「リツコはどう思うか?」
市庁舎からさほど離れていないシンジが住むマンションの一つ上の階で、第三新東京市を動かしている三人の人間のうち二人が、会話をしていた。
「あまり賛成できませんわ。危険はつきものです」
「そうだな。俺としても賛成できることではない」
「ですが・・・楽しみでしょうね。この子にとっては」
「ああ」
「どうしますの?ゲンドウさん。時間はあまりありませんわ」
「決断せねばなるまいな・・・」
やおらに立ち上がるゲンドウ。
そして窓に近づくと腰をかがめる。
「・・・決めたぞ」
「どうします?」
「・・・今日はみそ汁ぶっかけご飯にちくわを入れてやろう」
「お腹・・・壊しませんかしら?・・・」
二人は足下で伸びをする猫を見て笑いあった。
3年前、切れ者としてまわりから煙たがられた碇ゲンドウ。そして赤木ナオコがネルフに残した二つ目の遺産赤木リツコ。今、この二人にあの時ほどの鋭い勘はない。
今まさに彼らが可愛がっている息子、碇シンジに危機が迫っていることを二人は知らない・・・。
「波乱の、修学旅行」
「何?修学旅行か。何故今まで言わなかった、シンジ」
猫に餌を食べさせている時にシンジが部屋に訪れて、今日ミサトが言ったことを報告した。
「仕方ないよ、ミサトさんが忘れてたんだから」
その言葉に最近会っていない親友を思って、長いため息をついてリツコが言う。
「相変わらずずぼらなのね、ミサトは。ごめんなさいね、シンジくん」
かつて同居していたシンジにとってミサトのずぼらさは、もう身体にしみこんでいる。だが、今回ばかりは何も言えなくなった。
「よく作戦部長が務まっていたものだ」
餌を食べて、ご満悦の猫を抱えて撫でるゲンドウ。その表情は信じられないほど穏やかだ。
「それで、いつから何処へ行くの?」
ワインを三つのグラスに注いで、一つをシンジにすすめながら訊いたが、シンジはグラスを断って話す。
「急な事なんだけど、来週の水曜から2泊3日の予定で京都に行くんだ」
シンジの対面に、ゲンドウとリツコが並んで座る。
「京都か。随分と古風だな」
「中学の時は沖縄だったわよね?」
まだ彼らが使徒と戦っていた頃、彼らは浅間山に現れた使徒の為に、沖縄への修学旅行に行っていない。
「でも楽しみなんだ。学校から行く旅行なんて初めてだから」
年相応の笑顔を浮かべる。シンジ自身、こんなに素直に笑えている自分を不思議だと感じている。
「いいことを思いついた。どうだ、リツコ、シンジ。今度家族旅行にでも行かないか?」
「いいですわね。どう?シンジ君?」
「え・遠慮するよ。夫婦で行って来なよ」
こんな二人についていったら当てられて堪らない。
シンジは即座にそう判断し、二人の申し入れを断った。その言葉にゲンドウの表情が悲しみに彩られる。
「シンジ、お前、家族との対話がなくなってしまうということは、非行への第一歩だ!お前は奇抜な服装で父さんやリツコをいじめるつもりなのだな・・・。悲しいぞ」
「そうなの?シンジ君。新しい母親がイヤでグレてしまうのね・・・ありすちゃんのように・・・」
この所、この夫婦は深夜放送されている10数年前のドラマの再放送を、熱心に見て家族のあり方を考えている。最近は野島シンジ脚本作品にこっているようだ。
「シンジ、父さんはユイを愛していないわけではない。だが、ユイも俺が一人でいることを望んでいないはずだ。父さんはリツコを愛している」
真顔でシンジに訴えるゲンドウ。
「分かったよぉ・・・。もう」
この夫婦にかかれば、さすがのシンジも引かざるをえない。その後、京都の見所をゲンドウが延々2時間紹介し終えて満足するまで、シンジは自分の部屋に戻れなかった。
シンジの気苦労は、何も自宅付近だけで起こされているワケではない。真にシンジの頭を悩ませていたのは、紛れもなく壱高でのアスカとマリアであった。
お互いを友達として認めているのは傍目からでも分かる。だがシンジ絡みの喧嘩となると、そこに手加減が発生していないのも事実だ。
「ねぇ。シンジ」
金曜日の昼休みである。
今日、そして土日が過ぎて月曜日が半日、火曜日には出発であるという、金曜日だ。
アスカは猫なで声で、シンジの側に立った。
「な・何?アスカ」
「明日、休みよね。だから旅行の買い物、付き合ってよ」
「うん・・・いいよ」
この後の展開を考えて、シンジは頭を抱えたが、断っても結果にあまり変化はない。どちらにしても彼が貧乏くじを引く結果になるのだ。
「ちょっとまったぁっ!」
教室の後ろでヒカリと話をしていたマリアが、「買い物、付き合ってよ」の言葉を聞きつけ、歩み寄ってきた。
「何よ!マリー文句あんの?」
「悪いわね、アスカ。あなたとシンを二っ人きりで行かせる訳にはいかないわ。
ねぇ、ヒカリさぁーん。みんなで明日、旅行の買い物行かない?」
マリアがヒカリの腕に絡みついて、微笑む。
シンジは一歩引いた気持ちで3人を見る。彼はヒカリに同情した。ヒカリの顔は困惑しきっている。
マリアの妙な輝きの入った笑顔。
アスカの背中に闇を背負ったような引きつった顔。
そんな顔で睨まれては、ヒカリでなくてもYESともNOとも言えない。いっそNESかYOがいいかな、と思ったかは定かでないが。
「そ、そうねぇ・・・」
ヒカリは言いながら視線を巡らせ、机に突っ伏して寝ていた目標の相手を発見すると大声で言った。
「あ!す、鈴原もどう?」
ムクリと上半身を起こすと、まだ開ききらない目でヒカリを見て言う。
「ああ、ワシはええで。ヒカリが一緒なら・・・」
そしてまた机に倒れ込んだ。
言うまでもなく、ヒカリの顔は真っ赤になった。
「もう・・・鈴原、何言ってんだか・・・」
