第十四話  思惑

薄い緑に覆われたサンタクルズの丘陵地は、それだけを見ていればどこかのどかな景色にも見えるだろう。だが、ひとたび視線をネルフ北米支部に向ければ、そこはのどかさの対極に居ることが思い知らされるだろう。そこでは、すでに10日目に突入したエヴァンゲリオン5号機の起動試験が行われていた。
赤木リツコ、伊吹マヤと言った重鎮達が、破損した7号機と8号機で手が離せないこともあり、現場には彼女達の信任の厚い技術者達が派遣されていた。試験統括を行っている中田アキヨシも、リツコの腹心の一人である。中田は、やや疲れの浮かんだ表情で、10日目の試験開始を宣言した。

「第10次起動試験開始」

疲れた顔を見せるのは、何も中田だけではなかった。日本から同行した技術者だけでなく、現地の技術者もまた同じように疲れた表情をしていたのだ。つまり、それだけ実験がうまくいっていないと言う証明である。
初日こそは、61%と言う調整不足の機体にしては驚くべきシンクロ率をたたき出すことに成功したのだが、その翌日からの試験がいただけなかった。本部のデータを持ち込んで調整作業を行ったのは良いのだが、まるで手を加えられたことが気に入らないように、とたんに不安定な振る舞いを開始したのである。あるときは、70%に迫るシンクロ率を記録したかと思うと、その直後にいきなり起動水準ぎりぎりのところまで落ち込んだりするのだ。パイロットの精神状態で、そのような振る舞いを起こす可能性もあるのだが、たった一つのことを除いては、極めて精神状態の安定しているシンジなのである。挙動不審をパイロットの側に求めるのは不自然だったのである。
したがって、中田を初めとした技術者達は、変更を加えたシステムにその理由を求めたのだが、初期状態に戻しても変わらない振る舞いに、連日の徹夜作業を強いられることになったのである。

『時々、違和感があるんですよ』

シンジは、5号機とのシンクロをそう言葉にした。

『違和感、どんなものを感じるんだい?』
『時々、つながりが希薄になるような……
今までそこにあったものが、突然居なくなるって言うか……』

状況に応じて感じ方も変わるとシンジは説明した。

最初は調整不良に理由を求めた中田だったが、いくら調整しても状況が改善されないとなると途方に暮れてしまう。当然のことならが、シンジは初日には違和感を感じなかったというのだ。すべての計測値が正常値を示していることとあわせて、中田は完全な手詰まりに陥っていた。
ならばと、大本であるMAGIのプログラムを疑ってみたのだが、少なくとも中田の目ではどこにもおかしな点を見つけることは出来なかった。使徒の襲撃が予想される状態において、この不安定さは致命的なものに違いないのだ。

「赤木博士に相談すしるかないか……」

もともと、報告自体はあげられているのだが、今まではこれといって支持を求めたことは無かったのである。だが事態が改善の兆しを見せない以上、信頼して送り出してくれた上司に頼るしか中田に残された道は無かった。そう決心を固めた彼の目の前では、乱高下するシンクロ率に、オペレーター達があわただしく作業を続けていた。

喧騒に包まれた実験棟の中、ダンチェッカーだけは一人冷静に試験結果を眺めていた。それもそうだろう、ネルフスタッフを悩ませる怪現象は、すべてダンチェッカー達の仕業なのである。その証拠に、ダンチェッカーの広げたノートパソコンには、タイタンから送り込まれるコマンドが表示されているのだ。この数日、ダンチェッカーは、外部擾乱に対する、シンジの脳の働きを調べていたのである。
擾乱はストレスとなる。したがって、ダンチェッカーのしていることは、パイロットに多大な負担を与えることになるのだ。そんなストレスを与えているにもかかわらず、シンジの反応はいつまでも迅速に変化に対応していた。

(……大したものだ)

さすがのダンチェッカーも、ストレスに対するシンジの耐力に舌を巻いていた。与えたストレスは、すでに常人ならば何らかの障害を引き起こすレベルに達していたのである。それにもかかわらず、シンジからは異常を示す兆候すら見つけることは出来なかったのである。

(これが、チルドレンの能力なのか……)

先天的なものか、もしくは後天的なものなのか。残念ながら、それを判断するためのデータは用意された無かった。一番良いのは、セカンドチルドレンのデータと比較することなのだが、さすがにそれは叶わない。だからダンチェッカーは、支部に居る候補生と比べてみようかと考えた。少なくとも、そうすることで特徴のひとつは掴めるはずなのだからと。

