第八話 目覚め……再会(前)

シンジは、新第四使徒が自分の方を振り返えるのに合わせるように、ウエポンラックからプログナイフを取り出した。まだ両者の距離は遠く、シンジの間合いには入っていなかった。もちろんシンジの間合いという範疇である。だが、すべてを切り裂く使徒の触手は、その距離を問題とはしなかった。まるで過去の繰り返しのように、何かがきらめいたと感じたとき、8号機の周りの建物が綺麗な切断面を見せて滑り落ちるようにして崩れ落ちていった。
だが、そんな破壊の中でも、7号機は何事もなかったかのようにその場に佇んでいた。

「あの頃は目にも止まらなかったのに」

シンジにとって、初めての時はすべてが恐怖だった。だが、ムサシ達との厳しい訓練は、彼を剣士へと変貌させていた。そんなシンジの目には、ただ振り回されただけの攻撃など、今更驚異と感じるものではなくなっていたのだった。繰り返し振り回される使徒の触手を、シンジは軽いステップでかわし、そして一瞬の間を見つけ縮地の速度で使徒の横をすり抜けた。そのとき使徒のコアにプログナイフを突き立てたのは、行きがけのお駄賃に等しいものだった。あまりにも無防備に晒されたコアは、攻撃してくださいと言っているようなものだったのである。だが、行きがけのお駄賃だろうとなんだろうと、コアに突き立てられたプログナイフは、一瞬にして使徒を殲滅せしめるものだった。

「こんなことのために稽古したんじゃないんだけどなぁ……」

その結果は、シンジにとって誇らしいものではなかった。結果的に役には立ったが、鹿児島での鍛錬はこのときのためではなかったのである。シンジは、発令所からの連絡を受けて、ミサトへと回線を開いた。

「ミサトさん、7号機を回収します。
回収ルートの指示をお願いします……」

だが、そのとき何かがシンジの感に障った。使徒を倒した安堵よりも、何か困惑に似た空気が伝わってきたのである。その原因が分からないシンジは、先に回収したケンスケの身に何かあったのかと想像した。だが、ミサトは、はっきりとそれを否定した。

「ご苦労様シンジ君。
彼は無事よ……7号機の回収には23番ルートを使ってちょうだい」

だが、ミサトの短い言葉からも、何かただならぬ出来事が起きているのは明らかだった。だが、今は7号機を収容することが先決と、シンジは追求をあきらめることにした。

「戻ってから聞けば良いか……」

シンジは、7号機を抱えて指定されたゲートへと飛び込んだ。

***

なぜシンジに本当のことを話さなかったのか、ミサトの中にあるシンジという少年の姿が影響していたことは確かだろう。見た目は確かにたくましく成長しているのだが、精神的にどれだけ変わったのか疑問もあったのだ。いくら鮮やかな手際で使徒を倒したとしても、その疑念が完全に晴れるものではなかったのである。
小さなため息一つ吐いて、シンジとの通信ウィンドウを閉じ、ミサトは日向マコトに残された時間を尋ねた。

「あと約1時間50分です」

その答えに、ミサトは小さく唇をかみしめるとリツコへと振り返った。

「ねえリツコ……例のポジトロンライフル使える?」

期待を込めたミサトの言葉に、リツコははっきりと、そして間違いようもなく無理だと答えを返した。

「三つの点で無理ね。
まず一つは、そこに捨てられているから
精密機械よ、あんなことされたら調整に嫌ってほど時間が掛かるわ」

リツコはスクリーンを指差した。そこには、7号機によって投げ捨てられたポジトロンライフルが転がっていた。

「そして次の理由が、今からじゃ電力の徴収が間に合わないこと。
それに、ネルフにはそんな権限もないわ。
そして最後の理由が、射手をガードするものがないこと。
今、戦えるパイロットはシンジ君だけよ」

一つ一つが解決の余地がないものである。黙ってリツコの言葉を聞いたミサトは、ならば何かほかの手段がないのかと聞き返した。だが、返ってきた答えは絶望を再確認するだけのものだった。

