<4> おお血潮と傷に満ちたこうべよ

シンジは、半身を起こすと、ゆっくりと辺りを見回した。
黄昏時のような、赤い空。
血を連想させる、何処までも続く赤い海。
草一本生えていない、荒れ果てた白い大地。
聞こえるのは、静かな波の音だけ。
生き物の気配の感じられない、閉鎖された空間。
「・・・・・・アスカ?」
ふと、その中に、見慣れた赤いプラグスーツの少女を見つける。
「アスカ!」
シンジは、少し離れたところに横たわる彼女へ、思わず駆け寄った。


新世紀エヴァンゲリオン・補完

最後の奇跡 <4>

おお血潮と傷に満ちたこうべよ


「アスカ!」
シンジは、意識のない少女の華奢な身体を抱え起こした。
見たところ、怪我はない。
だが、アスカは、どんなに揺すっても、どんなに呼びかけても、目覚める気配はなかった。
Nervの付属病院に居た時のように。
「・・・・・・どうしたら・・・・・・」
彼女の状態を知る術のないシンジは、ただ歯噛みする。
だが、その時、彼の耳が微かな音を捉えた。
「・・・・・・ん」
名前を呼ばれた気がして、シンジは反射的に顔を上げる。
そして、驚愕の表情を浮かべたまま、凍りついた。
「久しぶりだね、碇シンジ君」
そう言って、人好きのする柔らかい笑みを浮かべているのは。
「あ・・・・・・」
見紛う筈のない、銀灰色の髪に、深紅の瞳。
それは、かつて、自分を好きだと言ってくれた少年。
フィフスチルドレンと呼ばれた少年。
第17使徒タブリスと呼ばれた少年。
そして、シンジが殺した少年。
「カヲル、君・・・・・・?」
シンジは、掠れた声で、目の前に立つ少年の名を呼んだ。
「生きて、いたの?」
それは、祈りに近い問い。
自分がカヲルを殺したことが、夢であったら。
カヲルが何処かで生きていてくれたら。
シンジはずっと、そう願っていた。
だが、簡潔に返された答えは、その望みを、易々とうち砕くものだった。
「・・・・・・残念ながら違うよ」
それを聞いて、シンジは堪えきれずに涙を流した。
一度はミサトの言葉によって断ち切ったはずの罪悪感が、再びシンジを締め付ける。
「カヲル君、僕はっ・・・・・・!」
「シンジ君。もう、自分を責めるのは、止めてくれないかい?」
謝罪の言葉を紡ごうとするシンジを、カヲルは制した。
「でも!」
「君の選択は正しかった。僕は感謝こそすれ、恨んでなどいないよ」
嗚咽混じりに叫ぶ少年に、カヲルは穏やかな眼差しを向けた。
「でも! カヲル君は、死ぬ必要なんか無かった! 僕なんかより、カヲル君の方が、必要な人間だったのに・・・・・・!」
「僕にとっては、僕自身より君が生きることの方に価値があった」
彼はシンジ君を生かしたくて、死を選んだんでしょう?!
彼は、自分よりもあなたの存在価値の方が大きいと言ったのでしょう?!
それなのに、あなたは『友達』の『こころ』を・・・・・・
彼に貰った『生』を無駄にする気なのね?!

