<3>束の間の平穏 A-part

「・・・・・・ただいま」
アスカは、玄関のドアが開くと同時に、声を懸けた。
だが、答える声はない。
どうやら世帯主は、まだ帰宅していないようだった。
アスカは自分の部屋に向かうと、明かりもつけずに、そのままベッドへ俯せに倒れ込んだ。
桜色の唇から、小さな溜息が漏れる。
「・・・・・・バカシンジ」
帰ってきたら絶対に怒鳴ってやる、と思っていた。
帰ってきたら笑顔で迎えよう、と思っていた。
逢ってみたら、何を言っていいか判らなくなった。
自分の気持ちが判らなかったはずなのに、顔を見たら、ただ一つの言葉でこころが一杯になった。
言いたいことは沢山あったはずなのに、感情が溢れすぎて、何も言えなかった。
そのかわり、涙が出た。
「暫く逢わないうちに、恰好よくなっちゃってさ・・・・・・反則よ」
アスカは、ほんの数分前までの出来事を思い出し、笑みを浮かべた。


天と地のはざまで<3>

束の間の平穏

A part


「・・・・・・落ち着いた?」
静かなシンジの声が、耳に滑り込んでくる。
頷くと、背中に回した腕が解かれた。
少しだけ、残念な気がする。
「・・・・・・はい」
俯いたままで居ると、ハンカチが差し出された。
優しいところは、変わってない。
でも、ありがとうが言えなくて、思わず飛び出してしまう言葉。
「・・・・・・バカシンジの分際で、恰好つけんじゃないわよ」
本当は、こんなこと言いたいんじゃない。
素直になれないから、ハンカチをひったくるように受け取ると、目許を隠す。
「ごめん」
シンジは謝った。
「ああ、もう! そうやってすぐ謝る! 成長しない男ね!」
条件反射のように出てしまうのは、罵声。
「アスカは、相変わらず元気そうだね」
でも、シンジは気にしたふうもなく、そう言って微笑む。
鮮やかすぎる笑顔に、不覚にも一瞬、見とれてしまった。
「・・・・・・アスカ?」
ぼんやりしていると、シンジの不思議そうな声。
「うるさいわね!」
またもや怒鳴ってしまう。
ああ、駄目だわ。
・・・・・・でも、シンジが動揺させるから悪いのよ!
男の癖に、あんなに綺麗に笑うから!
顔に血が上っているのが自覚できる。
それを見られるのが恥ずかしくて、思わず歩き出してしまう。
でも、シンジはちゃんとついてきた。
「それにしても、何で連絡も無しに帰ってきたのよ!」
背中に全神経を集中して、訊く。
「今朝決まって、すぐに帰ってきたんだ。連絡する暇なんか無かったよ」
少しだけ、困ったような声。
「じゃあ、何であんな所に居たの?」
「アスカを待ってたんだよ」
何の躊躇いもなく返される答え。
予想外の返事に、思わず足が止まる。
正直に言えば、その答えを望んでいた。
でも、シンジがそんな台詞をすらすらと吐けるとは、思っていなかった。
「アスカ?」
突然、立ち止まってしまったので、シンジは不審そうだった。
「に、似合わないことするんじゃないわよ!」
言い捨てるようにして、また歩き出す。
「うん・・・・・・そうだね」
ごめん、と謝るかと思ったら、違った。
他人の顔色を伺うようなところ、少しだけ変わったかな?
「で、チェロの方はどうなったの?」
この2年分のこと、全部知りたいから、質問を重ねる。
「才能のないことだけは、はっきりしたよ。これからは、趣味の範囲で続けてく」
ほんの少しだけ、シンジの口調が変わった。
それに気が付いて、慰めの言葉をかけようと思った。
でも、できなくて。
何となく気まずい沈黙のうちに、マンションの前に着いてしまった。
「此処が、今の家?」
シンジが訊く。
「そう。801号室」
勢いよく振り返って、シンジを見る。
「そうなんだ・・・・・・そういえば、アスカ、料理上手いんだってね。ミサトさんが誉めてた」
シンジはそう言って、微笑む。
