第34話 未来の二つの顔

一言にシンジの退院と言ったが、公傷と言う事情があるため、普通の退院とはかなりシンジのものは異なったものとなった。普通ならばそれまでの費用の清算、お世話になった関係者へのあいさつ回り等々いろいろと付帯したイベントがつき物なのだが、シンジの場合はそのすべてが免除されているため、その作業は至極あっさりとしたものになった。しかも当日必要なものを残して前日のうちに運び出されているため、ほとんど小さな紙袋と言った荷物での退院と言う事になった。
だからと言うわけでもないのだろうが、アスカが病院にやってきたとき、シンジの病室に当の入院患者のほかにだれの姿も見つけることができなかった。

「ええっと、おば様とかマナは?」

少し来るのが早かったのかと、アスカはシンジの家族のことを尋ねた。しかしシンジから返って来たのは、アスカにとっては意外な答えだった。

「忙しいから、こっちに来ている暇は無いんだって。
まったく息子のことを何だと思っているんだろうね?」
「忙しい?」
「今晩の宴会の準備だって。
またガーデンパーティーをするみたいだよ」
「だからと言って……」

まだ時間はあるし、退院の付き添いもできるはずだ。そう言い掛けたアスカだったが、シンジの表情に、それが自分たちを二人きりにするための方便であることに気づいてその言葉を飲み込んだ。

「そう言うこと。
みんな、おせっかいなんだよ」

黙り込んだアスカに、シンジはそう種を明かした。

「まったく、そんなに煮詰まっていると思われているんだね」

だから余計な気を使っているんだと、苦笑混じりにシンジはこぼした。だがアスカは、そのシンジの言葉に引っかかりを感じた。

「……煮詰まってる?」
「心当たりがあるだろう?」

どう言うことかと尋ねたアスカに、シンジは柔らかな笑みを浮かべてアスカに聞き返した。

「あ、あたしは……」

どうなのだと、アスカははっきりと口にできなかった。煮詰まっていないと口にすることは簡単なのだが、しかしそれが真実を映していないことはあまりにも明白なことなのだ。しかもあえて嘘を口にしたとしても、自分を見つめるシンジの目をごまかせることはできそうにも無かった。だからアスカにしては珍しく、はっきりとしない物言いとなってしまったのである。

「その話は、ゆっくりと二人っきりで聞かせてもらうよ。
とにかく、早く出て行けって煩いんだ。
さっさと挨拶を済ませて帰ろうよ」

それに、帰りが遅くなると余計な勘繰りをされることにもなるとシンジは付け加えた。

「でも、その前にね」

シンジはアスカの手を引いて固い病院のベッドの上に押し倒すと、戸惑いの隠せないアスカの唇をそっと奪った。

「正直言うと、僕はアスカが欲しくてたまらないんだ……」

熱く耳元で囁かれた言葉は、アスカの全身を熱くしびれさせた。

***

盛大な宴会が催されるという二人の予想を裏切り、シンジの退院祝いのパーティはきわめて落ち着いたものとなった。もちろんシンジは、全身やけどからくる内臓疾患を煩っていたこともあり、一切の酒類は御法度となっていた。そしてそれにあわせるように、いつもは浴びるように酒を飲んでいた大和家の住人も酒を控えたのである。もちろんだからといって、お通夜のように寂しい宴会だったというわけではない。酒が入っていなくても、それなりに飛ぶことが出来る貴重な人材には事欠かなかったのである。だがその雰囲気も、普段の宴会に比べればずっと落ち着いたものとなっていた。だからと言って良いのかもしれない、シンジの快気祝いの宴会は、どことなく緊張をはらんだものとなっていた。

「お兄ちゃん、ちょっと良い?」

そんな中、大人しく椅子に座っていたシンジに、話をしたいとマナが声を掛けてきた。

「なんだい改まって、明日じゃいけないのかな?」

少し思い詰めたような妹の表情に、どうしたのだとシンジは聞き直した。だがマナは、ここでは話せないと言う一点張りだった。そんなマナに、仕方がないとばかりシンジは席から立ち上がった。どこまで付いていけばいいのかと。

「おうちの中……あたしの部屋が良いわね」
「主賓が席を外すのはよくないんだけどね」

仕方がないかと、シンジはマナの後へと続いた。しかしその光景が、アスカの目にとまらないはずがなかった。だが、何事かと追いかけようとしたアスカは、その行く手をムサシによって遮られてしまった。

