第三新東京市内の、とあるバー。
週末の夜ともあり客の入りは上々、空席は見当たらない。
そんな店のカウンターで、ストゥールに腰掛け談笑する長髪の男、そして美女が二人。
時折笑顔を見せつつも、会話の内容はその雰囲気にまったくそぐわないものであった。
何杯目かのグラスをテーブルに置きつつ、黒髪の女性 ミサトが加持に視線を向けた。
「・・・正・副・予備の全電源に対する物理切断、及びダミープログラムによるMAGIへの隠蔽工作ねぇ・・・随分エグい真似をまぁ・・・・・・・・・
アンタの事だから、もう準備は済ませてるんでしょ?」
「ん・・・まぁ、な」
「いつなのよ?」
「明後日だ」
「明後日ぇ?!」
ミサトは驚きの余り声を荒げるが、加持はそれを目で制する。
怒りを露にしながらも、ミサトは声を低くして会話を続けた。
「なんでそんな・・・・もっと早く言わないのよ!?」
「仕方ないさ、定期点検前でなきゃ発見される確率が高くなるだろ?
・・・・それに俺はしがないサラリーマンだ。雇い主の指示には逆らえんよ」
「それはそうだけど・・・・・ねぇリツコ、本部の稼動率はどれくらいになりそう?」
「・・・・良くて3%かしら?」
「たったそれだけ?」
「生命維持装置への電源供給をカットして、全てをMAGIに回したとしてもその程度でしょうね」
「はぁ・・・それでどーすンのよ?」
「適当な理由をつけて点検を明日行う事にするわ。
最低でも一系統は確保しないと・・・・・」
「そうね・・・リツコに任せる他にないわね。
加持君は?」
「俺かい?西瓜の世話でもしているさ。
諜報部の俺がする事は何もないからな・・・・・」
「・・・・アンタに聞いたあたしがバカだったわ・・・・・」
「そう言うなって・・・・俺だって心苦しいんだ。
面倒事を全てシンジ君達に押し付けてるわけだからな・・・・・・」
加持は新しいタバコを咥え、火を点けた。
慣れ親しんだタバコの味が、殊更に苦く感じた。
其ノ五:クラヤミ
二日後、第壱中学校。
シンジ、アスカ、レイ、トウジ、ケンスケ、ヒカリの六人は屋上に集まっていた。
このところ、昼食は屋上で食べる事が多くなっていたのだ。
因みにアスカ、レイはシンジの、トウジはヒカリの手作り弁当。
ケンスケだけが購買で買ったパンである。
「いーよな、三人とも・・・・専属の料理人がついてるからさ」
「羨ましがるくらいなら自分で探せばいいじゃない?
女のコ追っ掛けるのは得意でしょ、アンタは・・・・・」
一人落ち込むケンスケに突っ込むアスカ。
ヒカリはケンスケの言葉に反応して、頬を真っ赤に染めたまま俯いてしまった。
「・・・あたしは・・・ちょっと作り過ぎちゃったから、捨てるのが勿体無いって言うだけで・・・」
「・・・・でもさ、毎日作り過ぎるっていうのも無理があるんじゃない?
いーかげん素直になったらぁ?家事が得意なヒカリ様♪」
「・・・そんな・・・・・・」
耳まで真っ赤にしているヒカリ。
そんなやり取りを聞きながらも、トウジは勢い良く弁当に箸を突っ込んでいた。
だが、その頬が紅くなっているのはご愛嬌というところか。
そんな楽しげな輪の中に入っていないのが二人、シンジとレイである。
レイはいつもと変わらず無口なだけだが、シンジは明らかに様子が違っていた。
箸を口に向け動かしてはいるが、時折考え込むようにその手が止まる。
そんなシンジを見て、ケンスケが顔を覗き込むように言った。
「どうしたんだよ、シンジ?何か悩み事でもあるのか?」
「あ・・・・いや、何でもないよ」
「何やぁ、水臭いのぉ・・・・・ワシらにも言えんコトなんか?
相談事なら乗るで?センセ・・・」
「うん・・・ありがとう、ケンスケ、トウジ。
実はさ、ミサトさんが帰って来れないんだ・・・昨夜も泊まりだったし」
「・・・・何か問題でも起きてるのか?」
「ちょっと・・・・ね。
でも、それ以上は言えない・・・ゴメン」
シンジには今日、使徒が来る事がわかっていた。
だが、そんな事を言えるはずもない。
そんな彼が唯一できるのは曖昧に笑う事だけ。
「そっか・・・・・でもさ、シンジが悩んでたってどうしようもないだろ?」
「それはそうなんだけどね・・・・手伝いもできない自分が歯痒くって、さ」
「そんなん悩んでたってしゃぁないやろ、出来んモンは出来ん。
センセはセンセにしか出来ひん事をしたらええやん?」
「そうよ、シンジ!ミサトやリツコに任しときゃいーのよ!!
