放課後の音楽室。
度重なる戦闘により生徒の大半が疎開してしまったため、滅多に人が来る事はない。
その室内に、シンジはいた。
彼は調玄を終えると目を閉じ、ゆっくりと弓を構え、そっと弦に当てた。
誰に聞かせるわけでもなく、ただ自分のために。
感情の波に覆われてしまいそうな自分の心を、落ち着かせるために。
彼はチェロを弾いた。
チェロの音色に、シンジの心が乗る。
時に哀しく。
時に苦しみ。
時に力強く・・・・・・・・・・・・・時に優しく。
やがて静かに、
彼は弓を持つ手を止めた。
余韻が残る教室内に、響く拍手。
目を閉じたままのシンジの脳裏に、映像が浮かび上がる。
カヲルと出会った爆心地跡に座り込む自分の姿。
他人を恐れ、拒絶し、己を責め、貶め、心にぽっかりと穴を空けたまま。
ただ、その場所に座り込む自分。
渚カヲル、という『友人』を、この手で殺めたという、記憶。
忘れ去る事などできるわけ、ない。
薄れていくどころか、日を追うようにその色彩は濃くなっていく。
だから、シンジは逃げた。
・・・・・・そして。
自分が逃げてしまったから、彼女を苦しめた。
自分を見失ったから、彼女を傷つけてしまった。
後悔が心を蝕む。
だけど、もう逃げない。
これ以上、誰も苦しめない。
父に誓ったから。
彼女に誓ったから。
自分自身に、誓ったから。
シンジは、ゆっくりと瞳を開く。
そして、静かに拍手の主を見つめた。
蒼銀の髪に、紅い瞳を持つ少年を。
福音ヲ伝エシモノ
其ノ壱拾七:シンジ(参)
「・・・・・・素晴らしい演奏だった。
君の苦しみも、哀しみも、強さも・・・・・・・・・君の全てが音色に表れていたように思うよ・・・・・・・碇シンジ君。」
やわらかな笑顔を湛えながら、カヲルは静かに言った。
そしてシンジも、笑顔で応える。
「・・・・ありがとう、渚・・・・・・・・・・・・・カヲル君。」
「驚かないのかい?ボクがココにいる事に・・・・・・・」
「・・・・・そろそろ来るんじゃないかって思っていたんだ、君が。」
「それは・・・・・どうしてだい?」
シンジはやおらに立ち上がると、チェロをケースに仕舞った。そして、カヲルに再び向き直る。
「・・・・・・『ひさしぶり』って・・・・・君は言っただろ?だからさ。」
「・・・・・・気付いていたんだね、キミは。」
「随分驚いたけどね。」
「驚かせるつもりはなかったんだけど・・・・・・・」
「・・・・・いいんだ、君は悪くないよ・・・・・カヲル君。」
黙ったままお互いの顔をみつめあう二人。
静かな緊張感が横たわる。
真剣な瞳で、互いの腹の中を探るように。
沈黙を破ったのは、シンジのほうだった。
「・・・・・・君は、誰?」
「ボクかい?ボクは渚カヲル・・・・・・それ以上でもなければ、それ以下でもないよ。」
「何故、僕の前に現れたの?」
「キミと出会うためにさ。」
「僕と・・・・・出会うため?」
「運命・・・・・・かも知れない。ボクはキミに会うために・・・・・・・・・・・・・この地へとやってきたのだからね。」
「じゃぁ・・・・・・老人達に『命令』されたから、ここに来たの?エヴァに乗るためだけに・・・・・ここへ?」
カヲルの眉が、微かに動いた。だが、その表情を崩しはしない。
「・・・・・・そうか、キミは全てを知っているんだったね・・・・・・・・・・・・確かに、ボクの意志でココに来たワケではないよ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だけど、ボクはキミに会いたかったんだ・・・・どうしても。」
「何故?」
「キミが、キミだからさ。」
「・・・・良く、わからないよ・・・・・」
「ヒトを好きになるのに理由は要らないだろう?それと同じさ・・・・・・・・・さしたる理由はない。ただキミに会いたかっただけさ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「参ったね・・・・・・・『信用できない』って顔に書いてあるよ、シンジ君。」
「仕方ないよ。君は僕と初対面のはずなのに・・・・・・どうして『ひさしぶり』なんて言ったの?」
「・・・・・・・キミと同じく、ボクもココに還ってきた、としたら?」
カヲルの言葉に、一瞬シンジの表情が強張る。
だが、シンジは心を落ち着かせるように小さく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「・・・・・・あの時、僕は君を・・・・・いや、彼をこの手で殺した。
だから・・・・・・君は僕の知っているカヲル君じゃ、ない。」
「身体が消滅しても、その魂までは消えたコトにはならないよ。もし・・・・・魂が入れ替わったとしたら?」
「・・・・・君は僕の知っているカヲル君とは違う。どこが、って聞かれたら返答に困るけど・・・・・・でも、君は彼じゃないよ。」
「・・・・・キミはボクの何を知っているんだい?何も知らないだろう?
