其ノ弐拾壱:キョゼツ

「シンジ君、時間だよ?」

カヲルの呼び掛けに、シンジは閉じていた瞳をゆっくりと開いた。

プラグスーツの手首に埋め込まれた時計から、作戦開始まで10分を切っている事を知る。

「・・・・行こうか。」

更衣室に備え付けられたベンチから腰を上げ、カヲルを見るシンジ。

カヲルはいつもの笑顔ではなく、真剣な表情でシンジに問うた。

「シンジ君、キミにひとつだけ聞きたい事がある。」
「何だい?カヲル君。」
「・・・・・構わないんだね?」
「何が?」
「先程、葛城さんが言っていたコトさ。

キミは意図的にEVAとのシンクロ率を上げ、自我境界の限界値を超える事によって自らの身体を一旦LCLと化し、コアに直接働きかけ・・・EVAを暴走させようとしている、本能のままに。

そして、戦闘を終えたら肉体を再構築する。

今のキミなら何の問題もなく実行できるだろうね、既に実績があるのだから。

けれど・・・・・・」
「・・・・・僕の身体に変化が起きる可能性がある、って事?」
「知っていたのかい?」

滅多に見せない驚きの表情を浮かべるカヲル。

それに対して、シンジはあくまで穏やかな表情だった。

「作戦会議が終わった後にリツコさんから聞いたんだ。

僕はこれまでに二度、肉体を再構築した・・・・・・・もっとも、一度目の時の僕と二度目の僕では、違う身体だけどね。

同じ身体で二度も再構築を行ったとしたら、それがどんな影響を与えるのか?

誰も知らないし、誰にも解らない。

僕が僕でなくなる可能性もある、って・・・・・・リツコさんは言っていた。」
「僕達使徒に比べ、キミ達リリンはあまりにも脆弱だ。

けれど、その肉体が進化を求めたとしたら・・・・・恐らく、キミはEVA、いやリリスに限りなく近い形で再生しようとするだろう。

最悪、ヒトではいられなくなるかもしれない。

キミはそれを怖れないのかい?」
「・・・・・・怖いよ。」
「なら、どうして・・・?」
「確かに怖いよ・・・・・・・でもね?

僕は大丈夫だと思うから。

例えヒトに在らざる力を持つ事になったとしても、ヒトという存在でなくなったとしても・・・・・・僕は『碇シンジ』で在り続けられると思うから。

みんなが、僕を受け容れてくれると思うから。」
「シンジ君・・・・・・」
「僕はみんなに、僕を信じて欲しいと願った。

そして、僕の事を信じてくれると誓ってくれた。

だから僕は、みんなを信じるよ・・・・・・・僕達の絆は、これくらいの事じゃ揺らぎはしないって。」

カヲルは見た。

シンジの黒曜石のような瞳の中にある、確固たる意志の光を。

そして、表情を崩しいつもの笑顔を向ける。

「わかったよ、キミの思う通りにすると良い。

キミの願いは、ボクの願いでもあるしね。」
「ありがとう、カヲル君。」
「ただし。」
「・・・・・・ただし?」
「キミの身に危険が生じるようであれば、ボクはキミを助けに行く。

例え誰が止めようと、ね。」
「でも・・・・・参号機は凍結中だし・・・・・」
「ナニ言ってるんだい?シンジ君。

僕は使徒だよ。ゼルエルよりパワーは劣るとしても、トータルでは上回っているはずさ。

それに・・・・・使徒がヒトの命令に従う必要はないんじゃないかな?」
「無茶は・・・・・しないで欲しいんだけどな。」
「キミに言われたくはないね・・・・」

シンジは苦笑しながら更衣室のドアを開けた。

そこには、赤と白のプラグスーツを身に着けた少女達が待ち構える。

「おっそ~~~~いっ!」
「あ、待っててくれたんだ?」
「あったりまえでしょぉ?

