5、新世紀

マヤは冬月の傷の手当てを続けつつ、少し心を痛めながら口を開く。現在、戦
闘は小康状態であった。戦場には似つかわしくない静寂が辺りを包んでいる。

「好きな人をって、それは、さっき言われたマリさんって方のことですか?」
「・・・・」
「司令?」
「・・・以前、君にスニーカーをあげた事があったが・・・」
「はいっ。・・・すごく嬉しかったです。きゅって、歩く度に音がして・・・」

「・・・私には、かつて娘がいてね・・・」
「!」
「まだ1980年代前半の頃、サヤという娘と恋をしてね。同棲していたんだ」
「司令が・・・あの・・・同棲、ですか?」
「意外かね? あの頃は、そういう事を世間が認め始めた時代・・・というよ
り、フリー・セックスがマスコミをはじめとして容認されるようになり、若
者もそれを常識と捉え始めていた時代だった。バブル景気に向けて日本全体
が、異常に浮かれだして加速を始めた頃の話だよ・・・」

冬月は遠い目をして語り始める。

先ほど見たユイくんとの会話の記憶が、呼び水になっているのだろう。ユイく
んの中に別の女性を追い求め、伊吹くんの中に娘を見ている自分が、非常に滑
稽に思えてくる。しかし、それが私なのだ。今更、変わる訳にもいかぬ。それ
だけ過去の想いに引きづられているという事か・・・。人とは本当に何とも不
器用な生きモノだな・・・。

私が、碇に組し、補完計画を目指したのは・・・良かれ悪しかれ過去に捕らわ
れてしまうような人間を、更なる高みに導くためだった・・・。いや、ちがう
か。過去に引きずられ、過去を乗り越えることの出来ぬ自分に・・・過去と正
面から向き合うことも出来ぬ自分に失望していたから、というのが真実なのだ
ろうか・・・。何とも呆れた男であるな、冬月よ・・・。

自嘲気味に苦笑しながらも、これから先の事を思う。私が過去を振り切るとす
るなら、今しかあるまい。ここが私としても正念場だな。シンジくんや葛城く
ん、それに伊吹くんたちが頑張っているのだから、精々、老骨に鞭打って、や
るしかあるまいよ。そうだろう? なぁ、サヤ・・・?

「その内、子供が出来た。まだ私は大学の講師に過ぎず、結婚するのは躊躇わ
れた・・・。今からすれば何とも馬鹿げたことなんだが・・・助教授になっ
てから、と思っていたんだ。それを彼女も望んでいたように思えてね」
「それは・・・違うんじゃ?」
「そうだ。今なら分かるよ。彼女は私を煩わせたくなかっただけで、彼女の本
心ではなかったのだな。いずれにせよ私には過ぎた相手だった・・・」

マヤには冬月の言葉に、若干の悔恨の情が滲むのが判った。でも、悲しんでは
いけない。司令は自分に何かを伝えようとしている・・・そう感じられた。

「・・・そして娘さんがお生まれになったんですね・・・」
「そうだ。マリと名づけた。籍だけは入れたのだが、皆に喧伝することはしな
かった。学閥というのは妙に古めかしくてな・・・、助教授に上がれるか否
かという時期は、私生活まで結構、審査されるものなんだ。だから隠した」
「そんな・・・」
「マリが歩き回るようになり、片言のセリフを喋り始める頃、私は形而生物学
の助教授になり、そして意外に早く教授になった。家族を隠す必要もなくな
り・・・その時の私は幸福だったよ、この上なく。しかし・・・」
「しかし?」
「祝いを兼ね、それまで苦労かけた事を詫びる意味も含め、初めて三人で街へ
出かけた・・・。そう、三人で外出したのは、あれが初めてだった・・・」

あれは雨の降る日だった。雨模様だったにも拘わらず、四条通り界隈は多くの
人で溢れていた。ペンギン模様の傘と黄色い長靴がお気に入りだったマリは、
雨の中でも賑やかな街に、えらくはしゃいでいた。それをサヤと二人で好まし
く眺めていたのだが、その内、靴屋の前でマリがピタリと歩みを止めた。

「また、だわ・・・」
「何だい?」
「あそこに飾られてるピンクの運動靴が欲しいらしくて・・・。前もあそこ通
った時に、引き離すのに苦労したの」
「・・・フーン・・・どれどれ」

