第十一話 そして

カーテンの間からは、まばゆいばかりの朝の光が漏れ出ている。その柔らかな光は、まだ眠りの神の傍らで安らかなひとときを過ごしている少女に目覚めの魔法をかけた……

瞼を刺激する朝の光にレイコは目を開いた。とは言え、昨夜の夜更かしのせいで、目覚めたとは言えいまだぼんやりとして居ると言うのが実態だった。そんなまどろみの感覚の中、レイコの脳裏に少しずつ昨夜の記憶がよみがえってきていた。浮かんでくるのは、肩を抱いてくれたシンジのぬくもり。それは、羞恥の感覚を伴って、レイコを急速に覚醒へと導いた。

「でも……」

恥ずかしいのだが、同時に心躍る記憶。しかし、その後が問題なのだ。レイコは、自分がどうやってベッドまで来たのか記憶がないのである。自分はこうしてベッドにいるし、ガウンも脱いで脇に畳んである。自分で脱いだのか、それともシンジに脱がされたのか。たいした問題ではないように思われるかもしれないが、今の少女には最大の問題でもあったのだ。
なんとか、昨夜の出来事を思い出そうとしていたレイコだったが、隣のベッドから聞こえてきた物音に反射的に顔を音のほうへと向けた。まさかシンジがそこに居るとは考えては居なかったが、自分の思い悩む姿をマナに見られたかもしれないことが気になったのである。はたしてそこには、にやつきながら自分を見ているマナの姿があった。

「お、おはようマナ……
な、何よそんな顔して」

はっきりと動揺して、レイコは朝の挨拶をマナにした。

「おはようレイコ、どうだった新婚初夜は?
お姫様だっこをせがむなんて、レイコもやるわね」

もちろん、せっかく捕まえたおもちゃをマナが開放するはずが無い。レイコが覚えて無いことを良いことに、彼女にとってN2爆弾にも匹敵するような言葉を浴びせかけたのである。もちろんレイコは、そのことを聞いたとたん、頭の中が真っ白になった。

「うそっ、そんな……」
「レイコったらお兄ちゃんの首にすがり付いて甘えていたわよ。
アタシ寝たふりするのが大変だったんだから」

しかし、記憶が無い以上反論も効果が無かった。もちろんマナはそれを見越しているのだから、攻撃の手を緩めるはずが無かった。真っ赤になったレイコをいたぶる姿は、たちの悪い小姑と言ったところだろう。

「えっ、えっ」
「ほーんと、レイコって思ったより大胆なのね。
レイコがお兄ちゃんをベッドに引っ張り込むんだから」
「……そんな、こと」

するはずがないと言えないのが辛かった。逆に、そうしたいと言う気持ちのほうが強いのである。

「レイコったら声が大きいしぃ」
「!」
「痛かった?」

もっとも、これはいささか攻め込み過ぎだった。さすがにいたしたかどうかぐらい、経験の無いレイコでも分かるのである。

「マ~ナ」

からかったなと睨みつけるレイコをよそに、マナは自分の作り上げた妄想の世界をひた走った。

「やさしくしてね。初めてなの」
「分かってるよレイコ」
「あんっ」

いささか危ないシーンに、同じ想像をしたのかレイコの顔がもう一度赤くなった。それでもほうっておくとどこまで行くか分からないと、レイコは大声を上げてマナの名を呼んだ。

「マ~ナ」

さすがに、今度のは効果があった様だ。いたずらな笑みを浮かべながらも、ようやくマナがレイコの顔を見たのである。

「なんでしょう。ニイヅマレイコさん」
「からかっているでしょう」
「何の事?」

レイコの追求にも、マナはしれっと白を切った。

「今の話全部よ」
「ようやく気付いたの?」
「ひどいわ、そんな嘘つくなんて」

本気で心配していたのにと。だが、レイコの怒りはマナの表面を滑っていくだけだった。

「そんな嘘なんて……レイコの願望を語ってあげただけよ。
でもレイコもからかいがいがあるわね」

にひひと笑うマナに、三度レイコの顔は紅潮した。

「ひどいじゃないマナ」
「でもお兄ちゃんがレイコをベッドに運んだのは本当のことよ。
ガウンはアタシが脱がせてあげたけどね。
ほ~んと、レイコって純情よね。
せっかくお兄ちゃんと二人っきりになって、
その上肩まで抱かれたのにキスの一つも迫らないんだから」

