まさに「波乱」という言葉が似合った修学旅行も、彼らにとっては思い出と化していた。
あれからもう二週間が過ぎている。だが、どうやら完全に思い出にするにはまだ早かったらしい。 アスカとマリアの二人は、学校からの反省文を仕上げミサトに渡すと、大きく伸びをして職員室を出る。
外ではシンジが待っていた。
「さーて、行くわよ。シンジ、マリア」
腰に手を当てて、アスカは言い放つ。
「アスカ・・・。しばらくおとなしくしてた方がいいと思うけどな?」
「何よ、シン。まさか怒られるのが怖いの?」
からかうような仕草でマリア。
「怖くはないけど・・・。けどさ、来年は大学受験だし何か問題起こしたら」
シンジは正直な気持ちを述べた。しかし、聞いていたはずの二人はもう歩き出していた。
「アスカぁ?マ・マリーぃ?・・・ちょっと聞いてるの?」
「アタシは別にいいもん。もう大学出てるから」
「私もいざとなればアメリカの大学に行くわ。向こうはそういう事で人間を判断しないから」
「ほら!ぼーっとしてないの!バカシンジィ!!」
階段を降りる一瞬前、アスカは振り返ってそう言った。マリアもそれに同意するかの笑顔を向けると、アスカの後を追った。
「全く、あの二人はっ!」
走りながらシンジは、こんな日常もいいかな?と思い始めている自分に気づいた。だが、その側で選択を迫られている自分がいるのも否定できないのが事実だ。振り子のような自分の感情を、巧く制御しながらシンジは表面的に平和な日常を、できるだけ楽しんでいる。
深まる秋空は、冬の足音を聞いているかのように静かだった。
「困惑と暗躍と」
第二東京。
未だ首都としてこの都市は機能している。2年後、正式に首都は第三新東京市に移転されることになっているのだが。 やはり国家機能は首都に集中しており、人口も日本で一番多い。
いわゆる旧東京の「霞ヶ関」にあたる第二東京の官庁街は、機能性に重点を置いたため旧東京で見られたような建築物ではない。今、それらは海の中である。政治評論家らから「第二霞ヶ関」と言われる(実際の地名ではないが)ビル群は、近代建築の大家にデザインを依頼し、極力無駄を省きつつも国体中枢であることを固持するように、敢然と立ち並んでいた。
その官庁街の一角にある、財務省ビル。
7階、主計局総務課室。未だに年功序列、古来のしきたりに埋もれる官界において、この課だけは別であった。前財務次官のうち立てた「完全実力主義」の試験的な運用として、この課が選ばれた。かくして主計局総務課の平均年齢は大幅に下がる。また課長になった男が、恐ろしいほどの切れ者であったため、総務課は彼の息のかかった人間が集まっている。
今、その男は電話を受けていた。男の名は、高榎ミチタカ。
「いや、しかし主計業務がこれほどにスムーズに進むとは」
『光栄ですわ。母も喜んでいると思います』
受話器を持ち変える。
「所で・・・加持や葛城さんは元気でやってるか?」
高榎は声の調子を変えた。官僚・高榎ミチタカとしてではなく、電話の相手である赤木リツコの旧友・高榎ミチタカとしての口調に。
『ええ、元気よ。やっぱり気になるのね、親友のこと。違うかしら?高榎君?』
「・・・まぁな。あの頃、いや今もだが信頼できる仲間と呼べたのはあいつらだけだった」
素直に言えるのは、それだけ自分が彼女を信頼しているということだろうか。彼女とはそれほど親しい付き合いをしていたわけではない。むしろ彼にとって彼女は、遠巻きにして見るくらいの存在だった。それだけ彼女の角が取れたということだろうか。 そんな思考から生まれた質問を、彼女にぶつけてみる。
「聞くところによると、結婚するそうだな、赤木?」
『あら?もうあなたのお耳にも』
「室井からさ。おめでとう」
『ありがとう』
リツコは少しだけ含んだ笑い声を立てる。とても柔らかさにみちていた。
『それじゃ、そろそろ帰らなきゃならないから。切るわね、高榎君』
