第9話

人造人間エヴァンゲリオン。

第壱使徒アダムの細胞をコピーした生体物質。

12000枚の特殊装甲とATフィールドと呼ばれる絶対不可侵領域を兵装とする決戦兵器。

魂の座。

そして、彼らの母。

先の余韻も覚めやらぬ中、親友に聞いたそんなことをふと思い出した。

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       My Beautiful World       - episode9 -          written by rego
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深夜のケイジには、さすがに誰もいない。

いい加減、メカニックたちも出払ってしまったようだ。

私はケイジの上部から昇降機を使い、下に降りる。

私がスイッチを入れると、赤いランプ点滅させ、それは静かに動き出す。

薄暗い中で、その赤い色だけがやけに鮮明だった。

下部まで降りると、彼の気配を感じる。

薄暗く、細かな様子は伺えないが、母の前にどっかり腰を下ろし、膝を抱えているようだ。

ただ、その方一点に顔を向け、私に気づいた様子はない。

紫の巨人はオレンジの液体に浸り、その身は静かに佇んでいる。

「シンジ君…。」

「ああ、ミサトさん。」

1メートルほどの距離まで近づくと、ようやく彼の顔が見える。

いつもの表情、いつもの彼だった。

「ねえ、ミサトさん。

 アスカはずっと寂しかったのかな?」

シンジ君はいきなり口を開いた。

彼なりに思うところがあったのだろう。

「そうだと思うわ…。」

「どうして寂しかったのかな?」

「お母さんの、そして他人の視線を感じられなかったから。

 そうだと思う…。」

「じゃあ、どうしてそう感じたと思う?」

私はそう言われ、言葉に詰まってしまった。

どうしてだろう?

