其ノ壱拾七:シンジ (参)

放課後の音楽室。

度重なる戦闘により生徒の大半が疎開してしまったため、滅多に人が来る事はない。

その室内に、シンジはいた。

彼は調玄を終えると目を閉じ、ゆっくりと弓を構え、そっと弦に当てた。

誰に聞かせるわけでもなく、ただ自分のために。

感情の波に覆われてしまいそうな自分の心を、落ち着かせるために。

彼はチェロを弾いた。

チェロの音色に、シンジの心が乗る。

時に哀しく。

時に苦しみ。

時に力強く・・・・・・・・・・・・・時に優しく。

やがて静かに、

彼は弓を持つ手を止めた。

余韻が残る教室内に、響く拍手。

目を閉じたままのシンジの脳裏に、映像が浮かび上がる。

カヲルと出会った爆心地跡に座り込む自分の姿。

他人を恐れ、拒絶し、己を責め、貶め、心にぽっかりと穴を空けたまま。

ただ、その場所に座り込む自分。

渚カヲル、という『友人』を、この手で殺めたという、記憶。

忘れ去る事などできるわけ、ない。

薄れていくどころか、日を追うようにその色彩は濃くなっていく。

だから、シンジは逃げた。

・・・・・・そして。

自分が逃げてしまったから、彼女を苦しめた。

自分を見失ったから、彼女を傷つけてしまった。

後悔が心を蝕む。

だけど、もう逃げない。

これ以上、誰も苦しめない。

父に誓ったから。

彼女に誓ったから。

自分自身に、誓ったから。

シンジは、ゆっくりと瞳を開く。

そして、静かに拍手の主を見つめた。

蒼銀の髪に、紅い瞳を持つ少年を。

福音ヲ伝エシモノ    
 
 
 
 
其ノ壱拾七:シンジ(参)   

 

「・・・・・・素晴らしい演奏だった。

君の苦しみも、哀しみも、強さも・・・・・・・・・君の全てが音色に表れていたように思うよ・・・・・・・碇シンジ君。」

やわらかな笑顔を湛えながら、カヲルは静かに言った。

そしてシンジも、笑顔で応える。

「・・・・ありがとう、渚・・・・・・・・・・・・・カヲル君。」
「驚かないのかい?ボクがココにいる事に・・・・・・・」
「・・・・・そろそろ来るんじゃないかって思っていたんだ、君が。」
「それは・・・・・どうしてだい?」

シンジはやおらに立ち上がると、チェロをケースに仕舞った。そして、カヲルに再び向き直る。

「・・・・・・『ひさしぶり』って・・・・・君は言っただろ?だからさ。」
「・・・・・・気付いていたんだね、キミは。」
「随分驚いたけどね。」
「驚かせるつもりはなかったんだけど・・・・・・・」
「・・・・・いいんだ、君は悪くないよ・・・・・カヲル君。」

黙ったままお互いの顔をみつめあう二人。

静かな緊張感が横たわる。

真剣な瞳で、互いの腹の中を探るように。

沈黙を破ったのは、シンジのほうだった。

「・・・・・・君は、誰?」
「ボクかい?ボクは渚カヲル・・・・・・それ以上でもなければ、それ以下でもないよ。」
「何故、僕の前に現れたの?」
「キミと出会うためにさ。」
「僕と・・・・・出会うため?」
「運命・・・・・・かも知れない。ボクはキミに会うために・・・・・・・・・・・・・この地へとやってきたのだからね。」
「じゃぁ・・・・・・老人達に『命令』されたから、ここに来たの?エヴァに乗るためだけに・・・・・ここへ?」

カヲルの眉が、微かに動いた。だが、その表情を崩しはしない。

「・・・・・・そうか、キミは全てを知っているんだったね・・・・・・・・・・・・確かに、ボクの意志でココに来たワケではないよ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だけど、ボクはキミに会いたかったんだ・・・・どうしても。」
「何故?」
「キミが、キミだからさ。」
「・・・・良く、わからないよ・・・・・」
「ヒトを好きになるのに理由は要らないだろう?それと同じさ・・・・・・・・・さしたる理由はない。ただキミに会いたかっただけさ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「参ったね・・・・・・・『信用できない』って顔に書いてあるよ、シンジ君。」
「仕方ないよ。君は僕と初対面のはずなのに・・・・・・どうして『ひさしぶり』なんて言ったの?」
「・・・・・・・キミと同じく、ボクもココに還ってきた、としたら?」

カヲルの言葉に、一瞬シンジの表情が強張る。

だが、シンジは心を落ち着かせるように小さく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。

「・・・・・・あの時、僕は君を・・・・・いや、彼をこの手で殺した。

だから・・・・・・君は僕の知っているカヲル君じゃ、ない。」
「身体が消滅しても、その魂までは消えたコトにはならないよ。もし・・・・・魂が入れ替わったとしたら?」
「・・・・・君は僕の知っているカヲル君とは違う。どこが、って聞かれたら返答に困るけど・・・・・・でも、君は彼じゃないよ。」
「・・・・・キミはボクの何を知っているんだい?何も知らないだろう?