「邪魔をしないで欲しいんだけど」

アスカにとって、一連の行動は明らかにうさんくさいのだ。どう言うつもりなのかと、怒気をはらんだ顔でアスカはムサシをにらみつけた。

「すまないが、けりをつけさせてやってくれないか?」
「なんのけりをつけようって言うの?」
「妹の思いへのけりだよ。
確かにあんたにも関係のあることだが、ここは目をつぶって欲しい」
「あたしに我慢しろって言うの?」

ぎろりと睨んだアスカに、そういう事だとムサシは頷いた。

マナに連れて行かれた部屋に、レイコが待っていたのはシンジにとっては驚くことではなかった。レイコの姿がパーティーの席から居なくなっていたことには気づいていたし、少し悩んでいる様子も見受けられたからだ。むしろシンジには、マナが手引きをしたことの方が意外だった。いくら鈍いといわれても、妹の気持ちに気づかないほど間抜けでもなかったのだ。

「あたしはちょっと消えているから……」

いつにないまじめな顔をして、マナは二人だけで結論を出して欲しいと、自分はしばらく席をはずすと口にした。そしてたとえどんな結論を出そうとも、全力で応援すると付け加えて出て行った。
部屋に残されたのは、マナの勉強用の椅子に座ったレイコと、入り口で立ちつくしているシンジだった。

「……レイコちゃん」

シンジがそう声を掛けたとき、レイコは椅子から立ち上がって正面からシンジを見つめた。

「シンジさん、人を好きになるってどういうことなんでしょうね……」

正面からシンジに向き合ったレイコは、そんな疑問をシンジに投げかけた。いや、疑問なのかどうかは定かではない。シンジの答えを待たずに、レイコは自分の言葉を続けたのだ。

「私はシンジさんが好きです。
一生をシンジさんと生きて行きたいと思っています。
シンジさんに抱かれ、シンジさんの子供を生み、一緒に喜び、一緒に泣く……
ずっと傍にいたいと思っているんです……」
「レイコちゃん……」

どう答えて良いのか分からないシンジは、ただレイコの名前だけをつぶやいた。それに構わず、レイコは自分の言葉を続けた。

「でも、夢は夢でしかないことも分かっています。
今のことも、私の一方的な思いでしかないことも分かっています。
シンジさんの心の中には、私は住んでいません……
初めて出会ったときから、シンジさんの中には私の入り込む余地なんか無かったんです。
それは分かってたんです、でも、私はシンジさんを好きになるのを止めることはできなかった。
どうしてだか分かりますか?」

レイコはにっこりと微笑んでシンジに尋ねた。淡々と吐き出されるレイコの思いと、そして彼女が浮かべた笑みの美しさにシンジは圧倒されていた。だがシンジの中にある思いは、それを受けてもなおも揺らぐことは無かった。
シンジは、分からないとレイコに答えた。シンジの答えに、レイコはもう一度微笑みを返した。

「そうですよね、私自身分からないのに、シンジさんに分かるはずが無いですよね」

そう言われても、シンジに何かが言えるわけではなかった。シンジ自身、何とレイコに答えれば良いのか分かっていなかった。いくらアスカへの思いが確かなものであったとしても、レイコに対してはまた別の思いがあるのである。その思いは、レイコを拒絶することを許さなかった。

「人の思いって難しいんですね。
私は、最近のアスカさんを見ていてそう思いました。
アスカさんも、シンジさんが好きでたまらないんです。
だからこそ、アスカさんは悩んでいる……」
「確かにアスカは悩んでいるね……」

シンジの答えに頷き、レイコは言葉を続けた。

「私は、私たちと出会う前のシンジさんとアスカさんを知りません。
ですから、どうしてお二人がそんなに思いあうようになったのかも分かりません。
でも、どんな理由があるにしろ、アスカさんはシンジさんのことが好きなんです。
どうして、それだけじゃいけないんでしょうか?」

シンジに分かったのは、ここのところアスカが悩んでいることにレイコが心を痛めているということだ。本当にやさしい子なのだと、今更ながら目の前の少女に対しての感謝の念がシンジの中で高まっていた。だからシンジは、はっきりと、そして優しい声でレイコに自分の思いを告げた。

「多分、レイコちゃんの疑問には答えなんか無いんだよ。
でも、その答えを探すことはできると思うよ。
僕とアスカ、これから二人はその答えを一緒に探すことになると思う」
「とっても辛い目に遭うかも知れなくてもですか?」
「そうだね、僕たちはもう一度お互いを傷つけあうことになるのかもしれないね。
でも、それが僕とアスカの愛の形なのかもしれないんだ……
レイコちゃん、ヤマアラシのジレンマと言う言葉を知っているかい?」