「さっきも言ったでしょ。
そんなに都合よく、強力な武器が出て来るわけないじゃない」

わずかな時間稼ぎすらその手だてがない。使徒と言う脅威が無くなったものだと安心していたつけが、今目の前に突きつけられたのである。それでもミサトは、どこかに打開の手段がないかと必死に頭を働かせていた。少なくとも、シンジという戦力は、以前に比べて遙かに使えるものになっているのだ。その戦力を有効に生かす手段はないのか?そこでミサトの思考は、果てしないループへと落ち込んでいった。

***

発令所に戻って来た加持とムサシは、そこを包み込んだ重苦しい空気に驚かされることになった。時間の経過から考えると、すでに戦闘は終わっていなければならないはずだった。もしかしてシンジの身に何かあったのか、加持はその答えを得るべく相方へと声を掛けた。

「無事よ。新第四使徒を殲滅して7号機を回収したわ」

だが、加持に答えを与えたのはリツコの方だった。そしてリツコは、加持の目に浮かんでいた疑問の色に気づいたのか、黙って前方のスクリーンを指さした。そこには、真っ青な空を背景にクリスタルで出来たような8面体の物体が浮かんでいた。

「第5、使徒なのか……」

なんてことだと、加持は小さくつぶやいた。少なくとも、今までの2体の敵に比べて、遙かにやっかいな敵なのだ。加持の記憶の中には、エヴァだけでの勝利は不可能という過去の記録だけが残っていたのである。

そのとき冬月は、新たな使徒をどう叩くかではなく、使徒が来襲する理由に悩んでいた。すでにネルフには、アダムもリリスもない。しかも、支部まで襲われているとなれば、“ここ”だけが特殊であるとは考えにくいのである。だが現実に、ネルフ本部を立て続けに3体の使徒が襲ってきているのである。そこに必ず理由が存在するはずだと、冬月はその謎を負っていたのである。

だからといって、目の前の事態に無関心でいるわけには行かなかった。戦いを避けるために、撤退という手段があるにはあったのだが、しかしながら、撤退と言う選択を冬月もミサトもとろうとはしなかった。もちろん、何か撃退の妙案があったわけではない。執拗に使徒に狙われることに、この場を放棄することが重要な意味を持つのではないかと考えたのである。しかし、策もなくここに居続けることは、犬死にを意味することもまた同じだったのだ。

打開の糸口がないことに、発令所の中は重苦しい空気に包まれていた……

その重苦しい空気の中、シンジは発令所へと戻ってきた。その姿を助けと感じたのか、二人の少女はすぐさまシンジの元へと駆け寄った。

「おにいちゃん」
「シンジさん」

勝利に対する高揚感は、発令所のどこにもなかった。そして、何かにおびえたような少女達の姿に、なにかただならぬことが起きているのだとシンジは感じ取った。

「シンジさん、あれ……」

そして、レイコによって示された先に、シンジはすべての答えを得ることが出来た。

第5使徒、いや、今は新第5使徒と言った方がいいのかもしれない。その名前はどうであれ、その力が彼の記憶の通りのものであれば、全員が絶望的な気持ちになるのは理解することが出来たのだ。エヴァによる直接の戦闘に持ち込むことも出来ず、長距離からの陽電子砲による射撃で何とか退けた相手である。だが、同じ作戦を採ることが、今のネルフには不可能であることをシンジもまた理解していた。

「ミサトさん」

シンジは、じっとスクリーンを睨み付けているミサトに声を掛けた。しかし、ほかのことに注意が回らなくなっているのか、ミサトからはなんの答えも返ってこなかった。仕方が無くシンジは、ミサトから視線をリツコに転じた。だが、あきらめにも似た表情でスクリーンを見つめているリツコに、今更ながら事態の深刻さを思い知らされた。

「NN兵器ではだめなんですか」

そんな沈黙の中、ムサシが口を開いた。戦自の事情を知るだけに、その兵器の破壊力はムサシでもよく知るところだった。しかし、リツコはそれでは役に立たないと即座に返答した。