きししと笑うマナに、レイコの顔は真っ赤なままだった。

「見てたの」
「ええ、しっかりと
『もう少しだけ、こうさせていてください』な~んて言っちゃって。
そのくせ、お兄ちゃんに寄りかかって寝ちゃうし」

その光景が想像できるだけに、レイコは頭を抱えてしまった。なんて間抜けなまねをしてしまったのだろうと。そんなレイコに、マナは抱きついていった。

「レイコちゃん可愛いっ」
「もうやめてよ」
「い~やっ。面白いんだもん」
「マナ~」

結果、じゃれあうような少女達の声が、スイートルーム中に響き渡った。

***

別室が与えられなかったこともあり、男達も同じスイートルームに滞在していた。もちろん、彼女達の部屋とは2つの扉が間をさえぎっているのだが。だが、そんな扉もなんのその、少女達の黄色い声は、男達がぼんやりとしているベッドルームにも届いていたのである。

「隣はにぎやかだな」

すでに着替えを終えたムサシが、寝ぼけまなこのシンジに向かってぼそりと言った。

「そうだね」

シンジは、レイコとマナが夜遅くまで起きていた事を知っている。まだ目が覚めきらない自分とは違ったその元気さに、シンジは空恐ろしいものを感じていた。それにも増してすごいのは、前夜の鯨飲にも関わらず、それを微塵にも感じさせないムサシである。一度ミサトと勝負させたいとも思うが、その後始末を考えると二の足を踏むのも事実である。

「彼女の見舞いに行ってくるんだろう」
「うん、朝食をとったら行ってこようかと思うんだ」
「そうか、うまく行くといいな」
「……ああ」

ムサシの言葉に、ほんのわずかだがシンジの答えるのに遅れた。シンジの中にある僅かな恐れが、相づちを打つ事を躊躇わせたのである。しかしムサシは、そんなシンジに気づかないように話を続けた。

「見舞いの間は俺達は適当に時間をつぶしておく。
それに今日からの家の片づけもあるしな」
「悪いね、任せちゃって」
「気にするな、どうせ暇なんだから。
それにどうもこういったベッドというのは落ち着かんからな。
俺も早く畳の部屋で寝たいんだ」

そう言ってムサシは、大きく伸びをした。そんな親友に、シンジは嘘付けと突っ込みの言葉を入れた。

「嘘じゃない、俺はこう見えてもデリケートなんだ」
「こう見えてもって、自分で言うか?
まあとにかく、片付けのほうは願いしておくよ。
その後合流して買い物に行かないか。
いろいろと入用なものがあると思うから」
「それもそうだな。
待ち合わせは病院にしないか?
その方がシンジもゆっくりと出来るだろう」

少し考えたが、そうだなとシンジも同意した。

「悪いな気を遣わせて」
「俺達の間で水臭いことを言うな。
そうと決まったらさっさと飯でも食いにくか。
放っておくとあっちは何時までもあのままだからな」

いまだ響いている黄色い声に、ムサシはそろそろ止めに入ろうと提案した。

「確かにね」

その点に関しては、シンジも同じ意見だった。

***

「支払いの方はネルフという事で承っています。ハイ」

いくら良く訓練されたフロント係でも、笑いの衝動を抑えるのには苦労したようだった。高校生ぐらいの男女2組、ネルフがらみであるから普通ではない事は判っているが、それでも一人の少年の頬についた季節はずれの紅葉は彼女の笑いのつぼを刺激したのでる。だが、そんな周りの反応は、ムサシの機嫌をますます悪いものにした。