マリの頭越しにウィンドウを覗き込む。そこにはアニメ柄のピンクの運動靴が
あった。ミンキーモモとかいったアニメだったか・・・。歩くと音が出る類の
子供靴だ。

「なんだマリ? ・・・マリはあれが欲しいのかい?」

マリは上背の高い冬月を、精一杯見上げて、雨の滴に顔を濡らしながらも、輝
かんばかりの微笑みで、顔をくしゃくしゃにして勢い良く肯くと、冬月の膝に
しがみついてきた。そのマリを抱き上げ、店の中に入る。買い上げる前、少し
店内で履かせてもらい、一足ごとにキュッキュッ鳴る音に嬌声を上げて、はし
ゃぐマリを眺め、何故もっと早く、こういう生活をしなかったのか・・・自分
を恥じる冬月であった。

再び長靴に履き替え、ピンクの靴が入った袋を握り締めたマリは、前にも増し
て活き活きと元気一杯に雨と戯れながら、二人の周りを行ったり来たり、嬉々
として歩いていた。サヤもそれは幸せそうに、マリを眺め、冬月に腕を絡め、
静かに歩みを進めていたのだ。永遠に続けばいい、と心から願った日常の中の
幸福だった。

そして、あの交差点に差し掛かった。その時、冬月は少し手前の販売機で煙草
を買っており、信号を待つ二人の方へ雨でスリップした車が突っ込んだ瞬間を
直に見ることはなかった。鋭いブレーキの音と、信号機などにぶつかる衝突音
に、それまでの微笑みを氷つかせたまま、呆然と交差点を振り返ったに過ぎな
い。

犠牲者6人を出す惨事であった。マリが履く筈だったピンクの運動靴の片方が、
無情にも冬月の目の前に転がっていた。その靴の映像が深く彼の心に刻まれ、
決して忘れられぬ辛さが、胸に住み着いた瞬間である。以後、彼は煙草を口に
していない。

「じゃあ・・・あの、お二人とも・・・・」

静かに肯く冬月を前に、既に涙で頬を濡らしていたマヤは、鳴咽を抑えられな
かった。しかし、思いの他、冬月は晴れやかな表情をしている。

「こうして話をしてからでは何だが・・・気にしないで、くれないか」
「でもっ・・・」
「この事を話したのは君が最初だ。碇にすら話してはおらん・・・。私がこれ
からを生きるためには・・・話す相手が必要だっただけの事だ・・・。すま
んな、老人の戯言に付き合わせてしまって」
「いいえ・・・そんなこと。幾らだってお付き合いします、これからだってっ」
「ありがとう・・・。さ、君は赤木くんを。私はうまく足が動かんから、此処
で相手の足止めに徹することにしよう。メンバーを一人だけ貸してくれ給え」

そう、泣いてなんか居られない。先輩を助けなくてはならない・・・マヤは意
識を強引に引き戻した。

「・・・・判りました。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「フム・・・。幸運をな」
「はい、司令も。・・・後で必ず迎えに来ますから・・・」
「よろしく頼むよ」
「あの・・・司令?」
「なんだね」
「あの・・・私、マリさんに?」
「あぁ・・・よく似ているよ・・・。そのまっすぐに見つめる黒い瞳がね・・
・・・。だから、思わずあんな物を・・・」

マヤは、壁に寄りかかった冬月に優しく抱き付くと、微笑みながら言う。

「光栄です。マリさんと重ねていただいたなら、尚のこと。マリさんの分まで
私、頑張らなくっちゃ・・・。それに私、あのスニーカー、大好きですものっ。
今のお話聞いて、益々、お気に入りになっちゃいました」
「そう言ってくれて・・・感謝するよ。ありがとう・・・」
「それじゃ司令、私、行きます・・・そして司令の許へ帰って来ます」

冬月はそれを見送り、やっと自分の過去にケリを付けられたことを実感してい
た。その過程の中で、マヤを敵の銃弾から救うことも出来た訳だ。残った保安
部員一名と共に、敵の進行を止めながら、冬月は自然と微笑む自分を、或る意
味では誇りを持って眺めていた。

「どうだね、葛城くん・・・。私もそれなりに役に立っっているだろう?」

マリが生きていれば、同世代となっていたであろうミサトの顔と、マヤが救い
に行ったリツコの顔を、思い起こしながら、冬月は一人嘯いてみせた。

* * * * * * * * * * * * * *

「葛城さん! 無人部隊、完全に沈黙。もう手駒がありません!」
「まずいわね、これじゃ、JAがエヴァを撃てない・・・」

苦渋の表情のミサト。JAの配置が少し遅れているものの、整うまで後わずか
という所まで来ている。うまくJAがS2機関を撃ち抜き、内部電源のみの活
動時間を限定させ、その数分間を耐えられれば、こちらに勝機が生まれる。