そんな辛気臭い顔してたら、折角のお弁当も美味しくなくなるわよっ!!」
箸をシンジに突きつけ、言い放つアスカ。
しかし、アスカもシンジと同じくこの後の予定で頭が一杯だった。
学校が引けた後すぐに本部へ向かい、停電になる前にケージで待機する。
そして、使徒を迎え撃つ。
第九使徒、マトリエルは難敵ではない。
前回は、三機のエヴァによるコンビネーションプレイであっさり殲滅した相手なのだから。
だが、不安がないとは言いきれない。
今までと同じとは限らないのだから。
そしてヒカリもまた、アスカが空元気を出している事に何となく気付いていた。
どことなくいつもと違うアスカの様子を、敏感に感じ取っていたのだ。
親友のそんな姿を見たからこそ、その場の雰囲気を盛り上げるために一役打とうとする。
「いいの、アスカ?不味くなるなんて言っちゃって?」
「そりゃあ・・・・・・・シンジの作ったモノなら美味しくないなんてコトないケドさ・・・」
「フフッ、そうよね・・・・・碇君が作ってくれたお弁当ですもんね♪
・・・あなただってそうでしょ、綾波さん?」
「・・・・・え?」
突然話を向けられたレイは、キョトンとした顔でヒカリを見た。
「・・・私?」
「そうよ・・・・碇君のお弁当、美味しいでしょう?」
「・・・ええ、とても美味しい」
「でしょう?あなたの表情を見てればわかるわ・・・・嬉しそうに微笑んでいるんですもの」
「・・・・私、笑ってるの?」
「そうよ・・・ヒトってね、幸せを感じるときには自然に顔が綻ぶもの・・・・とてもいい笑顔よ、綾波さん」
「・・・・今の気持ちが・・・・・・幸せという気持ち・・・・・」
「そうよっ、レイっ!コレはアタシ達だけの特権なンだからっ!」
アスカはヒカリの心遣いが嬉しかった。
だからこそ、笑顔をレイに向ける。
親友の気遣いを無駄にしないためにも。
そんなアスカに、レイは戸惑いの表情を見せる。
「・・・・・私、こういう時にどうすればいいのか・・・・わからない・・・・」
「バッカねぇ・・・・笑えばイイのよっ♪」
「あ・・・・・・」
アスカの一言で、レイは思い出す。
そう、あれはヤシマ作戦の時。
第五使徒・ラミエルの放った強力な加粒子砲から初号機を護るため、自らの機体を盾として倒れたレイ。
エントリープラグの中で気付いたレイが見たものは、シンジの笑顔。
そして、その頬を伝う涙だった。
『また、泣いてる・・・・・・・何がそんなに悲しいの?』
『違うよ・・・・・・綾波が生きてるから、嬉しいんだ・・・・・』
『そう・・・・嬉しい時にも涙が出るのね・・・・
私もうれしいはずなのに・・・・・ごめんなさい、こういう時どんな顔をすればいいのかわからない・・・・』
『・・・・笑えば良いと思うよ』
忘れられない、あの時の笑顔。
そして、同じ台詞をアスカが言った。
この二人は自分をモノとしてでなく、ヒトとして接してくれる。
いや、ここにいるヒト全てが。
これは、絆。
ヒトとして、友人として、仲間としての 絆。
レイは心の中が暖かくなるのを感じた。
そして、それはそのまま表情に浮かぶ。
まるで聖母のような、優しく美しい微笑。
その場にいた全員が、一瞬言葉を失った。
「はぁぁ・・・・羨ましいよ、シンジ」
「え・・・・・僕?」
溜息と共に吐き出されたケンスケの言葉。
シンジはキョトン、とした表情でケンスケを見つめた。
「考えてもみろよ、お前・・・・・両手に花なんだぞ?
