「・・・・・・何なの、あの光は?」
第二新東京市にある、NERV官舎。
洞木ヒカリは洗濯物を取り込む手を止め、ゆっくりと上昇していく光輪を見上げていた。
神々しくもあり、禍禍しくもあるその光がかつて住んでいた街の方角から上っている事に気付いた彼女。
手に持っていた洗濯物をリビングへと放り投げ、玄関へと向かって走った。
軽い排出音とともに開くドア、廊下へと飛び出すヒカリ。
そこで彼女が見たものは、奇しくも同じように部屋から飛び出してきた同級生の顔だった。
「・・・・・・相田君、鈴原・・・・・・」
「ふたりとも、見たのか?」
「ああ・・・・今おまえらを呼びに行こうか、思うて飛び出してきたトコや」
「屋上へ行こう!」
ケンスケの言葉に肯くふたり。
まるでスタートの合図であったかのように、三人はエレベータへと駆け出した。
2機あるエレベータの表示板が下向きの矢印になっているのを見たケンスケは、小さく舌打ちをした後でふたりに向き直った。
「俺、階段で行くよ!
こんなところで待っている時間なんてないからな!」
そう言うや否や駆け出すケンスケ。
彼の背中を追おうとしたヒカリの目の前に、トウジの手が伸びた。
「イインチョの足やとワシらには着いてこれへん。
せやからエレベータを待つんや、な?」
「でも・・・・・・・」
「心配あらへんて。
確かに何が起きとるかなんてわからん・・・・・でもな、きっと大丈夫や。
あそこにはシンジも、惣流も、綾波も居る。
ワシらを・・・・人類すべてを護るために、アイツらは必死になって戦うとるんや。
そんなアイツらを、ワシらが信用せんでどないすんねん?」
「・・・・・・・・でもね、鈴原。
私、怖いのよ・・・・・・何も知らないのが、アスカ達に何が起きているのかがわからないのが怖いの。
酷い目にあっていないか、とんでもない事が起きているんじゃないかって思うと・・・・・・・」
「イインチョ・・・」
顔面を蒼白にし、小刻みに身体を震わせるヒカリ。
言いようのない恐怖感が彼女の身体を包み、その体温を急激に奪われたような感覚が全身に走った。
その時、彼女の右手が温かいものに包まれた。
ハっとしたヒカリが見たものは、自分の手を包み込むトウジの左手。
そして、真剣な眼差しで自分を見つめる彼の瞳だった。
「・・・・・・アイツらの事が心配やと言う気持ちはよぉわかる。
ワシかて同じ気持ちなんや・・・・・傷ついとらんか、苦しんどらんか思うとな、居ても立っても居られん。
けどな、ワシらにはどうしようもない。
何の力も持たないワシらには・・・・・・・アイツらを手助けしてやる事も出来ひんのや。
ワシらが唯一出来る事、それはアイツらを信じてやる事や。せやろ?
