Give me your smile.

 

 

 


Give me your smile.


 

 

 

 

 

 

 

朝の柔らかな陽射しが、彼女の部屋を明るく変えていく。

セットしておいた目覚ましは、仕事をする前に、彼女の手によって再び眠りについた。

ファサ

彼女は上半身を起こし、伸びをしながら気怠げなあくびをした。

「ふぁ。.....」

彼女の唇から漏れる音。

そして、一日で最後の音。

今朝も、ちゃんと目が覚めた。

 

時折、ふっと不安になる。

朝になっても、自分で起きることができなくなるんじゃないだろうか。

普通に生活していれば、あまり感じないはずの不安。

この不安とつきあいだして、5年になる。

今でも、部屋の灯りはベッドに入ってから3時間後に消えるようになっている。

ついこの間までは、ずっとつけていた。

 

 

彼女はベッドから出た。

姿見で、変なところがないか軽くチェックして廊下に出る。

同居人の彼が朝食の用意をしている音が聞こえる。

トントントン

あの音は、みそ汁のネギでも刻んでいるのだろう。

規則正しい音。

心臓のように。

その音が聞こえなくなるまで、彼女はしばらく廊下に立っていた。

 

 

 

彼が気づいた。

「あ、おはよう。」

彼女は我に返る。

頷いて、返事。

少し間があったのは、起き抜けだからなのか、彼のとびきりの笑顔に緊張したからなのか。

ネギを刻む音がない代わりに、自分の心臓の音が聞こえる。

「お風呂、準備できてるから。」

彼女は頷いた。

彼は料理に戻った。

彼女は、洗面所に入った。

ジャー

水道の栓をひねって、流れる水を見つめる。

鏡には、あの頃に比べて、少し血色の戻った顔。

弱々しい唇のピンク。

バシャバシャ

彼女は髪が濡れるのにも構わず、顔を洗った。

顔を洗い終え、パジャマを脱ぐ。

以前ほど痩せ細ってはいない。

しかし元に戻るには、まだまだかかる。

 

 

栄養失調の人みたい。

 

どんな栄養が足りないの?

 

ココロ。

 

 

 

 

彼女はシャワーを浴びるために浴室に入った。

 

 

彼女がシャワーを浴びている間、もう一人の同居人が起き出していた。

いや、正確には彼に起こされていた。

「もう、ごはんですよ。」

「ん、ふぁぁぁぁ、...おはよう。」

「さ、早くして下さいよ。」

彼は彼女にしたのと同じ笑顔で女を急かせた。

「はいは~い。」

女は生返事をして彼が部屋の前から立ち去るのを見ていた。

ぼりぼりと頭を掻きながら、彼女はぽつりと、つぶやいた。

「結局、あの笑顔にみんな救われてるのよね。」

 

いつものことだが、朝食も彼女を中心に回っている。

彼は彼女の好きそうな物しか作らない。

入院していた頃、病院食には全く手をつけなかった。

彼が作ってくれたお弁当を口に入れてもらった時、涙と一緒に彼女は還ってきた。

それ以来、彼女は彼以外の作った食事を食べようとはしない。

いや、これは言い過ぎだろう。

彼の手を経た食事にしか、口を開くことはない。

彼の手が彼女を現実の世界につなぎとめている。

現に、彼女は、コトバを話していない。

 

 

「「いただきます」」

女はビールを飲みながら、二人を見た。

彼は楽しそうに彼女に話しかける。

食卓で饒舌なのは彼一人。

時折、女が茶々を入れるものの、彼の独壇場である。

彼女の口に食事を運ぶたびに、「おいしい?」と訊ねる。

頷く彼女を満足そうに見て、

「これ、自信あるんだ。

......そういえばね、.....」

 

全て、彼女のため。

 

 

 

 

 

女の心の中でのつぶやき。

 

 

彼が太陽。私が月。

彼の笑顔という光が私を輝かせ、二人で照らす。

私一人じゃ彼女を照らすことはできない。

もし、太陽の光がなければ。

私も輝くことすらできない。

彼女と一緒に暗い闇の中に落ちていく。

 

 

 

 

珍しく詩人であった。

 

 

 

 

 

 

朝食が終わり、彼は後片づけをしだした。

近頃、彼女が手伝うようになっている。

と言っても、皿を運ぶだけ。

女は邪魔にならないように、自分の部屋に戻る。

ゆっくりといけばいいと、女は思っていたし、彼とも話し合った。

結論は未だに出ていない。

そして、退院してから、5年の月日がたっている。

女は彼女と同じ症状を十何年か前に経験していたが、役に立つわけではない。

結局は自分が話す意志を持っているかどうかなのだから。

ただ、彼女が好きなことをやらせよう。

多少のワガママにもつきあおう。

彼女の意識を外に向けさせるためにも。

彼女を失語症から救うためにも。

 

 

「ありがとう。全部終わったよ。」

彼はまた、笑顔を彼女に向ける。

彼の笑顔を見て、彼女もちょっと微笑む。

最近、少し笑うようになった。

 

彼はいつものように、彼女に話しかけた。

「今日はどこかへ行こうか?

