其ノ七:タダイマ

第九使徒マトリエル、第十使徒サハクイエルによる同時侵攻が行われた日から一週間が経過した。

自身の研究室で、モニタに流れる数字の羅列に目を向けるリツコ。

驚くべきスピードでスクロールしていく画面。

素人目には、その数字が何を意図するものなのか理解可能なものではない。

やがてスクロールも止まり、最終行のところでカーソルが点滅を繰り返す。

「・・・・・ふぅ」

カーソルの手前に表示された数値を見つめながら、傍目にも明らかに落胆の表情を見せるリツコ。

細いワイヤーフレームの眼鏡を外すと、静かに目を閉じた。
ちょうどその時、軽い空気の排出音と共にドアが開いた。

「・・・・よぉ、塩梅はどうだい?」

「加持君・・・・・」

加持は片手に小さな紙袋を持ち、空いた方の手を小さく挙げた。

「レディの部屋にノックもなしで入室とは・・・・・マナー違反だったかな?」

「別に良いわよ、気にしてないから・・・・・ところで、何の用かしら?」

「・・・・ああ、葛城に頼まれてな・・・・陣中見舞いも兼ねて、さ。
どうだい?少し休憩しないか?」

「そうね・・・・」

物憂げに立ち上がりコーヒーサーバに向かおうとしたリツコを、加持がやんわりと制した。

「ああ、リっちゃんは座ってて。
ちょっとお湯、借りるぞ?」

「わかったわ」

リツコは応接用のソファにどさり、と身体を預けた。

目を閉じ、全身から力を抜く。

このところ仮眠もロクに取っていない所為か、身体がだるい。
ほんのりと良い香りが漂ってきたのは、その直後だった。

「・・・・お待たせ」

「・・・・ありがとう・・・・・・って、これ何?」

リツコの目の前に置かれていたのは、皿に載せられた黒い物体。

そして、寿司屋で出されるような、肉厚で大きな湯呑。

訝しげな表情を見せるリツコに、加持は何の気もなさそうに答えた。

「何って・・・・栗羊羹だけど?」

「そうじゃなくって・・・・私の部屋にはお茶の道具なんて無かったはずよ?」

「ああ・・・シンジ君お勧めの店でいい玉露が手に入ったんでな。
湯呑とかは俺が持ってきたんだよ・・・・ま、そんな事はいいから」

「・・・・そうね、頂くわ」

リツコは羊羹を楊枝で小さく切り、口にした。

ほのかな甘さが疲れた身体に心地良く広がる。

「・・・・美味しいわ」

「たまには和菓子ってのも良いだろ?」

「・・・・もしかして、コレも?」

「ああ、そうだ。
シンジ君がお茶請けに出してくれたのが気に入ってな・・・その店で買ってきた」

「・・・・中学生とは思えないわね、全く・・・・・」

「あの環境で揉まれれば、な」

互いの顔を見合わせ、苦笑する二人。

頭に浮かんでいるのは、共通の友人の顔である。

「・・・・で、どうなんだい?」

「正直、芳しくないわね。
過去にエヴァからのサルヴェージを行った事例は一つだけ・・・・・それも失敗例。
一応、その時のデータを元にして何通りかのシミュレートを行ってみたけど・・・結果は惨憺たるものよ。
最高でも5%に満たないわ」

「・・・・・そうか」

「とにかく現状把握ができないのが難点なの。
マヤの報告、聞いたでしょ?
初号機は生命維持モードのまま、外部からの信号は一切受け付けない。
エントリープラグ内のモニターは辛うじて生きているけど・・・・・何の役にも立たないわ」

