其ノ壱拾八:オモイ、トドケ

303、と書かれたプレート

それを見詰める自分

嫌な数字だ、とシンジは思う

ふと、自分の右手に視線が落ちる

真っ白な手

同年代の級友達に比べ、華奢で色白な自分の手

この部屋で、汚した

自分の手を

ベッドに眠る、彼女を

自らの、手で

それは、罪

忘れる事の許されぬ、罪

もし、痛みを感じなければ

辛さを感じなければ

現実でも

夢の中でも

・・・・・そうすれば、自分が苦しむ事はない

しかし

痛みを感じる事

辛いと思う心

それは生きている証

自分がこの場所に存在する証

シンジはその事を知った

それに気付いていた

だからシンジは扉を開いた

2度と過ちを繰り返さないために

こうしてアスカの病室に来るのは何日目だろう

まだ、数日

されど、数日

アスカは眠りから覚めず

蒼い瞳は閉じられたまま

シンジはアスカの手を取り

話し掛け始めた

いつとも知れぬ彼女の目覚めを

望みながら

福音ヲ伝エシモノ    

其ノ壱拾八:オモイ、トドケ   

 

・・・・・・・・・・・・・アスカ。

アスカ。

アスカ。

もう何度君の名前を呼んだだろう。

数え切れないよね。

最初は照れくさかったよ。

だってさ、

女の子の名前を呼び捨てにするんだよ?

幼馴染だとか、

親しい関係じゃない限り

普通は呼ばないから。

・・・・今は、慣れたかな。

今更、『惣流さん』なんて呼べないよね。

アスカはアスカだから。

・・・・・・・

ははっ、何を言ってるんだろうね、僕は。

そうだ。

今日、カヲル君は松代へ向かったんだ。

参号機の起動テストがあるからって。

心配ない、って彼は言ってた。

バルディエルくらい、何でもないって。

まるで近所に買い物に行くくらいの軽い調子で

カヲル君・・・・・・出かけて行ったよ。

彼を心配する気持ちもあるけど、

でも安心してる部分もある。

カヲル君がいるから

トウジはエヴァに乗らなくて済む。

僕はトウジを傷つけずに済む。

僕は・・・・・・・・傷つかなくて済む。

・・・・・ヒドいよね、僕って。

逃げないって言っておきながら

結局・・・・・逃げてばかりなんだ。

・・・・アスカ。

ゴメン。

僕は・・・・・・・・また君を傷つけてしまった。

「バカシンジ」だよね、ホントに。

君はこんなに変わったのに。

以前にも増して

優しくなって

きれいになって

魅力的になって

僕を、そしてみんなを見るようになって。

なのに

僕は

相変わらず

同じ事の繰り返し。

成長してないんだろうね。

・・・・ねぇ、アスカ。

僕はどうすればいいのかな?

こんな事を聞いたら、「情けない」って呆れられるかもしれないけど。

でも、どうすればいいのか解らないんだ。

アスカの事、解ってるつもりだった。

自分の事も。

だけど

解ってなかった。

僕はどうすればいいんだろう?

今の僕には

こうして君が目覚めるのを待つ事しかできない

そんな気がするんだ。

・・・・あ、もちろん、使徒が攻めてきたら戦うよ。

君を護るために

みんなを護るために。

エヴァに乗れるのは僕しかいないから。

僕にしかできない事だから。

・・・・・・話に全然脈絡がないね。

ゴメン、何を話せばいいのか解らないんだ。

・・・ねぇ。

早く起きてよ。

そして、話そうよ。

君は嫌がるかもしれないけど

僕の顔なんて見たくもないかもしれないけど

でも、僕は君と話したいんだ。

レイも待ってる。

みんな、待ってる。

アスカが目覚める事を。

・・・・・・・・・・・・・・・アスカ。

起きてよ、アスカ・・・・・・・・・・

 

 


 

・・・・・もぞっ。

もぞもぞっ。

頭の下で何かが動く感触で、シンジは目覚めた。

『・・・・・・・あれ、寝ちゃってたんだ・・・・・・・・・』

アスカの手を握ったまま顔をみつめているうち、いつしか自分は寝ていたらしい。
ベッドから上半身を起こし、窓の外に目をやる。
すっかり陽は落ちていた空に、丸い月が浮かんでいた。
月明かりが窓から差し込んでいるため、病室の中はぼんやりと明るい。

きゅっ。

突然、手に力が篭められた。
驚きと共に、シンジはベッドへ顔を向けた。
いつしか開いた蒼い瞳が、シンジを見ていた。

「・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・シンジ・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・アスカ・・・・・・やっと目を覚ましてくれたね。」

シンジは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を見せた。
アスカはそんなシンジの表情を見て、微笑を深めた。
ゆっくりと身体を起こし、シンジの手に指を絡める。

「ずっと、手・・・・・・握っててくれたの?」

「あ・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・ありがと。」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

