白いエヴァを完黙させるほどの凄まじい嵐は、彼女の髪一筋揺らすことはなかった。
「・・・・・・碇君」
少女は、光の羽を背に副わせた巨人に乗る少年へ呼びかける。
「私と、ひとつに」
少女は中空へ舞い上がると、巨人の胸元に溶け込む。
刹那、そこから光が溢れた。
その光は、爆発的な勢いで広がり、すべての世界と全ての生き物を飲み込んだ。
新世紀エヴァンゲリオン・補完
最後の奇跡 <3>
目覚めよと呼ぶ声あり
めまぐるしく渦巻く、たくさんの記憶。
豪雨のように降り注ぐ、抱えきれないほどの『おもい』。
悲しいということ
苦しいということ
怒るということ
寂しいということ
切ないということ
辛いということ
全てのヒトの『こころ』が、奔流となってシンジへと押し寄せた。
| キライドコカイニイッテチカヅカナイデウットオシイダレニモアイサレナイソンザイアナタニハカンケイナイソバニコナイデウルサイダマレメイワクヨアンタナンカイラナイカエレヒツヨウナイオマエナドイナクナレバイイニゲテルノヨサワラナイデキモチワルイダレカボクニヤサシクシテヨギゼンシャウソツキアンタトダケハシンデモイヤ! 拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶 |
自分のなかを駆け抜けて行く、たくさんの『こころ』が、シンジを苦しめ、引き裂く。
(・・・・・・もう、嫌だ)
(辛いのは、嫌なんだ)
クルシイ
イタイ
カナシイ
サビシイ
ダレモボクヲミテクレナイ
ダッタラミンナイナクナッテシマエバイイ
「本当に?」
誰かの声が、問う。
「みんな、要らない。誰も僕に優しくしてくれない。誰も僕を必要としてくれない。そんな世界、要らない」
「本当に?」
その声は、重ねて問う。
「本当に、誰もあなたを必要としてくれなかった?」
思い浮かぶのは、大切な人達の顔。
ホントウニソウダッタ?
「・・・・・・違う」
楽しいということ
愛しいということ
優しいということ
嬉しいということ
幸せということ
「辛いことだけじゃ、なかった」
| カゾクダモノケッコウヤルジャナイアナタハヒトニホメラレルコトヲシタノヨトモダチダロヨクヤッタウレシイタイセツナワタシノコドモコウイニアタイスルヨオカエリナサイニゲテモイイノヨカッタワネココガアナタノイエナノヨココニイテモイイノオメデトウヨクガンバッタワネワタシガマモルスキッテコトサオマエナラデキルアリガトウ |
輝きを放つ『こころ』が、シンジを癒し、慈しむ。
(そうだ。辛いのは、僕だけじゃなかったんだ)
『こころ』に触れる、誰かの『負』の感情。
(嬉しいと思ったのは、僕だけじゃなかったんだ)
『こころ』を包む、誰かの『正』の感情。
「みんな、同じなんだね」
呟いたシンジの意識が、拡散してゆく。
ふと、目を開くと、シンジは、琥珀色の液体の中を漂っていた。
「・・・・・・ここは?」
「LCLのなか・・・・・・母なる原始の海よ」
すぐ近くで声が聞こえ、シンジは振り向いた。
「綾波?」
蒼銀色の髪を持つ少女が、静かな表情で立っていた。
「ここは、静かだね・・・・・・何も、聞こえない」
『こころ』の洪水から零れ落ちた、誰かの記憶を拾い上げ、シンジは訊いた。
「これが、補完なんだ」
「そうよ」
レイは頷いた。
「全ての人のATフィールドが解き放たれた世界。誰も居ないけれど、誰でも居る世界。『こころ』だけの世界・・・・・・あなたが望んだ、世界」
「僕が?」
「ええ・・・・・・あなたは、他人が恐かった。誰とも関わりたくないと思ってた。他人なんかいなければいいと思ってた。だからこの世界は出来上がったの」
「そう・・・・・・そうだね」
シンジは呟く。
確かに少年は、それを希んだ。
「でも、この世界は違ってるって、判ったんだ」
自分のなかを駆け抜けた、人々の『おもい』。
そのなかで、向き合った『自分』。
