第三新東京市、郊外。
丘陵の一角を切り開いて作られた墓地に、シンジはいた。
『YUI IKARI』と刻まれた墓碑を目の前にして。
小さな花束を墓前に添え、そっと手を合わせる。
ここには母の遺骨も何もなく、ただのオブジェでしかない事はわかっている。
無論、母が初号機の中で眠っている事も。
だが、シンジは何も知らなかった頃の墓参と同じようにした。
それが、当たり前のように。
しゃり、しゃり、しゃり
敷き詰められた砂利をかむ足音。
シンジは両手を腰の脇へ下ろすと、視線をその方向へと向けた。
一歩、また一歩。
自分の立つ場所へと近づいてくる父。
逆光のため、その表情は見えない。
シンジは目を細め、父を仰ぎ見た。
「・・・・・待ってたよ、父さん」
「・・・・・・・ああ」
其ノ壱拾:ゲンドウ
最初の一言を発しただけで、ゲンドウは押し黙ったまま。
シンジも口を開かない。
ただ、お互いの顔を見詰め合うだけ。
先に動いたのはシンジだった。
視線を墓碑に向けると、その場にしゃがみ込む。
そして正面を見たまま、独り言のように呟いた。
「・・・・形だけのお墓とはいえ、母さんの前で話がしたかったんでしょ?
だったら、こっちに来れば?」
しばしの沈黙の後、ゲンドウはシンジの背後へと歩み寄った。
お互いの息遣いが聞こえる距離。
思えば、これだけ近づいた状態でゲンドウと二人きりで会うのは初めてかも知れない。
物心ついた頃から、父の姿を見ていないのだから。
「・・・・・聞きたい事があるんじゃないの?」
「・・・・・・・」
「誰にも聞かれたくない事だから、ここに呼んだんでしょ?」
「・・・・・・・」
シンジは父の言葉を待った。
だが、ゲンドウは相変わらず黙ったまま、微動だにしない。
ゲンドウの視線を背中に感じながら、シンジはじっと座っていた。
そんな状態が、五分以上は続いただろうか。
ようやく、ゲンドウの重い口が開く。
「・・・・・・・シンジ」
「・・・・何?」
「・・・・・・・何故・・・・・・ユイを連れてきたのだ?」
「母さんと・・・会わせた理由?」
「ああ・・・・」
「・・・・母さんが父さんと話をしたい、って言ったんだよ。
マトリエルとサハクイエルが同時に現れ、僕が初号機に取り込まれた日の事・・・・聞いてるよね?」
「・・・・報告は受けている」
「・・・・良くは覚えていないんだ、あの時の事。
とにかく必死だった。
アスカがマトリエルを食い止めている以上、僕が何とかしなきゃならない・・・・それだけしか考えていなかった。
気が付いた時には、ぼんやりと薄暗いところに蹲っていた。
そこが初号機の中だってわかるまで、暫くかかったけど。
僕の身体はLCLに溶けてしまった筈なのに・・・手も、足もあった。
だけど、存在が希薄なんだ。
何て言うか、どこまでが自分で、どこから自分ではないのかハッキリしない・・・・・・そんな感じかな。
いろんな事を考えたよ。
今までの事。
アスカやレイ、ミサトさん・・・・・僕の周りにいる人達の事。
そして・・・・これからの事。
どれくらいの時間が過ぎたのかはわからない。
僕は目を閉じたまま、じっとそこにいたんだ。
そうしたら・・・・・なんだか暖かい感じがした。
何時の間にか周りは明るくて、僕の身体は光に包まれていた。
その光は・・・・母さんだったんだ」
「・・・・母さん?」
『・・・・あなたも、ここに来たのね・・・・』
「・・・・うん」
『・・・・・・・・・』
「僕が初号機に取り込まれてから、どれくらい経っているの?」
『ここに時間の概念は存在しないわ。
エヴァの存在は無限。
そして、そこの中にいる私も・・・・・』
「・・・・そっか・・・・」
『・・・・怖くないの?』
「・・・・何で?」
『二度と・・・・出られなくなるかもしれないのよ?』
「怖くない、って言ったら嘘になるかもしれないけど・・・・僕はアスカと約束したんだ・・・・・必ず帰るって。
だから、何としてでもここを出るよ」
『・・・・・そう、あなたはここに来るのが初めてではないのね』
「・・・何でわかったの?」
『ごめんなさい。今、シンジの心を読ませてもらったわ。』
「・・・・・そんな事が出来るんだ」
『ええ・・・・あなたにも出来る筈よ。
今、あなたと私はひとつになっているのだから。
あなたは私、私はあなた・・・・
自分に触れるように、私の心に触れてご覧なさい・・・・・・』
「・・・・・・・」
『・・・・・・・』
「・・・・・・これが・・・・・・母さんの・・・・・・心・・・・・」
『・・・・どう?』
「・・・・うん・・・心を触れ合わすって、こういう事だったんだ・・・・・」
『・・・・・シンジ、ごめんなさい』
「・・・いきなり、何さ?」
『あなたに随分と辛い思いをさせてしまったのね。
私達は・・・親として、失格だわ』
「・・・・でも、僕を産んでくれた。
父さんと母さんがいなかったら、僕はこの世に産まれてこなかったんだ。
二人とも、僕が産まれた事を喜んでくれたんだろ?