「ああ。すまないな。結婚式には是非呼んでくれ」
『こちらこそ頼むわね』
と言いつつ受話器を置いたのだろう。その瞬間に回線が切れた。
「赤木が結婚か・・・。世の中変わるものだな。あの頃じゃ想像も付かないな」
あの頃の彼女、つまり第二東大在学中のことだが、赤木リツコは当時生体コンピューター研究の第一線で活躍していた赤木ナオコの愛娘として、鳴り物入りで入学してきた。高榎が初めて彼女を見たのは、入学後二ヶ月過ぎたあたりであった。学部の先輩と学食へ向かう途中に、その先輩が足を止めて、少し離れた位置を歩いていたリツコを紹介した。ただ紹介といってもお互いを見知ったわけではなく、遠くから「あれが噂の赤木リツコだ」と言われただけである。第一印象の彼女は、まさに近寄りがたい存在だった。今でも高榎はその印象を忘れたことがない。それから加持との交流ができてから、リツコとも親しく口を聞くようになった。だが、それでも彼女はあまり男を寄せ付けない雰囲気だけは変わらなかった。話していても固い話題が自然と多くなりがちだった。
だがネルフに入って、解体されてから再会した彼女はどうだろう。年齢は自分とさほど変わらないはずなのに、『可愛い』と感じた。あの室井ですら、「赤木さん、可愛かったな・・・」と呟くほどであった。
女は男によって変わってしまうものだろうか。もちろん逆もあるだろうが。「人を変えるのは、やはり人である」という、唐突に出た、妙に哲学的な解答に高榎は苦笑する。
そして座り心地の良い椅子に、深く座る。その時、電話が鳴った。
「はい、主計局総務課。・・・高榎です。次官どうなされたのですか。・・・はい、そうですか。・・・時間を頂けますか、はい。それでは」
受話器を置く。常に冷静さを失わない、それでいて行動や発想に置いては大胆さを欠かない高榎が、じっとりと額に汗をかいていた。
「まさかな・・・。この人事、口封じのつもりか?」
立ち上がって窓の側に。
外は色づいた紅葉が、鮮やかだった。
「少し出かける」
しばらく眺めていた高榎が急に踵を返して動き始めた。
「どうしたんですか、課長」
彼が信頼する右腕・千屋タカユキが訊いた。彼は高榎が建設省で煙たがられていたところを、引き抜いてきた。今や高榎にはなくてはならぬ存在だった。
「どうも嫌な兆しが見える。千屋、お前も少し動いてくれ」
「分かりました。任せて下さい」
風向きは、少しずつ彼らの意図しない方向に変わろうとしていた。
高榎は、千屋に指示を出すと、携帯で親友の一人である室井ケンジを呼び出した。そして尾行や盗聴などの無粋な邪魔のない場所を指定し、そこに向かう。
それは首都高速のはずれにある、寂れた公園。人通りがない。だからこそそこを選んだのだが。
「私も移動の話が来た」
室井に、財務次官から打診があったことを伝えると、彼も同じ様なことがあったという。室井はさらに続ける。
「警察庁警備局三課長だ」
管理官から課長へ。昇進の話だが、室井の顔は優れない。
「三課長・・・。なるほど御所周辺警備か?」
セカンド・インパクト以来、天皇家は京都御所に150年ぶりに戻った。 移動の際、軽井沢別宅へという案も出たようだが、宮内庁は京都を選択した。その為、警備局の一部は京都周辺警備のため京都府警察内に特別警備本部を持っている。
「事実上の左遷か」
高榎の目が鋭く光る。
「ああ。私も人事局に意見したが、局長は知らぬ存ぜぬの一点ばりだ。・・・かなり上の人間しか知らないことのようだな」
「上か・・・」
暗闇の中に浮かぶ、白い月だけが、彼らの照らし見つめている。
「それに関連しているか分からないが・・・」
と言いつつ、室井は立ち上がる。
「内務省・・・調査部・・・」
「あそこか。最近わかったんだが、加持はあそこに所属していたらしいな」
高榎はベンチに深く座り直した。
