外伝ノ壱:リツコ

(作者註)この話は拙作「福音ヲ伝エシモノ」最終話における空白の5年の間に起きた出来事として作成しております。

 

カタカタカタカタ・・・・・・・・・・・・・・カタっ・・・・・・・・・・・

「・・・・・・・・・う~~~~~~~んっ!」

キーボードを叩く指を止め大きく伸びをした
照明を反射して煌く指輪
薬指に光るそれを見るたび、つい表情が緩む
小さく息を吐きながら、目を閉じ思いを巡らす
瞼の裏にあの時の出来事が鮮明に浮かび上がる

一生忘れる事のない、あのひとときを

福音ヲ伝エシモノ

 

外伝ノ壱:リツコ

 

カラン・・・・・・

グラスの中で氷が触れ合い、冴えた音を奏でる

程好く冷えたオン・ザ・ロックス

口にするたび、冷えた液体が食道から胃へと流れ落ちていく

火照りの覚めやらぬ身体には、その冷たさが心地良い

寝乱れたシーツ、半ば床へ落ちかけているブランケット

身体に、ベッドに色濃く残る情事の余韻

圧し掛かる彼の背中、嬌声で応える私

そんな光景を思い浮かべながら、私は琥珀色の液体を喉へと流し込む

身体だけの繋がり

心を伴わない、互いの欲情を満たすだけの関係

彼の息子が現れて

心の置き所を見つけて

一度は潰えた関係

彼が私を求め

私がそれに応え

あっさりと元の鞘に戻ってしまった

ただ、以前と違うのは

互いの温度

火傷をしそうなほどのめり込んでいた私と、覚めていた彼

今はぬくもりが心地良いほど、温度差がなくなっている

それに気付いたのは何時の事だろうか

照明を抑えた薄暗い室内

スピーカーから流れてくるBossa Nova

グラスを手にしたまま緩慢な動作で立ち上がり、窓際へと移動する

眼下に広がる夜景

窓ガラスに映る自分の姿

ガウンを羽織っただけで、他には何も身に着けていない

角度を変えるだけで、首元から足の付け根までの全てが露わになった

平均よりは豊かな胸

薄く引き締まった腹

程好く張り出した腰

まだまだ若いコには負けない

年甲斐も無く張り合おうとする自分に、思わず苦笑してしまう

ドアが開く音と共に明るい光が差し込み、閉じると同時に元の薄暗さが戻る

シャワーを浴び終えたあの人が、姿を現す

その姿を見ておや、と思う

てっきり帰り支度を済ませて来たと思っていたのに、身に着けていたのは制服ではなくバスローブ

彼は私のそばに歩み寄り、手にしていたグラスを静かに抜き取った

残り少ないグラスの中身を一気に煽り、飲み下す

ぐびり、という音と共に喉が、動いた

「・・・・・・珍しいわね。
今日はまだ帰らないつもり?」
「ああ・・・・・・・今、何時だ?」
「午前1時」
「そうか・・・・・・・」

彼は私にグラスを手渡すと、何も言わずドアの向こうへと消えた

私はソファへと戻り、テーブルの上にある瓶をグラスへと傾けた

カラカラと氷を鳴らしながら、適度に氷が溶けるのを待つ

程なくして、彼はこちらへと戻ってきた

小さな包みと封筒を手に

「・・・・・・・君に話がある。
少し長くなるかもしれんが・・・・・聞いてくれるか?」
「構わないわ、夜はまだ始まったばかりですもの」

彼は私の正面に腰を下ろし、再びグラスを手に取った

ひとつのグラスが、ふたりの間を行き交う

時間を掛けて、その中身を減らしながら

3分の1ほど飲み終えたところで、彼は静かに口を開いた

「・・・・・・話というのは他でもない、シンジ達の事だ」
「シンジ君?」
「ああ・・・・・・加持君と葛城君が結婚してからも、あの3人は同居を続けている。
セキュリティは万全であり、加持君も階下に住居を構えているから何も問題は無い。
だが・・・・・・いつまでも彼らの庇護下に置いておく訳にも行くまい」
「・・・・そうね、ミサトも育児で忙しいでしょうし・・・・・・そろそろ開放してあげて良いかもしれないわ」
「NERVも軌道に乗り、私も以前ほど職務に費やす時間は必要無くなった。
そろそろ親として・・・・・保護者としての責務を果たそうと思っている。
そこで・・・・・私としてはシンジ達との同居を考えている。
既に居宅も用意した。
後はシンジ達の承諾を得るだけだ」
「そう・・・・・宜しいんじゃなくて?」
「うむ・・・・・・・・だがな」
「何か問題でも?」
「・・・いや・・・・・そうでは無い・・・・・・・」
「・・・・・・・・?」
「だから、その・・・・何だ・・・・」
「・・・・・・・・???」

