第壱話 The Day After

二人は細波たつ湖畔の白い砂浜の上に並んで寝ていた。
心地よい風と静寂がが彼ら二人を包んでいた。
ただ、仲の良いカップルが単にいちゃついて寝そべっている様には見えなかったのは、彼らを取り巻く情景があまりにも理解に苦しむものであったからだ。
満天の星空には赤い一筋の川がながれ、湖の水は血を満たしたかの様に真っ赤で、湖面からは十字架の形をした頭部のない人型のオブジェが幾つもせり立ち、対岸には一瞬山かと思わせるような白い巨大なオブジェまでがあった。
しかし、その巨大なオブジェがよく見ると山ではなく半分崩れた女性の顔であることが判る。額はザクロのように割れていた。
しかし、その見開かれた赤い目にはついさっきまで生命が宿っていたかの様な生々しさがあった。
それが余計に不気味さを増長していた。
そして、その視線が砂浜に寝ている2人を見つめていた。
生命の存在すら感じられない世界。
それがこの情景に最もふさわしい形容詞であろう。
そして、横たわっていた少年の方が上体を起こし周囲を見渡した。
彼の横には真っ赤なつなぎ状のスーツを着た女の子が横たわっている。
彼女はひどい怪我を負っている様で右腕は指先から肩まで包帯が巻かれ、左目から頭部にかけても包帯が巻かれていた。
ただ、生きてることは胸の規則正しい上下の動きと、少年を追っている瞳の動きでわかる。
しかし、彼女は起きあがろうともせず、瞳だけでその少年の姿を追った。
そして、少年と目が合うと、 彼女はかすれる声でその少年の名前を呼んだ。

「シ、シンジ・・・・」
「アスカ・・・・・・・・・・・・・・」

少年は何一つ感情を込めずそう言った。
いや、全ての思考が停止し感情を表す手段を失ったかの様であった。
シンジはおもむろに立ち上がり横たわっているアスカに馬乗りになった。
そして、アスカの首を絞めだした。
その表情には何処か悲しみと恍惚感が同居していた。

「うっ・・・・」

アスカは何も言わずシンジを見つめていた。
その瞳には相手を蔑んだ輝きが在った。
しかし、既に顔面は蒼白で抵抗する気力も失っているようにも見えた。
シンジはそのアスカの瞳の輝きを見て更に手に力を入れた。
アスカは覚悟を決めたのか目をつむりシンジに全てをまかせていた。
ただ、アスカの表情には憎しみや悲しみではなく喜びと安らぎの色が伺えた。
そして、アスカはシンジの頬に左手を添えた。
アスカの左手はシンジの頬を愛しそうになでた。
シンジはそれ以上手に力を入れることができず、とうとう泣き出してしまった。
シンジの両目からは涙が溢れ、アスカの顔の上に落ちていく。

「気持ち悪い・・・・」

アスカはシンジを見てそう呟いた。
細波の音とシンジの鳴き声だけがその世界を支配していた。


嘗て其処には第三新東京市と呼ばれる近代都市が存在し、その地下の巨大なジオフロントにはNERVと呼称される国連組織が存在していた。
使徒と呼ばれる謎の生命体と戦うべく組織されたNERVと人造人間エヴァンゲリオン。
しかし、その真の存在目的を知る者は誰もいなかったであろ。
いや、知った者がこの世に存在できなかっただけだった。
西暦2015年人類は人類補完計画、つまり3rdインパクトによりその総人口の約3分の2を失った。
ゼーレと呼ばれた秘密結社により裏死海文書に則って計画された人類補完計画。
それは、既に出来損ないの群体として行き詰まった人類を、完全な単体生物へと人工進化させる計画であり、NERVの総司令官碇ゲンドウにより発動されるはずだった。
しかし、碇ゲンドウはゼーレに対し反旗を翻し、碇ゲンドウによって書かれたシナリオを進めようとした。
しかし、空から舞い降りし9体の量産型エヴァンゲリオンの前にはなすすべもなく、ゼーレが押し進める人類補完計画が発動された。
そして、全人類は個体生命の形を維持できず生命のスープ・・・、つまりL.C.Lへと還元された。
そう、本来なら人類は誰一人として生き残らなかったであろう。
しかし、補完計画の依代となりしエヴァンゲリオン初号機の専属パイロットー碇シンジーの意志により、生きる意志を持った人間だけが生き残った・・・いや再生した。
彼がそう願った訳ではない。
ただ、彼がどんなに傷ついても生きていたいと願ったから、彼と同じ様に生きる意志を持った人間だけがL・C・Lから再び人の形を取り戻していた。 そう、自己の意志によって。

そして、西暦2016年は新たな人類のスタートの年となった。
総人口の3分の2を失い、唯一生き残った人間は国連を中心に世界を復興する事となった。
そして、その国連復興組織の中心には旧NERV副司令の冬月コウゾウの姿もあった。
初老の副司令の割には頭が切れNERV時代は碇ゲンドウの右腕として手腕を発揮していた。
そして、いま彼は都市機能を失ったNERV本部の替わりに第二新東京市にある臨時の発令所にいた。