「そうだ・・・。そして今、調査部の人員が第三に向いている。しかも・・・極秘に」
強く握った拳を、滑り台の柱に叩きつける。そしてゆっくりとベンチに戻ると、前屈みに座り合わせた両手の親指に鼻先を当てる。室井の苛立ちがどうしようも無いときに出る癖だ。
「俺達の移動も旧ネルフや加持が絡んでいることは、否めんな。早急に加持に連絡を取りたいが・・・」
「どうにも動きがとれなくなる前にな。同時に情報も集めなければ」
どちらともなく立ち上がる二人。そして周りに気を配りながら、出口へ移動する。
「情報の方はこちらでなんとかしよう。赤木にも手を借りる」
「なら加持とは私が連絡を取ろう。伊崎に行ってもらえる」
お互いの車の横に立って、そう言うと別れを告げずに車に乗り込んだ。
二台の車は、互いに逆の道を進んでいった。
室井は自宅に着いてから、伊崎ユウタに連絡を入れたが生憎手術中とのことで、やむなく時を置くことにした。
彼は自室のパソコンを起動させると、幾つかのファイルを開く。そして中身を確認してからシークレットをかけてパスワードなしでは開かないようにした。何処に目や耳があるか分からない状況だからだ。一通り作業を終えて、冷蔵庫の缶ビールに手を伸ばした時に携帯が鳴った。
「室井だが」
『室井先輩、伊崎です。ご用は?』
「早急に頼みたいことがある。だが、話題が漏れるのは困る。悪いが、今送った私の部下から手紙を受け取ってくれ。そして素早くその中に書いたことを実行してほしい」
『分かりました。任せてください』
そう言って携帯を切り、ビールに口をつけた。
その手紙は数分で伊崎ユウタの手に渡る。内容は加持リョウジに逢い、日本政府に危険な動きが見受けられることを伝えてほしい、ということだった。伊崎ユウタはそれまでほとんど手を付けなかった有休を一日だけとり、すぐさま第三新東京市に向かった。彼には高榎や室井と違い、日本政府が不当に手を出せないほどの「理由」があった。彼は、日本の御大とも言うべき、曽根田トシオ元首相の専属主治医でもある。曽根田氏は今の日本の父親だと比喩されている。
曽根田氏は、第三新東京にほど近い山中に住んでいる。これが伊崎の「理由」である。
第三新東京市の新箱根湯本駅。わざわざ直通線を使わず、この路線を使ったのはもちろん細心の注意からである。伊崎は、この駅についてから加持に連絡を入れた。ここからは安心としない。彼は加持に連絡をするときに、「近場の野球場で練習でも見よう」と妙な誘いを入れた。これで加持にも事態の異常性が伝わるはずである。
一時間後、第壱高等学校野球練習場に加持が姿を表した。
「・・・伊崎か?本当に」
加持は困惑の表情を見せていた。
無理もない。そこにいた伊崎の服装は、野球帽にスタジャン。ブルージーンズに中はボタンシャツだった。どう頑張っても高校生ぐらいにしか見えない。伊崎は加持の知る中で、唯一シンジと対等に並ぶ童顔である。これでは怪しむ人間もいないだろう。
「加持先輩。室井先輩から伝言です。日本政府の動きが怪しい・・・」
二人の顔は真剣だった。
「日本政府か・・・」
「高榎さんは主計局次長に、室井先輩は警察庁警備局三課課長に昇進の話が来ているそうです」
「主計局次長!?・・・早すぎるな」
本当なら課長でも早い。次長となれば同年は初老・壮年の人間ばかりである。加持は無精髭に手を当てる。
「明らかに封じ込める気でしょう。次長や課長という椅子を与えておいて・・・」
「なるほどな。・・・何か裏があるのは確かだが」
加持は思索する。先日のレッド・ウルフの残党、急激な第三への待遇の変化・・・。事象を点として結んでいくとひとつの名称が浮かんでくる。それは・・・
ゼーレ。
「今、高榎さんが調べてくれています。何か分かり次第、方法を選んでお伝えします」
伊崎は軽く笑った。そして加持も。
「こちらからもいろいろ当たってみる。伊崎も済まないな」