「あったりまえでしょ! この天才美少女、惣流・アスカ・ラングレー様にできないことはないのよ!」
出来るようになるまでに、死ぬほど努力しただなんて、言えない。
家事をやるようになってから、自分がシンジにどれくらい負担を掛けてたか、初めて判った。
でも、今更ありがとう、なんて言えない。
・・・・・・なんて意地っ張り。
シンジは、黙って笑みを深めた。
その表情に何となく気恥ずかしくなって、別な話題を探す。
「そ、そうだ。あんた、何処に住むの?」
その質問には、期待が混じってた。
2年前みたいに、一緒に暮らして。
我が侭きいて貰って。
今度は食事の支度は、ちゃんと当番制にして。
そういう生活を、思い描いていた。
「ん? Nervの官舎だけど」
だけど、シンジはあっさりと言う。
何で?
戻ってきて、くれないの?
「・・・・・・ミサト、何か言ってなかった?」
自分から、一緒に暮らそう、って言えなくて、ミサトにかこつける。
「うん。ミサトさんから、部屋が用意してある、って言われたけど、断ったんだ。父さんがあんな状態だし、リツコさんも大変そうだから、傍に居た方がいいかと思って」
碇司令は、テロによって大怪我をしていた。
リツコは、子育て奮戦中。
確かにシンジの言うとおりだけれど。
「そう」
何となく、俯いた。
・・・・・・淋しいんだ、私。
「もうちょっと、落ち着いたら考えるよ」
でも、そう言われると、反射的に強がりが出てしまう。
「無理しなくてもいいわよ。あんたが帰ってこない方が、清々するわ」
嘘。
本当は、一緒に居て欲しいのに。
「・・・・・・迷惑ついでに申し訳ないけど、明日から同じ学校に通うことになったんだ」
シンジは少し、困ったような表情で言う。
無理もないよね。先刻から、貶すようなことばかり言ってるもの。
素直になれない自分が歯がゆい。
「・・・・・・それじゃ」
シンジはそう言って、背を向けた。
広い背中。
2年前は、身長なんてほとんど変わらなかった。
なのに今は、シンジの方が頭一つ分、背が高い。
それだけじゃない。
体格も、声も、物腰でさえ、大人の『男』になっている。
「・・・・・・シンジ!」
このまま別れるのが嫌で、呼び止める。
「何?」
シンジは、立ち止まって振り返った。
昔のように、他人の顔色を伺うような所は微塵もない。静かで、真っ直ぐな視線。
言わなきゃ。
「あの・・・・・・お、送ってくれて、ありがと」
勇気を振り絞って出した声は、シンジに届くか届かないかの小ささ。
でも、ちゃんと聞こえたらしい。
シンジは笑顔を見せてくれた。
「うん、また明日」
「・・・・・・じゃあ!」
恥ずかしくて、逃げるようにエントランスホールを駆け抜け、エレベータに乗り込む。
そういえば、シンジにちゃんと、『ありがとう』って言ったの、今日が初めてかもしれない。
そう考えると、自分の傲慢さに改めて気付く。
反省・・・・・・
・・・・・・回想をストップし、寝返りを打って、仰向けになる。
闇に慣れた目が、ぼんやりと天井を映す。
「・・・・・・それにしても、何でバカシンジなんか好きになっちゃったんだろう?」
無意識の裡に、呟きが漏れた。
初めて逢った時、冴えないヤツだと思ったのに。
でも、今は違う。
2年ぶりに逢って、シンジのことが本当に好きなのだと、否応なく認識させられた。
何気ない言葉や、動作一つに、どきどきしてしまう自分が居る。
同時に、それを素直に伝えられない自分も。
「・・・・・・恋は理屈じゃないっていうのは、本当ね」
溜息が落ちる。
その時不意に、玄関のエアロックの作動音が聞こえた。
どうやら、ミサトのご帰宅らしい。
「ただいまぁ! アスカ、居ないのぉ?!」
電気が点いていないから、不審に思ったらしい。
「お帰りミサト!」
返事をしておいて、ベッドから起きあがる。
さて、シンジの件、とっちめてやらなきゃ。

