アメリカ合衆国東南部、アパラチア山脈南部に作られた大深度施設にそれは収められていた。その山腹に設けられた小さな小屋の見下ろせる位置に、その“比較的”小柄な男は立っていた。
「地下2000m、4立方キロの空間か」
男の見ていたのは、そのみすぼらしい小屋ではなかった。まるで地面の下が見えるかのように、男はその下に広がる広大な空間を想像した。
「完全に隠蔽できるとは思えんが、ないよりはましだろう。
それにしてもえらく高くついたもんだ」
そう言った言葉とは裏腹に、男はそこに収められたものの価値は良く承知していた。この程度の投資など、成功したときには利息だけでお釣が来ることも分かっていた。入り口には、中央石炭開発公社と言う看板が掲げられていた。
「2体のエヴァンゲリオンに、ほぼ損傷のないダミープラグが1つか。
もたらすものは繁栄か、それともそれとも我らの滅亡か……」
男はポケットにあったチューイングガムを取り出すと、それを一枚口に含んだ。
「『使徒』とやらはネルフに頑張って貰えばいい。
我々の出番はそれからだな」
彼の情報網によって、世界の混乱は手に取るように分かっていた。だからこそ、自分の掌中にあるものの価値は高いのであると。今回の使徒戦は、その価値をいっそう高めてくれることもよく分かっている。
男は近場にあった手ごろな岩に腰を掛けると、遠くから近づいてくる小型機を見つめて呟いた。
「ようやく『フランケインシュタイン博士』の登場か」
ジョン・ゲイツは、賓客を迎えるために岩山を降りる事にした。
「ようこそMSI秘密基地へダンチェッカー博士」
ゲイツは、先ほどから憮然としている神経質そうなやせぎすな男-クリストファーダンチェッカー-に声を掛けた。男は、自分を送ってきた小型機を睨み付け、声を掛けてきたゲイツを無視した。そんなダンチェッカーに、ゲイツは肩をすくめるともう一度ご機嫌を伺うように声を掛けた。
「何かお気に召しませんでしたか、ダンチェッカー博士」
だが、その物言いが気に入らないのか、ダンチェッカーは鋭い眼差しでゲイツを睨み付けた。
「前置きはいい、早くエヴァンゲリオンとダミープラグを見せてもらいたいのだがな。
君の酔狂に付き合うつもりはないのだよ。ゲイツ君」
ここにいるのは不本意だと、ダンチェッカーはゲイツに食いついた。
「酔狂とは手厳しい。
基地というのは確かに洒落ですが、ここの存在を知るものは限られているんですよ。
ダンチェッカー博士」
ゲイツは両腕を大きく広げると、困ったもんだと言う表情を作った。それが余計にダンチェッカーの癪に障った。
「前置きはいいと言ったろう」
「物が物だけに、こちらもいろいろと準備が要るんですよ。
それにちゃんと隠しておかないと、いろいろと問題がありますからね」
ゲイツは時計を眺めながら、無駄だとは思いながらダンチェッカーをなだめるように言った。
「ならば何時まで待たせるつもりだ」
ダンチェッカーのいらだちは臨海点を迎えようとしていた。そんな様子を楽しそうに見つめていたゲイツは、デスクに歩み寄ると情報端末に何かのコマンドを打ち込んだ。そしてそこに映し出された表示を確認すると、ダンチェッカーの入ってきたドアへととって返し、ぶつぶつと言いながらそのノブに手を掛けた。
「本当は他にも説明したい事があるんですけどね」
そう言いながら、ゲイツはダンチェッカーを手招きした。
「これを御見せしないと納得していただけないようですからね」
その言葉と共にゲイツは扉を開け放った。やや芝居がかったゲイツの行動だったが、ダンチェッカーの口からは文句は出てこなかった。いや、文句を言おうとはしたのだが、目の前に突きつけられたものに押さえつけられてしまったのだ。
「い、何時の間にこんなものが」
「これがMSIの心臓部ですよ、ダンチェッカー博士」
まるでいたずらが成功した子供のように、瞳を輝かせたゲイツの声が誇らしげに響いた。ダンチェッカーの目の前には、LCLの海に浸かる2体の白い巨人がその姿を現わしていた。
