第35話 ここから

誰になんと陰口を叩かれ様が、今のアスカにとって大切なのは、これからシンジと正しく結ばれることだった。決してどさくさでもなんでもなく、綺麗に片付けられた部屋で、真新しいシーツのベッドの上で始めてを迎える。それだけは絶対に譲れないことだった。だからこそアスカは急いで部屋に戻ったのである。まずしなくてはならないのが、徹底的に家の中を綺麗にすることだった。
一応アスカにも生活能力があるのだが、ここのところの忙しさと気分の憂鬱さのせいで、掃除が疎かになっていたのである。そのつけを今、アスカは払うことになっていた。だがそれでも、代えのシーツがあったのは幸運に属することだろう。いまさらシーツまで買いに行く時間は無いのだ。
別に口うるさい姑が来るわけではないのだが、アスカはそれこそ部屋の隅々まで掃除機を掛け、濡れた雑巾で窓のサッシまで磨き上げた。まだまだ蒸し暑い空気に、掃除のために着ていたTシャツは、しっかりと汗で張り付いていた。

「あとは、シーツを代えるだけね」

それでも小一時間もすれば、部屋の掃除など終わってしまう。アスカはべたつくTシャツを気にしながら、クローゼットの中から、真新しいシーツを取り出すと、セミダブルのベッドの上にそれを広げた。薄いピンクのシーツには、一点のしみもついていない。それをしわにならないよう丹念に広げれば、後は薄いブランケットをそこに掛けるだけである。

「ここでシンジに、抱かれるんだ……」

そう考えると、体の心から熱くなってくるのが分かる。自分がどれだけこのときを待ちわびていたのか、体の方が正直だとアスカは思った。

「ヒカリもマユミもものすごく痛かったって言ってたな……」

それが通過儀礼なのだと、誰かに言われたような気がした。それが誰だったのかは、今となっては思い出せなかった。ただ、みんなが寄ってたかっていろいろなことを教えてくれた気がした。

「みんな、心配なんだな……」

そんなに自分は危ういように見えたのだろうか、アスカはこれまでの自分を省みていた。確かにシンジに言われるように、自分は煮詰まっていたのだろう。だがそれも、今日で変わるのだとアスカは信じていた。ようやく思いが叶ってシンジと結ばれるのである。そうすれば、今まで抱えていた悩みなど、綺麗に霧散してしまうのだと……
もちろんそんな事はアスカの錯覚でしかない。アスカの問題は、シンジに抱かれるかどうかなどまったく関係していなかったのだ。いや、抱かれてしまえば却って問題は難しくなるともいえたのだ。だがアスカは、そんな危険性を敢えて無視して、思いが叶うことを優先しただけだった。もちろんそれが悪い事だと言えるものは、世界のどこを探しても居るはずは無かった。それだけ彼女が超えてきた道は、激しく険しいものだったのだ。

「そういえば、リツコが薬をくれたっけ?」

その方がいいでしょうと言ったリツコの顔が、やけににやけていたことをアスカは思い出した。その横では、ミサトが絶対にその方が良いと口にしていたと。

『二人とも初心だから、お姉さん心配だわぁ』

そんな風にミサトが言っていたかと、まるで新婚旅行のようだとアスカは思い出し笑いをした。

「そんなことより、シンジが来る前にシャワーを浴びなきゃ。
すっかり汗臭くなっちゃった……」

シャワーを浴び、このときのためにと用意した下着を身につけ、おろしたてのワンピースに身を包めばすべての準備は完了である。
クローゼットの中から一式を取り出したアスカは、バスタオル片手にバスルームへと消えていった。

その頃シンジは、送って行くという加持の車に乗っていた。たいした距離ではないと言ったシンジに、それなり話したいこともあるのだと加持は言った。

「余計な事だとは分かっているんだがね。
アスカは俺にとって、手のかかる妹みたいなものなんだ。
妹をよろしく頼むよ、シンジ君……」
「僕のすべてをかけてアスカを愛しますよ」