「納得がいかん」

しかし、ムサシの追求は、なぜだか直接の加害者ではなく、何事も無かったかのように隣に立つ親友へと向いていた。

「な、なんだよ……」

僕は何もしていないと、シンジは矛先が違うだろうと抗議した。だがムサシは、これで正しいのだとシンジの頬を指差した。

「何故シンジは無事なんだ」
「そりゃあ、兄弟と他人の違いよ。
あの程度で叩いていたら、お兄ちゃんの顔は今頃2倍に腫上がっているわ」

シンジの代わりに答えたマナに、わが意を得たりとムサシはにやりと笑った。

「いや、俺が言いたいのはだな。
マナが俺を叩くのはまだ判る。
だが、同じように見られたレイコが何故シンジを叩かん。
それが理不尽だと言っているんだ」

今度は、マナがにやりと笑って見せた。

「そりゃあ、新妻レイコさんが愛しの旦那様を叩くわけないじゃない。
レイコったらムサシが寝ている間に、お兄ちゃんに身も心も捧げたんだから」

衝撃の事実、と言うことも無いのだが、ムサシはわざとらしくのけぞって見せた。

「い、いつのまに……お兄ちゃんは許さんぞ」
「兄さん、許すも許さないも私たちはそんな……」

そんなことは無かったのだと言うレイコの弁解も、ムサシの耳には届いちゃいなかった。

「だめよ、愛し合う二人を邪魔しちゃあ。
そんな事をするからムサシの春が遠ざかっていくのよ」
「そういうマナこそ浮いた話を聞かないがな」

突込みには突っ込みを。だが、マナはそんなムサシの突っ込みに大きくため息を吐き出した。

「こういった兄を持つと、回りの男がつまらなく見えるのよ。
その点レイコは、これだからすぐに見捨てて他の男に走るのよ」

これと、マナはムサシを指差した。

「そんな他の男だなんて……」
「なるほど、妹がこれだからシンジも他の女に走るのか」
「どういう意味よムサシ」
「聞こえたとおりの意味だが?」
「ねえ、ちょっと二人とも……」

なにか話がおかしなほうに向かっている。レイコはあわてて止めに入ったのだが、肝心の二人の関心は別なところに向いていた。

「やはり、のりが悪いな」
「すぐ、内に篭るから……」

誰がなどと今更言う必要も無い。二人の視線は、まっすぐにシンジを捕らえていた。

***

「しっかりと頑張って来るのよぉ~」

マナの場違いな声援を受けて、シンジは迎えに来ていた車に乗り込んだ。その手には、マナによって見繕われた、過剰といって差し支えない巨大な花束が抱えられていた。

「ごゆっくり~」

もういちど、マナの勘違いとしか思えない声がホテルのロビーに響いた。その場に居合わせた客達は、何事かと振り返ったのだが、彼女達はそんな視線を気にしなかった。問題なのは、時間とともにどんよりとした雲をまといだしたシンジのことだった。

「俺は、あいつのことが良く分からん……」

会いに行くのが辛いのなら、こんなにあわてて会いに行く必要も無いだろうと。

「シンジさんは……」

そんな兄に向かって、レイコはぽつりと自分の考えを言った。

「逢いたいと思っているんです。
逢って、謝って、いろいろなお話をして……」
「でも、それにしては気が乗らない様子ね?」

どう見ても、逆にしか見えないとマナは口を挟んだ。

「それと同じくらい、逢うのが怖いんだと思います。
ずっと望み欲していただけに、それをなくしてしまったらと考えて……」
「なるほど、我が兄ながら、見事なネガティブシンキングね……」

最近鳴りを潜めていたのになぁと。でもさあと、マナはレイコは何を望むのかと聞いた。

「私は……二人が、理解しあえたらと思っています」
「でもさ、レイコは本当にそれで良いの?
そうなったら、お兄ちゃんはあの人のものになっちゃうよ。
いっそのこと、思いっきり拒絶されたお兄ちゃんを、
レイコが慰めてあげたほうが良いんじゃないの?」