「かなり悪趣味な歓迎の仕方だな」
薄いコーヒーをすすりながら、ダンチェッカーは手の込んだ仕掛けをしたゲイツに文句を言った。もっとも、先ほどまでと比べれば、ダンチェッカーのとげは柔らかなものに変わっていた。
「あんな大がかりのエレベーターを設置したのは、このためと言っても過言ではないのですけどね。
まあ、相手の毒気を抜くには効果覿面ですから」
「まあ、効果的であるのは認めるがな……」
そう言って、ダンチェッカーはごほんと咳払いをした。
「2体のエヴァンゲリオンに、ダミープラグのキーになる渚カヲルか。
ネルフに隠れてこれだけのものを持っているとはたいした物だ」
腹に一物有るようなダンチェッカーの言い方に、ゲイツはハーゲンダッツをかじりながらにやにやと笑っていた。
「まだ言いたい事があるんでしょう」
「他に何を隠している」
自分だけでは何だからと、ゲイツはダンチェッカーに砂糖たっぷりのシナモンロールを勧めた。それを一目見たダンチェッカーだったが、一言胸焼けしそうだと言ってその皿を押し返した。
「隠しているとは人聞きの悪い。
最初に説明しようとしたんですよ。
でも、ちっとも聞いちゃあくれなかったじゃないですか!!」
2本目のアイスバーに手を延ばしたゲイツは、自分のせいじゃないだろうと言い返した。だがダンチェッカーは、そんな文句にお構いなしにゲイツを睨み付けていた。ゲイツは、仕方がないと肩をすくめ、デスクの小さなボタンを押した。すると、小さなモーター音とともに、壁の一部が開き。そこから100インチのディスプレーが現れた。ゲイツは、そこに映し出されたIASの全体図をレーザーポインターで示した。
「ご覧になれるように、このブロックでエヴァの修復を行っています。
そしてこのブロックにダミープラグの実験室が有ります。
電力供給システムは正副予備の3系統。
そしてすべてを統合する制御システムがこれです」
少し芝居がかった言い方で、ゲイツは右隅にある一角をポインターで指した。
「ここには、この砦の頭脳が設置されています。
複合型光コンピュータ、タイタン……単純演算能力ならMAGIタイプの10倍以上を示します」
タイタンという言葉に、ダンチェッカーは思わず腰を浮かせていた。その存在と性能自体は世界的にも有名ではあった。同時に、使えないと言う意味でも世界的に有名だったのである。ある意味50年前に逆戻りしたとも陰口をたたかれていたシステムなのである。それが、このような巨大な施設運用に供されているとなれば、エヴァの隠匿以上にインパクトが有るのも仕方がなかった。何しろ、行方不明のエヴァがある以上、それがどこかに有るのは自然なことだったのだ。
「い、いつの間にタイタンを運用したんだ……」
独立発生したシステムは、その運用が軌道に乗るまで気の遠くなるような時間を必要とする。それを一足飛びになしえたとなれば、いくらダンチェッカーでも賞賛しないわけにはいかなかった。
「実は、タイタンの運用自体も商品なんですよ」
すでに2本目のアイスバーも食べ終わり、ゲイツはニコニコと手揉みをした。そして、これはダンチェッカーのおかげだと口にした。
「私は、このシステムには関わっていないぞ!」
しかし、ダンチェッカーには寝耳に水の言葉だった。しかしゲイツから返ってきたのは、ダンチェッカーにとって、本当に寝耳に水の事実だった。ゲイツは、机の引き出しから無骨なヘッドセットを取り出すと、それをダンチェッカーに投げてよこした。
「実はこのシステムの運用自体に、博士の論文が役に立っているんですよ。
このタイタンはね、BIAC(生体相互作用コンピュータ)機能を取り込んだ第一号でもあるんです」
今度こそ、ダンチェッカーは驚きに席を立ち上がった。生物学者として有名な彼だったが、一本だけ畑違いの論文を書いていたのである。それこそが、生体と機械が相互作用をもち、それをコンピューターに用いることで、様々な応用が利くというものだったのである。もちろん、ダンチェッカーが記したその論文は、賞賛どころかコンピューターの専門家から一笑に付されただけだったのである。