そう答えたシンジだったが、でもと言葉を続けた。

「なにか、まるで結婚式の朝みたいですね。
それに、妹じゃアスカがかわいそうでしょう?
出会ったときなんか、アスカは加持さんに夢中だったんですから」
「それでも、アスカは俺にとって妹みたいなものなんだ。
ドイツ支部の頃、アスカは精一杯背伸びをしていたからな。
痛ましくも有ったのだが、俺には何もしてやることは出来なかった」
「加持さんなら、許せたんですよ……」

嫉ましくあっても、我慢できることだったと。そうすればアスカはこんなに苦しむことは無かったのだと。だが加持は、そんなことはあり得なかったと笑った。

「俺にはアスカを支えられないよ。
もし俺がアスカを受け入れていたら、アスカが壊れるのはもっと早かっただろう。
それに、アスカはもっと酷く壊れていたかもしれない」

しかも世界は再生されていない可能性もあると、加持は真顔でシンジを見た。

「アスカが俺のものになっていたら、シンジ君は何を頼りに世界を再生したんだ?
結局は、うまく仕組まれた物語なんじゃないかとすら思えるんだ。
シンジ君、こんなことを言うとおかしくなったんじゃないかと思うかもしれないがな。
最近俺は、運命と言うものが本当にあるんだと思えるようになったんだ」
「僕とアスカが結ばれるのも運命の一つですか?」
「必然の一つなんじゃないかと思っている。
シンジ君とアスカ、二人が結ばれることが一つのマイルストーンじゃないかってな」
「なんか、たいそうな事なんですね」

やけに大げさな事だとシンジは笑ったのだが、加持の真剣な顔にシンジはその笑いを引っ込めた。

「おおげさ、確かにそうかもしれない……
だがシンジ君、この世界の成り立ちを考えたとき、
君たちの存在は、創生の神そのものなんだ。
それを考えると、決して大げさなことではないとも思えるんだ」
「僕たちは人間ですよ、神なんて大それたものじゃない」

だからもがき苦しむのだと。そしてその中から答えを見つけようとしていると。

「シンジ君の言うことが正しいのだろうな。
すまん、俺の言ったことは忘れてくれ。
ただアスカを幸せにしてやってくれ……
ああ、これも余計なことだったかな?」
「いえ、肝に銘じておきます……」

そう言って、シンジはアスカの待つマンションへと入っていった。

不思議な感覚だ、親友の部屋に来たミサトは、今の自分の気持ちをそう評していた。

「ミサトの言うことが分かる気がするわ。
弟や妹を新婚旅行に送り出したのとはちょっと違うわね」

ミサトの感じている不思議な感覚と言うのは、リツコも同意できることだった。何か落ち着かないと言うか、期待している、やはり分析が不能なのだと。

「なんか感慨ってのとは違うのよね。
よくぞ、ここまで障害を乗り越えてたどり着いてくれたって……」
「何かが起こるっていう期待?」
「そう、そう言うところがあるのかもしれないわね……」

だから不思議なのだと、ミサトはもう一度口に出した。

「もうすぐ4年よね、あの二人が出会ってから……」
「そうね、この4年間、セカンドインパクト後に負けないぐらいいろいろなことがあったわね」
「ミサト、アスカが目を覚ましたときのことを覚えている?」
「どっちの、サードインパクトの混乱から?
それとも、この前の使徒の精神攻撃から?」
「そうね、どちらも大きな出来事だったわね……」

そう指摘されれば、どちらも大変な時期だったのだと思い知らされてしまう。しかも面白いことには、そのときのアスカの感情は正反対とも言える物だった。

「サードインパクトの後、アスカはシンジ君を憎んでいたわよね。
どうしてあそこまで憎めるのかって言うほど……
でも、その分って言うか、元気はあったわね。
けれど、シンジ君が居なくなったらその元気も一緒に居なくなっちゃったわね」
「よく言うでしょう、愛憎は表裏一体だって。
何があったのかは話してくれないけど、アスカの側に強い感情があったのは確かね」
「病院で、シンジ君がアスカをオカズにしたのも影響している?」
「それは十分にあるわね。
でもね、ここだけの話、アスカだってシンジ君をオカズにしていたのよ」
「へえっ、あのアスカが?」