狙撃のためには、エヴァを静止させる必要がある。ほんの数秒でいいのだけど
・・・。ミサトは歯ぎしりするものの、手が見つからない。

エヴァが芦ノ湖に達するまで、何の手も打てないまま、時がいたずらに過ぎて
いく。ここで止めないと射撃ポイントから外れてしまう。駄目か・・・。ミサ
トが覚悟を決めた時、日向が大声で叫んだ。

「シ、シンジくんがっ!!」
「え?」

ミサトは日向を凝視する。そして司令席を仰ぎ見て、まだシンジが戻っていな
いことに初めて気づいた。不安が、急速に胸一杯に暗雲のように広がる。

「葛城さん! エヴァの前方200メートルに、シンジくんの姿、確認!」
「な・・・っ」

モニターの解像度を上げさせる。拡大され、少し歪みの生じた画面に4階建て
の小ビルの屋上が映し出される。同時に紛れも無いシンジの姿が捉えられた。

「シンちゃんっっ! どうしてっ!」

ミサトはパニックになった。今までの冷静さを完全に失っていた。予想外の出
来事に、そのまま床に腰を下ろしてしまう。なんてことなのっ。どうしてっ。
どうしてよっ! シンちゃんを止めなきゃ。とにかく止めなきゃ。シンジ、シ
ンジ・・・! でも、どうやって? どうやったら? シンちゃん・・・。

「葛城さん! しっかりして下さい!」

ユミがミサトの肩を抱えるようにして支えていた。ミサトの瞳は焦点を失いつ
つある。ユミには、まだケンスケのように頬を張る勇気は無かった。しかし、
その代わりに自分の携帯を取り出して、ミサトに押し付けるように渡す。

「あの、シンジさん、携帯お持ちでしたよね? それで連絡取れませんか?」
「・・・連絡? ・・・携帯!」
「ええ、私たち此処に呼ばれた時・・・携帯で話しましたから・・・」
「!! ・・・そうだったわね、ありがとう!」
「いいえ。さ、早く・・・」

ミサトは、また立ち上がるとモニターをキッと見据えながら、シンジの携帯に
回線を繋げる。モニターの中のシンジが鳴り出した音に気付き、携帯をポケッ
トから取り出すのが見えた。

「シンちゃん!」
「・・・ミサトさん・・・」
「このバカっ! 早く戻りなさいっ!」
「・・・今は・・帰れない・・・」
「どうしてっ! そんな・・・そんな無茶しないでよぉっ!」
「・・・ミサトさん、僕にはやらなくちゃいけないことがあるんだ・・・」
「何? それは何よ? 私を置いて行ってしまうようなことなのっっ?」
「違う・・・そんなこと望んじゃいないっ。でも、アスカに会わなきゃいけな
いんだ!!」

ミサトは涙でグシャグシャになった顔を拭おうともせず、説得を続ける。

「シンちゃん! お願い! 戻って!」
「・・・・」
「あのアスカは、私たちの知るアスカじゃないのよっ!! 会ったところで何と
かなるものでも無いでしょう!」
「ミサトさん、それは違うよ。そうじゃないんだ。あれは、アスカなんだよ」
「あんた、何寝ぼけてんの! あのアスカはゼーレがっ!!」
「あのアスカは、確かにゼーレが造ったのかもしれない。でも・・・その素は
アスカなんだ。僕が知っているアスカの一部から、生まれたんだ。紛れも無
い僕の知っているアスカなんだよっ!」
「シンちゃん・・・」
「ごめんよ、ミサトさん」

そこで通話は、シンジの方から切られてしまった。ミサトは力無く、肩を落す。
しかし、ミサトに落胆する暇を与えずに、日向が叫び声を上げる。

「ATフィールドの発生を確認! エヴァ、前方に対し攻撃を仕掛けますっ」

モニターがひときわ明るく発光する。エヴァがATフィールドを円盤を投げる
如くに前方に放った瞬間、ミサトは手で顔を覆いながら、思わず目を瞑った。

もう、ダメっ・・・。血の気が一気に引き、貧血を起こしたように頭が真っ白
になる。また・・・また、独りになってしまった。これも過去、子供たちを戦
闘に駆り立てた報いなのか・・・。セカンド・インパクトで味わった自閉の壁
が、再び彼女を覆おうとした時、ユミの驚愕した声がミサトの意識を繋ぎ留め
る。