 蜂蜜色の髪が、エントランスホールへ消えると、シンジは溜息を吐いた。
「・・・・・・出歯亀は、外してくれたんじゃなかったでしたか?」
振り向かずに、背後へ問う。
「お前が居りゃ大丈夫なのは百も承知だが、何事も形式ってやつが必要だからな」
何処からともなく現れたダグラスが、やや決まり悪げに弁解する。
シンジは、肩を竦めると、踵を返して歩き出した。
「それにしても、噂以上の美少女だな。お前が執心なのも判る」
少年と並んで歩きながら、ダグラスは感心したように言う。
(・・・・・・本当に綺麗になったよな)
シンジは内心、呟いた。
背の半ばまで届く、蜂蜜色の髪。
晴れ渡った夏空のような、曇りのない青い瞳。
雪花石膏のような白い肌。
優美なラインを描く、僅かの破綻もない美貌。
モデルくらいなら楽に勤まりそうな、完璧な比率を持つ肢体・・・・・・
出会った頃から、綺麗な女の子だと思っていたが、久しぶりに逢ってみて、驚いた。
あの頃は、自分自身を守るために攻撃的だった性格を反映してか、美貌の中にもどこか険があった。
今は、精神的にも落ち着いてきたらしく、また2年という歳月によって女性らしい柔らかさが加わり、美しさに磨きが掛かっていた。
手が早いのは、相変わらずだったが。
「・・・・・・それで、どうだった?」
アスカに逢う、資格。
言葉にされなかった問いを正確に把握し、シンジはゆっくりと口を開いた。
「おかえり、とは言ってくれましたけどね」
(・・・・・・そういえば、嘘ばかり吐いてしまったな)
チェロのことも、一人暮らしの理由も。
(前は、些細な嘘ひとつ吐けなかったのに、今ではそれが、こんなにも簡単に出来る・・・・・・)
シンジの秀麗な顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。
2年前は、『大人』になりたくないと思っていた。
平気で嘘を吐き、騙しあい、汚いことをしてのける『大人』が嫌いだった。
でも、大切なひとを守るために、彼は、大嫌いな『大人』になることを選んだ。
「何にしろ、嫌われるでしょう。俺は、彼女の友達を『排除』しなければならないんですから」
素っ気ない口調の中に、僅かに苦いものが混じった。
「・・・・・・その件だが、まだ特定できてねぇ。学校の全生徒と教職員の四親等以内まで調査中だ」
ダグラスは、無表情に告げる。
「それに、Nerv全職員もだな」
二重スパイダブルエージェントの存在を、既定のものとして考えているイギリス人の言葉に、シンジは溜息を吐く。
「・・・・・・辛いか? 全ての人間を疑うことが」
ダグラスは、翳りを帯びた少年の顔を見る。
だが、シンジは微かに笑みを浮かべた。
「そう言えば、前にも同じ事を訊かれましたね」
あれはまだ、訓練が始まったばかりの頃・・・・・・
「此処は敵のど真ん中だ。全てを疑ってかかれ。信じられるのは自分だけだと思え」
冷たささえ感じさせるイギリス英語キングス・イングリッシュが、ダグラスの口から発せられる。
戦士としての顔を見せる時、ダグラスは母国語を使う。
「・・・・・・誰も信じるな、ですか?」
シンジもまた、非の打ち所のないキングスで問う。
  「ああ。たとえ本人にその気がなくても、人質を取られて裏切りを強要されているかもしれない」
「金銭目当てで裏切っているかもしれない」
「最初から、スパイとして潜り込んでいるかもしれない」
「知らない間に協力させられているかもしれない」
「それが見極められない以上、全ての人間を敵と仮定するしかない」
   シンジは、沈黙する。
それを見たダグラスは、彼の顔を覗き込んで訊いた。
「辛いか? 全てを疑うことが」
「・・・・・・あの時は、『はい』って答えたんですよね」
シンジは、遠くを見るように目を細めた。
「今なら、何て答える?」
ダグラスは、そんな愛弟子の様子を、興味深げに見守る。
「・・・・・・辛くないといえば、嘘になります。でも、今の自分の立場では、そんな甘いことは、言ってられませんからね」
自分自身が生き延びるために、自分の大切なひとを守るために、どんなに辛くても戦うと、決めたのだから。
「白黒の判定がつくまで、全ての人間を、敵として見做しますよ。たとえそれが、友人であっても」