諦めたらアカン、弱気になってもアカン。
アイツらが勝つ事を、無事に帰ってくる事を信じてやらなアカンのや。
アイツらは無事や、きっと頑張っとる。
せやからワシらも頑張らな・・・・・・な?」
「すずはら・・・・・・」
「イインチョはひとりやない、ワシも・・・・ケンスケも居るんや。
その・・・・・・ひ、ヒカリの身に何かありそうな時は、ワシが護ったる。
ワシじゃ頼りないかも知れへんけどな、そばに居るさかい・・・・・元気出せや、な?」
「・・・・・・・・・・頼りなくなんか、ない・・・・・・」
頬を真っ赤に染め、ソッポを向くトウジの肩に額を寄せるヒカリ。
いつしか身体の震えは止まっていた。
恐怖感が消え去ったわけではない。
けれど繋がれた右手に、額に感じる暖かさが彼女の全身を包み込んでいた。
到着を知らせる低いチャイムの音が鳴り、ドアが静かに開く。
エレベータが上昇していく間も、そして再びドアが開いてからも。
ふたりの手が離される事はなかった。
其ノ弐拾九:血戦(参)
シンジはコクピットの中で瞑目していた。
奇妙な感覚に身を委ねたまま。
重力から切り離され、自分の身体がどんどん軽くなっていくような、身体と精神が切り離されていくような、そんな感覚。
以前はそんな事を感じる余裕もなかった。
身体を、精神をズタズタにされ。
絶望の果てに追い込まれ。
どんなに悲鳴をあげても、泣き叫んでも救う手は伸びず。
彼のココロはその場に留まる事を、生き続けていく事を拒否した。
シンジが自らを解放すれば、ATフィールドというココロの壁を開放すれば。
『過去』が再現される。
彼にとって2度目のサード・インパクトが発生する。
そんな瀬戸際の状況下で、シンジは自分の中に篭っていた。
ココロを閉ざしていた。
真っ暗な空間の中で
自分のココロの中で
何も見ず
何も聞かず
何も考えず
ただ、蹲っていた。
シンジは気付かなかった。
自分のココロの中に。
今にも消えそうなほど微かなふたつの光が灯されたのを。
| いいのかい?シンジ君キミの願いは、こんなちっぽけなモノだったのかい? |
あなたはこれでいいの?シンジあなたは本心からこんな結末を望んだの?
|
| 本当かい? |
本当に?
|
僕はすべてを望んだ、でも・・・・・・願いは叶わなかった
だから、やり直すんだ
願いが叶うまで、何度も・・・・・・何度でも
| 嘘は良くないよ、シンジ君キミは迷っている
これが自分の為すべき事なのか、自らが望む事なのか |
嘘を吐かないで、シンジこれはあなたの望みではないわ
あなたは逃げているだけなのよ |
僕の事は・・・・・・放っておいてよ
| 出来るわけがないじゃないかキミはボクの親友なんだ
苦しむキミを見捨てるコトなんて出来やしないさ |
バカな事を言わないで私はあなたの母親なのよ
息子が苦しんでいる姿を見て、放っておけるわけがないわ |
僕の目の前でEVAの中に消えていったのは誰さ?
光の中に消えていったのは誰さ?
僕を置いて、目の前から去っていったのは誰なのさ?
| それについては返す言葉もないよ確かに、ボクはキミの前から消え去ったのだから
でもあの場面では仕方がなかったんだ ボクの力でなければ ボクが『彼』と共に消え去らなければ キミ達のうちの誰かが、ボクと同じ運命になってしまったから |
・・・・・そうね、あなたの言う通り幼いあなたを遺して、私はEVAの中へと消えたわ
でもね、仕方がなかったのよ 誰かが犠牲にならなければ EVAに魂を込めなければ、人類に未来は訪れなかったの その役目を、私が自分自身で選択したのよ |
後に遺された人達の気持ちは?
例えようのない孤独感、そして喪失感を味わうのは僕なんだ
僕の気持ちを少しでも考えていてくれたの?
| ・・・・・・・・・・ |
・・・・・・・・・・
|
他人なんてどうでもいい
結局、自分の事しか考えられない
みんな、自分勝手なんだよ
| ・・・・・・・・・・そうかもしれないボクにとって生と死は等価値だから
死に対する恐怖がなかったから 後に遺されるキミ達の気持ちは考えていなかった |
・・・・・・・・・・そうねあの時、私はあなたに見せたかったの
人類の明るい未来を 自分の身に何が起きるか、想像はついていたのに |
それがいけない事なの?
悪い事なの?
答えられるわけがないよね
・・・・・・・みんな、自分が一番大事なんだから
| それは違うよ |
いいえ、違うわ
|
どうしてそんな事が言えるのさ?
| キミは感情的になっているだけなんだ
ただそれだけの事で、この世界を終わらせるのかい? 惣流さんや、他の人達の想いを無に還して |
一時の激情に身を委ねているだけ
此処で見た夢を捨て、新しい夢を見るつもり? あなたを待ち望んでいる人達に哀しみを与えて |
・・・・・いいんだ、いいんだ、いいんだっ!
