二人でいるために 第3話 「愛するということ」(後編)

 


 

 

二人でいるために

 

第3話 「愛するということ」(後編)

 

 

 

 

 


「ただいま」

 

シンジが学校から帰ってくると珍しくアスカが台所に立っていた。

アスカはエプロンをひらひらさせながら玄関までやってくるとにっこりと微笑みを浮かべる。

 

「お帰り、シンジ。

今日は早いじゃない」

 

「うん、今日は教授が風邪引いてゼミ休みだったんだ。

それよりもアスカが料理するなんて珍しいね。

何かあったの?」

 

「別にないけどさ、なんか今日は作りたい気分だったの」

 

「なら電話でそういってくれれば今日の夕飯の材料買ってくる事なかったのに」

 

「あ、そうだったわね。

ま、いいじゃないのよ。

このアタシの料理が食べられるんだから」

 

アスカはいつもの調子でそう言うと再び台所へ戻って行く。

アスカが台所に立っている時は、絶対に手伝わせてくれないのでシンジは部屋でテレビを見ことにした。

 

「ねえ、そういえばさ。

アイツ今日は来ないでしょうね」

 

アスカがこちらへ振り向かずに包丁を動かしながらそう言う。

 

「ジョンの事?

ジョンなら今日は違う友達と飲みに行ったから来ないはずだよ」

 

「よかった。

アイツなんかに、アタシの手料理食べさせてたまるもんですか」

 

本当に安心した口調でそう言うアスカの背中にシンジはふっと笑顔を漏らした。

 

 

 

「おまたせー」

 

にこにこ顔でそう言うアスカの前に並べられているのは懐かしい日本料理だった。

 

 

白いご飯。

豆腐とワカメの味噌汁。

サバの味噌煮。

きゅうりとかぶの浅漬け。

 

 

品数こそ少ないがそれは久しぶりに見る日本料理だった。

シンジもアスカが来る前まではよく作っていたが、アスカが来てからはアスカが日本を忘れたがっていると思い、あえて日本料理は作らないでいたのだ。

だが、今こうしてアスカの手で日本料理が作られていることにシンジは驚きを隠せなかった。

しかし、どうして?と口に出さずシンジは出来るだけ驚きを隠し、自然な表情をする。

 

「へえ、すごいじゃない。

これ全部作ったの?」

 

「そうよ、これだけの材料探すの大変だったんだから。

ま、食べてみてよ」

 

「うん、いただきます」

 

そういってシンジはサバの味噌煮を口に運ぶ。

アスカはそれを心配そうな表情でじっと見詰める。

 

「どう、おいしい?」

 

「うん、すごくおいしいよアスカ。

サバの味噌煮なんて作るの初めてなのにすごくよく出来たよ」

 

シンジはそう言いながらも箸を休ませずにサバを口に運びつづける。

 

「そう、よかった」

 

アスカは安心したような表情を浮かべると自分も箸を動かし始めた。

口数の少ないシンジだが、久しぶりに口にする日本食にシンジはただひたすら箸を動かしつけた。

珍しく会話のない夕食だったが、アスカは幸せそうな表情でシンジの顔を見詰めていた。

 

 

 

 

食器を洗い終え、部屋でくつろぐシンジにアスカはコーヒーを持ってきた。

 

 

 

 

「はい、コーヒー」

「ありがとう。

でも、今日はやけにサービスいいね」

 

シンジが笑顔を浮かべながらそう言うと、アスカはシンジの向かいに座りこみ、やや沈痛な表情をする。

 

「ねえ、シンジ。

今日の夕飯おいしかった?」

 

「おいしかったよ。

でも、それがどうかしたの?」

 

シンジは心配そうな声で話し掛ける。

対してアスカはじっとコーヒーカップを見詰め、沈痛な表情のままで俯く。

 

「今日シンジが料理食べていて改めて理解した。

シンジ、やっぱり日本が好きなんだなって。

もう、3年以上もアメリカにいるのにまだ日本のこと忘れていないんだなって。

ねえ、シンジ。

アタシが来る前、日本の事思い出した事あった?」

 

「そうだね、ネルフに来る前の事は思い出した事はなかったな。

なんにもない日々だったから。

ただ、毎日を過ごしているだけの。

やっぱり思い出す事はネルフの事ばかりだったよ。

楽しいこともあったけど、思い出すのは辛い事のほうが多かったんだ。

なんであの時、何も出来なかったんだろうとか。

なんであの時、あんな事をしてしまったんだろうとか。

うなされる事もしばしばだったよ」

 

 

「シンジはそんな事を思い出したくないと思ったことはなかった?

