「日本政府、及び関係各省庁に伝えろ。
先の戦闘はなかった、とな。」
「しかし司令代行、兵装ビルが二つほど消失しましたが。」
「使徒戦からの老朽化で撤去したと報告しろ。
どうせ奴らは腑抜けだ。何も言えんさ。」
「分かりました。」
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My Beautiful World - final - written by rego
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辺りは薄暗く、決して視界はよくない。
私は誘導員の指示を受け、階段を下った。
時々、下から冷たい風が吹き上げ、私は思わず身を振るわす。
下の階まで降りると、上とはまるで違う底冷えした寒さが私を包む。
通路の奥には明るいとは言い難い蛍光灯が灯る。蝿は既にいない。
その周辺には、カードリーダーが備え付けられたドアがいくつか見受けられる。
私はその中から目的のドアを探した。
一つ一つ近づいて、手のひらでドアを触り、番号を確認する。
ドアはこの場の空気に合わすかのように、ひんやりとしていた。
探し始めてから8番目、私の前に他とは異質な真っ白な扉が立ちふさがり、
F-07と記された監視窓すらないそれは、周囲からは完全に浮いている。
この部屋だ。私は直感的に思った。
渡されたキーの番号を確かめる。
間違いない。
キーをカードリーダーに差し込み、暗証番号を入力する。
陳腐な電子ガイダンスに従い、私はインターホンの番号を選択した。
部屋の外と中が、ドア越しに繋がる。
「アスカ…、ミサトよ…。
本日正午付けで、あなたの拘束は解除…、
それと同時に、ここを退職させることになったわ。
私はあなたを迎えに来たの。」
返事はない。
独房内部に設置されている集音設備は、中の音を完璧に拾うが、
今、この時は空気の流れる音しか聞こえなかった。
物音一つ立てず、彼女は何をしているのか。
私に不安がよぎる。
中には危険物は何もない。
彼女をここに入れる時にも、身体検査は十分過ぎるほど行った。
だが、もしも自分を傷つけようと思えば、何も道具は必要ない。
舌でも噛み切れば、全て事足りてしまう。
私は口から血を垂れ流し、床に這いつくばる彼女を想像する。
思わずぞっとする。
「アスカ、開けるわよ…。」
再度、私は急いで暗証番号を入力する。
次の瞬間にはガタと大きな音がして3層の扉が開き、部屋の中が露になる。
彼女はいた。
白い女性用の囚人服を着せられ、ベッドの上に尻餅をついている。
私が慰みにと彼女の部屋から持ち出した、あの人形を弄んでいた。
アレだけ大きな音がしたのに、私の方を見ようともしない。
彼女の横顔は、室内の電灯で青白く光り、その儚さを増している。
私は彼女に近づく。
一歩、また一歩。
ベッドのすぐ脇まで近づくと、彼女はようやく顔を上げた。
食事はしっかり出ているのに、頬は痩せこけ、私を写す左の瞳は虚ろすぎた。
今にも泣きそうな、壊れそうな、そんな脆弱な表情だった。
「アスカ…。」
彼女は私をじっと見つめる。
私は瞳をそらさない。
空調すらつけない彼女の部屋で、私たちは幾ばくか時を過ごす。
しばらくすると、彼女はまた俯いてしまった。
先ほどのように人形を抱え、全身を丸め込む。
私は改めて、部屋を見渡す。
トイレとベッドだけの簡素な作りは、彼女のイメージとはかけ離れていたように思えるが、
彼女はこの中で二週間もの時を過ごしてきた。
今では、この青白く光る部屋になんら不似合いな点はない。
何故なら、彼女は真っ白になっていたから。
赤の呪縛から逃れ、生まれたばかりの赤子同然だったのだ。
そんな彼女を私は愛おしく思う。
「ママは…?」
突然、彼女が口を開いた。
弱々しく、縋るような声で。
「あなたが降りて、すぐに破棄されたわ…。
シンジ君のお母さんと一緒にね…。」
「そう…。」
また部屋は静まり返る。
私から声をかけることはない。
ただ、彼女の声を待った。
「ママ…。」
低い声で泣き出す。
部屋にはついに彼女の嗚咽がこだまする。
「ママに会いたかっただけなのにぃ…。
ママと一緒にいたかっただけなのにぃ…。
どうして、こんなことになっちゃったのよぉ…。
わかんない、わかんないよぉ…。」
「…アスカ、私はあなたが必要よ…。」
「嘘よそんなの!
あんなことした私なんか、誰も見てくれないもの…!
誰も好きになってくれないもの…!」
「そんなことないわ…。
確かにあなたを憎む人はいるかもしれない。
でも、あなたのことを大好きになってくれる人だって、たくさんいるの。
あなたが自分で作り出すことが出来るのよ…。
あなた自身が好きな人だってそう。
だから、そんなこと言わないで…。」
彼女は私に顔を向け、涙で歪んだままで言う。
「わかんない…。
私、どうしていいか、わかんないのよぉ…。」
「アスカ…。」
私は彼女を抱きしめた。
シンジ君にそうした時と同じように。
「嫌よ!離して!」
「こっちこそ嫌よ。離さないわ。」
「やめてよ!どうしてこんなことするのよ!
