第6話

暑い…。

手加減を知らない太陽は、私たちを容赦なく照らしつける。

アスファルトは熱を吸収し、それを大気へと返す。

その熱は湿気を不快なものへと変え、周囲を更なる灼熱地獄へと変貌させた。

セカンドインパクトなんて起こしたのはどこのバカだ。

そうだ、ゼーレだ。くそう、余計なことしやがって…。

人類の滅亡と日本の常夏化、どちらか一方を選択しなければならないと言われたら、

今の私なら、間違いなく前者を取るだろう。不道徳なんて、知ったことじゃない。

次の車の購入費用をケチって、徒歩を選択したのがそもそもの誤りだった。

本部への直通モノレールに乗るまでに、駅を乗り継がなければならない。

その間、私たちに安らぎを与えてくれるものはないのだ。

シンジ君は先ほどから何も喋らない。いや、喋れないのか…。

彼はいつもの学生服といった出で立ちだが、上着の開襟シャツは汗で透けている。

顔からも汗を垂れ流して、目は既に虚ろだ。小声で「逃げちゃダメだ」を連呼している。

これはまずい…。

作戦本部長ともあろうものが、とんだ大失態を演じたものだ。

これが実戦でなかったことがせめてもの幸いだろう。

私は隣で死んでいるシンジ君を強引に引っ張り、耳元に口を寄せた。

「これは逃げてもいいと思うわ…。さすがに…。」

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       My Beautiful World       - episode6 -         written by rego
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「ああ!何て涼しいの!」

空調設備は人類の至宝。

神すらコピーし、自然すら凌駕したヒトの究極の技術である。

この馬鹿デカイ空間、ほぼ全てがこの快適な温度に保たれているのだ。

全館、排煙装置完備で、スモーキングも万事OK。

まさに人類最後の砦たるに相応しい場所ではないか!

「ミサトさん…、恥ずかしいから黙ってください…。」

「え?」

シンジ君が購入したばかりのコーラを飲みながら言った。

美味しそうだ。私も飲みたい。

辺りを見ると、職員たちが私を遠巻きに見ながら、嘲笑の渦を巻き起こしている。

まさか…、今の声に出してた…?

「ねえ、まさか…。」

「そのまさかですよ…。」

「…あ、あはは、ゴメン!」

舌を出して、すこぶる可愛らしく振舞ってみた。

彼は私を見てため息をつくと、再度、コーラを飲むことに没頭し始める。

成長するのはいいことだが、女慣れしたシンジ君なんて可愛くなくて嫌だ。

「さて、じゃあちょっち行って来るわね。

 あなたは私の執務室で待機しててちょーだい。」

「はい、分かりました。」

彼はそっけなく応えると、さっさと行ってしまった。

決まりの悪さを払拭して、私は司令室へ向かう。

冬月司令代行のもとへ、職場復帰の挨拶へ行くためだ。

今日、家を出る前、プロテクトが解かれたデータベースを閲覧した。

そこに、碇ゲンドウの名前はなかった。

そして、綾波レイ、赤木リツコの名前も。

私はあの後、何が起こったのかは知らない。

シンジ君はそれを知っている。

シンジ君の、彼の父と綾波レイとの関係。

アスカのことと違い、私はそこまで踏み入ることは出来ない。

これだけは彼が自分で解決しなければならない問題だから。

もし、彼がそれを乗り越え、消化することが出来たなら、その時は話してほしい。

私も無二の親友を失った。

三人とも明確な死亡報告は出ていないが、彼女には二度と会えないだろう。

あとで、彼女の自室に行ってみたい。そう思った。

本部の中は、いつも通りだった。

所々に立ち入り禁止区域があるが、それを除けば綺麗なものだ。

一ヶ月前の惨劇の爪あとも癒えぬまま、職員たちは懸命に働いている。

友人や恋人、あるいは家族を亡くした者もいるかもしれない。

だが、彼らは一生懸命だ。自分たちに死の臭いを移さぬように。

それはとても美しいことだと思う。

陳腐な言葉で言えば、ヒューマニズムとでもいうのだろうか。

名だたる学者達に語らせれば、凝り固まった否定的な理屈を述べるのだろうが、

それでも、私はそれが大好きだ。

そんなことを考え、エスカレーターを4度ほど乗り換えたところで、

重層な扉に囲まれた司令室へと着いた。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

「葛城三佐、本日より職務に復帰します。」

「うむ、ご苦労。怪我をしているところを申し訳ないが、こちらも人手不足なのでね。

 君に復帰してもらえると助かるよ…。」

「はい、これまで以上に職務に励みます。」

「セカンド、サードの方は引き続き、君の管轄で動けるように手配済みだ。

 その方が、彼らもやりやすいだろうからな。

 セカンドは居住区の方に移送してある。

 君が会いに行くということを伝えてあるから、ついでにこの話も伝えておきたまえ。」

「引き続き、でありますか?