「じゃあ、何時に何処に集合する?」
話がうやむやになって行く中、買い物はシンジ、トウジ、アスカ、マリア、ヒカリで行くことになった。もちろんアスカが不機嫌になって、あとでシンジが多大な苦労をすることとなるが、この際それは置いておく。
なお、ケンスケもシンジが誘ったがこう言われ断られた。
「俺には必要ないね。もう準備は完璧さ。軍人たるもの常に有事に備え、行軍の用意はしておくものだぞ、碇二等兵!」
既にその目はシンジを見ていなかった。
こうしてケンスケを除く5人は、翌日、連れだって旅行の買い物に出発した。
「で、今日は何を買うの?」
左脇をマリア、右脇をアスカにガードされ、逃げられない状態のまま、市の中心地からさほど離れていない所にある『NEO・loft』に入った。
『NEO・loft』は、市庁舎よりも少し低いビルの2階から11階までを使ってつくられた、一大ショッピング施設である。雑貨用品から専門コンピューター機器まで、まさに『新しい時代の総合販売店』であった。しかもその1ジャンルごとの品揃えも百貨店並であり、第三新東京市でここでみつからないものは、街の何処をさがしてもない、とまで言われるほどであった。
「じゃあ、どうしようか」
店に入ってしばらく、アスカはそう言って笑った。
「二手に別れえへんか?ワイとヒカリ、そない買うモンあれへんし。他に見たいモンあるし。自分ら行って来いや」
微妙な距離で並ぶトウジとヒカリ。手が触れるか触れないかの距離。彼らは人前ではベタベタしない。お互いがそういう考え方なので、衝突などはあまり発生しないようだ。
「そうね。それじゃあ、1時間後に6階の喫茶店『コンチェルト』でいい?」
「いいわ。そうしましょ。それじゃ、3人ともごゆっくり」
「ヒカリ、また後でね」
マリアはシンジから離れないようにして、2人から遠ざかる。
両側を女性に挟まれて、いつもより哀愁ただようシンジの背中を見つめながら、急にトウジはシンジに同情の念を抱いた。
「何もしらへんかったら、羨んでやるべき状況なんやろうけど、シンジにとっちゃ災難なことやな」
「でも・・・ついていったら私達も巻き込まれるわよ」
「・・・それだけは堪忍やな。悪く思わんでくれ、シンジ」
「さ、ト・トウジ・・・行きましょ」
「なあ、ヒカリ、無理してトウジって呼ばへんでいいで。ワイ鈴原で構わんさかい」
「そ、そんなことないよ。さ、行こうトウジ」
勢い良く手を振って否定する。
「さよか」
トウジは屈託のない笑顔で彼女を見た。
一方、シンジ・アスカ・マリアの三人は、店内に迷惑をかけながら、ふらふらと歩いていた。
「ねぇ、シンジ。これなんかどう?」
「シン、見てみて!これー」
「あの、さ、二人とも」
顔を真っ赤にして申し訳なさそうに、言った。
「「なに?」」
「こういうのはできれば自分達で選んでくれないかな?」
三人が今いるのは、ランジェリーコーナーである。
「なんでよぉ。こういうの、カ・カレシが選ぶもんでしょー」
アスカは照れながら言う。
「いつからアスカのカレシになったのよ。シンは私のカレシなんだから」
「何よ!」
「そっちこそ!」
「やる気?」
「もう、二人とも店の中で喧嘩するのはやめてよ!」
シュンとなる二人。
「まったく。大丈夫なのかなぁ、修学旅行・・・」
シンジは行く前から疲れ果てていた。
出発日まで、あと3日。
「これで、よしっと・・・」
日曜の夜、スポーツバッグに荷物を詰め終えたシンジは、ベッドの横にそれを置くと、今日の夕食を
作りに、キッチンへ足を運んだ。
ピンポン、ピンポン、ピンポーン
もうそろそろ完成、というところでけたたましくチャイムが鳴る。
「アスカだな。全く、近所迷惑って言葉知らないのか?」
まだチャイムは治まらない。今度は連射モードに突入している。
「はい、はい。今開けますよ!」
鍋の火を弱火にして、シンジは早足に玄関に向かった。
自動ドアを開けると、雨上がりの綺麗な夕日のような、アスカの髪が舞う。
よろよろとアスカはシンジに倒れ込んできた。
「ちょ、ちょっとアスカぁ?!」
エアーの音がして、秋夜の少しだけ涼しくなった風が遮断される。それは同時にシンジとアスカだけの空間がそこにできた、とういうことでもある。
「お~すぅ、シンジィ~」
舌っ足らずの幼児が喋るような声でアスカは言う。その時にシンジは分かった。彼女はかなり多量に酒をのんでいるのだ。
「アスカ・・・酒のんできたね?」
「ええっ?なんのことですかぁ~?アタシはちょこっとだけミッサトに貰っただけよぉ。なんでアンタがそんなこと知ってんのぉう?」
彼女がシンジの胸板に寄りかかって、上目遣いに喋っている。普段ならこれでシンジも我慢できなかっただろう。疑いなく彼女を抱きすくめ、耳元で自分の気持ちを白状してしまうはずだ。
だが、彼女が喋るたびにビールを中心に様々なアルコール類の匂いが漂ってきては、欲望も萎えてしまう。
「とにかく。夕飯は?」
「まだに決まってんじゃないの!今日はアンタと約束してるんだからぁっ」
軽く握った拳で、彼女はシンジの硬い胸板を叩く。 それはじゃれてくる恋人ではなく、
まるでだだっ子だった。
少し困ったようにため息をつくシンジだが、やはり満更でもないのは確かである。
よたよたする彼女を支え、シンジはリビングへと向かう。
「シンジィ」
「何、アスカ?」
「今日は何?」
「カレーだよ」
「ええええっ、はんばーぐは?そうだ、はんばーぐかれぇにしよ、ね?シンジ」
「無茶言わないでよ」
途端にアスカの顔が膨れる。
「はんばーぐ!カレー、はんばーぐ!シンジ、けちっ」