お願いだから放っておいてよ
これ以上、僕を傷つけないでよっ!!
|
彼女達の姿を見て キミが何も感じないというのなら キミの思うが侭に、自由にするといいよ |
・・・・・そうでもね、シンジ
最後のお願いよ ・・・・・・・これを見て頂戴 もう私達が言うことは何もないわ
|
ターミナルドグマ。
十字架に磔にされた、七つ目の巨人。
少し離れたところに脱ぎ捨てられた、白いプラグスーツ。
傷ひとつない、眩いくらいに白い裸身。
綾波レイは一切の感情をその表情から消したまま、巨人を見上げていた。
「・・・・・・・にいさんが苦しんでいる。
私は・・・・・・・彼を護らなければならないの。
だから・・・・・・・・」
「レイっ!」
突然の声に、微かに反応する肩。
だがしかし、内心の動揺を微塵も見せる事なくレイは振り返った。
声の主は、碇ゲンドウ。
「・・・・・・此処で何をしている?
此処はヒトとなったお前が居るべき場所ではない。
シンジを出迎えるのは・・・・・・・・この場所ではないのだ。
・・・・・・戻るんだ、レイ」
「・・・・・いいえ。
にいさ・・・・碇君を呼び戻せるのは私だけ。
私は彼を呼び戻し、自ら無へと還るだけ・・・・・・・・・
私には、代わりが居るもの」
「馬鹿を言うな。
お前はお前だ・・・・・・たとえ魂が別の身体に宿ったとしても、それはお前ではなくなる。
『綾波レイ』は・・・・・私の娘は、お前ただひとりなのだ・・・・・」
「でも・・・・・」
「それに・・・・・・・シンジが望むと思っているのか?
お前を犠牲にしてまでこの世界に戻ってくる事を望むのか?
・・・・・・それを理解していながら、それでもお前は行くと言うのか?」
「・・・・・・・・碇君にはアスカが居るわ。
私が居なくなったとしても、きっと・・・・平気。
たとえ一時の哀しみに包まれたとしても、彼女が癒してくれる・・・・・・だから・・・・・・・」
「バカ言ってンじゃないわよっ!!」
突如現れた紅い影。
レイはそこで、初めて感情を表に出した。
熱を帯び始めた頬に手を当て、目を見張らせて。
彼女の視線の先には、肩で息をするアスカの姿があった。
怒りの炎を瞳に宿らせ、レイの両肩を荒々しく掴むアスカ。
「・・・・・アンタ、忘れたの!?
シンジと・・・・・アタシと交わしたあの約束をっ!!
シンジは『絶対に死なない』ってっ!!
アタシ達は『笑顔で出迎える』ってっ!!!」
「・・・・・・わすれてなんか、いない・・・・・・・」
「ならどうして!
アンタが居なくなったら、ダレがシンジを出迎えるのよ!?
カヲルが居なくなって、アンタまでが居なくなったりしたら・・・・・・・シンジはどうなるのよっ!?
『自分が居なくなっても平気』なんてダレが決めたの!?
『傷ついたシンジはアタシが癒すから大丈夫』なんて、未来の事がどうしてわかるってのよっ!!」
レイは答える事が出来ず、視線をアスカから逸らした。
そんなレイに、アスカは更に激しく詰め寄った。
「アイツは・・・・・シンジはバカだから、きっと一生引き摺るわよ!
『レイを殺したのは自分だ、僕が全て悪いんだ・・・・・』なんて言いながら、ナニも顧みず、自分の殻に篭もったままで・・・・・
アタシはイヤよ・・・・・そんなシンジの姿を見るのなんてっ!!
レイが居なくなるのもイヤ!!
あんな思いはもうこりごりなのっ!!!
・・・・・・もう、大切なヒトを失う哀しみなんて味わいたくないのっ!!!」
「・・・・・・・・・でも、私は・・・・・・・ヒトじゃ・・・・・・・・・・・・・ない・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「バカ・・・・・バカバカバカバカバカバカぁッ!!!
前にも言ったじゃない!