それを、同じく専門家であるゲイツが発掘したのだという。ダンチェッカーは、ゲイツの慧眼を素直に賞賛した。
「私は、学者ではなくビジネスマンですからね。
今までの理論がどうだとか、そんなことは気にしないんですよ。
欲しいのは、今抱えている問題を解決するためのソリューションです。
博士の論文は、そう言う意味では、まさに私の求めるものだったと言うことですよ」
「しかし、よくぞ見つけたものだな……」
畑違いの学者が書いた論文など、まともに扱われるはずがないのである。だからダンチェッカーは、コンピューター系の論文誌でなく、少しは顔の利く生物系の雑誌にねじ込んだのである。
「まあ、神の導きだとでも思ってください。
私達も、エヴァンゲリオンを見つけなければ博士の論文にはたどり着きませんでした」
「それにしても、よく採用する気になったものだ……」
「MAGIの様な手法は使えませんからね。
それに代わる、革命的手法を求めていたんですよ。
そう言うときには、荒唐無稽に感じるものの方が役に立つんです」
「荒唐無稽ね……」
ゲイツの物言いに、思わずダンチェッカーは苦笑を漏らした。自分でもそう思ってはいるのだが、面と向かってはっきりと言われればまた気分が違うのである。だが、荒唐無稽であろうが、彼はそれを実際の使いこなして見せたというのである。正しく評価されて然るべきことだった。
「なるほど、なかなか懐が深いんだな……
だが、さすがにこれでネタは打ち止めだろう?」
しかし、ゲイツはにやりと笑って見せた。
「まだ、あるのか……」
「インパクトは少ないかも知れませんけどね。
私が、ネルフの知らないエヴァの在処を知っている……
そう申し上げたら、信用なさいますか?」
そう言ってにやりと笑ったゲイツの顔を、ダンチェッカーは穴があくほどじっと見つめた。
「……それで、私に何を期待するのだ、ミスターゲイツ」
「ジョンで良いですよ、ダンチェッカー博士。
我々は、あなたにエヴァンゲリオンのコントロール技術解析の指揮をお願いしたい。
あとは、その卓越した発想をたまに披露していただければ……」
「私のことはクリスでいい。
チルドレンを選抜しろと言うことではないのだな?」
「ええ、チルドレンなどと言う不確かなものでは、
エヴァンゲリオンは商品になりませんからね」
ゲイツの言葉に、ダンチェッカーはなるほどと頷いた。エヴァンゲリオンに対して需要があるとしたら、それは軍以外にはあり得ないのである。ある意味、石以上に堅い彼らが、子供しか運用できない兵器を買い求めるとは想像が付かないのだ。しかも、パイロットが限られるとなれば、別の意味でも使い物にならないと言うこともある。
「難しいことはよく分かっています。
しかし、かつてゼーレがダミープラグを実用化したという実績もあります。
クリスならば、そのゼーレを上回る仕掛けを作り上げてくださると確信しております」
「……そう言う誘いに乗るのは性なのかもしれんな……」
「きっと、そう仰ってくださると思っていましたよ」
「もし、断ったとしたらどうするつもりだったんだ?
これだけの秘密を見せたんだ、ただで返すつもりはないんだろう?」
にやりと笑ったダンチェッカーに、ゲイツは何のことかととぼけて見せた。
「殺す……まではしなくても、少なくとも当分は外に出してもらえないと言うことか?」
「実のところ、断られるとは思っていませんでしたからね。
だから、そっちの方面は心配していなかったんですよ。
先ほど性と言いましたよね、ここにはそう言う性を持った奴らがたくさん居ましてね」
「同じ穴の狢と言うことか……」
「類は友を呼ぶのですよ。
これは、世界の真実の一つを言い当てています」
大まじめに言うゲイツに、どうだかとダンチェッカーは笑った。そして、急にまじめな顔をすると、ひとつ、そして大きな問題があると切り出した.
「私たちに、エヴァを動かした経験がないと言うことですか?