「一部ATフィールドが消失していますっ。シンジさんの方角です!」
「・・・・これは・・・葛城さん! シンジくんは無事ですよっ!」
「・・・!」

* * * * * * * * * * * * * *

マヤは、まだ迷路のような通路に戸惑っていた。思うように手早く、リツコを
探すことができない。思っていた以上に地下は広かった。軽く野球場くらいの
面積を有するのだろう。それが賽の目のようになっているのだから、当然と言
えば当然の帰結であり、迷わない方がおかしいのだが、マヤには、そんな余裕
は無くなっていた。リツコの無事を祈るのは当然として、冬月の怪我も、ネル
フ本部のことも気になってしょうがない。とにかく時間との勝負なのだ。

「・・・ここも違う? もう・・・なんて所なの!」

マヤが感情を爆発させかけた時、フッと彼女の目の端を、蒼い風がよぎった。
慌てて視線を向ける。・・・と、そこに廊下の角を、音も無く曲がって行く少
女の後ろ姿を見た気がした。青い髪の残像だけが、マヤの漆黒の瞳に焼き付く。

「まさか・・・レイ・・ちゃ・・ん?」

咄嗟に、その姿を追いかけて角まで走る。角を曲がると、その先の分岐点を、
左に曲がる蒼い後ろ姿を、再び見た。追いつこうと、何も考えずにただ走るマ
ヤの進行スピードは一気に上がった。それまでの遅々としたモノとは一変した
マヤの行動に、他のメンバーは怪訝な面持ちで不思議に思いながらも、その後
に続く。かなり急いでいるつもりなのに、追いつけない。見るのは彼女の青い
後ろ髪だけ。

この時のマヤは、蒼い影---レイを、道標に走り続けているだけだった。敵
に出会わないことや、全力で走っているのに息が切れないことの不思議さには、
全く気づいていない。

「!」

その角を先頭で曲がったマヤは、やっとこちらを振り向いたレイの姿を捉えた。
マヤの知るレイそのままの、可憐な少女の姿。レイは、一つの扉の前に佇むと
マヤに軽く肯いてみせてから、手を上げてその部屋を指さした。微笑みながら
の、その優雅な動作に、マヤは一瞬、全てを忘れ、陶然とレイに見入ってしま
った。

「伊吹二尉・・・! どうかしましたか?」

追いついてきたメンバーの一人が声をかける。マヤがハッと我を取り戻した時、
既にレイの姿は掻き消えていた。が、彼女は幻を見たとは思わなかった。すぐ
にレイが指示した扉の前に行く。

「電子錠・・・! ここよっ!」
「爆破しましょうか?」
「だめっ! 先輩が部屋の中の何処にいるか判らないから、小規模であっても
爆発させたりしないで下さい」
「判りました。しかし、こいつは厄介な代物ですよ。暗号の解除が・・・」
「・・・大丈夫です。・・・それは、私がやりますっ!」

保安部の面々は、その時、やっとマヤが背負っていたバックパックの中身を知
った。彼女愛用の携帯端末と様々な接続用コードが出てきたのである。扉の脇
にある電子錠のパネルを抉じ開けると、テキパキと埋め込まれたコードと数字
パネルおよびシールの張り付いた愛機の接続を行い、簡単なハッキング・プロ
グラムと、暗号解析のオート・プログラムを打ち込み始めた。

爆破を申し出たメンバーは目を見張る。ピアノを弾くが如く、滑らかに、しか
しスゴイ早さで液晶画面が文字で埋まって行くのである。MAGIとリツコ相
手に仕事をしてきた彼女にとって、そんなに難しいプログラム作業では無かっ
たのだが、保安部員たちにしてみれば、それは魔法の指に他ならなかった。彼
は決めた。この事件が終わったら、この電子錠の開錠プログラムを保安部にも
提供してもらうことを。

「開いたわっ!」
「お見事です、二尉・・・!」
「じゃ、ここ、見張っていて下さい。あと簡易タンカの準備を!」
「はいっ。了解しました!」

マヤは扉が開くのも、もどかしく半開きの隙間に身体を押し込むようにして、
部屋の中に転がり込んだ。顔を上げたその先に、横たわったリツコを見つける。

「先輩っっっ!」

素早く起き上がると、リツコの寝かされている、ベットとは言い難い寝台へ走
り寄る。リツコは腹部に怪我を負っていたが、まともに治療されていないのは
一目瞭然だった。左手に点滴が打たれており、殺す気は無かったようだが、あ
まりの仕打ちにマヤの目頭が熱くなる。しかし、頬が少しこけているものの、
リツコの規則正しい呼吸音が聞こえ、胸をなで下ろしたのだった。

