小高い丘の中腹
鬱蒼と茂った森
中央を切り裂くように、まっすぐに伸びてゆく道
道を照らすかのように射す木漏れ陽
そこを歩む、ひとつの人影
黒を基調としたパンツ・スーツ
光沢のあるロー・ヒール
風に揺れる黄金色の髪
胸に抱かれた花束
足元を気にしながら
一歩ずつ
ゆっくりと
細かな砂利が敷き詰められた道を、彼女は登ってゆく
やがて視界は開け
彼女は丘の頂上へと辿り着く
眼下に広がる街並み
その向こう側に揺蕩う海
全てを見下ろせるその地に建てられた、小さな十字架
彼女はその前に膝を付くと、そっと花束を地面に横たえた
『……………………』
瞑目し、胸の前で手を組み
彼女は祈りを奉げた
この地に眠る
彼を想いながら
VOID
written by map_s
白いカーテン
白いシーツ
白い壁
白一色で埋め尽くされた部屋
彼は眠っていた
微かに上下するケットが
時折吐き出される苦しそうな寝息が
彼の『生』を物語っていた
彼女は傍らで見つめていた
パイプ椅子に腰掛け
一言も発する事なく
過ぎ行く瞬間全てを脳裏へ刻み込むかのように
時計の針が刻む音
生命維持装置の無機質なデジタル音
彼と彼女の息遣い
部屋の中にある音はそれだけ
「く…………」
彼は喘いだ
眉根を寄せ
唇を噛み締め
微かに頭を揺らしながら
だが、それも一瞬の事
腰を上げかけた彼女の前で
彼の呼吸は穏やかなものへと戻り
表情の歪みも消えた
瞼がひくひくと動き
薄らと開いたその下から
黒曜石を思わせる瞳が姿を現す
彼女は椅子を立ち、ベッドの傍らへと膝をついた
そして、彼の元へと身を乗り出す
「シンジ………」
「……あす………か?」
「具合は……どう?」
「うん……」
僅かに綻んだ彼の眼元に、彼女はやわらかな日差しのような微笑を浮かべた
サード・インパクト
狂気のみが支配した計画
老人達の謀略
己が妻のみを望み続けた男の夢
踊らされ、人間としての尊厳を忘れ去った統治者の暴挙
それら全ては灰燼に帰した
ひとりの少年の願いの前に
混乱の時は過ぎ
街は復興し
彼の地を離れていた人々も次第に戻り始め
過酷な生活を強いられていた少年も
平穏な日々を迎える事ができた
彼を知る誰もが、そう信じていた
しかし
発育途上にあった少年
肉体も、精神も未発達だった時期
彼に対する、常軌を逸した大人達の行動は
永久に癒す事のできない病魔を
彼に植え付けていたのだ
彼が自身の不調に気付いたのは半年前
単なる疲労だと思っていたものが、時を刻む毎に酷くなっていった
手足の震え
筋肉の強張り
頭痛
眩暈
息苦しさは呼吸困難へと変わり
意識は混濁し
やがて彼は崩れ落ちた
まるで闇の底へと引き摺られてゆくかのように
高熱
意識障害
高度の筋硬直
ショック症状
2度の心停止
そして、蘇生
それらを乗り越え、彼は目覚めた
翳んだ視界の向こう側に見えたものは
流れる涙を隠そうともせず、謝罪の言葉を繰り返す保護者
表情を微かに曇らせた、蒼髪の少女
そして
蒼い瞳から零れそうな涙を必死に堪えている、亜麻色の髪の少女の姿
苦痛を伴う数々の検査を、彼は耐えた
だが
『原因不明』
『投薬治療の効果見られず』
『筋萎縮の進行に衰えはなく、やがて内臓器官に到達すると予測される』
『現代医学における治癒の可能性、なし』
彼の耳に、医師の言葉が届く事はなかった
それから彼はこの部屋の住人となった
日を増す毎に重くなる病状
考えている事と、身体の行っている事にずれが生じ始め
身体中のそこかしこの部分の感覚が失われてゆく
逃げ出したくとも足は動かず
抗いたくとも身体は自由にならない
目覚める度に『生』を実感し
眠りに就く前に『死』への恐怖に包まれる
そんな毎日
ひび割れ掛けたココロ
粉々に砕け散りそうな『生』への渇望
そんな彼を救っていたのは
あの日
あの時
縋りつく彼を拒絶した
互いの欠けた欠片を持ち合わせていると感じた
彼女の笑顔だった
見詰め合う瞳
他愛のない会話
穏やかに過ぎてゆく時間
彼の微かな表情の変化
それに気付いた彼女は、会話を中断し彼に問うた
「何かほしいもの、ある?」
「…喉が…」
「……待ってて」
彼女は立ち上がると、テーブル上にある小さな水差しとガーゼを手にした
そして元の位置へと戻ると、彼の口元へ注ぎ口をそっと触れさせた
零さぬように、咽ぬように
慎重に水差しを傾ける
こくこくと動く喉
満足げな吐息
口元を優しく拭う彼女に向け、彼は微笑した
「……ありがとう」
「バカね、これくらいの事で一々お礼なんていいのよ。
アンタは病人なんだから、身体を治す事だけを考えていればいいの」
「………」
彼の視線が、己の胸元へと落ちてゆく
少しずつ、少しずつ
表情から笑みが消えてゆく
そして、彼は呟いた
「………無理だよ」
「…無理?」
「きっと……僕はこの場所から離れられない。
もう、何も残っていないんだ。
たったひとつだけ自由だった……この身体さえ……もう……」
「……そんな事、ない」
「アスカには………判らないよ。
自分の身体が思い通りに動かない、それがどんな事なのか。
それが日を増す毎に酷くなっていくんだよ?