「辛いことばかりだと思ってたけど、嬉しいって思うこともあったんだ」
シンジは微笑んだ。
「『他人』が僕を傷つける。でも、『他人』が僕に優しくしてくれることもある。だから、『他人』居ないということは、『自分』が居ないのと同じことなんだ」
『自分』と『他者』を認識するのが、自我の始まり。
他人の拒絶さえも、自分を形作るものだから。
「あなたが希めば、他人は現れる・・・・・・あなたが希めば、もう一度ATフィールドが人々を引き離すわ」
少女は静かに言った。
「そして、他人の恐怖が再び始まる・・・・・・それで、いいの?」
「うん」
シンジは、頷いた。
「理解されたフリして、他人から傷つけられるかもしれない。理解できたフリして、他人を傷付けるかもしれない。結局は、何にも判らなくて、自己満足で終わるのかもしれない。でも、それが『人間』なんだ」
少年の独白を、レイは黙って聞いていた。
「気付いたんだ。みんな同じなんだって。みんな、誰かに優しくして欲しかったんだって・・・・・・僕だけじゃなかったんだって」
シンジは、少しだけ哀しげな表情を見せる。
「でも、そう思ったこと自体、本当は勝手な思い込みなのかもしれない。ヒトが、ヒトを100%理解することなんか、きっとできない。『他人』は『自分』じゃないから」
少年は、再び微笑んだ。
「でも、他人を理解しようとする『こころ』、他人が自分を理解しようとしてくれる『こころ』があるってことを、僕は信じたい」
溢れ出す、癒しの『こころ』。
「だから、もう一度、みんなに逢いたいと思ったんだ」
「・・・・・・それで、いいのね?」
レイが問う。
「もう、いいのね?」
目の前に居たはずのレイは、何時の間にかユイの姿になっていた。
「・・・・・・母さん」
「自分で、決めたのね?」
ユイが、穏やかに問う。
「・・・・・・うん」
シンジは、頷いた。
「勁くなったのね、シンジ」
「違う。僕は弱いままだよ。狡くて、弱虫で、馬鹿で、臆病で、最低な奴なんだ・・・・・・」
シンジは俯く。
「でも、それを口実にするのは止めたんだ。『碇シンジ』は、どこまでいっても『碇シンジ』でしかないから」
「それが勁いということ。やっと自分を認めることができたのね」
自分がキライだから、何もできなかった。
「ごめん」
自分がキライだから、誰かに認めて貰うことで、救われたかった。
「誰か僕に優しくしてよ!」
だから、ずっと叫び続けていた。
「逃げちゃ駄目だ」
今、やっと、自分と向き合うことができた。
「生きなさい・・・・・・未来を作るのは、あなたたち子供なのだから」
シンジは、顔を上げた。
優しい、母の笑顔。
その輪郭が徐々にぼやけ、ユイは再び、レイになった。
HALLELUJAH
「今こそ、ヒトの補完は成された」
導き手の少女は、高らかに告げる。
「生きとし生けるものすべてに、癒しを・・・・・・これが、私の起こせる最後の奇跡」
レイは微笑んだ。
その身体が、ゆっくりと透明になりはじめる。
シンジは、彼女へ、右手を差し出した。
「ありがとう、綾波」
レイは、その手を握り返した。
「ありがとう、碇君」
少女は微笑みを残し、LCLに溶けるように消えた。
「・・・・・・さようなら、母さん」
*
*
*
「レイ?」
彼女は、不意に現れた、蒼銀の髪の少女の名を呼ぶ。
だが、その姿は一瞬にして、彼女が最も憎み、最も愛する男の姿に変わった。
「・・・・・・お父さん?」
それきり、彼女は言葉を失う。
自分や母を放っておいて、研究ばかりしていた父。
自分を捨てた父。
大嫌いな父。
そして、自分を庇って死んだ父。
「大きくなったな・・・・・・いい子にしてたか?」
男は、慈愛のこもった眼差しで、娘を見た。
それは、何時だって欲しかった言葉。
何時だって欲しかった眼差し。
(・・・・・・憎んでいるとか言いながら、私、お父さんのこと、大好きだった)
彼女は、涙を零した。
