その奇妙な訪問者の姿を最初に見つけたのは、タイタンの外部監視カメラだった。砦の周りはすでに日は高く上り、焼きつくような日差しに陽炎が立ち昇っていた。まっとうな考えの者ならば外を出歩かないような時間に、その訪問者は少なくとも外からは何の変哲も無い砦に向かって歩いていた。その姿はどう見ても観光者のそれではないし、もちろん観光者の訪れるような場所でもない。焼きつくような日差しもさる事ながら、からからに乾いたその地を徒歩で旅する事自体非常識極まり無い事なのである。しかもその訪問者のいでたちは、半袖のブラウスにジャンパースカートと言った少なくとも砂漠に近い所を旅するのにふさわしくない格好でその場に居たのだ。その訪問者の他には当たりに何も無く、少なくとも来るまでふらりと立ち寄ったというものではない。となれば、その訪問者がここまで徒歩で訪れたと言う事になる。近くの人里までは少なくとも200マイル以上の距離があるにも関わらずだ。さらに言えば観光客が訪れるような都会までは500マイル以上の距離が有る。いかにその訪問者の存在が尋常でないかうかがい知れると言うものだ。
しかし、その訪問者が特異さをうかがわせる理由には、容姿と言う要素が有った。抜けるような白い肌に、銀色に輝くショートの髪の毛。いかに人種のるつぼのアメリカでも、その容姿はいささか風がわりであった。だが、その異常な訪問者を捕らえつづけていた監視カメラも、訪問者の顔がはっきりと分かる距離になったところで、送られていた映像がぷっつりととだえてしまった。タイタンの監視カメラは、最後にその訪問者の赤い瞳を捕らえていたのだが、不思議な事にそれはタイタンの監視記録に残される事は無かった。
シンジの出撃が許可されたと言っても、その後がすんなりと通ったわけではない。とりわけ、彼の主治医とも言うべき人物は強硬にシンジの出撃を反対したのだ。すなわち、今動かしたら命の保証が出来ないと言うのが彼の主張である。本来なら、撤退のための移動も好ましくないのである。ましてやエヴァに乗っての出撃など、彼から言わせれば自殺行為なのである。いくらエントリープラグの中が、衝撃緩和の機能を持つLCLで満たされているとしても、体に伝わる衝撃は完全には緩和しきれない。ギブスをはめたと言っても、それは体を固定するためであって、強いGを受ければ、まだ固着していない骨は容易に体の中を動き回るのである。それがいつ大切な臓器に突き刺さらないとも限らないのだ。そんな状況で、彼はシンジの出撃を賛成する訳にはいかなかった。
「戦わなければ、我々の命はない?
君はそんな体で戦えるとでも思っているのか?
わずかなGを受けただけでも、耐えきれない苦痛を味わうのだぞ。
敵の前に立つまで、意識を保てると思っているのか!
いや、それどころか生きて敵の前に立てると思っているのか!」
「しかしこれは司令からの命令です」
「君は黙っていたまえ。
患者に対する私の責任は、司令命令よりも優先される。
葛城二佐、あなたもそれを知らないわけではないでしょう」
彼にそう言われれば、ミサトとしてもそれ以上言うことは出来なかった。昔のネルフとは違い、各々の権限は厳格に定められていた。その中で、医者である彼には患者の処遇に関して司令をも越える権限が与えられていた。
「……先生……全部分かっています……
それでも……僕は……行かなくちゃいけないんです……」
「馬鹿を言うな!
私は患者の安全に対する全責任が有る。
君の出撃を許可するわけにはいかん」
「……お願いです……出撃させて下さい……」
「許可できん!」
「……先生だけが頼りなんです……僕が出撃できる方法を考えて下さい……」
「だから許可できんと言っているだろう」
「…死んでも良い……なんて思っていません……生きる為に出撃したいんです……」
「許可できんものは許可できん!もう喋るな!それだけでも君の体は弱って行くんだぞ」
「このままでは……駄目なんです……お願いします……先生……」
息が続かないため、シンジの言葉はとぎれとぎれになる。それでもシンジは懸命に、自分の出撃を医師に訴えた。
「いいか?君の行おうとしているのは、或る意味の特攻だ。
俺には、出撃する体力もない患者に出撃許可を出すことは出来ない」
「……それでも先生に出撃許可を出して欲しいんです。
先生のお知恵を借りたいんです……
……今戦いに出ている女性は、僕の全てなんです……
お願いです、僕に彼女を見殺しにさせないで下さい……
……聞いて下さい……
彼女と生きていきたいんです。
だから……僕が出ないといけないんです……
お願いです……彼女と戦わせて下さい……
このままでは……アスカは……死を選んでしまう……」
「……できん……できんのだよ。
たとえ私がここで君の出撃を許可したとしても、君の体は戦闘には耐えられん。
骨の固着も終わっていない……
そんな体では何も出来やしない……」
「……エヴァは……体を動かす必要はないんです……僕が意識さえ保っていられれば……」
「それでもだ。あんな巨体を振り回せば、君には相当の力がかかる。
それが命取りになると言うのがわからんのか?」
「先生……それでも……僕は逃げるわけには行かないんです……
それに、もう逃げ切ることは出来ません……
3柱の使徒が現れたのなら、僕達に逃げる場所なんて……無いんです。
空は……逃げ場所にならないんです……」
血を吐くようなシンジの訴えに、医師はしばし飲まれたように言葉を発することが出来なかった。そして、ようやく口にした言葉がは「死ぬぞ…」と言うものだった。
「……死にません……死ぬわけにはいかないんです……」
「だが、出撃すれば君は死ぬ……戦って死ぬ訳じゃない……」
「……死にませんよ……鍛え方が違いますから……」
「いや、人には鍛えられる限界が有る……
君が生還する確立は0に等しい」
「まったくの0でないのなら……無理矢理その数字を大きくして見せます。
奇跡ってやつは……掴もうと努力しない限り訪れないんです」
医師はそれ以上何も言わなかった。彼はくるりとシンジに背を向けると、看護婦に向かって大きな声で指示を飛ばした。
「赤木博士に連絡を入れろ。
それから、痛み止めはつかえん!