シンジの問いに、レイコは知らないと答えた。

「ヤマアラシはね、ぬくもりを求めて抱合おうとしても
お互いのとげで、相手を傷つけてしまうんだ。
でも、傷つけあうことを恐れて離れてしまうと、寂しくてたまらなくなる……
初めてであった頃の僕たちは、ちょうどそんなヤマアラシと同じだったんだ」
「傷つけあっていたんですか?」
「ずいぶんと酷い言葉をぶつけ合ったと思うよ。
でもね、本当に相手を傷つけたのはそんなことじゃなかったんだ。
本当に相手を傷つけたのは、お互い辛いからといって逃げ出したことなんだ」
「逃げちゃ、いけないんですか……?」
「必ずしもそうだとは言わないよ。
でもね、どうしても逃げちゃいけないときもあるんだよ。
アスカが助けてくれって手を伸ばしているとき、僕は恐ろしくて目も耳も塞いでいた。
絶対に逃げちゃいけないときなのにね……」
「でも、人にはできることとできないことがあります!」
「でも、はじめからできないってあきらめていたら、絶対に何もできないだろう?
それに、そのときアスカを助けられたのは僕一人だったんだ。
ううん違うね、アスカは僕に手をのびしてきたんだ。
もしかしたら一緒に奈落の底に落ちることになったのかもしれないけどね。
僕は、自分が傷つくことを恐れてその手を掴まなかったんだよ」
「今度もそうだと言うんですか?」

シンジはそうだと頷いた。

「アスカはね、いろいろなことに必死で悩んでいるんだ。
でも、いくら頭の良いアスカだって万能じゃない。
それに、アスカ一人で出せる答えなんて限られているんだ。
だからアスカは、僕に向かって助けて欲しいって手を伸ばしている。
僕に、もう一度チャンスをくれているんだよ……
ヤマアラシはね、針を引っ込めれば抱合うことも暖めあうこともできるんだ。
あの頃より少しだけ大人になった僕たちは、針の引っ込め方を覚えようとしているんだ」
「また傷つけあうかもしれませんよ?」
「そうだね、でも人の心の中なんて、正確にわかることなんて一生無いんだよ。
でもね、分かろうと努力する限り、限りなく正解に近づくことはできるんだ。
アスカと僕が努力を続ける限り、お互いを傷つけなくても済む方法を考えることができるんだよ。
まだまだ先は長いと思うけどね……」

シンジはそう言って苦笑を浮かべた。

「でもね、僕はアスカのことを愛している。
だから、必ず見つけることができると思っているんだ」

そう話すシンジの顔は、どうしようもなく優しく、そしてどうしようもなく遠いところに居ると、レイコには感じられた。だからレイコは、シンジに向かって最後のお願いがあると口にした。だがその願いの中身は、シンジをとまどわせるものだった。

「でも、それじゃあ……」
「これが、私なりの愛し方だと思ってください」

そのときが来るまで、いつまでも待っているとレイコは答えた。

***

家の中から出てきたシンジを見つけ、アスカはすぐにでもそこに飛んで行こうと思っていた。だがそんなアスカのよりも早く、それまでアスカを邪魔していたムサシが動いた。ムサシはアスカのほうへと歩いてきたシンジの前に立ちふさがると、終わったのかとだけ尋ねた。それに答えたシンジの言葉も同じように短いものだった。

「ああ、終わったよ」
「なら、いい」

ムサシはそれだけを言うと、くるりと踵を返して宴会の輪へと歩いていった。すでにムサシの顔からは、シンジと向かい合っていたときの緊張感は消えていた。

「シンジ、何を話したの?」

何かが起こるのかと息を呑んで見守っていたアスカは、緊張感から解放され、ほっとした顔で何があったのかと尋ねた。

「僕がアスカと離れてから、いろいろなことがあったんだ。
そのけじめが付いたんだと思う……」
「けじめ?」
「そう、詳しいことはアスカの家に遊びに言ったときに教えてあげるよ」
「あの子は……」

どうしたのか、アスカがそう聞こうとしたとき、ちょうど家の中からレイコが出てくるのが見えた。その顔には、アスカが心配したような思いつめたものは見つけられなかった。だからこそ、逆に心配になることもあった。