モニターが再び機能の取り戻した時、シンジは未だビルの屋上に立っていた。
其処だけはATフィールドの被害を受けていない。ミサトは呆然としながらも、
瞳に輝きを取り戻した。

あれがシンジなんだ。私が好きで好きで堪らないシンジなんだ。敢然と立ち尽
くすシンジは、この上なく凛々しく見えた。その映像を見て、ミサトはシンジ
を信じることに決めた。もう、逃げない。全てこの目で見届けるんだ。彼女は
深呼吸をすると、まだ幾分、上ずった声で確認をする。

「どういうこと、日向くん?」
「判りません。シンジくんがATフィールドを展開して中和した形跡は無し。
またアンチATフィールドの発生も確認されていませんっ」
「・・・一体、何をやらかしたの、シンちゃん・・・」
「! またエヴァがATフィールドの投擲を行いますっ!」

再び、モニターが光で一杯になる。画像が回復した時、前と同様、シンジは手
摺につかまる格好で、立ち続けていた。ミサトの心に歓喜の感情が渦を為して
溢れ出してきた。言い換えるなら、それは希望という光。

「これは・・・! シンジくんの所でATフィールドが消滅。中和でも弾いて
いるのでもありません・・・。敢えて言うなら・・・」
「何なの?」
「はい。敢えて言うなら、シンジくんがATフィールドを飲み込んだ・・・い
や・・取り込んでしまった感じです」

シンジにはATフィールドが効かない? そう、彼は言った。あのパイロット
は私たちの知っているアスカから生まれたものだ・・と。ならば、アスカの生
み出したものなら、例えATフィールドであっても、シンジにとってはアスカ
以外の何物でもないのかもしれない。

シンジの言うように、確かに僅かでも道は開ける可能性がある? 私はシンジ
を信じてあげればいいだけなのかもしれない。でも、このまま此処で見ている
だけなんて、私には耐えられない。ミサト、アンタは一体どうするの? 一体
どうしたいの? 自問自答を繰り返す内に、やけに簡単な答えが浮かび上がっ
てきた。

私は、シンジと一緒にいたい。
いつでも、何処ででも。彼と一緒にいたいっ!

ならば。そうであるなら。することは一つしかない。

「日向くんっ! 此処は任せたわ!」
「え・・・まさか葛城さん・・・?」
「私もあそこへ行く。 何がなんでもねっ!」
「そんなの駄目ですっ! 行かせる訳にはいきませんよっ」
「・・・行かなきゃダメなの。お願い、判って頂戴っっ」
「葛城さん・・・」
「今度は・・・私、シンちゃんとまだ約束をしてないのよ・・・」

前の時は・・・補完計画発動の時は「続きをしましょう」って約束した。そし
てシンジは戻ってきてくれた。でも、今回は・・・まだだ。このままになんか
させない。そのためには、作戦部長なんてもんは、ゼーレにくれてやる。

「・・・行くわ!」

日向は、ミサトの表情を眺め、説得を諦めた。代わりにインターコムをミサト
に放る。そして、少し笑いながら言う。

「判りました。もう止めません。でも約束なら僕らにも、して下さい。必ず、
此処へ戻るってね」
「・・・日向くん・・・」
「それと、そのインターコム付けといて下さい。MAGIを仲介にして、常に
指令所との回線を繋ぎっぱなしにしときますからっ!」
「・・・ありがとう! 危険になったら、此処を迷わずに放棄しなさいね」
「そこら辺はご心配なく。・・・気をつけて!」

ミサトは、愛車を止めてある駐車スペースまで最短記録で駆けつけると、決し
て華麗とは言えない動作で車をスタートさせ、芦ノ湖を目指した。見てなさい、
アスカ。今回ばかりは、あんたには負けない。そして アンポンタンのシンジ!
あんたにも葛城ミサトの純情ってのを見せてやるんだからっ! 待ってなさい
よ! ミサトは車のエンジン音に負けないくらいの大声で宣言していた。ミサ
トがシンジを見誤ったように、シンジもミサトの想いの深さを読み違えていた。

* * * * * * * * * * * * * *

リツコは光を感じた。まただ。またレイの放つ青い光が見える。

「レイ・・・。今度は何?」
「・・・迎えが来てる。・・・そろそろ目覚めて・・・あげて」
「迎え・・・?」
「そう・・・。あなたを、とても大切に思っている人・・・」
「・・・マヤ?」

レイはただ微笑んだだけだった。リツコは、セイジではなく、不思議とマヤの
顔を思い出していた。ある意味では、リツコにとって、マヤこそ大切でこの上
ない相手であるのを、彼女自身は昔から解っていたのだが、こうもはっきり認
識したのは珍しい。