じつはと打ち明けられた話に、リツコは少し驚かされた。だが、実験の時のアスカの様子を思い出して、そういうこともあるのかと一人納得もしていた。まったく無感情に実験を続けて行くレイと比べて、何かとアスカはシンジのことを口にしていたなと。

「意識していますって、宣伝しているようなものだったわね。
でも、あの頃のシンジ君ってどっちつかずだったじゃない。
だから余計に苛ついていたのかもね。
まあ健康な男女が一つ屋根の下で暮らすんだから、
意識しないほうがおかしいともいえるんだけどね……」
「でも、それって加持君の策略なんでしょう?」
「アスカに言い寄られていたのよね。
でも加持は、アスカに妹を見ていたのよ」
「加持君って、兄弟が居たの?」
「セカンドインパクトの時にね、死なせてしまったんだって」
「だから、加持君はアスカに対してあそこまでストイックだったの?」
「そうらしいわよ……」

それも今となっては思い出として語る話となってしまった。ミサトは4年の月日の大きさを思わないわけには行かなかった。

「この前のことにしてもそうね。
アスカは、使徒の精神攻撃で夢を見させられたと言ったわね」
「ええ、幸せな夢だったらしいわね。
でも、そこにはシンジ君だけいなかったって」
「リツコ、そのことを聞いて不思議に思わなかった?
どうして使徒は、アスカの夢にシンジ君を出さなかったのかしら?
そうすれば、アスカは夢の世界から帰ってこなかったでしょう?」

それが分からないのだと、ミサトは口にした。確かにアスカがシンジの存在を頼りに現世へと復帰したことを考えれば、夢の中にシンジを出してさえ居れば使徒の試みは成功したことになる。

「ミサトは、シンジ君を出せなかった理由があると考えているの?」
「そう考えるのが自然じゃない?
だって夢なんでしょう?
登場人物を限定するほうが不自然じゃない」
「そこに、何か使徒の意図があったと言いたいのね?」
「私にはそうとしか思えないわ。
結局、シンジ君を出さなかったために失敗したんでしょう?
初めから失敗を意図していたのか、
それともシンジ君を出すわけに行かなかったとしか考えられないじゃない」
「アスカの思いを見誤ったという可能性は?」

ミサトの言葉に、リツコはもう一つの可能性を指摘した。

「それも十分に考えられるわね。
でも、シンジ君を出さない理由にはならないわ」
「それもそうね、でも使徒の意図なんて、私たちには分からないわ。
それに、それを分析するための方法も存在しない……」
「結局、想像の範囲を出ないって事か……」

面白い話なのにねと、ミサトはそれ以上のねたが無いことに不満の言葉を漏らした。何かとても重要なことを話し合っているはずなのだが、最後のところで核心に逃げられた気持ちになってしまうのだ。

「結局さ、あの二人ってどこに行くんだろう……」

ミサトの呟いたことは、リツコも同じように疑問に思っていることだった。政治的しがらみからは自由で居られるのだが、それにしても二人の前には障害が沢山横たわっているのだ。一つ一つ、それ自体は些細なこととしか思えない障害も、いざ乗り越えようとすると使徒との戦いと同じくらいに困難なものに感じられてしまうのだ。

「それが分かるのは、本当に神様だけだと思うわよ」

それも疑わしい事だと、リツコは自分の答えに自身がもてなかった。

***

シンジは、迎えに出たアスカの姿に感動していた。その姿自体、初めて自分たちが出会ったときを模していることは分かったのだが、4年の月日と空母の上で無いという状況が、シンジにはまた違った印象を与えていたのだ。そしてそれ以上に、アスカが自分と同じことを考えていたと言うことである。やり直すという意味では、アスカの選択の方が正しいのである。

「どこかおかしい?」

突然黙ってしまったシンジに、アスカは少し不安げな表情を見せてそう尋ねた。自分では自信作でも、問題はシンジに取ってどうなのかである。だがそんなアスカに向かって、シンジは見とれてしまったのだと打ち明けた。

