其ノ弐拾六:ばいばい・・・(弐)

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後で後足をひきづつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。

 (見しらぬ犬  萩原朔太郎第一詩集 一九一七年(大正六)刊 「月に吠える」 より抜粋)

 

福音ヲ伝エシモノ    

其ノ弐拾六:ばいばい・・・(弐)    

 

何も見えない。

何も聞こえない。

何も感じない。

漆黒の闇。

シンジは蹲っていた。

何も聞かず、

何も見ず、

何も感じず、

膝を抱え、

ただ、蹲っていた。

ぼんやりと開かれた瞳。

黒曜石のように輝き、

生きる喜び、

生きる力、

ヒトを惹きつける魅力を持った瞳。

今は見る影もなく、ただ濁って沈んでいた。

 


 

何も変わらないんだ

何もわかっていなかったんだ

思い過ごしだったんだ

僕にできるわけがなかったんだ

アスカとわかりあえるようになって

みんなとわかりあえるようになって

アスカを好きになって

みんなを好きになって

アスカを護って

みんなを護って

辛い事も

イヤな事も

みんな、克服して

創る世界

創る未来

・・・・・・・・・・・・・・・・できるわけ、なかったんだ

この僕には

 

キライ

アンタのコトなんてスキになるハズないじゃない

サヨナラ
もう電話してこないで

しつこいわね、ヨリを戻すつもりなんてサラサラないの

ゴメンなさい、今更やりなおせるワケないでしょ

ばぁ~か、ホントにやってんじゃないわよ

ひょっとして、その気になってた?

身の程、考えなさいよ

ヤッパリ友達以上に思えないの

アンタなんか生まれてこなきゃ良かったのよ!

バイバイ、もぉ、サッサと死ンじゃえばぁ?

アンタさえいなけりゃいいのに

誰、このコ?

知らないコね

アンタなんていてもいなくても同じじゃない
ハッキリ云ってメイワクなの

余計なお世話よ
これ以上付き纏わないで

もうダメなの、別れましょ

正直、苦手というより一番キライなタイプなのよ、アナタって
カン違いしないで

ダァレがアンタなんかとっ!?

もう・・・・・・・あっちへ行ってて

私の人生に何の関係もないわ

大っ嫌い

あなた、いらないもの

・・・・・・・・・・・・・・いくじなし

 

否定されて当然なんだ

拒絶されて当然なんだ

僕だから

僕は僕でしかないのだから

 

夢・・・・・・・・・・・・なのかな

今まで見ていたのは

現実だと思っていたのは

あの時見ていた夢の続き

あの時願った夢の続き

僕の夢

僕の中だけの世界

僕しかいない世界

・・・・・・・・そう、なのかな

 

・・・・・そういえば

あの時、綾波は言ってた

そうだ、僕は彼女と話をしたんだ

 

「わからない、現実が良くわからないんだ」

『他人の現実と自分の真実との溝が正確に把握できないのね』

 

「幸せがどこにあるのか、わからないんだ」

『夢の中にしか幸せを見出せないのね』

 

「だから、これは現実じゃない。誰もいない世界だ」

『そう、夢』

 

「だから、ココには僕がいない」

『都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね』

 

「いけないのか?」

『虚構に逃げて、真実を誤魔化していたのね』

 

「僕ひとりの夢を見ちゃいけないのか?」

『それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ』

 

「じゃあ、僕の夢はどこ?」

『それは、現実の続き』

 

「僕の、現実はどこ?」

『それは、夢の終わりよ』

 

・・・・・・・・・・・・これが僕の夢なら

夢の終わりが現実の始まりなのなら

新しい夢を見ればいい

違う夢を見ればいい

もう一度、やり直せばいいんじゃないか?

 

・・・・・・そうか

やりなおせるんだ

アスカ

レイ

ミサトさん

加持さん

リツコさん

父さん

冬月さん

マヤさん、青葉さん、日向さん

トウジ、ケンスケ、洞木さん

カヲル君

僕の大事なひとたち

一緒にいるために

みんなと一緒にいるために

やりなおせばいい

ただ、それだけの事じゃないか・・・・・・・・・・

 

 


 

月明かりが薄く部屋の中を照らす。

シンジはゆっくりと身体を起こした。

両脇に掛かる重み。

両耳に聞こえる寝息。

起こさぬように。

夢から覚まさぬように。

静かに立ち上がる。

素足のまま冷えた床に足を下ろした彼は、振り向く事なくドアへと向かう。

微かな音をたて、開くドア。

常夜灯に照らされた、廊下。

ドアが閉まる瞬間、彼の口が動いた。

振り向く事なく、ただ、静かに。

深い眠りに落ちたふたりには届かなかった言葉。

誰にも聞かれる事のない、別れの言葉。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ばいばい」

彼は、消えた。

忽然と。

誰にも知られる事なく。

大切な人達の前から。