レイに母と呼ばれてから、尚更、自分の心が澄んだような気がしていたが、こ
うした素直さもレイの言葉がもたらしてくれたのかも知れなかった。私はまた
・・・あのコたちに助けられたってことね・・・。シンジには「命」を。アス
カには「希望」を。レイには自分が封印していた「想う心」を。

自分の心に欠けた部分を持つマヤ。そうした繋がりは、単純な先輩・後輩とい
う事だけでは言い尽くせない。また単純な愛情とも言い難い。男女間の恋愛感
情とも違う。姉妹に多少似ているかもしれないが、やはり違う。

非常に微妙な感情だが、失いたくない、とても大切な「絆」であることだけは
確かだ。それを改めて自覚した。この気持ちは、セイジと出会ったあとも、変
わることがなかった。

マヤが家庭を持ったとしても変わることはないだろう。マヤのためになら自分
は命を賭すことも厭わずに行動するに違いない。これからもこの想いは変わら
ない・・・。そう考えている内に、マヤの声が意識の中に聞こえてきた。

「先輩、先輩っ! ね、起きて下さい! 先輩っ!」

目をゆっくりと開ける。そこには見慣れた涙目のマヤがいた。

「先輩っ!」

気付いたリツコに顔を埋めるマヤ。リツコは、これって二度目だわ、と思いな
がら、感謝を込めて、自由な右手でマヤの髪を撫ぜてやる。

「マヤ・・・。ありがとう、迎えに来てくれて・・・。あなたしかいないと思
ってたわ」
「・・・・先輩・・・」

しばらくそのまま抱き留めていたが、意識が次第にはっきりしてくると、リツ
コの身体に痛覚も戻り、少しうめき声を上げてしまう。マヤはギクっとして、
リツコの腹部の応急処置を施しはじめる。

「大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫よ。それより早く此処から・・・。ネルフは何事も無い?」
「・・・いいえ、ちょっと大変な事になってます。でも、今はその心配はしな
いでください。自分の身体の事だけ考えて下さい、お願いですから」
「判った、今は、あなたの言う通りにするわ・・・」
「先輩・・・?」

リツコが、こうまで自分に素直に従うとは思っていなかったマヤは、少し驚く。
マヤが此処まで辿り着くのに見せた強さ。リツコが此処で見せた素直さ。二人
とも、今回の事で、今までとは違う何かを得ていた。少しだけ、彼女たちを変
えたモノは、確実に二人を以前よりも輝かせている。

リツコの受け答えが予想以上に、しっかりしているため、マヤの心の余裕が生
まれる。簡易担架の組み立てを終えたメンバーを呼び込み、リツコを乗せると
脱出を開始した。扉を出る時、リツコがマヤの手を握る。

「・・・マヤ、あなたが好きよ。・・・助けに来てくれて、ありがとう」
「先輩・・・!」
「・・・・・」

それに続くリツコの呟きは、マヤには聞き取れなかった。

<<レイ、ありがとう・・・また逢えるわね・・・?>>

扉を出て行く二人の姿を、寝台の脇で、ジッと見送る少女は、少しだけ嬉しそ
うに微笑む。リツコの横たわっていた寝台に腰を下ろし、一回だけ、リツコの
匂いのこもるシーツに青い髪と顔を埋めてから、再びいずこともなく去ってい
った。レイが纏っていた光の名残りが、シーツに残る彼女の涙の跡を、静かに
輝かせていた。それは、実に暖かな光輝であった。

* * * * * * * * * * * * * *

その時のキール・ローレンツは、背後に迫った多くの足音を聞きつつも、振り
向くことはせずに、ただ低い声で告げただけだった。

「もはや、逃げることはせんよ。仲間も皆つかまったようだな・・・。ただ、
この映像だけは最後まで見届けさせて貰おう・・・」

ネルフの瓦解を疑っていなかったキールは、エヴァ量産機が放ったATフィー
ルドが消失したのに、驚きの念を感じていた。彼が感情を覚えることは実に久
しぶりなのだが、そのATフィールド消失の先に碇シンジの姿を認めた時、思
わず感嘆してしまっていた。憎しみだとか復讐だとかの感情を超えて、ただ、
この行く末を・・・自分の思惑を超えた事態を見届けたくなっている自分を自
覚する。

「碇、貴様とて此処まで息子がやると・・・は予想しておるまい・・・。ヒト
の底力・・か。それは・・・宿命を・・・使徒の力を・・・超えるものなの
か・・・私も見たくなったぞ」