舌を噛まないようにマウスピースを準備しろ。
すぐさまオペを行う!
肋骨だけでも固定するぞ!
いいな時間は20分だ!
全ての手順は吹っ飛ばす!
まごまごしている暇はない!
輸血の準備もして置くんだ!!」
そう怒鳴った医師は、くるりとシンジの方に向き直った。彼の瞳には明らかな怒りが浮かんでいた。
「いいか、これは君の言いだしたことだ。
これから麻酔無しで手術を行う。
胸部を切開して、肋骨を固定する。
少し動きにくいが、内臓に突き刺さるよりはましだと思ってくれ。
いいか、かなりどころか、死ぬほど痛いぞ。
だが、これで気を失うようでは、戦いまで体はもたん。
気を失った時点で、君の出撃許可は取り消す。
いいな!!耐えられなくなったら、とっとと気を失え!」
「……脅かさないで下さい……大丈夫です……体の痛みなら……耐えられますから……」
「ふんっ、とりあえずは良い度胸だと誉めてやろう。
だがな、生きて帰ってくると大見得を切った以上、必ずその約束は守れ。
いいな、必ず二人で帰って来るんだぞ!」
「……決まっているでしょう……約束は守りますよ……」
「よしっ!時間が無い。早速オペに取りかかる。
いくら泣きわめいてもかまわん。
だが、お前が意識を失わない限り、オペはやめんからな」
「……望むところです……」
シンジは、痛みを堪えながら、それでもはっきりとした笑みを浮かべ医師にそう答えた。その横では看護婦達が、手際よく手術の準備を進めていた。今は一分一秒が惜しいのだ。付き添いに来ていたミサト達もすぐに外に出て、これから行われるシンジの手術を見守ることにした。
ひとしきり泣いたことで、アスカはようやく落ち着きを取り戻した。泣いたところでどうにもならないことは分かっていたが、それまで溜め込んできた感情を吐き出す必要もあったのだ。少し冷静さを取り戻したアスカは、本部との通信を再開し使徒の進行状況をマヤに確認した。
「進行速度は変化無し。
新第壱拾四使徒の到着まで、後40分。
新第壱拾六使徒の到着まで、後45分。
新第壱拾五使徒は依然として位置に変化無し」
「こちらの待避の具合は?」
「ちょっと待って……ごめんなさい、先輩が席を外していて分からないの」
「分からないって……ちゃんとやって居るんでしょうね?」
「そ、それはもう…」
少し口ごもったマヤの態度に腑に落ちないところはあったが、アスカはすぐに気持ちを使徒と戦うことに切り替えた。自分がここに出てしまった以上、これ以上騒いだところでどうにもなるものではない。それに、3対1と言う絶望的な状況の中、本部を死守すると言う発想はありえないことなのだ。巨大な基地であるため、完全な退避には時間もかかる。それ以上にエヴァの退避は大事なのは分かっていた。アスカはモニタに映し出された使徒の姿に目を転じた。
近接戦闘が行える奴はいい。だが、成層圏から動かない壱拾五使徒はどうすればいいだろうか?それがアスカにとっての一番の問題だった。手に触れることのできる使徒なら、たとえそれがどういう方法であったにしろ、どうにかすることはできる。だが手の届かないところに居る使徒はどうすれば言いか。ポジトロンライフルの性能が改善されたとはいえ、途中に横たわる分厚い空気の壁を打ち破れるとは思えない。
「槍が有れば……」
アスカは思わずそう呟いていた。少なくとも、コピーとは言えロンギヌスの槍が間に合っていれば、勝負にはなったはずなのだ。たとえそれが、自分を切り裂き、母のエヴァを殺したロンギヌスの槍だとしても……
「日向さん、ポジトロンライフルを出して下さい。
他の奴らが来る前に、上にいる奴を落としてみます。
どうせ乱戦になったら使えない武器です。
よろしくお願いします」
分かったの声の後、アスカの近くの兵装ビルのランプが赤く点滅した。程なくして、エヴァの身長を大きく上回る、長大な銃身がその姿を現した。
「説明を聞いていると思うが、エネルギーの装填はカートリッジ式になっている。
耐久性は不明だ……何発打てるのかは、神のみぞ知るところだよ。
いいかい、トリガーを引いてから、発射までには若干のタイムラグがある。
それを忘れないでくれよ」
「了解!銃の扱いなら、私が一番旨いんだから、任せておいて。
のんびりと上空で浮いている奴なんて、撃ち落としてやるから!!」
空元気も元気の内。落ち込まれるよりはましだと、日向も頭を切り換えポジトロンライフルの照準システムをMAGIへと接続した。今打てる手がこれしかないことはわかっているが、いかにも心もとない最終兵器である。日向は途中に横たわる分厚い空気の壁を、今更ながら恨めしく思った。これが新第五使徒のように地上に現れてくれたのなら、確実にしとめることができたはずなのだ。MAGIの計算では、陽電子の光条が使徒に届くころには90%以上のエネルギーが失われていた。明らかなエネルギー不足なのである。それがわかっていても、一縷の望みとともに攻撃を仕掛けなければならない。ポジトロンライフルの射撃準備が整ったところで、日向は一段高いところに有る司令席に攻撃開始の確認を求めた。