一応、その対策らしきものも考えてはいますよ」
先回りをしたゲイツに、さすがに一筋縄では行かない男だと、ダンチェッカーは目の前にいる“稀代のセールスマン”と言われた男の子とを見直した。
「それで、具体的にはどうするのだ?」
「じつは、ドイツでひとつ拾い物をしましてね」
ゲイツはそう言うと、端末から一人の男のプロフィールを呼び出した。
「フランツ・オッペンハイマー。
ネルフドイツ技術部所属。
セカンドチルドレンの担当かつ恋人だった男です」
「なるほど、ある意味理想的ともいえる人材だが……
ネルフに、ここの秘密が漏れることはないのか」
その経歴に、ネルフドイツ支部の支部長との関わりを見つけたダンチェッカーは、本当に大丈夫なのかとゲイツに問いただした。
「ほとんどないと言って良いですよ。
父親の方はこの前の騒動で死んでいるし、彼自身はネルフに対する思い入れはない。
何よりも日本人は嫌いな様ですしね。」
狭量な人種差別主義者ですよ、とゲイツはバカにしたように鼻で笑った。
「それにいざとなれば」
そう言ってゲイツは引き金を引く真似をして見せた。
「まあ、直にネルフアメリカ支部の人材も獲得できる予定ですし、
経験値はそちらでも稼げるでしょう」
「やけにアメリカがあっさりと手放したと思ったら、
裏にはそう言う密約があったということか……」
すなわち、アメリカ政府もグルなのである。この世界を敵に回した計画が、どちらから持ちかけられたものかは想像するまでもないだろう。
「まあ、彼らとしても、UNのひも付きの組織は要らなかったんですよ。
監視が煩わしいのは、どこも同じですし、
ヨーロッパに主導権を握られるのを嫌がる人たちも多いと言うことです」
ゲイツは、暗に他のエヴァ所有者も同じだと臭わした。 そして、どれだけ役に立つのかは分からないがと前置きをして、ダンチェッカーがサードチルドレンの試験に立ち会う手はずも整っていると切り出した。
「なるほど、IASがここまで成長した理由がよく分かったよ」
「理解してもらえてうれしいよ」
そう言って、ゲイツはダンチェッカーの差し出した手をがっちりと握った。
「とりあえず、そのフランツと言う奴に合わせてくれないか。
予備知識として、チルドレンについて知りたいんだ」
「それは、すぐに手配しよう。
他に、何か気になることはあるかい?」
ダンチェッカーは、ふむと考えた。
「そうだな、できればエールを置いてくれないか?
甘いだけの砂糖水は好きじゃないんだ」
「そのうちに、病み付きになるよ」
それだけは絶対にない。ダンチェッカーは、即座にそう断言した。
非公式に行われた国連特別部会が冬月の戦場だった。彼が何よりも優先しなくてはいけないのは、まず人類が生き延びること。そして、そのためにもチルドレンの身柄確保が必要なのだ。使徒が現れた今となっては、チェスのコマのように、政治的理由でルドレンを動かすわけには行かないのだ。
しかし、それは他支部にとっても同じことである。エヴァが在っても無くても、使徒の標的とされるのである。ならばエヴァを所有している支部は、迎撃を口にしてもおかしくないのである。その反論に対して、冬月はいくつかの理由を用意していた。だが、そのどれをとっても強い説得力には欠けていたのである。
しかし、結果だけを言えば、冬月はその説得力に乏しい理屈を持ち出す必要は無かった。別に、会議の場で彼が完敗したわけではない。むしろ、雪雪崩式に望む結果が転がり込んできたのである。そして、彼にとって一番意外だったのは、唯一エヴァを所有しているアメリカが、支部の放棄とエヴァの移転を持ち出したことである。
