其ノ壱拾六:シンジ (弐)

「はぁ・・・・シンちゃんはまだ立ち直ってないだろうし、レイはレイだから・・・・・・・・なぁんか帰りづらいなぁ・・・・・・」

コンフォート17マンションの駐車場。

愛車・ルノーA110のドライヴァーズ・シートに身を埋めたまま、葛城ミサトはかれこれ15分ほど悩んでいた。

シンジは意識を取り戻したが、ハッキリ言って情緒不安定。

レイはシンジが戻ってきた事により若干元気を取り戻したが、場の雰囲気を盛り上げるなんていう芸当は望めない。

そして頼りのアスカは入院中と、家の中を明るくする要素が何一つないのだ。

自分ひとりが下手に明るくしようとしても、ただ浮くばかりで雰囲気が変わらないのは確実。

故に、ミサトは中々家に戻る意欲が湧かないのだ。
しかし・・・・・・・いつまでもこの状態でいるわけにはいかない。

「・・・・ココでいくら考えてたって埒が空かないわよね・・・・・・よっしゃ!出たトコ勝負だ!!」

ようやく決心したミサトは、ドアを勢い良く閉めるとマンションのエントランスへと入り、自宅へと向かった。

人気のないマンションの廊下に、自分のヒールの音が響く。

そして、玄関の前で深呼吸をすると、ドアを開け、大声で言った。

「たっだいまぁ~~~!!ミサトさんのお帰りよぉっ!!」

その声を聞きつけたのか、パタパタとスリッパの音を鳴らしながらレイが玄関に迎えに出てきた。

レイはTシャツにジーンズ、その上からエプロンという姿。

「・・・・おかえりなさい、ミサトさん。」
「ただいま、レイ。今日はあなたが食事当番だっけ?」
「シンジ君です。私は手伝いを・・・・・」
「そっかぁ・・・・久々にシンちゃんの手料理ってワケね♪」
「・・・・もう少しで仕度できますから、着替えて待っててください。」
「りょーかい♪」

ミサトは玄関を上がると、ジャケットを脱ぎブラウスのボタンを外し始めた。女所帯なので(シンジはこの際無視)、かなりだらけていると言えなくもないが。

台所では、シンジが皿に盛り付けを行っている最中だった。

「たっだいまぁ、シンちゃん♪今日のメニューはなぁに?」
「おかえりなさい・・・・・って、何てカッコしてるんですかぁっ!?」

ジャケットはレイに持たせ、ブラウスの前はほぼ全開。白い肌、そして大人の色気たっぷりの下着・・・・・・モロ見え。

ミサトはシンジが恥ずかしがっているものと思い、ニヤリと笑いながら畳み掛ける。

「あ~らぁ、いつものコトじゃない♪それとも・・・・・・変な気起こしちゃったぁ?」
「・・・・・・・・・・」

シンジは恥ずかしがっている・・・・というよりは呆然としているように見え、そして、何故か視線がリビングに向けられていた。

そこでなんとなく違和感を覚えるミサト。

「なぁによぉ?誰か来ていると・・・・で・・・・・・・・・もぉ!????

ミサトはリビングを見た。

そして・・・・・・・・・ソファに座りながら視線を明後日の方向へ向けている男に気付く。
制服。

髭。

サングラス。

微かに紅く染まった頬。

自分の上司であり、NERVを統括する最高責任者・・・・・・・碇ゲンドウそのヒトである。

『な・・・・・・なんで司令がココに・・・・・あ、シンちゃんが心配だからってコト・・・・・・・・納得いくわね・・・・・・・・でも、なんで頬が紅い・・・・・・・・・って・・・・・・・・私・・・・・・・・・』

一瞬固まる身体、そして視線は自分の胸元へ。

「キ・・・・・・・キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!

大音響と共に閉じるミサトの部屋の襖、取り残された3人。

シンジは、そっぽを向く父に声を掛けた。

「あ・・・あの・・・・・父さん?