「使徒のところへ届く前に打ち落とされるわ。
それに、もし届いたとしても使徒に傷一つつける事はできないわ」

そうなると、素人であるムサシは何も言うことが出来なくなってしまう。改めて、目の前で起きていることが、自分の理解を超えていることを思い知らされたと言って良いだろう。見ていることしか出来ない自分に、ムサシは非力さを嫌と言うほど感じさせられていた。
ムサシが黙り込んでしまった横で、シンジは自分に何が出来るのかと必死で考えていた。通常兵器や戦自の支援を使った攻撃なら、それはミサトの方が遙かに有効な手だてを考え出すことが出来るだろう。ならば、自分はミサトに考えつかない、エヴァを使った作戦を考えればいいと。そして、一つだけシンジは自分に出来ることをその中で見つけた。

「ボクが出ます」
「駄目よ、加粒子砲の餌食になるだけよ」

シンジの言葉を、ミサトは言下にそれを否定した。少なくとも策のないまま出撃させれば、遠距離からの狙い打ちですべてが終わってしまうのである。だが、シンジは、それでも自分が出撃すると主張した。

「僕には、一つだけ敵を倒す方法があります。
それに、敵の攻撃だって、来ると分かっていればよけることも出来ます」
「避けて、どう敵を叩くと言うの?」
「敵の攻撃を避けて、次第に使徒に接近。
ATフィールドを中和した上で、近接戦闘で使徒を仕留めます」
「そんな単純な……」

シンジの提案に、ミサトは思わず絶句していた。それをシンジは簡単そうに言ったのだが、口で言うほど簡単なことではないのは明らかだった。しかしその一方で、新第4使徒との戦いで見せたシンジの動きに、ほかに方法は無いのかとも思い始めていた。それでも、何か自分の心に引っかかりを感じても居た。

「ほかに方法があれば、それに従います」

それは、ほかに方法がないことを知ってのシンジの言葉だった。ミサトは、しぶしぶその提案を受け入れるしかなかった。それならばと、シンジはリツコに武器の要望を出した。

「リツコさん……エヴァサイズの木刀みたいなのを準備できますか」
「ソニックグレイブを切断すれば可能だけど、時間的に無理ね。
今からだと半日かかるわ」

突然の質問に驚いたリツコだったが、すぐさま時間的に難しいと答えを返した。

「振り回すぶんには歯の方と柄の方、どちらが丈夫ですか」
「柄の方ね、でもどうして」

なぜそんな質問をするのかと、リツコは逆にシンジに聞き返した。

「切れないなら折ればいいんです。
両手が要りますから7号機のパーソナルパターンの書き換えてください。
多分初号機の時のままでいいと思いますから。
それに少し位なら自分で押え込みます」
「乱暴なやり方ね。
でも、ほかに選択肢はないようね」

リツコは、会わなかった2年という月日が、シンジという少年を変えたことを理解した。以前の彼ならば、決して自分からこんなことは言ってこなかったのだ。
リツコを納得させたシンジは、もう一つとミサトに向き直った。そして、アスカの病室はどこかと尋ねた。出撃前に面会しておきたいのだと。

「えっ、あっ、いいわよ、作戦開始は1時間30分後だから1時間、時間をあげるわ。
アスカなら501号室よ。多分寝ているから変なことしちゃだめよ」

心の中に生じた引っかかりを考えていたミサトは、突然シンジに声を掛けられてことにあわててしまった。そのためつい、いらぬことを口走ってしまったのだが、そのとたんシンジの表情が少しこわばってしまったことに後悔することになった。自分が、シンジの古傷をつついてどうするのだと。
だがシンジは、すぐに何事もないような顔をしてミサトに言い返した。