『現時点では、ネルフが使徒の攻撃対象になっていることは明らかでしょう。
しかし、われわれには使徒を迎撃する力は限られている。
ならば、最善と思われる解決策はひとつしかないと思われます』
冬月は、黙ってアメリカ代表が何を言い出すのか聞いていた。もちろん、何を言われてもいいように、山のような想定問答を頭に思い浮かべていたのである。
『われわれアメリカは、エヴァンゲリオンの所有権を一時放棄いたします。
すなわち、これの日本移送を肯定するものであります。
また同時に、支部施設も一時放棄します。
MAGIレプリカの移動は現実的ではありませんが、
ネルフアメリカは、その実態を一時解散するというものです。
私どもの提案は、各国支部もまたわれわれに倣っていただきたいということです。
使徒の脅威に対抗するためには、すでに豊富なノウハウを有する本部に、
その実行のすべてを任せるべきだと提案いたします』
この発言には、出席していた代表者たちから信じられないと言ううめき声がもれた。何しろ、自国の利益を一番に主張してきた国なのである。それが真っ先にそれを放棄すると宣言したのだ。いかにまっとうな理論とはいえ、裏に何かあるのではないかと勘ぐられても仕方が無いことだった。
しかし、冬月にとっては、これはまたとない申し出だった。裏の事情が気にならないでもないのだが、足りない予算と人材の確保の問題もこれで解決するのである。だが冬月は、真っ先に賛同の意を示すことは控えた。何か裏取引があるのではないかと、痛くも無い腹を探られないためである。
もっとも、各国代表にしても、これと言った提案があるわけではなかった。移動に伴う混乱と言う問題はあるにしろ、使徒の襲撃と言う事実の前にはそれも小さなことだったのである。その結果、満場一致でアメリカの提案が採択されることになった。
しかし、この問題はそれだけでは終わらなかった。自分の提案が選択されたアメリカは、暫定措置としてひとつの提案を行ったのである。
『そこで、移動に伴う措置として、本部にひとつお願いしたいことがあります。
他国とは違い、わが国には稼動可能なエヴァンゲリオンが1機存在しています。
これを本部に移動させるまでと言う期限付きで、パイロットを一人派遣していただきたい。
もちろん、使徒の襲来が予想されることから、単独での迎撃ができるパイロットをお願いする』
つまり、シンジを寄越せと言っているのである。もちろん冬月には拒否する権利はあったのだが、とてもではないがそれを行使できる環境には無かった。
(気分転換させるのも良いか……)
ならば物事はポジティブに考えよう。冬月は、使徒襲撃の際には呼び戻すことを条件に、アメリカの要請を受諾することにした。
「すまんが、アメリカに出張してくれないか」
シンジを呼び出した冬月は、開口一番シンジのアメリカ行きを告げた。
「はあ、アメリカですか……」
「まあ、いきなりでぴんと来ないかもしれんが、
ネルフの各支部が使徒に襲われたことは君も知っているだろう。
そのため、一時的では在るが、ネルフの機能のすべてをここに終結することとなった。
アメリカには、エヴァンゲリオン5号機がある。
君には、そのロールアウトの手伝いと、移動が完了するまでの支部守備をお願いしたい」
「どれくらいの、期間なんですか?」
「本当ならば、3年以上掛かるのだが……
今回は、完全移動とは違うので、エヴァの移動……1ヶ月ほどと言うのが見積もりだ」
「1ヶ月ですか……」
「頭を冷やすのにはちょうど良いのではないかね?」
「冬月さん……」
「いや、これは余計なことだったかな?