彼女はつい先ほどまで、人の視線を浴び続けてきた。

それもこの上なく脚光を浴びる場で。

ある時期から、確かにシンジ君に劣るようになりはしたが、

それでも、その状態には何ら変わりはないはずだ。

私は彼の問いに答えを持てなかった。

「自分が傷つく覚悟がなかったからなんだと思う。

 僕も、アスカも…。

 だから、僕はみんなを遠ざけて、

 アスカはアスカで自分を追い込んだんだ。

 きっと、嫌だったんだよ。傷ついて、惨めな自分を見るのが…。

 特に、アスカはプライドが高かったから…。」

彼の表情はまったく変わらない。

淡々と私に語りる。

「だから、人を傷つけるんだ。

 自分が傷つく前に。

 でも、それはもっと辛いことだから、気づかないふりをする。

 これは前にミサトさんも言ってたけどさ…。

 アスカもそれは知ってるんだ。でも、まだ気づかないふりをしてる…。」

「…そうね。」

「僕は父さんが嫌いだった。

 でも、それは父さんが僕を傷つけるものだと思ったからなんだ。

 好きでそう思ってたわけじゃない。本当は、父さんのこと好きでいたかったから。

 実際は父さんのこと好きだったんだよ。それを認めたくないだけで。

 最近は分かる気がするんだ。

 アスカもそうなんじゃないかって。

 ホントはみんなのこと、好きでいたいんじゃないかって。」

「シンジ君。」

彼の発する言葉、一言一言が私の心を打った。

LCLに架けられた橋の上で、私たちは静まり返る。

「ミサトさん…、でも、やっぱり怖いんだ…。

 アスカは僕を必要としてない。むしろ、疎まれてると思う。

 アスカの中にある見えない壁が、どうしようもなく怖いんだ…。」

「…みんな同じよ…。」

「知ってるよ…。

 でも、怖い。

 でも、やらなきゃいけない。

 さっきから、ずっとこんな感じなんだ…。」

彼は私の眼前で動きを止める。

私は彼女の話を聞いてから、ずっと辛かった。

それこそ、身を引きちぎられるような思いがした。

でも、もっと辛かったのは、やはり彼なのだ。

優しすぎる心を持つこの少年の痛みは、私には推し量ることが出来ない。

再度、私は思い知らされてしまう。

ああ、やはり私は彼の母にはなれないのだ。

万感の思いを彼に送っても、それは慰めにはならないだろう。

もし、私が彼の母だったら、彼女の母だったら、それはどんなに良いことだろうか。

抱きしめれば全てが事足りる、その愛があれば。

彼の母も、彼女の母も、そして私の母も肉体はない。

「…ごめんなさい。」

「いいよ…、誰も悪くないと思う。

 それに、僕が迷ったって意味がないから。

 アスカがくれば、僕は出て行かなくちゃならない。

 そうだろ?ミサトさん。」

陳腐な言葉を贈った私に、彼が返してくれたものは、笑顔だった。

暗闇に慣れた私の目は、それをある程度の明度で視認するが、

それには欠片も良い意味が込められていなかった。

思わず、私は身震いする。

少なくともそれは、十代の少年がすべき表情ではなかったのだ。

「ここに僕がいたのは…、母さんに、会えるような気がして…。

 もし会えたら、何か分かるんじゃないかって…。」

「シンジ君…。」

彼を腕の中にしまいこんだ。

彼はまた嗚咽を漏らし始める。

定期的な心音と、彼の涙が私の胸を満たした。

私には彼にかける言葉も、癒す包容力もないことは知っていた。

「私は、あなたのお母さんにはなれないみたい。」

私は母にはなれない。

そして彼も、私の父にはなることが出来ない。

「でも、こうして温め合うことは出来るわ。」

「うん…。」

でも、それでも私たちは共にある。

私たちはお互いを支えあっているのだ。

14歳と29歳という歳の差はあるにしても、私には確信があった。

前にはなかった。でも、今はあるもの。

信頼という絆。

無辺の荒野でも、こうして二人で抱き合えば、きっと寂しくないと思う。

「ねえ、シンジ君…、アスカだって、絶対、欲しいのよこの温もりが…。

 押し付けがましいことは分かってる。あの子が嫌がることも分かってる。

 でも、教えてあげましょうよ…。たった一度だけでも…。」

「ミサトさん…、寂しかったんだ…。

 僕も母さんに会って、抱きしめてもらいたかった…。

 母さんはエヴァにいるのかもしれない。

 だけど、やっぱり母さんはいなかったんだ。

 でも、それでいいと思う。ミサトさんに抱きしめてもらって、今は嬉しいから…。」

気づけば、私も涙声になっていた。

闇に沈むケイジに私たちの声がこだまする。

私たちの嗚咽は何時までも止むことはなかった。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

仮眠室の目覚まし時計が金切り声を上げ、私は現実に引っ張り出された。

現在時刻はAM8時ちょうど。

今からシャワーを浴び、着替えを済ませれば、ちょうど出勤時刻に間に合う。

ぎりぎりの時間まで寝ていられるという点では、本部暮らしはある意味快適だ。

窓も何もない仮眠室に手探りで明かりをつけ、

寝巻きの裾を引きずりながら、私は備え付けのシャワールームへ向かう。

私が寝ていた部屋は、高官の女性専用室で、シャワールームも完備。

ただでさえ女性が少ない組織なので、部屋を使う人間は私一人。

これ以上ないほど完璧な状況に、私は満足している。

着衣を乱暴に脱ぎ捨て、シャワールームへの扉をくぐった。

その場は、使う人間がほとんどいないということもあるのか、

薄いピンクのタイルは新品同然の輝きを放ち、私の姿を映し出す。

反射角が悪かったのか、私の身体はあるまじきほどに横に伸び、一瞬ギョッとするが、

急いで鏡を確認し、いつもどおりの完璧なスタイルに私は息を撫で下ろした。

シャワーのノズルを捻り、温度調節を施すと、すぐに適温のお湯が振ってくる。

白い湯気が立ち上り、狭いこの場の温度はあっという間に上昇する。

足から徐々に上に向かって、下腹の弾痕を避けながらお湯をかける。

寝冷えた身体には少しきついが、寝ぼけた、しかも寝不足の頭に熱めのシャワーはとても気持ちいい。

私は鏡を見ながら、コックから振り出すお湯と自分の裸身に、しばし見入る。

胸から下腹部にかけて大きく走る傷跡。

その傷の切れ目についた穴。

生きていれば、何かしらで傷つくのは仕方ない。

でも。

キズが増えるのは望ましいことじゃないと思う。

私も、他の人間も。

発令所へ出頭し、日向君と今後の打ち合わせをする。

それを済まし、コーヒーを飲んでいたら、急に周囲が騒がしくなった。

「葛城さん!」

「日向君、どうしたの?」

「たった今、太平洋沖200kmの地点に未確認飛行物体を確認しました!

 飛行の軸は、ここへ真っ直ぐ向かってます。

 機影の下部に、量産型と思われる機体が確認できます。

 カラーリングは赤ですが…。」

彼女が来た。

「太平洋…?おそらくアメリカ支部ね…。

 どうして、今まで気づかなかったの!?」

「分かりません。レーダーに架からなかったとしか…。

 多分、ここからコアを奪還したときと同じ方法だと思われます。

 MAGIに登録しようにも、データがありませんでしたから…。」

「…目標の予測到達時刻は?」

「09:12、今から約40分後です。」

「…シンジ君は?」

「ケイジに移動中との報告を受けています。」

「そう…、ありがとう。もういいわ。」

発令所の前面モニターには、衛星からの機影が捉えられている。

間違いない。やはり来たのだ。

空を切り、凄まじい速度でここへ向かってくる。

老人たちの虚しき妄念の使徒として。

あるいは、自らのために世界を断罪するためか。

どちらにせよ、今の彼女はゼーレの手先だ。

押さえつける以外に方法はない。

私は彼女のことを思い返す。

私に嫉妬する彼女、偉そうに振舞う彼女、シンジ君にちょっかいを出す彼女、

そして、周囲に屈託ない笑顔を向けていた彼女。

整った顔が輝いていた。

あの笑顔は無意識に出た彼女のメッセージだったのかもしれない。

本当の自分を晒け出した顔。

それを見て欲しいという潜在的な希望。

あの時の彼女は最高だったと思う。

私はそれをもう一度見たい。

38分後、予測時刻ぴったりに空に赤い機影が舞った。

手にはロンギヌスの槍。

私たちを異端尋問にかけようとでもいうのか。

輸送機から放たれた赤い機影は、太陽の光を背にし、所在無さげに旋回を繰り返す。

白く光る太陽に、ポツリと影が出来た。

あの悲しい蝿だ。

私はそう思った。