不意に、ミサトの声が、シンジの耳の奥で木霊した。
「それでも、君が僕を殺したことを罪だと思うのなら、僕は君を赦そう」
「カヲル君・・・・・・」
シンジの唇が震えた。
「でも・・・・・・たとえ君が赦してくれたとしても、駄目なんだ・・・・・・僕は、自分が赦せない」
絞り出すような、声。
「僕は今まで、一生懸命生きてこなかった。そんな自分なんて、どうでもいいと思ってた。でも、そういう僕が・・・・・・価値のない僕が、カヲル君を殺してしまった・・・・・・」
告悔。
「ずっと、死ぬのなんか怖くないと思ってた・・・・・・でも、本当は恐かったんだ。死にたくなかったんだ・・・・・・だから、カヲル君を殺した」
こころの奥底の言葉を吐き出し、シンジは涙を流し続ける。
二人の間を、重い沈黙が流れた。
だが、その沈黙を破ったのは、カヲルの方だった。
「・・・・・・人間に優劣など、無いよ。強いて言えば、生きることにこそ価値がある」
労るような、優しい表情。
「死ぬのが恐い・・・・・・その思いは、人間が人間たる所以なんだ。そして、生きようと足掻くからこそ、いきるものは美しい。死にたくないと言うことは、いきるものとして当然の思い。だから、君は間違っていない」
カヲルは微笑んだ。
「もう一度言うよ。僕は君を赦している。だから、君も自分を赦してあげて欲しい」
その言葉は、シンジのこころに素直に沁みた。
「・・・・・・カヲル君は、こんな僕でも生きていてもいい、って言ってくれるんだね」
返ってきたのは、綺麗な笑顔。
「勿論だよ」
(カヲル君を殺した)
(それは、赦されないことだけれど、確かに僕が選んだこと)
(もう、誰かの所為にしたりはしない)
(この罪を背負って、僕は生きてゆこう)
(カヲル君がくれた『生』を無駄にしないように)
「・・・・・・ありがとう。カヲル君」
初めて、シンジは笑顔を向けることができた。
それにもう一度笑顔で応えると、カヲルは不意に、表情を引き締めた。
「ところで、シンジ君。君にお願いがあるんだ」
「何? カヲル君」
「セカンドチルドレンを助けてあげてくれないかい?」
「え?」
予想だにしない言葉に、シンジは戸惑いの表情を浮かべる。
それを見たカヲルは、問いを重ねた。
「君は、この『世界』を見て、どう思う?」
問われて、シンジは周囲に視線を巡らした。
「とても・・・・・・とても哀しい光景だね」
静かな、だが死の国にも似た、不毛な光景。
淋しい世界だと、シンジは思った。
「ここはね、彼女の『こころ』の入り口なんだ」
「・・・・・・これが、アスカの『こころ』?」
シンジは、鸚鵡返しに呟く。
「そう・・・・・・君と初号機、そしてファーストチルドレンによって補完計画が発動し、全人類が癒されようとしているのに、彼女だけ、補完されていないんだ」
「・・・・・・何故?」
「彼女はロンギヌスの槍で・・・・・・神をも砕く槍で貫かれてしまったから」
少しだけ哀しそうな表情で、カヲルは言う。
シンジは、最後に見た弐号機の惨状を思い出し、表情を暗くした。
「シンジ君は、彼女のことが好きかい?」
カヲルは再び、問いを発した。
そのストレートな問いに、シンジは少し考え込んでから、応えた。
「・・・・・・判らない」
シンジは腕の中の少女を見た。
「僕は今まで、他人の『こころ』に関わらないようにして生きてきた。だから、アスカに対する僕の気持ちが、本当に『好き』なのか判らない」
憧れている。
恋をしている。
そう思ったのは、単に『縋る』ための口実だったのかもしれない。
そして、たくさん傷つけた。
穢した。
アスカに対しては、多大な負い目があった。
「でも、たった一つ判ってるのは、僕にとってアスカは『大切』だということ」
それだけは、真実ほんとう
「僕はアスカを傷つけた。だから償いたい。そして、できることなら・・・・・・守りたい」
独白するようなシンジの言葉に、カヲルは優しい眼差しを向けた。
「では、彼女の『こころ』の闇を、吹き払ってあげてくれないかい?」
「どうやって?」
シンジは顔を上げ、目の前に立つ少年を見た。
「僕が手伝うから、シンジ君が彼女の『こころ』に潜って、彼女の『意識』を探しだし、光を与えてあげるんだ」
カヲルは、無造作に言ってのけた。
「そんなこと・・・・・・」
できるわけない、と言いかけてシンジは言葉を飲み込んだ。
(出来ないなんて、決めつけちゃ駄目だ)
(やってみなければ、判らない)
アスカを、守ると決めたのだ。
自分で出来ることをしないで、二度と後悔したくなかった。
「・・・・・・判った。やってみる」
「それでこそシンジ君だよ」
カヲルはにこり、と笑った。
「ただ、注意しなければいけないのは、彼女の『こころ』にとって、君は異物だということ。きっと、君に対して猛烈な反発を見せるだろう。でも、攻撃しては駄目だよ。彼女も君も、『こころ』がむき出しの状態だ。この状態で傷つくと、肉体にも反映する。場合によっては死んでしまうこともありえる・・・・・・リリンはとても弱いからね」
「うん。判った」
「勿論、君自身が傷つくのも駄目だ。シンジ君のことだから、ひとを傷つけるくらいなら、自分が傷ついたほうがいいと思ってるだろうけど」
カヲルの指摘は、正確に的を射ていた。
シンジは、それには答えなかった。
「・・・・・・さあ、はじめようか」
カヲルは一瞬だけ、心配そうな表情をしたが、思い直したように言った。
「シンジ君、目を閉じて。彼女のことだけを考えるんだ」
シンジは頷くと、アスカを抱え直した。

