事件から一週間が過ぎた。
あれから僕とアスカの二人だけの生活が始まっていた。
ミサトさんはリツコさんの所に住んでもらっている。
アスカが僕以外の人とあまり接触したくないと言って、ミサトさんはアスカの気が済むの
ならと後腐れもなく出ていった。
ミサトさんも自分の責任を深く感じているのだろう。
僕はずっとアスカの側にいた。
アスカは僕がいなくなると泣き出す。
いつか、アスカが寝ている間に僕が買い物に出かけた時、帰宅した僕は「ただいま」の声
すら出せなかった。
アスカが泣きながら、僕を探しに部屋をはいずり回っていた。
スリ傷を作り、手探りで部屋中を荒らしている彼女の姿を僕は見た。
「‥‥シンジィ‥‥シンジィ‥‥どこ‥‥?
私を‥‥私を一人にしないで‥‥シンジィ‥‥」
僕はすぐに抱きしめた。
そして自分の軽率さに腹を立て、アスカの側を離れないように心に決めた。
「ごめん、ごめんよ、アスカ」
アスカは僕の声を聞き安心したようで、ふっと力が抜け泣き出し、そして泣き疲れ、静か
に眠った。
‥‥ゴメン‥‥アスカ‥‥
‥‥‥。
私には見えない。
楽しい日々を送ったはずの風景が。
親友と呼べる人の顔や、あいつ―――シンジの顔が。
真っ暗。
目が見えないと言うことがこんなに苦しいとは思わなかった。
わかっていたつもりだったけど、わかっていなかった。
でも、シンジが私の側にいてくれる。
いつも私の手を握っていてくれる。
シンジの見ている景色が私の手を伝わって、私にも見えるような気がする。
心がとても安らぐ。
今までこんな気持ちは無かった。
でも――
でも、今はあるのよ、私の目を代償に感じているの。
とてもうれしいの。
‥‥ママ‥‥私‥‥幸せなのかな‥‥‥?
ミサトが病院で治療を受け続けないのって聞いたとき、私はシンジと一緒に暮らしたい
って言った。
そんな私のわがままをミサトは聞いてくれた。
‥‥ごめんなさい‥‥ミサト‥‥
この間、ヒカリが大好きなチーズケーキを持って遊びに来てくれた時、「アスカ、今の
内に碇君にいっぱい甘えとくのよ」って言ってくれた。
もう、聞いているあたしが動揺しちゃったじゃない。
‥‥ヒカリ‥‥ありがとう‥‥
考えられないほど素直な自分がいる。
全てが祝福してくれている気がする。
眼に見える事が全てではないこともわかってきた――。
今、シンジに手伝ってもらっている。
お風呂に入るために、服を脱がしていてもらっている。
恥ずかしいけど、仕方ない。
以前に一人でやろうとしたら、急に立ちくらみがして倒れたの。
その時、左手を強く打ってしまい、蹲っていたら、シンジが音を聞きつけ飛んできてく
れた。
今、左手は包帯ぐるぐる捲き。
着替えも大変。
体を洗うのも大変なの。
‥‥でも、さすがに入浴は手伝ってもらっていないわよ、まだ早いもの。ねぇ?
自分で言って――顔中が熱くなる。
流石に調子に乗りすぎだわ。
「ありがと、シンジ」
そう言って、私は浴場に手探りで入る。
シンジはそのまま脱衣場にて待っていてくれているみたい。
‥‥ありがと‥‥シンジに迷惑かけているね‥‥
‥‥‥。
「‥‥ありがと‥‥か‥‥。 なんだかくすぐったい台詞よね」
一人で呟く。
今、自分の顔を鏡に映すとどんな顔をしているのだろうか。
このときばかりは目が見えなくなったことを羨んだ。
ちゃぷん
暖かいお湯が私の体を巡る。
女の子は皆、大好きな時間。
汚れを落とす唯一の一時。
私は鼻の頭が湯に触れるまで首を沈めた。
湯船の波がゆらゆらと頬に触れる。
‥‥‥。
‥‥シンジ‥‥なんで私なんかに‥‥‥。
ふと、そんな事を考え始める。
‥‥シンジに‥‥何度も酷い事言っていたのに‥‥‥。
‥‥ファ‥‥ファーストはいいの?‥‥気にしていたんでしょ‥‥
‥‥す‥‥好きだったんじゃ‥‥ないの‥‥?
『もぞり』
私の中で私じゃない何かが動いた。
‥‥どうしてかな‥‥EVAも動かせないのに‥‥。
‥‥みんな‥‥良くしているのかな‥‥懇情‥‥?
『ずるり』
また何かが動いた。
‥‥そうよ‥‥おかしいわよ‥‥。
きっと‥‥きっとみんな私の事を‥‥いつも威張っていた私を嘲笑しているに違いな
いわ‥‥。
私が‥‥私が‥‥
私が見えないのを知っていて!