そうすれば、今までためてきた思いが成就するだろうと。だがレイコは、それだけは願ってはいけないことなのだと首を横に振った。

「そんなことになってしまったら、シンジさんから笑顔がなくなってしまいます。
私は、二度とシンジさんにそういう風になってもらいたくないから……」

レイコの言葉に、マナは兄に向かって心の中で『バカヤロー』とつぶやいていた。

***

『ありがとう、霧島さん』

それが、アスカの元を訪れたシンジに浴びせられた言葉だった。恋人に渡すとしか思えない花束を受け取ったアスカは、にこりと笑ってそれを傍らのテーブルに置いた。その後に、アスカの口から出た言葉がそれだった。

「アスカ……」

そのあまりにもよそよそしい響きに、シンジは思わずアスカの名を呼んでいた。

「なにか、御用ですか?」
「いや、少し話がしたいんだけど?」
「それは構いませんが……
あまり体調が優れませんので、手短にしてもらえますか?」

それでと言うアスカに、いきなりシンジは言葉に詰まることになった。拒絶や拒否、罵倒までは覚悟していたのだが、このよそよそしさはある意味それらよりもシンジには堪えた。

「……えっと、久しぶりだね」
「そうね?」

そんなことが言いたかったわけではないのだが、シンジの口からは思ったように言葉が出てきてくれなかった。

「ははっ、アスカといろいろ話したいことがあったんだけどね」
「それで?」

まったく感情の揺らぎを見せないアスカに、シンジはさらに追い込まれることになった。もともと会話が得意とはいえないシンジには、今のアスカの相手をするのは荷が重すぎると言えただろう。何しろアスカの側には、会話を成立させようと言う気がまったく見えないのである。

「ごめん……、僕はずっとこう言いたかったんだ」
「あなたに、謝られる理由は無いんだけど?」
「いや、アスカを置いていなくなったりとか……」
「別に、私達の関係から考えたら、一緒に居なければ行けない理由は無かったと思いますが?
でも霧島さんが謝りたいという理由は分かりました。
私は、あなたの謝罪を聞きましたから、これで満足されましたか?」

アスカの言葉に、シンジはますます追い詰められた。これでは話を続けようにも、彼にはどうしようもなくなってしまうのだ。

「いや、そうじゃなくてアスカ……」
「では、何でしょうか?」

何とか話のきっかけをつかもうとするのだが、つるつるとすべるアスカと言う壁は、シンジに何も手がかりを与えてくれなかった。

「か、体の方はど、どうなの?」
「おかげさまで、と申しますか……
残念ながら、まだ体調は優れません」

だから帰れと、シンジにはアスカの目がそう言っているようにしか思えなかった。

「そ、その、アスカ……」
「なんでしょう?」
「昔みたいに、シンジって呼んでくれないんだね?」
「そう言う関係ではないと思いますが?」

それに、と。

「私には、ドイツに恋人が居るのですよ。
へんな期待を持たすのは良くないでしょう?」
「恋人が、居るんだ……」
「あれから3年経ったのですよ。
別におかしなことではないと思いますが」

あなたにも居るのでしょうと。

「ぼ、僕はアスカのことが忘れられなかったから……」

だから居ないと、シンジは言い切った。その瞬間、アスカの瞳が僅かに揺らいだのだが、必死に言葉をつなごうとしていたシンジは、それに気づくことは無かった。

「そうですか……
それならば、はっきりさせたほうが良いのですね。
私には恋人が居ます。
そして、その関係はうまくいっていました。
私のことを思っていただくのはうれしいのですが、
望みの無い思いは、あなたにも良いことではないでしょう?」
「以前のように、話せるようになるのかな?」
「お互いパイロットですから、その付き合いはあるのではないでしょうか?
ですが、私はそれ以上のお付き合いをしたいとは思いません。
お願いですから、私に付きまとうような真似はしないでくださいね?」

