第拾参話 希望、そして未来へ

すでに陽は沈み周囲は薄暗闇と静寂が支配していた。
アスカは独り湖畔に座っていた。
シンジとアスカがL・C・Lから再び人の形、心の形を取り戻したどり着いた最初の場所に。
二人にとってここは新しい人生のスタート地点だった。
実際、この数ヶ月の間アスカにとってかけがえのない時間であった。
生まれて初めて素直な自分を、本当の自分を出せた時間であったかもしれない。
心許せるシンジとの生活。 心休まる友人達との出会い。 そんな楽しい時間を送れたのもここが始まりであった。
しかし、今のアスカにとってはそれは華々しい過去であり、未来には絶望しか感じてなかった。

「もう、私にはなにもない。 生きていてもシンジを傷付けるだけ。 こんな私には生きる価値もないのよ。 近遙さんの言うとおり・・・。」

アスカはそう呟いていた。 既にマリンブルーの瞳からは生気の光が失われていた。
ただ、ぼーっと湖面を見つめているだけだった。

「!?」

そんなアスカの視界に見慣れた人物の影が入った。

「ファースト!?」

アスカはその人物の名前を叫んだ。 しかし、その場所には誰もいなかった。

「ふっ・・・。 ファーストの亡霊を見るようじゃ私も先が短いわね。 あぁ~ファーストのお迎えか・・・。」

ただ、ファースト・・・綾波レイの表情にはどことなく寂しさが漂っていた。
それを見てアスカは何故か心が痛んだ。 物言いたげな綾波の表情がそうさせたのだ。
何故綾波がそんな顔をしてたのかを考えていた時アスカの名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「アスカ・・・」

絶対聞き間違えることの無い声・・・碇シンジの声!
アスカは咄嗟に声のした方を見た。
そこには汗だらけで息が上がってるシンジが立っていた。
二度と見ることはないと思っていたシンジがそこにいた。

「シ、シンジ・・・。どうしてここに・・・」

アスカはシンジに聞いた。

「アスカを探して・・・僕の側に連れ戻すために・・・。」

シンジは何を言ってるのか自分でも判らなかった。
それでも言いたい事の意味はアスカに届いた様だった。

「ダメよ。 私が側にいたらシンジに迷惑かかるから。 私が生きてるとシンジが傷つくから。 近遙さんの言うとおり私なんて生きてる価値ないのよ・・・。 私なんて死んじゃえばいいのよ!」

アスカはそう言って膝に顔を埋めた。
シンジは右足を引きずりながらアスカの横に座った。

「ゴメン、アスカ。 君を守るって言っておきながら、また傷つけたね。 僕が頼りないばかに・・・。 ゴメン、アスカ。」

シンジはただそう言うしかなかった。 自分の頼りなさが招いた結果だと思っていた。
昔のアスカなら内罰的とか言ってシンジを怒ったが、今のアスカにはそれができなかった。
またしても自分の責任としてしまうシンジの優しさにアスカは泣き出した。
心が泣き出した。
シンジは泣き出したアスカの肩をそっと抱き寄せた。 陽の沈んだ湖畔で何時間もいたから体が冷え切っていた。 そして、シンジは冷え切ったアスカの心も体も温める事ができない自分の幼稚さに嫌気がさしていた。
そんなときアスカがしゃべりだした。

「シンジ・・・。 どうしてシンジは私に優しくできるの。 あんな酷い事言った私に・・・。 私と居ても傷つくだけなのに・・・。 ねぇ、どうして? 教えて・・・教えてよ!」

アスカは人類補完計画の時にシンジの心をリンクしたときの事で一人悩み苦しんでいたのだ。

「ア、アスカ・・・僕は」

シンジが話しかけた時大粒の雨が空から降ってきた。
まるでアスカの号泣に空がシンクロしたかのように。


シンジとアスカは湖畔の側に立つ無人の監視小屋に退避していた。
降り出した雨は一向に止む気配がない。
シンジは窓越しに外を見ていた。 ガラスには毛布にくるまってたき火に当たってるアスカの姿が映し出されていた。
それでも寒いのかアスカの唇は紫色になり、ガタガタ震えていた。
寒空の下で何時間も湖畔にいて、この雨である。 そして、アスカは体だけでなく心も冷え切っていた。

