人は互いに解り合えるかもしれないという希望がある限り、僕は人との絆を結んでいく」

シンジはアスカを、そしてレイを見た。レイは引き締めた表情のまま小さくシンジに頷いた。

そしてシンジはゲンドウを見た。

ゲンドウは成長したわが子を見た。

「父さん、逃げないでよ。話してよ。僕も話したいんだ」

「……」

「碇!」

冬月が堪りかねてゲンドウに声をかけた。しかし、ゲンドウは身じろぎすらしなかった。

アスカはシンジの横に立って、ゲンドウに話しかけた。

「私たちも、昨日話し合ったんです。お互いを思いやるために2人でこれからもっともっと成長しようって。シンジと一緒に」

少し顔を赤らめながら真剣にアスカは語った。

そして、アスカはレイを見た。

「もちろん、レイともね」

レイは嬉しそうにアスカに微笑み、頷いた。

アスカは、レイに笑顔を返すと、再びゲンドウを見て顔を引き締めた。

アスカはピッとゲンドウを指さし、

「シンジはアンタと分かり合う決意をしているわ。
その決意に応える事は、父親としての権利であり義務でもある事なのよ!
男だったらぐずぐずせずに腹くくりなさいよ!」

と威勢よく啖呵を切った。

そして、レイもゲンドウに話しかける。

「お父さん」

ゲンドウはレイを驚いたように見つめた。

「……」

「時間はあるわ。ココロを閉じないで。そして、ココロの終焉と始まりを見た私たちの希望を壊さないで」

 

しばらくシンジを見つめていたゲンドウは表情をゆるめた。

「……そうだな。希望。ユイに教えてもらった事だった」

ゲンドウはそう呟いた後、ほろ苦く笑い、シンジに語りかける。

「私は、いままでこの性格のままで生きて来た。このことを恥じる気持ちはない。また、変えようとも思わない。
しかし……」

ゲンドウの眼がシンジを見る。

「シンジ、努力しよう。私にその時間をもらいたい」

 

シンジはゲンドウの眼に真実を感じた。

「……うん、わかった」

そういって、シンジはアスカとレイに笑顔を見せる。

アスカはシンジの笑顔をみて、少しほっとした。

そして、3人はネルフを後にした。

 

 

 

数日後、三人は河川敷の広場にいた。

ネルフからの帰りに三人は一緒にシンジの自転車を買いに行った。

その時、レイが自転車に乗れない事が判明したのである。

アスカが果然張り切ったのは言うまでもない。

「レイ、特訓よ!」

という事で、今日、三人は河川敷にいるのである。

「最初は怖くてもバランス感覚を養う事が大切よ。あの堤防の坂道から下に足を着かないで降りなさい」とアスカ。

「だめだよ。転んだらレイが怪我するじゃないか。僕が後ろを支えてやるから、まずは平地からだよ。」とシンジ。

「シンジ、アタシの言う事がわからないの?ちがうわね。シンジはいつもボケボケっとしているからそう思うだけだわ。
レイは運動神経がいいからアンタの考えているような事はないわよ。」

「なに言ってるんだよ。危ないよ!」

「自分がそうだったからでしょうけど、アタシは果敢にチャレンジしたわ」

そのアスカにレイが申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。最初は怖いから、お兄ちゃんのやり方でやってみる」

恥ずかしそうに言うレイをアスカは信じられないような目で見た後、ニヤリとしてシンジを見た。

「シンジ、レイは『お兄ちゃん』の言う事を聞くらしいわよ」

「う、うん」

「何真っ赤な顔をしているのよ。妹がそういっているのよ。アンタが面倒見なさい」

ということでシンジがコーチ役となった。

 

「もう一回行くよ」

「うん」

レイはなかなか一人で乗る事は出来なかった。

何回もシンジが後ろから押してやる。

でも、ふらついて、どうしても足を着いてしまうのであった。

「レイ、遠くをみるんだ。近くを見たら駄目だよ」

そういいつつ、シンジは既視感を感じる。

『あれ?この言葉いつか聞いた気がする。』

そしてレイの自転車を押して走り始めた時、思い出した。

 

〈シンジ、近くを見たら駄目だ。あそこに立っている母さんを見なさい。〉

『父さん、父さんが僕の自転車を押してくれた』

 

そして、シンジはレイの自転車から手を離し立ち止まる。

記憶の中から一人の女性が蘇る。

彼女は遠くで笑っていた。

彼女の優しい顔を思いだすシンジ。

 

『そして、母さんもいた。

母さん。

僕は母さんの顔を覚えていないと思っていたけど

僕が忘れようとしていたからなんだね』

 

 

「お兄ちゃん、乗れたよ。ほら」

レイのはしゃいだ声は青い空に吸い込まれていく。

 

 

〈シンジ、すごいぞ!上手に乗れるじゃないか。〉

 

 

シンジは、一筋の涙を流した。

空を見上げ、一人微笑む。

 

『父さん、あなたもいたのですね』

 

雲が少しずつ、流れていく。

 

 

「シンジ、ほら、レイすごい」

シンジはアスカのはしゃいだ声に気づくと、あくびのまねをして涙の跡をごまかした。

「そうだね。レイ、上手だよ」

 

そして、シンジは本当にうれしそうに笑った。

 

 

 

 

おしまい