惣流・アスカ・ラングレー、17歳。
元エヴァンゲリオン弐号機パイロット、セカンド・チルドレン。
彼女は気丈で、強く輝く太陽のような女性だ。しかし今、彼女は・・・
泣いていた。
その涙は、彼女が走っていることによって、彼女の耳を掠めて空中に散っている。
視界がぼやけて道や景色がはっきりしない。だが、知らない道ではなかったので、彼女はまっすぐ自宅まで駆け抜けた。
コンフォート17マンションのエレベーターホールまでたどり着くと、彼女はボタンを押して、座り込んでしまった。
声を押し殺し、肩だけ僅かに震わせてアスカは泣いていた。
このごろ涙脆くなっちゃったな。子供の頃は絶対泣かないって決めたてたのに・・・。
とアスカは思った。
「シンジの・・・バカ・・・」
嫌い、とは言えないアスカだった。
「それぞれの決意」
高い音がなって、エレベーターの扉が開いたので、重たい身体を何とか起こして彼女はエレベーターに身体を乗せた。
部屋の前に着くと、力なくカードを挿入して自動ドアを開ける。虚しくエアーの音が響いて、暗い部屋に外の明かりが入る。
それが、同居人の葛城ミサトが帰宅していないことを示していた。
アスカは軽い安堵感を覚えた後、取りも逃さず自室へ駆け込んで、ベッドに倒れた。
スプリングが弾んで、彼女の身体を押し返す。
「うううううっ・・・・」
もう彼女の嗚咽を止められるものはなかった。夕暮れの燃えるような日が差し込む部屋で、アスカの泣き声だけが聞こえる。
「シンジ・・・シンジ・・・」
いつしか彼女は眠りに落ちて行った。
夕日が箱根の尾根に身をかくして、暗闇が部屋を包む。
「ただいま~。・・・アスカ?いないの?・・・居るじゃない。アスカー!」
フローリングの廊下を歩いて、アスカの部屋の前で止まる。
明らかにおかしかった。いつも靴はそろえておくアスカが、靴を脱ぎっぱなしで電気も付けていない。
「アスカ、開けるわよ」
静かに襖を開けた。
やはり暗い。カーテンすら閉められていない。
「アスカ・・・」
彼女の頬にはくっきりと涙の跡が、見てとれた。
「泣いていたのね」起こさないように、アスカの横へ座るミサト。そして優しく頭を撫でる。
「シンジぃ・・・」
弱々しくアスカの口が動き、ミサトの知る少年の名を紡ぎだした。
「シンジ君・・・か。彼がらみのこと・・・
しょうがない。保護者として、お姉さんが一肌脱いでやりますか!」
ミサトはまた静かに立ち上がると、アスカを起こさないよう細心の注意を払い、リビングに向かった。そして電話を手にすると、先ほど赤木リツコから聴いたばかりの番号をプッシュする。
プルルルルル・・・プルルルルル・・・
ガチャッ
「もしもし?」
『もしもし・・・』
「シンジ君・・・よね?私よ。ミサト」
『ミサトさん。すみません、ゆっくりと挨拶もできなくて』
「それはいいわ。それよりも・・・アスカが泣いてたわ。何かあったのよね?」
『・・・はい』
「話してくれる?」
『・・・僕がアメリカに行く前・・・。アスカと約束したの、覚えてますか?』
「ええ」
『今日・・・アスカがその約束を果たしてほしい、って言って来たんです』
「・・・そう」
『僕は・・・』
「加持から聞いたわ。アメリカで辛い経験をしたわね。でもそれとアスカは関係ないんじゃない?」
『ダメなんです!アスカに・・・アスカに気持ちを伝えようとすると、あの子の姿が浮かんでくるんですよ!真っ赤になった手で、僕にすがりついて泣いたあの子の顔がっ!』
ミサトは、シンジが泣いていることに気付いた。
「シンジ君・・・」
『どうしようもできないんですよ・・・。
僕は・・・アスカが好きです。
でも、でも彼女を忘れられない限り・・・僕はアスカに気持ちを伝えられません』
「シンジ君。でもアスカは待っていたわ。あなたが帰って来るのを」
『アスカ・・・』
「それだけは忘れないでいて。いい?シンジ君」
『はい』
「じゃあ、おやすみ。また明日、学校でね」
『おやすみなさい・・・』
