<1>嵐の到来

闇の中に、低い電子音が響き、4つの淡い光が現れた。
『01』、『02』、『06』、『11』という数字と、『SOUND ONLY』と書かれたモノリス。
彼らこそ、世界の政治を影から動かす秘密結社ゼーレのメンバーであり、この仮想空間が、彼らの会議場であった。
「・・・・・・03のエイブ・スタイガーが死んだ」
皺枯れた声が、事実を淡々と述べる。
「彼は、後継者を指名していない。またも席が空く」
「ついに、我等も4人となった」
「スタイガーの死因は?」
「『ケルベロス』が現れたらしい」
「・・・・・・Nervの番犬か」
かつて、此処には12のモノリスがあった。
だが、ある者は経済的に破綻し、ある者は政治的に失脚し、ある者は命を失い、この場から姿を消している。
全ては、Nervが仕掛けたことである。
「相次ぐ同志の欠落。各国のエヴァ建造データの破壊。我等に対する政治的、経済的プレッシャー。すべては碇の差し金だろう」
「死に損ないが」
「悪運の強い男だ。我等が送った『死』から、2度も逃れたのだからな」
「だが、次はない」
「どうやら、『人形』を動かす時が来たようだ」
「サードチルドレンは、精神的に弱いという報告を受けている。『人形』が、かの地に浸透していることを知れば、すぐさま戻ろう」
「だが、それでサードチルドレンを捕まえられるか? 誘拐の失敗は、既に2桁に上っている」
「戻らぬならば、戻らなければならないようにしてやれば良い」
「では」
「サードチルドレン及びエヴァンゲリオン初号機接収計画を発動する」
仮想空間は、再び漆黒の闇に包まれた。


天と地のはざまで<1>

嵐の到来


 贅を尽くした部屋の中に、その老人は居た。
安楽椅子に深々と身を沈め、見るとはなしに、本を開いている。
「・・・・・・?」
ふと、物音が聞こえたような気がして、老人は顔を上げた。
その瞬間、部屋の明かりが消える。
「何事だ?」
外の微かな明かりを頼りに、老人は立ち上がり、ドアの方を向いた。
不意に、ノックも無しに、ドアが開く。
「バルトバッフェルか?!」
老人は鋭く問う。
刹那、マグライトを向けられ、老人は思わず顔を背けた。
「ゼーレ11、ヨーゼフ・ガルトナーだな?」
落ち着いているが、未だ若い男の声が、癖の無いドイツ語を紡ぐ。
「何者だ?! バルトバッフェル!  何をしている!」
老人は、護衛を呼ぶ。
だが、冷ややかな男の声が、それを遮った。
「この屋敷内で動けるのは、お前だけだ」
老人は目を眇め、自分の前に立つ男の顔を必死で見た。
黒い髪、黒い瞳。
黒ずくめの服装。
子供と言ってもいいような年齢の、長身の東洋人らしき男。
その瞬間、老人の脳裏に、ある記憶が急浮上する。
「お前は・・・・・・! お前が『ケルベロス』なのか?!」
老人は、驚愕を露にして、男を見た。
「・・・・・・聞きたいことがある」
男は、老人の言葉を無視し、皺だらけの喉元にコンバットナイフを突きつけた。
「チルドレンの誘拐計画は何処まで進んでいる?」
「何の話だ?」
刹那、老人の頬を何かが掠めた。
一瞬後に、痛みと共に、生暖かいものが頬を伝う。
「っ?!」
斬られたことを理解するまでに、時間が掛かった。
「答えたくないのならば、構わない。傷が増えるだけだ」
男は、淡々と乾いた口調で言った。
「もう一度訊く。ゼーレの動きは?」
「・・・・・・知らん!」
老人は虚勢を張った。
「そうか」
男は短く応えると、コンバットナイフを一閃させ、今度は老人の左耳を斬り飛ばした。
「ぎゃあ!」
老人は耳があった場所を押さえ、痛みの余り床を転がる。
男は、老人の身体を足で押さえつけると、もう一度喉元にナイフを突きつけた。
「・・・・・・次は何処がいい?」
完全に表情を消した顔のなか、勁烈な光を宿す黒い瞳が、老人を射抜く。
老獪な政治家をも呪縛する、絶対零度の眼差し。
そして、圧倒的な力。
刹那、老人の意地が砕けた。
「答える! 答えるから、命だけは助けてくれ!」
老人は、悲鳴のような声で懇願した。
「・・・・・・では、言え」
男は、老人の身体を解放すると、数歩後ろに下がり、促した。
「セカンドチルドレンとフォースチルドレンの傍に、『人形』が居る!」
老人は、痛みを堪え、冷や汗を流しながら叫ぶ。
「『人形』は時限爆弾で、チルドレンと、かなり親密だという報告を受けている!」
「『人形』の名前は?」
男が重ねて問うた瞬間、老人は苦悶の表情を浮かべた。
呻き声をあげ、胸を掻き毟り、床を這い回る。
時間にして数十秒後、老人は俯せになったまま、ぐったりと動かなくなった。
男は、爪先で老人の身体を蹴り、仰向けにさせた。
擬態でないことを確認してから、傍らにしゃがみこみ、老人の脈を取る。
「心臓麻痺か」
男は、何の感慨もなく言うと、立ち上がった。
「・・・・・・終わったか?」
呻き声を聞きつけてか、アングロサクソン人の中年の男が室内に入って来た。
ナイフをホルスターに戻しながら、東洋人の男は頷く。
「奴が、『資産アセット』を吐きました・・・・・・尤も、全部聞く前に死にましたが」
アングロサクソン人のヘイゼルの目が、すっと細められる。
「二年ぶりに、日本へ戻るか?」
「・・・・・・はい」
東洋人の男は目を伏せた。