 主要な戦役が終わった今となっては、彼らのチルドレン登録は解除されるものかと…。」

「君の言うことは分かる。

 だがね、備えは常に必要なのだよ。分かってくれたまえ。」

「承知いたしました。

 では、これより作戦課の方へ出頭します。」

実質、数十秒の事務的な会話を終わらせ、私は司令室を出た。

私は驚きを禁じえなかった。

彼らは、てっきりエヴァから降ろしてもらえると思っていたのだ。

エヴァシリーズを退け、実質的に世界の主導権を握ったというのに、

今更、エヴァにこだわる理由がどこにあるのだろか。

確かに司令代行の言うように、エヴァがあれば磐石の態勢を築くことが出来る。

だが、ゼーレが壊滅した今となっては、無闇やたらに戦争を突っかけてくるバカはいないだろう。

もし、どこかの機関と緊張が高まっても、こちらには世界中が味方する。

これからに必要なのは、むしろ平和と安全を求める活動のはずだ。

そのためには、エヴァはないほうがいい。放棄してもいいくらいだ。

それほどまでに今の情勢は、予定調和的な雰囲気を醸し出している。

では何だ。彼らを広告塔にでも使おうというのか。

それには賛成できない。

もしそうなら、私は彼らを無理矢理にでも退役させるだろう。

考えていても、らちが明かない。

取り合えず、私を待っている彼のもとに行かなくて。

このことを伝えるのは心苦しいが、今の彼なら受け入れられると思う。

そんな自己暗示にも似た理屈に納得し、私はエスカレーターを下った。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

部屋のドアを開けた。

咄嗟に、シンジ君は私の方に振り返る。

手持ち無沙汰だったのだろう、彼の持っているコーラの缶が形を崩している。

「早かったですね。」

「ん~、復帰の報告だけだしね。こんなもんよ。」

軽い会話を交わした。

屈託なく笑う彼の顔は、今の私には眩し過ぎた。

やはり、彼には伝えなければならないだろう。

早い方がいい。その方が彼にとってもショックは少ないはずだ。

「シンジ君、話があるわ。」

「何ですか?」

「特務機関ネルフにおける作戦本部長として、サードチルドレン碇シンジに要請します。

 あなたには、これ以後も私の管轄に属し、その任務を継続してもらいます。

 が、これは強制ではありません。あなたが拒否すれば、退職も認められます。

 ですが、その場合、以前のような監視が24時間あなたを追い回すことになります。

 以上です。」

「…。」

「そして、今から言うのは葛城ミサト個人としての意見よ。

 …シンジ君、エヴァに乗らなくても、私はあなたが必要だわ…。」

「…ありがとうミサトさん。

 でも僕、エヴァに乗るよ。そうすることで助かる人がいるんだろ?

