『東棟第2・第3区画は本日18時より閉鎖されます。引継ぎ作業は全て16時30分までに終了してください。繰り返します、東棟・・・・・』
館内にアナウンスが流れる中、少女は俯き気味に歩いていた。
第一脳神経外科、と掛かれたプレートの下を通り過ぎ、やがて足が止まる。
『303 碇 シンジ』
何故、この部屋なのか。
忌まわしい記憶しかない場所。
足を踏み入れたくない、場所。
『アスカ・・・・・貴方の気持ちもわかるわ。
でもね、シンジ君の記憶に残る場所、彼が足を踏み入れたことのある場所の方が良い結果を生み出す場合もあるのよ。
何の科学的根拠もなく、ほとんど神頼みに近いと言っても良いものだけれど・・・・・・・・・』
アスカが強固に反対した時、リツコが言った台詞。
何も言えなかった。
悔しそうな、哀しそうな、辛そうな彼女の表情を見たら、何も言えなかった。
アスカは静かに目を閉じる。
何を考え、何を想っているのか、彼女の表情からは読み取れない。
静かに、時だけが過ぎていく。
ただ、静かに。
やがて彼女は小さく息を吸い込んだ後、自らの両手で頬を叩いた。
「・・・・・行くわよ、アスカ」
彼女の姿が、ドアの向こうに消えた。
其ノ弐拾五:ばいばい・・・(壱)
薄暗い発令所に浮かぶ文字。
ファーストチルドレン・綾波レイ。
セカンドチルドレン・惣流・アスカ・ラングレー。
サードチルドレン・碇シンジ。
以上、待機中。
フォースチルドレン・抹消。
CONDITION YELLOW -LEVEL 1-
第一種警戒態勢は、まだ解かれていない。
オペレータの3人・・・・・・青葉シゲル、日向マコト、伊吹マヤは、各々コーヒーカップを手に持ちながら、ぼそぼそと話をしていた。
「本部施設の出入りが全面禁止、そして第一種警戒態勢か・・・・・・」
「ああ・・・・・この前の戦闘で全ての使徒を倒したはずなんだがな。
そうなんだろ、マヤ?」
青葉の問い掛けに、視線をマヤに移す日向。
しかし、彼女は首を横に振るだけだった。
「・・・・・正直、わからないの。
確かにあの時、大爆発と共に使徒は・・・・・そして参号機は消滅したわ。
MAGIのデータを見ても、それはハッキリしているし・・・・・」
「なら、何の問題もないんじゃないのか?
戦いは終わり、今や平和になった・・・・・・そう言う事だろう?」
「けれど不審な点がある、だから完全に肯定はできない・・・・・・・違うかい?」
「マコト?」
「・・・・・日向君の言う通りよ。
あれだけの爆発が起きながら、周囲への被害が最小限に食い止められたのは何故?」
「それは、フォース・・・・彼がATフィールドを張り巡らせたからだろ?」
「そうね、その通りよ。
でも・・・・・・・ちょっとこれを見てくれる?」
マヤはキーボードを叩き、MAGIからログを引き出した。
次々とスクロールするデータが、突然動きを止めた。
「・・・・・・ここよ」
彼女が指差す場所を覗き込むふたり。
素人目に見れば何の事だかわからない数字の羅列も、彼らには何を意味するものか理解できた。
「・・・・・・これって・・・・・・・」
「・・・・・ええ、ディラックの海よ。
第壱拾弐使徒の時と同じ、あの・・・・・・・」
「じゃぁ何か?
使徒は消滅したんじゃなく、ただ飲み込まれただけ・・・・・・そう言いたいのか?」
「わからないのよ・・・・・・わからないの。
先輩とも話したのだけど、不確定要素が多すぎて結論は出なかったの。
発生源も、原理ですら解明されていないのよ?
いくら考えたって・・・・・・・・回答が出るわけない・・・・・・・」
そう言いながら俯くマヤ。
それを見たふたりは、慌ててフォローに回る。
「あ・・・・いや、別に責めてるとかそう言うわけじゃないんだよ!」
「そ、そうそう!・・・・・・ってシゲル!
お前が変な言い回しするからマヤちゃんが誤解したんだろっ!?」
「何だよ!
マコト・・・・お前、俺を悪者にしてマヤの前で良いカッコしいするつもりか!?