でもさ、どーして男のアンタ達のほうがアタシ達より遅いワケぇ?」
「ボクがシンジ君を口説いていたから遅くなっただけさ。」
「「「・・・・・・・・・」」」

石化する三人(正確にはふたりだが)をその場に残し、何事もなかったように立ち去るカヲル。

彼の後姿を見つめながら、蒼眼の少女は呟いた。

「・・・・・やっぱり・・・・・・・油断ならない・・・・・・・・」

福音ヲ伝エシモノ    

其ノ弐拾壱:キョゼツ    

 

「各員、現状のままホールド!

日向君、使徒の現在位置を報告して!」

発令所内にミサトの凛とした声が響き渡り、嫌が応にも決戦への緊張感は高まる。

モニター上には、砲撃をものともせず悠々と侵攻を続ける第壱拾四使徒・ゼルエルの姿が大写しとなっていた。

「使徒は駒ケ岳防衛ラインを突破、ポイントK-2到達は60秒後と思われます!」
「やっぱ対空防衛施設なんて何の効力も発揮しなかったわね・・・・・・パイロットは?」
「零号機、初号機、弐号機ともに発進準備よろし。」
「オッケー・・・・・・三人とも、聞いてる?」
「「「はい。」」」
「作戦の最終確認をするわ。

アスカ、レイのふたりが先行、適度の距離を保持しつつ使徒に対して攻撃。

ただし、あくまでシンジ君に目標を定めさせないための陽動である事を忘れないで。

無茶はしないようにね・・・・・・解った?」
「「了解。」」
「シンジ君はとにかくシンクロに集中する事。

あなたが言い出しっぺなんだからね・・・・・・・キッチリ仕事はしてもらうわよ?」
「・・・・・はい。」

モニター上に映し出された三人のパイロット。

アスカの表情が若干固いが、残りのふたりは落ち着いているように見える。

マヤの後方で立っていたリツコが、肩越しにモニターを覗き込んだ。。

「シンジ君のシンクロ率は?」
「現在190%・・・・・相変わらず上昇しています。」
「ありがと。」

リツコはミサトに視線を投げ掛けると、小さく頷いた。

「三人とも・・・・・ちゃんと帰ってこないと承知しないからね!?

EVA各機、射出口へ移動開始!!」

『第一ロックボルト解除!』

『解除確認・・・・アンビリカブルブリッジ移動!』

『第一、第二拘束具解除!』

『一番から十五番までの安全装置!』

『内部電源充電終了!』

『外部電源コンセント異常無し!』

『了解!EVA初号機射出口へ!』

『五番ゲートスタンバイ!』

『零号機は一番ゲートへ!』

『弐号機、射出準備完了!』

『進路クリア、オールグリーン!』

「発進!!」

強烈なGが身体を抑え付ける。

照明灯の明かりが、溶けた飴のように流れていく。

突然開ける視界、遠方に見える使徒の巨体。

手足の短いバル-ンのような身体が、ふわふわと宙をさ迷いながらもこちらへと向かってくる。

アスカはゼルエルから視線を外す事なく、通信回線を開いた。

「レイ、聞こえる?」
『何?』
「アイツは加粒子砲並みの威力を持つ光線、そして伸縮自在のブレードによる加撃を行ってくるわ。

ATフィールドも半端じゃないし、とにかく打つ手ナシよ。

いくらフィールドを中和してパレットガンを打ち込んでも、ビクともしやしなかったンだから・・・・・」
『・・・・では、どうするの?』
「逃げるのよ。」
『・・・・・・・え?』
「聞こえなかったの?逃・げ・る・の!!

アタシ達は何をしなきゃなンないか、解ってるでしょ?」
『・・・・・兄さんが集中している間、使徒の気を逸らすための撹乱を行う事、そして彼を護る事。

だから・・・・逃げちゃ駄目。』
「だいたいは合ってるけど、ちょっとだけ違うわ。

確かにアタシ達はシンジを護らなければならない。けどね?もっと大事なコトがあるのよ。

アタシ達は生き残らなきゃならない・・・・そして、みんなの元へ帰るの。

レイは無茶するコトが多いからクギ刺しとくけど・・・・・・・」
『心配ないわ・・・・・私には代わりが居るもの。』
「バカっ!!!!」

アスカが突然大声を出した事に驚き、目を見張るレイ。

モニターの向こう側に、怒りを隠さないアスカの表情があった。

「レイ・・・・自分でナニ言ってるのかわかってンの!?