 だから乗る。本当の自分を確かめるには、それが一番の方法かもしれないから。」

それを言い終えるまでに、まったくどもらなかった。

凛とした瞳で、理路整然と自分の意見を述べ、納得済みという感じで私に向き直る。

強くなった、いや強くなったと感じるだけなのかもしれない。

そう思うのは、彼が自分を見つめようとしているからだろう。

他人から距離をとり、遠ざける様子は私以外の人間には変わることはない。

だが、それは大きな進歩だ。それがとても嬉しく思う。

子供の成長に胸を躍らせる母親というのは、こんな感じなのかもしれない。

母。

私はそれになれるだろうか。

「ありがとう、シンちゃん…。」

「お礼を言われるようなことじゃないですよ。」

「そうね。」

「そうです。

 それよりもミサトさん、そろそろ…」

「ああ、ごめんなさい。行きましょうか。」

彼はしきりに私を促した。

彼にとって、もう一人の他人。その人のところへ行くために。

決心が揺らぐ前に決着をつけたかったのだろう。

でも、焦ってはいけない。人間の心はそんなに単純ではないからだ。

殊、あの少女に関しては、その傾向が強いといえる。

「落ち着いて、シンジ君。

 何をするにしても、焦るってのはよくないわ。」

「分かってます…。」

私たちはエレベーターを乗り継ぎ、居住ブロックへと足を延ばす。

就業時間ということもあり、その場はシンと静まり返って、

不気味なまでに私たちの足音を周囲に響かせる。

それが何だか気持ち悪くて仕方がなかった。

ここには戦闘の傷跡がまったくと言っていいほど見受けられない。

死臭も、硝煙の臭いも、弾痕も、何も。

ここには生の匂いが感じられないのだ。

圧倒的に無機質な、ただそんな感覚を受ける。

私たちは白いタイル張りの通路を歩く。

人口の光がその鮮明さを増幅させ、私たちの姿を映し出す。

既に彼女の部屋番が刻み込まれている場所までやってきている。

次の曲がり角を東棟方面に曲がれば、そこに彼女はいる。

待っているのは罵声か、嗚咽か、それとも何か他のものなのか。

彼女の部屋に着いた。

真っ白な扉が無言で私たちを威圧する。

まるで、彼女の心そのままに。

私は緊張を押し止めることが出来ない。

それは彼も同じようで、顔が高潮し、傍目にも分かるくらい息が荒くなっている。

やはり、恐ろしいことに変わりはないのだ。

「…アスカ?私、ミサトよ。開けてくれないかしら?」

私は一瞬の躊躇の後、思い切ってインターホンに声をかけた。

だが、頑丈な扉からは返事はおろか、人の気配さえ感じられない。

「アスカ…、僕だよ。シンジだよ…。

 君に話したいことがあるんだ。

 だから、・・・だから、出てきてくれないかな?

 お願いだよ。君が嫌なら、これで最後にするから…。」

彼も必死の思いをぶつける。

だが、そのドアは私たちの声を反射するだけで、やはり何の反応も示さない。

「アスカ、あなたにとっても重要な話があるのよ。

 あなたがここを開けてくれるまで、私たちは帰れないわ。

 だからお願い、開けてちょうだい。」

周囲が静まり返る。

先ほどからの異質さを次第に増しながら。

ポケットに手を突っ込み、カードキーを手に取る。

これを使えば、強引にでも中に押し入ることが出来る。

最悪の場合、それも辞さないべきなのだろうか。

だが、私は出来るならそれをしたくなかった。

この分厚く頑丈な扉を無理にこじ開けることはしたくなかったのだ。

出来るなら、彼女の方から開けてほしい。そう思う。

扉はついに開かなかった。

私たちはうな垂れながら、帰路へとついた。

家の中に入ると、どっと疲れが湧き出てくる。

シンジ君は、何も言わず自室へと向かっていってしまった。

私は再度、彼女の部屋に入る。

瞬間、彼女の芳しい匂いが立ち込める。

ベッドの上に、ぬいぐるみが一体。

他のものとは違い、これだけは綺麗にとってあった。

彼女の好きなフランス人形のそれとはまた違う、不気味な人形。

絹を加工した作られた口を半開きにし、目は茶色のボタンで代用されている。

それは手足をだらしなく揺らしながら、不気味な薄ら笑いを浮かべ、

見下ろすような視線を私に送っていた。

この人形は作られた時からこの姿なのだろうか。

おそらく、この容姿では誰にも見向きにされないだろう。

店頭に並べられ、他の人形と比べられる。

それらが一つ、また一つと買われていく最中、

それでもこの人形はおもちゃ屋の片隅で、

自分を可愛がってくれる人のことを待ち焦がれていたのだろう。

可哀相だと思う。

この人形が悪かったわけじゃない。

自分ではどうすることも出来ず、そうならざるを得なかったのだ。

この人形はアスカの手元に置かれ、どう思っただろう。

自分を大切にしてくれる主人に出会え、嬉しかっただろうか。

私は人形をベッドの上に置くと、ようやく部屋を出た。

ドアを閉める前、人形の泣き声が聞こえた気がした。

同日21:07、セカンドチルドレンロストの報告が届く。