それもさぁ、惣流、綾波っていう壱中の二大美少女を・・・・・」
「・・・・か、からかわないでよ・・・・」
「妬ましいとかさ、そういう気持ちで言ってるわけじゃないんだ。
第一、シンジはそれに値する男だからな・・・・・俺には到底できっこないよ」
「そりゃそうよ・・・・・今カメラを持ってないのが残念だ、なぁんて顔してるアンタが、シンジのマネなんてできっこないわね♪」
「・・・・・・バレた?」
「わかるわよ、それくらい。
相田もさぁ、ソレさえなきゃイイ線いってるんだけどね」
「・・・・・どういう意味だよ?」
「そのまンまよっ!」
アスカとケンスケのやり取りに、全員が笑った。
シンジが望んでいたモノ。
みんなの笑顔。
平和な日常。
それが、目の前にあった。
だが、そんな一時の終わりは突然やって来た。
三人の携帯が、一斉に鳴り響く。
小さなウインドウには、非常呼集を示す番号が表示されていた。
「そんな・・・・・・バカな・・・・・・」
作戦室に掛け込んだ三人を待っていたのは、ミサトとリツコの沈痛な表情。
目前のモニターに映し出された、クレーターのように抉れた海面。
そして第三新東京市を模した図面上に浮かび上がる、三機のエヴァを表す座標。
第十使徒、サハクイエルの出現だった。
「・・・・既に一般市民には、第三新東京市を中心とした50km圏外への避難勧告を出したわ。
使徒の到達予想時刻まで後二時間・・・・何とかギリギリ間に合うか、ってトコね。
使徒の攻撃方法は至ってシンプルよ・・・・ATフィールドで防御した自分の身体の一部を、成層圏から落下させるだけ。
太平洋上に落下させたのは、練習ってトコかしら?
二発とも大ハズレだけど、確実にココ・・・・NERV本部に近づいているわ。
相手が成層圏にいる以上、こちらから手を出すコトはできない・・・・待つしかないのよ。
MAGIは本部からの撤退で意見が一致したわ・・・・尤も、本部ごと担いで逃げるワケにもいかないから、それはできないけど」
予想外の出来事に言葉を失うシンジ、そしてアスカ。
そんな二人を余所に、レイはいつも通り無表情のままミサトを促す。
「・・・・・作戦の概要は?」
「・・・・落下予想地点にてATフィールドを展開。
一機が使徒を受け止め、残る二機でATフィールドを中和、敵コアへ加撃。
落下までに予想地点に辿り着けなければアウト、支えきれなくてもアウト・・・・本部諸共消滅して、ココは海と繋がるわね。
正直、作戦なんて呼べる代物じゃないけど・・・・」
リツコはミサトから説明を引き継ぎ、図面を指しながら続ける。
「MAGIが算出した落下予想地点は、この図面の通り・・・一辺が10kmあるわ。
かなり広範囲だけれど、これ以上絞り込む事は不可能なの。
それと使徒による電波攪乱のため、現在位置は不明。
最大望遠でも二万五千mが限度だから、基本的に各自の目測によって行動して頂戴。
無茶な事ばかりで悪いけど、MAGIにも限界があるの。私も力不足を痛感しているわ・・・・・ごめんなさい」
「やっぱり・・・・それしかないんですね」
ようやく立ち直ったシンジが口を開いた。
しかし、動揺は隠し切れず、声が震えていた。
「・・・・流石に今回は分が悪すぎる。
だから、パイロットであるあなた達には拒否権が認められたわ。
もし、同意してくれるのなら・・・・一応規則で遺書を預かるコトも出来るけど、どうする?」
「・・・・・ミサトさん達はどうするんですか?」
「あたし達に出来るコトは、ココで成り行きを見守るだけ・・・・・でしょ、リツコ?」
「・・・・ええ、そうね」
「なら、言うまでもありません。
僕だけが逃げるわけがないですよ・・・・・みんなで・・・・・一緒に戦ってるんですから」
「そうよね・・・・敵に背を向けて逃げるのはアタシの流儀に反するもの・・・・やるわ」
「私に出来るのは碇君を、アスカを、みんなを護る事・・・・私も出撃します」
三人は同時に、ミサトに向かって頷いた。
その顔には悲壮感の欠片もない。
ミサトは机の向こう側から三人の前に歩み寄り、自分の胸に抱く。
「ありがとう、あなた達・・・・・帰ってこれたら、今晩は豪勢にいこうね?
何でも好きなモノ、奢ってあげる」
「ミサトさん、良いんですか?
僕たちは必ず帰ってきます、いえ、帰ってこなければならないんです。
それに・・・・・給料日前ですよ?」
「・・・・イタイとこ突いてくるわね、シンちゃん・・・・・」
ミサトは身体に回した腕を解くと、ガックリと項垂れるポーズを取った。
思わず苦笑してしまうシンジ。
だが、緊張感を解こうとするミサトの気遣いは痛いほどにわかる。
アスカも当然気付いているが故、更に追い討ちを掛けた。
「そーよっ!ミサトがバカみたいにビール飲んでるから、財布を預かるシンジが苦労するンだからっ!!