  「イニシエイト」

  王国マルクト

  基礎イエソド

                     「バカシンジ!」綺麗な笑顔。

  永遠ネツアー

 辿られていく、生命の樹セフィロト

  栄光ホド

                     「・・・・・・ママ」淋しげな呟き。

  公正ゲヴラー

  慈悲ヘセド

 自分の全てがバラバラにされる。

  ティフェレト

                     「ちゃーんす!」強気な顔。

  理解ビナー

 自分が再構成される。

  知恵ホクマー

                     「だいっきらい!」悲痛な叫び。

  王冠ケテル

『・・・・・もう、いいよ』
カヲルの声に促され、シンジは目を開けた。
そして、幾度か目をしばたかせた。
『さあ、これが僕が起こせる最後の奇跡だよ・・・・・・後はシンジ君。君次第だ。彼女に『光』を与えて上げてくれ』
「判った。ありがとう、カヲル君」
ふっ、とカヲルの気配が遠のく。
「これが、アスカの『こころ』・・・・・・」
シンジは呟くと、周囲を見回した。
目を閉じているよりもなお暗い、一面の闇。
自分の身体が、淡い燐光を発していなければ、伸ばした指先さえ見えなくなりそうな、密度の濃い闇。
(・・・・・・アスカはここまで追いつめられてたんだ)
(なのに僕は、そうとも知らずにアスカに縋ろうとしていた)
(アスカを汚した)
(最低だ・・・・・・)
シンジは、関節が白くなるほど拳を握り締める。
「アスカを、助けなきゃ」
彼女をこの世界に閉じ込めた罪を、償えるとは思わない。
でも、この闇を吹き払わねばならない。
それが、シンジにできるたった一つのこと。
シンジは、行く方向さえ定められぬまま、歩き出した。

