第三新東京上空に唐突に現れた第壱拾弐使徒・レリエル。
黒と白の模様のついた、巨大な球体。
地面を覆うように伸びた、漆黒の影。
誰がどう見ても宙に浮く球体が本体であると考えるだろう。
だが
「あの影が使徒の本体で、球体が影なんて……非常識も甚だしいわね!」
「使徒に常識を求めるほうが、よほど非常識なんじゃなくて?」
「………言葉のアヤでしょぉ………余計なツッコミしなくったって……」
アッサリとした口調ながら、なかなかキツい一言を浴びせ掛けるリツコ。
への字ジト目のミサトなど意にも介さず、発令所の巨大モニターに映し出された使徒を見つめたまま呟く。
「直径680メートル、厚さ約3ナノメートルの極薄の空間を内向きのATフィールドで支え、内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間。
上空の物体は本体の虚数回路が閉じれば消える………影にすぎないわ。
国連軍がいくら攻撃しても税金の無駄遣いになるだけね」
「で、有効な攻撃方法はあるの?」
「あなたもその目で見てたでしょ?
N2を1ダースばかり投入しても、全て飲み込まれて終わり。
外部からの攻撃は一切効果ないわね」
「でも、内部から攻撃するわけにもいかないでしょ?」
「………パイロットの生死を問わず、と言うのなら可能だけど?」
「ちょ、リツコっ!?」
「冗談に決まってるでしょう?
それに、攻撃方法が無いなんて一言も言っていないわ。
現存する全てのN2爆雷を中心部に投下、タイミングを合わせてエヴァのATフィールドを使徒の虚数回路に1000分の1秒だけ干渉させる。
その瞬間に爆発エネルギーを集中させて、使徒を形成するディラックの海ごと破壊。
現在、可能と思われる唯一の方法よ」
「じゃ、それでいってみれば?」
「でもね、MAGIによる成功確率は………初号機の起動率よりも低いのよ」
「でも、ゼロじゃないんでしょう?
アンタが言ってた台詞よ、忘れたの?」
「………そうね、取り敢えず上申してみるわ。
後は司令がどう判断するか………」
リツコは小さな溜息をついた。
すぐ横にいるミサトにさえ気付かれないくらい、小さな。
リツコの提案通り、N2爆雷による第壱拾弐使徒・レリエル殲滅作戦が開始された。
上空に国連軍の爆撃機、周囲にはエヴァ三体。
己が包囲されているにも関わらず、使徒は依然として動きを見せない。
不気味な沈黙が、発令所内の緊張を高めてゆく。
「エヴァ各機、所定の位置に到達」
「兵装ビルの稼働率、96.5%」
「国連軍より入電。
変更がない場合、予定通り一三〇〇に爆雷投下を行うとの事です」
慌しく動き回るオペレータ達。
ゲンドウ、冬月の二人は一段高い司令席からモニターを見据えていた。
ミサトは腕を組み、静かに目を瞑ったまま。
後方からディスプレイを覗き込みながら、リツコはマヤに問い掛けた。
「どう、マヤ?」
「初号機のシンクロ率……低いですね、ハーモニクスも若干乱れが生じているようです。
零号機・弐号機については問題ありません」
「………やっぱり、ね」
「この状態だと、初号機の機動率は通常の60%程度しか見込めません」
「ミサト!!」
リツコは作戦部長であるミサトを呼びつけた。
「どうかした?」
「シンジ君だけど、今回はバックアップ要員としてしか使えないわ」
「そう……」
「今回の作戦はタイミングが最重要よ。
今のシンジ君では、それに合わせられるかすら………」
「わかったわ、私から通達すれば良いのね?」
「………お願い」
「誰一人死なせたくはないから、ね。
日向君、回線開いて!!」
ミサトの凛とした声が発令所内に響く。
モニター上に、3つのウインドウが開いた。
「3人とも、いいかしら?
ブリーフィングで説明した通り、一三〇〇に爆雷を投下するわ。
あなた達は号令と同時にATフィールドを展開、着弾するタイミングを見計らって使徒本体に対しフィールドをぶつけなさい。
アスカ、レイの二人で攻撃、シンジ君はバックアップ……良いわね?」
『『了解』』
『………』
「ちょっとシンジ君、ちゃんと聞いてるの!?」
『………聞いてます』
「シャキっとしなさい、シャキっと!!
敵は目前なのよ!?」
『………わかってますよ』
返答しながらも、シンジの目は虚ろ。
ミサトとリツコの表情に、ほぼ同時に微かな影が浮かんだ。
「ねぇ、ホントに大丈夫なの?」
『大丈夫だってば………心配かけて、ゴメン』
「無理しないで待機したほうがイイんじゃないの?」
『でも……出撃命令が出てるし』
「そンなの関係ないわ。
それで死んじゃったりしたら元も子もないのよ?」
『そういう判断は僕たちがするものじゃないだろ?
……ミサトさんやリツコさんを信じなきゃダメだよ』
「それは………そうなんだけど………」
アスカは守秘回線を開いていた。
勿論、相手はシンジだ。
何せ丸2日も顔を合わせていなかったのだから、アスカの心配は臨界点寸前。
シンジも心配を掛けたが故、無碍な態度をとることはできない。
「……ねぇシンジ、2日間も一体ナニしてたの?」
『………』
「…アタシにも言えないの?」
『………ゴメン……』
「ンもう、シンジはいっつもそうなんだから。
自分ひとりでなんでも背負い込んじゃってサ………」
『…でも』
「デモもストライキもないわよ!!
何度言わせれば気が済むのよ?アンタは一人じゃないんだって!」
『わかってるよ、そんな事……』
「いーえ、わかってないわよ!!