「宜しいですね……司令」
「うむ、ここからはパイロットの判断に委ねることにする」
「そういうことだアスカちゃん、こちらはサポートに徹することにする。
後は臨機応変に頼む……君なら出来ると信じているからね」
「……簡単に言ってくれるわね……
でも……任せておいて……今日のあたしはひと味違うわよ…」
「了解っ!カートリッジの暴発にはくれぐれも気をつけて」
日向はそう言うと、7号機との通信を切らずに、MAGIの測定データと向かい合った。必要な情報は7号機にも伝送されるのだが、それでも確認のため読み上げるという行為と、人間の判断が加えられたデータ解析は土壇場で役に立ってくるものである。
「新第壱拾五使徒、依然動き無し。ATフィールドは無展開!」
「カートリッジ作動!臨界まで後3、2、1……臨界到達!」
「ポジトロンライフル発射します!!」
前回とは違い、今度はアスカの方が早かった。トリガを引かれたポジトロンライフルの銃身から放たれた目も眩むばかりの青い光条は、まっすぐに青い空の彼方へと吸い込まれていった。だが、八島作戦を上回るエネルギーも使徒の壁を突き崩すことはできなかった。幾重にも重なる空気の壁は、遙か上空に浮かぶ使徒の張るATフィールドをうち破るエネルギーを、その青い光に残してくれなかったのだ。エネルギーの大半を失った光の帯は、使徒の前に浮かび上がったオレンジ色の壁に、あらぬ方向へと跳ね返えされていた。
「第二射準備!!」
反射的にカートリッジを入れ替えたアスカだったが、それがいかに無駄な行為であるのかを彼女は理解していた。何度攻撃しようとも、使徒との間に横たわる分厚い空気の壁は攻撃に十分なエネルギーを残してくれないのだ。
そしてアスカがカートリッジの装填を終える前、あたかも前の戦いをなぞるように放たれた使徒の光は、1万キロの距離を超えて7号機を包み込んだ。
「ああ~っ!」
一度心の折れたアスカに、使徒の攻撃を耐えろと言うのは酷なことだろう。新第壱拾伍使徒は、簡単にアスカの心に忍び込み、アスカの心を切り離した。その瞬間、アスカの意識は闇に包まれた。
そしてアスカが目を覚ましたとき、アスカの目の前には異常な光景が広がっていた。初めのうちアスカは、その光景をぼんやりと眺めていたが、その中に何か動いているものを見つけ、意識をその動きに集中した。そしてその物体が誰であるのか理解できたとき、その物体が行っている行為に、アスカの体は縛り付けられたように動かなくなっていた。そこでは、出会ったころの姿をした自分とシンジがまぐわっていたのだ。だがその姿は彼女の目からはどうしても恋人同士の交わりには見えなかった。全裸になった自分は、シンジにまたがり盛んに腰を動かしていた。その口は堅く閉じられ、目は血走ったようにシンジをにらみつけていた。それでも高まりを感じているのだろう、体は小刻みに震えていた。それでも、それ以上シンジと接触することを避けるかのように、アスカは両手でしっかりと自分の体を支えていた。横たわったシンジは、醒めた目であらぬ方向を見つめたままだった。
何のためにまぐわって居るのか、アスカの目からはそれが分からなかった。シンジにまたがったアスカからは憎悪が、そしてシンジからは無関心が感じ取れるのだ。それなのになぜ繋がりを求めているのか、それが傍観者であるアスカには理解できなかった。目の前のアスカは腰を振りながら、しきりに快楽を貪っていた。だがその行為にも終わりは来る。こらえきれなくなったのか、アスカは短い声を上げ脱力した。それでもその体がシンジの上に崩れ落ちることはなかった。突っ張るようにあてがわれた腕は、アスカの体がシンジにしなだれかかることをはっきりと拒絶していたのだ。そのときのアスカの表情は、どう見ても恋人と甘いひとときを過ごしていた女の顔ではなかった。
『あんたを見てるといらいらするのよぉっ!!』
まだ下半身は繋がったまま、怒りに歪んだ顔で組み敷いているシンジに言葉をぶつけた。
『自分を見ているような気がするから?』
シンジは醒めた瞳でアスカの顔を見つめ返した。
これは誰の心を写したものなのだろうか。その光景を傍観しながらアスカはそれを分析していた。確かに今見せられたものは、あの頃の自分の状態を良く現している。だが、これは自分の心ではないとアスカは思っていた。少なくともあの頃の自分は、シンジとセックスする事など思い描いた事など無かったのである。
『アスカが好きなんだ……』