そんなに簡単に言い切ってしまってもイイのかい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
シンジは黙ったままカヲルをみつめた。
真正面から、目を逸らさずに。
そんなシンジの様子を見て、カヲルは緊張を解くように笑顔を見せた。
「・・・・・キミは本当に強くなったんだね。好意に値するよ、シンジ君。」
「・・・まだ、答えてもらってないよ・・・・・・君は、誰?」
「僕は渚カヲル。
エヴァ参号機のパイロットとして・・・・・・・・そしてサード・インパクトを引き起こすためにNERV本部に送り込まれてきた・・・・・・・第壱拾七使徒、タブリスさ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まだ説明が足りないようだね。
・・・・・・・そう、キミが言う通り、キミの知っている『渚カヲル』ではないよ。だけど、全てを知っている・・・・・・ボクは『彼』の記憶も持ちあわせているのさ。」
「・・・・どうして?何故君はカヲル君の事を・・・・・・・?」
「残念ながらボクにもわからない。けれど、ボクは全てを『覚えて』いるんだ・・・・・・キミとの出会いも、別れも・・・・・ね。」
「・・・・・・じゃぁ・・・・・・・君は・・・・・・・・・・・・」
「あぁ、安心してくれて良いよ。ボクはキミに危害を与えるつもりはないからね。『彼』もそれを望んではいなかったし・・・・・・・・・・当然、ボクも望んではいない。」
「どうしてさ?僕は彼を殺したんだ!!
そして・・・・・・・・・・・きっと・・・・・・・・・・・・・・・・・君も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「キミは確かにボクの・・・・・・・・・・・・・彼の肉体を破壊した。でも、それは彼の望みだった、そうだろう?。
使徒とリリン・・・ヒトとは共存するコトができない。そしてボクは・・・・・彼は使徒だから、いずれは離れなければならない運命なのさ。
あれで良かったんだよ・・・・・キミは正しい判断をしたんだ。
どうしてキミを責める事ができる?
どうしてキミを憎む事ができる?
キミは望みを叶えてくれた・・・・・・・・・・・・・・ただそれだけさ。」
力なく俯くシンジ歩み寄ると、その肩にカヲルは両手を置いた。
「・・・・・カヲル・・・・・・君・・・・・・・・・・・・」
「キミの肩には人類の未来が懸かっている・・・・・・・・それは抗いようのない事実だよ。
それが重みとなり、キミが苦しんでいるのは良くわかる。だけど・・・・・・・・・・・・・・・キミは言っただろ?
もう一度やり直すと。
みんなの笑顔を取り戻すと。
そのために、キミは困難な道を歩む事を望んだんだろう?」
「・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・」
「状況はあの時とは違う・・・・・・キミが変えたんだよ、自分の力でね。
この先、どうなるのかなんて誰にもわからないさ。ボクにも・・・・・・・キミにも。
けれど、キミは自分の足で歩く事を決めた。なら、それを全うしなければいけないんじゃないかな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ボクは独りだよ。だけど、キミには大勢のヒトが傍にいる。
・・・・・・彼女もそのうちの一人、だろ?」
「・・・・・え?」
カヲルの視線を追って、シンジは振り向いた。
二人のほかには誰もいないと思っていた教室に・・・・・・・・・レイが立っていた。
「・・・・・レイ・・・・・・・」
「・・・・・・ここにいたのね。」
カヲルはシンジの肩から手を離して一歩後退すると、その間に割り込むようにレイが立ちふさがった。
そして、カヲルの身体を射抜くかのような視線を向ける。
「・・・・・何をしていたの?」
「ただ友好を深めていただけさ・・・・・・・」
「・・・・・彼に手は出させないわ・・・・・・・・・・・・・私が護るの。使徒からも・・・・・・・・・・アナタからも。」
「ボクは何もしないさ。」
「いいえ・・・・・・アナタは危険よ。」
「れ・・・・・・・レイ・・・・・・・」
突然の展開に、慌ててしまうシンジ。
カヲルはレイの真剣な表情を見て、オーバーに肩を竦めた。
「・・・・やれやれ、キミには嫌われているようだね・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「いづれボクも本部に出向く事になる。参号機の起動実験とやらがあるからね・・・・・・・・。
けれどね、シンジ君。何も心配は要らないよ・・・・・・・『アレ』はボクが何とかするから。」
「・・・・・・・・!!!」
「またゆっくり話そう、シンジ君・・・・・そして綾波レイさん。
時間はまだあるから、焦る事はない・・・・・・」
カヲルはにこやかに笑うと、ゆっくりと教室の出口へと歩いていった。
その背中を見つめる二人。
そして、カヲルは振り向かずに教室を出ていった。
シンジはレイを見た。
真剣な表情で出口を見つめ続ける、その横顔を。
「・・・どうして・・・・・・」
「・・・・・何?」
「どうして彼が危険だって言ったの?」
「・・・・わからない・・・・・・・そんな気がしただけ。」
「そう・・・・・・」
「・・・・・シンジ君は恐くないの?」
「・・・・・・わからない。けど・・・・・・・・」
「けど?」
レイがシンジに顔を向けた。
その表情には、微かな影が見える・・・・・・・・シンジにしかわからない、レイの不安そうな影。
シンジはレイに笑顔を向けた。
「・・・・・大丈夫だよ。」
「・・・・・何故?」
「・・・・・レイも、アスカもいるから・・・・・・僕達は独りじゃないから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あ。」
シンジはレイの手を取ると、指を絡ませ、しっかりと握った。
少しでも、その不安が取り除けるように。
互いの体温を、感じるように。
レイは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに微笑へと変わった。
微かに朱に染まる頬。
「・・・・行こうよ・・・・・アスカのところへ。」
「・・・・・・・ウン。」
二人は手を繋いだまま、音楽室を出た。
夕日に伸びる影。
その二つの影は、離れる事なく。
廊下に伸びていった。
長く、長く。
もう一人の、大事な家族の元へ。