 広大な広さを持つ天井や床に、不可思議な模様が刻まれたNerv総司令執務室。
2年ぶりに足を踏み入れるその部屋は、まったく変わっていなかった。
そしてその中で、彼を待つ男達もまた。
椅子に身を任せた、無骨な髭面の男。
その傍らに佇む、初老の男。
二対の目が、加持リョウジを射抜いた。
「加持一尉、ただいま戻りました」
挨拶と同時に、精悍な顔に無精髭、長髪を後ろで束ねた青年は、崩れた敬礼をする。
「・・・・・・ご苦労」
応じたのは、部屋の主が右腕と恃む男。
冬月コウゾウは、温厚そうな顔に苦笑を滲ませた。
「早速で悪いが、報告を・・・・・・早く碇をベッドに放り込まねばならないのでね」
「・・・・・・御加減の方は如何ですか?」
加持の問いに、碇ゲンドウは憔悴しきった顔を、僅かに傾けた。
「問題ない」
1ヶ月ほど前、国連安保理の理事会にオブザーバーとして出席した彼は、爆弾テロに遭い、一時は生命も危ぶまれるほどの重体に陥った。
本来ならば、あと2~3ヶ月の入院が必要なのだが、容体が安定すると、医者の制止を振り切り、すぐに職務に復帰した。
今も、つい10分ほど前に、点滴を終えたばかりである。
「老人達も焦っているようですね」
その遠因を作っている男は、口許を歪めた。
ゲンドウへの直接テロは、表向き、極右テロ組織の犯行ということになっている。
だが、これは明らかに犠牲の羊エスケープゴートで、実際にはゼーレの仕業だった。
「所詮、悪足掻きだ・・・・・・報告を」
「はい」
ゲンドウに促され、加持は口を開いた。
Nervきっての工作員である加持は、かつて、Nerv・日本国内務省・秘密結社ゼーレの三重スパイトリプルエージェントとして活動していた。
しかし、サードインパクト直前、思うところあって、Nervの専属となったのである。
彼はこの2年間、特命を受け、欧米を飛び回っていた。
そして、その最中、最重要情報を掴んだのである。
「まずは、碇シンジの訓練結果を報告いたします。ドイツでの約10ヶ月の特殊戦闘訓練の最終評価はAAA。その後渡米し、約3ヶ月、米海軍特殊部隊『SEAL』にて訓練を受け、最終評価はAA」
「それは、君の評価かね?」
冬月が訊く。
「いえ。零班のダグラス・ウエリントンの評価です。彼の評価については、私が」
「零班の評価については、報告を受けている」
シンジの渡独直後、加持はフリーの工作員や傭兵であった者達を引き抜き、情報調査部調査局一課に属する、零班という工作チームを作った。
彼らは、シンジの訓練の教官であり、護衛であり、共に工作活動を行うメンバーでもあった。
「・・・・・・続けたまえ」
「はい」
加持は頷いた。
「訓練後、身元遮蔽アンダーカバーとして、香港出身のセカンドインパクト難民『ユージィン・ラウ』の経歴を利用し、イギリス国籍
を取得。同時に、南カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校UCLAのサイラス教授の許で生体工学を、ジョン・ホプキンス大学のマクミラン教授の許で大脳生理学を学ぶ。生体工学については、マイクロナノマシンの開発で、5つの特許を取得」
二人の男は、身じろぎもせず加持の報告を聞いている。
「次に、Nervの幽霊会社ペーパーカンパニーですが、ゼーレをパージする為に、登記をすべて変更しました。うち、3軒の代表者をユージィン・ラウ名義にし、特許を扱わせています。見込みは年間70億です。それから、北海油田再開発プロジェクトに投資を開始。こちらの見込みは30兆。ただし、産出量によります。また、これらを利用してゼーレメンバーが持つ株や会社に対して、M&Aや仕手戦を仕掛けました。詳細に関しては、担当者より追って報告させます」
加持が報告する数字は、そのままNervの秘密資金となる。
端から見れば、国家予算並みの金額だが、エヴァが一度大破すれば、吹っ飛んでしまう程度の金額だ。
エヴァの維持管理にしろ、諜報活動にしろ、莫大な金がかかる。
国連からまわされる予算だけでは、到底Nervを運営できない。