(……すまんな)

あまり心の篭っていない謝罪の言葉を、ダンチェッカーは窓の外のオペレーター達へと投げかけた。

***

 

起動試験後に部屋に戻ると、シンジはいつもベッドへと倒れこんでいた。長時間にわたるテストは、シンジに肉体的、精神的疲労を与えたのである。もっとも、シンジにとって辛いのは、やはり精神的な疲労のほうだった。ダンチェッカーをして、普通ならどこかに異常が発生するというストレスが与えられているのである。疲労ぐらい現れるのも当然といえば当然のことだった。

「……疲れた」

思わぬ弱音が出るくらい、シンジは精神的に疲れていたのである。それでも、実験を切り上げようといえないのは、自分以上に疲れているだろうスタッフのことを思ってである。彼らが音を上げない以上、自分が脱落してはいけないのだと。

「……綾波は、こんな目に遭っていたんだろうか……」

思い出すのは、実験があるといって学校を休んでいた少女のこと。自分やアスカ以上に、綾波レイはネルフの実験に借り出されていたのである。特に、初期の不安定な時期は、彼女だけが実験に参加していたのである。暴走で彼女が大怪我をしたのも、そのときのことだった。

「……僕は、弱いんだな……
綾波、アスカ……」

二人の名前を最後に、シンジからは言葉は出てこなかった。その代わりといっては何なのだが、シンジは静かな寝息を立て始めていた。

もちろん、最重要人物なのだから、シンジがどんなときでも監視の目からは外れていない。それは、こうして訓練の疲れから転寝をしているときも例外ではない。シンジがベッドに倒れこんで、転寝を始めるまでの様子を、ドア一枚で隔てられた部屋からケイコがしっかりと見ていたのである。

「……お疲れのようですね」
「ここのところ、テストがハードだからな」

少しだけドアを開けたまま、ケイコは部屋の中に置かれたいすに座った。そこには、ケイコと向かい合うように座っている加持の姿があった。

「それで、何か情報は掴めたのでしょうか?」

なんのと言われなくても、加持にはケイコの言いたいことは分かっていた。加持は、中田たちが技術的に問題を探っているのとは別の動きをしていたのである。それを知ってのケイコの質問なのだが、残念ながらと加持は首を横に振った。

「ちょっかいを掛けたがっているやつはたくさん居るんだがな。
いずれも、あそこまでするには実力が不足している。
あとは、おかしな情報もつかむにはつかんだんだが、
今ひとつ決め手にかけるところがある」
「その、おかしな情報とは何ですか?」

ケイコの質問に、加持は意識的に声を潜めた。隣の部屋に聞こえないようにと言う配慮である。

「ドイツ支部長の息子を目撃したという証言があるんだ」
「……生き残っていたと言うことですか?」
「さあな、事実確認をしないうちはなんとも言えん。
それに、その情報が正しかったとしても、やつに実験を邪魔するだけの能力は無い」

クローズされた空間での実験である。直接この場に居合わせているのならいざ知らず、どこか遠くから遠隔で邪魔できるほどMAGIのセキュリティは甘くはない。
だが、そう言った加持とは、ケイコの見方は違っていた。これだけおかしなところが見つからないのだから、そもそもMAGI自身を疑ったほうが良いのでないかと言うのである。

「今のところ、MAGIがクラックされた形跡は見つかっていない。
ワームが残されている可能性も然りだ。
外部の工作員が潜り込んでいる可能性も否定できる」
「しかし、不可解な現象だからといって、すべてがエヴァのせいとは限らないのでしょう?」

ケイコの指摘に、そのとおりだと加持は同意した。

「手が足りないので、ここの保安部も使っているがな。
何人かの職員に外部とのつながりは見つかったが、決定的なものは出ていない。
しかも、実験中のMAGIの端末は監視されているんだ。
少なくとも、そこでおかしなことをしているやつは見つかっていないんだよ」
「ですが、現実には問題が起こっている……」

ケイコの言葉に、加持は両手を上に上げる真似をして見せた。お手上げだというのである。

「ある意味技術部頼りなんだが、何が起こっているのかぐらい見つけて欲しいんだ。
そうすれば、敵さんが誰なのかぐらいは見当をつけられるんだがな」
「赤木さんにご協力いただくのは?」
「それをしようとしているところだよ。
ただそうなると、話はいささか大げさな方向に向かうがな……」