『嘘ね、あんたは誰でも良いのよ』
『ねえ、何でもするからさぁ』
『じゃあ、あたしの前から居なくなって』
『ねえアスカ……!』
アスカがそう思ったとき、目の前の光景が変わった。昔住んでいたミサトのマンションの食卓のようだ。口論していた二人だったが、いつのまにか目の前ではシンジが憎しみに燃えた瞳をして自分の首を締めていた。一体これはなんなのだろうか。やはりアスカには心当たりの無い出来事だった。自分とシンジの間で、こんな会話が交わされた事など無いはずである。
確かに、そのころシンジに対して感じていた苛立ちに近いものである。だが、今更過去の自分の気持ちを持ち出した所で、それに何の意味が有るのだろう。確かにシンジを疎み、そして憎んだ時も有った。だが、自分はそれに向かい会い、それでもシンジを愛するようになったのである。過去の歪んだパロディを見せられた所で、今更自分自分の感情は揺るぎはしない。
「なんで……こんな物が?」
アスカの口からその言葉が漏れ出た時、唐突にそのイメージが誰のものであったのかアスカの心に浮かんできた。
『シンジの……シンジはこんな風にあたしを見ていたんだ……』
決して奇麗な感情だけでない事は分かっていた。お互い心が病んでいた時期なのである。相手の姿が歪んで存在するのはしかたが無い事であるのも分かっていた。しかし、その歪んだ姿もまた、一つの真実として心の中に有った事もまた確かなのだ。今考えれば、あの頃の自分の中にも歪んだシンジが居た。
『シンジは乗り超えたの……』
歪んでいるとは思ったが、偽りの姿ではない。自省してみれば、お互いをさらけ出してぶつかった事など一度も無かった。それがお互いの心に住む姿を歪ませていた。
『救いようがないわね……』
それとなく想像はしていたが、シンジの心の中にはきれいな思い出として残っていて欲しかった。それが自分勝手な思いであるのはじゅうじゅうに承知している。だが、それも目の前ではっきりと否定されてしまった。自分だけはと未だに思っていたことに気づいたアスカは、自分が本当に救いようのない馬鹿だったことを今更ながら思い知らされた。
『……見た目だけ……そんな女に価値なんて無いじゃない。相手の気持ちも考えてあげられない女なんて……』
見せ付けられた自分の姿に、アスカははっきりと自分自身を見捨てに掛かっていた。
『……未練を残した所でどうしようも無いか……』
きっとシンジは勘違いしているのだ。離れていた事で、自分との思い出が美化されただけなのだ。人の持っている心の闇は深く根強い。それはアスカがシンジに対して持っている闇もまた同じなのだ。
『もう……疲れた……』
その心のつぶやきとともに、アスカの心は再び闇に包まれ、7号機は活動を停止した。
アスカの意識が失われた頃、発令所は大きな混乱の中にあった。一つはこれから出撃をするシンジの準備と、もう一つは圧倒的に不利な状況の中に居る7号機への対応だった。特に7号機は、パイロットであるアスカの心理グラフが乱れ、過去の戦いの再現となっている事が混乱に拍車をかけていた。
「パイロットのデストルドー低下しています!」
「シンクロ率低下!このままでは起動水準を割り込みます!」
「支援の攻撃は出来ないのか!」
「だめです!使徒のATフィールドは健在です。
このままでは攻撃の効果が有りません!」
「10号機の出撃までの時間は!!」
「最短で7分です。
いま、シンジ君への処置が終わった所です!!」
飛びかう怒号の中、時間だけが確実に経過していった。今直面している使徒の他に、後2体の使徒が接近しているのだ。いたずらに時間を浪費している余裕は今のネルフには無い。だがネルフに残された手段は、10号機の出撃以外に残されては居ない。しかも10号機を出撃させることと、遥か上空に浮かぶ使徒に対して有効な攻撃手段が提供されることはまったくの別物なのである。
「パイロットの心理グラフ微弱!
アンチATフィールドの発生を確認!!」
「なんだとう!」
アンチATフィールド発生という報告に、思わず冬月は腰を浮かしていた。今は微弱であるとは言え、これが強まった時にはパイロットの自我境界が喪失する事態にもなりかねないのだ。しかもアンチATフィールドが、パイロットの意志を受けて発生しているものなら、サルベージなど不可能になってしまう。
「無駄でもいい!!すぐに援護の攻撃をしろ!
このままだとパイロットが溶けてしまうぞ!」
「了解しました。
UN空軍にNN航空爆雷の使用を依頼します!」
冬月の指示に青葉が答えた時、一本の通信が彼らの間に割り込んだ。そこから聞こえてくる声は、弱々しくは有ったが固い決意が伝わってくる物だった。何よりも、発令所、否ネルフ全体が待望して止まなかったものだった。
「……攻撃は…待機してください!