おかしいわよ!
必要ないのに!
役に立たないのに!
なんの為に私は笑いモノになりつつも生きていなきゃなんないのよ!
「‥‥シンジにだって迷惑かけてばかりなのに‥‥シンジの時間を潰しているのに‥‥」
『どくんどくん』
動きめくるモノが止まらない。
私の暗闇の中をそのモノが動き暴れる。
私に悪寒と共に疑念の波が包む。
噛みつくような不安と、突き刺すように感じ始めた「見えない視線」に恐怖する。
快適の温度にされている筈のお湯が冷たくなっていく感じていく。
‥‥シンジは‥‥何故私なんか‥‥私が死のうと‥‥したから‥‥?
そうよ!
一時的の気休めに過ぎないんだわ。
イヤ‥‥。
こんな‥‥虚構にすぎない世界は‥‥。
怖いよ‥‥。
怖いよ‥‥。
なんで見えなくなったの‥‥?
どうして私だけこんな辛い目に遭うの?
本当はみんな見てくれてないんじゃないの?
私の聞こえない場所で、私の見えない表情で、「声」の伝達だけで私を飼い殺しするん
だ‥‥。
私はピエロになるんだ‥‥。
ううん‥‥なって‥‥いたんだ‥‥。
なって‥‥。
いたんだ‥‥‥。
イ‥‥ヤ‥‥。
イヤ‥‥。
イヤ‥‥。
イヤ!
こんな世界イヤ!
イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ―――!
「嫌っ!!」
私の意識はそこで途切れた。
アスカの服を脱がしてお風呂に入れる。
当然、僕の目にアスカの裸体が入る。
最初は下唇を噛むほど恥ずかしかったが、よく考えたらアスカの方が恥ずかしいに決ま
っている。
そう、考えたらアスカの体を綺麗だなって思うようになってきた。
「ありがと、シンジ」
この言葉を聞く度に嬉しくなる。
自分の肉親に誉められたときとは全然違う嬉しさだ。
思えばアスカと僕はいつからこんな仲になったんだろう――。
最初は惹き合っていたような気がした。気のせいでも。
しかし、アスカの突き進む考えと僕の中だるみな性格が、交錯する時を逸らしてしまっ
たのだろうか、それからは近づく事がお互いに嫌悪としてイメージに残った。
何故、僕は積極性がないのだろう――。
何故、うやむやと自己中心的な考えしか出来なかったんだろう――。
たとえアスカも僕と同じ性格だとしても、僕は行動を起こすべきだったんだ。
今の彼女を見て、僕は懺悔しているわけじゃない。
ただ――。
何故自ら人を好きになってあげなかったのかを後悔していた。
相手を責めない友人より口喧嘩の耐えない恋人が親友が僕には大切だったことを――。
今は同じ過ちを繰り返さないよう、彼女を――きっと心の中では一番望んでいた彼女
を――
――守りたい。
「‥‥おかしいな?」
‥‥アスカがお風呂に入ってからずいぶん経つ。
中では物音一つしない。
「‥‥のぼせてしまったのかな‥‥?」
怪我をするような音はしていないけど‥‥。
「アスカ?大丈夫?」
心配になって聞いてみた。
すると浴場から木霊する返事が返ってくる。
「‥‥シンジ‥‥‥私の部屋から新しいリンス持ってきてくれる‥‥」
ほっと胸をなで下ろす。
「うん。いいよ、ちょっと待って」
答えて脱衣所から出る僕。
――が、アスカの声に力の無さを感じた僕は、嫌な予感を感じながらアスカの部屋に向
かった。
‥‥えっと‥‥これかな‥‥?
これ、僕が買ったのじゃないや‥‥委員長が持ってきてくれたのかな?
ガチャン
小さな音がした。ほんの小さな音が。
‥‥浴場!? ―――アスカ!!!
僕は駆け出した。
アスカの所へ。
「アスカ!今の音はなに!?」
「‥‥‥」
「アスカ!?開けるよ」
「‥‥大丈夫よ‥‥‥何でも‥‥‥ないわ‥‥‥‥‥シンジ‥‥」
ゾクリ
僕はアスカのその声に悪寒を感じる。
僕の心臓の鼓動がその強い高鳴りを止めない。
まさか‥‥
「ごめんアスカ!開けるよ!」
ガラッ――
「!!!!!!!!!!」
予感は的中‥‥した‥‥
浴場の中は真っ赤だった‥‥。
鏡が割れていて、アスカの右手には破片が握られている‥‥‥
そして、アスカの白い首筋から赤々としたモノが吹き出ていた‥‥‥
‥‥そう‥‥‥
アスカの好きな色の‥‥‥赤色の‥‥‥
‥‥‥血が‥‥‥