確かにと、今度はケイコが頷いた。

「技術部の負担もそうですが、早くしないと霧島さんがつぶれてしまいます。
ご両親に、無事でお返しすると約束した手前、早く何とかしたいのですが」
「それは、俺もやぶさかでないさ。
君よりも、俺のほうが付き合いが古いからね。
いささか感情移入しているところがある」
「でも、あなたは彼を傷つけた一人なんですよ」

ケイコは、そう言ってインパクト前の出来事を持ち出した。

「確かに、俺はシンジ君を一度見捨てているからな……」
「そう言うことです。
身を粉にして働いて、彼に報いてあげてください!」

身を粉にと言う表現に、加持はおいおいとケイコに言い返した。

「それは、ちょっと極端じゃないのか?」
「それぐらいの貸しが、彼には有るんじゃないんですか?」

ケイコの追求に分が悪いと感じた加持は、話をシンジのことへ戻すことにした。

「それで、心理カウンセラーから見たシンジ君はどうなんだ?」
「私は、そんなつもりで着いてきている訳じゃないわ」
「だが、そう言う目で見ることもあるんだろう?」

ケイコはふうっと息を吐き出すと、あまり良くないと口にした。

「日本から離したことは、功罪半ばってところかしら。
人間関係でかなり強いストレスが掛かっているから、気分を変えるのは良かったんだけど……
でも、その結果がこれでしょう、人ってうまくいっていないときは悪いことばかり考えるから」
「なるほど、実験の悪影響がそんなところにもでているのか……」
「そういうこと。
だから、よく眠っているように見えても、すぐに目を覚ましちゃうの。
よっぽど、冗談を本当にしちゃおうかと思うぐらい」
「なぜ、しないんだ?」
「あら、反対するものだと思ったわ。
あなたは、惣流さんとも親しかったでしょう?」
「男の子にはそう言う冒険が必要なこともあるさ。
それに、あの二人がくっつくことが本当の幸せとは限らないからな」

そう言った加持に、ケイコははっきりと意外だと言う顔をした。

「本当にどうかしたの?
あなたは、惣流さんの味方だと思っていたのに」
「別に、二人がくっつくことに反対はしないさ。
俺としては、その方が肩の荷が下りるところもある。
しかし、それは、俺の自己満足に過ぎないことも分かっているのさ」

で、なぜ誘惑しないのだと加持はもう一度尋ねた。

「……本気になっちゃいそうだから。
だから怖いのよ」

保護欲を刺激するのだと、ケイコは隣の部屋へと視線を向けた。

***

 

同じ頃、葛城ミサトはある病室の前に立っていた。病室の入り口には、その部屋の主の名前が書かれている。惣流アスカ・ラングレー。サードチルドレンが日本にいない今、ネルフ本部にとって一番重要な人物である。ミサトは、一つ大きく深呼吸をすると、病室のドアをノックした。これから彼女に話すことは、それぐらい覚悟を決めて入る必要があることなのだ。

「アスカ、入るわよ……」

まるで使徒と戦うときのような顔をして、ミサトは病室の扉を開いた。
扉を開いたミサトの目に入ったのは、ぼんやりとジオフロントの薄暗がりを見つめるアスカの姿だった。アスカは、少しけだるそうな視線を一度だけミサトに向けると、再びその視線を窓の外の景色へと向けた。

「……そう言う格好をしていると、本当にネルフの士官に見えるわね」

ミサトから視線をはずしたまま、アスカはそう彼女を揶揄する言葉を吐いた。だがいつまで経っても反応がないことに、ようやく視線をミサトに戻して、何の用だと尋ねた。そのアスカの言葉を待っていたように、ミサトは事務的に一通の封書を取り出した。

「セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレー。
右のもの、ドイツ支部破壊の件にて国連本部で査問を行う。
日時は1ヶ月後、サードチルドレンの帰日を待って行うものとする」

ミサトの言葉に、来るものが来たかとアスカは思っていた。いくら支部が壊滅したとは言え、チャネルをあれだけオープンにして叫んでいたのだ。問題にならない方がどうかしているのだ。
しかし、ミサトの方はそうではなかった。少しはアスカが驚くことを期待していたのである。

「驚かないのね」
「一応、自分のしたことぐらい弁えているからね」

用が終わったのなら帰れと、アスカはそっけなく言い放った。だがミサトは、その場所を動こうとはしなかった。

「どうしたの、もう用は済んだんでしょう?」
「国連の用はね。
でも、あたしの用は済んでいないわ」
「ミサトが、今更あたしに用があるの?」
「分かっているでしょう?
シンジ君のことよ」