「日本語として成立してないよ。それに明後日は修学旅行なんだよ?アスカは準備・・・できてるの?」
リビングのクッションに座らせて、ソファーに寄りかからせるような格好にする。
「あったりまえじゃないの!バカシンジとはちがうのっ」
手足をばたばたさせて反論する。
「とにかく、料理運ぶから、待っててよ」
力無く、重力にまかせて首を縦に振る。シンジはまたため息をついた。
シンジの作ったカレーとサラダがリビングのテーブルに並べられる。
シンジが腰を下ろすと、アスカは形のよい眉を少しだけ動かすと呟いた。
「はんばーぐ、ない」
「し、仕方ないだろ?今から作ったら時間かかるんだから・・・」
「はんばーぐ、はんばーぐぅ!」
仕方なくシンジは冷凍のハンバーグをレンジで温めて、ご飯の上にのせ、カレーをかけた。
「はい、アスカ」
「シンジ、手作り、違う」
単発的な語しか喋らない。これでは理解できなくて当然なのだが・・・。
「だから、時間がかかるからしょうがないじゃないか」
シンジには分かったようだ。
「シンジ、怒った。恐い、ごめん・・・」
「泣かなくてもいいよ!怒ってない、怒ってないから!」
「うん」
嬉しそうに笑うアスカであった。
そしてスプーンでカレーを自分の口に運んだ。
「おいしいよ」
「ありがとう」
無邪気過ぎて怒る気にもなれなかった。シンジもカレーに手をのばす。
あっと言う間のディナーだった。手早く食器を洗う。後ろではバラエティ番組を静かに見るアスカが居る。
水を止めて、シンジは居間に戻る。
いつの間にかアスカは、ソファーに寄りかかった体勢のまま、小さく寝息をたてていた。
「通り嵐みたいだな、ホント・・・」
困ったような、それでいてどこか安心したような笑顔で、アスカの顔を覗く。
美しかった。心の奥底から、封じ込めた想いが引きずり出されている。
体中が心臓であるようにドクドクいっている。
「シンジ、大好き・・・」
タイミングが良すぎる。まさに狙っていたかのように、アスカから声が漏れた。顔を近づけていたシンジにしか聞こえないほどの呟き。
「アスカ・・・」
もうどうでもいい。過去の諍いや、辛い戦いの記憶、残っている自分の問題・・・。全部捨ててしまって、アスカの側に・・・。
次第に、アスカの顔に自分の顔を近づけていく。
もう数センチまでアスカのうっすら濡れた唇が迫っている。規則正しく漏れるアスカの吐息がシンジの顔にかかる。
ピピピッピピピッピピピッ・・・
電話が鳴った。その瞬間、シンジは理性を取り戻した。
「何やってんだ、俺は・・・」
頭を掻きむしってコードレスの受話器を取った。
「はい、碇です」
『あ、もしもしぃ、シンちゃぁん?わ・た・しぃ。分かる?』
「・・・嫌に上機嫌ですね、ミサトさん」
『まあねぇ。今日は修学旅行の前祝いよ』
別に祝いがなくても飲んでるじゃないかっ!とは言えないシンジである。
『そっちにアスカ、居るでしょ?』
「ええ。寝てますよ」
『悪いんだけど、こっちへ運んでくれない?アスカ、酔ったあとに寝ちゃうとテコでも起きないから』
「・・・分かりましたよ。僕がおぶって行きますっ!」
『あ、シンちゃん、怒ってるぅ?』
「怒ってないです!じゃ」
電話を切って、アスカの方を見た。アスカは崩れ伏せて眠っていた。
もう何度目か分からないため息を深くついて、シンジはアスカをおぶる。
だが穏やかに寝息を立てるアスカに、妙な安心感を持つシンジだった。
その朝、シンジは慣れた手でネクタイを結ぶと、濃紺のブレザーを羽織って3日分の荷物が詰められた
スポーツバックを左肩に乗せる。だが、なにか気が付いたようにそれを下ろして、ガスの元栓や水道の蛇口を再度確認する。満足げに頷くと、玄関に向かった。
「おはようさん、シンジ」
外では同じ制服を来た、トウジとケンスケが待っていた。
「おはよう、ケンスケ、トウジ。・・・って、何だよケンスケ?!鞄を三つも抱えて!」
シンジの言葉通り、ケンスケはかなり大がかりな荷物を抱えていた。
「一つは普通の旅行用品、一つは撮影用品、そしてもう一つはあらゆる非常事態に備えて用意したものが入っているんだ」
口の端をつり上げて笑った。一瞬、シンジは悪寒のようなものを感じた。
「さ、早う行かんと遅れるでー」
いつの間にかエレベーターまで移動していたトウジが手を振っていた。
第壱高校の二年生の面々は、遅刻者を出すことなく全員無事にリニアに乗った。
1時間ほどで京都駅に到着する。ここまでは不気味なほど予定通りに進んでいた。
ここからは京都市内をバスでまわり、明日はそれを参考に班行動をする。
「ミサト先生、全員バスに乗りました!」
バスの後部から、自分の席に戻りながら報告する。
「OK~。それじゃあ運転手さん、出発して下さい」
帽子を目深にかぶり、髭を蓄えた運転手は、ミサトに一度だけウィンクすると、
「はい」
押し殺したような低い声で返事をした。
ミサトはその様子に眉をピクリとだけ動かして、それ以上は触れないことにした。
どんな変装をしても、長い付き合いになる男が運転手の正体であることなど容易に分かる。
(なんであんたがここにいんのよ!)
ミサトは心の中だけで悪態をついた。
「ミサトセンセ~、ガイドのおねーさんはおらへんのですか?」
少し走ったところで、トウジが訊いた。
その言葉に、ミサトは軽く笑みを作ると、マイクをもって立ち上がった。
「いるわよん」
「どこにですか?」
アスカとのジャンケンに勝利し、見事シンジの横をゲットしたマリアが通路に顔を出して、前部を探す。
「いるじゃないここに」
「はぁ?」
見事に二年壱組全員の声が揃う。
「言わないと分からないの?