「何を言っているんですかミサトさん。
どうせそこで覗いているんでしょう」
「まあ、そりゃねぇ」

少し引きつった笑顔を浮かべて、そうだわねとミサトは調子を合わせた。そして、そんなつもりはなかったのだが、アスカの病室をモニタしなくてはと言う気持ちになっていた。シンジがいたずらするとは思っていない。そこでのシンジのつぶやきに、何か自分の感じているものへのヒントがあるのではないかと考えたのである。

「趣味、悪いですよ。
じゃあ、行ってきます」

覗いている事をすんなりと認めたミサトに、シンジは苦笑いでそれに答えた。そしてそのまま発令所を後にした。

マナとレイコは、シンジの様子がいつもと違っていることに気が付いていた。しかし、その正体にまでは思い至らなかった。そしてその正体を確かめるべく、二人は出て行くシンジの後を追おうとしたのだが、今度はそれをムサシが遮った。

「俺が行く」

ムサシは一言そう言うと、シンジの後を追って発令所を出ていった。

ミサトはシンジを見送りながら、自分の感じている不安が何なのかを考えつづけた。別にシンジが、アスカのところに行くことは不思議なことではない。だが、ここにいたって自分から言い出したことに、何か意味があるのではと思えてしまうのである。

「シンジ君は何を……!」

そう口にしたところで、ミサトはその理由を思いついてしまった。いくら成長したとはいえ、相手は飛び道具を使うのである。そんな相手に対して、言うほど簡単に接近できるはずがない。よくして相打ちというのが、圧倒的に強力な武器を持つ相手との戦いなのだ。
しかしミサトは、そのことに思いついてもその場を動くことは出来なかった。シンジを止めようにも、代わりとなる作戦が思いつかないのである。ならば、指揮官として最良と考える作戦を実行するだけなのである。たとえ、自分がどのような汚名を着ることになったとしても……

***

いくらムサシが行ったとしても、それで少女達の気持ちが収まるわけではなかった。ムサシの出て行くのを見つめていたマナは、それで良いのかと隣に立っているレイコに詰め寄った。マナの剣幕とに驚いたレイコは、少し逃げ腰でなんのことだと聞き返した。

「ついて行かなくてよ。
ムサシったら、勝手に仕切って。
後でとっちめてやる」

マナは思い出したらよけい腹が立ったのか、憤懣やるかたないような顔をした。

「でも、シンジさんの大切な人のところへ行くんでしょ。
だったら私たちは行かない方がいいわよ」

レイコの反論にも、マナはそんな問題じゃないとばかりに口調が厳しくなっていった。

「じゃあ、ムサシは何なのよ。
それにお兄ちゃんは、ついてきちゃだめとは言っていないわ」
「それはそうだけど」

あと一押し、そう思ったマナはある意味レイコにとっての殺し文句を吐いた。

「レイコが、お兄ちゃんのことをあきらめるのなら別に良いんだけど」

そう言ってレイコに背中を向けたマナは、その顔に意地悪な笑みを浮かべていた。レイコの気持ちが簡単に割り切れるものでない以上、そう言えばレイコが乗ってくることは分かり切っていたことなのだ。マナは、レイコの答えを聞くまでもないと、加持に向かってにっこりと笑って見せた。

「あたし達もアスカさんのところへ行きたいんです。
連れていってくれますよね」

形こそお願いだが、加持はそのお願いにあらがいきれないものを感じていた。若くても、女性は向こう岸の存在なのだと。しかも、助けを求めようにも、ミサトは自分の考えに没頭しているのだ。仕方がないと、加持は少し引きつった笑いを浮かべ、二人に着いてくるようにと言った。

***

さすがに30を過ぎると、女子高生の扱いは苦手と見える。そのため加持にしては珍しく、黙ったまま病院の通路を歩くことになった。もちろん、だからといって現役女子高生の追求から逃れられるはずはなかった。

「ねえ……加持さん……でしたよね」

そしてマナもまた、せっかくの獲物を逃すはずもなかった。マナは、これまで貯まっていた疑問の答えを求めるべく、その刃を加持へと向けた。

「なんだいマナちゃん」

もちろん、苦手であっても遅れはとらない。さりげない一言で、加持はマナの虚をつくことに成功した。一方のマナは、いつ自分の名前を教えたのかとふと考えてしまった。しかしそれは小事であると、すぐに気持ちを切り替えて貯まっていた質問を続けた。