シンジの名がでたことに、アスカはため息をミサトに返した。

「いまさらあいつのことを持ちだしてどうしようって言うの?
あいつは、新しい両親と可愛い妹。
それに、綺麗なガールフレンドに囲まれているのよ。
ミサトも、いい加減世話を焼くのは止めたらどうなの」
「あたしがお節介を焼こうと思っているのはあなたによ、アスカ……」
「それこそ、余計なお世話だわ……」

そう言うと、アスカはぷいっと顔を窓の外へと向けた。そして、

「あんたは、使徒を倒すことだけ考えていればいいのよ」

と吐き捨てた。とりつく島もないアスカの態度なのだが、それでもミサトはあきらめなかった。

「アスカ、そんなんで楽しい?」

予想外の問いかけだったのか、アスカは何も答えなかった。

「なにが嬉しくて、そんなに頑なになっているのよ」
「別に、嬉しくなんか無いわよ」
「なら、なんでそんなに意固地になっているの?」
「別に、意固地になんかなっていないわ」
「じゃあ聞くけど、どうしてあそこまでシンジ君に言わなければいけなかったの?
あたしは、アスカにマゾ、しかもとびっきりのマゾ気が有るのかと思ったわよ。
それとも、シンジ君を虐めて楽しんでいたの?」
「そんな訳有るはず無いじゃない。
あれは、あたしの正直な気持ちなんだから!」

言葉の中身とは裏腹に、お互いの言葉は静かなものだった。

「アスカ……ねぇ、あなたの話をシンジ君が信じていると思っているの?」
「……何のことよ」
「あなたの恋人のこと。
シンジ君はね、別にあなたとラブラブになりたいと願った訳じゃないわ。
ただ、以前のように気楽に話せる間柄になりたかったのよ。
シンジ君の願いって、たったそれだけのことだったのよ」

その願いすら拒絶したのだと、ミサトは冷たく言った。

「あたしは、シンジ君への手紙にあなたのことも書いたのよ。
あたしが調べたドイツでのこととか、自爆前に傍受した通信のこととか……」
「……とんでもないお節介ね」

アスカの言葉に含まれている怒気を無視して、ミサトはそうかも知れないとだけ答えた。

「かもじゃないわ、本当に余計なお世話よ!」
「確かに、余計なお世話だったみたいね。
でも、一番悪いのは手のひらを返したアスカなのよ。
手紙のことなんて、所詮は他人からの入れ知恵に過ぎないわ。
自分で感じたこと、知ったことには敵わないもの」
「何が言いたいのよ……」
「新第五使徒との戦いの時、あなた出撃したでしょう?
あのときのあなた達は、ブランクが合ったにもかかわらず綺麗にユニゾンしていたわ。
アスカ、あなた戦っていて気持ちが良かったんでしょう?
それと同じことをシンジ君も感じていたのよ。
あなた達は、あの瞬間言葉以外のもので通じ合っていた。
それなのに、お見舞いに行ったシンジ君にあんなことを言ったんじゃぁ……」
「な、なによ……」
「だいぶマシにはなったけどね、そんなに人が簡単に変われるわけが無いじゃない。
シンジ君にはね、アスカに避けられていると思うだけの理由が山ほど有るのよ。
だから、綺麗に3年前に後退してくれたわ……」

わざとらしく、ミサトはため息を吐いて見せた。

「あ、あたしの知ったことじゃないわよ……」
「そうね、シンジ君自身が解決しなくちゃいけない問題ね。
まあ、そのこと自体は心配していないんだけどね……
新しいご両親に妹さん、それにレイコちゃんって言うんだけどね、
彼女がいれば、立ち直るのに時間はかからないでしょうね」
「……だったら、それでいいじゃない」

投げやりなアスカの言葉に、ミサトはそうねと相づちを打った。

「でも、そうなると、アスカの存在って単なる綺麗な女の子なのよね。
まあ、パイロット仲間ってのがあるのかも知れないけど、それ以上でもそれ以下でもないわね」
「そ、それのどこに問題があるのよ……」
「べっつに、あたしとしては使徒さえ倒してくれれば問題はないわ。
一つだけ言わせて貰えば、すこし苛つかされるだけかしら?
反吐がでるのよね、そう言う自己陶酔ってやつは」
「あたしは、自己陶酔なんかしていないわ!!」
「なら、どうしてシンジ君を拒絶したの?
ああ、私はこれほどまでにシンジのことを思って居るんだって、
勝手に自分で盛り上がっているだけでしょう?
それとも、汚れてしまった私はシンジにふさわしくないんだわ!!
ってなぐあいに、悲劇のヒロインごっこかしら?」