レイはヒトなんだってっ!
人形でもモノでもない・・・・・・・使徒でもないっ!!
感情を持ったひとりのヒトなんだってっ!!」
「あす・・・・・か・・・・・」
「・・・・・どうして・・・・・・・・何でわかってくれないの?
アタシの言葉は通じないの?
アンタのココロに届かないの?
ねぇ、答えてよぉ・・・・・・レイぃ・・・・・・・・」
アスカの瞳から涙が溢れ出した。
とめどなく流れる涙は頬を伝い、床へと落下していく。
感極まったアスカはレイの胸に抱きつき、声を出して泣いた。
そんなアスカを見つめるレイの視界が、突然、ぼやけた。
胸が痛い。
胸が苦しい。
レイもまた、涙を流していた。
「・・・・・・・レイ」
ふわっ、と肩が暖かくなる。
背後に回ったゲンドウが、自分の上着をレイの肩に掛けていた。
「・・・・・・・・・お前が居なくなったら哀しむ人間は大勢居る。
その絆を捨ててまで・・・・・・・・・お前は無に還る事を望むのか?」
ゲンドウの問いに、レイは小さく頭を振った。
「アスカ君の姿を見て哀しみ、涙を流すお前が此処に居る・・・・・・・・それでもお前は、自分がまだヒトではないと言うのか?」
再び、首を横に振るレイ。
「・・・・・・・・お前はシンジを信用できんのか?
自分の兄が約束を反故にするような男だと・・・・・・・思っているのか?」
三たび否定の意を表すレイの肩を、嗚咽するアスカの肩をゲンドウは優しく包んだ。
「お前達を含めた大勢のヒトが、シンジの帰りを待っている・・・・・・・・・その想いを無下にするほど、奴は弱くはない筈だ。
・・・・・レイ、アスカ君を連れて皆の元へ戻るんだ。
そして、シンジが帰ってくるのを待ってやれ・・・・・・・・・いいな?」
小さく頷くレイの背を押し、歩き出すよう促すゲンドウ。
ゆっくりとした足取りで部屋を出て行こうとするふたりの背中を、じっと見つめていた。
|
・・・・・・・シンジ、顔を上げなさい
|
シンジは膝に埋めていた顔をゆっくりと上げた。
小さな光が幾つも現れ、それが収束していき ヒトの形を作り出す。
彼の瞳に、微笑むユイとカヲルの姿が映し出される。
| どうだい?シンジ君 |
どう?シンジ
|
僕は・・・・・・・・・
|
ヒトは身勝手な生き物よ自分の望みを叶える為に無茶をしたり
道理に外れた行動をする者も居るわ |
| でも、彼女達のように純粋な想いを持つ者も居る彼女達だけじゃない
他にも大勢のヒトが キミが戻って来るのを望んでいるんだ ・・・・・キミは『希望』なのさ |
|
その想いに応えなくてもいいの?
|
| キミは戻るべきだ・・・いや、戻らなくてはならないね |
|
まだ、間に合うわ
|
| キミは生きているのだから |
|
やり直すチャンスなんて何度でもあるわよ
|
| キミが生きている限り |
|
生きていこうとさえ思えば・・・・・・どこだって天国になるわ
だってあなたは生きているんですもの |
| キミの形は、キミ自身が造りだすんだ |
|
焦る事なんてないのよ
|
| 時間は無限ではないでも、キミにはまだまだ時間があるんだ |
|
そうよ、シンジ逃げては駄目
|
| さぁ行くんだ、シンジ君キミを待つ人達の下へ |
行きなさい、シンジアスカちゃんやレイが待っているわ
|
もう一度・・・・・・・・頑張って
彼女達の為に
何より、自分自身の為に
・・・・・・わかったよ、母さん、カヲル君・・・・・・・
シンジは目を開いた
眼窩に見える地球を見下ろしながら
シンジの乗る初号樹は、ゆっくりと降下し始めた
サード・インパクトは起きず
哀れな老人の謀略は、全て幕を閉じた
そして