「お安いご用ですよ。じゃ、帰ります」
「ああ。ご苦労さん」
伊崎が帰ったあとも加持はその場を動かなかった。
苛立ち。
加持は自分の感情をそう位置づける。何か分からないところで、大きく蠢いている。世界の裏側、加持の目の届かない所。彼の追いついた真実は、また遠くに見える真実を生み出してしまった。
あの最後の瞬間、キール・ローレンツは表情を変えることはなかった。それは諦めだと彼も思っていた。だが彼は人間ではなかった。脳だけの存在。それがキールの正体だったのだ。何故笑っていられたのだろう?まだすべてに決着はついていないのだろうか?ゼーレでないにしろ、それに類するほどの力を持った組織が絡んでいるだろう。そして必ずネルフ関係者を狙ってくる。
加持は再び見え始めた真実の一部を捕まえようと、手を伸ばした。だがそれは影のようで、彼の手には何も捕まらなかった。
加持は市庁舎ビルにもどると、すぐさま市長室へ向かった。
まだ冬月コウゾウ市長と碇ゲンドウ助役は市長室で書類に目を通していた。
「やあ、加持君。・・・どうしたのかね?慌てているようだが?」
「どうも厄介なことになりそうでしてね」
加持の表情は重かった。
そして冬月やゲンドウもまたこの問題に足を踏み込むことになる。
秘書室にいた市長秘書・橋立ミサコは、数分前に市長室に入っていった加持リョウジの姿を思い浮かべつつ、うっとりとした表情をしていた。
年齢層の高い市長周辺にあって、一番自分と年齢が近く、しかも男前ときている加持は、彼女にとって気になる存在にならないはずがない。彼女にとって加持は「結婚を前提としておつきあいしたい職員ナンバー1」であった。
そんな彼女は、加持に結婚を約束した女性がいるなど知る由もない。
「いいな、加持リョウジ課長・・・か」
橋立ミサコ、26歳。ショートヘアがネルフ時代の伊吹マヤを思わせる、恋多き彼女にベルが鳴るのは二年後のことである。相手は同じ情報課の課長補佐である男。ロングヘアを束ねて結んだその男は、今、帰宅途中のシンジ・アスカ・マリアを警護中である。
その男とは元ネルフ職員で、存在感が薄く同僚のメガネ君においしい場面を持って行かれてしまい、出番と言えば作戦部長への状況報告のみであった悲しげなギター好きの青年である。
『どうしていたのかね?橋立君』
声が怪しんでいる。
「い・いえ、少し資料を・・・資料を整理していまして・・・」
咄嗟に出た嘘をそのままに利用した。
『そうかね、ご苦労。所でいまからしばらくの間、市長室へ電話・来客はよこさないでくれたまえ』
冬月コウゾウ市長が、月に二三度こういう命令をする。だが彼女もそれを詮索しようとはしない。まだ若いが、秘書としては有能で心得ている人物である。
「わかりました」
『すまんね、橋立君。』
内線コールを切ったあとまた彼女は妄想に身を任せた。
「加持課長の好みのタイプ・・・。やっぱり家事全般が上手で、控えめなお嬢様かな?まるっきり私のことじゃない!もう、やだぁっ。リョウジさんたらっ」
加持の好みとやらは、そのタイプと正反対の女性などとは、彼女の知らなくてもよいことなのかもしれない。このとき、加持リョウジと葛城ミサトは偶然にも同時にくしゃみをした。
「ゼーレか、確かなのか?加持君」
市長席の前に置かれた椅子についた碇ゲンドウ助役は、対面に座る加持情報課課長に確認する。
「まだ憶測の段階ですので、なんとも。しかしどうも妙なことが偶然で重なりすぎてやぁしませんか?」
三人の位置関係は丁度正三角形だった。頂点を冬月、両点にゲンドウ、加持。これが秘密会議の座席であった。場合によってシンジが入る場合もあるが、それは数が少ないので触れずにおく。
「碇、ゼーレは壊滅したのではないのだね?」
「まず間違いないですよ、冬月市長。・・・だが何処に潜んでいるのか皆目見当がつかないですが」