ここに非常に美しいバスガイドがいるじゃない!!」
バス車内に、重くどんよりとした沈黙が立ちこめる。
さすがに運転手もこの言葉には目を覆いたいほどバカバカしく思った。
葛城ミサト、32歳・・・。もう何も言うまい。
楽しげな雰囲気の中、バスは京都市内を走り出す。だが、そのバスを追う危険な複数の視線に、まだ彼ら誰一人として気が付いていなかった。
「京都か・・・いい街だな」
それは彼すらもである。後に大きな問題を抱えることとなる修学旅行は、既に走り出していた。
京都市はセカンド・インパクトをほぼ無傷で切り抜けた、日本で数少ない都市の一つである。
この地は、まだ第二次世界大戦が起こっていた頃、アメリカですら爆撃を躊躇したという所でもある。セカンド・インパクト以後、一部のオカルト研究家達は古来より言われてきた「京都結界守護説」を再び唱え始めた。
ともあれ、日本古来からのこる「侘び寂」などの伝統は、この街と共に息づいている。
だが、そんな趣も、彼らにかかれば、色褪せてしまうものだ。
「なんや、こういう爺むさい場所はすかんのぉ」
トウジはあたりの瓦屋根の建物を一瞥しながら歩く。
「爺むさいって言い方はないでしょ、ト・・鈴原!」
いつのまにかしっかりとトウジの左脇のポジションに収まった、ヒカリが袖を引っ張って小声で注意する。「そない言うてもなぁ。何にもあれへんやないか」
確かにトウジの目に映るのは、古い建物と土産物屋だけである。
見方によっては、京都という街は観光が産業の中心とも言えなくもない。
どうとっても偏見でしかないが。
神社仏閣、さらにはそれらの歴史に興味がなければ京都の味わいというのは理解できないものなのかもしれない。
「おおおおっ!舞子さんだぁっ!」
その声と同時に、ケンスケは激しくカメラのシャッターを切る。
そこには、白粉で顔を白くし、美しく着飾った舞子さんがいた。
古都を往来する彼女らは、既に一種のパフォーマンス化していた。だが、未だ宴会などでは彼女達の舞が披露されている。
その時誰一人口にしなかったが、シンジ達は白粉の肌を、綾波レイという少女の白さを重ねていた。
それは喩えるならば、白雪。
「どうしたの?シン?」
左隣にいた少女が、彼の不自然に曇った顔を覗き込む。
その少女に視線を落としたシンジは、やはりそこに白雪の少女の面影を重ねてしまう。
「な、なんでもないよ、マリー」
笑顔を作って、なんとか誤魔化す。
まだ彼以外、誰も気付いていない。
マリア・タナーという少女は、綾波レイの面影を持っているということを・・・。
清水寺、二条城、六波羅蜜寺、太秦映画村・・・。京都の見所を余すことなく堪能した彼らの修学旅行、第一日目は、不思議なほど平穏に過ぎていった。
今は夕食も食べ終わり、それぞれの部屋に別れ、自由な時間を過ごしている。
「ちょっと、マリー。付き合いなさいよ」
私服に着替えたアスカが、クラスの女子と談笑していたマリアの肩を掴んで言った。
女子部屋に、沈黙と緊張が走る。
マリアと話していた二人の女子は、アイコンタクトで会話した。
(ここに来て碇君争奪戦が激化するのかな?)
(アスカの目、マジだもんね。ここで決着つける気なんじゃない?)
((だとしたら、離れた方が・・・))
二人は一様に冷や汗を流した。
「いいわよ。廊下に出ましょ」
マリアは笑みを崩すことなく、扉の外を指さす。
アスカとマリアは無言で部屋を出る。
バッタン
扉が閉じられて、部屋の空気がやっと軽くなる。
全員が止めていた息を吐いた。
「ねぇ、ヒカリ、何とかならない?あの二人」
「普段は仲良いのに、碇君が絡むとねぇ」
「そうね、私も困ってるのよ」
板挟みになるヒカリにとっても、二人の衝突は悩みの種である。
「何?アスカ」
廊下に出た二人は、庭が見える窓の前で止まって向かい合った。
「・・・アタシ、フェアじゃないのって好きじゃないのよね」
唐突な始まりだった。だが、彼女はゆっくりと瞳を閉じたあと、見開いてマリアを見る。
「明日の班行動、少しみんなから離れてある場所に行かない?」
「ある、場所?」
「マリーはさ、シンジのお母さんの話って聞いたことある?」
「ないわ」
「シンジのお母さん、碇ユイさんについてはあまり記録が残ってないの。シンジのお父さんが処分しちゃったのよね」
少しだけ伏せがちな目でアスカは続ける。
「でもね、ある人から聞いたのよ。実はこの京都の大学に、昔いたらしいのよ」
「・・・まさか!そこへ行くって言うの?」
アスカは、物わかりのいい友人に笑みを向ける。
「そういうこと。だからライバルであるアンタを置いていくのは、アタシの主義に反するから」
「・・・分かったわ。行きましょ。私も興味あるわ。シンのお母さんのこと」
マリアもまた笑みを返す。
「それじゃ、明日ね・・・」
アスカは、第三新東京市で練ってきた計画を彼女に説明した。
「わかったわ。でも、シンにも黙って行くのは気が引けるはね・・・」
二人はほぼ同時に表情を陰らせた。
「ま、今回はね。いつかアタシがシンジと結婚してからゆっくりとくるわ、二人で」
「うん・・・って結婚するのは私よ!」
結局は睨みあうアスカとマリアであった。
翌朝、ミサトは柄にもなく早起きした。それは昨晩、バスの運転手に渡されたメモが原因である。
ホテルのロビーは、まだ人気がない。そこの隅に設けられたソファーの一角に、スーツを着た男が腰を下ろしていた。
「いったいなんの用?京都観光バスの運転手さん?」
ミサトは細目がちにした目線を、そのスーツの男に向ける。
「・・・葛城、いい加減にしろよ」
新聞越しに呟いた声は、聞き慣れた声である。いい加減なようで、人に安心感を持たせるその声。
新聞を折り畳んで彼女を見つめるのは、初老の運転手ではなく、30代の男・・・いや持って回るような言い方はやめよう。そこにいたのは、加持リョウジである。
「加持君、あんた何しにくっついてきたのよ!」
怒りも籠めて声を荒げるミサト。だが、いつもの余裕で加持はそんなミサトをため息ひとつであしらう。
「どうやら、アメリカでつぶしたテロ組織の残党が日本に入り込んだらしい。それもシンジ君を狙ってな」
ミサトの表情が一転する。加持の目つきも鋭くなった。
あたりを伺うと、彼は彼女に合図し、顔を近づける。
「危険にさらされる恐れがあるのは、アスカとマリアちゃんだ。悪いが市長と助役の許可なしで情報課を動かして、彼女らの警護をさせている」
未だ彼は危ない橋を渡り続けている。だが、敵対組織を失った冬月やゲンドウにとって、彼ほどのブレーンはいないだろう。ネルフという組織が健在だったころ、彼らはさらに危険な橋を渡っていたが。
「どうしてそんな大切なことを早く言わないのよ。相変わらずずぼらな仕事ね」
「ずぼらぁ?君にだけは言われたくない言葉だな」
「ああん?」
凄むミサト。こういう姿は生徒の前では絶対に見せない。
「と、ともかくだな、三人にはさりげなく注意してくれよ、葛城先生」