「アスカさんとお兄ちゃん……どんな関係だったんですか」

そう来たか。それが加持の正直な感想だった。そして、そのストレートな質問に、やはり若さだなと納得もしていた。こう言ったデリケートな話は、もうちょっと搦め手から攻めるのが筋なのである。とは言え、加持としては二人の理解者を増やしておくことも必要かといきさつを話すことにした。もちろん、その過程で情報を引き出すことも忘れては居なかった。加持としても、受けていた報告以上の家族の話というものが聞きたかった。

「シンジ君には何も聞いていないのかい」

そのため、ずるいとは思ったが加持はシンジを持ち出した。そして、その効果は予想通り、マナは少し勢いを殺がれた形でうつむいた。

「お兄ちゃんが家に来たとき、苦しんでいたのを覚えているんです。
だから、お兄ちゃんにその時のことを聞くのが怖くて……
いつかお兄ちゃんが話してくれる……そう思って待っていたんです。
だから私が知っているのは他の人から聞いた話だけ……
お兄ちゃんとアスカさんのことは私、知らないんです。
お兄ちゃんにとって特別な人だと言う事はなんとなく理解できます。でも……」

なるほど、家族の関係はうまくいっているのだなと。加持は、マナの様子にそう確信した。だから加持は、何か言葉を続けようとしたマナを手で制し、自分の知っていることを話しだした。

「あの二人の関係は、実のところ俺にもよく分からない。
お互いを強く意識していたが、恋人と呼べるようなものではなかったのは確かだ。
それに人を好きになること、人から好かれること……それを知るには二人の心は病んでいた」
「どういうことですか」

少し自分の想像からはずれたと感じたのだろう、マナはどういう意味なのかと加持に確認した。

「二人は、愛情と言うものを知らずに育ったんだ。
周りの大人は二人を道具としか見ていなかった。
だから二人が受けて来た愛情は歪んだ形しかなかった。
それでも知らずにすんでいればよかった……でも二人は知っていたんだ優しくされる訳を。
二人の生きてきた14年間はまさにそう言うものだった。
二人には子供が当然受け取る、両親の愛情と言ったものもなかったんだ」

その言葉にマナは初めてシンジに会ったときのことを思い出した。両親に対して無意識に距離を取っている姿。必死でいい子でいようと努力している姿。何かに苦しみ、何かをため込んでいる姿。今更ながらにマナはシンジの抱えてきたものの重さを思い知ることになった。

「3年前のことだ。
多少は知っているとは思うが今と同じように使徒と戦っていた。
人類を護るためと言ってね……
そしてその役目は3人の14歳の子供に託された……いや押しつけられた。
そこで二人は出会ったんだ」

確認するように、加持はゆっくりと話を続けた。

「二人は鏡を見るように正反対だったよ……
何事にも積極的で自分を出してくるアスカと、状況に流され、それを良しとしていたシンジ君。
何度かぶつかり合ったけど、そのたびに二人の心は近づいていった。
作戦の都合もあったんだが、二人は一緒に暮らしていた」

初めて聞かされるシンジの過去に、マナもレイコも言葉を挟もうとはしなかった。

「戦いが激しくなるにつれ、だんだん2人の心は傷ついていったよ。
アスカは敗北の痛手から心の迷宮に陥った。
シンジ君は、人を傷つけることしか出来ないと悩み自分を追い込んでいった。
そんな彼らに、だれ一人として救いの手を差し伸べなかったんだ」

加持はそこで言葉を切り、二人の少女を見つめた。そしてこれからのことが一番大事であるかのように、ゆっくりと言葉を続けた。

「全てが終わった時、後に残されたのは傷ついた二人だった。
シンジ君は、傷つきたった一人になったアスカのためにと献身的に看病したよ。
自分も同じように心の病を抱え苦しんでいたのにだ。
そして看病が実りアスカが笑顔を取り戻した時、シンジ君は自分からここから離れていった」
「どうしてですか」