だが、ゼーレと袂を別ち、国連の公開組織となった今、Nervは経済面でも、透明化を求められている。
幽霊会社ペーパーカンパニーの存在は、資金調達の為の苦肉の策であると同時に、非合法活動のバックアップのためでもあった。
「次に、量産型建造データですが、Nervで把握している287件に関しては、すべて『処置』を終えました。後は、関わった人間の個人的覚え書きなどの追跡調査になります・・・・・・報告は以上です」
加持は言葉を切ると、軽く息を吐いた。
「さて、ここからが本題ですが」
「・・・・・・『資産アセット』については、現在調査させている」
冬月が、第一報を元に、情報調査部を動かしていた。
「誘拐に関する情報は、おそらくゼーレ側からの意図的な漏れリークです」
この2年間で、シンジの誘拐未遂は20件以上あり、それらすべては、零班の働きによって退けられていた。
そのため、正攻法では無駄だと悟ったゼーレ側は、搦め手にでたのであろう。
「誘拐をフロントミッションにして、同時にサードと初号機奪取を狙うと思われます」
「・・・・・・シンジは使えるか?」
ずっと沈黙を守っていたゲンドウが、低い声で問う。
テロに遭った時、金属片でずたずたになった左肺を摘出されているため、声に力が欠けている。
「『地獄の番犬ケルベロス』とは、彼のことです」
間接的な表現で、加持は評価をした。
裏社会ダークサイドで、『ケルベロス』の名が語られる時、そこには常に、畏怖と憧憬がつきまとう。
的確で無駄のない仕事ぶり。
あまりの神出鬼没さに、個人とも組織ともいわれているが、その一切の経歴は不明。
ただ一つ判っているのは、Nervに刃向かえば、『ケルベロス』に消されるということだけだった。
「帰国の予定は?」
「明日、午前9時。国連軍の海軍の演習に混じって帰国します」
通常の入出国では、記録が残る。
それを嫌っての隠密行動だった。
「冬月の情報調査部長兼任を解く。後任は、加持リョウジ三佐。また、作戦部保安局を独立させ、保安部警備局とし、冬月直轄とする。局長は、ダグラス・ウエリントン一尉。碇シンジは零班に所属。尚、この人事は、碇・ウエリントンの両名が帰国した時点で発令」
ゲンドウは、言葉を切って呼吸を整える。
「警備に関しては、ウエリントンに一任する。加持三佐は、バックアップ。この件に関しては、Nerv全部署に対しての指揮権を与える。以上だ」
「・・・・・・了解しました。すぐに取り掛かります」
加持は一礼すると、執務室を出た。
「・・・・・・冬月」
「何だ?」
加持の背を見送っていた冬月は、ゲンドウの方を向き直った。
「念のため、第2に声をかけておけ」
ゲンドウは、囁くような声で言う。
第2、即ち日本政府である。
「・・・・・・2年前の茶番を繰り返すほど、馬鹿ではないと思うが」
訝しげな冬月の言葉に、権謀術数に長けたNerv総司令は、冷ややかな嗤いを浮かべて、答えに代える。
2年前、ゼーレの口車に乗った日本政府は、Nerv占拠を目的として、戦略自衛隊を出動させた。
だが、サードインパクトが起き、その後の情報公開と操作によって、世界中で『Nervが善、ゼーレが悪』という構図ができあがると、日本政府は国の内外から非難を浴びた。
混乱の裡に、内閣は総辞職、衆参両院も総選挙ということになり、新たにできあがったのは、Nerv寄りの内閣と国会だった。
勿論、Nervはその中に『資産アセット』を獲得している。
「第2が、ゼーレに荷担する度胸も、独自路線を進める頭も無いのは、百も承知だ。だが、障害要因イレギュラーは、なるべく排除すべきだからな」
「判った」
冬月は頷くと、執務室を出ていった。
一人残ったゲンドウは、デスクに両肘をつき、自らの思考に沈む。
今回の計画は、この2年間で最大の動きである。
Nervによって、物理的に、経済的に、政治的に、力を殺ぎとられたゼーレは、最後の賭けに出たのだろう。
「・・・・・・さて、最後に笑うのは、一体誰になるか」
呟きが、森閑とした部屋に響いた。