ガチャッ
ミサトは置いたハンドセットを放せなかった。
シンジをなじることはできない。彼の心は傷ついている。そして、アスカもまた傷ついていた。
だが、彼女が2人にしてやれることはない。いっそシンジにアメリカで何があったのか、アスカに話してしまおうかとも思った。
しかし、シンジは誰にも話さないつもりだと加持が言っていた。また加持も他言するなと、念押しした。
このまま2人は終わってしまうのだろうか。
ミサトは、冷蔵庫の方へ歩きながらそう考えて、缶ビールを取り出したが今日は飲まないでおこうと思い、
冷蔵庫を閉じた。
翌朝、アスカは夜明けと共に目覚めた。
どうも身体が重い。シンジの事を考えれば考えるほど、身体が重くなった。
「学校・・・行きたくないな・・・」
シンジと顔を合わせられない。何と言っていいか分からない。
「今日・・・休もう」
アスカはパジャマに着替えて、ベッドに潜り込んだ。
『アスカ!そろそろ準備しないと間に合わないわよ!』
微睡んだ意識に、ミサトの声が聞こえる。
「今日・・・休むわ。気分が良くないの」
しばらく沈黙があって、
『分かったわ。でも何か食べなさいよ。夕べから何も食べてないんだから』
「了解」
『じゃあ、行って来ます』
アスカは、ミサトへの罪悪感を感じ、それを拭い去ろうと固く目を閉じて眠ろうとした。
アスカが欠席を決め込んで寝ていたからといって、学校が休みになるわけではない。
当然と言えば当然のことなのだが、アスカがいない教室は、火が消えたかのような雰囲気だった。
「何や、辛気くさいのお。惣流1人おらんだけで、通夜みたいに沈んでからに」
鈴原トウジは、手にしていたブルーのフルフェイスヘルメットをロッカーに放り込むと、教室に視線を一巡りさせて、言い放つ。
「しかたないよ、トウジ。あれでも惣流はクラスの華、ムードメーカーなんだからさ」
こんな静かな教室が珍しいようで、ケンスケは熱心にカメラを回している。
「そうやな、シンジが帰って来たちゅうのに、惣流どないしたんや?」
そう言いながらトウジは、何気なくシンジを見た。机の一点を見つめたまま、微動だにしない。
「どうやら、原因はシンジのようやな」
静かな学校での一日だった。その1日も、もう終わろうとしている。
「じゃ、今日はこれで終わります」
思い思い、生徒達が動き始めた。
それを見てミサトは教室から出ようとしたが、聞き慣れた声に立ち止まった。
「ミサトさ・・・先生」
「あら、碇君どうしたの?」
「あの・・・アスカに・・・会えますか?」
「・・・ ・・・ ・・・シンジ君、アスカにはあなたの口から話してあげて」
と、部屋のカードキーを渡す。 シンジもそれだけで彼女が何を言おうとしているのか分かった。
「はい、頑張ってみます」
それから1時間ほどして、シンジはコンフォート17マンションのある部屋の前に来た。
かつて自分もしばらく暮らしていた部屋である。カードキーをさし込んだが、それ以上手が動かない。
アスカには何と言えばよいのだろう?まだ彼の中ではあのアメリカでの事件の整理がついていない。
今でもしばしば悪夢を見ることもある。
そんな状態を、彼女に冷静に話すことなどできない。彼女はこの事実を知ったとしても、変わらぬ態度で接してくれるだろう。むしろ、彼の痛みを半分でも引き受けてくれるかも知れない。それほどに彼女は優しい。決して表には出そうとしないが。
だからこそ話せない。この痛みは自分で片づけなければならない。
シンジは、辛い決断をした。それは自分にとっては自分自身に死刑宣告をするのと同じだ。もしかしたら
アスカにも辛い思いをさせるかも知れない。あの涙が自分の為に泣いてくれた涙ならば・・・。
扉が開いた。
内装は3年前とさほど変化していなかった。彼の中での時間が、急速に逆回転し、3年前のあの日に戻した。
『・・・アスカ・・・僕行って来るよ。
今、僕はアスカに聞いてほしいことがあるんだ。
・・・でもまだ言えそうにない。だから!