「アスカ、それって……」
「そう、私たちが初めて出会ったときの格好よ。
もっともあのときのワンピースなんて着られたものじゃないけどね」

今着たなら、それはそれで刺激的な格好になるだろうとアスカは笑って見せた。

「なら僕も、学校の格好のほうが良かったかな?」
「べっつに、それがシンジの進歩なんじゃない?
私の記憶にあるシンジって、学校の制服かプラグスーツだから」

だから今のシンプルな格好も新鮮なのだと。ベージュのチノに青いポロも、長身のシンジにはとても似合って見えた。もっとも、肩に抱えた大きなバッグだけがやけにアンバランスだった。アスカは、そのことを指摘した。

「でも、やけに荷物が多いんだけど?
どこかに合宿にでも行くの?」
「ん、しばらくアスカのところに厄介になろうかと思ってね。
いけなかったかな?」
「いけないって……」

アスカはとっさの言葉に詰まってしまった。結局シンジの言うことは、これから同棲しようと言うのである。拒むようなことで無いのは分かっていたが、だからと言って二つ返事で良いというわけにはいかなかった。何の相談もなしというのも問題だった。

「もう一度はじめるんだよ、今度は二人きりでね……」
「二人きり?」
「そう、ここにはミサトさんはいないんだ。
僕たち二人きり、お互い素直な気持ちでね」

あの頃をなぞるのと、新しくやり直すのの両方なのだと。

「僕はね、最初のボタンを掛け違えたんだと思う。
ユニゾンのとき、アスカが僕の寝ているところに寝ぼけてきたことがあったよね。
僕はあの時、違うな、その前にアスカを抱きしめるべきだったんだって。
そうしていたら、その後のことはずいぶんと変わっていたと思うんだ」
「後悔してる?」
「ああ、今となればね。
でも、それも過去の事だと思ってる。
今ならアスカを抱きしめることが出来るから」
「……なら、力いっぱい抱きしめて。
そして、ここから始めましょう!」
「そうだね、愛してるよアスカ!」
「私も、愛してる……」

二人は愛の言葉を口にして、お互いの体を抱きしめた。4年前には同じような背丈だった二人だが、今はシンジのほうが頭一つ高くなっている。だが二人が抱擁する姿には、14年前の二人の姿が重なっていた。

そのとき、レイコは母親のヨウコと並んで夕食の支度をしていた。黙々と夕餉の用意をするレイコとは対照的に、ヨウコの手はついつい止まりがちになっていた。

「お母様、どうかなしましたか?」

そんな母親の様子に気づいたレイコは、大根を切る手を止めて何かあったのかと尋ねた。もちろんヨウコが本当のことを言えるわけもなく、ただ別にとだけレイコに答えた。

「ちょっと、いろいろなことがあって疲れているだけよ」

だがそんなヨウコの心遣いも、レイコの前には無駄だったようだ。レイコは曇りの無い笑みを浮かべると、気を遣わなくても大丈夫だと母親に告げた。

「……気、なんか遣っていないわよ。
レイコに手伝わせるのは、花嫁修業の一環だと思っているから。
いわば、母親としての義務を果たしているんだもの」

どきりとしたヨウコは、娘に向かってそう言いつくろった。だがレイコは、そんなことじゃないと笑って見せた。

「今更そんなことは持ち出しませんよ。
私が失恋したことを気にしているんでしょう?」

そう尋ねたレイコに、ヨウコは苦笑を返した。

「自分の娘のことよ。
気にならない方がおかしいでしょう」
「でも、誰でも一度は通る道でしょう?」
「私には、どうしてあなたがそんな風に振る舞えるのか分からないのよ」