シンジは何も言えず、ただアスカを見つめる事しかできなかった。

アスカに目覚めて欲しいと願っていたのに。
アスカと話をしたいと願っていたのに。

彼女が目覚めた、今。
何も言葉が出てこない。
何も頭に浮かんでこない。

シンジの表情が微かに曇る。
何も言えない自分に、焦れる気持ちを隠しきれない。

沈黙を破ったのは、アスカだった。

「・・・・・・シンジ。」

「・・・・・・何?」

「・・・・・ゴメンね、アタシ・・・・・・・・心配掛けちゃった。」

「アスカのせいじゃないよ・・・・・・・・・・悪いのは僕のほうだから・・・・・・ゴメン・・・・・・」

「・・・・・・ウウン、違うの。シンジは悪くないんだよ・・・・・・・悪くない・・・・・」

「アスカ・・・・・・・・怒ってないの?」

「・・・・・・・・どうしてアタシが怒るの?」

「・・・・・それは・・・・・・・・・・・・・・・」

罪の意識が、重く圧し掛かる。
シンジの視線はアスカの顔から離れ、次第に下がっていく。
その重さに耐えられないかのように、シンジは俯いてしまった。

シンジの頬に、アスカの手がそっと触れる。

「シンジ・・・・・・・自分ばかりを責めないで?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・正直に言うとね、アタシ・・・・・寂しかった。

シンジが何も話してくれないから、苦しいって言ってくれなかったから・・・・・・寂しかったの。」

「・・・・・・ゴメン・・・・・・・」

「・・・・・あの時もそう。

シンジにずっと会えなかったから、シンジの声を聞けなかったから、シンジを傍に感じる事ができなかったから・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・ゴメンね、シンジ・・・・・・・アタシ・・・・・・・・・・シンジに裏切られた、って思った。

シンジも他のヒトと同じなんだって。

アタシの表面だけ見てて、本当のアタシを・・・・・みてくれないんだって、思ったの。

シンジが・・・・・・・そんなコトするわけ、ないのに・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・ずっと悩んでたんだよね・・・・・・でも、アタシは自分の事ばかり考えてたから、シンジに無理矢理聞こうとして・・・・・・シンジを追い込んだのはアタシなのよ・・・・・」

「違うよ・・・・・・・・・・・アスカは悪くない。

・・・・・・僕が・・・・・・・僕がちゃんとアスカに打ち明けていれば・・・・・・アスカやレイに心配を掛ける事もなかったんだ。」

「シンジ・・・・・・」

「僕が・・・・・・馬鹿だったんだ。

自分の中に閉じ篭って、ずっと同じ事ばかり考えて・・・・・・・・・・前と少しも変わってなかった。

成長・・・・・・・してないんだよ、僕は。」

「そんなコト、ない・・・・・・」

「・・・・・・・二度と傷つけないって決めたのに、僕は・・・・・・・・またアスカを傷つけてしまった。

同じ事ばかり繰り返して・・・・・・・・・・・・・・馬鹿だよね、ホント。」

シンジはゆっくりと顔を上げた。
無理に笑顔を作ろうとするその頬に、涙が落ちていく。

「・・・・・・・・・シンジ・・・・・・・・・・・・・」

「ゴメン、アスカ・・・・・・・・・・・・・・僕はどうすればいいのかわからなくなっちゃったよ。

今の僕じゃ・・・・・・アスカの傍にはいられないかもしれない。

アスカを傷つけたくないのに、誰一人傷ついて欲しくないのに・・・・・・・・・僕が傷つけてしまうんだ。

僕は・・・・・・・・・・・・・・・・僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

シンジの口からそれ以上、言葉は出てこなかった。
アスカが、自分の唇でシンジの科白を制したのだ。
目を見開いたまま、動けないシンジ。
暫し後、アスカはゆっくりと唇を離すと首に両腕を回し、シンジの首元に顔を埋めた。

「・・・・・・・ずっと傍にいて・・・・・・・・・・・・・シンジ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・いいの?僕は・・・・・・・アスカの傍にいてもいいの?

また・・・・・・傷つけてしまうかもしれないのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・わかってない。」

「・・・・え?」

「シンジはわかってないわ。

・・・・・・・アタシが一番傷つく事、何だと思う?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・シンジががアタシから離れてしまコトが、アタシにとって一番残酷な仕打ちになるのよ。

アタシ・・・・・・・・・・・・耐えられない・・・・・・・・シンジのいない生活なんて・・・・・・・・考えたくない・・・・・・・・」

アスカは腕の力を強めた。

シンジを離さぬように。

自分から離れる事を、絶対に許さぬように。

きつく抱き締められた腕から、アスカの気持ちが痛いほどに伝わってくる。

いつしか、シンジの腕もアスカを深く抱き締めていた。

アスカの細いうなじに、顔を埋める。

さらさらとした髪が、頬をくすぐる。

シンジの頭から、アスカ以外の事が消え去っていく。

そして、それはアスカも同じだった。

彼女の目にはシンジしか映らない。

他には何も考えられない。

「・・・・・・・・・もう・・・・・・・離さないで・・・・・・・・離れ離れは・・・・・・・・・イヤ・・・・・・・・・・・・・なの・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・アスカ・・・・・・・・・・・・・」

それ以上、ふたりに言葉は必要なかった。

 


 

その夜、シンジは帰宅しなかった。