もし帰ってきてアスカが僕と向かい合うことができたなら
今伝えられないことを・・・アスカに話すよ。
きっと強くなって帰ってくる。それまで元気でね』
3年前、ここでアスカに向かって言った言葉が、鮮明によみがえる。
今伝えられないことを・・・か。このまま伝えない方がアスカにとっても・・・
彼の決断はより強いものとなった。
リビング、バスルーム、トイレ。アスカは居ない。
彼女の部屋の前に行く。
一緒に暮らしていた頃、他人の侵入を頑なに拒み続けた、
『許可なく立ち入りを禁ず。勝手に入ったら殺すわよ! Eintvitt Vrerboten!』
という物騒なボードは、もうそこには掛けられていない。
「アスカ!居るんだろ」
『・・・何しに来たのよ!』
襖に何か柔らかいものがぶつかって、落ちた。どうやらアスカが枕を投げつけたようだ。
「・・・風邪、じゃないんだろ?
アスカの病気の原因を取り除こうと思って・・・」
反応はない。だが、聞いてはいるようだ。シンジは深く呼吸する。
「・・・3年前、僕はここでアスカに好きだって言おうとした。
けど言えなかった」
昔、何か大きな決断をするとき、気持ちが安定しないとき、右掌を握ったり閉じたりすることが癖だったが、今はもうやらなくなった。
「それは僕に勇気がなかったから・・・。だから強くなれれば言える、そう思っていた。
でも、アメリカに行って少し状況が変わったんだ」
シンジは自分で破裂しそうなアスカへの想いを押し込めて、滅びの言葉を準備して喉の中に待機させる。
「アスカ、
僕、
アメリカに
好きな人ができたんだ。
もちろんアスカのことが嫌いになったわけじゃない。一番辛くて苦しい時期を一緒に過ごした・・・仲間だし一番近くにいた素敵な女の子だし・・・。
ただアスカよりもその人のことを好きになってしまっただけなんだ」
流暢に言えてしまう自分を、シンジは嫌悪した。
「優柔不断なところはどこも変わってないよね。嫌ってくれていいよ。いや、むしろその方がすっきりする。
こんな情けないヤツのことは早く見切りを付けて、いい恋しなよ。
友達でいてほしいなんて、虫のいいことは言わない。でも、クラスのみんなが心配してるから、
明日は学校に・・・」
シンジは限界が近いことを感じた。悲しみが許容量を越えようとしている。
「そ、それじゃ、帰るよ」
言うが早いか、シンジは重い足を引きずりながら、部屋をあとにした。
襖の向こうで自動ドアが閉まる音がした。
一瞬前まで、愛しい人の声が響いていた部屋を今は静寂が包み初めていた。
アスカは、布団を頭からかぶり声を立てずに再び泣いた。枯れたと思っていた涙は、まだまだ溢れてくる。
「もう・・・イヤぁ・・・」
それから1時間近く、アスカの被った掛け布団は小刻みに震え続けた。時折しゃくり上げる声を漏らしながら。
一台の車が、煉瓦づくりの古いバーの駐車場に止まった。
そこは、第三新東京市が造られるまえからそこに存在しているバーである。
軽快なジャズの調べが雰囲気を盛り上げる素晴らしい店だが、あまり人に知られていない。
車を降りた男は、まっすぐに入り口を目指した。
カランコロン・・・
小気味のいい音を立てて、扉を開ける。昨今、自動化された出入り口が多い中、押し戸とは珍しい。だからこそ、彼は、いや彼らはこの場所を好んでいるのだろう。
店内を見回すが、客入りはない。だからこそ、すぐに彼は待ち合わせた男の一人を発見できた。
男は、カウンターで、グラスを回していた。
「よ、しばらく」
彼は男を見ないまま、隣に腰かけた。
「相変わらずだな、加持。人を早めに呼びつけておいて、自分が遅れて来る」
横目で加持リョウジを見ながら、室井ケンジは薄く笑みを浮かべる。
「いえいえ、そちらこそ時間には正確でいらっしゃる。室井管理官殿?」
加持も笑った。
「で、何だ?私を早めに呼んだ理由は」
加持は急に真顔になった。
「碇司令のこと、礼を言おうと思ってな」
「律儀だな。私は私は私物と化した国家権力の行使をくい止めたまでだ」