「アスカ・・・大丈夫?」

シンジは振り向きざまに言った。

「えぇ? だ、大丈夫よ。 ちょっと、寒いだけ・・・」

アスカは震える口でそう応えた。
そんなアスカを見てシンジはいたたまれなくなったのか自分が羽織っていた毛布をアスカに掛けた。

「これも使うといいよ。」

シンジはそう言ってアスカの横に座った。
アスカはかけてもらった毛布の温もりがシンジの心の温もりの様に感じた。
その温もりに何処までも溺れて行きたかった。

「でも、シンジが・・・」

アスカはその温もりを失いたくない反面シンジの体も心配になった。

「ぼ、僕は大丈夫だよ。 これぐらいの寒さなんて・・・。 ハックション!!」

シンジは大きなくしゃみをした。 シンジも全身ずぶぬれで、おまけに走ってきたので汗まみれである。 シンジもアスカと同じくらい体が冷え切っていたのだ。
ただ、シンジの場合アスカと違って心まで冷え切っていなかった。
それに、守ると決めた人が横にいるからこの程度の寒さは我慢できた。

「ほら。 風邪引いちゃうよ。」

アスカはそう言ってシンジのかけてくれた毛布をシンジに返した。

「ゴメン・・・。」

シンジはそう言ってアスカから毛布を受け取った。 そして、受け取った瞬間視線をアスカからそらした。

「!?」

そのシンジの何気ない行動がアスカを傷つけた。
アスカがシンジのためと思ってした事に対してシンジが視線を逸らしたからだ。
人が視線を逸らす時はおよそ心にやましい事があるときだ。
シンジはそんなアスカの心情もしらず視線を逸らしたまま礼を言った。
しかし、よく見るとシンジの頬が少し朱色に染まっていた。

「ありがとう。 アスカ・・・」

シンジが何かを言いかけた時アスカの言葉がそれを遮った。

「や、やっぱりシンジは私のこと嫌いなんだ・・・。 あははは。 バカみたいだね私。 シンジの優しさに溺れて調子こいて・・・・。 愛されてもいないのに愛されてるって思いこんで・・・。」

アスカはたき火の炎を見つめながら言った。
シンジは突然アスカが何を言い出したのか理解できなかったが、自分の行動の何かを誤解して嫌われたと思いこんだ様だと判断した。

「ゴメン、アスカ。 何か誤解させたみたいだね。 謝るよ。 でも、僕が単なる同情でアスカの側に居るんじゃないよ。 好きだから・・・この世の誰よりの一番アスカの事が大切だから。」

シンジはそう言った。 アスカはシンジの瞳を見つめた。
しかし、その瞬間シンジは視線をそらしてしまう。 ただ、少し頬が赤い。

「じゃ、どうして視線そらすのよ。 私の事嫌いなんでしょ。 心にやましい事が在るから、同情で居るだけだから見つめられないんでしょ!」

アスカは叫んだ。 その時シンジはアスカの誤解が判った。 そして、照れながら言った。

「あ、あのさ・・・アスカ・・・透けてるんだけど・・・服がね・・・その・・・胸が・・・ね。」

シンジはそう言って思い切り赤面した。
アスカはそれを聞いて俯いた。 雨で濡れたせいで制服のブラウスが透けて下着が見えていたのだ。 そして、濡れたせいで体に密着してアスカの綺麗なプロポーションが顕わになっていた。

「!!」

アスカも赤面した。
今の自分の格好を見て恥ずかしくなり、そして、自分が勝手に誤解して突っ走っていたことが恥ずかしくなって赤面した。
そして、次にアスカから出てきた言葉はその照れを隠す為の物だった。

「キャーエッチ! バカ! ヘンタイ! 信じらんない」

そして、アスカの表情に笑顔が戻り、それを合図に二人は思わず吹き出していた。

「「あはははははっ」」

しばらく笑っていた二人は互いを愛おしむ視線で見つめ合った。
シンジは自分の毛布をアスカに再び掛けた。

「えっ? シンジ風邪引いちゃうよ。」

アスカは側に立つシンジを見て言った。

「大丈夫さ。 こうすれば寒くないだろ。」

シンジはアスカの横に入った。
一つの毛布で二人は寄り添いあい、肩越しに伝わるお互いの体温の心地良さに喜びを感じていた。
このまま時間が止まれば良いと二人は思っていた。
それをアスカがうち破った。

