第十話 シャンパンと苺

公園から数分歩いたところに二人が出会ってから一緒に暮らしたマンションがある。

二人は帰ってきた。

玄関でアスカはシンジを押し止める。

「シンジ、レディファーストよ」

そして、アスカは先に靴をぬぎ、振り向いた。

シンジが玄関にはいると、アスカは微笑んで

「おかえりなさい」

と言った。

 

「シンジ、疲れたでしょう。おなか空いてる? 何か食べたいなら簡単なものだけど作るわ。
その間にシャワーでも使いなさいよ」

「アスカは夕食をとったの?」

「まだだけど、あまり食べたくない」

「じゃあ、少しお酒でも飲む?ぼくが準備するからアスカが先にシャワーすれば?」

「うん」

アスカは何かにこにこしながら自分の部屋に入る。

『よかった。元気なアスカに戻ったな』

シンジもうれしくなる。

 

シンジはリビングにはいると、部屋の感じが違っていることに気がついた。

家具はそのままだが、アスカの物がほとんどないのだ。

「アスカ、部屋の感じが違うけど?」

洗面所からアスカの声が聞こえてくる。

「資料とか荷物が多くなったので、広いところに引っ越すの。研究にも不便だし」

少しびっくりしたシンジが聞いた。

「じゃあ、ここはどうなるの」

「レイが住むわ。もうすぐ卒業だし。ミサトもリツコも賛成よ」

「ふ~ん、そうなんだ」

シンジは、レイが住むと聞いて安心したようである。それ以上何も言わなかった。

 

「シンジ、お先しました。シャワーをどうぞ」

「ありがとう、すぐもどるから」

シンジはバスルームに消えた。

髪にタオルを巻き、リビングにはいったアスカはテーブルを見た。

テーブルには、クーラーにはいったシャンパンのボトルとグラス、それと苺とクラッカーが置いてあった。

『シンジ、無理しちゃって。ふふっ、『お子さま』シンジも最近わかってきたようね』

部屋の電気を消すと、月光が入ってくる。

ラジオもなにもつけない。

「これで完璧ね。」ひとりつぶやくアスカ。

外の音がかすかに流れる中、アスカはまたうれしそうに微笑んだ。

 

 

「お帰りなさい。シンジ」

「ただいまアスカ」

二人はグラスを鳴らす。

「シンジ、『アスカ』じゃなくて『ヴィヴィアン』でしょ?」

「やっぱりわかった?わかってくれるとは思ったんだけど。」

ヴィヴィアン・・・ウォードとエドワード・ルイスの恋物語。
この30年以上前のネオクラシックの映画をアスカが気に入っていて、ひそかにDVDを愛蔵していることをシンジは知っていた。

「あの受けた屈辱をきっちり返すところがいいのよねぇ」

「それって、彼女が最初に買い物に行って、追い出された店のこと?」

アスカらしいと思うシンジ。

「そう、それとあの支配人もいいのよ。リチャード・ギアは好きじゃないけど」

「オペラを見に行くところが好きだな。あのシーンのジュリアのドレスはアスカにも似合うと思うし」

「そう思う?そうよねぇ、この私があの映画に出演していたらゴールデングローブ賞どころじゃないわ。
各国の映画の賞を総なめにしていたと思うのよねぇ」

『そうかな?』

口には出さないシンジ、正解である。

苺を口にするアスカ。違いがわかったらしい。

「ちょっと、シンジ、この苺」

「わかった?ビクトリアという種類のもので、150年くらい前に日本に輸入された野生種の苺だって。
今はほとんど栽培もされていなくて、大学の標本室ぐらいにしか残っていないらしいけど。
教授の日本の友だちが趣味で作っていて、学会の時にもらったのを少し分けてもらったんだ。
本当の旬は5月らしいけど」