それだけでいいよ、母さん」
『強く・・・・・逞しくなったのね、シンジ・・・・』
「良くはわからないけど、前に比べたら変われたと思うよ、僕も」
『・・・・・・・』
「・・・・・・・」
『・・・・・あなたの周りには大切な人が大勢いる・・・・・だから、シンジは強くなれたのよ・・・・・』
「・・・自分が強くなったかなんてわからないよ。
ただ・・・・・前の僕はずっと自分の中に篭っていた。
周りを拒絶して、自分を隠して・・・・・・そのくせ、他の人を求めてたんだ。
自分の事しか考えられなかった、だから・・・・自分にとって都合のいい事しか思いつかなかったんだ」
『ヒトは決して一人では生きていけないわ。
その心は弱く、脆く、不完全なモノ・・・・・だから他人を求めるの。
自分に足りない部分をお互いが補い合い、支え合って生きる為に。
そうする事で、ヒトの心はより強く進化するわ・・・それが私の考えた補完計画。
でも、それはあくまでヒトがヒトでなくてはならないの。
今の私達のような形では駄目なのよ・・・・だってそうでしょう?
互いを溶け合わせた今の状態では、けしてヒトとは言えないのだから』
「・・・・うん・・・・・僕はヒトである事を望んだ。
だから、還ってきたんだ」
『シンジはアスカちゃんやレイちゃん、そして多くの人達に囲まれ、支え合って生きているの。
自分を、そして他人を認め合い、理解しようとしている。
決して簡単な事じゃないけれど、あなた達の心は確実に成長しているのよ』
「・・・・きっと、僕はそれをみんなに教わったんだね。
みんなが僕を見てくれて、心配してくれて、守ってくれてるから・・・・
だから・・・・・僕も守るんだ、大切な人達を。
僕にはちっぽけな力しかないけど、僕にしか出来ない事を精一杯やって・・・・みんなを守りたい」
『互いを思い遣る心が・・・・・・自分自身を強くしているのよ。
あなたは強くなった・・・・・もっと自信を持ちなさい、シンジ』
「・・・・・うん」
『息子が頑張っているのなら、母親として私も頑張らないとね・・・・・私もあなたに力を貸してあげる・・・・いえ、やらせて頂戴、シンジ。
ゲンドウさんと冬月先生の説得は、私に任せて』
「嬉しいけど・・・・でも・・・・・どうやって?」
『レイちゃんの素体があるでしょう?』
「綾波の身体を借りるって事?」
『そう、あのコは私の娘と言っても良いわ・・・・
この初号機から、私のパーソナル・パターンを以って産まれたのだから。
あなたにとっては、妹と言っても良いわね』
「・・・・妹・・・・・・」
『彼女の身体に魂はないわ。だから魂だけの私が、に入るのは容易な筈・・・拒絶もされないと思うの。
実際、やってみないとわからないけれど・・・・それしか方法はないわ』
「僕はどうすれば良いの?」
『まずは外部の人間とコンタクトを取らないとね。
きっと誰かがエヴァの様子をチェックしているはず。
だから、シンジはその人に話し掛けて頂戴。
いきなり私が出ていったら、きっと混乱するでしょうし、ね。
あなたはエヴァと同化している。
だから、考えるだけで良いのよ』
「・・・・・わかった、やってみるよ」
『外で会いましょう、そして・・・・色々な事を話しましょう』
「うん・・・・・また後でね、母さん」
シンジは長い話を終えた。
いつしか陽は沈みかけ、夕闇が空を包み込もうとしている。
ゲンドウはシンジの横に腰を降ろした。
二人の距離が、一層近くなる。
視線を墓碑に向けたまま、ゲンドウは呟いた。
「・・・・ユイ自身が望んだのだな・・・・お前の為に」
「・・・・僕のためだけじゃないよ。
母さんは父さんを止めようとしてたんだ・・・・・大切な人だから」
「・・・・お前は・・・・私を怨んでいないのか?」
「・・・・何で?」
「私は・・・・・親らしい事など何一つした事がない。
いや、ヒトの心すら捨てた男だ。
母親を失った幼いお前を捨て、自身の目的を果たす為だけに生きてきた男なのだ。
お前が最後まで・・・サード・インパクトを経験したと言うのなら、お前が一番それを理解しているだろう。
私は・・・・怨まれて然るべき存在ではないのか?」
ゲンドウの言葉が、シンジの記憶を呼び起こす。
十年余りの間、自分の世話を他人任せにし、仕事に没頭していた父。
「必要だから」という理由だけで第三新東京市へ呼び、死と生の間へ追いやった父。