 方向も、時間の感覚も判らないまま、シンジは歩き続けた。
(・・・・・・アスカの『意識』は何処だろう?)
ふと、歩みを止めたとき、彼の前に、赤い霧のようなものが現れた。
「何?」
訝しげなシンジの前で、赤い霧は人間の形を取り始める。
「アスカ・・・・・・?」
気が付くと、プラグスーツを着たアスカが、立っていた。
「何しに来たのよ!!」
少女は、憎悪に滾る眼差しをシンジに向けた。
「あたしを嗤いに来たの?!」
鋭すぎる拒絶の意志が、シンジの皮膚を粟立たせる。
「・・・・・・違うよ、僕はアスカを助けに来たんだ」
萎えそうになる自分のこころを叱咤し、シンジは口を開いた。
「はん! 笑わせんじゃないわよ!! あたしはアンタなんかに助けて欲しくないわ!!」
夏空のように鮮やかな青い瞳は、冥い色に淀み、硬質の美貌に冷酷な表情を浮かべている。
「あたしを見捨てた癖に!!」
反論できない事実に、シンジは唇を噛む。
「それに、病室でアンタがあたしにしたこと、忘れたとは言わせないわよ」
シンジは目を見開き、アスカを見た。
「アンタ、あたしに欲情したんでしょう?」
アスカは罅割れた声で、囁く。
「あたしのこと、好き・・・・・・?」
彼女の唇の両脇が、にっと釣り上がった。
その手には、何処から取り出したのか、ナイフが握られている。
「あたしのこと、好きなんでしょう?」
狂気に支配された表情。
シンジは、呪縛にかかったように、彼女から視線を外すことができなかった。
「だから、あたしの為に壊れてみせて」
アスカは、一瞬にしてシンジとの距離を詰めると、無造作にナイフを薙ぐ。
「アスカ!」
シンジの左肩が、すっぱりと斬り裂かれる。
「っ!」
カヲルの言葉通り、斬られた部分が激痛を呼ぶ。
だが、シンジは黙って耐えた。
贖罪。
これは、アスカを傷つけ、穢した罰。
(ごめん、カヲル君・・・・・・約束は守れそうにないよ)
「・・・・・・アスカ、僕のことが憎い?」
ふと、静かな表情で、シンジは訊く。
それが、アスカを更に苛立たせた。
「憎いに決まってるでしょう?!」
アスカは、悪鬼の形相で、ナイフを一閃させる。
「アンタさえ居なければ、あたしはずっと一番だった!  アンタさえ居なければ、あたしは皆に見てもらえた!  アンタさえいなければ!」
アスカは荒れ狂うこころのままに、ナイフをふるい続けた。
だが、シンジは逃げることも、抵抗することもなく、苦痛の声一つあげずに、すべての斬撃を受け止めた。
「殺してやる」

殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

 シンジの身体が崩れる。

ころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやる

 アスカは、仰向けに倒れたシンジの上に馬乗りになる。

コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤルロシテヤルコロシテヤル

「コロシテヤル!!!!」

「・・・・・・いいよ・・・・・・・殺しても」
シンジは、優しい眼差しを少女に向けた。
留めを刺そう身構えていたアスカの動きが、止まる。
「僕を、殺して・・・・・・・ア、スカの心が・・・・・・・元に、戻るな、ら・・・・・・・喜んで・・・・・・・殺され、る、よ・・・・・・」
激痛を堪え、シンジは無理矢理笑顔を作る。
「それが・・・・・・・僕が、アスカにして・・・・・・あげられ、る・・・・・・・ただ・・・・・・ひとつの、こと・・・・・・・だ、か・・・・・・ら・・・・・・・」
「自惚れんじゃないわよ!!」
アスカはヒステリックに叫ぶ。
(カヲル君、やっぱり僕の存在はアスカを助けられないみたいだ・・・・・・)
「・・・・・・・ごめん・・・・・・・アスカの、こ、と・・・・・・・傷つけて、ばかりで・・・・・・・」
シンジはゆっくりと、左手を動かした。
そっと、アスカの頬を撫でる。
あたたかな手。
ひとのぬくもり。
アスカの目が、狂気を抑える。
それを見て、シンジはもう一度微笑んだ。
「どうか・・・・・・・戻って、きて・・・・・・・ね・・・・・・」
囁くようにいうと、不意に、シンジの手が力を失って落ちる。
アスカは、ナイフから手を放すと、血塗れになったシンジのシャツの襟元を掴んだ。
「目を開けなさいよシンジっ!  アンタはもっと苦しまなきゃならないのよ!!  起きろ!  シンジ!」
力任せに揺さぶるが、少年の反応はない。
閉ざされた瞼。
力を失った四肢。
壊れた人形のような、身体。
「死んだ?」
(・・・・・・あたしが、殺した)
「いいの? それで?」
突然聞こえた声に、アスカは反射的に顔を上げた。
「・・・・・・ママ」
それは、恋いこがれた姿。
ずっと求めて続けていた存在。
アスカはナイフを放り出し、静かに佇む母親に駆け寄った。
「アスカちゃん」
「ママ、ママ! 逢いたかったの! 何処にも行かないで!」
アスカは幼子のように母にむしゃぶりつくと、声をあげて泣いた。
キョウコは優しく、娘の背をなで続ける。
そして、しばらく経ち、アスカが落ち着いたところを見計らうと、口を開いた。
「アスカちゃん」
「・・・・・・何、ママ?」
「・・・・・・あなたに必要なのは、私ではないわ」
「何言ってるのママ!」
突然の台詞に、絶望と怒りがない交ぜになった表情で、アスカは詰るように叫ぶ。
キョウコは哀しげな表情で、少女を見た。
「あなたに必要なのは、あなたを支えてくれるひと。それは私ではないわ」
「そんなことない! あたしを支えてくれるのはママ! ママさえ居れば、何も要らないわ!」
「では、彼が死んでしまってもいいの?」
キョウコが示す先には、血塗れで横たわる少年の姿がある。
「いいのよ! あんな奴!」
アスカはキッと言い切った。
「本当に?」
キョウコは穏やかに問う。
「あたしの居場所を奪った! あたしをモノ扱いした! 大っ嫌い! 憎いわ!」
アスカは再び、どす黒い憎悪に彩られた。
「・・・・・・自分と似ているから、嫌いなの?」
「似てなんかない! ドジで、ノロマで、内罰的で、グズで、いつもウジウジ暗くて、人の顔見てオドオドしてて、シンクロ率が高いしか取り柄のない、あたしと正反対の奴よ!」
「・・・・・・何故、憎むの?」

 ・・・・・・あいつはあたしを裏切った・・・・・・

「彼を信じてた?」

 ・・・・・・あたしを傷つけた・・・・・・

「それは、本当に彼だけの所為せい?」

 ・・・・・・あたしを見捨てた・・・・・・

「本当にそうだった?」

 ・・・・・・違う。それだけじゃ、なかった・・・・・・

・・・・・・マグマの中助けてくれた。いつでも我が侭きいてくれた。優しくしてくれた。笑ってくれた。あたしを見てくれた。一番そばにいてくれた。セカンドチルドレンとか、天才少女とかそういった肩書きを取り払って、いつもただの『アスカ』として扱ってくれた。支えてくれた・・・・・・・

「あなたの、本当の気持ちは?」
「・・・・・・ママ」
アスカの表情から、憎悪の色が消える。
「あたし・・・・・・」
(シンジのこと、大切なんだ・・・・・・)
キョウコは優しく微笑む。
「さあ、ママが手伝ってあげる。彼を失いたくなかったら、強く呼びかけなさい」
キョウコは、愛娘の身体をシンジの方へ向けた。