シンジへの思いは、そんな簡単なものではなかっただろうと。そう聞いた母親に、もちろんその通りだとレイコは頷いた。

「ならどうして、そんなに落ち着いていられるの?」

やっぱり分からないと、ヨウコは首を振った。そんな母親に向かって、ありがとうとレイコは言った。

「ありがとうって、私は別に何もしていないわよ」
「いえ、私のことをそんなに心配してくれて嬉しいんです」
「あのね……」

レイコの言葉に、母親が娘のことを思うのは当たり前だとヨウコはあきれた。レイコは、自分も似たようなものなのだと打ち明けた。

「似たようなもの……どういうこと?」
「シンジさんのことです。
私の場合、好き嫌い以前にシンジさんに近すぎたんです。
ずっとシンジさんが苦しんでいたのを見てきましたから……」
「言いたいことは分かるんだけどね……
それは、16歳の女の子の台詞じゃないわよ」
「でも、本当だから仕方が無いじゃないですか!
もちろん、シンジさんのことが好きだという気持ちもあります。
自分の気持ちを受け取ってもらえないと分かったときは、本当に泣いてしまいました」
「泣くぐらいだったら……」

母親の言いたいことが分かったのだろう、レイコは大丈夫だともう一度笑って見せた。

「でも、泣いたのはもっとずっと前のことです。
鹿児島からここに来た夜、私は一人で泣いていましたから」

たぶん、マナも気づいていないとレイコは打ち明けた。

「だから、それからのことはおまけなんです。
ふられたからって、急にシンジさんのことが嫌いになる訳じゃないでしょう?」

レイコの答えに、ヨウコは大きなため息を吐いた。子供が自分たちで解決していたこともそうなのだが、いくら離れていたからと言ってその変化に気づかなかった自分を嘆いたのだ。

「お母様、どうかなさったのですか?」

自分を気遣う娘に、ヨウコはたいしたことはないのだと答えた。

「ただ、知らないうちに大きくなったなと思っただけよ。
さあ、飢えた男どもが待っているから、さっさと夕食の準備をしましょう」

ヨウコはそう言って話を打ち切ると、大きな鍋を火に掛けた。

本当に自分たちは進化の過程に有るのか。渚カヲルは、難しい顔をした相方にそんなことを考えていた。朝からの出来事を考えなくても、二人の間に起こったことは“感じられる”のだ。同じことを相方、綾波レイが気づいているのは表情を見れば分かり切ったことだった。

「ほっとしているのかい、それとも嫉妬しているのかい?」

そう声を掛けてきた相方に、レイは嫌な奴と顔を歪めた。

「……分かっていて、そんなことを聞くの?」

自分をからかって楽しいのかと。だがそんなレイに、考えすぎだとカヲルは笑った。

「僕には、そう言う趣味はないよ。
ただ、君の気持ちを確認しようと思っただけのことだよ」
「……無知ゆえの残酷さという訳ね」
「ひどい言われようだねぇ……」

そう嘆くと、カヲルはまじめな顔をして二人の家の方を見た。

「僕たちも、選択の時がやって来たようだね」
「……そうね……」

レイもまた、カヲルに習って二人の家の方角を見た。

「新しい世界が生まれた以上、古い世界は役割を果たしたと言えるね」
「……シト、エヴァ、ひずみは残ったままだわ。
そのひずみの影響は、全く変わらない……」
「だが、結果は分からないはずだよ。
それに、慌てて取り除く必要もなくなった。
なにしろ破壊を役割とするシトは居なくなったからね」

カヲルの言葉に込められた意味に気づいたレイは、悲しそうに首を横に振った。

「……それは、甘い願望に過ぎないわ」
「予定外の事象を追加すると、さらに収拾がつかなくなると言うんだね」

自分の言葉に頷いたレイに、既に手遅れなのだとカヲルは告げた。

「新しい世界、それが生まれたこと自体イレギュラーなのだよ。
既に、僕たちでは収拾がつかないところまで事態は進んで居るんだ」
「でも、不確定要素は少ない方が良いわ」
「それは、道理なのだけどね……」

そうすると、話はまた元に戻るのである。その点を、カヲルは指摘した。

「一番の不確定要素。
それを取り除くわけにはいかないだろう?
そして、それ以外の要素にしても、僕たち以外は簡単なことじゃない。
僕たちが、エヴァを取り巻くすべてと一緒に消える……
そう申し出て、はいそうですかとは行かないだろう?」
「最初の予定通りと言う選択肢もあるわ」
「だが、それはシンジ君の願いから一番遠いところにあるのじゃなかったのかい?
それを最初に言い出したのは、レイだと思ったのだけどね」