いずれにしても、鼻持ちなら無いことだとミサトは薄笑いを浮かべて言った。

「なんで、あたしがシンジなんか好きじゃなければいけないのよ!!
それこそ、大きな勘違いだわ!!」

そう叫んだアスカに、加持に言ったことを忘れたのかとミサトは突っ込みたかった。だが、その代わりにミサトはひとつの事実を突きつけた。

「でも、シンジ君はアスカのことを好きなのよ」

と。そして、そう言った後にバカな話だと付け加えた。

「お互いが好き合っているのならそれで良いじゃない。
自分の尻もふけないようなガキの癖に、周りのことばっかり気にしちゃってさ。
ほんと、ばっかじゃないかって思うわよ」
「あ、あたしは、自分の始末ぐらいつけられるわよ」
「何を偉そうに……
じゃあ、シンジ君のことはどう始末をつけるって言うの?
レイコちゃんや家族に押付けるんでしょう」
「なんで、あたしが他人の面倒まで見なくちゃいけないのよ……」
「ネルフ的に言わせて貰えば、シンジ君が大黒柱だからよ。
今のように精神的に落ち込んだ状態じゃ、今後の作戦に支障が出るじゃない。
軍隊だったら、それだけでアスカ、あなたは懲罰物よ」
「向こうが勝手に惚れただけでしょう。
そんなのいちいち相手にしていられないわよ!」
「じゃあさ、ひとつ聞くんだけど。
シンジ君、アスカのことを好きだって告白した?
付き合ってくれって、アスカに言った?」

シンジの願ったものは、そんなことではなかったはずだと。

「同居しているときのあなた達って、別に恋人同士だったわけじゃないでしょう。
シンジ君の望んだのは、あのときのような気楽な関係じゃなかったの?
惚れた腫れたを持ち出したのは、アスカのほうじゃなかったの?」

アスカから答えが無いのを良いことに、畳み掛けるようにミサトは言葉を繋いだ。

「勝手に惚れられて……確かにそうよね。
そんなんだったら、別に振ったって構わないわ。
それに、シンジ君だって、振られたって落ち込まないもの。
ううん、すっぱりと振られたほうが傷つかなかったでしょうね。
3年と言う月日は、それだけの重みと説得力があるものなのよ」

それなのにと。

「普通のクラスメートみたいに話して居ればよかったのよ。
それが、あんなに意識しまくっちゃって……
シンジ君にとって、あなたの存在はアスカが思っているよりは軽かったのよ。
でも、アスカのせいで、昔と同じだけの重みに引き上げられちゃったのよ。
とりもなおさず、アスカの中のシンジ君の重みと同じくらいにね」
「あ、あたしはシンジのことをなんとも思っていないわ!」
「あたし達に、そんな嘘が通じると思う?
アスカが加持に言ったことや、寝ているときにうわ言で口にしたことは全部知っているのよ」
「……そ、そう、知っているのね……」

震える唇で、アスカはミサトの言葉を初めて肯定した。そして、少し投げやりな言葉を吐き出した。

「それで、あたしに何をしろと言うの」
「べっつに、何も期待しちゃ居ないわよ」

その言葉が少し意外だったのだろう、どうしてと言う目をアスカはミサトに向けた。

「だって、これはアスカ自身の問題なんだもの。
あたしがどうしたいって言ったって、何の意味ももたないでしょう?」
「あ、あたしは……意思表示したわよ」
「本当に?」
「ほ、ほんとよ……」

そのアスカの答えに、今までのはなんだったのだろうと感じられるほどミサトは態度を変えた。

「ならいいんだけど、じゃあ、アスカ当面のことを話しましょうか?」
「当面のこと?」

いきなり軽くなったミサトに戸惑いながら、アスカは何のことかと聞き返した。

「いつまでも入院しているわけには行かないでしょう?
もちろん、アスカが退院してからどうするかってことよ。
身の振り方とか、住むところとか……
もちろん、アスカの身分は本部付きになるから、どこか他の国に行くわけにはいかないわよ」
「……で、他の制限は?」
「パイロットとして登録されることを除けば、特にこれといったものは無いわ。
もちろん、細かな制限が無いわけじゃないけど、それはドイツ支部のときと大差は無いわよ」