 レイ=リリスによる『癒し』で、地球の気候は、徐々にではあるが、セカンドインパクト前に戻りつつある。
そんななか、使徒戦で壊滅した第3新東京市は、急ピッチで復興され、日毎にかつての活気を取り戻しはじめていた。
未だ人通りの少ない、早朝の街。
梅雨の最中の、じっとりとした雨の中を、ブルーのルノーが疾走する。
運転しているのは、緩くウエーヴのかかった黒髪をもつ女性。
31歳で、国連特務機関Nervの作戦部長という要職を務める葛城ミサトだった。
「・・・・・・ウチに帰りたくないな」
成熟した肢体をタイトなワンピースに包み、乱暴だが的確なドライビングテクニックを披露する美女は、深く溜息を吐く。
彼女は、この2年間、自分に課していることがある。
それは、どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、出来うる限り、朝晩の食事を家族と一緒に摂る、ということである。
ミサトが保護者として、妹分の少女に対してしてやれるたった一つのこと。
2人きりの家族となった今、生活ペースがあわないからといって、1人で食事を摂るのはあまりにも寂しい。
サードインパクト前、ろくに面倒を見てやれなかったこともあって、ミサトは妹分の少女との時間を取り戻すのに必死だった。
だが、いつもなら気楽なはずの帰宅が、今日はとても辛い。
「・・・・・・着いちゃった」
ミサトは、車を駐車場に停めると、重い足取りでエントランスホールを抜け、エレベータに乗り込む。
第5エクセルマンション801号室。
サードインパクト後、彼女に与えられた部屋である。
「・・・・・・どぉしよ」
のろのろと玄関の前に立つと、ミサトは大きく溜息を吐いた。
彼女がここまで憂鬱に陥った原因は、加持からもたらされた情報のせいだった。
ミサトの婚約者である男は、この2年間、欧米を飛び回って、一度も連絡を寄越していない。
その彼が、昨晩、急遽帰国したのである。
最悪の情報を携えて。
(はぁぁぁ、どんなカオしてアスカに逢えばいいのかしら?)
(それから・・・・・・)
もう一度、大きな溜息を吐く。
「・・・・・・フツーのカオ、普通の顔!」
軽く自分の頬を叩いて、表情を改める。
そして、意を決して玄関のドアを開けた。
「ただいま~、アスカぁ、起きてるぅ?」
ミサトは、努めて明るい声を出す。
奥からは、テレビの音と共に、人が動く気配がした。
玄関を入って、右手が洗面所と風呂、その奥がトイレ。廊下を挟んで、左手に6畳の和室、アスカの部屋である6畳の洋室、ミサトの部屋である8畳の洋室、というふうに並ぶ。そして、廊下の突き当たりが、ダイニングキッチン。その奥、ヴェランダに面した部屋がリビングである。
法律上の扶養家族の居ないミサトが、Nervの管理総務部と喧嘩して、3LDKの間取りを分捕ったのは、今はドイツに居るはずの弟分が、いつ帰ってきてもいいようにという配慮である。
「おかえり、ミサト。おはよう」
出迎えたのは、蜂蜜色の髪と、晴れ渡った夏空のような青い瞳をもつ、極め付きの美少女。
「早かったじゃない」
惣流・アスカ・ラングレーは、制服の上からエプロンを着け、くるくると立ち働いていた。
「まぁね~。さ~、今朝のご飯は何かな~?」
ミサトは、アスカの背後から、彼女の手元を覗き込んだ。
かつては、家事処理能力ゼロといわれ、一切を同居人の少年に押し付けていたアスカとミサトだが、サードインパクトを機に少年が渡独してしまうと、生き延びる為に、生活改善活動を開始せざるを得なくなった。
掃除、洗濯、料理・・・・・・基本的なことさえロクに出来ない美女二人は、恥を忍んで周囲に教えを請い、一生分の努力を使い果たした、といわれるほどの頑張りを見せた。
その結果、部屋の中は適度に整頓され、殺人的な不味さで有名だったミサトの料理も、それなりに食べられるようになり、アスカに至っては、なかなかの腕前になっていた。
「すぐ出来るから、着替えてきたら?」
アスカは、鯵の焼け具合を見ながら言う。
「このままでいいわ。食べたら、また出なきゃ行けないから」
ミサトは、ダイニングの椅子に座る。
「そう・・・・・・はい、出来上がり」
今朝のメニューは、ご飯に御味噌汁、鯵の干物、厚焼き玉子、お浸し、御漬物という、純和風である。
2人きりの生活が始まった当初は、失敗の連続で、食べられないモノも食卓に上ったものだったが、今となってはそれが嘘のようだ。
「いただきますっとその前に、ビール飲んじゃおうかなっ?!」
ミサトは、楽しそうに立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、一気に呷る。
「かぁ~っ! 五臓六腑に染み渡るわぁ!」
すっかりオヤジモードのミサト。
それを呆れたように見やってから、アスカは自分の食事をはじめた。
「・・・・・・そういえば久しぶりね、ミサトが朝からビール飲むの」
アスカは、干物をつつきながら言う。
彼女の言うとおり、最近のミサトの酒量は、常識の範囲内で収まっている。
「そおねぇ」
ミサトは、思わず苦笑を漏らす。
(私もあの頃は、酒に逃げてたもんね)
(そして、今日は飲まなきゃやってらんない)
「程々にしときなさいよ、トシなんだから」
自分で作ったお浸しの味に満足しつつ、アスカは釘をさす。
「いったわねぇ!」
言い合う二人の間に、昔のようなぎすぎすした雰囲気はない。
むしろ、仲の良い姉妹がじゃれあっているようだった。
ふと、ミサトはほんの少し、表情を曇らせた。
そして、真剣な眼差しをアスカに向ける。
「・・・・・・ねえ、アスカ」
「何?」
「シンちゃんのこと、好き?」
「ぐっ?!」
何の脈絡もなく、元同居人の名を出されて、アスカは思い切りむせる。
慌てて御味噌汁を飲んで、息を整えた。
「な、なな何馬鹿なこと言い出すのよっ!」
むせたせいか、照れているのか、叫ぶアスカの頬は赤い。
その様子を見たミサトは、彼女から視線を外した。
「・・・・・・ごめん。今の忘れて」
暗い横顔。
「ミサト?」
姉代わりの女性の突然の変化に、アスカは、怪訝そうに柳眉を顰める。
「あ、そうだ!」
ミサトは、再び笑顔になると、アスカを見た。
「今日の『バイト』、中止になったの。トウジ君にも伝えといてねん」
「・・・・・・判った」
くるくると表情を変える保護者に、アスカは小さく肩を竦めた。