葛城さんが聞いたら・・・・・どんな反応するか楽しみだな?」
「な・・・・・・何で葛城さんの名前が出てくるんだよ!?」
「あら、面白そうな話ね・・・・・」
「「・・・・・・・へ?」」
互いにアツくなりかけた時に、突如背後から聞こえた声。
振り向いたその先に居たのは・・・・
「先輩!?」
「まったく・・・・・緊張感も何もないのね。
少しはシャキっとしなさい、でなきゃ戦自も止められなくなるわ。
忙しくなるわよ・・・・・・これから」
半ば呆れた表情で、サラっと重要な一言を口にするリツコ。
瞬時に、3人の表情が強張る。
「赤木博士、戦自ってどういうことですか?
・・・・・・・まさか、ココに攻め入ってくるんじゃ・・・・・」
「・・・・そのまさか、よ」
「人類補完計画を阻止する為・・・・ですか?」
「いいえ、寧ろ逆。
彼らは補完計画を遂行するために送り込まれてくるの。
・・・・・・・・貴方達にも真実を伝える時が来たようね」
3人に緊張が走る。
リツコは静かに、これまでの事、そしてこれから起こり得る事を話した。
NERV。
SEELE。
EVA。
人類補完計画。
そして、サード・インパクトの真相。
包み隠さず。
全てを。
ゲンドウから、シンジの口から伝えられた事、全て。
部分的には聞かされていた。
また、疑問に思ったこともあった。
自ら調べた事も。
しかし、これほどまでとは思ってもみなかった。
人類を救う為と信じて疑わなかった行動が、人類を破滅に導く事になるとは思えなかった。
意思の有無に関わらず自分達が加担していた計画の重さが、彼らの口を閉ざす。
「・・・・・・貴方達に罪はないの。
だから、自らを咎める必要もないわ。
過ちを犯したのも、罰せられるべきも全て・・・・・私達計画者だけよ。
気にするな、と言っても無理な話でしょうけど・・・・・・・・」
全てを告白したリツコの表情もまた、苦痛に彩られていた。
だが、それを振り払うかのように頭を横に振ると、彼女は3人の顔を見た。
「・・・・・で、どうするの?」
「どう、って・・・・・どういう意味ですか?」
「先刻も言った通り、本部は攻撃を受ける・・・・・・まず最初に、政府からA-801が発令されて、ね」
「特務機関NERVの特例による法的保護の破棄、及び指揮権の日本国政府への委譲・・・・・」
「つまり、政府が我々を脅かす存在だ、と?」
「いえ、違うわ。
日本政府もSEELEの掌の上で踊らされているだけよ。
国連という隠れ蓑を着た彼らに操られるだけの、哀れな存在」
「となると、その次にはMAGIの占拠を行ってきますよね・・・・・抑えられたら最後、我々に為す術はない」
「そうだな・・・・・・その場合、他の支部にあるMAGIタイプ全てが敵に回る事になる」
「その通りよ・・・・・伊達にミサトに鍛えられているわけではないわね、ふたりとも?」
微かに表情を崩すリツコ、顔を見合わせながら何事かを話し始める日向と青葉。
だが、マヤは俯いたまま小声で呟いた。
「・・・・先輩・・・・・・・戦自が攻撃を仕掛けてくる、って仰いましたよね?
つまり、それは・・・・・・・・私達、人間同士で殺し合いをしなきゃならないって事なんですか!?」
「最悪の場合、そうなるわね」
ビクっ、とマヤの肩が動いた。
残りのふたりも、会話を中断しリツコを仰ぎ見る。
「あくまで最悪の場合を想定して、の話だけどね。
もっとも、戦自などより恐ろしい存在・・・・・・量産機がその後に控えているけど」
「「「・・・・・・・・」」」
「・・・・・話を元に戻すわ。
先程司令、副指令、作戦部長のミサト、そして私の4人で話し合った結果だけど・・・・・この後正式に通達があります。
これまでの経緯、そして今後の事全てを司令自らが発表・・・・・そして全職員に対し現職からの解雇、及び退避勧告を行います。
無論、私達は残るわ。
罪滅ぼし・・・・とまではいかないけれど、タダでむざむざ本部を明渡す事はないし、サード・インパクトを起こさせる事も出来ないから」
「な・・・・・・博士、死ぬつもりですか?」
「馬鹿な事を言わないで頂戴。
私達はね、最後まで戦い抜く為に残るのよ・・・・・・・生き残る為に」
「「「・・・・・・・」」」
「まだ時間はあるわ・・・・・・それまでに結論を出せば良いのだから。
私達には強制する権利も、資格もない・・・・・・・・貴方達の自由よ。
今更何を、と言われても仕方ないけど・・・・・・」
「・・・・・・・それで、僕達は何をすれば良いんですか?」
「え?」
驚くリツコに、3人は真剣な表情を向けた。
「もう時間がないんでしょう?