自分を、そして多くの人々をまるで部品のように扱った父・・・・・
以前の自分ならば、恨み言の一つも投げつけてやりたいと思っただろう。
この場から逃げ出したい衝動に駆られただろう。
だが、シンジは自分が驚くほどに落ち着いていた。
ゲンドウに対して抱いていた畏怖や恐怖、怒りなどといった感情が、何処かへ飛んでいってしまったような気がしていた。
優しい眼差しで自分を見つめる父の姿を、母の記憶の中に見たからだろうか。
母と共にゲンドウの元を訪れた際、心情を吐露したからだろうか。
その時、父の中に自分と同じ『弱さ』を垣間見たからだろうか。
シンジは小さく深呼吸をした。
「怨んでない、って言ったら嘘になるかもしれない。
今までの事・・・・水に流す事も、忘れる事も出来ないと思う」
「・・・・当然だ」
「でもね・・・・僕は父さんと、もう一度やり直したいと思ってる。
そのために僕は・・・・・僕とアスカは戻って来たのだから」
「・・・・・何故、私を切り捨てん?」
「・・・・僕は父さんの事、真剣に考えた事がなかった。
いつも強そうで、何を考えているのかわからなくて、何も考えていないようにも見えて・・・・・・・
だけど、母さんと話していた時の父さんは・・・・・嬉しそうで、悲しそうで・・・・何かを怖がっているように見えたんだ。
初めてだよ、父さんが感情的になったところを見たのって。
母さんが言ってた。
『僕と父さんは不器用なところが良く似てる』って、さ。
僕も・・・・・そう思う。
父さんも、僕も・・・自分を素直に表現できない人間なんだよ。
自分の考えや思っている事を、他のヒトに伝える術を知らなかったんだ。
だから・・・自分の中に篭って、他人を拒絶して・・・・・自分が理解できないのに、他人が自分の事を理解できる筈がない・・・・そう思い込んでいたんだ」
「・・・・・・・」
「昔・・・この世界に戻る前、母さんの命日にここで僕達は会った。
そして、父さんは僕に言ったんだ。
ヒトは弱い生き物・・・それ故に互いを理解しようと努力する。
だけど、理解する事は不可能だ、って・・・・
確かに、他人の事を全てを理解するのは不可能だと思う・・・・・・だけど、ある程度なら理解する事は出来るよ。
そのために、ヒトは会話をする。
自分の意思を伝えるために言葉を話して、他人の意思を知るために、相手の言葉を聞くんだ。
勿論言葉だけじゃなく、仕草や表情、態度・・・・・・意思を伝える方法はいくらでもあるよ。
でも、方法として・・・・言葉を交わす事が一番良いと思う。
僕はそのことをみんなに教わった。
今の僕にとって一番大切な、家族や・・・・・友人に・・・・・」
「・・・・・・・・」
「父さんに感謝している事が二つある。
一つは、僕をこの世に産み出してくれた事。
そしてもう一つは、みんなに会わせてくれた事・・・・・・
今まで、ここが本当に自分の居場所なんだ、って思える所はなかった。
でも・・・・今住んでいる家は違う。
ミサトさん、アスカ、レイ・・・・・・みんなが僕を見る時のその目が、他の誰とも違うような気がする・・・・・安心するんだ。
ふと目を上げるといつも、誰かが僕を見ていてくれる・・・・・覗き込むような優しい目で。
時が経てば離れ離れになるかもしれない。
今の生活も、いつまで続けられるかなんてわからない。
だけど・・・・・・・今の場所を離れるなんて信じられないんだ。
みんなと別れるのは辛いんだ。
きっと、今の家が・・・・・僕の居場所だから。
そして、その場所に導いてくれたのは・・・・父さんなんだよ」
「・・・・・それは、違う。
シンジ、お前は己の力で居場所を見つけたのだ。
私は・・・・・・何もしておらんよ」
「いいんだよ、父さんが僕をこの場所に呼んでくれた事がきっかけなんだから。
・・・・とにかく、僕はみんなの助けを借りて自分自身を変えることが出来た。
父さんだって・・・・変われる筈だよ、母さんだってそれを望んでいるし。
・・・・・ねえ父さん、言いたい事があるなら言ってよ。聞きたい事があるなら聞いてよ。
ずっと黙ってるままじゃ・・・・・・何も変わらないよ。
話題なんてなくってもいいんだ。何でも良いから、話そうよ。
すぐにとは言えないけど・・・きっといつか分かり合える日は来る。
僕達は親子だろ?