いずれにしても、君には拒否権は与えられていないんだ」
すまないねと、形ばかりの詫びを冬月はした。
「いえ、事情はよく理解しています」
「そうか、すまないね。
それから、向こうでの生活だが、こちらからサポートのスタッフを同行させる。
護衛、世話係、通訳、その他技術サポートが何人かなんだが……
人選に、何か希望はあるかね?」
「いえ、これと言った希望はありませんが……」
誰と言えるほど、シンジは今のネルフを知らないのである。
「ならば、とりあえずの人選を君に伝えておこう」
冬月は追う言うと、インターフォンで一人を呼び出した。
「一応、身の回りのことは今から呼び出す彼女がしてくれる。
他のメンバーについては、明日紹介しよう。
それから申し訳ないのだが、出発は3日後と言うことになっている。
したがって、これからすぐに準備を始めてくれたまえ」
「3日後ですか……」
急だなと、シンジがそう思ったとき、一人の女性が部屋に入ってきた。
「紹介しよう、私の秘書の一人の朝霞君だ。
今回、君の身の回りのことはすべて彼女に任せてある」
「朝霞です、よろしくお願いします」
「き、霧島シンジです、こちらこそお願いします」
いきなり紹介された女性に、シンジは少しどぎまぎしながら挨拶をした。
「朝霞君、彼には一応の事情は説明してある。
すぐに、出張の準備をしてくれないか」
「かしこまりました。
では、霧島さん、参りましょうか?」
凛とした朝霞の物腰は、シンジに苦手意識を刷り込んだ。よくよく見なくても美人なのだが、冷徹なキャリアウーマン然としたタイプは、少なくともシンジの得意とするタイプではないのである。もっとも、どんなタイプにしろ、シンジが女性に得意で合ったためしは無いのだが。シンジは、言われるままに、朝霞に付いて冬月の部屋を後にした。
資材部に着いたとき、シンジは冬月の人選の確かさを思い知らされた。とてもではないが真似はできないと言う手際のよさで、朝霞は出張の準備を進めていったのである。シンジはその手際のよさに感心すると同時に、今まで出会ってきた人たちとは違うのだなとも感じていた。まあ、シンジにとってのリファレンスがミサトなのだから、朝霞が完璧に見えるのも仕方が無いと言えばそうなのだが。
「ずいぶんと荷物が多いんですね」
小一時間でまとめられた荷物に、シンジは思わずそんな感想を口にしていた。はっきり言って小さな引越しである。海外旅行-まあ、一般的なイメージなのだが-とはかけ離れた荷物がそこには用意されていたのである。
「必要なものをすべて用意するとこれぐらいになります」
「必要って……たったの1ヶ月でしょう?
下着なんか、洗濯すれば5、6枚で済むじゃないですか?」
シンジが例にあげた下着は、少なくとも30枚以上積み上げられているのである。シンジでなくても、多いと感じるのは不思議ではない。だが朝霞は、これが必要な量なのだと答えた。
「すべては、身の安全を確保するための措置と考えてください。
ここで用意しておけば、万が一のすり替えにも対処が利きますし、
これだけあれば、クリーニングに出す必要もありませんから」
「別に、洗っても構わないと思うんですけど……」
「外部の業者は信用なりませんから。
私に洗えと仰るのなら、洗うことも吝かではありませんが?」
そのほうが良いのかと、朝霞はじっとシンジの顔を見た。思わずシンジは、朝霞が自分のパンツを“手で”洗っている光景を想像してしまった。
「いえ、そんなことは言いません……」
だがしかしと、シンジは荷物の中にあった小ぶりの箱を取り上げた。
「なんで、こんなものまで持っていくんですか!」
「何事も、備えが必要だとご理解ください。
もしも現地で必要になったとき、すぐに調達が利きませんから」
「で、でも、こんなもの使いませんよ」
「避妊は、男女共同の責任ですよ。
相手の女性が、必ずしも薬を服用しているとは思わないでくださいね」
「だ、だから、いや、その、何か誤解していませんか。
ぼ、僕は、そう言うことはしないと言っているだけです」
「……本当に?」
なぜそこで残念そうな顔をするのか、そう突っ込みたいのを我慢してシンジは本当だと念を押した。
「そうですか……
一応確認したいのですが、霧島さんは童貞ですか?」
「はいっ!?」
なんでそう言う話になるのか。とてもではないが、シンジには理解できなかった。
「女性……もしくは、同性相手の経験があるかと聞いているんです」