「・・・・・シンジ君はサルヴェージの経験がある、って言ってたよな?」

「・・・・・ええ。
だけど、その時の状況が把握できないから・・・・・なんとも言えないのよ」

「だが・・・成功する可能性がある、っていうのは否定できないだろ?」

「そうね・・・・失敗する可能性も否定できないけど、ね」

リツコは湯呑のお茶を飲み干した。

それに気付いた加持は、自分の湯呑と共に持って席を立つ。

「もう一杯、飲むかい?」

「ええ、頂くわ」

茶漉しの葉を取り替えている加持の背中に向けて、リツコは問い掛ける。

「・・・『外』の様子はどうなの?」

「司令は副指令と共に南極さ、『拾い物』を受け取りに・・・・・な」

「・・・・大きな落し物だこと」

「葛城は司令代行みたいなモンだから、忙しく飛び廻ってる・・・・と言いたいところだが、細かいところは日向君に任せて自分はノンビリしているよ」

「ふふっ・・・・・ミサトらしいわね」

「一番心配だったのはアスカだが・・・・問題ないよ。
レイも葛城の家に泊まりこんでるしな。
良くあの司令が許可を出したもんだな、全く・・・・」

「・・・・あら、許可なんて貰ってないわよ?」

「・・・・・何だって?」

加持はソファに座りなおし、湯呑をテーブルの上に置いた。

「シンジ君のサルヴェージ計画に関しては、私が全権を委任されているわ。
アスカとレイの同居に関しても、私が必要だと判断したもの・・・・文句なんて言わせないわよ」

「しかし・・・・・」

「・・・あの二人にとって、今が一番大事な時期なの。
アスカはシンジ君と共存共栄・・・互いが支え合い、不足する部分を補い合う関係を築きつつあるわ。
でも、まだ完全ではない・・・・大部分がシンジ君頼りなの。
もし、その支えが突然消滅したら?
彼女は精神的に脆い部分があるから、支え合う相手が必要なのよ・・・・・・それが仮初めだとしても」

「確かに・・・・な」

「その相手として、レイが適任なのよ。
あのコも感情が芽生ええつつあるわ・・・・・最近表情が豊かになったでしょ?
自我の形成が進んでいる証拠ね。
そして、それは・・・・あの人が最も恐れる事でもあるの。
あなたも知っての通り、レイは私達が作り出した・・・補完計画のための『パーツ』よ。
部品に感情は不要・・・だから、あのコをヒトから遠ざけた。
来るべき『審判の日』に、裏切る事も拒否する事もないよう、意思を封じて・・・・
でも、シンジ君とアスカはレイに感情をもたらしたわ。
この苦しい日常の中、共に生きる喜びを・・・・ね。
レイにとってあの二人は必要不可欠な存在、どちらかが欠けても駄目なの。
シンジ君という支柱がいない今だからこそ・・・あの二人を引き離すわけにはいかないのよ」

「・・・・リっちゃんの言葉に間違いは無い、その行動にもね。
だが・・・・・司令がどう出るか・・・・」

「・・・・・・・・・・」

二人にとってゲンドウは計り知れない存在。

そして、自身の目的のためならどんなに厭わしい事でも平然とやってのける男なのだ。

二人の口は自然に重くなり、会話は途切れる。

だが、突然の電話が沈黙を破った。

「・・・・・はい、赤木ですが?」

『あ、先輩!?大至急発令所に来て下さい!』

「ちょっと、マヤ?事情を説明してくれないと・・・・」

『説明は後です、とにかく早く来て下さい!!
私では対処できかねるんです・・・・』

「・・・・わかったわ」

リツコは受話器をフックに戻すと、ソファに掛けておいた白衣の袖を通した。

「どうした?」

「詳細は不明・・・・・でも、様子が変なの。
とにかく発令所に向かうわ」

「俺も必要かい?」

「・・・そうね、お願いするわ」

「了解・・・・と」

加持はテーブルの上もそのままに、リツコと共に廊下へ出た。

二人は無言のまま、早足で発令所へと向かう。

微かな不安を胸に。

福音ヲ伝エシモノ    

其ノ七:タダイマ    

 

「マヤ!一体何が起きたの?」

発令所に着いたリツコと加持は、真っ直ぐにマヤの元に向かった。

中にいるのは、ミサトとマヤの二人だけ。

「初号機に残っているログを解析しようと、回線を開いたんです。
そうしたら・・・・とにかく、コレを見てください」

マヤはコンソールから身を離し、リツコのスペースを作った。

モニタ上に浮かぶ文字を、リツコは見た。

『そこに誰かいますか?』

『いたら返事をしてください』

『ぼくは碇シンジです』

 