ウィンクして言う加持。どうも納得できないような顔のまま、彼女は渋々首を縦に振った。
雲がゆったりと流れていく。京都は絶好の観光日和だ。トウジ、ケンスケ、シンジ、アスカ、マリア、ヒカリの6人は、それぞれにまわりの物珍しいものに目を向けていた。彼らは今、池田屋跡近くを歩いている。
相変わらずケンスケはビデオを回す。だが、最近彼はプロ思考を身につけたのか、寺社を取るにしても、さながらドキュメント並のものにしている。
「よお飽きんな、ケンスケ」
先ほど妹のハルミに買った土産物をヒカリに預けながら、トウジはビデオカメラをのぞいたままで歩く友人に声をかけた。
「レンズを通してみる景色は俺にとって、一個の芸術になるんだ。アスファルトの道も電信柱も部品の一つだね」
トウジには到底理解しがたい理由をさらりと述べるケンスケに、彼は軽くため息をついてそれ以上の介入を諦めた。
「トウジ、これ何?」
少し前を歩いていた少女が、空色の羽織を持ち上げて彼に示した。背中に当たる部分に「誠」の一時が刻まれ、袖口は山形に模様がついている。
「ああ、それかいな。それはな、新撰組ちゅうのの制服みたいなもんや」
ヒカリは日本史が得意ではない。対してトウジは日本史には詳しい。
「新撰組?」
「江戸幕府がな、その末期に京都に置いた私設警察みたいな連中のことや」
「ふーん・・・」
ヒカリは背中を見たりしながら頷く。そして思いついたように、トウジを引っ張った。
「なんや、ヒカリ」
「ちょっと着てみて」
強引にヒカリはトウジに袖を通させた。そしてぐるりとトウジの周りを回る。
「ど、どや?」
背筋をのばして、照れながらもポーズをとるトウジ。
「なかなか似合うわ。これ・・・買いましょ?」
「な、なんでやぁ!?」
「いいじゃない。ハルミちゃんも喜ぶわよ」
羽織をトウジから脱がせると、ヒカリはレジに向かってしまった。
「・・・かなわへんな、ヒカリには」
複雑な心境で、彼は彼女の背を見送った。
「ね、ねえトウジ!」
その時、急にシンジが声をかけた。
振り返って、彼を見ると声をかけたのにも関わらずきょろきょろとしている。
「なんや、シンジ」
「アスカとマリー、見なかった?」
その言葉にトウジも辺りに視線を泳がせる。
「いや、ワイは見てへんで。・・・大方、どっかで喧嘩しとるんちゃうんか?」
そう笑ったトウジだが、シンジの表情は固い。
「どないしてん?シンジ」
「嫌な予感がするんだ・・・」
土産物屋の外に目をやって、シンジは呟いた。
さて、アスカとマリアは計画通り班を離れて、郊外の大学に着ていた。
「ここね」
アスカは鞄を肩にかけなおして呟いた。
「い、いいの?勝手に入っちゃって」
マリアは少し不安げだ。
「大丈夫よっ。こっちには有力なコネクションがあるんだから!」
自信満々のアスカ。それもそのはずである。彼女の鞄の中には、ある人物が研究室にあてた手紙が入っているからだ。
(さすがは元ネルフ副司令よねー。ちゃんと紹介状まで用意してくれるなんて)
彼女は人の良いその初老の男を思いだしながら、含み笑いをしながら歩く。
深まりゆく秋の空気が、二人の美女を歓迎している。
だが、その二人の姿を目で追う影があった。
「対象が・・・現れた・・な」
「まだ手を出すなよ。奴らはしばらく二人の行方は掴めんはずだ。ゆっくりとやればいい」
「早く動きたいわね。一刻も早くあの小生意気なガキに鉛の玉を埋め込んでやりたいわ」
「そう焦るな。確実な方法でヤツを消すんだ。念には念を、だ。慎重に行こう」
一人が碇シンジの写真を弄ぶ。
「焦りは崩壊を生む。学習能力という言葉を忘却するな」
「分かってるわよ!・・・それを忘れた連中が組織を潰したんだから」
「ジワリジワリと痛ぶってやる。オレ達を甘く見たことを後悔させるさ。ヒヤハハハハッ」
奇妙な笑い声を上げながら、去っていく二人の少女の背を見る。手には加持リョウジの写真。
「こいつらは・・・こうなるのさ」
二人の写真を取り上げると、ジッポで素早く火を付けると、地面に落とす。見る見る二人が黒い灰に変わって行く。
「リベンジだ、リョウジ・カジ。そして・・・シンジ・イカリ」
口の端をつり上げて蛇のように笑った。目は濃いサングラスに遮られ見えなかったが、殺気に溢れていた。
復讐という名の舞台は、虎視眈々と開演のベルを待つ・・・。
大学構内を歩く二人の少女は、高校生であることを除いても十分に目立っていた。
さながら、ファッション雑誌の一部を切り抜いたような二人に目を奪われた学生達は足を止める。そんな二人に身の程をしらない、というかお気楽な学生が彼女達に声をかけたが、もちろん邪険にされただけだった。 いいかげん堪りかねた二人は、親切そうな女子学生に丁寧に事情を話すと、道案内を頼んだ。
二人が目指したのは、形而上生物学第1研究室。
19年前、冬月が教授としてここで教鞭をとっていた時に使用していた部屋である。
今ここは『松島ヤスシ』という人物の研究室となっている。彼女達がそこに現れたとき、松島は最初面を食らったような顔をしたが、アスカが冬月の話をし、紹介状を見せると、安心したように二人を歓迎した。
「そうか君たちは冬月先生のお知り合いなんだね?」
見た目はとても若々しく見えるが、実年齢は40代に足を入れているだろう。白髪混じりのない純粋な黒髪をかなり短くしている。また娘ほど年が離れているアスカやマリアに対しても、見下したような視線を向けることもない。
松島というこの男は話せる男だと、二人は思った。
「なるほど。碇ユイさんについて知りたいんだね?」
紹介状を読み終えて、丁寧に便箋をたたみ直すと、再び封筒に戻した。
「はい。そうなんです。できれば写真か何か残っていれば見せて頂きたいのですが・・・」
とアスカ。
「ちょっと待ちたまえ。確かあの頃のアルバムがこの辺りに・・・」
ゆっくりと立ち上がった松島は、奥の古びたロッカーの中をあさり初めて、少し埃の被ったアルバムを手にした。
「おお。これだ、これだ」
言いながら甲で埃を落として二人の前に置いた。
「・・・見せていただいてよろしいですか?」
マリアが恐る恐る尋ねる。
「かまわないよ。ゆっくり見ていくといい」
優しげな笑みを漏らして、松島は冷めかけた日本茶に手を伸ばす。
そこには大学時代のユイの姿があった。白衣を纏って、真剣にレポートに打ち込む写真。冬月や他の仲間とどこかの紅葉を背景に撮った写真。ほんのり赤い顔で酒に口をつける写真・・・。
「あのころユイさんは僕らにとってアイドルだったなぁ・・・」
「知ってらっしゃるんですか?松島さん」
「もちろん。私はあの頃、冬月先生のゼミで学んでいたからね。私が研究室に入った時には・・・先生もユイさんも居なくなっていたがね」
窓の外に見える木に、松島はふっと視線を移した。
「居なくなった?」
マリアが訊く。
「ああ。冬月先生は教授職を退かれて、一時名古屋の方面に居られたそうだが、ユイさんは・・・。そう、結婚した、とか風の噂で聞いたな。その後は行方知れずだが」