理解できないと、マナは首を横に振った。加持の話が確かならば、兄は彼女と一緒にいなければおかしいのだ。傷ついた少女と、献身的に看病する少年。少女が笑顔を取り戻したのなら、その愛情は少年に向くのが彼女にとっての常識でもあったのだ。そして、二人が一番近いところにいたのなら、それは間違いようの無いことでもあったのだ。しかし加持は、そんな考えのマナに向かって、そんなに単純な関係ではないのだと言葉を続けた。

「シンジ君は知っていたのだよ……自分の存在がアスカを苦しめていたことを。
だからシンジ君は考えたんだと思う。
ここから先、自分がいることはアスカのためにならないと。
確かにシンジ君の存在はアスカを苦しめていた。
しかしそれはシンジ君の考えていたものとは違っていたんだよ」
アスカにとってシンジ君は、初めて身近に現れた実体を持った異性なんだよ
それまでアスカ自身気づかないうちに異性を遠ざけていたんだ。
決して自分の距離に近づかないように壁を作って。
そして日本に来るまでだれもアスカの作った壁を越えてくる者はいなかった。
ただの一人も……
初めてその壁を越えたのがシンジ君なんだ」

加持はそこで言葉を切ったのだが、マナもレイコも何も言葉を挟もうとはしなかった。

「アスカはそれに気づいたとき急に怖くなったんだ。
天才少女と言っても、その心は同年代の子供たちよりも幼かった。
自分の心をどう扱えばいいのか分からなかった。
だから苦しんだ……
それをシンジ君は勘違いをした。
自分と居ることはアスカにとって苦痛なのだと。
だから自らの意志でここを去った」

それが悲しいすれ違いの始まりなのだと。

「アスカにとって、シンジ君は恋人では無かったのかもしれない。
だが、アスカはシンジ君を失った喪失感に苦しんだ。
そして二人の間にできてしまった大きな距離に気づき、さらに苦しんだ。
その苦しみから逃れるためにドイツへと帰っていった」
結局二人離れることはお互いの苦しみを増すだけだったんだ。
それでもシンジ君には君たちや御両親がいた。
でもアスカには何もなかったんだ」

加持は、あえてフランツの存在は言わなかった。それは、彼女たちが知らなくても良いことに属していたのだ。これで終わりと言う加持に、今のアスカはどうなのかとレイコが尋ねた。だが加持は、分からないと二人に答えた。

「ここに来るまで、彼女にもいろいろなことがあった。
ただ一つだけ言えるのは、シンジ君の存在が彼女を縛っていたと言うことだ。
それはシンジ君にとっても同じだと思うが……
あの二人がもう一度出会ってどうなるかは俺には判らない。
お互いを受入れ、ともに歩もうとするのか、束縛を断ち切って一人で歩き出すのか……
それは彼ら次第だと思う。
俺としてはあの二人に一緒に歩んで欲しいと思っている。
まあ、君には迷惑な話かもしれんがな」

加持は、マナではなくレイコに向かってそう言った。そんな加持の言葉を、レイコはただ黙ってかみしめていた。

***

ムサシは発令所を出ると、小走りになってシンジを追いかけた。何しろムサシ自身病室の場所を知らないのである。ここではぐれてしまっては、勇んで発令所を出てきた意味が無くなってしまう。そして何とかシンジに追いつくと、ムサシはどう言うつもりなのだと問いかけた。
シンジは、追いついてきたムサシに驚いた顔もせず。しばらく何も言わずに前方を見つめていた。そして、もう一度ムサシが何かを言おうとしたとき、ぽつりと口を開いた。