「ねぇ、シンジ。」

アスカの口調はさっきまでとは違い落ち着いていた。

「何? アスカ」
「あのね、さっき私の事が一番大事だって言ってくれたよね。 その言葉信じて良いのね。 私にとったらシンジのその言葉が生きる糧になるのよ。 もし、同情とかそんなんだったらハッキリ言って。 お願い。 今ならまだ諦めがつくから。」

アスカはそう言ってシンジの胸に顔を埋めた。 前髪で顔は見えないが恐らくマリンブルーの瞳は涙があふれそうになってるだろう。 ノーの答えが怖くて、その恐怖で涙が滲み出てきているはずだ。

「そうだね。 はっきりさせないといけないよね。」

シンジは強い口調で言った。 それは何かを決めた男の口調であった。

「僕はアスカの事愛してるよ。 たとえ何が在っても側にいて欲しい。」

それを聞いたアスカの体が一瞬ビックンとした。

「でも、私といても傷つくだけだよ。 心も体も。 それでも良いの?」

アスカはつらそうな口調で聞き返した。
言えば自ずから心の傷をなめる事になるからだ。
それでもアスカは聞きたかった。
シンジの本心を。
シンジの本心を聞いた事で再び心を閉ざしてしまうことになるかもしれなかった。
それでもアスカはシンジの本心を知りたかった。
シンジはアスカの肩に手をやり自分の体からアスカを引き離した。
案の定アスカの瞳には涙があふれていた。
シンジはアスカの瞳を見つめた。
そして、アスカの瞳に映る自分の姿を見つめた。
其処には嘘偽りのない惣流・アスカ・ラングレーを愛する碇シンジ姿が映っていた。
次の瞬間、慈愛あふれるシンジの眼差しがアスカの心をとらえた。
シンジは何も言わずただアスカの唇に自分の唇を重ねた。
最初アスカは驚いて思わず目を見開いたがやがて閉じた。
どれくらいの時間二人は唇を重ねていただろう。
しかし、ごく自然に唇を重ねるシンジとアスカの姿が其処にあった。

シンジがアスカの唇から自分の唇を離した。
アスカは頬を紅く染め、恥ずかしさのあまりシンジを見ることができなかった。
ただ、アスカの唇にはシンジの優しさの残り香が在った。

「アスカ・・・僕がL・C・Lの海から再び人の形、心の形を取り戻したときの事聞いて欲しいんだ。 何故今の様な世界を望んだか。 アスカの存在を望んだか。」

アスカは何も言わずコクンと頷いた。 そんなアスカをシンジは抱き寄せ語り始めた。


「綾波・・・ここは?」

シンジが目覚めたのは周囲がオレンジ色の海底の様な場所だった。

「ここはL・C・Lの海。 生命の源の海の中」

全裸のシンジの腹の上に全裸の綾波がのっていた。

「ATフィールドを失った・・・人の・・・自分の形を失った世界。 何処までが自分でどこから他人なのか分からない曖昧な世界。」

シンジは綾波の言ってる意味が分からなかった。

「僕は死んだの?」

ふと浮かんだ疑問を綾波に聞いた。

「いいえ。 すべてが一つになってるだけ。 これがあなたの望んだ世界・・・そのものよ」

そう綾波が言った。 シンジはしばらく考えていた。
シンジの左手にはミサトの形見の十字架のペンダントが握られていた。
そして、シンジは微かにアスカの匂い・・・温もりを感じた。
シンジはもう一度その十字架を力強く握ると綾波に言い返した。

「でも、これは違う・・・・違うと思う」

そんなシンジを綾波は寂しそうな瞳で見つめて言った。
まるでシンジがこれから言おうとしてることが判ってるかのように・・・。

「他人の存在を今一度望めば再びATフィールドが・・・心の壁がすべての人々を引き離すわ。 また、他人との恐怖が始まるのよ。 ちょっとした誤解からあなたを傷つけるかもしれないのよ。 アスカさんにあなたの存在を否定されるかもしれないのよ。 ここに居ればあなたは他人との恐怖を味わなくて済わ。 誤解から傷つけられることもない。 私とあなただけの世界なら恐怖を感じなくていられるのよ。 それでも元の世界・・・アスカさんのいる世界がいいの?」
「いいんだ・・・」