 その朝は、久しぶりの快晴だった。
そして、アスカの機嫌は、天気よりも良かった。
「おはよう!」
既に教室にいたヒカリとマユミに、いつもより一際明るい笑顔を向ける。
「おはよう、アスカ」
「アスカさん、おはよう・・・・・・ご機嫌ね」
マユミが、びっくりしたように言う。
「何かいいことあったの?」
ヒカリが訊く。
「別に」
そう言いながらも、アスカは全開の笑顔である。
「・・・・・・おはよ!」
そこへ、元気な挨拶と共に、マナが現れる。
「あ、おはよう」
「マナさん、おはよう」
「おはよう、マナ」
三人は、それぞれ挨拶を返す。
「・・・・・・どーしちゃったのアスカ。朝からやけにご機嫌じゃない?」
妙ににこにこしているアスカに、マナはからかうような笑みを浮かべる。
「それ、私達も訊いてたところ」
ヒカリが言う。
「別になんでもないってば」
アスカは、同じ答えを返す。
「そのカオで言われても、説得力ないと思う」
浮かれているようにしか見えない親友に、マユミが指摘する。
「さあ、きりきり吐けぇ!」
マナがアスカの両肩を掴み、前後に揺さぶった。
「アスカさん、隠し事はよくないわ」
マユミが言う。
「そうそう、言っちゃえば楽になるわよ?」
ヒカリが茶々を入れた。
「ホントになんでもないんだってばぁ!」
三人から責められるアスカを助けたのは、SHRの始まりを告げるチャイムだった。
「おしい、時間切れ」
マユミが残念そうに言う。
「・・・・・・後で、ずぇったいに吐かせちゃるからねっ!」
マナが不吉な笑みを残して、自分の席へ戻る。
「覚悟してね、アスカ」
ヒカリもまた、にっこり笑うと、自分の席へ戻った。
「・・・・・・忘れてくれないかしら」
アスカは、自分の机に突っ伏す。
夕べから、どうにも顔に締まりが無いのは、自覚している。
ヒカリ達にからかわれるのは、予測済みだったので、なるべく普通にしていようと心がけたのだが、無駄だったらしい。
アスカが溜息を吐いた時、教室の扉が豪快に開いた。
担任教師の登場である。
「起立!」
ヒカリが、すかさず号令をかける。
「礼、着席」
「みんな、おはよう!」
「おはようございます!」
教卓の前に立ったエリカの笑顔に、クラス全員が答える。
巧みな話術と笑顔、そしてノリが良く、さばけた性格のエリカは、昨日一日で生徒全員の心を掴んでいた。
「さて、今日は取って置きの連絡事項があります!」
エリカはそういって、一旦口を噤む。
生徒達もつられて黙り込むと、彼女に視線を集中する。
その様子に気をよくしたエリカは、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「転入生を紹介するわ! 帰国子女、おまけに上玉よ!」
おお、とクラス中がどよめく。
勿論、その波に乗らなかった者も数人居る。
「転入生だと? 俺の情報網に引っかかってないぞ?!」
そのうちの一人、ケンスケは不審そうに呟いた。
「先生! 男? 女?」
誰かが問う。
エリカは、ふふん、と笑った。
「さあ、どっちでしょう?!」
「焦らさんと、教えてぇな~」
トウジが言う。
エリカは、扉に歩み寄り、引き戸に手をかけた。
全員が、固唾を飲んで見守る。
2年B組の教室には、今にもドラムロールが聞こえてきそうだった。
「さあ、喜ぶのは男子か、女子か?! Hey! Please come in!」
歯切れのいいエリカの言葉に誘われ、教室に入ってきたのは、長身の美少年。
女子からは憧憬の溜息が、男子からは落胆の吐息が漏れる。
「はい、じゃあ自己紹介して」
制服が間に合わなかったのか、白い綿のワークシャツと、ジーンズといういでたちの少年は、エリカの言葉に頷くと、丁寧に一礼した。
「はじめまして、碇シンジで・・・・・・」
「ああああああああああっ!」
シンジの言葉に、トウジとケンスケの叫びが重なる。
トウジに至っては、椅子から立ちあがり、シンジを指差している。
普段なら、ここでヒカリの怒声が飛ぶはずだが、彼女自身が驚きの余り思考停止していたため、トウジを咎める者は誰も居なかった。
「・・・・・・一体、何?」
エリカが、誰に訊くともなく言う。
周囲の生徒は呆気に取られたように、クラスメートと転入生の顔を交互に見やる。
その中で、状況を把握しているのは、シンジ一人だった。
「・・・・・・碇シンジです。父の仕事の都合で、ここ2年ほどヨーロッパにいました。その前は、こちらに住んでいたので、鈴原君や相田君のように、僕を知っている人もいるかと思います。みなさん、宜しくお願いします」