「流星をやる」

予想はしていたが、ムサシはシンジの答えに息を飲んだ。彼の習う流儀で教えられる必殺技の一つ。ただし、その技を教えら得るときには実戦には使えないと言う但し書きが着いているものなのである。ならばなぜそのような技を教えるのかというと、剣気の高め方を拾得するためとされていた。必殺技とは名ばかりの、特攻技なのである。しかしシンジは、それしか方法がないのだと言うのである。黙ってしまったムサシに、それ以外の方法が思いつかないのだとシンジは白状した。

「この戦いに敗れてしまったら、人類に未来はないだろう。
だから、ボクは後悔しないように自分のできることをする……
それだけだよ」
「うまく行くのか」

かろうじてムサシはその言葉を口に出した。だがシンジは、分からないと答えた。

「でもどんなことをしても倒さなくてはいけない……それだけは確かだ」

シンジの言葉からは、なんの気負いも見つけられなかった。しかしそれだけに、シンジの抱えているものの大きさをムサシは気づかされた。自分の親友は、14の時からこんなものを背負いつづけてきたのである。そんなシンジを、自分は一時でも軟弱ものだと蔑んだのである。ムサシはそのことを恥じるとともに、初めてシンジにあった時に感じた陰の理由を理解した。

(でも、お前は死んじゃあいけないんだ)

ムサシは最後まで、その言葉を発することが出来なかった。

***

結局、それ以上言葉を交わすこともなく、二人は一つの病室へとたどり着いた。そこが目指すところであるのは、はっきりと緊張したシンジの様子から知ることが出来た。ムサシは、その姿を懐かしいものを見る目で見ていた。それは、彼らが出会ったときのシンジの表情そのものだったのだ。

「ムサシ、呼ぶまで外で待っていてくれないか」

シンジは、そう一言残すと一人で病室の中へと消えていった。その後ろ姿を見送ったムサシは、黙って廊下の壁にもたれ友人が出てくるのを待った。

無機的な音を発する医療機器に囲まれ、アスカは静かに寝息を立てて眠っていた。その眠りは決して穏やかなものではないようだった、少し険のよったアスカの寝顔がそれを物語っていた。そしてそれは、シンジにとっては過去の繰り返しだった。シンジは、そっとアスカの手をとると静かに話し掛けた。それは、アスカにではなく、まるで自分自身の心に語り掛けるかのようなものだった。

「アスカにはいろいろと話したいことがあったんだ……」

だが、肝心のアスカは悪夢の中に居るのかもしれない。シンジの声は、届いていないのだ。それでも構わず、シンジは独白を続けた。

「でも、最初にしたかったのはアスカに謝ることだと思う……
本当は、アスカが目を覚ましているときに謝りたかった……
でも、僕にはその時間は残されていないんだ」

一人で戦うには、今度の使徒は強大すぎるのだ。

「僕は、この街を離れるべきじゃなかったのかもしれない……
結局僕がしたのは、アスカを口実に逃げ出すことだったんだ。
いらない、出ていけ……そう言われるまで……そう言えば、何度も言われたね。
でも、そう言われていたときは、僕はずっとアスカの側にいたんだ」

そして、シンジがアスカの元を離れたのは、アスカがすっかり回復したように見えたときのことだった。

「結局、僕は独りよがりだったんだと思う。
でも、鹿児島に行って、それでも良いんじゃないかと思い始めていたよ。
初めの頃は毎日思い出していたアスカのことも、最近は思い出すことも少なくなっていた。
そして、それはとても自然なことだと思い始めてもいたんだ」

でも、と。

「僕は、鹿児島で多くの人に出会ったよ。
それに、僕のことを好きだと言ってくれる子にも出会った。
その子は、とっても可愛くてとってもいい子で……
僕にはもったいないぐらいのいい子なんだ。
でも、どうしてもその子と付き合うことが出来なかった。
女の子と付き合うのが怖い訳じゃない。
その子に不満があったわけでもない……」

そこまで話して、シンジはだめだとばかりに首を横に振った。

「そんなことを言うために、ここに来たんじゃないよね。
僕は、最後にアスカに会っておきたかったんだ……
それも、勝手な独りよがりなことは分かって居るんだ。
僕は……」