10号機、霧島シンジ……出撃します」
ほとんどベッドを思わせるシートに固定されたシンジの姿が、今発令所のスクリーンに大映しにされた。シンジの声に沸いた発令所だったが、その痛々しい姿が映し出されたとたん誰もが声を失った。全員の心に去来する思いは一つ、この少年にここまでさせなくてはならなかった事への後悔であった。
アスカは夢を見ていた。それが本当に夢なのかどうか、それを見極める事は彼女には必要の無い事であった。夢の中でのアスカは、部屋の中に色とりどりに広げられた洋服の前で悩んでいたのだ。アスカの主観では、それは現実の出来事だった。そして、差し迫った問題が彼女に直面していたのだ。
「あああんっ!決まらない!!」
約束の時間まで、後少し。本当なら今頃そんな事で悩んでいてはいけないのだ。それでも大切な人との初デートともなれば、着ていく洋服一つおろそかに出来ないのが女心と言うものだろう。
少し恥ずかしい思いをして買った下着は身に付けた。バラの香りをベースにしたコロンもパールピンクの口紅も用意した。後は何を着るかだけなのである。いかに相手が、女性の服装に疎いとは言え、おろそかにする事は彼女のプライドが許さなかった。もっともそれ以上に、自分を少しでもかわいく見せたいと言う想いが彼女にあった。
だが、確実に時間は迫ってくる。せっかく朝早く起こしたのにもかかわらず、何時まで経っても部屋から出てこない娘に、彼女の母親はいいかげんあきれて、早くするように声を掛けた。
「アスカ、いいかげんにしなさい!
いくら……君とデートするのが嬉しいからと言って、あんまり待たせちゃだめよ」
「ま、ママ!で、デートなんかじゃないわよ。
あ、あいつが一人暮らしするって言うから、買い物に付き合うだけよ!!」
「はいはい、そう言う事にしておきましょう。
でも、あんまり……君を待たせちゃ可哀想よ」
うわずった声でデートではないと力説されても、そこに説得力も何も有ったものではない。しかしアスカの母親は、賢明にもその事を指摘せず待ち合せの時間は大丈夫なのかと確認しただけだった。もちろんアスカが、時計を見て慌てた事はまた別の話である。
「きゃあっ!あと5分もなぁい!!
どうしよう……決まらないよぉ」
即断即決即時実行、何事にも迅速を旨とする彼女にとって人生最初の悩み。それがデートに着ていく服の悩みというのだから、それはそれでとても幸せな事なのかもしれない。
「レモンイエローのやつ、まだ……君に見せた事が無いでしょう?
アスカは可愛いんだから、飾りたてない方が良いわよ」
「ありがとう!ママ」
鶴の一声とでも言う母親のアドバイスに、アスカはようやく次のステップへと進む事が出来た。持つべき物は理解のある母である。しかも彼女はアスカにとって、まことにありがたい提案までしてくれたのだ。
「後は片付けておいてあげるから、早く……君の所に行きなさい。
走ったりなんかすると、汗になるわよ」
「ダンケ!ママ!」
「どういたしまして。
娘の将来が掛かっていますからね!」
「ど、どういう将来よ!」
くすくすと笑う母に、アスカは真っ赤になって抗議した。もっとも、その抗議もとっと待ち合せの場所に行けという母の言葉には適わなかった。アスカは顔のほてりを冷ますまもなく、自宅を飛び出していった。
少し曇っているおかげで、いつものような焼けつく暑さはない。それでも日本特有の湿度の高い空気が肌にまとわりついて気持ちが悪かった。すでに待ち合せの時間を過ぎているだけに、早足で歩いているアスカは、湿度の高さもあいまってじっとりと汗を掻いていた。
「相変わらず蒸し暑いわねぇ…」
ぱたぱたと手で扇いでみれば、それなりに涼しさも感じられる。それでも焦りから早まる足の前には効果は期待薄だった。時計の針とにらめっこをしてみた所でどうにもならないのだが、それでも早足で歩きながら、アスカは待ち合せの時間からすでに10分過ぎた腕時計の文字盤を睨んでいた。
「こ、このあたしが付き合ってあげるんだから、少しぐらい待つのはあたりまえよね…」
強気に聞こえる言葉も、彼女の顔に浮かんだ表情を見れば虚勢である事が分かる。
「でも……怒って帰ってたらどうしよう……」
今のアスカを見たら、彼女を知るもの全てが驚きの声を上げるだろう。いつもは自信にあふれているアスカが、今に限ってははかなく頼りなさげであった。その顔は今にも泣き出しそうなほどだった。
「……あいつ……なら、やさしいから……
絶対に待っていてくれる……でも…」
優しさに甘えてばかりでは、いつかは見捨てられるかも知れない。そんな不安をアスカは感じていた。アスカの足どりも、早足からいつか小走りになっていた。不安に押しつぶされそうな心を奮い立たせ、待ち合せの場所が見渡せる所に来た時、アスカを押しつぶそうとしていた不安は、すぐさま歓喜へと取って代わった。
「居た……!!」
風景に溶け込むように座っている少年を見つけ、アスカは思わず駆け出しそうになっていた。それをなんとか思い止まり、深呼吸を大きく一つしてから身の周りのチェックを始めた。どこかおかしな所はないか?髪の毛は貼りついたりしていないか。そしてどこにもおかしな所が無いのを確認すると、最後にもう一度深呼吸をして少年の方へ、ゆっくりと一歩足を踏み出した。
それまでまるで時が止まっているようだった少年の周りも、アスカが近づくのに連れ動きを取り戻してきた。そしてアスカが後5mと迫った時、少年は近づいてくるアスカに気付き、顔を上げてアスカの方を見た。
「待った?」
「ああ、少しだけね」
アスカは精一杯の笑顔を浮かべて少年にそう尋ねた。それを聞いた少年も、アスカに負けず劣らずの魅力的な笑みを浮かべて立ちあがった。
「急いできて暑かっただろう。
まだ時間が有るから、少しお茶をしていこうか?」
そう言って差し出された少年の手は、少し汗ばんでいたがアスカには心地好い暖かさを持っていた。
二人並んで小奇麗なグッズの並んだ店を片端から見て回った。ああでもない、こうでもないと言いながら買っていくのがアスカは楽しかった。そして当然の事のように、買ったものは必ず二つがセットになったものだった。