辛い事なんか忘れて今を生きようって思ったことなかった?」

 

 

アスカがそう聞くとシンジは思い出すように天井を見上げる。

 

「確かに、辛い事を忘れて今を生きるって言うのも一つの生き方だと思う。

でも、いくら過去を忘れても、否定しても、確かに僕達はあの時、あの場所にいたんだ。

僕とアスカがいて。

ミサトさんと一緒に暮らして。

父さんがいて。

使徒が来て。

エヴァに乗って。

綾波と一緒に戦って。

楽しさなんて一瞬で忘れるくらい辛くて、苦しくて、傷つけあった日々だったけど確かにあそこに僕達はいたんだよ。

それにあの事は忘れてはいけないことだと思う。

それが残された僕達に課せられた使命だと思うから。

だから、忘れちゃいけないんだ」

 

 

天井を見上げながらそう言うシンジ。

ひょっとすると今、シンジの頭にはあの日々が思い浮かんでいるのかもしれない。

苦しく、辛かったあの日々が走馬灯のように浮かんでいるのかもしれない。

アスカはそんなシンジの表情を一瞬見ると再びコーヒーカップに目を移す。

 

「強くなったね、シンジ。

逃げ回っていたあの頃とは大違い。

なんかアタシのほうが昔のシンジみたい」

 

そうアスカが言うとシンジは目を天井からアスカに移す。

そしてアスカににっこりと微笑みかける。

 

「忘れちゃいけないというより、忘れたくなかったんだ。

だって、第三新東京市のこと忘れることになったらアスカも忘れる事になるじゃないか。

確かに毎日うなされてもう忘れようって、思った時期もあった。

でも、そんな時にアスカの顔が浮かんでくるとまだ頑張れるって思えるんだよね。

そんな時のアスカって決まって怒っているんだ。

『アタシの事忘れるつもりじゃないでしょうね!』って感じでさ。

アスカに怒られるとまた頑張れるって気力が沸いてきて。

僕が過去と見詰め合えるようになったのもアスカ、君のおかげだよ」

 

 

「ばか、言うようになったじゃない」

 

アスカは暗い表情から一転して頬を赤らめ、恥ずかしそうな表情でシンジを軽く睨む。

 

 

「たとえ、数え切れない苦しみがあったとしても

そのおかげでアスカに会えたのなら僕はそれだけで十分幸せ者だよ。

ネルフには恨むどころか感謝したいくらいだよ。

アスカに会わせてくれてありがとうって」

 

 

「シンジ・・・・・」

 

 

「急に変われなんて言わない。

ゆっくり、ゆっくりと過去と向かい合っていこう。

僕でよかったらいくらでも力になるよ。

まあ、頼りないかもしれないけど・・・・・・」

 

シンジは頬をぽりぽりと掻き、顔を赤らめ恥ずかしそうにアスカから視線を外しながらそう言った。

そんなシンジを見てアスカはくすくすと笑う。

そしてゆっくりと立ち上がり、シンジの横に座りこむ。

そしてシンジの肩に手を掛け、自分の頭をシンジの肩に乗せる。

アスカはシンジにぴったりとくっつき、幸せそうな表情を浮かべた。

 

「頼りないなんてそんな事ない。

世界で一番心強いよ」

 

目を閉じながらアスカがそう言うとシンジもゆっくりとアスカの肩に手を回す。

肩を軽く抱き寄せるとやがてアスカも体を密着させてきた。

 

「ん・・・・・・」

 

アスカの唇から甘く、小さな声が漏れるとシンジは手に力を少し入れアスカを抱きなおす。

 

 

「そうよね、あの頃のことを忘れるなんて所詮無理な事なのよね。

アタシがまだ小さい頃、まだママが生きていた頃。

ママは忙しかったからあんまりアタシの相手をしてくれなかった。

それでも月に一回の休みのときに近くの公園につれていってもらえるのが何よりの楽しみだった。

あの頃は楽しかった・・・・・・・・」

 

アスカは遠くを見詰めるようにして昔の事を思い出す。

まだ小さかった頃のセピア色の記憶が鮮明な映像となって浮かんでくる。

 

「あの頃のアタシはママだけを見ていた。

ママさえいてくれたらそれでよかった。

ママの背中を追いかけて、ママの胸に飛び込んで。

ママの笑顔を見て。

 

本当に、幸せだったわ・・・・・・・・」

 

 

アスカは目を閉じると遠い、昔の思い出に浸る。

ほんの僅かしかない、母との楽しい思い出。

本当に少しだけだけれどアスカにとっては何より大切な思い出。

その思い出を一つ、一つ、じっくりと噛み締めるように思い出していく。

 

シンジは悩むような表情で俯き、やがて真剣な表情で顔を上げるとアスカのほうに向き直る。

 

 

「ひいき目に見たってアスカは幸せなことが少なかったと思う。

小さな頃に、それもほんの僅かしか幸せな思い出がなくって。

うまく言えないけど・・・・

僕、アスカのお母さんのようにはなれないけど

お母さんに代わって、これからずっと・・・・・

ずっと、アスカを幸せにしていきたい。

アスカの苦しみを消す事は出来ないけど、アスカを幸せにする事しか・・・・・・・

それしか僕には出来ない」

 