「香りと酸味がちがうわね。それに中まで紅い色がにじんできれい」

「アスカに喜んでもらってよかったよ。
加持さんに話したら興味を持っちゃって、ぜひ苗を手に入れたいなんて言っていたから、
来年も食べられるかもしれないね」

子供のように喜ぶアスカを見てシンジは笑う。
シンジの笑顔を見てアスカも笑った。

 

「向こうの大学はどう?」

「MITの他にハーバードにも聴講に行っているんだ。地下鉄で2駅だしね。
いろいろな人が集まるフェローシッププログラムもあって、勉強になるよ」

「向こうの大学は聴講が自由にできるし、日本も見習って欲しいわね」

「でも、教官から一般の学生と同じ宿題を出されるのは大変だよ。
一回の宿題がテキスト200ページもある時があって、その時は困ったよ」

「そのくらい出来なきゃあね。アタシは出来たわよ」

「アスカは頑張り屋さんだからね。僕には無理だよ。本業の研究もあるしね」

「まっ、そうね。シンジも頑張り屋さんだって言うことはアタシが一番知っているわ。
だから体を壊さない程度にね」

「うん、ありがとう」

1年ぶりの恋人達の会話は尽きない。

ボトルの残りも少なくなってきた。

時間が経つにしたがって、ご機嫌なアスカと反比例し、シンジの緊張が加速していった。

寡黙になっていくシンジ。

アスカもシンジの緊張を感じるのか、シンジの顔を覗き込んだ。

「どうしたの? 疲れた?」

かぶりを振り、グラスを口に運ぶシンジ。

金色の液体を一口飲むとアスカをまっすぐ見つめた。

『?』

少し首をかしげるアスカ。

「アスカ、ぼくの話を聞いて欲しい」

アスカは黙ってシンジを見つめる。

 

「ぼくは、エヴァに乗っていた頃、自分が大嫌いだった。
あの時のぼくはいつも逃げてばかりいて…。
『逃げちゃだめだ』といいながら、心に壁を作って他人から逃げていたんだ。
それなのに他人の心を求めてきたんだ」

「シンジ、あのときは14歳だったのよ。子供だったのよ。
それにアタシがマグマの中に墜ちていったとき助けてくれたじゃない。
エヴァと闘っているとき、シンジ、来てくれたじゃない。
アタシが入院していたときもずっとそばにいてくれたじゃない。
アタシも心を求めてきたわ。それは永い間叶わなかった。
でも、シンジがくれた。いつもいつもシンジがいたの。
アタシのとなりにシンジがいたの」

「うん、ぼくもアスカの心を感じていた。
だから、磁石のようにお互いが惹かれ、ぼくはアスカのことが好きになったと思う。
でも、いつか、ぼくの心の壁が無くなり、ぼくを愛してくれる、または、分かり合える 別の『心』に気付いた時、
そのときもアスカのことを好きでいられるだろうか。
いらなくなったおもちゃみたいに捨ててしまわないだろうか。
そう思って自分が怖かった。
逆にアスカが離れて行ってしまわないか怖かった。
あの時はそう思っていたんだ」

シンジはアスカを見つめて話を続ける。

「でも、あの日にも言ったけど、今ははっきりと誰にでも胸をはって言える。
ずっとアスカのことを愛している。この気持ちはこれからも変らない」

「うん」

「今日は、もうひとつ、大事な話をするよ……
アスカ、ぼくと結婚して欲しい。
いま、僕は学生だから婚約ということになるけれど…」

「シンジ、うれし……」

大粒の涙がアスカの頬をつたう。

何か言おうとするが、言葉にならない。

シンジは、そっとアスカの左手をとると、小さな箱から指輪を取り出し、薬指にはめた。

チルドレンを照らし出す月は少しずつ西に向かって動いている。

カーテンが、夜の乾いたさわやかな風に吹かれて舞う。

もはや二人に言葉は必要なかった。

 

 

 

 

夜明け前。光と闇の混じった中、アスカは目覚めた。

となりにはシンジの寝顔がある。

『愛してるわ』

アスカは小さくつぶやき、そして、うれしそうに左手を見つめた。