「同棲するみたいだね」
と、少年にいわれた時、アスカは照れ隠しから彼の背中を盛大に叩いていた。そのときあまりにもいい音がしたので、アスカは自分勝手にうろたえてしまった。
「後悔するぐらいなら叩かなきゃ良いのに……」
少年の方も一言多く、その一言を口にするたびにアスカから有り難い平手を背中にもらっていた。その平手が痛いのか痛くないのか、少年の顔を見ているだけでは分からなかった。だが、その痛みを別にして、その行為自体を少年が楽しんでいるのは明らかだった。
「あんたって奴は、本当に口が減らないわね」
「アスカが、口よりも先に手が出るのと同じだよ」
「言ったわね~」
そう言いながらもアスカの顔も笑っていた。お互いなんの遠慮も無く話す事が出来る。それがアスカが一番大切にしたい二人の関係だった。
少年の側にも元々生活の下地は有った訳である。従って、これから一人暮らしを始めるといっても、そうそう買いたすものが必要という訳ではなかった。それにもかかわらずに二人は、両手に持ち切れない荷物を抱え、少しよろめきながら買い物を引き上げた。良く見るとその荷物の中にはスーパーのビニール袋も混じっている。どうやらこれから二人そろって食事を作るようだ。
両手が塞がっている為、手をつなぐ事は出来ない。それでも二人そろって同じ道を歩いている事だけでアスカは幸せだった。その幸せをもう少し確信する為、アスカは隣を歩いている少年に半歩近寄った。その動きに気づいたのか、少年はにっこりと笑ってアスカの顔を見た。
「でも、こうしてアスカが僕の隣を歩くようになるとは思わなかったよ」
「どうして?」
「僕と違ってアスカはもてたからね」
その言葉を聞いて、アスカは自分が全校の女子生徒に対して、この少年の所有権を強く主張していたとは口が裂けても言えないと思った。自分がもてないように見えたのは、実は隣を歩いている自分のせいだと知ったらどう思うだろう。聞いてみたくも有り、聞くのが恐い事でも有った。そんな思いが顔に出たのだろう。少年は、黙ってしまったアスカを心配し、正面からその顔を覗き込んだ。
「どうしたの?アスカ」
心の準備がないまま少年に声を掛けられたのと、思いのほかその顔が近い所に現れた為、思わずアスカはうろたえてしまった。そのため体はびくりと硬直し、その弾みで袋の中からいくつかの小物がこぼれ落ちていった。たまたま運が悪かった事に、その中に有ったオレンジも混じっていた。折からのゆるい坂道に、オレンジはいたずらっ子のようにその坂を転がりだしていった。急いでその後を追い掛けたかったアスカだが、これ以上物をばらまく訳には行かないので、急ぎながらもゆっくりといたずらっ子を追い掛けた。だが、初めに着いてしまった差は意外なほど大きく、しかも両手に荷物をいっぱい持っている為すばやい行動ができなかったため、なかなかその距離は縮まらなかった。
それでも運のいいことに、ころころと転がっていたオレンジは、前を歩いていた誰かの足にぶつかって止まった。そして自分の足に何かがぶつかったのに気づいた人物は、それがオレンジであることに気がつき、そして後から少女が追いかけているのに知ると腰をかがめてそれを拾い上げた。そしてようやく追いついたアスカに、そのオレンジを手渡した。
「ありがとう」
そう言ってアスカはオレンジを受け取った。アスカにオレンジを渡したのは、彼女と同じぐらいの年齢をした少年だった。身長はアスカよりも高く、何かで鍛えたのだろう、しまった体をしていた。少年はアスカに礼を言われると、少しはにかんだ顔をして「どういたしまして」と答えを返した。しかし、その次の少年の口をついて意外な言葉が発せられた。
「ここは気持ちいいね……
だけど、ここは君の居るべき世界ではない。
そのことをアスカは思い出さなくてはいけないよ」
少年の言葉をアスカは理解できなかった。いったいこの男は何を言っているのだろう。私は今ここに居るのだ。その私に向かって、自分がここに居るべき存在ではないと言う。それはいったいどういう意味なのか。
少女の表情が険しくなったのを見て、少年はさらに言葉を続けた。
「やっぱりアスカは分かっていないんだね。
ここはアスカの願望を表した世界、真実の世界ではないんだよ」
「そんなことはないわよ。
私は……とデートして、これから彼の家に夕食を作りに行くのよ!」
「誰とだって?」
「……よっ!」
そう言ってアスカは気づいてしまった。先ほどまで自分の幼馴染だと思っていた少年の名前が思い出せないのだ。しかもその少年の顔かたちすら思い出せなくなっていた。そして思い出す顔は、すべて今自分の目の前に居る少年の姿なのだ。その意外な事実に直面して、アスカは感じる恐怖を抑えることはできなかった。
「ど、どうしてよ……
あたしは……デートして、あいつの家に遊びに行って……
キスも済ませたから、今日はもっと先まで……って考えて……
大好きだと思っていた……なのに……どうして思い出せないの。
毎日名前だって呼び捨てにしていたのに……
どうして違う名前しか浮かんでこないの……
碇シンジだなんて知らないわよ……なんでよ……」
「それが君の願望の世界だからだよ。
君の願望が作り上げた、薄っぺらなものじゃない存在。
それが碇シンジだよ」
震える少女に向かって、少年はやさしく語りかけた。だが、少女の怯えは治まらなかった。
「違うわ違う……これは願望の世界なんかじゃない……
これは本当の世界なのよ……
私は惣流アスカ・ラングレー……
あいつの名前は……
ああっつ!!どうしてよ……どうして思い出せないのよ!!」
少年から言われたことを認めたくない。今ここに居る世界の幸せを否定したくない。アスカは必死になって、この世界のすべてを思い出そうとした。だがその努力も空しく、どうしても幼馴染の名前を思い出すことはできなかった。
「……思い出せない……」
「違うよ、君は知らないんだ……いや、君は決めなかった。
この世界のすべては、君の願望に沿って作り出されたものなんだ。
だから君の決めていないことは、はじめっからないのと同じなんだ」
「じゃああんたの存在は何なのよ!