それでどうするのかと、もう一度ミサトは尋ねた。

「あたしには、どういう選択肢があるの?」
「住むところ、身の振り方?」
「両方よ!」

それを聞いたミサトは、一枚の紙切れをブリーフケースから取り出した。

「なに、これ?」
「アスカの住むところよ。
新築5階建ての3階。
角部屋じゃなくて悪いけど、2LDK70平米の優良物件よん!」
「決まっているなら、最初からそう言いなさいよ!」

アスカはそう文句を言ったのだが、ミサトはちっちと舌を鳴らした。

「これは、決定事項じゃないわ。
希望によっては、本部内の宿舎ってのも可能だから。
あっちなら、1Kシャワーつき12平米と手ごろよ。
もれなくジオフロントの景色も付いて来るから。
アスカが、どっちを希望するかによるわね」
「……結局、選択の余地なんか無いじゃない」

そう不満を漏らしたアスカに、仕方がないだろうとミサトは弁解した。

「安全の保証できない民間の建物に入居するわけには行かないでしょう?
これだって、アスカのために建てたようなものなんだから。
どうするアスカ、本部内のちっちゃくて、息の詰まりそうな部屋が良い?」

厭味なことを。そう思ったが、それは口にしないでアスカはこっちと不動産広告を指差した。

「お客さん、お目が高いですねぇ。
じつは、他にもここが良いっておっしゃる方がいらしたんですよ」

どこかの不動産屋のようなせりふを吐きながら、ミサトは物件情報をブリーフケースにしまいこんだ。

「後は身の振り方だけど、一応の身分は作戦部付きと言うことになるわ。
でも、それだけだと暇だから、リツコのところで預かってもらうって言う案があるわ」
「他には?」
「年相応に高校に通うってのもあるわね……」
「それ、パス」
「そう言うと思ったから、言わなかったんだけどね」

気持ちは分かるからと、あえてミサトは強く勧めなかった。

「まあ、しばらくのんびりしてみるのも良いかもしれないわね。
リツコの所だって、別に急ぐわけでもないしぃ」
「お言葉に甘えて、そうさせてもらうわ」

これで用件はすべて終わったと、ミサトはブリーフケースに書類を詰め込んだ。

「んじゃまあ、お大事にって、退院も近かったわね」

そういい残してミサトは病室を去ろうとしたのだが、そんなミサトをアスカは呼び止めた。

「なに、まだ何か用があった?」
「その、用って訳じゃないけど……
あ、あたしって、どうなるのかな?」
「どうなるって……ああ、査問のこと?
多分、どうにもならないんじゃないの。
ここも使徒の襲撃を受けたし、シンジ君一人じゃ足りないことも証明されたじゃない。
だぁれも、アスカの首に鈴なんかつけられるわけが無いでしょう?
そんなことをしたら、今度こそ人類が終わっちゃうんだもの」

他に何か?そう尋ねたミサトに、それで十分だとアスカは返した。

ミサトにしては静かだったのかもしれないが、それでも彼女がいなくなることでアスカは普段以上の静けさを病室に感じていた。

「あんなのでも、来てくれるだけましってことか……」

居るときは鬱陶しく感じたのだが、居なくなって見ると何か物足りなく感じてしまう。アスカにとって、ミサトと言うのはちょうどそんな存在だった。

「いったい何をしに来たことやら……」

結局、雑多なことをして帰っていったのである。まるで、たまっていた仕事を一気に片付けに来たようなものだ。

「まったく……」

そうつぶやいて、アスカはすっかり暗くなった窓の外へと視線を向けた。もともと、外の光を集光して導いていただけである。夜になれば、星も月も無い世界は下界よりもさらに深い闇を導いてくるのだ。窓の外で目に付くのは、ネルフ施設から発せられる赤い光だけだった。アスカは、そんな殺風景な景色を、ぼんやりと意識の外において眺めていた。

「あたしは、意思表示をした……」

ミサトも、これ以上おせっかいをしてくることは無いだろう。これで、静かな、そして穏やかな心に戻ることが出来るだろう。アスカは、そうなるものと思っていた。

「これで、わずらわしいことから解放される……」

そう言ってアスカは穏やかに微笑んだのだが、なぜかその頬を涙が一筋伝っていた。

to be continued…