なら、出来る事をサッサと済まさなきゃ間に合わないじゃないですか!?」
「そうそう・・・・・・やれる事をやっておかなきゃ、死んでも死に切れないッスよ。
もっとも、簡単にくたばる気は毛頭ないですけどね」
「あ、貴方達・・・・・」
「アスカちゃん達も残るんでしょう?
子供だけに尻拭いを任せられないですよ」
「先輩・・・・・・前に言いましたよね?
私、先輩を信用してます、って。
司令の計画は確かに赦せられざるべき事かもしれない・・・・・けど、それを償う事は可能な筈です。
私・・・・先輩に着いていきます。
だから・・・・・・だから、力にならせてください!」
「・・・・・・・ありがとう・・・・・・」
俯くリツコの目尻に光るものが見えた。
「泣いてる暇なんてない筈ですよ?
指示をお願いします、赤木博士!」
「そうね・・・・・・わかったわ。
日向君、貴方は第三新東京市周辺の監視、並びに報告をお願い。
ミサトが戻り次第、彼女の指示に従って。
青葉君、貴方は加持一尉のサポートを頼むわ。
彼、本部施設の直接占拠に対する防御策を行っている筈だから。
必要ならば諜報部、保安部の人間を全員使っても構わないわ。
マヤ・・・・・貴方は私のサポートを。
これからMAGIのハッキング対策を施すから」
「「「了解!」」」
リツコの指示と同時にコンソールに向かう日向、マヤ、発令所を飛び出していく青葉。
リツコは目尻に残る涙を拭うと、表情を引き締めて動き出した。
この時また、絆が強くなった。
12体のモノリスが囲む中央に佇むゲンドウ、そして冬月。
だが、いくつかのモノリスには光が灯っていない。
およそ、半数だろうか。
低く重い声が、部屋の中に響く。
『・・・・・・約束の時が来た。
ロンギヌスの槍を失った今、リリスによる補完は出来ぬ。
唯一、リリスの分身たるEVA初号機による遂行を願うぞ』
「・・・・ゼーレのシナリオとは違いますが・・・・」
「ヒトは、EVAを産み出す為にその存在があったのです」
「ヒトは新たな世界へと進むべきです・・・・・その為のEVAシリーズです」
『我達はヒトの形を捨ててまで、EVAという箱舟に乗る必要はない』
『これは通過儀式なのだ。
閉塞した人類が再生する為の』
『滅びの宿命は新生の喜びでもある』
『神もヒトも全ての生命が「死」を以ってやがてひとつになるのだ』
「・・・・・・それはどうですかな?」
『何を言いたい、碇?』
「我々は滅ばないし、再生もしない・・・・・・今の形を維持し、さらに進化を進めるのです。
滅び行く運命は貴方達にこそ相応しい」
『フン、今更命乞いをしても遅いわ!』
『左様・・・・・・・我々の立てたシナリオに狂いはない』
「ほう・・・・・・強気ですな。
全ての鍵は我々が握っている。
それに対し、貴方々に何の切り札があると仰るのかな?
既にメンバーも減っているようだが・・・・・それでもまだ団結力があるとでも?」
『やはり貴様の仕業か、碇!』
「今更何を・・・・・・・時は進み、戻る事は有り得ないのです」
『・・・・・宣戦布告か?