そこでアスカの瞳が陰った。聞きながら、ある写真を見て確信してしまったのだ。いや正確には知識として分かっていたことを目で確かめたのだが。
やはり綾波レイは、碇ユイのクローンであること。
それがアスカの中で明確化され、シンジの抱えていた辛さ、ゲンドウが捨てきれなかったユイへの執着心、そしてクローンが故のレイの苦悩。それらすべてが彼女を襲った。
「どうしたんだい?惣流君?」
「い、いえ。大丈夫です」
アスカは瞳を閉じて涙を堪えた。マリアもそんなアスカを心配げに見つめる。
それから3人は言葉を交わすことなく、それぞれの感慨に浸った。
「今日はありがとうございました」
アスカが口にして、二人は同時に頭を下げた。
よれた白衣のポケットに手をつっこんで照れ笑いしながら言う。
「いやいや。こちらこそ。冬月先生によろしく伝えて下さい。・・・まあ市長という身分ではなかなかこちらに来られないでしょうが、またお会いしたい、と」
「はい。必ず伝えます」
アスカも微笑んだ。そしてもう一度会釈をして、二人は研究室を後にした。
二人は両脇を塞ぐ植樹を見ながら、しばらくユイについて語った。
その二人を見る4つの影があった。二人はもちろん、彼女達に目を止めた男子学生すらも気付いていない。
「いいか。速やかに行動しろ。二人を無傷で奪取の後、バンを回す。それに乗って移動だ。いいな」
「・・・了解だ」
「ヒヤハハハハッ、抵抗したら無傷じゃなくなるけどなァ」
「それじゃ甘いわね。あのボウヤが大切にしてる小娘達なんでしょ?ボウヤの目の前でたっぷりいたぶってから殺してやるのよ」
4人の目は猛獣のようであった。殺気を押し殺してじっと耐える。人気の少ない路地に入った所で、静かに動き始めた。
二人は目の前に現れた黄色のスーツに身を包んだ女性に、足を止める。その女性を避けて通ろうと、
右脇を歩こうとしたら彼女達の前に立った。
「何か用ですか?」
マリアが怪訝そうな瞳を向けて、そう尋ねる。
『悪いけど付き合ってもらえないかしら?』
とその女性は英語で尋ねる。明らかに二人を見下していた。血のように赤い口紅を塗っている。
『私たちはあなたに用がありませんから。失礼します』
今度はアスカが柔らかい口調の英語で答える。
『アンタに用がなくてもオレ達にはあるんだよなァー』
金髪の男が背後に立つ。驚いてマリアが振り返った。その男の目は濁っていた。クスリか何かをやっているのだろう。男は折り畳みナイフを弄んでいる。
「くっ!」
アスカは危険な笑みを浮かべたその女性に、平手打ちを向けた。だが、その手は難なく止められてしまう。女性は掴んだアスカの手首を強く握りしめる。
「痛っ!!」
『威勢がいいわね、お嬢さん?』
彼女は目を細めて冷笑した。
「マリー逃げてっ!!」
アスカは後ろにいたマリアに向かって叫んだ。彼女はぎこちなく頷くと、踵を返して走り去ろうとする。
が、彼女の視界には日差しを受けて鈍く光る、ナイフが入っていた。
『残念だったなァ。・・・その可愛い顔に傷付けてほしくなかったらおとなしくするんだな。ハハハッ』
八方ふさがり。
まさにその状態だった。二人は観念した。
そこへ大柄で筋骨隆々とした黒人が現れた。
『・・・行くぞ』
そうとだけ告げると、彼はその路地を入っていった。それに続くようにして、ボディコン女と金髪男も、アスカとマリアを引っ張ってその路地を進む。目撃者すらいない、完璧な拉致だった。
はぐれてしまった付近を、シンジ、トウジ、ケンスケ、ヒカリの4人で手分けをしてさがしたが、二人の行方は掴めなかった。シンジはどうも嫌な予感が拭えず、焦りの色を見せ始める。
「一旦ホテルに戻って先生に報告しましょう」
ヒカリの提案に従い、4人がホテルに戻ったのはアスカとマリアが拉致されて1時間が経過したころだった。
「何ですってっ!?」
ミサトはあまりのことに立ち上がって叫んだ。
「すみません、ミサトさん。僕がついていながら・・・」
シンジの頭の中にはもう既に何かに巻き込まれている、という発想がある。深々と頭を下げて、掌に爪が食い込むほど手を握りしめていた。
「シンジ君の責任だけじゃないわ・・・。でもまだ何かあったわけじゃないだろうし」
「いや何かあったのは間違いないようだ」
ミサトの背後に、顔を青ざめた加持リョウジが立っていた。
「加持さん!どういうことですかっ!?」
シンジは立ち上がり加持に詰め寄る。彼は冷静さを失っている。
「シンジ君、落ち着いて聞くんだ。二人の警備につけてた情報課の人間が、何者かに倒されていた。しかもかなり巧妙なやり方で・・・。俺の言おうとしていることが分かるな?」
「レッド・ウルフ・・・」
シンジの目が鋭く光る。右手が赤い。
「そうだ。多分奴らが絡んでいるはずだ」
『お客様で、碇シンジ様。碇シンジ様。お電話が入っております。フロントまでお願いします』
全員の顔色が変わる。シンジは手にかいた汗を拭うと、フロントで受話器を受け取った。
「はい、碇シンジですが」
『どうも。初めまして碇シンジ君』
堅いキングス・イングリシュがシンジの耳に響いてきた。シンジはその丁寧な言葉の裏にある闇をくみとって、表情を固くする。
『アスカとマリーをどこへやった!?』
シンジもまた英語で対応した。
『まあまあ落ち着きたまえ。殺しはしていない。無事でいるよ』
勘に障る物言いだった。シンジは苛立ち始めた。
『今から指定する場所までこい、碇シンジ君』
男は大文字山近くの廃校を示した。
『君が現れるまで彼女達の命は保証しよう。だが下手な真似をすれば二人は二度と微笑まなくなるだろう』脅しではない、本気だとシンジは悟る。
『分かりました。僕一人で行きましょう』
『物わかりがよくて助かるよ。ではお待ちしている』
電話が切られた。
「アスカ・・・マリー・・・!」
遠くから見ていたミサト達には何も告げず、シンジは玄関をくぐり偶然人が降りてきたタクシーに身体を滑り込ませると、運転手を急かした。
「おい、シンジ君!」
加持が玄関の外まで走ってきたが、既に手遅れだった。シンジを乗せたタクシーは甲高いスリップ音を立てて走り出していた。
「シンジ君っ!」
あとを追いかけてきたミサトもそのタクシーを見送るのみだった。
「独りで決着をつける気か、シンジ君・・・」
ひとりごちに加持は呟いた。
『安心しな。加持リョウジ、お前引導は俺が渡してやるっ。ヒヤハハハハッ』
背後に金髪の男と長身の男が立っていた。
『レッド・ウルフ・・・だな?』
『ああ、そうだ。よくもオレ達の組織を潰してくれたな。今日はそのお礼だっ』
「葛城、ホテルの中に入ってろ」
「加持君・・・」
「ぐずぐずするなっ!ミサト」
加持の口調は厳しい。相手の強さを理解できたからだ。ミサトがホテルの中に入ることを確認すると、金髪のその男を睨む。男は嘲笑していた。加持を見下して。
『死ねやぁっ!!』
皮のズボンの後ろに隠していた銃を構えるが早いか、男は引き金を引いた!