家と病院の往復だけじゃつまらないでしょ。」

彼女は返事をせずに自分の部屋へと戻っていった。

今日も、朝の挨拶がいつも通りに終わった。

 

 

彼の笑顔を見ることは、今の彼女にとって、最大の幸せだった。

しかし、それが見られなくなるのが怖い。

自分が何かすると、見られなくなりそう。

彼はずっと、あの笑顔を自分に向けてくれる。

それなら、それでいいじゃない。

何もしなければ。

彼女は何もしないことに決めた。

だが、5年という時間の水滴が彼女の決意を穿っていく。

最近、ついつい微笑んでしまう自分に気がついた。

 

 

今の所、彼女の微笑みに対して、彼は今までよりもっと素晴らしい笑顔で応えてくれる。

返事をしたい。

でも、声が出ない。

出したくても、出ない。

病院では、「何かきっかけがあれば」と言っていた。

「あまり、無理をしてはいけない。」とも。

 

 

 

コンコン

ノックがする。

「いいかな。」

彼はしばらく待った。

彼女が開けてくれるまで待つ。

3分経っても開かないときには、あきらめる。

しかし、今日はすんなりと目の前の壁がなくなっていく。

彼女は彼を部屋に導き入れた。

彼女の部屋。

なるべく、暗い雰囲気にしないように、無理に明るい部屋。

彼はいつものように、ベッドに座る彼女の隣に座った。

彼女がじっと彼の顔を見ている。

彼は笑顔で話しかけた。

「ね、今日は天気が良さそうだから、公園にでも行かない?」

まだ、彼女は彼を見ている。

しかし、視線が迷っている。

彼は「ね?」と笑顔でだめ押しをした。

 

 

仕方なくなのか、ようやく彼女は頷いた。

「じゃ、30分経ったら出かけようか」

彼女の小さな頷きを確認して、彼は部屋を出た。

廊下で小さくガッツポーズ。

ようやく、OKしてくれた。

彼の心は決まっていた。

もし、公園に連れ出すことができたなら......。

 

 

 

彼が部屋を出ていった後、彼女はぼーっとしていた。

彼の誘いは何度も拒否していた。

何も変えないと決めたから。

でも、自分が変わっていく。

今も、とうとう受け入れてしまった。

どうしよう。

声なんか出なくてもいい。

もし、声が出て、それが聞くにも耐えないような声だったら。

もし、声が出るようになって、彼が面倒を見てくれなくなったら。

彼の笑顔が自分の目の前から消える。

それだけはイヤ。

 

 

自分に悩む時間があまり残っていないということに気づくのに、もうしばらくかかった。

 

 

その頃、リビングでは彼と女が話していた。

「少しずつ、変化は現れているんだけど。

何かきっかけがあればねぇ。」

「そうですね。でも今日は公園に行くことをOKしましたから。」

「そうね。よかったじゃない。

ところで.....

もう、告白はしたの?」

「え.......ま、まだです。」

「そう......。早いほうがいいわよ。

それがきっかけになるかもしれないから。

だいたい誰よ、『僕が一生面倒見ますから。』って病院で啖呵切って無理矢理退院させたのは。」

彼は顔を真っ赤にした。

「そ...、その話は、いいじゃないですか。もう。」

「あら、じゃあ、心変わりしたの?」

彼は真顔になり、女を見た。

「そんなことあるわけないですよ。」

女は身を乗り出した。

「同情からじゃないでしょうね。」

質問する側も、答える側にも、嫌な言葉。

彼はきっぱりと言った。

「同情なんかじゃありません。僕は愛してます。」

女は満足し、椅子に背中を預けた。

「なら、いいわ。」

 

ちょっと気まずい沈黙の後、彼は席を立った。

「それじゃ、出かけてきますから。」

葛城ミサトは精一杯の微笑みを返した。

「いってらっしゃい。」

「はい、いってきます。」

 

 

 

 

10分後、彼は彼女の手を取って、道を歩いていた。

最近は少しずつ穏やかな日々が続くようになっている。

はたから見れば、恋人同士の散歩。

二人とも、顔を赤らめている。

 

 

やがて、二人は公園に着いた。

母親が砂場で遊んでいる二人の子供をベンチに座って眺めている。

男の子と女の子。

お兄ちゃんが妹のままごとにつきあっているようだ。

母親も、公園にやってきた二人に気づきもせずに子供達を見ている。

 

 

二人は空いているベンチに座った。

彼女は親子連れを見た。

私もいつか、あんなふうに自分の子供が遊んでいるのを見守ることがあるのだろうか。

誰との子供?

彼女は自分の顔を見ている彼に気づいた。

顔が赤くなるのがわかる。

「ごめん。なんか、優しそうな顔をしてたから、つい。」

謝らないで。

お願い、私を笑顔で見て。

何故、私は話せなくなったの?

何故、彼はこんな私の面倒を一生懸命見てくれるの?

何故、彼は私に微笑むの?