あたしが決めたから出てきたとでも言うの!?」
この世界のすべてが、自分の心の中から生まれたと言われ、アスカは大きな声で目の前の少年の存在を問いただした。自分の願望を実現する世界ならば、どうしてそれを壊そうとするお前がここに居るのかと。
だがその質問に対して少年は、はっきりと、そしていささかのためらいも見せずにアスカに答えを与えた。その答えは、アスカがもっとも望まなく、そしてもっとも望んでいたものであった。
「簡単なことだよ。
君は僕の存在を願った。
だから僕はここに居る。
そうだろアスカ?」
「あんたは誰なのよ!!」
「僕が誰なのか?そんなことはもう分かっているだろう?」
「違う違う!あんたは違う!!
あんたが碇シンジで有るわけはないわ!!
だってシンジは今……」
「僕は今、何をしているって?」
「……シンジは今……」
アスカの周りではすでに世界が崩壊していた。明るく輝いていた太陽も、日の光を浴びて美しく輝いていた花壇の花も、そして笑顔を浮かべて通りを行き交っていた人々も、すでにアスカの周りから消えうせていた。後に残ったのは、赤い明かりに照らされた闇の世界。その中でアスカは俯いて電車に乗っていた。
「あなたは、気持ちのいいことに逃げ込みたいのよ」
「違う!」
すでに目の前の少年の姿は消えていた。今アスカの目の前に居るのは、幼い姿をした自分自身だった。
「あなたはやさしくしてくれる人なら誰でもいいのよ」
「違う!」
少女は追及の手を緩めることなく、アスカの心の闇を暴き出した。
「偽りでもかまわない……やさしくしてくれる人なら、あなたはその手を取るわ」
「違う違う!!」
「違わない。あなたは現に、シンジ以外の人を選ぼうとした。
それが現実でないことを知りながら……」
「違う……違うのぉ……」
そう叫んでアスカは両腕で頭を抱えた。いやいやをするように、聞きたくないことのすべてを拒絶するかのように。だが、そんなアスカの努力も無駄なことだった。
「そんなことをしても無駄よ。
私はあなたなの。
自分の心の声から耳を塞ぐことはできないわ」
少女は、自分はアスカの心だとはっきりと言い切った。
「だから私に隠し事をしても無駄……
碇シンジと結ばれるには、この先も長く険しい道が待っているわ。
それにたとえそれを乗り越えたとしても、本当に自分が幸せになれるかどうか自信がない。
あなたは疲れてしまった……だから、安直な幸せに逃避しようとした」
少女はアスカの心を暴いていった。確かにアスカは今、すべてに疲れていた。
「そうよ……今の世界には……私は邪魔なのよ。
私が居たらシンジは幸せになれない。
あたしが居たら世界は狂ったままなのよ。
だったらあたしが気持ちのいい世界に逃げても仕方が無いじゃない。
それの何処がいけないのよ!」
アスカは精一杯叫んだ。アスカがすがろうとしていた世界は、自分が居られる最後の世界なのだと。その時、今までアスカを冷ややかな目で見ていた少女の空気が変わった。少女はそれまでしていた冷たい刺すような視線から、暖かな慈愛に満ちた眼差しをアスカに向けた。
「いけない事じゃないわ。
それはとても自然なことなの……」
少女はそう言って、アスカの頭を抱きしめた。
「あなたは精一杯頑張ってきたのよ。
だから、あなたが新しい世界を望むのは当然の権利なの」
少女の言葉に、アスカは自分の頭を抱く幼い自分の体を抱きしめた。その瞬間、少女の顔は邪悪に歪んだ。
「アスカ……もう良いの。
静かに目を閉じれば……そうすればあなたはすべてから自由になれる。
壊れてしまった世界なら、もう一度あなたが作り直せば良いの。
慌てることは無いわ。
失敗したら、やり直せばいい。
それこそ時間は永遠に有るのだから……」
アスカを抱く少女の姿は、すでに幼いアスカではなかった。アスカは形のない闇を抱きしめていた。
シンジの乗った10号機が出撃していく間も、事態は刻一刻と悪化していった。7号機のエントリープラグから検出されたアンチATフィールドは波打ちながらも次第に強度を増していったのだ。すでにアスカの示すシンクロ値は起動水準を下回り、7号機は完全に停止した状態に有る。それにも関わらず、使徒の攻撃は7号機を捕らえて放さなかった。
「アンチATフィールド、危険域に入ります!