「あの子……大丈夫なの?」
「レイコちゃんはね、僕たちよりずっと強いよ」
「あたしたちより?」

そうだよとシンジは頷いた。

「僕とアスカはね、二人でようやく一人前なんだよ。
そうしないとね、お互いに欠けた所が僕たちを押しつぶしてしまうんだ」
「あたしは、そんなに弱くは無いわよ……」
「僕は弱いよ、アスカが居なくなったら、多分僕は壊れてしまう……」

アスカには、シンジの言うことが自分がアメリカに行くことをさしているのか、それとも使徒との戦いで、BIACの中で仮想体験をしたことをさしているのか分からなかった。だが、同じようなものを自分も感じていることは確かだと思っていた。

「あたしのことを愛しているから?」
「愛しているよ。
でも、今の気持ちはそれを超越していると思うんだ」
「どういうこと?」
「僕という人間に欠けたピースがあって、アスカと言う人間にも欠けたピースがある。
そのかけた部分を埋めるためには、お互いの存在が必要なんだよ」
「プロポーズのつもり?」
「そうかもしれない……
僕はアスカと一つになりたいと切望している……」
「あ、あのね……」

こんなところで言うことじゃないだろうと、アスカは顔を赤くした。だがシンジは、顔色をまったく変えずに遠くを見つめていた。

「シンジ……」
「アスカが恐れを抱いているように、僕にだって怖いことがある。
使徒や、僕たちを取り巻く世界と戦うのは怖くなんか無い。
困難ではあると思うけど、恐怖とは違うんだ」

シンジはそう言うと、正面からアスカの顔をじっと見つめた。

「僕はアスカを失うかもしれないと思うと、怖くてたまらないんだ。
決してアメリカに行くなとか言っているんじゃない。
たとえ遠く離れたとしても、そんな事は問題じゃない。
時間や距離の壁など、どうやってでも壊すことができるんだ。
でも、僕たちの間に心の壁ができてしまったら、僕にはどうしようもなくなってしまう」
「心の壁?」

どういう意味だと、アスカはその心の壁の意味を尋ねた。

「アスカにも心当たりがあるはずだよ。
アスカが今悩んでいること、それを考えてくれれば良いんだよ」
「あたしの考えていること……」

ちょうどそのとき、遠くからいつまで雰囲気を作っているんだと言うマナの大声が響いた。確かに、パーティーの主役がいつまでも、席をはずしていて良いものではない。その声をきっかけに、シンジの顔から思いつめたような表情が消え、普段どおりの明るい表情が表に現われていた。だが、アスカはシンジのように簡単に変わることはできなかった。

「あたしは……」

まだ言葉をつづろうとしたアスカに、今はここまでにしようとシンジは声を掛けた。

「時間をかけることが良いとは言わないよ。
でもね、片手間で話すようなことでもないんだよ」

すべては、明日アスカの部屋で話すとシンジは告げた。

***

翌朝のアスカは、ある意味最悪の目覚めだった。だからと言って学校をサボるわけには行かなかい。何しろ今日からシンジが登校を再開することになっていたのだ。

「酷い顔……」

パーティーから帰ってから、ずっとシンジに言われたことをアスカは考えていた。確かに自分にもシンジを求める、いや渇望するところが存在している。ある意味それは病的な部分と言って良いのかもしれない。それをアスカは、昨夜のシンジの言葉で改めて気付かされた。
鏡の前でアスカは、思わず酷い顔と呟くことになったのだが、それでもと冷たい水を顔に叩きつけて少しでも気分を変えようとした。いつもなら気分をさっぱりとさせてくれるシャワーにしても、今はそんな気持ちになれなかった。もっともこのまま学校に行くわけには行かないのはそれ以上に確かなことなのだが……

それでも何とか気分を立て直したアスカは、今日も相変わらずの日差しの中、待ち合わせ場所になっている路地へと足を進めた。そこにシンジが居ると思えば、とりあえずは気持ちが前向きになれるのである。

「おはようアスカ」
「おはようさん」
「おはようございます」

そしてアスカを迎えるのは、いつもと変わらない友達の笑顔だった。その顔が、多少何か含むところがあるようにゆがんでいるのだが、それはこの際おいておくこととした。とにかく、いつもと変わらぬ友人の姿に、アスカは少しだけ体からこわばりが抜けてくれたのだ。