シンジは説明を兼ねた自己紹介をし、もう一度頭を下げた。
「・・・・・・あら、偶然の再会なの?」
いち早く立ち直ったエリカが、目を瞠る。
「ええ」
シンジはにっこり笑う。
同年代の少年達とはまったく違う、透明感のある笑み。
少女漫画なら、さしずめバックには花を背負っていることだろう。
その笑顔に、女子の溜息が漏れた。
「そう・・・・・・じゃあ、みんないろいろ質問があるかもしれないけど、今は時間が無いから、後で個人的にね」
エリカは、てきぱきを話をまとめる。
「碇君の席は、窓際の一番後ろ」
「はい」
シンジは、指定された席に着く。
「山岸さん、面倒見てあげてね」
エリカは、シンジの隣に座る少女に声をかけた。
「・・・・・・はい」
か細い声で、マユミは応える。
「よろしく、山岸さん」
シンジが笑顔を向けると、マユミは真っ赤になって俯いた。
「・・・・・・よ、よろしくお願いします」
「じゃあ、これで、朝のSHRは終わり! 今日も一日頑張りましょう!
エリカがそう締めくくる。
しかし、号令はいっこうにかからなかった。
「洞木さん?」
不審に思ったエリカは、ヒカリの注意を喚起する。
「あ、はい! 起立!」
名を呼ばれて、ようやく我に返ったヒカリが、号令をかける。
「礼、着席」
ちゃくせき、といい終わる前に、シンジの回りには少女達が群がった。
その様子に、シンジとの久闊を叙しようとしたアスカやヒカリ、トウジ、ケンスケらは、完全に出鼻を挫かれ、呆然とする。
「ねぇねぇ、ヨーロッパの何処に居たの?」
「碇君って身長いくつ?」
「彼女居るの?」
「校内案内してあげようか」
突然始まった質問の集中豪雨に、シンジは目を丸くした。
「・・・・・・ちょ、ちょっとごめん!」
少しだけ大きな声で、少女達を制すると、シンジはゆっくりと立ち上がる。
「ごめん、質問には後で答えるから、ちょっと通してもらえないかな?」
穏やかながら、有無を言わせぬ口調に、周囲は一様に押し黙る。
「ホントにごめん」
そう言ってシンジは、 少女達の輪の中から抜け出した。
「シンジ!」
不機嫌、と満面に書かれたアスカが、彼に声を懸ける。
「ごめん、アスカ。後で・・・・・・トウジ、ちょっといいかな?」
シンジは歩きながら、親友の名を呼ぶ。
「おう」
トウジは、シンジの思い詰めたような表情を見ると、余計なことは言わずに、彼の後を追った。
「・・・・・・何処行くんや?」
トウジが訊く。
「取り敢えず、非常階段」
パイプスペースに至るまでの校舎内の平面図を頭に入れてあるシンジの足取りには、迷いがない。
オートロック方式の鉄扉を開け、ドアストッパー代わりのコンクリートブロックを置くと、トウジとシンジは正対した。
「トウジ・・・・・・足のことだけど、どうしても謝りたくて・・・・・・」
シンジは、そう言って俯く。
かつて、トウジの乗った参号機が使徒化した時、シンジは、何も出来なかった。
彼の代わりに使徒を殲滅させたのは、ダミープラグ。
だが、その代価は大きく、トウジは左足を失った。
(・・・・・・あのとき、自分がしっかりしていれば)
そのことを思い出すたびに、シンジは自分を責めた。
「ごめん。謝って済む事じゃないけど、本当にごめん」
悲壮な表情のシンジに対し、トウジは穏やかな笑みを浮かべる。
「あれは、センセが悪かったんやない。仕方ないことやったんや。気にせんといてや」
「でも、俺が・・・・・・」
次の言葉が予想できたトウジは、シンジの眼前に拳を突き出した。
「もう、ええって! ワイの足は元どおりになった。妹かて、元気に学校通っとる。あのことは、もうええんや! センセがワイのことダチだと思うてるなら、もう言うな!」
少年は、厳しい表情を見せる。
「トウジ・・・・・・」
シンジは、泣き出しそうに顔を歪めた。
足を奪った自分に対しても、深い思いやりを見せてくれる親友のこころが嬉しかった。
「・・・・・・なんや、久しぶりに逢うたのに、そないなシケたツラすんな」
トウジは、表情をゆるめ、わざと軽口めかして言う。
「うん」
シンジは、無理矢理笑顔を作った。
「ごめん・・・・・・ありがとう」
トウジは、照れくさいのかそっぽを向く。
だが不意に、その顔が、悪巧みをする時の笑顔を浮かべた。
「・・・・・・そや! 昼休み、ワイの足がどれだけ戻ったか見せたるわ」
「え?」
シンジは驚いたように、トウジの顔を見直す。
「楽しみにしとってや」
トウジはそう言うと、踵を返した。
「ほな、教室戻るで。一限目の古典のサカ爺、遅刻に五月蠅いんや」
「・・・・・・判った。行こう」