助役という立場に就いてからのゲンドウは、既に周知の事実ではあるが、完全に丸くなった。また市長を補佐する職務を充分に果たし、リツコとの結婚も間近である。だが、それはすべて良い方向に向いていた訳ではなかった。三人を危険な状態に追い込んでしまった修学旅行の一件は、彼にとって重い反省材料となった。
今のゲンドウは、いくらかネルフ司令時代の風格や厳しさを取り戻して、事にあたっている。
「問題は今後対象が我々に対しどのようなアプローチをしてくるかにあるだろう。加持君、情報課へ人と予算を回そう」
ゲンドウは静かにそう宣言する。あの鼻の前で手を組む、独自のポーズで。
「日本政府も放ってはおけんだろう、碇。そちらはどうする?」
ゲンドウは冬月のその言葉にニヤリと笑うと、こう言い放った。
「そちらは俺が引き受けます、冬月市長」
「・・・これ以上子供達に危ない橋を渡らせないつもりか」
伊達に苦楽を共にしていない。冬月はゲンドウの考えを見抜いていた。
「汚れ役は俺だけで充分だ」
すくりと椅子から立ち上がりゲンドウは黒縁眼鏡を中指で押し上げた。
「リツコの所へ行きます」
そう言うと、ゲンドウは足早に市長室を去る。
「焦っているのか、碇・・・」
そんな冬月の呟きも、閉じられた扉の向こうへと行ってしまったゲンドウには届かなかった。
ややあって、加持も席を立ち上がった。
「では市長、仕事に戻ります。三人の警護の方、この所、青葉課長補佐に任せきりで」
加持は一瞬だけ照れたような笑みをみせて、すぐに眉間に皺を寄せる。
「くれぐれも身辺だけにはご注意下さい、冬月市長」
そう言いつつ一礼し、加持も市長室を後にした。
手頃な広さの市長室は、一人になるとやけに広々としている。手元にある雑多なボタンのうち一つを押すと、閉まっていたブラインドがすべて開く。
早く流れていく雲がここからよく見えた。冬月はその白い塊が形を変えながら視界を通り過ぎていくのをぼんやりと眺めながら、シンジとアスカ、トウジ、それに今はいないレイの顔を思い浮かべて自嘲するような笑いをして呟く。
「こんな老いぼれの命一つで彼らの未来が光に満ちたものになるのならば、いくらでも捧げてやるのだがな。・・・ユイ君、君が碇や私に託した子供達の明日はまだまだ安寧を知らんようだ」
市庁舎の地下では、生体コンピューター技術の粋を集められてつくられたといても決して過言ではない、『MAGIオリジナルversion2.0』が常時稼働している。
特務機関ネルフの解体後、世界7ヶ所に点在していたMAGIのほとんどは、民間利用されていて日本同様国家資料の整理など、考え得る事業のすべてをサポートしている。日本ほど使用を渋っていないアメリカでは、既に国務の56%がMAGIによって行われている。
ただ、松代のMAGIだけは戦自と国連軍が接収し、極秘研究施設と化していた。さながら「日本のエリア51」と言ったところだろうか?しかも極秘なだけあって他のMAGIによるアクセスですら受け付けようとしない。
さて、第三新東京市のMAGIは、地方自治体においてただ一ヶ所この第三にだけ存在する技術課によって運用・メンテナンスが行われている。課長はもちろん赤木リツコ。最近結婚退職の噂も出ているようだが、彼女はそんなつもりはないらしい。なによりまだ彼女のように、MAGIの機能を100%生かし切れる人間が育っていないから。
「お疲れさまです、先輩」
カスパー内のバグチェックを終えて、眼鏡をはずした時に彼女のサポート役とも言うべき、まだ少女のようなあどけなさが抜けきれない、伊吹マヤがコーヒーを運んできた。
「ありがとう、マヤ」
ショートだった彼女は今、肩まで伸びた髪を一つに束ねている。あの頃本当に高校生のような外見だった彼女もそれ相応になったようで、スーツのラインも素晴らしいくびれを見せていた。女性職員の少ない技術課で、彼女はアイドルのようなものだった。 昔のように、リツコとのあらぬ(一部では真実ともいわれていたが)噂もなく、ここのところでは同部署内で働く特定の男性職員とつき合いがあるとのことだが、真相は「藪の中」である。