このままだと後わずかでパイロットの自我境界が崩壊します!」
青葉の叫びが事態の危険さを告げていた。このままではたとえ10号機が出撃しても、7号機はそのパイロットを失ってしまう事になる。
「10号機出ましたぁ!」
一方10号機の状態をモニタしていた日向は、歓声とともに報告をあげた。状況を考えればいささか不謹慎でもあるのだが、誰も日向をたしなめるものは居なかった。それは全員の共通の思いを声にしたものに他ならなかったのだ。
10号機が出さえすれば、今の状況を打破できると言うのは安易な考えである。だが、日向がそれを考えたとして、それを誰が責める事ができるであろうか。使徒に対抗できる力がエヴァのみであるのなら、傷ついているとはいえエースが投入されたのだ。それにすがってしまうのも仕方がないことなのだ。そしてそれに答えるように、戦況は変化を始めた。
「10号機のシンクロ値が上がっていきます……」
「パイロットのシンクログラフが乱れています!」
「使徒の攻撃なの!?」
10号機をモニタしていたオペレータからは、矢継ぎ早に報告があがってくる。ようやく発令所にたどり着いたミサトは、大声でその意味を聞き返した。
「それもあるわ……でも、それだけじゃないようね」
「どういうことなのリツコ……」
遅れて発令所にたどり着いたリツコは、MAGIの示すデータを一瞥してそう断じた。リツコの額には、苦悶を表す深い縦じまが刻み込まれていた。
「使徒の攻撃なら、アスカみたいにシンクロ率が下がると考えるのが自然だわ。
それに、アンチATフィールドも発生していない……」
「なら、何だって言うのよ」
「……このグラフの乱れ方……
心当たりがあるとすれば…そう、シンジ君が怒っているのよ。
それも相当に……」
「怒っている?」
確かに平常で居られる状態ではない。けれども怒っているというシンジの精神状態が、何に起因しているのかミサトには理解できなかった。
「そう怒っているの……
ただ何にかは私にもわからないわ」
そう言いながらも、リツコはひとつの可能性にたどり着いていた。シンジは怒っている。それは確かなことだ。ならばその怒りの向いた先は何なのか?常識的に考えれば、今現在アスカを苦しめている使徒に対してである。もちろん使徒に対する怒りはあるが、だがそれだけでないのも確かである。
「アスカね……シンジ君が怒っているのは……」
そのとき10号機は、肉眼でも確認できるような強大なATフィールドで7号機を包み込んでいた。その姿を見て、リツコはポツリともらした。全員の目がその状況に奪われていたため、幸いにもリツコのもらした言葉は誰の耳にも届くことはなかった。全員の見守る中、10号機はゆっくりと7号機を回収口に押し込んだ。そしてその姿が回収口に消えたとき、10号機は空に向かって咆哮を上げた。それはこれから10号機によって繰り広げられる、殺戮のプロローグであった。
シンジは、リツコの想像した通り確かに怒っていた。その表情は、残念ながら包帯の下に隠されていたためうかがい知る事は出来ない。だが傷ついた体からは、押さえ切れない怒りのオーラが発せられていた。だからと言ってリツコの想像がすべて当たっていた訳ではない。シンジの怒りの理由、そうその点でリツコの考えが外れていたのだ。
『二度と放さないと誓ったのに……』
そうつぶやいてシンジはレバーに手を延ばした。自分はアスカに向かってなんと言ったのか。二度と放さない、そう誓ったのではないか。戦いが甘いものではない事ぐらい分かって居た。だが、自分は何度アスカを追い詰めた事か。今度でもそうなのだ。自分がしっかりしていれば、ここまでアスカを追い詰めるような事はなかったはずなのである。7号機と接触した瞬間回復したスクリーンには、至福の顔をして丸くなっているアスカの姿が有った。それは取りも直さず、使徒の見せる世界が、辛いだけの現実よりもアスカに取って魅力的だった事に他なら無い。
『僕ではアスカを支えられないのか……』
現実から目を背けさせるほど、自分はアスカを追い詰めていた。好きだという気持ちだけではどうにもならないほどに……いや、その気持ちが更なる重荷となってしまった。
そこまでアスカを追い詰めたのは自分……そして…
「僕はおまえ達を許さない!」
睨み殺すように、シンジはモニタに映った使徒の姿を見た。シンジは自分を包む怒りに身を任せ、その心を暴走させた。そしてその心は、人によって加えられた全ての戒めを解き放ち、エヴァの底に眠っていた凶暴性を表に引き出した。
「楽に殺したりはしない……!」
正面のスクリーンには、接近してくる新第壱拾四使徒と新第壱拾六使徒の姿が映し出されていた。
続く