もっと考えてから言ってよね、まったく・・・・・」
「あ・・・アスカまでぇ・・・」
「その点に関しては心配要らないわ、私も付き合うから」
「え・・・・リツコ?」
アスカはリツコの意外な一言に驚いた。
全員がリツコの方に向き直る。
「な・・・・何?
私がこんな事言うのがそんなに変かしら?」
「いえ・・・そういうわけじゃないんですけど・・・・・・」
「・・・・リツコがいるンなら安心できるわね」
「アスカぁ・・・・そこまで・・・・・・・ま、まぁいいわ。
アタシとリツコがバーーンと奢ってあげるから、ビフテキでもなんでも注文すれば良いわよん♪」
「・・・・これだからセカンドインパクト世代は・・・・・」
アスカはわざとオーバーアクション気味に腕を広げ、天を仰いだ。
それをジト目で見るミサト。
「・・・あによぉ、モンクあんの?」
「考え方が古いのよねぇ・・・・今の世代のアタシ達が、ステーキごときで喜ぶと思ってンの?
それにっ!!レイは肉がダメなんだってコト、忘れてるでしょ?」
「あ・・・・・そっかぁ・・・・」
テヘヘ、という感じで舌を出すミサトに、その場の全員が思わず笑いだす。
緊張が解けたのを見計らってか、ミサトはいつもの作戦部長の表情に戻った。
「・・・・さ、お喋りはコレくらいにして・・・・準備に取り掛かって頂戴」
「「「はい」」」
「・・・・・絶対に生き延びるわよ、いいわね?」
「「「はい!!」」」
シンジ、レイ、アスカの三人は作戦室から出るためにドアへ向かった。
その背後へ、リツコが声を掛ける。
「・・・シンジ君、アスカ、あなた達はちょっとだけ残ってくれるかしら?
レイ、あなたは外で待っていて頂戴・・・・すぐに済むわ」
「・・・・・わかりました」
プシュっ、という圧搾音と共に閉まる扉。
レイはひとり廊下に出ると、壁に背をもたせかけた。
無表情な仮面を被ってはいるが、頭の中では様々な思いが交錯していた。
ナゼ、アノフタリダケガノコサレタノダロウ?
ワタシハカンケイナイカラ?
フタリハトクベツダカラ?
フタリハヒトダカラ?
ワタシハ・・・・・・・ヒトジャナイカラ?
ワカラナイ・・・・・・・
脳裏に浮かぶ、屋上での昼食。
笑顔のアスカ、そしてシンジ。
あの時は確かに自分も輪の中にいた。
だけど、今はひとり。
胸が締め付けられる。
それは、レイに芽生えた感情。
『寂しい』と思う心。
孤独を『怖れる』心。
だが、レイにはまだその感情が理解できていない。
やるせない気持ちが、小さな溜息となって吐き出されていく。
時間としては2・3分も掛かっていないだろう。
作戦室のドアが静かに開き、待ち人が二人揃って現れた。
その姿を見た途端、軽くなる心。
その笑顔を見た途端、暖かくなる心。
「ゴメン、待たせちゃったね・・・・・・」
「・・・・・いいえ」
「さ、行きましょ?
ちゃっちゃと済ませて、リツコ達にい~~っぱい奢って貰わなきゃ♪」
「・・・・・そうね・・・・・・」
三人は並んで歩き出す。
使徒との戦いに向けて。
レイも、アスカも、シンジも・・・・・・誰かが一人だけ欠けるとは思ってもいなかった。
この時点では。
「・・・・・・・碇、停電の件は委員会に報告したのか?」
「ああ・・・・『事故』としてな」
「ご老人共が簡単に納得するとは思えんが・・・・・・それについては良かろう。
しかし・・・・・・この『現実』は・・・・・・・どう説明するつもりだ?」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・これもお前のシナリオ通りなのか?碇・・・・・・」
ゲンドウは自身の目の前で手を組んだまま、微動だにしない。
冬月は小さな溜息を吐いた。
それが自身に向けてなのか、ゲンドウに向けてなのか・・・・・誰も知る者はいない。
司令所内に静寂が訪れていた。
今はミサトも、リツコもいない・・・・・・オペレータ達すらも。
正面のモニターに写る2つの映像。
ケージの床にへたり込み、呆然とした表情で初号機を見つめるアスカ。
そんなアスカの隣で立ち竦んでいるレイ。
そして、もう一つの映像。
そこには、主を失ったプラグスーツが浮いているだけだった。