* * * * * * * * * * * * * *

はじめセカンドは疑いも無く、機外モニターが捉えた人影を軽く吹き飛ばした
ものと思っていた。しかし、生態反応が消えていないのを驚きを持って確認す
ると、怒りの感情に顔を真っ赤に染め、再びATフィールドを投げつけてやっ
た。今度こそと勢い込んでモニターを凝視するが、依然その人物は立ち尽くし
ている。完全に頭にきて、その後、立て続けにATフィールドを投擲するが、
その全てが、係る人物を消滅するには至らなかった。

「何で! 何で当たらないのよっ! 何で、アイツは立っていられるの!!」

彼女が怒号を上げた時、件の人物が何かを叫んでいるのに気付いた。集音マイ
クの感度を上げる。

「アスカ! 君と話したい! 話したいんだっっ!」

生意気に! 話しですって? アスカってのも誰のことよ。バカバカしいった
らありゃしない。フン・・・でも、いざとなったら、この手で叩き潰してやれ
ばいいか・・・。

「あんた、誰よっ?」
「シンジ・・・碇シンジ!」
「シンジ・・・? あんた、私の攻撃をどうして生身で耐えられるのよっ!」
「君は・・・君のATフィールドじゃ、僕を飛ばすことは出来ないよ」
「何故! ATフィールドは絶対の筈なのにっっ!」

「カヲルくんが言ったんだ。ATフィールドは心の壁だって・・・。であるな
ら、そして君がアスカであるなら・・・僕には、君の心を何ら拒絶する必要
は無いんだ。アスカの心なら、例え僕らのことを知らない君であっても、僕
には、全部、受け入れられるんだよっ!」
「アスカ、アスカ、アスカ・・・さっきからアスカって、誰のことよっ!」
「君のことだっ! 君なんだよ、アスカっ!」
「知らないっ、私はアスカなんかじゃない」
「ちがうっ。アスカなんだ! 紛れも無いアスカなんだよっ!」

セカンドの心は知らず知らずの内に、少し混乱した中でアスカという言葉をリ
フレインしていた。

「あんた、私のこと判ってるつもりなの!」
「ああ、そうだ!」
「判ってないわよ、バカっぁ!」
「馬鹿でも、何でも、僕は君を知っているんだ・・・」
「それこそ傲慢な思い上がりよ!」
「なら君は、僕がどうして此処に立っていられると思うんだ!」
「知らないっ! でも、あんたを見ていると、イライラすんのよーっっ!」
「それは、真実だってことを、君の心が、細胞の一片であっても覚えているか
らだよ・・・。僕の不甲斐なさを、アスカが知っているからこそ、イライラ
するんだ!」
「違う違う違う違う違う違う違う違うっ!」
「いや、違わないんだ!!」
「違うったら違うっっ。・・・この、バカシンジっ!」

バカシンジ、この言葉に、セカンドの心の奥底に眠る何かが反応した。懐かし
さ。セカンドの知らなかった、記憶に無かった暖かさが、彼女の中で、身じろ
ぎしながら、その羽根を大きく広げようとしていた。

* * * * * * * * * * * * * *

JAは、予定時間を若干、越えたものの、ミサトが指示した通りの場所に配置
を終えていた。腹ばいになったJAはお世辞にも格好良いとは言えなかったが、
射撃には何ら影響は無い。遠隔操作用のコントロールは、軍事用のFM周波数
を使って高密度・高速通信で行われる。

JAとエヴァを結ぶ線上の後方1キロに、マナはケンスケと共にいた。ポジト
ロン・ライフルの照準スコープと連動しているモニターを凝視しながら、マナ
は10分前から発射のタイミングを計っていた。

しかし、なかなかエヴァが動きを止めない。ネルフ配備の防衛線があまり役に
立っていないのだ。それ程に、戦力に差があるということであり、それはその
まま射線を定められないことを意味する。誰か何とかして、あのエヴァの足を
止めて・・・彼女は、そればかりを念じていた。

その祈りが通じたのか、あそこを越えられると照準がつけられなくなる、とい
う最後の線で、エヴァが動きを止めるのが見えた。それまで放ち続けていたA
Tフィールドによる攻撃が、止まった。チャンスである。マナはケンスケを振
り返ると、力強く首肯して、トリガーを引き絞ろうとした。

「あ、あれは!」

JAにトリガーを引かせる寸前に、マナは照準スコープに映る視界の左隅に、
人影らしきモノを認めた。とても小さな塵のような大きさの人影である。しか
し、マナだからこそ気づけたのかもしれない。マナには判った。あれはシンジ
くんだ。絶対にそうだ。エヴァに乗るアスカさんを止めるため、単身で・・・
あんなムチャなこと・・・。こんな事するのはシンジくんしかいない。