カヲルの指摘に、レイは黙ったまま何も答えを返さなかった。そんなレイに、カヲルは小さく肩をすくめて見せた。

「僕たちが気づいたように、彼女の中で世界がはじけた。
正直に打ち明ければ、これは当初予定されなかったことだ。
世界の修正だけを考えるのなら、そちらの世界で行えば何の問題もない。
だが、この世界も続いていくんだよ。
使徒、エヴァ……いずれも存在する世界がね」

なにかあるかとレイをカヲルはレイを見たのだが、先を続けろと言うようにレイは何も答えなかった。

「僕たちには二つの選択肢がある。
まずは、当初の予定通りエヴァと彼女を抹殺する。
そうすれば、この世界は安定へと収束していく」
「……それから?」
「もう一つは、僕たちが傍観者となることだよ。
破滅が二人を襲うのかも知れない。
だが、僕たちはただそれを傍観するんだよ」

それが出来ることだ。そう言ったカヲルに、もう一つの選択肢があるとレイは口にした。

「もう一つかい?」
「……分かっているはずよ。
私たちが、積極的に関わっていく道があることを」
「それが可能だと思うのかい?」

レイの安直な考えに、やれやれとカヲルは両手を広げて見せた。

「シンジ君はともかく、世界がそれを認めると思うのかい?
僕たち使徒と人類は、相容れぬ存在だと思われて居るんだよ。
事実、僕たちは多くの人命を奪った。
今更、共存を持ち出したところでうまくいくはずがないだろう?」
「不可能ではないはずよ。
私たちが投降した場合、彼らは扱いに困るはずだから」
「しかし、それはシンジ君達を困らせることにならないかね?
僕たちを滅ぼせと命令されたとき、彼は苦しむことになると思うよ」
「そのときはそのときのこと。
おとなしく滅ぼされてあげればいい……」
「そうすれば、少なくとも僕たちの驚異からは開放されるからかい?」
「違うの?」

まっすぐなレイの赤い瞳を、カヲルは正面から受け止めた。

「人は、それを献身と言うのかな」

仕方がないと、カヲルは肩をすくめた。

「僕は道を示した。
レイは、その中から選択してしまった。
僕たちの答えは決まったことになる。
あとは、シンジ君がどんな選択をするかだね」

それからと、カヲルはくぎを差した。カヲルの口元は、微妙に歪んでいた。

「いずれにしても、僕たちはシンジ君と対決をしなくてはいけないよ。
自分の世界は、やはり自分でつかみ取らないといけないからね」
「……楽しんでいない?」
「分かるかい?
純粋さに強さと優しさを備えたシンジ君と相まみえてみたいんだよ。
それは、とても幸せな経験になると思うからね」
「なら私は、あの人と対決すればいいのね」

レイの顔に浮かんだわずかな歓喜を読みとったカヲルは、本当に自分たちは進化しているのだと理解した。

「……寝ちゃったんだ……」

いつもと違った寝心地に気づいたアスカは、自分が何をしていたのか思い出した。

「あのまま……」

横を見れば、パジャマを着たシンジが寝息を立てている。なにか、それがとても悔しかった。

「あたしは裸なのに……」

くやしいと、アスカは寝ているシンジの鼻を指でつついた。もぞりと動くシンジがおもしろくて、アスカはもう一度シンジの鼻をつついた。

「こいつにもヒゲが生えるのね……
当たり前か、あれから4年経つんだものね」

シンジの鼻をつつく代わりに、アスカは薄く開いたシンジの唇に自分の唇を重ねた。

「あの頃は、こんな関係になるとは思っていなかったのよね。
でもね……」

アスカは、まじまじとシンジの顔を見た。静かに瞳を閉じた様子から、目を覚ます気配は感じられなかった。

「あたしに、何が足りないのかよく分かったの……」

アスカは、もう一度シンジに口づけをした。

「愛している……言葉だけじゃ言い表せないぐらい」

アスカはそう言って、ゆっくりとベッドから抜け出した。そして、シンジが見ているわけではないのだが、恥ずかしそうに浴室へと駆け込んでいった。

続く