ミサトは私のママにはなれない!」
そう、私は彼女の母にはなれない。
そんなことは知っていた。
「知ってるわ…。そんなこと…。」
「だったら!」
「待ってアスカ。
ねえ、私の身体、温かいでしょ?」
「…え?」
彼女の動きが一瞬止まる。
私は彼女に伝えたいことがある。
すでに恐怖はなかった。
「温かいのよ…。人の身体って…。
とっても気持ちいいの。
でもね、それだとちょっと怖いことがあるでしょ?
離したくないのよ、この温もりを。
失いたくないの。だから、怖がる。
お母さんの温かさみたいに、絶対失わないって確証がないから。
だけどね、それでも人は他人を求めるの。
怖がりだけど、寂しがりだけど、それが必要なものだと感じるから…。
アスカもそうでしょ?」
「ア、アタシは!」
「アスカの言うとおり、私はアスカのお母さんにはなれない。
でもね、一緒にいることは出来るわ。
私たちは、温もりを分かち合うことが出来るの。」
「…で、でも!
私、たくさん酷いことしたし!
たくさん人を傷つけたりもしたわ!」
彼女の不安は募る。
人の温もりに慣れていないから。
人に好かれることに慣れていないから。
私はそれを消してあげたかった。
「アスカ、あなたはそれを知ってる。本当は優しいの。
そうじゃなかったら、あの時、みんなを殺してたわ。
でも、あなたはそれをしなかった。
エヴァから降りてきてくれた。
それが本当のあなたなの…。
人を傷つけたなら、それは謝らなくちゃいけない。
もし、許してくれなくても、それは心の底で抱え続けなければいけないの。
本当の自分を見失わないために。
あなたはそれが出来る優しい子よ…。」
「優しくなんか…!」
自己嫌悪を続ける彼女へ、私は告げる。最後の言葉を。
願わくば、これが彼女の心を響くことを。
「今まで、ごめんなさいアスカ…。
私、本当に駄目な大人だったわ…。」
「う、うああ!!」
彼女は大粒の涙を止めどなく流し、自分から私を抱いた。
私もそれに応えるように、彼女をかき抱く。
狭い室内は、彼女の言葉で満たされる。
「ごめんなさいミサト!今まで本当にごめんなさい!
もう悪いことしないから、私を許して!」
「もちろんよ…!私はアスカが大好きだから…!」
「私も…、私もミサトが大好き…!」
彼女が私を好きといってくれた。
私の気持ちを受け入れてくれた。
ふと、胸に熱いものがこみ上げる。
気づけば、私も泣いていた。
少女らしく柔らかい身体からはほんのりと甘い匂いが漂う。
彼女の匂い。思えば、こんな距離で感じたのは初めてだ。
冷え切った彼女を身体を温めながら、今までの自分を再度悔いる。
だが、今の私にはそれを糧とするだけの温もりが出来た。
私はそれがとても嬉しかった。
どの程度そうしていただろう、いつからかアスカの顔には血色のよさが戻り、
身体の方も私が暑さを感じるくらいに、ぽかぽかと温まってきた。
彼女の嗚咽もひとまず収まり、今では私の胸にもぞもぞと顔をうずめ、赤い顔で俯いている。
アスカのことだ。自らを取り戻しさえすれば、先ほどの行為が恥ずかしくて仕方ないのだろう。
私はあの勝気な性格を思い出す。
思わず笑い声が漏れた。
彼女は顔を上げ、きょとんとした顔をする。
それがまた可愛くてたまらない。
「な~に?どうして笑ってるの?」
「いや、ちょっちアスカがあんまり可愛いもんだから♪」
「え、あ、当たり前よそんなの。」
彼女は更に顔を赤くして、強がりを言う。
そして、彼女も笑い出す。
嬉しかったからだと思う。
「ねえ、ミサト…。」
「…何?」
「…シンジは?」
「ねえ!」
アスカは見る見ると表情を変え、私を怒鳴りつける。
やはり、伝えなければならないことだろう。
「…病院にいるわ。」
「病院!?無事なのね!」
私は答えることが躊躇われた。
彼女がまた自分を見失う気がしていたから。
「アタシ…、シンジに会いたい…。
それで、謝りたい…。だから…、本当のこと教えて…。」
「…病院、行こうか?」
「…うん。」
彼女は私から離れ、自らの足でしっかり大地に立った。
私の方に向き直ると、不安げな笑顔を浮かべる。
目はパッチリ開かれ、口の端が上品にほんの少しだけつり上がっている。
印象は変わってしまったが、私が見たかったあの笑顔だと思った。
「アタシ、頑張る。」
病院は本部のちょうど真上に位置し、上へのモノレールに乗ればすぐそこだ。
私たちはアスカの出所手続きを済ませると、その足で病院に向かった。
アスカは久しぶりの運動ということもあり、足元が幾分落ち着かない。
私はアスカの歩調に合わせながら、その道を進む。