えっと・・・・・ミサトさんも家に帰ったからってリラックスしてるだけなんだよ・・・・・・だから・・・・・・その・・・・・・・・・」
「・・・いや・・・・・・・問題無い。」

何故かシンジとゲンドウは、耳まで真っ赤に染めていた。

福音ヲ伝エシモノ    

其ノ壱拾六:シンジ(弐)    

 

「「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」」

葛城家、リビング。

ハッキリ言って、完全に気まずいムード。
着替えから戻ってきたミサトは、先程のショック、そして上司がいる手前おおっぴらにビールが飲めないという二重苦(?)に喘いでいる。

ゲンドウ、レイは元々無口のため、この場で話し始めることなどしない。

残るはシンジだが・・・・・・彼はおさんどん終了直後という事もあり、リビングに入ったばかり。あまりに重苦しいムードに何も言えそうもなかったが、なんとか言葉を口に出す。

「あ・・・・・あの・・・・・・ご飯、冷めちゃいますよ?」
「え?あ・・・・・そ、そうね。頂くとしましょ?」
「じゃ・・・・いただきます。」
「「「・・・・いただきます。」」」

カチャ・・・・・カチャカチャ・・・・・・・・

空気が重い。

聞こえてくるのは食器が触れ合う音のみで、誰一人会話をしようともしない。
まぁ、仕方がないコトではあるが。
ふと、シンジがいつもとは違うミサトに気付く。彼女の目の前にえびちゅがないのだ。

「・・・あの・・・・・・・ミサトさん?」
「・・・・・・・何かしら?」
「今晩はビール、飲まないんですか?」
「う・・・・・・・・・」
「・・・・・・ビール、かね?」
「う゛・・・・・・・・・・・」

シンジの言葉に箸の手を止め、ミサトを見るゲンドウ。睨んでいるわけでもなんでもないが、ミサトにとってはカエルの前に立つヘビのようなモノ(笑)。

額から大汗を垂らし、完全に固まるミサト。

そんなミサトに、シンジが助け舟を出す。

「ちょっと・・・・父さん!『今日は上司ではなく、父親としてココへやって来た』って、さっき言ったろ?

だったら、ミサトさんに対してもそんな態度取らないでよ。」
「いや・・・・・私はそのつもりはない。」
「でもさ、睨んでいるようにしか見えないよ?」
「そうか・・・・・済まなかったな、葛城君。ただ・・・・・・・ビールを飲むのなら、私も相伴に与ろうと思ったまでなのだ。」
「・・・・・へ?司令もお飲みになるンですか?」

思わぬゲンドウの言葉に、呆けた表情になるミサト。

「・・・・・おかしいかね?」
「・・・・・あ、いえ。司令はあまり飲酒をするようには見えないもので・・・・・」
「人並みには飲む。・・・・・・で、今晩はどうするのかね?」
「ハイ、飲みます!」

シンジは二人のやり取りを聞いた後、スっと立ち上がって台所へと消えた。そして、戻ってくる手には二つのグラス、えびちゅが二本。

「ハイ、ミサトさん・・・・・・・父さんもどうぞ。」
「あ、サンキュ♪」
「うむ・・・・・・・」

ビールをグラスに注ぐと、どちらからともなく軽く乾杯のポーズを取り、一気に喉へと流し込んだ。

「・・・・くぅ~~~~~~っ!!!やっぱコレがなきゃダメよねぇ~~~~♪」
「やっとミサトさんらしくなりましたね(笑)」
「・・・・・・シンジ、彼女の飲酒はいつものことなのか?」
「えっと・・・・・・」
「・・・・・・ほぼ毎日です。一日の平均摂取量は3缶、一ヶ月だと・・・・・・」
「だぁっ、レイぃ!余計なコトは言わなくってもイイのよ(汗)」
「フッ・・・・・くっくっくっくっ・・・・・・・・」

突然笑い出したゲンドウに驚く二人(レイは除く)。

なにせゲンドウが笑ったところを見たこともないのだから、当然の反応だろう。

「し、司令・・・・・・どうなさったんですか?」
「・・・・そうだよ、本当にどうしたのさ?」
「いや・・・・・・この環境ならばシンジが変わったと言う事が頷けるものだからな・・・・・・」
「と、父さん・・・・・」
「変な意味ではないのだよ、シンジ。