 シンジは再び、闇の中に居た。
彼の意識は、アスカの『こころ』と同化していた。
「僕は一体・・・・・・?」
呟きに呼応するかのように、目の前が明るくなる。

空母「オーバー・ザ・レインボー」の上で、クリーム色のワンピースを着た少女が、仁王立ちになる。

「あたしはアスカ。惣流・アスカ・ラングレー!」

私は選ばれたエリートパイロット。

なのに、同僚と来たら。

「アンタがサード? 冴えない奴」

「アスカ!」
シンジは、目の前に立つ少女の腕を掴まえようとした。
だが、その瞬間、アスカごと周りの風景は消え去る。
そして、また別な風景が現れた。

日本でのデビュー戦。

惨敗。

「傷つけられたプライドは、10倍にして返すのよ!!」

ユニゾンの訓練。

「何でファーストばかり!!」

窘められた少女は、唇をかみ締める。

「・・・・・・ごめん」

少年が謝る。

そして、決戦。

「え? 僕?!」
アスカの見たシンジが、そこに居た。

マグマの中を、ゆっくりと弐号機が沈んでゆく。

「ここで死ぬのかな?」

差し伸べられた、初号機の手。

「バカシンジのくせに」

でも、とても嬉しかった。

「これは・・・・・・アスカの記憶?」

敗北。

人形女に助けられた。

下がってゆくシンクロ率。

バカシンジに負けた。

「シンクロ率0%。セカンドチルドレンたる資格なし」

「嫌ぁぁっ! 私の心を覗かないでぇっ! 私を汚さないで!!」

血を吐くような悲鳴。

 あの時、手を差し伸べていれば・・・・・・
シンジは唇を噛む。
「アスカ・・・・・・」

幼い少女が、頬を上気させ、一生懸命走って行く。

「ママ!  私、選ばれたの! 世界を守るエリートパイロットなのよ!」

「みんな優しくしてくれるの!」

「本当は秘密なんだけど、ママにだけ教えてあげる!」

「だから、ママ!  見て!」

「私を見て!」

病室の扉が開く。

幼女の視線の先には、天井からぶら下がる、壊れた人形のような母の姿。

「一緒に死んで頂戴。アスカちゃん」

「ママ! 私を殺さないで! ママをやめないで!」

「ママは私を殺した。パパなんか、要らない」

「私は一人でも生きていける」

 泣くのを堪えて立ちつくす、幼いアスカ。

追いつめられた少女は、自らの『こころ』を壊す。

 暗転。

「・・・・・・でもママ、どうやってシンジを助けたらいいの? 」
アスカは不安げに問う。
「ここは、あなたの『こころ』の世界。あなたの思ったことが具象化するわ。あなたが彼を傷つけたように」
キョウコは穏やかに告げる。
「強く願いなさい。彼の回復を」
アスカは、シンジの傍らに跪いた。
「・・・・・・目を開けてよ、シンジ」
バカシンジなんて言わないから。
殴ったりしないから。
「もう、一人は嫌なの」
アスカは呟きながら、シンジの頬を撫でた。
そこには、生気に満ち、自信にあふれるかつての彼女は居なかった。
そこに居るのは、天才少女ではなく、エヴァのパイロットではなく、両親から捨てられた、傷つきやすい、淋しがりやの女の子だった。
「シンジ」
アスカは、シンジの手を取ると、それを両手で包み込むように握りしめる。
その背後に立ったキョウコが、娘の肩に手を置いた。
「もっと強く」
アスカは頷いた。
「シンジ」
強く、ただ祈る。
どうか、自分が与えた傷が治るように。
「戻ってきて」
その祈りに呼応するかのように、血塗れのシンジの身体が淡いオレンジ色に輝きだす。
そしてみるみるうちに、血痕が、傷が、消えていった。
「シンジ?!」
「・・・・・・一人にしないよ」
不意に目を開いたシンジは、呟くように言った。
「シンジ! 生きてたのね!」
アスカはぱっと表情を輝かせる。
それに応えるように、シンジは、優しく微笑んだ。
そして、上半身を起こすと、そっと少女を抱きしめる。
「シンジ?」
「ごめん・・・・・・アスカの記憶、全部見たんだ」
アスカの身体が、びくりと震えた。
少年は、労るような眼差しを向ける。
「でも、僕も同じなんだ・・・・・・」
シンジがふと向けた視線の先には、一つの映像が浮かび上がっていた。
つられるように、顔を向けたアスカが呟く。
「・・・・・・これって」
「そう。これは、僕の記憶」