タクシーを止めたシンジは、手元にあったお金から丁寧にきっちりと払うと、大文字山を見上げた。裾野あたりに銀閣寺が見える。
シンジは何も武器がないことをもう一度確認して覚悟を決めると、一歩一歩道を上り始める。
しばらく行った所に、コンクリートの校舎が見えた。ガラスは割られ、正門に掲げられているはずの学校名を記した看板はない。門には有刺鉄線が張られていた形跡がある。だが、焼き切られ門は開いていた。その門をくぐりシンジは辺りを見回す。校舎にはいない。瞬時に直感した。何故だか分からない。だがシンジには確証できた。
『そこに、アスカとマリーはいない』と。
校舎から目を移し、体育館を凝視した。再びシンジに直感の電流が走った。
『ここにいる』そう告げた。半開きになった扉を見つけて、シンジは注意深くそこまで移動する。
トラップの類は存在していないようだ。
(行くぞ)
心の中で呟いて、シンジは扉をくぐった。内装はありふれた体育館だった。高い位置から差し込む光が板の目を照らしている。正面に舞台が見えた。その中央に二人の少女が座らされている。
(いた!)
「アスカ!マリーッ!!」
声の限り叫ぶシンジ。
その声に反応するかのように袖から二人の人物が現れた。
一人はグレーのスーツに身を包みサングラスをかけた男。一人はぴったりと張り付いた黒のボディースーツの女性だ。瞳は怪しげな輝きを放つ、蒼い瞳。アスカの瞳とは違う、人を狂気に誘うような色だった。
『二人だけか』
シンジは低く言う。
『そうだ。・・・君は一人で来てくれたようだな』
『二人は関係ない!すぐに解放しろっ!』
『残念ねぇ、ボウヤ。二人にはボウヤが朽ち果てていく姿をゆっくりと見て貰ってから、ボウヤの後を追わせてあげるわ』
真っ赤なルージュが引かれた唇を指でなぞって、薄く笑う。
『碇シンジ君、アメリカでは大変世話になったようだね。我々四人が本部を離れている間に・・・このような失態を演じることになろうとは。上幹部も馬鹿だった、ということだな。だが、我々としてもこのまま事を過去にしよう、とは思わない。・・・碇シンジ君、組織の汚点は消さなければならないのだ』
サングラスの男が女に目配せする。目つきが鋭くなった。太股にさしていた小型ナイフを抜くと、音もなくシンジとの距離を縮める。
『死になさい!』
シンジは肩幅に開いていた足の右足を少しだけ後ろに引いて、体勢を変える。逆袈裟に彼女はシンジに斬りかかる!
シンジはそれを上半身を引くことでかわし、ナイフを持った手を掴もうとした。だが彼女はそれを見破っていたかのように今度はシンジの腕を斬りつけた。
「くっ」
その時、シンジはアメリカでのレッド・ウルフとの死闘を回想し、あることに気が付いた。
それはすべてが落ち着いて、FBIが幹部の逮捕に介入した時のことである。シンジはその前に起こった衝撃的な出来事に、身を固くし震えていた。だが、手錠をかけられ、連行される幹部の一人が足を止めてシンジにこう罵倒した。
『覚えていろ、小僧!我々レッド・ウルフは必ず復讐する!そして貴様を地獄にたたき落とす!待っているがいい。レッド・ウルフ最強の四人が貴様を追いつめるだろう』
男は狂ったように笑い出し、そのまま連れて行かれた。
今その言葉が蘇ってきたのだ。
(まさか、本当だったのか。その四人のうちの二人なのか?・・・では残り二人は!?)
『すばしっこいガキだねッ。いい加減にしな!』
正確に急所狙って攻撃を仕掛けて来るが、シンジは何とかそれを紙一重ですり抜けていた。だが攻撃の余裕は存在しなかった。
(一瞬の隙を見逃したら終わりだ。長引かせれば、かわしている僕の方が絶対的に不利になる。何とかチャンスを!)
その時だった。ナイフを一旦引いた彼女にほんの刹那の隙が生じた。シンジはそれを勝機とばかりに、見逃すことはなかった。
「てやあっ!!」
渾身の力で肘打ちを相手の鳩尾へたたき込む!
「ぐっ!!」
継いで怯んだ所で、握られたナイフを払い落とすと、今度は踵を腹部へ。
鮮やかに決まった回し蹴りで、彼女は完全に気を失った。その瞬間、アスカとマリーの近くにいたもう一人の敵を確認する。
彼は手をポケットに突っ込んだ状態から、微動だにしていなかった。薄く笑みを浮かべて。
シンジは倒れた彼女の足と手の親指を、落ちていたビニル紐で結ぶと、スーツの男を睨み付ける。怒りに満ちた目で。
男は静かに笑い、その後拍手をしながら舞台から降りる。
『いやぁ。お見事だよ碇シンジ君。イライザをいとも簡単に倒すとはね。さすがレッド・ウルフ本部を潰しただけのことはあるようだ。正直嬉しいよ。君のような男に潰されたということは』
サングラスをはずし、投げ出す。瞳にはシンジに向けられた、途轍もない殺意がみなぎっていた。
『だが!』
スーツの上着を脱ぎ捨て、銃を出す。
『君のような人間をのさばらせておくのは得策ではない。悪いがここで消えてもらおう』
「シンジっ!」
「シン!」
男の背後で目を覚ました二人が、ほぼ同時に声を上げた。
『観客もお目覚めのようだ。そろそろメインイベントとしゃれ込もうじゃないか』
口の端をつり上げて、男は醜悪さをにじみ出させて笑う。シンジは男に体当たりしようとして、右足を前にすらせて体勢を低くした。
『おっと、残念だが妙な動きはしない方がいい』
いいながら男はズボンのポケットからスイッチを取り出す。
『これは二人の椅子仕掛けた小型爆弾のスイッチだ。火薬の量を押さえてあるからね。死ぬのは二人だけさ。君が動く瞬間は、同時に彼女達が吹き飛ぶ瞬間を意味している』
シンジは奥歯をきつく噛んで、足を戻した。
『それでいい。・・・お別れだ、碇シンジ君』
「いやああっ!」
二人は叫んで目を閉じた。
バンッ!