彼は突然言い淀んだ

グラスを口にしては何かを言い掛け、またグラスを煽る

アルコールが回り始めたのか、他に何かあるのかはわからない

けれど、灯りに照らされた彼の頬が、微かに紅くなっているように見えた
初めて見るその姿が何故か可笑しく         私は笑いを堪えられなかった

クスクスと笑う私を見て、彼は少しだけ憮然とした表情で言う

「・・・・・・何が可笑しい?」
「・・・・・だって・・・・・初めてですもの・・・・・・・貴方のそんな姿・・・・・・・」
「・・・・・・私だって緊張する事くらいはある」
「あら、何を緊張なさっているのかしら?」
「・・・・・・・・・・・」

憮然とした表情のまま、彼はグラスを口にした

少しだけ罪悪感を抱いた私は、何とか笑いを抑えた

「・・・ごめんなさい、真剣に聞くから・・・・・話して下さる?」
「・・・・・・ああ・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・今日は君の誕生日だったな」
「・・・・・は?」
「今日は君の誕生日だ、と言っている」
「え、ええ・・・・・・そうね。
でも、シンジ君達と何の関係があって?」
「いや、その・・・・・・確かに無関係だが、あながちそうとも言えんのだ」
「・・・・???」

彼の言葉が理解できなかった

どう考えても、私の誕生日と彼らとの間に接点はない

そういう事には無関心だと思っていた彼が、自分の誕生日を覚えていてくれた事は嬉しかった

けれど、それ以上に疑問が残った

「いったい・・・・・どういう事?」
「・・・・・・・これを受け取って欲しい」

テーブルの上に置いた包みと封筒を、彼は私の前へ差し出した

包みの中身は、ビロードで包まれた小さな箱
震える手で、蓋を開いた
小さなダイヤが埋め込まれた、細いプラチナの指輪
私は一言も発する事が出来なかった

「・・・・・・・・過去を水に流す事は出来ん。
私はユイだけを求め、過去に縋って生きてきた。
その為に他人を傷付け、犠牲を省みず、罪を罪とも思わず歩み続けた。
今更後悔しても、この身を以って贖罪したとしてもその罪が消え去る事はない。
だが私はまだ生きている・・・・生き長らえている限り、その罪科を贖う事は可能なのだ。
罪深き私でも、未来を見据えて生きていける・・・・・・私はユイに、シンジにそれを教えられた。
だからこそ、子供達に拒絶されぬ限り私は父親として精一杯の事をしてやりたいのだ。
だが・・・・・・・片親では不足なのだよ。
子供達に母親は必要だ、そして・・・・・・私は君に母親になって欲しいと願っている。
無論、それだけでは無い・・・・・・私の傍に居て欲しいのだ。
ユイを忘れる事は出来ぬ・・・・・だが、既に彼女は過去であり、君は未来なのだ。
妻として共に生き、歩み、この命果てるまで・・・・・・君の傍に居たい。
・・・・・・・・受けてはくれないだろうか?」

封筒から取り出された、一枚の紙

『碇 ゲンドウ』という署名、そして捺印

彼の名の横にある空欄

『婚姻届』という文字が目に飛び込んだ直後、いきなり視界がぼやけた
大粒の涙が頬を伝い、手の平に落ちてゆく

止まらない

止められない
嬉しくて

嬉しくて

嬉しくて
もう死んでも良いと思うくらい、嬉しくて
こんな日が来るとは思ってもいなかった

信じられなかった

夢なら醒めて欲しくなかった
彼の大きな手が私の左手を包み込み

薬指に指輪を通した時
夢ではないと

これは現実なのだと実感した
涙が~め処なく流れ落ちていった

 


 

私は忘れない

あの日
あの時
私の手を包み込んだぬくもりを

流した涙の暖かさを            

fin.