「し、シンクロ率400%!」

優しい面影が、初号機のエントリープラグの中に消える。

火がついたように泣き出す幼い少年。

大きな荷物とともに、置き去りにされる少年。

「僕は、要らない子なんだ」

一度も振り返ること無く、大きな背中が去って行く。

「僕は、父さんに捨てられたんだ」

温もりなどない、施設。

両親が居ない子供。

無邪気な子供たちの、残酷ないじめ。

先生の勧めで始めたチェロ。

弾いている時だけは、何も考えずにすむ。

傷つくのが恐いから、他人の顔色を伺って。

他人と違わないように、細心の注意を払う。

「アンタ見てると、苛々すんのよ!」

他人を傷つけるほうが痛いから、自分を傷つける。

「内罰的!」

S-DAT。

逃避の手段。

「乗るなら早くしろ! 乗らないのなら帰れ!」

久しぶりに聞いた父の言葉は、肉親の情などカケラも感じさせない。

「死にたくない!」

戦いは何時でも、過酷な状況だった。

「できないよ! 人が乗ってるんだ!」

参号機の手が、初号機の首を絞める。

「人を殺すくらいなら、僕が死んだほうがいい!」

起動するダミーシステム。

虐殺。

片足を失ったフォースチルドレン。

自分の、友達。

「嫌ぁ! 私を汚さないでぇ!」

通信機越しの絶叫。

「ミサトさん! 出して下さい!」

拘束を解かれない初号機。

『こころ』を壊してしまった少女。

彼女は何時だって、自分を救ってくれたのに。

自分の弱さで、絶望の淵を滑り落ちる彼女の腕を捕らえることができなかった。

初めて、自分を好きだと言ってくれた少年。

自分も、彼を好きになれそうだった。

でも。

「さあ、僕を殺してくれ」

初号機の手の中で、少年は微笑む。

決断。

少年だったモノが、バラバラになる。

追いつめられた少年は、少女を穢す。

「痛い・・・・・・」
アスカが呟く。
「アスカ?」
「シンジも、たくさん傷ついたんだね」
青い瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れる。
シンジは静かに首を振った。
「でも、僕よりアスカのほうが傷ついてる。僕自身も、君をたくさん傷つけたから」
「違う・・・・・・私も、シンジをたくさん傷つけた」
近親憎悪。
一人は嫌だから、他人の目を惹こうとした。
だから、一番に拘泥った。
だから、虚勢を張った。
それがアスカ。
一人は嫌だから、他人と同化しようとした。
だから、他人の顔色を伺った。
だから、自分の内側に閉じこもった。
それがシンジ。
全く正反対でありながら、二人はあまりにも似すぎていた。
『自分』ではない『自分』が、あまりに近くに居た。
そして二人は、あまりにも子供だった。
互いを支えあえるはずもなく、互いを受け入れられるはずもない。
ただ、傷付け合うしかなかった。
「シンジの『こころ』が、痛いね」
「アスカ・・・・・・泣かないで。僕なんかのために、泣かないで」
シンジの手が、ぎこちなくアスカの涙を拭う。
「シンジ・・・・・・傍にいて・・・・・・」
「約束するよ。傍にいるから・・・・・・ずっと、守るから」
「本当に、あたしを一人にしない?」
アスカは心細そうに訊く。
「うん」
シンジは、笑みを深める。
「それに、アスカはもう、一人じゃないよ。みんな、待ってるよ。ミサトさんだって、加持さんだって、リツコさんだって、洞木さんだって、トウジやケンスケだって居る」
アスカは頷く。
「さあ、帰ろうアスカ。僕たちの家に」
二人はゆっくりと立ち上がった。
「・・・・・・アスカちゃん」
「ママ」
名を呼ばれ、アスカは振り向く。
キョウコは、アスカを抱きしめた。
「もう、大丈夫ね?」
「うん」
(もう、あたしは、一人じゃないから)
娘の答えに、キョウコは最高の笑顔を返した。
「幸せになりなさい・・・・・・これが、私の起こせる最後の奇跡」
温もりを残し、母の姿が消える。
「・・・・・・ありがとう、ママ」

 そして、世界は再び動き出す。

<続く>

<戻る>


Ver.1.0  1998.04.19

Ver.1.1  1998.04.26

Ver.2.0  2007.10.16


感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲

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