 Nerv専用ヘリポート。
国連軍差し回しのVTOLから、身軽に降りてくる二人の男を、加持とミサトは、離れた所から見ていた。
一人は黒いシャツに黒のジーンズを着た、先日、17歳になったばかりの日本人の少年。
もう一人は、遠目からでもそれと判る、仕立ての良いスーツを着た、中年のアングロサクソン人。
二人は、迷うことなくこちらへ歩み寄ってくる。
「よお!」
加持は片手を挙げ、二人を迎えた。
「出迎え、ご苦労」
褐色の髪と、緑がかった茶色ヘイゼルの瞳を持つ、ダグラス・ウエリントンが、完璧なイギリス英語キングス・イングリッシュで言う。
「お疲れさまです、加持さん」
碇シンジは、穏やかな笑みを浮かべる。
そして、加持の隣に立つ、姉代わりの女性を見た。
「・・・・・・お久しぶりです、ミサトさん」
だが、ミサトは話しかけられたことに気付かず、この2年ですっかり成長した少年の顔を、ぼんやり見上げていた。
今のシンジの身長は、163cmのミサトよりも、頭一つ分高い。
「ミサトさん?」
もともと線の細い顔立ちをしていたが、美貌の母親の血が色濃く出たのだろう。
秀麗な顔は、女性的である。
ただ、それを裏切っているのが、勁い光を宿す、黒い瞳。
数多の死線をくぐり抜けた者だけが持つ、自信と、落ち着きと、冷徹さを兼ね備えた目。
それが、彼の存在を深く印象づけていた。
「ミサトさんってば!」
「え? ああ! シンジ君!」
強く呼ばれて、漸くミサトは我を取り戻した。
「どうしたんですか?」
記憶よりも低くなった声。
けれど、心配そうにミサトの顔を覗き込む優しい表情は、以前と変わらない。
それまで、どうやってシンジと接するかを悩んでいたミサトは、その表情を見た途端、自分のこころが落ち着くのを感じた。
自然と、笑みが浮かぶ。
「ごめんね~、シンちゃんがあんまりにも格好良くなっちゃったから、見惚れてたのよん」
ミサトはウインクする。
だが、真っ赤になって慌てると思っていたシンジは、苦笑でそれを受け止める。
そしてそのまま、笑みを深めた。
「ただいま、ミサトさん」
「おかえりなさい」
ミサトも笑顔を返す。
「うおっほん!」
ダグラスが、わざとらしく咳払いした。
「リョウ、シンジ、こちらの美しい女性を紹介してくれないか?」
ネイティブかと思えるほど滑らかな日本語に、ミサトは驚いたような目を向けた。
「ああ、作戦部長の葛城ミサトだ・・・・・・葛城、こいつはダグラス・ウエリントン。俺の親友」
加持が簡単に紹介する。
「はじめまして。これからよろしくお願いしますね」
ミサトはにっこり笑う。
「こちらこそ」
ダグラスは差し出された手を握ると、軽く腰をかがめ、ミサトの手にキスをする。
古典的かつ気障な挨拶に、ミサトは思わず固まった。
「・・・・・・ダグ」
加持は笑顔のまま、だが冷ややかな声で、自分以上に浮き名を流す年長の親友を呼んだ。
「何だ?」
ダグラスはミサトの手を握ったまま、端正な顔に一瞬だけ、むっとした表情を浮かべる。
「俺のだ」
一語一語区切るようにして、加持は言った。
「ダグ」
シンジはじと目で、師匠たる男を見る。
「手」
ダグラスは、渋々ミサトの手を放した。
「・・・・・・お前も邪魔するか」
ぶつぶつというダグラスに、シンジはさも当然、という顔をしてみせる。
「ミサトさんは、俺の姉さんですからね。姉さんの幸せを祈るのは当たり前でしょう」