モノレールの発着所に到着し、すぐさまそれは私たちを乗せて発信する。
カタッと一度小さな揺れがあると、その後は音もなく進む。
モノレールの窓から見えるジオフロントは、地上から、それが発する光によって
オレンジ色に輝いて見えた。
その色はこの空間全体を染め上げ、他の淘汰を許さない。
アスカはそんな光景を見て、小刻みに震えている。
彼女はそれを恐れているのだ。
「アスカ、今度は自分で決めればいいの。
あなたが好きだと思うものが、あなたの真実よ。」
アスカは無言で頷いた。
外の光景を見ながら、彼女は頬に手を当て、何やら思案顔になった。
やがて、上部と下部とをつなぐストライプ型のトンネルに入る。
車内はオレンジと闇とが交互に交差する。
真っ白いワンピースを着た彼女も、その二色に交互に染まった。
私は思った。アスカはこれから自分を何に染めていくのだろう。
モノレールが駅に到着するまで、私たちは会話を持たなかった。
私たちは病院に入った。
瞬間、それ独特の薬品のきつい臭いが鼻につく。
私たちは一般病棟を抜け、隔離病棟へ向かう。
本来なら、一般病棟でも十分なものだが、
先の騒動の首謀者の行方がまだ確認されない以上、彼がここにいることが許される。
代行が指示したものだった。
彼のこと、彼女のことも。
私にはその真意は分かりかねるが、彼なりの罪滅ぼしなのかもしれない。
何重もの身辺調査を行われ、私たちは目的のブロックへ向かう。
私はその場の厳重な警備に満足を覚え、いよいよ彼女を彼の病室へ連れる。
扉の前まで来ると、アスカはきゅっと私のジャケットの裾を握る。
不安なのだ。
私は彼女の肩を抱くようにして、病室の扉を開けた。
VIP専用の場所だけあって、12畳ほどもあるこの病室は普通のそれとは比べ物にならない。
室内は白を基調に統一され、窓はカーテンが閉め切られていた。
カーテンは差し込む光を吸収し、部屋の中を控えめに照らしている。
そして部屋の中央に位置するベッド、その上に彼はいた。
眠っている。
2週間もの間。
アスカと私は彼の傍に近づき、表情を伺う。
あの時からまったく変わらぬ穏やかな表情。
私は突如不安に襲われ、彼が死んでいるものではないかと思う。
急いでそれを確認するが、上下する胸と心電図のみが彼の生を示していた。
アスカはそんな私には目もくれず、ただ彼のほうをじっと見つめている。
恐れているような、安心しているような、そんな顔で。
しばらくするとアスカは顔を上げ、長い髪をかきあげながら私に言った。
「ミサト、二人にして…。」
そういう彼女の表情は強張っている。
彼女が何を思ってるのかは、おおよその察しがつく。
でも、ここで私に出来ることは何もない。
「…分かった。頑張ってね…。」
「ありがと…。向こうで待っててね。」
アスカは私に軽くはにかむと、そのまま来客用の腰掛に座った。
私は彼女に促されるまま、入院患者用の休憩室へ歩を早める。
自動販売機でブラックのコーヒー購入し、私は息を吐いた。
彼女は上手くやれるだろうか。
気取らず、心の壁を壊すことが出来るのだろうか。
私は彼らに思いを馳せる。
今までの、そしてこれからの彼らに。
シンジ君は未だ目覚めない。
アスカもようやくスタートラインに立ったところだ。
先行きは読めない。
全てが宙に放り出された状態だから。
でも、私には不思議と喪失感や焦燥感といったものはなかった。
確信めいた予測があったのだ。
歩いてきた通路に目をやる。
真っ白。
もし何時の日か、この通路の向こうから二人の少年少女が共に歩んでくれば。
ぴったり寄り添い、お互いの温もりを肌に感じていれば。
私はきっとこう思うだろう。
ああ、これからはキャンパスに絵を描いていくことが出来るのだと。
あの歪ながらも美しかった絵を、もう一度見ることが出来るのだと。
今度は血でもタイルでも、ましてや消し炭でもない、私たち自身で。
その光景はいつかきっと見れる気がする。
罪深い私たち。他人を利用することしか出来ない私たち。
神の断罪の前に、いつかは殺されてしまうのかもしれない。
でも、それまでは。
額縁にしっかり飾っておこう、絶対無くさないようにしよう。
時には色や形を変え、でも、世界を優しく包むそれは、きっと私たちを幸せにしてくれるから。
マンションの片隅でひっそり開催される、今は無色な三人の競演。
私は、その美しい世界がいつまでも壊れないようにと、天空の月に願うのだ。
窓から天を仰ぎ見る。
真昼の月は真っ青な空に、のん気にぷかりと浮いている。
彼女のそんな姿に苦笑し、私はコーヒーのふたを開けた。
End.