「松代のマギはどうだ?」
「駄目です。Dワードクリアー出来ません。 3rdインパクト前に書き換えられてます。」

旧NERV職員の青葉シゲルは端末を操作しつつそう答えた。
こちらは国際公務員の割に長髪で年齢的にも20代後半と言う感じだった。

「やはり、私の持ってるワードだけでは無理か。こうなったらオリジナルを使うしかないか。」
「でも、オリジナルはまだチェックが済んでいません。 本部施設への連絡経路もまだ仮復旧状態です。」
「とにかく、急いでくれ。 シンジ君達の事もあるからな」
「はい!」
「何かあったらコールしてくれ。 私は会議に行って来る。」
「了解しました。」


「で。マギの方はどうかね?」

初老の議長らしき人物が抑揚のない声で言った。

「松代のマギ以外は管理下におけました。 あと、オリジナルは現在80%が管理下に在ります。残り20%は本部施設の復旧と平行作業となります。」

冬月は会議に出席している者全てに聞き取れるように言った。

「そうですか。 しかし、よく生き残っていましたね、冬月先生。 てっきり死んだものと思ってましたよ」

眼鏡をかけた銀髪の老人が冬月に話しかけた。

「私もてっきり死んだものと思ってました。 しかし、こうして生きている。 だから、碇君達が考えていた人類補完計画とゼーレの行いを全て公表するつもりでいます。それが・・・」

冬月は其処まで話して口をつぐんだ。

「そうだったな。 君たちが生き残る手段は自らの行い、過去の所業を暴露するしかなかったな。」
議長らしき人物は同情した口調でそう言った。

「ところで、早乙女議長。 シンジ君達はどうしてるのでしょうか?」

冬月は急に心境を顕にした口調で話しかけた。

「彼らは元気にしてるよ。 ただ、まだ君の元にはおけんな。」

沈黙が議会を支配した。


碇シンジ。
エヴァンゲリオン初号機専属パイロットであり、人類補完計画発動のキーとなりし少年。
彼は人質として、また反政府組織のテロからの擁護の目的でアスカ共々国連監視下に置かれていた。
ただ、ここが病院であるという事が二人の監視体制を普通のものとは違うものとしていた

「アスカ・・・・」

シンジの見つめる先にはアスカがベッドに横たわっていた。
アスカの体から幾つものコードがのび、ベッドサイドの機械に接続されている。
医療機器の無機質な電子音だけが鳴り響いている。
2人はあの後冬月達に救出され、重傷のアスカはそのまま国連軍の監視下の病院施設にシンジ共々収容された。
しかし、弐号機を失った事実を知ったアスカは体以上に深い心の傷を負って再び自らの殻に閉じこもってしまっていた。

「ママ・・・ママ・・・私を独りにしないで。 私を捨てないで。」

アスカは何度もその台詞を繰り返すのであった。

「アスカは独りじゃないよ。 ずっと僕が側にいるから・・・。 何と言われても僕はアスカの事・・・その・・・好きだから。」

そんなアスカにシンジは慰めの言葉をかけていた。
いや、かけるしか手段が見いだせなかった。

「あんたに何が判るのよ・・・。 一人にしてよ・・・。 もう、嫌なのよ、何もかも・・・。」

アスカはシンジの問いかけに視線を合わさずそう答えるだけだった。
シンジは面会終了時間前に病室を出た。
自分自身の存在自体がアスカを苦しめてるんじゃいかと思ってしまうからだ。
病院を出たシンジはもう独り彼にとって大切なヒトが待ってるその場所へ向かった。


夕日が反射してオレンジ色に染まった湖面を見渡せる丘の上にシンジは立っていた。
シンジの後方には数人の黒ずくめの男達がいる。
恐らく、シンジを監視しているのであろう。
左の脇の下辺りが少し膨らんでいることから、ショルダーホルスターにハンドガンを入れているのであろう。
丸腰のシンジ相手に銃は不必要なので、どうやら使用目的は別にあるようだ。
そんな監視者をシンジは気にせず進んで行った。
そのシンジの足がある墓標の前で止まった。
シンジの前には墓標の黒い十字架があり、足下の石版には「葛城ミサト」と刻まれていた。
その墓標には銀色の十字架のペンダントが掛かっていた。

「ミサトさん・・・僕はどうしたら良いの? どうしたらアスカを救えるの? カヲル君どうしたらアスカの悲しみを拭えるの? アスカの望む通り僕がこの世からいなくなれば良いの?ねえ、どうしたら良いの? 僕には判らないよ・・・。」