葛城君には感謝している・・・・・・・君のお陰で、息子が寂しい思いをせずに済んでいるのだからな。」
「そんな・・・・・・」
「・・・・・これからも宜しく頼む。」

ゲンドウはサングラスを取ると、静かに頭を下げた。

ミサトにとって、これが2度目。そしてシンジは初めて父が他人に頭を下げるのを見た。

ミサトは両手を振って慌てながらゲンドウに言った。

「え、ちょっと・・・・・頭を上げてください、司令。むしろ感謝しなければならないのは私のほうなんです。

私が至らないばかりに、シンジ君やレイ、アスカに負担を掛けてしまっているのですから・・・・・・・保護者、失格ですよね。」
「そんな事ないですよ、ミサトさん。

ミサトさんがミサトさんだから、僕達はここで生活ができるんですから・・・・・・ね、レイ?」
「・・・・ええ。」
「二人とも・・・・・・・アリガト。」

目の端に涙を光らせながら、微笑むミサト。そして微笑み返すシンジ、レイ。

ゲンドウは目を閉じたまま、満足そうな表情でグラスを傾けていた。
ようやく場が和み、ミサトに余裕が生まれた。

そして、シンジがやけに落ち着いているのに気付く。

「・・・・そういえばシンちゃん、気分は落ち着いたようね?」
「あ・・・・ハイ。」
「・・・・・司令のお陰?」
「ええ・・・・・そうですね。父さんがいきなりここに来た時には驚きましたけど、色々と話を聞いてくれて・・・・・」
「・・・・・私はお前の話をただ聞いていただけだ。他に何もしてはおらんよ。」
「でも、何もかも話す事ができたから本当に気が楽になったんだ。ありがと、父さん・・・・・・」
「・・・・・・礼には及ばん・・・・・・・・・私は・・・・・・その・・・・・・・・・・・父親だからな・・・・・・・・・」
「司令・・・・・・」

ミサトはゲンドウが照れているのを見て、羨望と微かな落胆を感じた。

家族ごっことは違い、まがりなりにも本当の、血の繋がった親子なのだ。

自分にはない『モノ』を持つ二人が眩しく見えた。

そして、それはレイも同じ。

かつて唯一の絆であった、ゲンドウ。

突然目の前に現れた新しい絆、そして今の自分にとって最も近しい存在のシンジ。

その二人の間には、他人が入る事のできない『絆』が存在しているのである。
ミサトは自分の感情を表に出す事はない。

だが、自分の感情がまだ把握できていないレイは、もやもやした気分をそのまま表情に出してしまう。

ほんの微かな表情の揺れ。

それに気付く事ができるのは・・・・・・・・・シンジただ一人であった。

「レイ・・・・・どうしたの?」
「・・・・・・わからないの。」
「わからない?」
「・・・・・・寂しい、のかもしれない・・・・・・」
「寂しいって・・・・・どうしてさ?」
「シンジ君やアスカ、ミサトさんは私の事を『家族』と言ってくれた・・・・・・それはとても嬉しい事・・・・・・・・・。

でも、あなたと司令の間には・・・・・・それとは別の『絆』があるの。

そこに私が加わる事はできない・・・・・・・だから、寂しい、と思う・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

シンジは何も言えなかった。どう言えばいいのか、どう慰めればいいのか・・・・・・わからないのだ。

言いようのないもどかしさにシンジの顔が歪む。
そんなシンジを助けたのは、ミサトではなく・・・・・・・・ゲンドウだった。

俯き加減のレイに、ゆっくりと、諭すような口調で話し掛けるゲンドウ。

「・・・・・・レイ。」
「・・・・・・ハイ。」
「・・・・・・お前はユイの魂が眠るエヴァから生まれた。そうだな?」
「・・・・・・ハイ。」
「つまり・・・・・・・お前はユイの、私の娘であり・・・・・シンジにとっては妹でもある。