 

シンジが手を振るわせながらそう言うとアスカはゆっくりと自分の手をシンジの手に重ねる。

そして重い表情で顔を上げるシンジにアスカは柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「アタシはシンジにママの代わりになってなんて言わない。

シンジはシンジ。

ママじゃないもの。

それに、シンジのその言葉で十分よ。

そんなにアタシの事思ってくれてアタシ、すごく嬉しい」

 

「アスカ・・・・・」

 

シンジは緩んでいた手に再び力をこめ、ぎゅっと強くアスカを抱き寄せる。

 

「ねえ、シンジ」

 

さっきとはちがってやや不安が混じった声でアスカが話し掛けてくる。

 

「何?」

 

「そんなにアタシのこと想ってくれているのに、どうして今まで抱いてくれなかったの?」

 

 

アスカのその問いに対しシンジは悲しそうに微笑む。

 

 

「・・・・・・怖いんだ。

 

僕がアスカを求めた時に拒否されたらどうしよう・・・ってそんな事ばかり考えるんだ。

 

アスカの気持ちが100%理解できている訳じゃないから。

 

いつも、

 

いつも怖いし、不安なんだ。

 

いつだって・・・・・・」

 

 

アスカはシンジから体を離すと体ごとシンジと向き会う。

沈痛な表情で俯いたままのアスカだったが、ゆっくりと沈痛な表情のまま顔を上げる。

 

「それじゃ・・・・それじゃシンジ、アタシのこと信用してくれていない・・・」

 

アスカは無理に作ったような笑顔を浮かべ、顔を上げる。

 

「シンジ、好きよ。

世界で一番、他の誰よりも大好き。

 

今の、アタシの言葉を信用してくれないのなら・・・・・もうアタシどうしたらいいか分からない・・・」

 

 

そういってアスカは顔を崩れさせると泣きそうな顔になり、両手で顔を覆う。

 

シンジはゆっくりとアスカの両肩に両手を置き、自分の方に抱き寄せた。

 

 

「ごめん・・・・・・・」

 

 

シンジがそう言うとやがてアスカは自分の顔を覆っていた手をシンジの背中に回す。

そして二人は抱きしめ合う。

強く。

強く。

 

 

「お願い、余計な事は考えないで」

 

 

シンジの胸に顔を埋めたままそう言うアスカにシンジはきつく抱きしめる事でそれに答える。

そして、どちらからともなく少し腕の力を緩め二人は瞳を見詰め合う。

 

 

「愛してるよ、アスカ。

世界中の誰よりも」

 

「アタシも愛してる。

世界で一番愛してる」

 

アスカは瞳を潤ませ、真っ直ぐシンジの瞳を見詰める。

シンジはそんなアスカに引かれるようにゆっくりと顔を近付け、唇を重ね、そして抱きしめ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

月が、満月が出ていた。

 

満点の星空と地上からの夜景に照らされても、月は輝きつづける。

 

今日は雲が多いがその雲の合間を縫うように、雲に隠れることなく月は輝きつづける。

 

まるでそれは二人を祝福しているかのように。

 

気持ちが通じ合った二人を静かに祝福しているかのように月は輝き、暗い部屋の中を静かに照らす。

 

『おめでとう』

 

そんな言葉が今にも聞こえてきそうだ。

 

最も今の二人にこの月の輝きが届いている事はないだろう。

 

二人には・・・二人の中には、他のどんなものよりも輝くものがあるのだから。

 

夏の日差しよりも強く。

 

月の光よりも優しいものが。

 

太陽が・・・月が・・・ずっと照らしつづけるように、その光もいつまでも輝きを失うことなく輝きつづけるのだろう。

 

二人の心の中で。

 

あるいはそれぞれのすぐ傍で。

 

 

 

 

 

 

 

「う・・・・・うん」

 

カーテン越しの日の光に照らされ、シンジはゆっくりと目を覚ます。

立ち上がろうにも、アスカが自分の腕を腕枕にして寝ているので起きあがれない。

無理やり腕を引きぬけばいいのだが、それではアスカが目を覚ましてしまう。

そして何より、シンジにこんな可愛い顔で眠るアスカを起こす勇気などありはしなかった。

 

「ま、いいか」

 

あきらめたようにシンジは言うと再びベッドの中に体を埋める。

二度寝をするのも悪くないがこのままアスカの寝顔を見て時間をつぶすのもまた、悪くないと思った。

本当に幸せそうな顔で眠るアスカの顔は何度見ても綺麗だ。

シンジは左手でアスカの頭をゆっくり撫でる。

 

 

 

 

「アスカ、愛しているよ」

 

 

 

 

そう言われたアスカの表情はどこか嬉しそうだった。