「・・・・・・どうせ俺は害虫だよ」
ダグラスは溜息を吐くと、気を取り直し、数多くの女性を陥落させた笑顔を、ミサトに向けた。
「リョウに飽きたら、何時でも言って下さい。美人は大歓迎です」
ミサトも、茶目っ気たっぷりの笑みで応える。
「それじゃ、すぐにでもお願いしようかしら?」
「おい、葛城」
加持は、情けない顔をした。
「・・・・・・ところで、そろそろ行きませんか?」
シンジが、さりげなく助け船を出す。
「ああ、そうだな・・・・・・乗ってくれ」
加持が、傍らに停めた黒塗りのセンチュリーを示した。
後部座席にシンジとダグラスが、助手席にミサトが滑り込んだのを確認すると、加持は滑らかに車を発進させた。
「・・・・・・で、状況は?」
ダグラスの問いで、車内の空気が一瞬にして張り詰める。
「『資産アセット』については調査中。『配管工事プラミング』は完了した」
加持が、隠語を使って答えた。
「アセット? プラミング?」
ミサトが訝しげな表情をする。
ダグラスは苦笑しただけで、その質問を受け流し、別なことを加持に問うた。
「俺の立場は?」
「尉官待遇で警備局長。今回の件、指揮権全権委任だそうだ。シンジ君は、零班所属と言うこと以外、変更なし」
加持が簡潔に説明すると、それを補うようにミサトが振り返り、後部座席の二人に、IDカードと書類を渡す。
「正式の物が出来るまでの、仮のセキュリティーカードです。なくすと、迷子・・になりますから、気をつけて下さい。ミスター・ウエリントン」
「ダグで結構ですよ。それと、敬語も必要ないです」
書類を受け取りながら、ダグラスは軽い口調で言う。
ミサトはくすり、と笑った。
「ならば、私にも敬語は使わないで」
「・・・・・・そう言えば、加持さんはどうなったんですか?」
ふと、シンジが、書類をめくりながら訊く。
「情報調査部長で、広報活動。これから正式発表だ」
加持は、バックミラー越しに苦笑を見せる。
「『フロント』? 足を洗えってことか」
ダグラスが驚いたように言う。
「フロントって?」
再び、ミサトが訊いた。
工作員エージェントであることを知られている工作員エージェントです。『フロント』を見失うと厄介なんで、誰も手出し出来ない一番安全な地位です・・・・・・もう、ミサトさんを泣かせなくて済みますよ」
シンジは、笑いながら言う。
最後の言葉は、加持へ向けてだった。
2年前、加持は三重スパイの身を疎まれ、内務省から消されそうになった。しかし、それを逆手に取り、自分の死を演出すると、彼は一時的に身を隠した。
折しも、対使徒戦が最終局面を迎え、誰もが精神的に追いつめられていた中、加持の死(と思われる状況)は、ミサトを打ちのめした。
アルコールを浴びるほど飲んでからしか訪れない眠り。
その姿を知っているシンジは、だから、ミサトの幸せを切に願ったのだ。
「これは手厳しい」
軽口のオブラートに包れた諫言と気遣いを、加持は苦笑で受け止める。
「まあ、『覗き屋ピーピング・トム』が増えるから、別な意味で泣かされるかもな」
ダグラスは、人の悪い笑みを浮かべた。
「そのためのダグでしょう?」
シンジがさらりと言う。
この2年間、口の悪い大人ばかりとつき合ってきた所為か、彼も言うようになった。
「違いない」
加持が頷く。
「・・・・・・それじゃ、せいぜい、張り切らせてもらいましょ」
ダグラスは、投げやりな口調で答えた。