「だ、だめっ。今、撃っちゃいけない・・・っ!・・・あ、」

ほんのコンマ何秒かで判断したものの、脳が下した指の動作を止めるには至ら
なかった。しかし、マナにとってシンジは初恋の人なのだ。このまま撃って、
エヴァのS2機関を破壊すれば、それに伴う爆風でシンジにも危害が及んでし
まう。それだけは、シンジの命だけは、危険に晒すことは出来ない。例え第三
新東京市の被害が甚大になろうとも、それだけは避けなければならない。それ
が霧島マナの初恋に対する純情であった。

トリガーを止めることは出来なかったものの、強引な力技で、狙いの角度を、
ごくわずかながら、ズラすことには成功していた。

ポジトロン・ライフルは一条のビームを発射する。それは、ほんの少しだけ狙
いをズラして、ゼーレ・エヴァに、その射線を繋いだ。

* * * * * * * * * * * * * *

セカンドはシンジに対して叫び続けており、ビームの到来に気付くのが遅れた。
左脚に衝撃が走る。神経接続が切れない状態に置かれたセカンドは、そのまま
痛みをその身体中に走らせた。JAのポジトロン・ビームは、エヴァの左脚の
膝から下を吹き飛ばしていた。セカンドは絶叫し、エヴァは轟音を立ててシン
ジの立つ方向へ倒れ伏す。

初めて感じる肉体的な激痛が、セカンドの脳裏に、過去に繋がる場面をフラッ
シュバックさせる。ロンギヌスの槍に串刺しにされた映像。使徒に精神汚染さ
れた時の苦痛。今、自分が乗るものと同型のエヴァ・シリーズに貪り食われる
惨劇。浜辺で感じた気持ち悪さ。出産した時の痛み。それは、アダムの因子が
記憶したアスカの過去の映像だった。

「なによなによなによぉっっ! これは・・・何なのーーっっ!」

倒れ伏してもエヴァは既に左脚の復元を開始しつつあった。苦痛と、妙な記憶
の奔流に混乱しながらもセカンドは、シンジの方へ這っていく。シンジは目鼻
先に来ているエヴァを見ても逃げはしなかった。それがセカンドに怒りの感情
を植え付け、意識の混乱に拍車を駆ける。心にぶつかる感情のうねりにイライ
ラしながら、シンジを左手で握り取る。一気に握り潰そうとした時、シンジが
微笑んだのが見え、驚きの余り、彼女は力を込めることを忘れた。

「何故、笑うの?」
「・・・笑ってなんかいないさ」
「笑っているじゃない! 私が握り潰そうとしているのに!」
「だって全然、恐くないんだ・・・」
「そんな戯言!」
「僕を怖がらせたいんだったら、アスカ・・・。もっともっと憎しみを叩き付
けなきゃダメだ・・・。もっと心の底から、僕を憎まなくちゃダメだ・・・」

確かにシンジの声は震えてもおらず、怖がっているような表情には、とても見
えない。彼の言うことが本当であることを、彼女は認めない訳にはいかなかっ
た。

「もっとアンタを憎めっていうの? これ以上?」
「そうだ。もっと本気で憎むんだっ。僕の知るアスカの憎しみは、もっともっ
と深かった! もっと身体の奥底から迸る本当の、君の心の声だった!!」
「本当の心・・・・?」
「そうだ。今の君からは、ホントの憎しみの声が聞こえやしないよっ!!」
「今よりもっと、アンタを・・・憎む?」

少しだけ、シンジの顔が歪んだ。しかし、それは身体的な痛みに因ってではな
く・・・過去の記憶によるものだった。

「本物の憎しみの刃は、とても鋭くて、心を抉るんんだ。そして、本物の鋭い
刃っていうのは、例え憎しみの刃であっても、輝いてるんだよ・・・。心か
ら迸ったホントの想いは、憎悪であったって美しく輝いてるんだ! 僕はア
スカの憎しみの輝きを知っている! 今の君のは、鈍く光る、なまくらの刃
でしかないっ」

「でも、今以上に憎むなんて出来ないっ! だって・・・だって私の心がこれ
以上、何を感じているかなんて、私には判らないんだものっ!」
「じゃあ探すんだ。君の心の中に本当の憎しみを! 僕への憎しみを!」
「アンタって、ホントにバカなのね・・・」

彼女は苦笑した。それは、苦笑であったが、セカンドが初めて顔に刻んだ笑顔
に違いなかった。