アタシとレイがどれだけ心配してたかわかる?
レイなんかただでさえ食が細いっていうのに、この2日間はほとんど何も食べなかったンだから!!」
『だから……悪かったって謝ってるじゃないか』
「謝れば済むってモンじゃないでしょぉ?」
『………』
「ま、今は待機中だからこれ以上は言わないけど………後でちゃんと説明してよね?イイ??」
『……これは僕自身で解決しなきゃ駄目なんだよ』
「まだそンなコト言うワケぇ?」
『……仕方ないじゃないか』
「まったく強情なンだから」
『………』
「……わかったわよ、無理にとは言わないわ。
でも、アタシに『もう、放っといてよ!!!』」
「…………しん……じぃ?」
精神的に不安定なシンジが、ついに耐えかねるように爆発した。
レバーを握り締めたまま、肩を震わせ俯くシンジ。
普段温厚な彼は、大声を出すような事はほとんどなかった。
そして、シンジは一方的に守秘回線を閉じた。
初めて見るシンジの姿に、声を無くすアスカ。
彼女は知らない。
寝不足で通常の精神状態ではないシンジの事を。
僅かな睡眠につく都度、夢に出てくる渚カヲルの『最後』のシーンによって乱されている彼の心を。
それ故。
その事実だけがアスカの頭を埋め尽くす。
じわじわと心の中を影が覆っていく 『恐怖』という影が。
アスカの脳裏に蘇る過去。
シンジを、すべてのヒトを拒絶し、孤独感を味わった自分。
廃墟のバスタブで、病室のベッドで、機雷による攻撃を受けながらも動かぬ弐号機の中で、そして量産機によって陵辱された時に味わった 恐怖。
インダクション・レバーから手が離れ、だらりと落ちてゆく。
アスカの瞳から、急激に光が消えてゆく。
間もなく作戦開始、と告げる日向の声も、二人の耳には届いていなかった。
「弐号機のシンクロ値、ならびにハーモニクス値が急激に低下しています!!!」
「「なんですってっ!?」」
マヤからの報告に、リツコとミサトは同時に反応した。
二人とも焦りの色を隠さず。
「くっ・・・・・・時間がないって言うのに!!」
「マヤ!!何があったの?!」
「シンジ君とアスカは守秘回線を使用していた模様……会話の内容は不明!」
「シンジ君!!アスカ!!!もう時間がないのよ!!??」
既に作戦開始時刻までは3分を切っている。
そんな時に起こったアクシデント。
ミサトはマイクを千切れんばかりに掴んで叫んだ。
その時だった。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
突然、発令所内に響いたシンジの叫び声。
「な……シンジ君!?」
『うわっ、うわっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
「シンジ君、返事をしなさい!
シンジ君!!」
ミサトの問い掛けにも応えることのないシンジ。
聞こえてくるのは、悲痛な叫び声だけ。
「くっ………作戦中止!!
エヴァ各機の回収、並びに国連軍への通達を急いで!!!」
一瞬のうちに作戦続行は不可能と判断し、指示を飛ばすミサト。
動揺を隠せないながらも、オペレータ達は懸命に各自の作業をこなしてゆく。
そんな状況にさらに追い討ちをかける出来事が、起きた。
「使徒が初号機の真下に移動しました!!」
「なんですってぇっ!?」
「初号機、使徒の内部へ沈降中!!!」
モニターに映る初号機。
その膝までが、ディラックの海の中へ飲み込まれていた。
初号機に繋がるアンビリカルケーブルを、何時の間にか零号機が握っていた。
『シンジ君!!脱出してっ!!!』
「レイ!?
止めなさい、あなたも巻き添えを食うわ!!」
「アスカぁっ!!!」
ミサトが、リツコが声の限りに叫ぶ。
が、アスカはエントリープラグの中で頭を抱えたまま、身動ぎすらできない。
懸命にケーブルを引き上げようとするレイ。
初号機は沈降スピードを緩めることなく、その姿を消していく。
そして、頭部までが完全に埋没した。
そして、突然。
重量感がなくなったと同時に、引き千切れたアンビリカルケーブルが宙に舞った。
「もう、放っといてよ!!!」
『…………しん……じぃ?』
アスカの顔を見る事ができなくなったシンジは、居た堪れなさを隠すように回線を切った。
急に静かになったエントリープラグ。
アスカの表情が頭の中に浮かぶ。
笑顔。
泣き顔。
怒った顔。
拗ねた顔。
たった今垣間見た、悲しみの顔。
胸が痛む。
アスカは自分を心配してくれているのに。
自分の事だけを見てくれているのに。
何故拒絶してしまったのか。
自分は何に怒りを感じているのか。
何に怯えているのか。
「……ふうっ………」
肺の中に残っていた僅かな空気を、溜息と共に吐き出す。
小さな気泡が、目の前で弾けて消えた。
「後でアスカに謝らな………?」
シンジの視線が、兵装ビルの屋上で止まった。
誰もいないはずなのに、人影が見えたような気がしたのだ。モニターを切り替え、望遠でビルを見直す。
そして、シンジは見た。
自分に向かってにこやかに微笑む『彼』を。
渚カヲルを。
「………うそ…………だ……………」
シンジの目は見開かれたまま、カヲルから視線を外せない。
カヲルの口が、笑みを絶やさぬままに動く。
いつものように、ポケットに手を入れたままのポーズで。
シンジは、口の動きから彼の言葉を知る。
「………ひさ………し………ぶ………り?
うわ………………わ………………………
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「初号機………完全に埋没………しました………」
マヤの力ない声が、発令所に木霊した。
誰一人、口を開く者はいない。
モニター上には
初号機を飲み込んだレリエルが
何事もないかのように
静かに佇んでいた。