「どっちも、ありません!!」
「現在お付き合いをされている方は?」
やけに私生活に立ち入っていないか。さすがのシンジも、朝霞に文句を言った。
「立ち入ったことを聞いていることは存じております。
馬鹿らしいことに聞こえるかもしれませんが、警護に必要だと思ってください」
「……ありません」
「片思いでも構いませんが、この人はと思っている相手は?」
「……一応、居ます」
「女性、男性?」
「女性です!!」
「別に、力説しなくても良いですよ。
私には、そう言う方面への偏見はありませんから」
「あのですねぇ……」
だからと言って、男相手はあんまりだろうと。だが、朝霞はそんなシンジの不満を黙殺した。
「ご不快に思われたかもしれませんが、職務上些細な見落としも許されないのです。
現時点で発見されているエヴァは4機。
つまり、あと5機は所在が不明ということです」
「はあ……」
「そのすべてが、人跡未踏の地でうずもれているとは考えられません。
つまり、国連に対して秘匿している組織、国があるということです」
「……それは、分かりますが……」
それと先ほどまでの話がどうつながるのか。今ひとつ、シンジには理解できなかった。
「エヴァンゲリオン量産機は、防衛兵器としては役には立ちません。
しかし、侵略兵器としてはこれ以上ないということは分かっていますか?」
「まあ、電源の問題が無いわけですから」
「エヴァに対抗するにはエヴァを用いるしかありません。
そうなると、それを動かすパイロットの資質が問題となってきます。
はっきり申し上げれば、霧島さん、
あなたを手にしたものがキャスティングボードを握ることになるんです」
「……言いたいことは分かるのですが。
僕は、ネルフに敵対することはしませんよ。
それに、人を相手に戦いたいとも思っていません」
「そのことに対しては、少しも心配はしていません。
ですが、人の心は弱いものです。
立派な意思を持った方が、些細なことから崩れるのは珍しくないのです。
脅迫、誘惑、敵は巧みに罠を掛けてきます」
いいですねと確認する朝霞に、シンジはうんと頷いた。
「相手が若い男の場合、よく使われるのが女性です。
後は、正義感をくすぐることでしょうか。
霧島さんの場合、いまさら正義という言葉にはだまされないと思いますから」
「だから、女性がらみじゃないかと言うんですね」
「失礼なことは承知しています。
そして、失礼ついでに言わせてもらえば、興味があるのなら私に相談してください」
「……どう言うことですか?」
あまりに不穏当な発言に、シンジは思わず目を剥いた。
「そのための、避妊具ということです。
興味本位の相手なら、別に誰でも構わないでしょう?
それとも、私みたいなおばちゃんは嫌いですか」
「そ、そう言うことを言っているんじゃありません。
朝霞さん、あなた、自分が何を言っているのか分かっているんですか?」
「もちろん、分かっていますよ」
「だったら、なんでそういうことを言うんですか。
もっと、自分を大切にしてくださいよ」
そう言ったところで、シンジはひとつのことに思い至った。
「まさか、冬月さんが命令したんですか」
「可能性の示唆はされました。
霧島さんが、切れやすい性格だとも聞かされています。
ですが、なんの強制もされていません。
それに、この任務には私から志願しましたから」
怖い顔をしてにらみつけるシンジを、朝霞は顔色ひとつ変えないで受け止めた。シンジには、志願したという朝霞の言葉がにわかには受け入れられなかった。
「な、なんで、そんなことを志願するんですか……」
「勘違いしないでほしいんですけど、志願したのはあくまで随行員と言う役目です。
あなたとシタイと言っているわけじゃありません」
「そ、そりゃあ、そうでしょうけど……
でも、結果的には同じことを言っているじゃないですか!」
「そうかもしれませんが、嫌な相手とスルと言っているわけじゃないんですよ。
これでも、あなたのことは結構気に入っているんですから」
にこりともしないで言われると、冗談なのか何なのかシンジには見分けることができなかった。
シンジの渡米については、ミサトからアスカに伝えられた。1ヶ月という期間をミサトは伝えたのだが、期待した反応は返ってこなかった。
「シンジ君が居ない間、あなたにがんばってもらわないといけないのだけど?」
「もちろん、自分の役目は忘れないわ」
「なら、いいんだけど……」