「・・・・・これって・・・・・・・」

「間違いなく発信源は初号機です。中にいるシンジ君からのメッセージでは・・・・」

「・・・・・取り敢えず、返信してみるしかないようね」

リツコはキーボードを叩く。

まるでチャットのように、会話が成立していく。

 


 

「赤木です。あなたは本当にシンジ君なの?」
『そうです』
「どうやってコンタクトを?」
『エヴァに直接働きかけています』
「無事なのね」
『はい』

『ところで、お願いがあります』
「何?」
『綾波を・・・素体をケージに連れてきて下さい』
「どういう事?」
『詳しい事は後で説明します』

『あまり時間がありません』
「レイの素体が必要なのね?」
『そうです』

『エントリープラグを排出するので、中に入れて下さい』

『お願いします』
「十五分後にケージへ行くわ。」
『ありがとうございます』

 


 

最後のメッセージがコンソールに映し出された後、回線は一方的に切断された。

事態を把握できていないミサトが、リツコに詰め寄る。

「リツコ、どうなってるのよ!?」

「わからないわ・・・・今はシンジ君の言う通りにするしかないわね」

「・・・・そうね・・・・・」

「ミサト、私と一緒に来て。
レイを搬送するのを手伝って頂戴」

「わかったわ」

「マヤ、あなたはケージを閉鎖して・・・・・理由は何でも構わないわ。
その後、ここで監視を継続。
もし変化が起きた場合は、すぐに私に連絡を。
良いかしら?」

「・・・・・・わかりました」

「聞きたい事は山とあるでしょうから、加持君から説明を受けて。
良いわね、加持君?」

「・・・・ああ」

「ごめんなさいね、マヤ・・・・あなたまで巻き込むような形になって・・・・」

「・・・・・・私、先輩を信用してますから」

「・・・・ありがとう」

「時間がない、急ぐんだ!」

加持の一言で、全員が行動を開始した。

リツコとミサトは、エレベータで階下へ。

マヤはマイクに向かって言った。

「ケージ内で作業中の各員に技術部より通達します。
ただ今からケージを閉鎖しますので、作業を中断し十分以内に退出してください。
繰り返します、こちらは技術部・・・・・」

 


 

それから十五分後。

ケージへと到着したミサトとリツコが見たものは、既に排出された初号機のエントリープラグ。

そして、その下に佇む加持の姿。

ふたりは目を見つめて頷きあうと、即座に二手へと分かれた。

リツコは発令所へ、ミサトはストレッチャーに乗せたレイの素体を加持の元へ。

加持はレイの身体を軽々と抱き上げ、階段を駆け上がっていく。

そして、プラグの中へ静かにレイを沈めた。

プラグのハッチを閉め、初号機から離れる加持。

それとほぼ同時に、プラグは初号機の中へ飲み込まれていった。

「・・・・・何が起こるの?」

「さぁな・・・・」

初号機の目に一瞬、光が点った。

 


 

発令所に着いたリツコは、マヤに現況を求める。

「どう、マヤ?」

「つい先程ですが、初号機によりプラグがイジェクトされました。
生命維持モードに変化はありませ・・・・・あ、プラグの再エントリ-を確認!
ノーマルモード起動開始、双方向回線、開きます・・・・・シンクロ率・・・・急激に下降しています!!」

マヤはキーボードを滑るような指使いで叩いていく。

「シンクロ率80・・・40・・・・・20・・・・・・0%・・・・・です。」

「どういう事!?」

「・・・・・原因は不明・・・・・計測誤差は認められません」

「・・・・とにかく、サルヴェージだけは上手くいったようね」

「・・・・・はい、エントリープラグ内に異なる二つのパルスを検出しています」

「シンジ君と・・・・レイ・・・・・か・・・・・」

リツコは小さく溜息を吐いた。

結局、シンジは自力でサルヴェージしたのだ。

自分がこの一週間、ほぼ不眠不休でシミュレートを繰り返し、満足できる結果を求める事が出来なかったにも関わらず。

自分がやって来た事は無駄足に過ぎなかったのか?