(だけど、それを伝えられなかったのが辛くて・・・・・・)
(加持君も傷つけて・・・・・・)
(お父さんを奪ったモノに復讐することで、自分を誤魔化して・・・・・・自分を癒そうとしてた)
それでは、癒せないのに。
「お父さん」
今なら判る。
自分は、逃げていただけなのだ。
自分の『こころ』を正面から見ることができなくて。
自分の傷と向き合うのが怖くて。
(逃げ、か・・・・・・これじゃ、シンジ君のこと言えないわね)
そう考えると、ふと、彼女の『こころ』に、ふんわりと優しいぬくもりが生まれた。
奇妙な縁でできた、大切な『家族』。
そして、自分を支えてくれる友人達。
彼らの面影に勇気づけられるように、彼女は父に向けて微笑んだ。
「お父さん・・・・・・私ね。お父さんのこと、大好き」
「そうか」
男は、笑顔を返す。
「あの時、お父さんに助けて貰って、嬉しかった。でも、お父さんが居なくなって、悲しかった」
「・・・・・・でも、もう大丈夫だな?」
男は、労るように問う。
「うん」
今は、ちゃんと、自分と向き合えたから。
どんなに辛くても、支えてくれる人達がいるから。
「もう、大丈夫」
「そうか」
男は再び、優しい笑みを浮かべた。
不意に、男の輪郭が、急激に薄れる。
「幸せになりなさい・・・・・・ミサト」
そして、呟きだけが、残された。
「・・・・・・ありがとう、お父さん」
*
*
*
空から舞い降りてくる影。
その姿が、十数年ぶりに逢う教え子であることに気付き、男は微笑んだ。
「久しぶりだな」
男は、目の前に立った女へと声をかける。
「先生には、ご迷惑ばかりかけています」
女は微笑んだ。
「・・・・・・彼は、逢えたのかね」
男は問うた。
だが、女は微笑んだまま答えない。
そのかわりに言ったのは、別なことだった。
「ご迷惑ついでに、もう少しだけ、あの人をお願いします」
その言葉に違和感を覚えて、男は顔を曇らせる。
「では・・・・・・?」
「群体のまま生きることを、あの子が選択しました」
彼女が発案した計画から外れているにも拘わらず、そう言った女の表情は、誇らしげでさえあった。
「君は、それでいいのかね?」
「はい」
「そうか」
迷いもなく返された答えに、男は微笑んだ。
「君が希むなら、手伝おう」
男は、かつて思慕の念を抱いていた女へ、大きく頷いた。
「ありがとうございます、先生」
残されたのは、昔と変わらない笑み。
男は、その笑顔を胸にしまい込み、呟いた。
「さらばだ、ユイ君」
*
*
*
「レイ」
突然の少女の出現に、彼女はすっと、眉を顰める。
だが、それはほんの一瞬のこと。
次の瞬間、彼女の表情は、驚愕に取って代わった。
「母さん・・・・・・何故?」
死んだ筈の母親の姿に、彼女の怜悧な頭脳が混乱する。
「ほらまた、そうやってロジックに考えようとする」
女は、独特の口調で言うと、微笑んだ。
「相変わらずね・・・・・・でも、元気そうで何よりだわ」
彼女も、女に応じるように微笑む。
ふと、彼女は自分の感情に驚いた。
(憎んでたはずなのに・・・・・・逢えて嬉しいだなんて)
(違うわね・・・・・・本当は私、母さんのことが、大好きだった)
(でも、母さんはいつも私を見てくれなかった)
(周りも、私の後ろに母さんを見て、みんな私を見てくれなかった)
(だから、母さんを超えたかった)
(母さんを超える・・・・・・私は、母さんを憎んでたんじゃなくて、母さんに嫉妬していたのね)
愛した男のために、自分の命すら捧げた母。
科学者として、超えられない母。
自分には真似できない生き方をした母に、嫉妬していたのだ。
(そして、母さんを超えるために、あの人に抱かれた)
彼女は、ふと何時ものシニカルな笑みを漏らす。
(でも、それは自分を虚しくするだけだった)
虚しい?
自分は、計算ずくであの男との関係を持った筈。
なのに何故、こんなに辛いのだろう?