でもと。
「見送りにいかなくてもいいの?」
「なんであたしが行かなくちゃいけないのよ」
「仲間だったら、別におかしなことじゃないでしょう?」
「……馴れ合うつもりは無いわ」
「馴れ合いとは違うと思うんだけど……」
ミサトはそう言うと、わざとらしく『そうそう』と言って手を叩いた。
「シンジ君の護衛にね、冬月司令の秘書が着いていくのよ。
24歳のものすごい美人だって。
24時間の密着護衛をするって張り切っていたわよ」
「だから?」
「『たべちゃっても構わないか』って聞かれたから、本人の意思を尊重すると伝えておいたわ」
「それで?」
「別に、それだけよ」
とてもそれだけではないような含みを持たせて、ミサトはふふんと笑って見せた。
「そう言うことは、あいつの近くに居る女の子に伝えるべきね。
私にそんなことを言っても、何の意味ももたないわ」
「本当に?」
「うそをつかなきゃいけない理由でもある?」
「私はあると思っているけど?」
「それは、勘違いというものよ」
少ししつこいと、アスカはミサトを追い払う真似をした。もちろん、そんなことはミサトには馬の耳に念仏と言うものだった。
「そう言えばさ、あたしと加持のことって話したっけ?」
「聞いては居ないけど、別に聞きたい話じゃないわ」
「そんなこと言わないでさぁ。
あたしね、大学で加持にナンパされたのよ。
それがきっかけで付き合い始めたんだけど、
やけに馬があっちゃってね、大学も出ないでセックスばかりしてたこともあったわ」
「だから?」
「あたしは加持君のことが大好きだったわ。
でも、自己分析してみると、父親に重ねていたこともあったわね。
でもね、結果的にはすぐに別れることになったわ……
ううん、あたしが加持を振ったのよ。
『他に好きな人ができた』って。
大嘘もいいところだったんだけどね」
「私は、聞きたいなんていっていないんだけど!」
「まあせっかくここまで話したんだから、もうちょっと聞いておきなさいよ。
アスカは、私のおなかにある傷を知っているでしょう。
あれは、私の背負った業だと思っていたのよ。
そんな業を背負った私は、父に似た加持におぼれることが怖くなったのよ。
あたし自身がおかしくなってしまうという思いと、
あたしの業を加持にまで背負わせて良いのかという思い。
その二つが苦しくなって、その苦しさから逃げ出すために嘘を吐いたわ」
そこでミサトは一息継いだのだが、アスカは何も口をはさまなかった。
「でも、結局加持のことを忘れることはできなかった。
なんとか記憶の中から消そうとは努力したのだけれど、どうがんばってみても完全には無理だった。
だから、私はそれを受け入れて、思い出という封印の中にしまいこむことにした。
とりあえず、それでうまくいったと思っていたわ……」
でもだめだったのだと、ミサトは告白した。
「そんなものは、全部私の強がりだったわ。
アスカのお供で加持君がやってきたとき、ずぇ~んぶすっ飛んじゃったわよ。
あとは、アスカの知ってのとおり、ずるずると関係を重ねていったわ。
それでも、いつでも切れる関係だと嘯いていたわ。
それが、強がりだと気づかされたのは、加持が死んだと思ったとき。
そのとき私は、父が死んだとき以来の激しい後悔をしたわ。
泣いて、泣いて、胸が張り裂けそうだった……」
「いいかげん、おしゃべりが鬱陶しいんだけど。
ミサトは、そんなのろけ話を私に聞かせてどうするつもりなのよ」
とても好意的とは思えない視線に、ミサトは『さあね』とあさっての方向を向いて見せた。
「誰かに話したくてね。
まあ、おとなしく聞いてくれそうなのがアスカしか居なかったのよ」
悪いわねと。
「暴れられる体だったら、思いっきり暴れているわよ。
ところで、用はもう済んだんでしょう?
だったらとっとと帰ってくれる?
万が一のために、体を早く直さなくちゃいけないんだから」
「いい心がけね。
じゃあ、そろそろお邪魔するわ」
そう言い残して、ミサトは病室の出口へと歩いていった。そして、扉を開いてまさに外に出ようというとき、ふと思い出したように一言付け加えていった。
「そう言えば、言い忘れたことがあったわ」
「……なによ」
アスカのまなざしは、とっとと帰れと訴えていた。
「私たちはね、全部知っているのよ」
何がとはミサトは言わなかった。だがアスカには、それが何のことを指しているのか分かっていた。
to be continued.