私達は、正真正銘の親子だと言っても良いのだよ。だから・・・・・・寂しく思う事はない。」

レイはゲンドウの口から出た言葉に驚き、文字通り目を丸くして顔を上げた。

今まで見た事のない、優しい瞳が自分を見つめていた。

「私はこれ迄に・・・・酷い仕打ちを与え続けてきた。全ては自分の目的の為に、お前を・・・・ヒトとしてでなく、モノとして扱ってきたのだ。

だが・・・・・・お前はここで生活する事により家族を・・・・・絆を得た。ヒトとして生きていく事を自ら選択したのだ。

・・・・・・そして感情が芽生えた。

寂しいと言う気持ちも、全てここでの生活で教わったものなのかも知れんな。」
「・・・・・そう、だと思います・・・・・・・」
「・・・・・・今迄の事に関し、お前には詫びても詫びきれる事が無いのは承知の上だ。

私に対し憎悪がありすれ、好意が無いと言う事も踏まえて・・・・だがな・・・・・・・。

もし、先程の理由で寂しさを感じるようなら・・・・・・私の事は無しとしても、シンジと己の間には他人が破る事の敵わぬ絆がある、と思えば良い。

最早私の目的は霧散した。

お前を縛るものが無くなった以上、お前は自由に考え、行動しても良いのだよ、レイ・・・・・」

初めて聞くゲンドウの言葉。

心に染み入るほどに温かみを持った、綾波レイという『ヒト』に向けて発せられた言葉・・・・・・・。
レイの頬に涙が伝う。

暖かい、涙が。
シンジはレイをそっと抱き寄せると、ゲンドウに視線を向けた。

「・・・・父さん・・・・・・・ありがとう。

僕とレイは・・・・・・・・・・・・・父さん、母さんの子供なんだね。」
「・・・・・ああ。」

ミサトは思わず目を細めた。

今までで一番輝いている笑顔を、シンジが見せたから。

自分が抱く『父親』というイメージが、ゆっくりと溶けていくような気がしたから。

嬉しさに、目頭が熱くなるのを感じたから。

静かに時が過ぎていった。

 


 

食事を終えた後の玄関先。

ゲンドウが本部へ戻るという事で、全員が見送りに出ていた。

「司令、本日は誠にありがとうございました。」
「いや・・・・・パイロットのケアが必要だと知った以上、司令として当然の事だ。

・・・・・・それに、今晩は一個人としての来訪だからな、礼はこちらが言わねばならん・・・・・・ご馳走になったよ。」
「父さん・・・・・・」
「・・・・シンジ。まだやらねばならん事は山積している。だが、焦るな・・・・・・・お前には多くの支えがあるのだからな。」
「・・・・・ハイ。」
「明日になったら病院へ行け。アスカ君を救えるのはお前だけだ、と赤木博士も言っていたからな・・・・・」
「リツコ・・・・・・」
「・・・・・・葛城君、今後とも子供達を宜しく頼む・・・・・・では、私は本部に戻る。」
「はっ・・・・失礼します!」
「ありがとう、父さん・・・・・おやすみなさい。」

各々が別れの挨拶をする中、レイだけが何も言わずにシンジの背後で隠れるように立っていた。

シンジは自分の身体をずらし、レイをゲンドウの前に立たせた。

「・・・ほら、レイ?」
「・・・・・・無理する事は無い。私は・・・・」
「・・・・・いえ、あの・・・・・・・・おやすみ、なさい・・・・・・」
「・・・・・ああ。」

ゲンドウは二人の頭を撫でるように触れると、踵を返して玄関を出て行った。

シンジがその後を追い掛け、ミサトは何も言わずに部屋へと戻っていく。
そして、ただ一人残ったレイ。

先程までゲンドウが立っていた空間に向かって、彼女は呟いた。

誰にも聞かれる事なく。
それは、シンジが、ゲンドウが・・・・・・誰よりもレイが望む言葉だった。

「・・・・・・お・・・とう・・・さん・・・・・」