リツコとマヤが談笑していたところに、一人の職員が申し訳なさそうに割って入った。
「赤木課長、碇助役があちらでお待ちですよ」
しっかりと結ばれたネクタイが凛々しく、また茶縁の眼鏡が知的な印象を与える、日向マコトである。彼が指さした先にゲンドウが居た。
「ありがとう、日向君。マヤごめんなさいね。行って来るわ」
立ち上がって彼女は小走りにゲンドウの元へ向かう。マヤはそんなリツコを複雑な心境で見送っていた。
「どうかした?マヤちゃん?」
めざとくマヤの感情を見抜くマコト。
「い、いえ!何でもないです」
「ところでさ、マヤちゃん。今夜あいてる?」
「はい、あいてますけど」
カップをデスクの上において、椅子ごとマコトの方を向く。
「この前、加持さんにイタリア料理のうまい店を教えてもらったんだ。今夜夕食にどうかな?」
「ええ。もちろん」
マコトの表情が明るくなる。
「じゃあ、終わったらいつものところで」
一方、ゲンドウとリツコは一階ロビーの片隅に置かれたソファーに腰をかけ、深刻な表情をつきあわせていた。
「ふむ。やはりMAGI?Uでも難しいか・・・」
髭を剃ったばかりの顎を右手でなでながら、思案するような顔でゲンドウ。
「ええ。かなり手の込んだ防御壁を、何十にも仕掛けてるみたい。その間にアクセス経路をたどるのは見え見えね。・・・でも、あなたがそんなに急ぐのはどうしてなの?」
「・・・これ以上シンジたちを危険な目に遭わせたくない。なにより君を失う結果が怖い」
正直な気持ちを吐露する。
「ゲンドウさん・・・」
「しばらく家を離れる。行き先は・・・」
「いわなくても解るわ。だから必ずかえってきて」
「リツコ・・・」
彼女はそっとゲンドウの手に、自分の手を重ねた。二人だけの時が静かに流れていく。
翌日、碇ゲンドウ助役は貯まっていた休暇を急に申請し、第三新東京市を離れる。
行き先は、
松代。
そこは公用でも私用でも決して訪れることはないだろうと思っていた地区である。彼にしてみれば、ここが誤りの支点でもある。かつてここはエヴァ第二試験場があった場所だ。
エヴァンゲリオン参号機。使徒を仕込ませ、フォースチルドレン・鈴原トウジの片足を奪い、そして息子であるシンジの心を深く深く傷つけてしまった。 故にゲンドウにとって、ここは罪の確認をする祭壇のようなところでしかない。
松代市は、そのほとんどが日本政府内務省の所有で、元第二試験場はその中心にあたる。現在その付近は有刺金網で囲まれ、立ち入りは不可能だ。
ゲンドウはその金網をレンタカーの中から見つめていた。
「やはり侵入は不可能か・・・」
そういいながら、オートマッピング搭載のカーナビ端末のキーをはじき、ある一点を探査する。
「ここしかないな」
その一点は、金網が唯一途切れている検問であった。
政府所有の第二試験場に地上からアクセスできるのはこの一カ所である。ここは24時間体制で警備されており、二重の警戒がなされている。まず監視カメラで侵入者のパーソナルデータを検索し、IDカードで警備員がさらに本人かどうかスリットで機械を通し確認するシステムになっている。
ここを通れば元第二実験所までは一本道である。
その検問に一台の車が入ってきた。車内にはただ一人。銀縁眼鏡をかけ、白衣を纏ったやせ形の男である。
「IDカードを」
大柄な警備員は事務的にそう告げた。たぶん国連常設軍の軍人であろう。
「いやあ、カードを中に忘れてしまったんだ。とりに行きたいので通してはもらえないかね?」
警備員の眉が一度だけ動く。
「所属部署と、名前を」
「・・・そうか・・・」
男は白衣のポケットに手をつっこむと、小瓶を取り出して警備員に吹き付けた。