言う言葉の丁寧さとは裏腹に、アスカの答えはシンジに取り付く島さえ与えないものだった。シンジに出来たのは、再び見舞いに来ることを口にするだけだった。

***

決して見たい光景ではないが、見ないわけには行かなかった。そして、こんなことなら見るんじゃなかった。それが今の葛城ミサトの心境だろう。いきなりラブラブになるとはさすがに想像していなかったのだが、それでもお互いが許しあい、一緒に歩こうという結論に達すると期待していたのだ。キスの一つや二つぐらい余禄があるかもしれないと考えていた。しかし、突きつけられた現実は、それとは正反対のものだった。

「なんで……」

苦虫を噛み潰したような顔をするミサトに、傍らに居たリツコは分かっているはずだと突き放した。だが、ミサトは分からないと首を激しく横に振った。

「だって、アスカはシンジとやり直すためにエヴァに乗ったんでしょう?
それなのに、どうしてあそこまで拒絶しなければならないのよ。
それに、あんな嘘までついて……」
「それが、現実ってことよ」
「だって、加持はそんなことを言っていなかったわ!!
アスカは、シンジ君のことが好きなんでしょう!!」

大きな声を出したミサトに、だからどうしたのだとリツコは冷たく突き放した。好きだから、どうなのだと。

「矛盾しているわよ。
せっかくシンジ君が歩み寄っているのよ、手を差し伸べているのよ。
だったら、その手をつかめば良いじゃない」
「苦労すると分かっていて?」
「なんでよ!シンジ君はアスカを大切にするわよ!!」

ミサトの言葉に、分かってないわねとリツコはため息を吐いた。

「苦労するのはシンジ君のほうよ。
それが分かっているから、アスカは死ぬほど望んでいるその手を取れなかった。
いえ、とってはいけないと考えたのよ。
心の中で血の涙を流しながらね」

それにと。

「アスカは、自分のしたことをほっかむりしては生きていけないのよ。
いくら私たちが助けたところで、あの子はそれでよしとできない。
シンジ君に優しくされればされるほど、あの子の中では罪悪感が大きくなっていくのよ」

それは決して幸せなことではないと、リツコは断言した。そして、リツコはアスカの選択に賛成だと言った。

「なんでよ、アスカが幸せになっても良いじゃない。
リツコは、あの子がどれだけ苦しんだと思っているのよ!」
「そんなことなら、言われなくても分かっているわ。
でも、あの子のしでかしたことも事実なのよ。
ドイツ支部の何千人もの職員は、あの子の自爆によって失われたわ。
その人たちに、何か罪はあったの?」

そう言われると、ミサトも黙るしかない。アスカが何千人もの命を奪った事実は、消しようの無いことなのである。もちろんそれが、使徒を倒すためのぎりぎりの選択などで無いことは彼女達には分かっていたのだ。

「だからと言って、このままじゃ悲しすぎるじゃない。
シンジ君もアスカも、お互いを求め合っているのよ。
それなのに、こんな結末じゃ……」
「気がすまないって?
でも、それってあなたの勝手な思い込みでしょう?
そうね、罪悪感と言い換えても良いかしら?
二人がくっつきさえすれば、あなたの気も楽になるでしょうからね」
「そんな言い方ってっ!!」

大声を上げようとしたミサトだったが、リツコの冷たいまなざしにそれもできなくなってしまった。

「本心を言い当てられたからって、そんなに興奮しないで欲しいわ。
それにね、私だってあの子達がこのままで良いなんて思っていないわよ。
でも、最後に決断するのはあくまであの子達なのよ。
アスカが、シンジ君と一緒に生きて生きたいというのなら、
あたしは、世界を敵に戦ってあげるわよ」

それが、大人としての自分の責任だとリツコは言い切った。

「でもね、本人がその気になってくれなくちゃ、どうしようもないじゃない」

そして、それが一番難しい問題なのだと。

***

3年前に戻ったようだ。病院の待合室で、まるで幽霊を見たように青い顔をして、おぼつかない足取りで現れたシンジに、3人は思わずお互いの顔を見合わせていた。見舞いの結果など、今更尋ねる必要もなかった。