シンジはそう言って綾波の右手を力強く握った。
そして、周囲がぼやけていった。

次にシンジが目覚めたのは綾波の膝の上だった。 綾波がシンジを膝枕していたのだ。
シンジの手には十字架のペンダントが握られていた。

「あそこではイヤな事しかなかったような気がする。 だからきっと逃げ出してもよかったんだ。 ・・・でも逃げ出した先にも良いことはなかった。 ・・・だって僕が・・・大切な人達がいなかったから。」

綾波は優しい母親の瞳でシンジを見つめていた。
そうシンジが綾波に話しかけいると渚カヲルが現れた。

「再びATフィールドが君や他人を傷つけてもいいのかい?」

そうカヲルがシンジに問いかけた瞬間情景がぼやけて消えていった。

「かまわない!」

今度は制服姿のシンジとレイとカヲルは街角の雑踏の中で対峙していた。
シンジはカヲルの問いに答え、そして二人に聞いた。

「でも、僕の心の中にいる君達は何?」
「希望・・・。ヒトは互いに分かり合えるのかもしれない、という名の・・・。」

レイが説いた。
それに対してカヲルが言葉を付け加えた。

「好きという言葉と共にね。 人は常に心に痛みを・・・寂しさを感じている。 人は皆独りだからね。 そして、ちょっとした誤解から寂しさを増長させてしまう。 でも、その寂しさ・・・心の痛みは補完する事ができるのさ。 その人にとって一番大切な人の心を信じる事によってね。 それに気が付けば自らの存在価値が判ってくる。 ここにいてもいい理由がね。」

そして、イタズラっぽく笑った。
カヲルの言葉には別の意味が含まれていた事にシンジは気が付いた。
そして、シンジも微笑んでいた。

「だけどそれは見せかけかもしれないんだ。 自分勝手な思いこみかもしれないんだ。 祈りみたいなものかもしれないんだ。 ずっと続くはずないんだ。 いつかは裏切られる。 僕を見捨てるんだ。」

シンジはそう言って対峙するレイとカヲルを見つめた。

「・・・・・でも僕はもう一度会いたいと思った。 もう一度会って好きって言いたい。 アスカにそしてみんなに。 その気持ちは本当だと思うから。」

シンジは微笑んで応えた。 そして、人類は再びヒトの形を取り戻した。


翌朝、小屋からシンジが出てきた。
昨晩の雨はウソのようにあがり、湖面には朝霧が立ち上っていた。
清々しい朝と言う形容詞が相応しいとシンジは思った。
今朝のシンジの背中からは何か男臭さを感じさせるものが漂っていた。
シンジは思いっきり深呼吸して体の隅々まで新鮮な朝の空気を取り込んだ。

「う~ん。 気持ちいい~」

シンジがそう言ってる時、アスカはブラウスのボタンを閉めながら小屋から出てきた。
そんな、独り言を言っているシンジの後ろにアスカが近づいてきた。

「何が気持ちいいよ! もう、エッチなんだから」

アスカは茶化す様に言ってシンジの横に並んだ。
そして、シンジと同じように深呼吸して疲れ切った体の隅々に新鮮な空気を送った。

「本当に気持ちいいわね。」

アスカも思わず言っていた。
そんなアスカの一言にシンジは笑いながらつっこんでいた。

「なぁ~んだ。 アスカもエッチなんだ・・・」

そう言ってシンジは微笑んだ。 そんなシンジの逆襲にアスカは赤面していた。
しかし、その表情には何かうれしさがこもっていた。

「できたら責任とりなさいよね。」

アスカは照れ隠しに言った。 しかし、その一言で今度はシンジが全身を真っ赤にした。

「う、うん。 二人で育てようね。」

シンジは照れくさそうに言った。

「バカ・・・・」

二人は赤面しながら見つめ合った。
そんな二人の目前に朝日が昇り、湖面をオレンジ色に染めていた。

「きれい・・・」

アスカは朝日を見つめてそう言った。
シンジはそんなアスカの肩に手をまわし、抱き寄せた。
アスカはシンジの肩に頭を預けた。 そして、シンジの空いてる手を握った。

「アスカ・・・決して離したりしない。 好きだから。」
「私もシンジの事好きだから信じてずっと側にいる。」

シンジとアスカの新しい出発を祝福するかの様に朝日が二人を照らし出していた。
湖畔に何処までものびるその二人のシルエットは一つになっていた。
心のシルエットと共に・・・。

 

碇シンジ
惣流アスカラングレー
二人の心の補完はこうして幕を閉じた。

The End of Evangelion Second Season.
See You again Next Season.