シンジはミサトの眠る墓にすがりつく様にしてそう問いかけていた。
そして、シンジはミサトとの最後の別れを思い出していた。


ミサトはシンジをかばい戦自兵に撃た脇腹をおさえていた。其処から止めどなく血がにじみ出ていた。 それでも、優しい笑みをこぼしていた。

「これで・・・時間が・・・稼げるわね。」

心配そうにしているシンジに大きく息をして痛みに堪えつつ笑いかけた。

「大丈夫・・・・。 たいしたこと・・・ないわ」

ミサトは壁に寄り掛かりながら立ち上がり、非常用エレベーターのスイッチをおした。
プシュ~っと音がしてドアが開いた。

「電源は生きてる。 いけるわね」

しかし、シンジは戸惑っていた。

「いい。 シンジ君。 ここから先はもうあなた独りよ。 全て自分で決めなさい。 誰の助けもなく」

しかし、シンジはうつむいてミサトに答えるしかなかった。

「僕はダメだ。 ダメなんですよ。 ヒトを傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ。 僕はエヴァに乗るしかないと思ってた。 でも、そんなのゴマかしだ。何も判ってない僕にはエヴァに乗る価値もない。僕には何もない。アスカにひどいことしたんだ。カヲル君も殺してしまった。 優しさのかけらもない、ズルくて臆病なだけだ。僕にはヒトを傷つけることしかできないんだ。 だったら何も・・・何もしないほうがいい!」

うつむき泣き出すシンジにミサトは話しかけた。

「同情なんてしないわよ。 自分が傷つくのがイヤだったら、なにもせず死になさい。 今泣いたってどうにもならないわ」

そして、ミサトの表情がもの哀しい、憐れむようなものとなり

「自分が嫌いなのね。 だからヒトも傷つける。 自分が傷つくより、ヒトを傷つけたほうが、心が痛い事を知ってるから。 でも、どんな思いが待っていても、それはあなたが自分独りで決めたことだわ。 価値のあることなのよ、シンジ君。 あなた自身のことなのよ。 ごまかさずに、自分でできることを考え、償いは自分でしなさい。」

そのミサトの言葉にシンジはうつむき泣きながら反論した。

「ミサトさんだって他人のくせに! 何にもわかってないくせに!」

そのシンジの言葉にミサトの表情は険しいものになった。

「他人だからどうだってのよ!! あんた、このままやめるつもり!? 今ここで何もしなかったら、私、許さないからね。 一生あんたを許さないからね。」

ミサトのその言葉にびっくりしてシンジは泣き止んだ。
ミサトは怒りの名残で震えている両手でシンジの両頬を包み込んだ。

「今の自分が絶対じゃないわ。 後で間違いに気付き、後悔する。 私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。 でも、その度に前進できた気がする。」

そう言ったミサトの手はさっきとうって変わって優しく包み込む様になっていた。

「いい、シンジ君。もう一度エヴァに乗ってケリをつけなさい。エヴァに乗ってた自分に。何の為にここにいるのか、今の自分に答を見つけなさい。 そして、ケリをつけたら、必ず戻ってくるのよ。 約束よ・・・。」

そう、ミサトはシンジに語り、自分の首に掛かってるペンダントを外し、シンジの手に渡した。

「・・・うん。」

シンジは俯いたままうなずき返事をした。
そんなシンジをまるで実の姉が気の弱い弟を見守る様な優しい眼差しで見つめ、言った。

「いってらっしゃい」

それがシンジの聞いたミサトの最後の言葉だった。
シンジがエレベーターに乗った後、ミサトのいたフロアーは爆破され跡形もなく無くなってしまった。


「ミサトさん・・・。 アスカはまだ・・・。 きっとミサトさんが生きていたらこんな事にはなってなかたかな。 アスカを助けたいのに僕は何も・・・何もできません。 ミサトさん・・・」

シンジは悲しみに身を任せ十字架にすがりつき抱きついて泣いていた。
自らの弱さを知った人間は何かにすがりたいものだ。
しかし、それがある人間は幸いである。
シンジは答えてくれるはずもない墓標にすがるしかない自分の運命の皮肉に打ちひしがれていた。
どのくらい泣いていたろう。

既に陽は暮れていた。
シンジは泣きつかれた体を起こし、立ち上がろうとしていたその時。

 

 

カチャン・・・

 

ミサトがシンジと別れ際に手渡した十字架のペンダントが墓標に当たり、音を立てていた。
まるで、シンジに何かを語りかけるかの様に・・・。

「ミサトさん・・・」

シンジはペンダントにそっと手を伸ばした。
月明かりを浴びてかすかに輝き、シンジに語りかけていた。

「ミサトさん。 また、ミサトさんに助けられそうですね。 ミサトさんの最後をアスカにも教えとかないとね。 判りました。 アスカの為にも・・・何よりも僕自身の為にも頑張ります。結果がどうなるかは判らないけど、やってみます。 それが僕の望んだ事だから・・・。」

シンジは墓標にそう語りかけ、ペンダントを自分の胸にかけた。
ペンダントからは優しい、そして母の温もりにも似た暖かみを感じていた。