警備員は昏倒し、その場に倒れた。
「こういう仕事は俺ではなく加持君向きの仕事だな」
白衣の男、碇ゲンドウは苦笑いしてみせた。
「さて・・・ここからだな」
彼はそこから続くコンクリートの一本道の先にある湖を見上げてつぶやいた。
ゲンドウが、 隔離地域へ潜入する数時間前まで話は溯る。
映画をみてウインドウショッピングを楽しんで、ゲーセンで遊び倒して・・・。反省文のことなどとうに忘れて、
アスカ・マリア・シンジの三人はアフター・スクールを満喫していた。
あれだけお説教モードになっていたシンジも、二人の美少女の楽しげんな笑顔にはかわなかったとみえ、
今は一緒になってはしゃいでいた。
楽しいときの時間の経つ早さほどこの世に早いものなど存在しない。誰しもが実感することである。もちろん三人も今そんな心境で、電車に乗り込んでいた。
「さてっと。じゃ、シン、アスカ。また明日ね」
マリアの降りる駅に到着し、シンジを挟んで座っていた右側のマリアが立ち上がって言った。
「気を付けて、マリー」
シンジは真摯な面もちで諭すように言う。
「うん。・・・シンも気を付けてよ」
「・・・それは愚問だよ」
冗談めかしてシンジは笑ったが、ある種冗談ではないことかもしれない。
だが、マリアはあっけらかんと笑い飛ばし、
「違うわよ。どっかの誰かさんに迫られてコロッといかないでってことよ」
といいつつ、電車を降りた。
扉が閉まる。
「ちょっと!マリーィ!?どういうことよそれぇっ!!」
アスカが閉じた扉をたたく。マリアは綺麗な口の動きで声に出さずこう言った。
(も・ち・ろ・ん・ア・ス・カ・の・こ・と・よ)
電車が動きだし、自分の目の前から離れていく、何かガミガミ言っているアスカの姿がそこにあった。後ろではシンジがあたふたしている。だが音はもちろん聞こえない。
肩を振るわせてマリアは笑った。
「アスカ、あなたとはホント仲良くなれて嬉しいけど・・・シンは渡さないわよ」
もうホームを完全に離れた電車をしっかりと見据えながら、彼女は呟いた。
「くやしぃーーーーーーーーーーーーっ。マリーの奴ぅっ」
アスカは地団駄踏む。
「ちょっとアスカぁ、電車の中なんだから静かにしないと・・・」
「明日絶対にこの借りを10倍に返してやるわっ」
シンジの忠告など彼女の耳には入っていなかった。
街の喧噪をくぐり抜けて、ようやくコンフォート17に着いた二人は、いつものようにアスカの家(家主はあくまでミサトであるが)に彼女を送り届ける。
「じゃあ、アスカ。また明日」
いつもと変わらない微笑み。そしてその笑顔がゆっくりと後頭部と入れ替わり、シンジの背中が少しずつ小さくなっていく。
「まって!シンジ!!」
大声で、彼を呼び止めてしまった。彼はいやな顔一つすることなく振り返りこちらを見ている。
「何?アスカ」
「あの・・・その・・・マ・・・ ・・・いいわ。明日も遅れないように迎えにきなさいよっ」
彼女は出かけた言葉を飲み込んで、当たり障りのないような言葉を投げかける。
「わかってるよ。アスカもミサトさんと同じようには起きないでよ」
エレベーターに乗り込み、アスカの視界には誰もいなくなった。しばらく動かないアスカ。ようやく軽くため息をついて、カードロックを外し室内に入った。まっすぐ自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。
そして今し方、シンジに言えなかった言葉を心で反芻する。
『マリーってレイに似てるわよね?だからそんなに親しくしているの?』
怖かった。答えを聞くことが。
嫌だった。彼が頷き肯定する姿を見ることが。
(もしシンジがレイに似ているからマリーと親しくしているなら・・・恋敵として・・・アタシあの子に勝てそうもない・・・)
彼女にしては珍しい、本気の弱音だった。シンジはもちろん、アスカにもレイには言葉ではあらわせない感情を抱いている。母のようであり、気に入らないクラスメートであり、信頼できる仲間であり。