そんなに簡単に言い切ってしまってもイイのかい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

シンジは黙ったままカヲルをみつめた。

真正面から、目を逸らさずに。
そんなシンジの様子を見て、カヲルは緊張を解くように笑顔を見せた。

「・・・・・キミは本当に強くなったんだね。好意に値するよ、シンジ君。」
「・・・まだ、答えてもらってないよ・・・・・・君は、誰?」
「僕は渚カヲル。

エヴァ参号機のパイロットとして・・・・・・・・そしてサード・インパクトを引き起こすためにNERV本部に送り込まれてきた・・・・・・・第壱拾七使徒、タブリスさ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まだ説明が足りないようだね。

・・・・・・・そう、キミが言う通り、キミの知っている『渚カヲル』ではないよ。だけど、全てを知っている・・・・・・ボクは『彼』の記憶も持ちあわせているのさ。」
「・・・・どうして?何故君はカヲル君の事を・・・・・・・?」
「残念ながらボクにもわからない。けれど、ボクは全てを『覚えて』いるんだ・・・・・・キミとの出会いも、別れも・・・・・ね。」
「・・・・・・じゃぁ・・・・・・・君は・・・・・・・・・・・・」
「あぁ、安心してくれて良いよ。ボクはキミに危害を与えるつもりはないからね。『彼』もそれを望んではいなかったし・・・・・・・・・・当然、ボクも望んではいない。」
「どうしてさ?僕は彼を殺したんだ!!

そして・・・・・・・・・・・きっと・・・・・・・・・・・・・・・・・君も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「キミは確かにボクの・・・・・・・・・・・・・彼の肉体を破壊した。でも、それは彼の望みだった、そうだろう?。

使徒とリリン・・・ヒトとは共存するコトができない。そしてボクは・・・・・彼は使徒だから、いずれは離れなければならない運命なのさ。

あれで良かったんだよ・・・・・キミは正しい判断をしたんだ。

どうしてキミを責める事ができる?

どうしてキミを憎む事ができる?

キミは望みを叶えてくれた・・・・・・・・・・・・・・ただそれだけさ。」

力なく俯くシンジ歩み寄ると、その肩にカヲルは両手を置いた。

「・・・・・カヲル・・・・・・君・・・・・・・・・・・・」
「キミの肩には人類の未来が懸かっている・・・・・・・・それは抗いようのない事実だよ。

それが重みとなり、キミが苦しんでいるのは良くわかる。だけど・・・・・・・・・・・・・・・キミは言っただろ?

もう一度やり直すと。

みんなの笑顔を取り戻すと。

そのために、キミは困難な道を歩む事を望んだんだろう?」
「・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・」
「状況はあの時とは違う・・・・・・キミが変えたんだよ、自分の力でね。

この先、どうなるのかなんて誰にもわからないさ。ボクにも・・・・・・・キミにも。

けれど、キミは自分の足で歩く事を決めた。なら、それを全うしなければいけないんじゃないかな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ボクは独りだよ。だけど、キミには大勢のヒトが傍にいる。

・・・・・・彼女もそのうちの一人、だろ?」
「・・・・・え?」

カヲルの視線を追って、シンジは振り向いた。

二人のほかには誰もいないと思っていた教室に・・・・・・・・・レイが立っていた。

「・・・・・レイ・・・・・・・」
「・・・・・・ここにいたのね。」

カヲルはシンジの肩から手を離して一歩後退すると、その間に割り込むようにレイが立ちふさがった。

そして、カヲルの身体を射抜くかのような視線を向ける。

「・・・・・何をしていたの?」
「ただ友好を深めていただけさ・・・・・・・」
「・・・・・彼に手は出させないわ・・・・・・・・・・・・・私が護るの。使徒からも・・・・・・・・・・アナタからも。」
「ボクは何もしないさ。」
「いいえ・・・・・・アナタは危険よ。」
「れ・・・・・・・レイ・・・・・・・」

突然の展開に、慌ててしまうシンジ。

カヲルはレイの真剣な表情を見て、オーバーに肩を竦めた。

「・・・・やれやれ、キミには嫌われているようだね・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「いづれボクも本部に出向く事になる。参号機の起動実験とやらがあるからね・・・・・・・・。

けれどね、シンジ君。何も心配は要らないよ・・・・・・・『アレ』はボクが何とかするから。」
「・・・・・・・・!!!」
「またゆっくり話そう、シンジ君・・・・・そして綾波レイさん。

時間はまだあるから、焦る事はない・・・・・・」

カヲルはにこやかに笑うと、ゆっくりと教室の出口へと歩いていった。

その背中を見つめる二人。

そして、カヲルは振り向かずに教室を出ていった。

シンジはレイを見た。

真剣な表情で出口を見つめ続ける、その横顔を。

「・・・どうして・・・・・・」
「・・・・・何?」
「どうして彼が危険だって言ったの?」
「・・・・わからない・・・・・・・そんな気がしただけ。」
「そう・・・・・・」
「・・・・・シンジ君は恐くないの?」
「・・・・・・わからない。けど・・・・・・・・」
「けど?」

レイがシンジに顔を向けた。

その表情には、微かな影が見える・・・・・・・・シンジにしかわからない、レイの不安そうな影。

シンジはレイに笑顔を向けた。

「・・・・・大丈夫だよ。」
「・・・・・何故?」
「・・・・・レイも、アスカもいるから・・・・・・僕達は独りじゃないから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あ。」

シンジはレイの手を取ると、指を絡ませ、しっかりと握った。

少しでも、その不安が取り除けるように。

互いの体温を、感じるように。
レイは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに微笑へと変わった。

微かに朱に染まる頬。

「・・・・行こうよ・・・・・アスカのところへ。」
「・・・・・・・ウン。」

二人は手を繋いだまま、音楽室を出た。

夕日に伸びる影。

その二つの影は、離れる事なく。

廊下に伸びていった。

長く、長く。

もう一人の、大事な家族の元へ。