「ごめん……待たせたね」

3人の顔を認めたシンジは、遅くなったことを詫び、買い物に行こうと口を開いた。

「ああ、そうだな」

そんなシンジの言葉に、いつもの通りムサシは同意すると、先頭に立って歩き始めた。マナは、こう言うときにムサシが居てくれて本当に助かったと感じていた。自分とレイコならば、まず慰めの言葉を吐いてしまいそうなのだ。そして、その言葉は、決してシンジの慰めにならないのである。
マナは、シンジとムサシから少し離れてレイコと後を追った。

「レイコは、何が有ったんだと思う?」
「……私には、分かりません」

でもと。

「シンジさんにとって、とてもショックなことが有ったんだと思います」
「アスカさんに振られたとか、他に男が居たとか?」
「……それは違うと思います。
そんなことなら、シンジさんがあんなに落ち込むはずがないと思いますから」
「でもさ、兄貴ってレイコの誘いにも乗らないくらいに一筋だったんでしょう?
だったら、その思いが破れたってことで、落ち込むことが有ってもおかしくないんじゃないの?」
「でも、シンジさんは3年という年月のことをちゃんと理解していました。
それに、自分が思っているのだからと、それを理由にするほど夢想家でも有りません」
「だったら、何が有ったとレイコは思うのよ」
「だから、私には分からないと言って居るんだけど……」

レイコの言葉に、そうだったわねと舌を出した。

「しかし困ったなぁ、こう言うときに父さん達が居ないなんて……
さすがに、あたしが添い寝してあげるわけにも行かないじゃない」

2年ちょっと前には、よくそう言うことがあったのだと思い出したようにマナはつぶやいた。そして、いかにもわざとらしく手をぽんと叩いた。

「じゃあさ、レイコが添い寝してあげるってのはどう?
なんだったら、行くとこまで行っちゃってもいいしさ。
少なくとも、両家の親族の誰も反対しないんだからさ」

なにが「さ」なのか分からないが、マナはそう言ってレイコをけしかけた。だがレイコは、シンジが自分を相手に選んだのなら躊躇う理由もないが、隙につけ込むのは嫌だと言い返した。

「なんでよ、誰かに慰めて貰いたいって時は有るでしょう?
それに、慰めたのがきっかけで、その後くっついちゃうのも珍しくないわよ」
「別にそう言うことがおかしいって言っている訳じゃないの。
ただ、押し売りをしたくないだけなのよ」
「今のシンジさんには、兄が付いているわ。
無理矢理男女の関係を持ち込むこともないし、
そんなことをしたら、余計にシンジさんを傷つけることにもなりかねないの」

だから、今は見守るだけなのだと。だがマナは、そんなレイコに批判的だった。

「ちょっと気に入らないんだけどさ。
レイコって、お兄ちゃんのことが好きなのよね?」
「そうよ」
「本当に、お兄ちゃんのことが好きなの?」
「どうして、そう言うことを言うんですか?」

だってと、マナは信じられないと感じた理由を答えた。

「だってさ、本当にお兄ちゃんのことが好きなら、
なんで、なりふり構わず誘惑しないのよ。
今のレイコって、まるでお兄ちゃんの親みたいな考え方よ。
あたしがレイコだったら、この機会は絶対に逃さないわ。
間違いなく、今晩中に関係してやるから」
「それでは、シンジさんの心の中にはずっとアスカさんが居ることになりませんか?
私は、他の女の人の影に怯えるのは嫌です」
「そんなもの、少しずつ追い出していけばいいじゃない。
レイコみたいにきれい事を言っていたら、お兄ちゃんをものに出来ないわよ」
「きれい事、かも知れませんね。
でも、それが私にとって譲れない一線なんです」
「じゃあさ……うううん、別に何でもない。
それより、置いてかれないように急ごうか?」

マナは、唐突に話を打ち切ると、レイコに先立って駆けだした。それは、口に仕掛けた言葉をごまかすようでも有った。しかし、それは全く成功していないように見受けられた。

「別に、マナが遠慮する必要もないのよ」

レイコの言葉を、マナは聞こえない振りをして二人を追いかけた。

to be continued?