「おはようみんな、ところでシンジは?」
「なんや、朝一番からそれかいな?
シンジなら、ほら、向こうから歩いてくるやろ!」
「サンキュウ、鈴原!!」

感謝の言葉と共に、アスカは角から現われたシンジに駆け寄った。そして唖然とする暇も与えず、シンジの首に手を回して抱きついて見せた。

「なんや、やけに積極的やな」
「いいんじゃないの?
ようやく元に戻れたんだから」

ヒカリの言葉に、その場に居た全員は確かにそうだと納得して見せた。そしてアスカ同様、久しぶりに戻ってきた日常に、同じように気持ちが高ぶっているのを感じている自分に気がついた。

「まあ、それは良いとして学校に急がないか?
天下の往来でのラブシーンは、今夜までお預けしてもらうことにして」
「今夜って、ケンスケさんそうなんですか?」

にやりと笑ったケンスケに、そう言うことなのかとマユミは聞き直した。

「賭けにしたら成立しないぐらいの確立でな。
何しろ、今まで無かったことのほうがおかしいぐらいだ」
「シンジさんも、もうすぐ18なんですねぇ」
「あいつと出会ってから、まだたった4年なんだ……
でも、その間にいろいろなことがあった……」

隣に立つマユミに、ケンスケは少し遠い目をして、これまでのことを思い出す真似をした。4年前、使徒との戦い、死んでいった中間達、生き残ったがもう合うことも無い仲間たち、そして再び出会った仲間たち。

「まあ、一番意外だったのは、あいつらがあんな関係になるってところかな?」
「シンジさんとアスカさんがですか?」

信じられないと言うマユミの疑問に、そうそうとケンスケは頷いた。

「惣流は気が有るくせに素直じゃなかったし、
シンジはシンジで、鈍感100%、それに何か……惣流にかな、怯えているようだったしな」
「今からは信じられませんね?」
「朝っぱらからラブシーンを見せてくれるとは、
これで奴らも立派なバカップルだな」

クシシと笑おうとしたケンスケだったが、残念ながらその自由は彼には与えられなかった。その場を総括したまではよかったのだが、いきなり誰かに頭を殴られたのだ。

「い、痛いじゃないか、惣流!!」
「なに、総括してんのよ!!
それに、あたしたちのどこがバカップルなのよ!」
「人目を気にしないで朝からそんなことをしていれば、立派にそうじゃないか!!」
「うるさいわね!!
じゃあ朝じゃなきゃ良いって言うの!!」
「そういうことを言っているんじゃない!!
少しは人目を気にしろって言っているんだ!!
しかも人の頭を勝手に殴るんじゃない!!」
「じゃあ殴るわよって、断ったら殴らせてくれるの?」
「そんな理由は無いだろう!」
「じゃあ、いきなり殴るしかないじゃないの」
「どうして、殴るって答えしか無いんだよ……」

とほほと嘆くケンスケに、まあ今日ぐらいはとマユミがとりなした。

「まあようやく元気を取り戻したっちゅうところやな。
ケンスケ、運が悪かったとあきらめるんやな」
「自分じゃないからって、気軽に言ってくれるなよなぁ~」

ケンスケの抗議も、この場合はあまり役に立っていないようだった。

学校に着けば着いたで、シンジの回りは静かと言うわけには行かなかった。何しろ世界を救った英雄の登場である。その英雄が重い怪我から復帰しての登校である。待ち構えていた生徒が沢山居ても不思議ではないのである。それに加えて、シンジにあこがれる女子生徒も多く居たのである。彼女たちも、この日ばかりはと二つの障害物を乗り越えてシンジのところに殺到したのである。
さしものアスカも、たとえそこにどんな下心があろうと、シンジの復帰を祝ってくれるのだから邪険にするわけには行かない。だが同時に、アスカは何かいつもとは違う何かを感じていた。いつもならうるさく付きまとってくる、誰かがこの場に居ないのだ。

「……誰だっけ?」

いつもはうるさく付きまとわれていたはずなのだが、なぜかその相手の顔が思い出せないのだ。そんな事は無いだろうと、アスカはクラスを見回してみたのだが、やはりその相手を思い出すことが出来なかった。

「気のせい、この私が?」

だが、現実に思い出せないものはしょうがない。アスカは本当に気のせいなのだと、頭に浮かんだ違和感をそう整理することにした。昨日からどうも疲れているらしい。きっとそのせいで、ありもしないことを考えたのだろうと。

***

その頃、人気の無い廃屋に二人、そう言って正しいのか分からないが、男女のシルエットを示す者たちが居た。そのうちの女のほうは、はっきりと顔に不満の表情を表して、壁にもたれかかった男の顔を睨みつけていた。