押し黙ってしまったリツコに、マヤが心配そうな表情で問い掛ける。

「・・・先輩?」

「・・・・・あ、ごめんなさい。
とりあえず初号機の電源をカット、冷却作業に入って頂戴。
それと・・・・これまでのログは全て削除して、私のところに転送してくれる?一切、証拠は残さないようにね。
全ての作業が終了したら、青葉君か日向君を呼びなさい。
あなたと交代してもらうから」

「わかりました」

マヤは黙ったまま、コンソールに向かっている。

その背中に、リツコは問い掛けた。

「・・・・・・・私の事、軽蔑した?」

「・・・・行為そのものは決して許されざる事だと思います。
でも、私の気持ちに変わりはありません・・・・・先輩を信じてますから」

「・・・・・ありがとう、マヤ・・・・・」

リツコはマヤの肩にそっと手を置いた。

発令所に、キーボードを叩く音だけが響いていた。

 


 

異常なしと診断されたシンジは、検査を終えてからすぐに病院を出た。

蒼髪の少女は2・3日の加療が必要となり、そのまま入院している。

そしてミサトの運転するアルピーヌに乗り、まっすぐマンションに戻ってきたのだ。

「・・・・・一週間振り、かぁ・・・・・」

コンフォート17マンション、1102号室の前。

ドアを見ながら、思わず呟くシンジ。

シンジの肩に手を添え、ミサトは顔を覗き込んだ。

「・・・・・約束、守れたわね?」

「・・・・・はい」

「さ、お姫様達が首を長くして待ってるわよ?」

シンジはミサトに向けて笑顔で頷く。

ミサトもまた、笑顔。

ミサトはゆっくりとドアノブを回した。

「たっだいまぁ~~~~♪」

「・・・あれぇ、ミサト?」

リビングの方から聞こえたアスカの声。

廊下の電気が点き、パタパタとスリッパの音を響かせながら歩いてくる。

「なによぉ、帰って来るなら連絡ぐら・・・・・・・え?」

アスカの動きが止まった。

ミサトの背後に立つ、シンジの姿を見て。

シンジはゆっくりとアスカに歩み寄る。

「・・・・アスカ、ただ「ストップ!!」」

「・・・・・え?」

「ちょっと待ってなさい!!動くんじゃないわよ!?」

キョトンとするシンジを余所に、部屋に掛け込むアスカ。

シンジは小声でミサトに聞いた。

「・・・・連絡、してなかったんですか?」

「ちょっち驚かせようと思ったんだけど・・・・ははは(^^;;;」

「・・・・・はぁ・・・・・」

間もなく、アスカはレイの手を引いて戻ってきた。

驚きの余り、レイの目が見開かれていた。

「・・・・アタシ達、シンジが帰って来たら一緒に出迎えるって約束したの。
そうでしょ、レイ?」

「・・・・・うん・・・」

「だから・・・・お帰り、シンジ!」

「碇君・・・・・お帰りなさい・・・・・」

二人は約束通り、シンジを笑顔で出迎えた。

「ただいま。
遅くなっちゃって、ゴメン。
だけど・・・・・約束、守れて良かった」

にっこりと微笑み返すシンジ。

そして、その笑顔を見た途端にくしゃくしゃと表情を崩し、二人はシンジの胸に飛び込んだ。

「ばかばかばかぁっ!!・・・・・・心配・・・・してたんだからぁっ!!!」

「・・・・碇君・・・・・・・無事で・・・・・・・・本当に良かった・・・・・・」

シャツに涙が染み込んでいく。

だが、少しも不快ではない。

それは、喜びの涙だから。

シンジに対して溢れ出した、二人の心だから。
シンジは二人の肩をそっと抱き締めた。

「・・・・・ゴメン、そしてありがとう・・・・・二人とも・・・・」

そんな三人を、ミサトは暖かく見守っていた。

良く出来た『弟』とお転婆な『妹』、そして新たに加わった物静かな『妹』。

その三人の『姉』として。
こうして、一週間振りに葛城家の『家族』が揃った。

 


 

その日、碇ゲンドウの元にサードチルドレンのサルヴェージが成功した、という報告が届いた。

しかし、もう一人の少女に関する報告は一切なし。
彼らが彼女の存在を知るのは、この日から更に一週間後の事だった。