アンタはたったひとりしかいない!『綾波レイ』の代わりなんていやしないのよ!!

たとえ魂が別の身体に移って生き長らえるとしても、ソレはもうレイじゃないのよ!?

アタシだって、シンジだって・・・・・・アンタを知ってるみんなが哀しむ事になるの!!!

許さないからね・・・・・・たとえレイでも、シンジを哀しませる人間は許さないンだからぁっ!!!」
『・・・・ゴメン・・・・・なさい・・・・・・』

レイは胸を締め付けられるような痛みを感じた。

アスカのレイに対する、シンジに対する思いを踏みにじったような気がして。

ヒトではない自分を、ヒトとして接してくれている・・・・・・大切な思いを。

そしてアスカも、俯くレイを見て自責の念に駆られる。

他にも言い方はあるはずなのに、感情に任せて言葉を発してしまった。

レイが自分達を護りたい、と思ってくれているのを知っているにも関わらず。

一瞬だけ、ゼルエルから注意を外してしまったふたり。

それが、自身の行動を半歩遅らせる結果となった。

『アスカ!レイ!!避けなさいっ!!!』

悲鳴のようなミサトの声。

我に帰ったふたりの眼前に、ゼルエルの巨体が覆い被さるかのように迫っていた。

畳まれていたブレードのような腕(?)が、まるで鞭のようにしない、ふたりに襲い掛かる。

寸前で飛び退き、直撃を避けた零号機、そして弐号機。

深深と抉られた地面が、攻撃の威力を物語っていた。

『戦闘中にボーっとしてるンじゃないわよっ!

ふたりとも、距離を取りなさい!!!』
「わかってるわよ、そンな事っ!!!」

ゼルエルからの攻撃を躱しながら、少しずつ距離を取るアスカ。

時折パレットガンによる射撃を試みるが、ゼルエルに傷一つ与えられない。

レイも同様で、正確無比な射撃により何十発となく着弾させているにも関わらず、ダメージは認められなかった。

ゼルエルはEVA2機からの攻撃を意にも介さないかのように侵攻を続ける。

その行き先には・・・・・シンジの搭乗する初号機がいる。

ミサトからの命令は、ない。

つまり、シンジはまだ十分なシンクロを果たしていない事になる。

無防備な初号機に攻撃をさせるわけにはいかない、シンジを護らなければ・・・・・・アスカの頭にあるのは、ただそれだけだった。

そんな時だった。

突然、ゼルエルはその動きを止めた。

頭部が周囲を見回すかのように動き、ある一点で止まる。

その動きに、目的に気付いたのはレイのほうが先だった。

「駄目・・・・・・・させないわ。」

ゼルエルと初号機の間に立ちふさがる零号機を見て、アスカは何が起きるのかを悟った。

「ダメ、ダメ、ダメぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

アスカノ叫び声と同時に、ゼルエルの眼が白く光った。

 


 

「まだなの、シンジ君っ!?」

苦戦しているレイとアスカの様子が映し出されるモニターを見上げながら、ミサトは叫ぶ。

サブウインドウには、片膝をついたまま微動だにしない初号機の姿。

ゼルエルとの距離は、既に出撃時の半分以下に縮まっていた。

「駄目です!227%に到達してから変化がありません!」
「何か・・・・きっかけさえあれば・・・・・・」

マヤからの報告に、爪を噛むリツコ。

その呟きにミサトが反応した。

「きっかけ?どういう事よ、リツコ!?」
「いくらシンジ君が自力でシンクロしようとしても、限界はあるのよ。

今、彼の集中力はまさに限界にあるわ・・・・・これ以上は望めないのかもしれない。

・・・・・・・以前、彼が限界値を超えた時の状況、覚えているでしょう?」
「あの時は・・・・・・」
「・・・サハクイエル、マトリエルという二体の使徒による同時攻撃により、彼はたったひとりでサハクイエルを受け止めなくてはならなくなった。

失敗は即、人類滅亡という極限の状態に、ね。

確かに今だって危険な状態に変わりないわ、でも・・・・・・何らかの刺激を受けない限り、あの時の再現はできないのかも・・・・・・」
「バカ言わないで!