聞いてみたい。

喉元までせり上がってくる言葉。

でも、それはいつものように音となることはなかった。

 

 

 

女の子が砂場でのままごとに飽きたのか、砂場から出て、何を思ったのか、二人の方にやってきた。

母親はどうやらトイレにでも男の子を連れて行っているようだ。

女の子の眼には、彼女がお姫様か何かに見えたのだろう。

お姫様に話をするのは緊張するので、かっこいい王子様に話しかけた。

「ねぇねぇ、おにいちゃんたちって、ふーふ?」

女の子がいきなり話しかけてきて、彼は一瞬戸惑った。

しかし、すぐにこれはチャンスだということに気づいた。

彼は、女の子に話しかけた。

「まだ、違うんだよ。

でもね、夫婦になって下さいって、今から言うんだよ。」

突然のことに彼女は空耳かと思ってしまった。

彼女があまりの話の内容に呆然としているのにもおかまいなく、彼は話を続けた。

「おじょうちゃん、あのね.....

お兄ちゃんがお姉ちゃんに夫婦になって下さいって言うのを見ててもらえるかな?」

女の子はきょとんとしていたが、意味が分かったのだろう。

「うんっ!いいよっ。見ててあげる。」

と言って、期待を込めた眼差しで彼女を見た。

彼女はまだ、呆然としている。

夫婦?

結婚?

え?

 

彼はベンチから立ち上がり、彼女の正面に立った。

彼は深呼吸して彼女に話しかけた。

「本当は、僕とつきあってくれって言おうと思ったんだけど、僕の気持ちはずっと変わらないから。

あの、....ぼ、僕と結婚してくれないかな?」

そう言って、彼女に向かって御辞儀。

「よろしくお願いしますっ。」

 

 

彼女はふらふらと立ち上がった。

ずっと、私と一緒にいてくれるって言うの?

言葉の話せない私と?

ずっと、私にその笑顔を見せてくれるって言うの?

微笑むことぐらいしかできない私に?

何も変わろうとしない私に?

本当に私でいいの?

 

 

自分の頬を何年かぶりに流れていくものを、彼女は感じていた。

抑えきれない気持ちが、ココロの奥底から湧いてくる。

彼女は彼に抱きつき、何度も頷いた。

彼はゆっくりと彼女の背中に手を回し、彼女をやさしく抱きしめた。

 

女の子は「わー、すごぉい。」と言って、拍手を始めた。

ウグッ........、エグッ...............、ヒック...........、グスッ......

彼女が嗚咽を漏らしているのに、彼は気づいた。

「ねぇ、大丈夫?」

ウグッ........、エグッ.......シ......、ヒック.......シン....、グスッ......

「え?」

今、僕の名前を?

シンジは彼女の肩をつかんだ。

「僕の名前を言ってよ、ねえ、アスカ!」

シ........シ.....ウグッ........シン.......グスッ.......シンジ..........

確かに、声が出た。

アスカも自分の声が聞こえてくるというのに信じられない顔をしている。

私、話せるの?

声が出るの?

5年ぶり、そして、涙声ながら、アスカの声は以前と変わらなかった。

「シンジ....シンジィ.....」

「アスカ....」

二人は強く抱きしめ合った。

 

 

たったの一人の観客だった女の子は母親の方に向かって駆けていった。

トイレから男の子と一緒に出てきた母親のもとに着くと、二人を指さして言った。

「ねぇ、ママぁ。あのおにいちゃんたち、ふーふになったんだよ。」

母親は泣きながら互いの名前を呼び合い、抱き合っている二人を見た。

「......そうなの。よかったわね。

ユカちゃんも早くお嫁さんになれるといいわね。」

母親に頭を撫でられた女の子は大きく頷いた。

「うんっ。あのおねえちゃんみたいな、およめさんになるのっ。」

母親は二人の邪魔にならないように、逆の入口から出ていった。

 

 

 

 

 

 

小鳥達だけが、二人の誓いのキスを見守っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どうも。nozと申します。

昨年、相互リンクお礼ということで、TODO様から投稿をいただき、お返しということで投稿させていただきました。

精神的なショックに起因する失語症が存在するのか知りませんし、どのような療法があるのかも当然知りませんが、まあ、ご勘弁下さい(笑)。タイトルもなんだかなって感じですけど。

では、最後にTODO様のサイトの今後の益々のご発展を祈願して。

99/01/03 noz

 

 

 

 

 

 

 

TODOの戯言
言いたくても、言葉が出ない。
痛みを和らげてくれて人に。
言えない。伝えられない。
だけど、最後にその優しさが、 彼女をまた治してくれた。 そんな感じがヒシヒシと伝わってきました。
医学的根拠が・ ・ ・そんなことありませんよ。
私よりもシッカリしてる!!
それに、アスカの心理描写がとってもいいです。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・ ・ ・
私よりも、とっても素晴らしいすぎて、
私の作品がかすんで・ ・ ・(爆)
さぁ、こんな私の駄作より素敵な作品をお書きくださった、
noz様に、感想メールを送りましょう。
あて先は、
こちら です!!

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