真綿で首を締められるかのように、じわじわと………でも確実に。
今日はまだ生きてる、でも明日は駄目かもしれない。
眠るのが怖いんだ………朝を迎えられないかもしれないって。
その怖さを……アスカが判るはずもないよ」
「そんな事………逆だってあり得るでしょ?」
「そんなの………あるわけない。
自分の身体の事は、僕自身が一番良く判る。
そんな状態でどうやって身体を治す事だけ考えろって言うのさ?」
「………」
「……アスカ、起こしてくれないかな?」
彼女は彼の言葉に小さく頷くと、背中に腕を差し込んだ
思った以上に軽く細い、彼の身体
半身を起こした彼は、まだ自由の利く腕を目の前まで上げ、下ろした
そして、寂しげな笑みを彼女へと向ける
「……今の僕は……人形と同じなんだ。
誰かの助けがなければ、こうして身体を起こす事だってできやしない。
まだ手や腕は動く……だけど、いつまで保つかはわからない。
糸の切れた操り人形………それが僕だよ」
「そんな事言わないで……お願いだから……」
彼女の脳裏に浮かぶ情景
ベッドの上で人形を抱く女性の姿
己の足で踏み躙られた、猿のぬいぐるみ
苦痛に表情が歪んでゆく
消せない過去にココロが引き裂かれそうになる
ともすれば溢れ出しそうな感情を、彼女は必死に抑え付けようとしていた
そんな彼女の耳に
彼からの言葉が届いた
彼女にとっては最も残酷な、一言が
「………アスカ………もう………ここには来ないでいいよ……」
「………え?」
俯いていた彼女は、驚愕のあまり顔を上げた
彼女の視界に映ったもの
それは、彼の真剣な横顔
「どうし……て?
なんでそんな事言うの?」
「……これ以上アスカに負担を掛けたくはないんだ。
毎日お見舞いに来てくれて、僕を励ましてくれて………いくら言葉を並べても足りないぐらい感謝してる。
でも、それじゃ……アスカの時間がなくなる。
そのうち消えてゆく僕が………アスカの自由を奪うわけにはいかないよ」
「そんな………そんな事ない!
アタシはシンジの傍にいたいから・……アナタと一緒に過ごしたいからココにいるのよ!?」
「駄目だよ、アスカ。
たとえ君がそう思ってくれているとしても、僕にはその資格なんてないから……」
「……」
「………夢を、見るんだ」
「………夢?」
「そう。
僕がね、僕自身を見つめているんだ。
紅い海のほとりで………君を絞め殺そうとした自分を」
「アタシは……あの時のこと、もうこれっぽっちも気にしてないのよ?
だから、もう忘れていいのに……」
「これっぽっちじゃない……重大な事だよ。
僕は君を傷つけてばかりだった。
自分では何もしようとせず、ただアスカに縋ろうとして……君を、汚した」
「それはアタシだって同じよ!
いつもシンジに酷い事ばかり言ってた!
ストレスの捌け口にしてた!
アタシを越えたシンジを………殺したいとさえ思っていたのに!」
「………いいんだ。
アスカは悪くないよ……全て僕自身が起因なんだ。
そして、あの日の出来事は僕が犯した最大の罪。
その罰を受けなきゃならないんだ、僕は」
「シンジ……」
「僕が傍にいたら、アスカは不幸になってしまう……君を不幸にしたくはないんだ。
だから………もう僕の事は忘れて。
そして、自分のためだけに生きてよ、アスカ………」
そう言い終えると、彼は瞼を閉じた
思った以上に身体へ掛かる負担
彼は小さく、長く息を吐いた
静寂に包まれた病室
押し殺すような、ほんの微かな嗚咽
それに気付いた彼は、彼女へと視線を向ける
彼が見たものは
頬から滴り落ちる、涙の雫
そして、彼女は
溢れ出した感情をそのままに、彼へとぶつけた
「……わかってない……シンジは何もわかってない!