ただでさえ無防備なシンジ君を、更に危険な状態に晒すつもり!?」
「誰もそんな事は言ってないでしょう!!」

発令所に響くふたりの声。

普段は冷静なリツコが、ここまで感情的になったのも珍しかった。

周囲の人間は、それだけ危機的な状況である事を自覚した。

その時、日向が叫んだ。

「使徒頭部に強大なエネルギー反応!!!」
「何ですってぇっ!?」
「この方向・・・・・・・攻撃目標は、初号機と推測!!

軸線上に、零号機がいます!!」
「シンジ君っ、レイ!!」

直後、爆発と共にモニターがホワイトアウトした。

 


 

「・・・・・・・アスカ?」

周囲の音すらも聞こえないほど、ひたすら集中していたシンジ。

その脳裏に、ふとアスカの哀しそうな表情と叫び声が垣間見えた気がした。

閉じていた瞼をゆっくりと押し上げる。

眩いくらいの光が、目の前を包み込んでいた。

そして、その中心に・・・・・・・・零号機の後ろ姿が、あった。

光は次第に弱くなり、視界が開ける。

そして、シンジは目を見張った。

鞭のような腕を振るいながら、初号機との距離を詰めてくる使徒・ゼルエル。

その中間の場所で自らの機体を楯の代わりとした零号機は、右腕を失い、膝から崩れるように倒れていく。

パレットガンを乱射しながら、零号機の救出に向かう弐号機。

ゼルエルは鬱陶しげに顔を向け、ブレードを2度・3度と振るい降ろす。

両腕を切り落とされ、その場で蹲る弐号機。

全ての出来事が、まるでスローモーションのように見えた。

動かなくなった弐号機に、止めを刺そうとブレードを振り上げるゼルエル。

その瞬間、シンジは絶叫した。

「やめろ、やめろ、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」

ドクン。

ドクン。

ドクン。

怒りが全身を包み込んだ瞬間、シンジの目の前は真っ暗になった。

弱いものを徹底的にいたぶろうとしたゼルエルに対する、怒り。

それがきっかけとなり、シンジのシンクロ率は一気に上昇した。

何もかもが消えていき、自我さえも保てなくなりそうになる。

漆黒の闇の中、一点だけが光っていた。

その光に向けて、シンジは下降していく。

『あそこに・・・・・母さんがいるんだ・・・・・・・・』

シンジの意識は深い闇の底へと落ちていく。

だが、彼がその光に辿り着く事はなかった。

見えない『壁』が、シンジの進入を拒絶した。

『これは・・・・・・・まさか、ATフィールド?』

 


 

「零号機、弐号機ともに大破!」
「パイロットはどうなったの!?」
「脳波、心拍ともに若干の乱れはありますが、無事です!」

レイに続きアスカが倒され、騒然となる発令所内。

ミサトはふたりの無事を確認し、少しだけ安堵の表情を見せた。

しかし、危機的状況に変化はないのだ。

絶望感に包まれそうな雰囲気の中で、マヤがモニタを凝視したまま叫ぶ。

「・・・・・・・初号機のシンクロ率、再度上昇を始めました!」
「数値を読み上げて、マヤ!」
「280・・・・300・・・・320・・・・・・・・・・・・・380・・・・・・・理論限界値を突破・・・・・・・・・・あれ?」
「どうしたの!?」
「シンクロ値、399.7%で安定しました・・・・・」
「リツコ!どういう事よ?」
「そんな・・・・・・・私に解るわけないでしょう!?」
「初号機、使徒に対し攻撃を開始!!」
「何が・・・・・・・起きてるっていうのよ?」

呆然としながらモニタを見上げる面々。

そこには、自ら顎部ジョイントを引き千切った初号機が雄叫びを上げる姿が映し出されていた。