「……なぜ、今日ではいけないの?」
「ここまで我慢した惣流さんにご褒美を上げるのさ。
僕たちが顔を出したら、彼女は思いを遂げることができなくなる」
「……私は、別に構わないわ」

そう言った女に、男の方は微苦笑を返した。

「焼き餅かい?
シンジ君の望みを叶えてあげたいと言い出したのはレイなのにね」
「……しゃくに障るのは確かだもの」

女の答えに、男は今度こそはっきりと分かる苦笑を浮かべた。自分たちにあり得ない嫉妬の感情を表に出した相方に、どうしたものかと考えたのだ。

「レイも分かっているのだろう?
これからの一日一日が、これからのシンジ君の運命を決めることを。
そして、どうなることがシンジ君のためなのかも」

ねぇっとウインクした男から、女はぷいと顔をそらした。

「……分かっているわ。
でも、気に入らないのも確かだもの」

くくくと、くぐもった笑いを男は漏らした。

「極めてリリン的な反応だね。
いや、馬鹿にしているわけではないのだよ。
そう言った生臭い感情が目覚めることは、僕たちにとっては進化に等しいからね」
「退化とも考えられるわ」
「いや、間違いなく進化だよ。
その豊かな感情という奴が、今のリリンの繁栄を生んでいるのだからね」

しかしと、そこで男は憂いの表情を浮かべた。

「そう言う意味では、レイ、君は進化して居るんだよ。
しかし僕は、君のように進化の過程を辿っていない」
「……うらやましいの?」

ああと、男ははっきりと頷いた。

「なにか取り残された気持ちになってしまうんだよ。
まあ、これ自体変化といえないことはないのだけどね」

そう言った男に、ならば良い考えがあると女は自分の考えを持ち出した。

「なら、私にとっての碇君を、あなたも見つければいいのよ」

丁度うまく収まる相手が居るだろうと、女は口元を歪めた。

「……そうすれば、私は嫉妬をしなくてもすむわ」

女の提案に、残念ながらと男は返した。自分は彼女に対して思い入れがないのだと。

「むしろ、シンジ君の方が僕には重要なのだけどね」
「……そんなこと、私が許すと思う?」
「レイの許しは必要ないと思うけどね……」

しかしと。

「いずれにしても、シンジ君の意志が第一となるんだよ。
そしてシンジ君は、彼女と結ばれることを願っている。
ならば、僕たちはそれを邪魔するわけにはいかないんだ」
「……それぐらい、分かっている」
「彼女は“宇宙”を産むことが出来るのかね」
「……それが、運命なら」

女は憮然として、そう言い放った。

***

放課後が近づいてくるにしたがって、誰の目にもアスカが落ち着きをなくしているのは明らかだった。上の空といえば一番彼女の状態を正確に言い表しているだろう。最後の授業など、教師に指されても気付かないほどだったのだ。

「上の空って感じね」
「まあ、まんまやな」

分かりやすい性格と、トウジとヒカリは顔を見合わせて話題の彼女の様子をそう評した。

「うまく行くと良いわね?」
「お互い初めてやからな……
失敗せんかったらええんやがな……」
「そういうことを言っているんじゃないの」

下ネタに走ったトウジに、ヒカリはわき腹を抓って違うだろうと文句を言った。

「しゃーないやないか、惣流の頭の中はピンク一色やで」
「だからと言って、鈴原までそうなる必要は無いでしょ?」
「そやかて、ここのところご無沙汰やからなぁ……」

だから当てられるのだと、トウジはヒカリにそう言った。

「だって、トウジったら、デートがそれだけになっちゃうじゃない……」

二人の会話もまた、学校であるということを忘れているとしか思えないものだった。もっともそんな二人を無視する担任は、人格が出来ていると言えるのかもしれない。とにかく、最終のホームルームは不心得な生徒を無視して進められていった。

「それでは、今日はここまでにする。
まあ、言っても無駄なことは分かっているが、一応言っておく。
もうすぐ春休みだからと言って、あまり浮かれないように」

以上だと、担任がホームルームの終わりを告げたとたん、一つの影が教室から飛び出て行った。あまりのすばやさと隠密性に、それに気付いたものは片手であまると言って良いだろう。さすがは訓練された俊敏さといえる。

「アスカ、張り切っているわね!!」

何をと言わないのが、親友としての心遣いだった。

続く