だったら・・・・心を開いてよ」
「・・・・・心を開く・・・・・・か。
お前はユイ似だな・・・・・・・アレも昔、同じ事を言っていた」
「そうなの?」
「ああ・・・・・・」
「・・・・じゃあさ、母さんの事、話して」
「・・・・・・・そうだな・・・・・・・・」
ゲンドウはぽつりぽつりと昔話を始め、シンジは静かに父の言葉に耳を傾けた。
二人が話を終えた頃にはすっかり陽も落ち、月明かりが地面を照らしていた。
駐車場へと歩いて来た時、既にNERVの公用車らしき黒いセダンが待ち構えていた。
ゲンドウは車の少し手前で立ち止まり、シンジに向き直った。
「・・・・すっかり遅くなってしまったな」
「・・・・そうだね」
「・・・・シンジ」
「何?」
「お前は何を望む?」
「・・・・・・補完計画の中止」
「・・・・・・良かろう。
ユイにこれ以上嫌われる訳にもいかんからな・・・・」
「・・・・・・父さんも尻に敷かれてるんだね・・・・・」
「・・・・・・問題ない」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「さて・・・・送って行くから乗れ」
「・・・・・いや、大丈夫だよ」
「お前は大事なパイロットだ・・・・・安全を確保せねばならん。
この暗闇の中をひとりで歩かせるわけにはいかんな」
「ううん・・・・・迎え、来てくれたみたいだから」
シンジが指差す先に、一台のクーペが停まっていた。
「・・・・・フ・・・・・・・葛城君か・・・・・・」
「・・・・だけならいいんだけどね」
「・・・・・お前も苦労しそうだな。
・・・・まぁ良い、私は先に行く・・・・・・・・」
「父さん・・・・・・・ありがとう。話ができて、良かった」
「・・・・・・私もだ。
時間がある時はいつでも良い・・・・・・・たまには司令室にも顔を出せ」
「うん・・・・・・じゃ、また」
「ああ・・・・・・・」
ゲンドウはドアに手をかけ、後部座席に乗り込もうとした。
その寸前、不意にシンジを仰ぎ見た。
「・・・・・何?」
「・・・・・・済まなかったな、シンジ」
「いいんだ、もう・・・・・おやすみ、父さん」
ゲンドウは何も答えることなく車内へと身を滑らせた。
その横顔に、微かな笑みを称えながら。
走り去る車のテールランプを見送りながら、シンジはアルピーヌの方へと歩いていった。
ミサトはシンジがこちらに近づいて来るのを見て、その身体をドライヴァーズシートから起き上がらる。
ドア越しに、見詰め合う二人。
「・・・・終わった?」
「・・・・はい」
「ちゃんと話せたのね・・・・・良い笑顔してるわ」
「・・・・たぶん、言いたい事は伝わったと思います。
補完計画の中止も約束してくれたし・・・・・・」
「そう・・・・良かったわね」
「こんな時間になるとは思ってなかったから・・・・・・アスカ達、心配してるんじゃないかな・・・・・?」
「さぁ?気になる?」
「そりゃ・・・・・・気になりますよ」
「・・・・だってサ、どーする?」
ミサトは後ろを振り返った。
後部座席に光る、紅と蒼の瞳がシンジを見据えていた。
「・・・・・ミサトさん・・・・・・・・・・・」
父との交流を無事済ませたシンジ。
だが、彼の夜はまだ始まったばかりだった。