 単調な古典の授業中、シンジのノートパソコンには、目眩がしそうなほどの量のCALLが届いた。
(・・・・・・この街に来て、初めてエヴァに乗った後もこうだったな)
質問の内容こそ違うが、似たような状況に置かれたシンジは、微かに苦笑を漏らす。
(面倒だけど、無視すれば量が増えるだけだろうし、先刻後で答えるって言っちゃったしな・・・・・・)
小さく息を吐くと、シンジは軽やかなキィタッチで、嘘と本当を適度に混ぜたリプライを書きはじめた。
・・・・・・その頃、アスカ、ヒカリ、マナ、マユミは、四人で『内緒話』をしていた。
『碇君が帰ってくること知ってたの?>アスカ』
何の前置きもなしに、ヒカリが訊いてくる。
昔は堅物と言われていた彼女だが、高2にもなれば、授業中にちょっとしたお遊びをやる程度の茶目っ気も備えている。
『一応>ヒカリ』
アスカの返事は、恐ろしく短い。
『照れない~! だから朝から機嫌が良かったんでしょ?>アスカ』
マナが、実に楽しげに書き込む。
『彼が、マナさんの言ってた『王子様』?>アスカさん』
ごくごくさりげなく、マユミが爆弾を投げつける。
『何が王子様よ!>マユミ 何を吹き込んだのよ?!>マナ』
速攻でレスが戻る。
『お泊まりに来て、酔っ払ってカ・レ・シの話をしたことよん>アスカ』
『ええ? そんな話したんだ?>マユミ・マナ』
マナの書き込みに、ヒカリが反応する。
だが、アスカの反応はもっと早かった。
『誰がカレシよ! あいつはそんなんじゃないわよ!!!!>マナ』
『その割には先刻、お互いに名前を呼び捨てにしてたでしょ?>アスカさん』
マユミが突っ込む。
普段、内気な彼女だが、一度打ち解けた仲になると、結構強気の態度も見せる。
『それは、前からの知り合いだから! あんな馬鹿、私には関係ないの!>マユミ』
アスカはあくまでも強気だった。
『そっか~、じゃあ私がアタックしても、全然OKね?>アスカ』
マナの問いに、アスカは詰まった。
それまでのクイックレスポンスが嘘のように、時間をおいてから返事をする。
『あんなボケボケっとしたヤツの何処がいいの?>マナ』
アスカの機嫌が悪いことを悟ったマナだが、平気で言葉を続ける。
『見た目かなりのセンだし、毅然としてるっていうの? 先刻の態度。それに、笑顔が素敵でしょ?>アスカ』
『男のひとなのに、綺麗に笑いますよね、彼>マナさん』
マユミが同調する。
それを見たアスカの形の良い眉が、急角度で跳ね上がる。
そして、ゆっくりと一言書き込んだ。
『好きにすれば』
それをしおに、会話が途絶える。
やがて、アスカ宛に、ヒカリからダイレクトにメッセージが届いた。
『素直にならないと、他の人にとられちゃうわよ?』
『関係ないわ』
アスカの返事は、至って素っ気ない。
『だったら、朝の浮かれようは何だったのかな?』
『何でもないってば!』
ヒカリは、軽く溜息を吐いて、それ以上の詮索は止めた。
『何でもいいけど、くれぐれも後悔だけはしないようにね?』
そうこうしているうちに、授業が終わった。
マナは、他の少女達がシンジの周りを囲む前に、彼の席の前に立った。
「碇君」
「えっと・・・・・・?」
「私、霧島マナ」
名前を問うシンジに、マナはとびきりの笑顔を見せる。
「何かな、霧島さん」
「碇君、彼女居る?」
あまりにも唐突な質問に、シンジは目を瞬く。
いつの間にか周囲は、シンジの発言を待って、静まり返っていた。
「・・・・・・別に居ないけど」
シンジは、苦笑に近い笑みを浮かべ、答えた。
「じゃあ、アスカとはどういう関係?」
マナは訊きながら、横目で親友を見る。
アスカは、むっとした表情で、こちらを睨んでいた。