乾いた銃声が体育館に響きわたる。そして、板に落ちる金属の音。
「確保ッ!!」
次の瞬間、シンジはまさにドラマでも見ているかのような心境だった。男が引き金を引こうとした時、薄く開いた扉から銃弾が飛び、正確に男の手を弾く。そして『確保』の声と共にすべての扉が開き、数十名の警官がなだれ込み、男を押さえつけた。
『何だ!?』
三ボタンのスーツを着た人物が、男に詰めより黒革の手帳を突きつける。
「警視庁だ。国際A級指名手配犯、マイケル・ロックフォード。銃刀法違反及び拉致監禁の罪で逮捕する!」
そこにいたのは、かつて父ゲンドウを逮捕し守った男、室井ケンジだった。
その様子を見ながら、シンジは舞台に駆け寄り、アスカとマリアの縄をほどく。
「大丈夫?二人とも」
恐る恐る瞳を向ける二人。そこには少し汗を滲ませたシンジの笑顔があった。
「シン・・・無事だったのね・・・」
マリアは瞳を潤ませる。アスカは何も言わなかったが、シンジに向けて微笑みを浮かべた。
「大丈夫・・・のようだな、碇君」
室井が舞台に上る。
「ありがとうございます。室井さん。でも何故ここへ?」
「加持に頼まれて不信な入国者を調べていたんだ。そしてこの四人にぶつかっていた。危ない所だった」
「はい。本当にありがとうございます」
「もうすぐ加持もここに来る。二人は歩けそうか?」
視線をシンジからアスカとマリアに移した。 二人は黙って頷いた。
しばらくして現れた加持と共にホテルに戻った彼女らに、ミサトを初めとする教諭陣のきついお説教があったことは言うまでもなく、二人は最終日まで外出禁止となってしまった。
彼女達がこってりと絞られている頃、加持・室井・シンジの三人はホテルの喫茶にいた。
「なるほど、シンジ君は二人倒したということか」
「はい。加持さんは一人だったんですか?」
「ああ。さすがに手強かったがな。・・・だが室井、やはり一人足りないのか?」
「そうだ。・・・しかしもうこれ以上の追跡は不可能だ。当然、ヤツも馬鹿ではない。何らかの方法で日本を脱出しているに違いないだろう」
三人に、重い沈黙が走る。
「悪いが加持、私は第二に戻る」
室井は立ち上がって言った。
「ああ。済まなかったな、室井」
「いや、気にするな」
室井が去って、シンジは椅子に体重を預けて、天井を見上げた。
(一人・・・逃がしたのか・・・)
そう心で呟いて、シンジは目を閉じた。
その後、シンジ周辺の警備は人知れず強化されたが、修学旅行中は何も起こることがなかった。加持も室井の意見に賛同してはいたが、気は抜けかったがさすがにもう何もないと判断した。
リニアは第三新東京市に向けて発車した。
その車中、アスカとマリアの二人はこれ以上騒ぎを起こすことは良くない、そう思って二人掛けの椅子に座り、流れる景色を見ていた。
「しっかし大変な旅行だったわねぇ」
後ろで携帯ゲームで騒ぐクラスメートの声もただの喧噪だった。そんな中、アスカは一人ごち呟いた。
「そうだったわね」
景色から目をそらさずにマリアが相槌をうつ。
「でも・・・シンジ、格好良かった・・・」
「そうね」
「どうしたの?マリー?」
「・・・少し・・・昔のことを、ね」
少しだけ視線をアスカに向けるマリア。そのとき、アスカははっ、となった。
そのマリアの憂いをおびたような横顔を見たとき。
それまで何度か感じた既視感のような感覚。それが彼女の中で強くなって、一つの形を示した。
それは。
(この娘・・・
マリア・・・
あなたは・・・そう・・・
綾波レイに似ている・・・)
アスカは違えることなく空色の少女の面影を、そのマリアの横顔に重ねていた。
作者 :うっうううううっ(T-T)
アスカ:何泣いてんのよ、アンタ
作者 :あ、アスカちゃん。だってさ、公言破ってEパートまで書いちゃったから(ToT)
アスカ:ホント長かったわね。出演料弾んでもらわないと・・・
にしてもアンタ、ホント最終回よりも長いんじゃない?このエピソード
作者 :ぼやく割には顔が綻んでるけど?
アスカ:まあ・・ね(*^ ^*)
作者 :そうか!前半ラブラブで、後半はシンちゃん大活躍だったからか!
アスカ:余計なことを口走んじゃないの、アンタはっ!!!(-_-#)
メキッ
作者 :あうううっ(T-T)G
アスカ:・・・で。どうなるの、次回は?アタシ、とうとう気が付いたみたいじゃん。
作者 :そうだね。まぁ、最後まで誰も気が付かなければ平和な学園ラブコメ&モテモテシンちゃん
のままで終われたのに。
アスカ:そしたら意味ないじゃないの。あれだけ前半引っ張って
作者 :分かってるって。次回は第九話「困惑と暗躍」(仮)・・・かな。当初の予定の第九話と
第十話をくつけたような話になるかな
アスカ:全何話で終わる予定なのぉ?
作者 :うーん・・・。・・・十一話完結・・・になる・・・と思う
アスカ:もちろん、最後にシンジはアタシを選ぶんでしょうね?
作者 :・・・さあ?(・。・)
アスカ:・・・この裏切り者っ!!
バキッ、ミシッ、ボコッ、ドッカーン!
作者 :し、シンジ君次第だよ。ぼ・僕はLASにんだから・・・
アスカ:ハン!信用できますかっ!
作者 :感想送って下さい、お願いします・・・ ・・・ガクッ