(・・・・・・判らない・・・・・・自分の『こころ』が判らない)
「人間の『こころ』は、数式じゃ解けないわ。特に、男と女はね」
彼女の葛藤を見透かすかのように、女は言った。
「自分に素直になりなさい」
労るような、優しい笑み。
「あ・・・・・・」
知らず知らずの内に、彼女の目に涙が溢れた。
「私・・・・・・」
自分だけ見て欲しかったから、『綾波レイ』を壊した。
自分だけ見て欲しかったから、有能な人間であろうとした。
でも、自分だけを見てくれなかったから、こんなにも辛い。
「私・・・・・・あの人を、愛してるの・・・・・・ね」
それは、否定しようとしていた気持ち。
肯定すれば、自分自身がコントロールできなくなってしまうから。
(・・・・・・でも、『こころ』は、ロジックじゃない)
女はもう一度、口を開いた。
「好意は待っていては駄目よ。ちゃんと伝えなさい」
微笑みは、空気にほどける。
彼女は、涙を拭うこともなく、笑顔を返した。
「・・・・・・ありがとう、母さん」
*
*
*
「女性としてのあなたに、憧れていました。愛していました。だけど、嫉妬していました。あなたの能力に。憎んでいました。振り向いてくれないあなたを。だから、あなたを見ているのが苦しかった」
彼は、ずっと見続けていた女に、告白する。
「本当は、傷つくのが怖くて、逃げてただけなんですね」
*
*
*
「私、何も見ない振りして、何も知らない振りして、誤魔化してたんですね。潔癖性って言葉を振りかざして」
彼女は、最も信頼する上司に向けて、独白する。
「『現実』を受け止めること、イコール、汚れること、じゃないんですよね。私、そのことに気付く勇気さえ、なかったんです」
*
*
*
「彼女を愛していると思ってたけど、俺は自分自身さえ、愛せなかったんだな」
彼は、蒼銀色の髪を持つ少女に、複雑な笑みを見せた。
「振り向いてもらえなくて、当たり前か」
*
*
*
「『真実』はいつだって傍にある」
彼は、かつて一緒に暮らしていた女に向かって、笑いかける。
「遠回り、しすぎたみたいだな」
*
*
*
「ようやく、逢えたな」
ただ一人愛した女に向かって、男は言った。
「・・・・・・あなたは、ヒトが恐かったのね」
「ああ」
それでも、彼女が居たときは平気だった。
彼女が、他人と自分を繋いでくれていた。
だが、彼女を失ってから、男はすべてを拒絶した。
他者との接触を、手袋で拒み。
心の動きを、サングラスで隠して。
「自分の息子さえも恐かったのね」
「・・・・・・そうだ。どうやって触れていいか判らなかった。傷つけたくなかったから、拒絶した」
「あの子とあなた、本当にそっくりね」
女は、慈愛のこもった眼差しを、男に向けた。
「でも、私達の子は、本当に勁くなりました・・・・・・未来を択ぶことができるくらいに」
男が、その言葉の意味を理解するのに、数秒掛かった。
自分の息子が、人が人として生きる世界を択んだことを。
この邂逅が、一瞬だけのものであることを。
そして、彼女は二度と戻ってこないことを。
それが、自分の望まぬ未来であることに気付き、男は口許を歪めた。
「・・・・・・そうか」
自嘲の嗤い。
皮肉なものだった。
彼女を取り戻すために、自分のすべてを・・・・・・息子さえも・・・・・・賭けたはずなのに、それを頓挫させたのは、彼女のクローンたる少女であり、彼らの息子である少年だった。
だが、理解はできても、感情が納得しない。
不意に男は、ただ一つの願いを口にした。
「・・・・・・私を連れていってくれ」
しかし、女は、即座に首を振る。
「あなたは一人だけ、逃げるおつもり? 子供たちに全てを押しつけて」
やんわりと詰られて、男は目を伏せる。
「それに、あなたを必要としている人は、あなたが思うよりも、沢山居ます」
女は言葉を重ねた。
しばらくの沈黙の後、男は溜め息を吐いた。
彼女の言う通りだ。
世界は、これからも続く。
Nerv、エヴァンゲリオン、ゼーレ・・・・・・
彼は、様々なものに対して、責任を負わなければならない立場にあった。
「・・・・・・つまらないことを言った」
言葉と共に、男は、胸を刺す鋭利な痛みをねじ伏せる。
どんなに辛くても、生きて行かねばならない。
彼女がそれを希むのだから。
女は、そんな男の様子を見て、ただ静かに微笑んだ。
「・・・・・・それから、この子達を」
何時の間にか、彼女の腕には、嬰児が二人、抱かれていた。
「女の子はレイ。男の子はカヲル」
ファーストチルドレン・綾波レイ。
フィフスチルドレン・渚カヲル。
ともに、使徒の欠片をもった、人ならざるモノ。
女は男に、嬰児を渡した。
「私達の所為で歪んでしまったこの子達。今度は本当に『人間』として生きさせて下さい・・・・・・これが、私の起こせる最後の奇跡」
女は、もう一度微笑んだ。
美しい、聖母の笑み。
「子供たちをお願いします」
「・・・・・・ああ」
彼女の姿が、ゆっくりと透けていく。
「さようなら・・・・・・愛しているわ、あなた」
囁きは、静寂に紛れた。
「・・・・・・さらばだ、ユイ」
*
*
*
遠くで、波の音が聞こえる。
シンジは、ゆっくりと目を開けた。
(・・・・・・赤い、空)
それは、黄昏の光景に似ていた。
(・・・・・・何もない、場所)
「此処は・・・・・・?」
答える声は、ない。
Ver.1.0 1998.03.28
Ver.1.1 1998.04.17
Ver.1.2 2007.10.11
感想・ご意見などをおまちしております。 ぶらざー玲