「え?」
突然の台詞に、シンジは戸惑い、アスカの席の方へ視線を投げる。
だが、アスカはあからさまに顔を逸らした。
「・・・・・・彼女はなんて?」
シンジは、慎重に即答を避ける。
「関係ないって。でも、名前で呼び合う仲なのにね?」
マナの言葉には、若干の皮肉が混ざっていた。
シンジは、困ったような表情で、溜息を吐く。
「・・・・・・」
沈黙をどうとったのか、マナはにっこり笑った。
「じゃあ、私、碇君の彼女に立候補するわ!」
「ちょっと、なに言い出してるのよマナ?!」
途端に、アスカが椅子を蹴倒して立ち上がる。
「だって、『好きにすれば』って言ったじゃない。それに、アスカと碇君は『関係ない』んでしょ?」
アスカが、言葉に詰る。
だが、握りしめた拳が、ぶるぶると震えていた。
それを危険な兆候と看て取ったヒカリが、アスカを引きずるようにして、教室の外へ連れていく。
「あの・・・・・・霧島さん?」
シンジは、恐る恐る声を懸ける。
「マナって呼んで。私もシンジ君って呼ぶから」
「・・・・・・何でそうなるのかな?」
シンジは、引きつった笑みを浮かべて訊く。
「つい先刻、顔を合わせたばかりで、お互いのことなにも知らないのに、なんでそうなるのかな?」
「うん。だから、お互いのことをよく知る為に、つきあいましょ?」
マナは、にこにこ笑いながら、さも当然のことにように言う。
シンジは、気付かれないように、溜息を吐いた。
「・・・・・・だから、そういうことじゃなくて、何で俺なのかな?」
「私、面食いなの」
「は?」
「シンジ君、美形なんだもん」
「へ?」
話の展開について行けず、シンジは間抜けな声をあげる。
「・・・・・・俺の顔、ロクなもんじゃないと思うんだけど」
シンジは、自分の顔が嫌いだった。
鍛えられた身体のわりには、線が細く、はっきりいって女顔の彼は、訓練中にたびたび謂われのない謗りをうけた。
勿論それは、彼を容姿だけで判断した愚か者の言葉なのだが、世の中には、物事を外見だけで判断する人間が多い。状況によっては、それが有利に働くこともあったが、大抵の場合、かなり不快な思いをすることとなった。
「それは、自分の価値を知らないってことだわ」
「・・・・・・そうかな?」
「そうよ」
マナは大きく頷く。
「それじゃ、私があなた自身の価値を教えてあげるわ」
「・・・・・・いや、あの・・・・・・」
シンジの戸惑いなどお構いなしで、マナは話を進める。
「シンジ君、私のこと、キライ?」
「・・・・・・それはないけど」
そもそも、この短時間で、好悪を決めることなど出来るわけがない。
「じゃあ、いいでしょ?」
「いいでしょって言われても・・・・・・」
「判ったわ。お友達から始めましょう」
「・・・・・・」
強引すぎるマナに、シンジは沈黙した。
「ええええ? 霧島さんばっかりズルイ~! 私も!」
「え、私も私も!」
周囲の女の子達からは、不満の声があがる。
そして、それと同時に、彼はクラスの男子の98%からの敵意を獲得した。
(・・・・・・何故、こうなるんだろう?)
シンジは、頭を抱えて机に突っ伏した。

<続く>

<戻る>


※この物語はフィクションであり、現存する組織、団体、個人などとは一切関係ありません。


Ver.1.0  1998.06.19

Ver.1.1  2008.01.15


感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲

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