英雄気取りもいい加減にしろ!』
「どう取って頂いても結構・・・・・・我々は貴方々に屈する事はない。
先程の言葉、そっくりそのままお返ししましょう」
『良かろう・・・・・・・後悔してももう遅いぞ?』
『我々の力、見縊った貴様がどうなるか・・・・・結末が楽しみだよ』
『死は、君達に与えよう』
最後の一言を残し、全てのモノリスが消えた。
「ヒトは生きていこうとする所に、その存在がある。
それが、自らEVAに残った彼女の願いだからな」
「ああ・・・・・・そして、シンジやアスカ君達の願い・・・・・・・・それも同じですよ」
「・・・・・・・・これからが正念場だな」
「いかな苦境に立たされようと、我々は生き残る・・・・・・いや、生き延びなければならないのです」
「ああ・・・・・・」
ゲンドウはゆっくりと席を立ち、部屋を後にした。
真っ暗な部屋の中、冬月は暫くの間視線を宙に巡らせたまま動こうとはしなかった。
静寂の中、彼は何を思っていたのか。
誰も知る者はいない。
密室での会談が終了してから暫く後。
無人のケイジ内に立つ男がひとり。
彼は、EVA初号機の巨大な頭部を見上げていた。
「・・・・・・ユイ。
ロンギヌスの槍は既に無く、最後の使徒も消え去った。
老人達がいかな手段で訴えようとも、彼らの望みが実現する事は無い。
私の右手に宿るアダム、そしてリリスとの禁じられた融合・・・・・これだけが最後の手段と為り得るのだ。
だが・・・・・・その道すらも絶たれた。
レイは自我を持ち、ヒトとして生きる事を・・・・・・・シンジとともに歩む事を選んだ。
最早『無』へと回帰しろと命令しても聞きはしまい・・・・・・アレは人形ではないのだからな。
欠けた心の補完。
ATフィールドを開放し、不要な身体を捨て、全ての魂をひとつに・・・・・・・そして再びお前の許へ。
私が描いていたシナリオも、全て瓦解した。
お前の願い・・・・・サード・インパクトの回避は為されたも同然だよ。
私はお前の言葉を信じている・・・・・・・・・・全てが終われば、再び出会えると。
時は・・・・・・・満ちた」
ゲンドウは独り言のように呟いていた。
その表情、その語調にはいつもの険しさなど微塵も感じられない。
「ああ、わかっているよ・・・・・まだ全ての事柄が決着したわけではない。
むしろ、遣り残しのほうが多いかも知れん。
もしもお前が目の前に居たのならば、こんなところで油を売らずにアイツの元へ行け、と言うのだろうな。
・・・・・・・だがな、ユイ。
シンジには『友人』が。
『仲間』が。
私達以上に信頼できる『家族』が居るのだ。
何より・・・・・・私にとってのお前の様に、シンジにはアスカ君が居る。
父親らしくない男が傍に居るよりは・・・・・・否、居ないほうが良いのだよ。
・・・・・・・・・情けない話だがな・・・・・・・・」
「・・・・・そんな事、ありません」
突然の声に、ゲンドウはゆっくりと振り返った。
「・・・・・・・葛城三佐」
「司令・・・・・・私の父の事、ご存知ですね?」
「ああ・・・・・・彼には済まない事をしたと思っている。
無論、君にも、だ。
いくら謝罪したとしても、罪が拭い切れる訳ではないが・・・・」
「良いんです、既に終わった事ですから。
謝罪を求めているわけではありません。
私の父は家族を省みず、研究に没頭してばかりで、いつも母さんを泣かせて。
でも最後は自らの命と引き換えに、私を護ってくれた。
私は父の事を憎んでいたと同時に・・・・・・・・・・愛していました。
心の奥底では、いつも父を求めていたんです。
そして・・・・・・・シンジ君も私と同じなんです」
「シンジが?」
「ええ・・・・・・・シンジ君は口には出しません。
けれど・・・・・・いつでも父親を、あなたを求めているんです。
いくら私達が『家族』だと言っても、それは擬似的なものでしかありません。
本当の家族は、司令とユイさんだけなんです」
「・・・・・・・・・」
「お願いします・・・・・・・シンジ君の元へ行ってあげて下さい。
今のシンジ君を救えるのは、司令・・・・・・・あなただけです」
ミサトはゲンドウに頭を下げた。
長い髪が垂れ、その表情は見えない。
ゲンドウは何も言えなかった。
ミサトから視線を外し、初号機を見上げる。
物言わぬ初号機の眼が、微かに光ったように見えた。