<続く>

<戻る>


※この物語はフィクションであり、現存する組織、団体、個人などとは一切関係ありません。

【用語解説】

隠語に関しては、CIA及びKGB、軍隊の用語を基本的に使っています。

 

【SEAL(シール/NAVY SEAL)】
アメリカ海軍特殊部隊。いわゆる潜水員フロッグメン部隊である。敵の艦船に対する破壊工作活動や、海や河川、沼沢などを利用して敵へ密かに接近し、撹乱や攻撃を行うことを主任務とする。
どこの海軍においても、潜水員部隊は最強とされ、その訓練は過酷。大の男が、震えて泣き出すほど(海自水中処理部隊員)だそうである。

 

【資産(アセット)】
工作や支援活動に、自由に使える個人、グループ、資材などを指す。

 

【浸透(ペネトレイション)】
ターゲットとなった組織の活動に影響を及ぼすため、その組織内に要因を獲得するか、エージェントを潜入させるか、監視装置を密かに設けること。

 

【配管工事(プラミング)】
秘密工作の支援活動(監視チームや調査要員、簿外資金、隠れ家など)を指す。水漏れ(情報漏れ)を防ぐことから。

 

【フロント】
工作員であることを知られている工作員。いわば『鈴のついた猫』である。もし、フロントが死ねば、別な人物が任務を引き継ぎ、誰が工作員か判らなくなる。それは他の情報機関にとっても不都合なので、フロントは最も安全な立場のスパイなのである。フロントである人物が、何処に所属しているかを知っていれば、他の情報機関員にとっては安全な存在なのであり、工作員であることを知られていること自体にも、価値がある。

 

【M&A】
Merger & Acquisition の略語。企業による他の 企業の合併・買収のこと。つまり、今ある企業が新能力を得て新しい企業 が誕生すること(合併)、ある企業全部または一部が買収されること、または 大企業に吸収されることにより小企業が存続することである。

 

【仕手戦】
株式用語。ある特定の株を上げるため(または下げるため)に、関連する株の売買を行って、意図的に株価の操作を行うこと。この操作をおこなうバイヤーを、仕手筋という。


Ver.1.0  1998.05.19

Ver.1.1  2008.01.15


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