そして何より、シンジの母親の面影を色濃く持った少女である。使徒との戦いの最中、シンジはレイに少なからず恋心を抱いていたと、彼女は分析する。レイとシンジが知り合ったのは自分より前だ。そして出会った頃から、あの二人に間には他者の介入を許さない『絆』があったようだ。
そんな綾波レイと似た少女、マリア・タナー。
アスカは悩んだ。シンジにこのことを話すべきか、否かを。だがそれはメビウスの輪のように答えにたどり着けない問いだった。何度も問いかけようとしたが、それもタイミングが悪く言えずにいた。いや、意識的にタイミングを悪くしていたのかもしれない。自分への言い訳のために。
両手をついて上半身だけ起こすと、机の上に置いたシンジの写真をつかみ取りいとおしげに抱きしめる。
「シンジ・・・」
彼女はまだシンジとマリアの間にあるものを知らない。
さて、些か話が前後するが単身危険に身を投じたゲンドウだったが、意外なほど身のこなしが軽く仕事ぶりにおいて、かの加持リョウジにも劣らない。しかしゲンドウ自身、こんなにも易々と進入できてしまっている現状に、一抹の不安を抱いてはいた。
松代MAGI二号改。それが眼下に設置されている。
「いやぁ、ご苦労様です」
ゲンドウは素早く中の人員配置を確認すると、たった一人しかいない研究員の背後に立って、そう声をかけた。
「ああ、ごく・・・誰だね!?君はっ!」
首筋に拳をぶつけて、その答えとした。
「ぐはっ」
あっけないほどに研究員は気絶する。夜中の進入ということを計算に入れても、警備員なしでたった一人の研究者だけとは、いかなことにも怪しい。彼は咄嗟に監視の手がまだ別回線で存在しているのではと探したが、それに該当するようなものは何もなかった。
「これではまさに入ってくれと言わんばかりだな」
声に出してそう言いつつ、彼は持っていた端末を、MAGIのコントロールパネルに繋ぐ。そして少々不慣れな手つきで、コードを打ち込んだ。
コードが読み込まれ、情報の羅列が始まった。ゲンドウはあまりの膨大な量に、目で追うのがやっとだった。
そして、あろ一点を過ぎたとき、急に文字列がフラッシュバックし、すべてのデータとともに消滅した・・・。
「そういうことか」
ゲンドウは素早く立ち上がると、周囲に気を配りながらその場を離れた。
彼の目に映ったいくつかの見知ったデータ。
綾波レイのクローン技術に関する記述。それもかなり前にMAGIからも抹消したデータだ。そして渚カヲルのダミーシステムの研究レポートまでがそこに存在していた。
何かが着実に動いていた。彼らの手の届かないどこかで。ゲンドウは奥歯をかみしめながら、どうにか施設の脱出を謀った。
「後手に回らざるを得ないようだな・・・」
ようやくたどり着いた自分の車の中で、彼はそう呟いた。
作者 :謎が謎を呼ぶ展開に、作者もお慌てって感じか?
シンジ:それほど謎があるようには思えないですけど?
作者 :そうかなぁ・・・?・・・ま、そうかも。
シンジ:一つ聞きたいんですけど、今回のエピソードって妙に引っ張っただけで終わってませんか?
作者 :(–;;)そう言われるとつらいなぁ。言い訳になっちゃうけど、聞いてくれるかい、シンジ君?
シンジ:聞かせてください。
作者 :本当は最後にまあ「暗躍」の氷山の一角をさらけだしてしまおうと思ってたんだけど、
どうもここでネタばらししすぎてもなぁ・・・って思って、ここまでで止めた。
シンジ:・・・そうですか。じゃあ残り二話、考えてありますよね?
作者 :もちろん。次回は第十話「アスカ、誘拐」です。
シンジ:!!!誘拐されるんですかぁ!?
作者 :それは次回までのお楽しみです。
シンジ:じゃあ早く書いてください!(–#)
作者 :何もそんなに怒らなくても・・・。