アタシがなぜ泣いてるのか、その理由だってどうせわかりっこないのよ!」
「……え?」
「アタシは別れが哀しくて泣いてるんじゃない!
情けなくて……アナタの身勝手さが情けなくて泣いてるの!」
「……僕の、身勝手?」
「そうよ!
シンジはアタシをこれっぽっちも認めてない!
ひとりで悩んで、こんな大事なことも全部ひとりで決めてしまって!
アタシには一言の相談もなしに!」
「アスカ……」
「……ねぇ、アタシはどうなるの!?
無視されたアタシの気持ちは!?
全存在を否定されたも同じなのよ!
こんな侮辱……これ以上酷いことはないじゃない!!」
「そんな……そんなつもりは……」
彼は戸惑いを隠せなかった
だが、彼女はそんな彼を無視するかのように続ける
「アンタは意気地なしよっ!!
他人を傷つけたくないと言いながら、自分も傷つくことを恐れてる!!
アタシが傷つくのを見れば自分もさらに傷つくから!!
そんなもの……思いやりでもやさしさでもなんでもない!
そんなのはただの傲慢よお!
ひとりよがりの……ただの自分勝手よぉっ!!」
「…………」
「ねぇ、不幸って!?
不幸ってなに!?
不幸ってどんな!?」
「僕は…………」
「アタシにとって……アンタを失う以上の悲しみなんてないんだからっ!!!」
「…………!!」
彼の目が見開かれる
視界一杯に広がる、彼女の泣き顔
怒り、そして哀しみ
それらに彩られた、涙溢れる瞳
彼の瞳からも、雫が溢れ出す
「シンジ………」
「……僕は……君を……哀しませたくなかった……なのに…………やらかすことはいつも……いつも逆なんだ……
本当に……バカもいいところだ……」
「…………」
「ゴメン、アスカ………僕は………」
「………バカシンジにいい事、教えてあげる」
「……?」
「アタシはアンタが好き………ううン、愛してる。
どうして好きなヒトの傍にいて不幸になると思うの?
不幸なんてモノは、自分が勝手に思い込んでるだけ。
誰も誰かを幸せにも、不幸せにもできやしないわ。
………たとえ無敵のシンジ様であっても、ね」
彼女は彼の頬を指先でそっと拭った
そして、彼の手を包み自分の頬へと触れさせた
瞼を閉じ、手のひらの感触を確かめるかのように
暫し後、彼女はゆっくりと瞼を開く
淡いTurquoiseの瞳に、彼の姿が映った
「………それとね、シンジ」
「………何?」
「さっき、言ってたわよね。
『自分には何も残っていない』って」
「うん………」
「………そんな事ないって、アタシが………証明してあげる」
彼女は腕を首に回し、負担が掛からぬようにそっと身を寄せる
そして………唇を重ねた
ぱさり、と音を立てて
白いブラウスが床の上へと落ちた
伸ばした指先が、石の十字架に彫られた名前をなぞる
彼の髪に触れるように、そっと
太陽に照らされ続けたそれは、ほんのりと暖かかった
彼女は思い出す
彼のぬくもりを
ぴったりと重なった、互いの身体を
身体の芯に注がれた、彼の熱さを
息を引き取ったのは2ヶ月前
静かに
眠るように
彼の心臓は、その動きを止めた
不思議と涙は出なかった
『本当に哀しい時は、泣けないものだ』、と誰かが言った
でも、それは違う
彼女は確信していた
身体を、ココロを重ねあったあの日
彼の『生命』を宿した事を
そして、その予感は正しいものだった
彼女は立ち上がり、膝についた芝を軽く払った
そして、両手を腹部に重ねる
包むように
慈しむように
優しく
「自分には何もない、なんて………なかったでしょ?」
彼女は笑みを浮かべた
彼の大好きだった笑顔
十字架へと話し掛けた彼女は、踵を返し背を向けた
そして、幾分穏やかになった日差しの下を歩き始める
一度も振り返る事なく
元来た道を、逆に辿り直してゆく
歩き続ける彼女の髪を撫でるように、やわらかな風が
吹き抜けていった
Fin.
map_sさんから一周年記念作品を頂きました!
ありがとうございます。
久しぶりにとても感動しました。
病気に苦しめられるシンジの苦しみ。
そんなシンジを毎日看病しているアスカ。
シンジはアスカのことが好きで、もちろんアスカもシンジのことが好きで。
お互い-あるいはシンジだけが-それはわかっているようで、実はわかっていなくて。
微妙にすれ違ってしまう心。
でも、最後でやっと心も体も一つになれたのはやはりお互いの一途な思いがあったからこそ、なのでしょう。
最後の、振り返ることなく元来た道へ歩いてゆくアスカの姿がとても心に残りました。
これからアスカがどこへ行こうとしているのか、それはわかりませんがアスカ自身はわかっているのかもしれません。
素晴らしい作品を書いてくださったmap_sさんに是非感想をお送りください。