「そうか・・・」
カランコロン・・・
「早いな、2人共」
扉を開けてすぐ、その男は加持と室井を発見して声を上げた。
スリーピースのダークブルーのスーツに身を包んだその人物は、まっすぐに彼らの横へ移動した。
「元気だったか?加持」
「ああ、高榎。・・・皮肉がこもってないか」
高榎ミチタカ。加持、室井と3人は第二東京大学の同窓であり、当時近くに住んでいたことから、縁が続いていた。
「まさか腐敗しているとは言え、日本政府を手玉に取ろうとしていたんだからな」
バーテンがオーダーを聞いてきたが、もう1人来るからと断った。
「ところで、大丈夫なのか。この時期君の部署は猫の手も借りたいくらいじゃないのか?」
グラスを置いて、室井が高榎を見た。
高榎ミチタカ、彼は財務省主計局総務課課長という肩書きを持っている。
「まあな。だが東方の三賢者のおかげで仕事が楽になっているからな。それに俺が第二東大に居た頃
から目を付けていた連中を引き抜いて、任せている。全く問題ない」
1998年に、大幅な中央省庁再編案が、行動派な総理主動のもとで発案された。当初、2001年より移行が開始される予定だったが、2000年に発生したセカンド・インパクトにより、人口が激減。多くの官僚・政治家も命を落とし、急遽「1府12省制」がこの年より導入された。また当時懸念されていた、官僚大量解雇に基づく「天下り」も不幸中の幸いと言ってはあまりに無礼かも知れないが、起こることはなかった。このとき、大蔵省は財務省へとその名称を変更した。
そして、2016年。ネルフ解体により、情報公開と技術提供で国政も自動化された。そんな中、財務省は査定作業の一部を、試験的に『MAGI』に委託することを決定した。それで、今に至っている。
「しかし、お前とまたここで飲めるとは思いもしなかったな」
そう言って高榎は加持を見る。
「とにかく、昔冗談みたいに騒いでいたことが本当になった」
「俺が国際公務員、室井が警察官僚、高榎が財務官僚・・・」
「もう一人お忘れですよ、加持先輩」
今度は勢い良く扉が開いた。
「ぎりぎりじゃないか、伊崎」
加持はその男が入るタイミングを待っていたことに気付いていた。だからこそ室井の話の振り方から巧くこのように持っていったのだ。
「これであの時の悪友4人が顔を揃えた訳だな」
高榎は軽く笑う。つられてクリーム色のツーピースを無理なくきこなした、伊崎ユウタが中指で眼鏡を押し上げて笑った。
「天才外科医、宣言通り今ではそう呼ばれていますよ」
伊崎ユウタ。国立第三赤十字病院の外科医である。その医療知識の幅広さもさることながら、今では敬遠されがちな、金属メスによる切開、絹糸での縫合の手さばきも芸術的な神業を備えている。彼のことを
「新世紀のブラック・ジャック」などと呼び称える人々もいるほどである。
「では、加持。そろそろ聞かせてもらおうか、俺達をここに呼んだ理由を」
高榎の言葉に、4人の顔がひきしまった。とりわけ加持はそこに鎮痛さまでも含んでいた。
加持は押し黙ったまま、何かを確認するかのような仕草をすると、3人に視線を泳がすと、口を開いた。
「ネルフ解体で公開されなかった情報を明かした上で、君らに頼みたいことがある・・・」
某CMの・・・・(もうあとがきじゃなくてもいいよ)
作者 :ふう。コンポーザーになれないから執筆が遅れたなぁ・・・。
コウゾウ:ご苦労だったね。お茶でもどうかな?
作者 :あ、冬月市長。すみません。いかがですか?第5話は。
コウゾウ:私の出番がないのは不服だが、加持君の友人達が登場したことは喜ばしいことだな。
作者 :ありがとうございます。彼らにはこれから影で活躍してもらいます。
コウゾウ:そうかね?頑張って執筆したまえ。
作者 :はい。では、次回は第6話「ライバル、出現」です。
コウゾウ:うむ。おお、木の上で子供が困っているではないか!
作者 :その気配り、まさかコウゾウさんは・・・ロッ○マン?!