そこまで話して、次の言葉を恐れるかのようにシンジは言葉を止めた。

「僕は、アスカのことが好きだったんだと思う……
今は、今はどうなのか分からない。
でも、たぶんアスカのことが好きなんだと思う……」

シンジの言葉に答えるものは居ない。肝心のアスカは、まだ深い眠りの中にいた。シンジは、一つ深呼吸をすると、ドアの外で待っている親友に声を掛けた。

「ムサシ、入ってきてくれないか……」

そのシンジの声に少し遅れて、扉を開いてムサシが入ってきた。その後に、マナ、レイコの姿が現れても、シンジは少しも驚いた様子を見せなかった。

「シンジ君、もういいのかい?」

そう尋ねた加持に、シンジは頷いて見せた。

「寝ているアスカに会ったところで、自己満足なのは分かって居るんです」
「作戦が終わってからまた会えばいいさ」
「そうですね」

シンジは、加持の言葉に頷いた。お互い余計なことを言う必要はないと分かっていた。それからは、誰も口を開かない、沈黙だけがその場を支配した。そして、その沈黙を破ったのもまたシンジだった。

「加持さん、アスカのことをお願いします」

シンジはそう言い残すと、出撃準備のためアスカの病室を後にした。その後ろ姿は、声援などと言う甘えを一切拒んだ厳しいものだった。

***

結局、アスカの顔を見ただけで、マナとレイコはその場を引き上げることになった。しかも、誰も寄せ付けないシンジの空気に、二人は声を掛けることも出来なかったのである。だが、そんなシンジの姿に、レイコは不安を増していた。そして、普段なら一言ありそうな兄も黙っているのだ。レイコは、沈黙を破ってどういうことなのかと兄を問いつめた。

「兄さん!
シンジさんは何をしようとしているんですか」

だが、ムサシは何も答えようとはしなかった。そんな兄の姿に、レイコはさらに詰め寄った。

「教えて兄さん。
マナには知る権利があるはずよ」

そう言ったレイコに、ムサシはこれ以上黙っていられないことを悟った。レイコの剣幕もそうだが、そこから何かを感じ取ったマナの不安そうな目がムサシを責め立てたのだった。

「レイコ、流星を知ってるな?」

レイコには、それだけで十分意味が通じてしまった。だが、意味の分からないマナは、どういう意味だとレイコの顔を見た。

「なんで、そんな真似を……」
「シンジにも、ほかに策がなかったんだ……
相打ちにするのが精一杯だとしても……」

ぽつりと言ったムサシの言葉、その言葉にレイコは悪い予感があたってしまった事を感じた。

「止められなかったの」

レイコはそう言ったが、それが叶わないことは彼女にも分かっていた。これまで必死に歯を食いしばってきてシンジなのだ、そのシンジが軽々しくそんな選択をするはずがない。その決意の重みを分からない彼女ではなかった。だがそれは、レイコだからこそ分かったことでもあった。

「なんなのレイコ」

マナは、もう一度黙ってしまったレイコに問い掛けた。

「奥義、必殺技……そう言えば聞こえはいいけど。特攻技よ
攻撃だけにすべてをかける技……
自分より強い相手に相打ちに持ち込むための技よ」

レイコは、感情のこもらない声でそう答えた。

「相打ち……」

マナの言葉が震えた。ムサシはマナの肩を抱いた。

「相手がシンジの思っているのより弱ければ問題ないんだ。
そうすれば文字通り必殺技の威力を発揮してシンジも護ってくれる。
必ず死ぬと決まった訳じゃない。今はあいつの無事を祈ろう」

しかしムサシの言葉は、マナの気持ちを和らげることはなかった。ムサシの手を振りほどいたマナの目には、涙とともに強い決意が宿っていた。

「許さない……絶対に許さない……」

そうつぶやくマナの姿に、ムサシもレイコも驚いた。いつも明るく甘えん坊なのがマナと言う少女なのだ。その少女が、燃え上がるような怒りの炎を纏っていたのだ。それは、二人の知っている幼なじみの姿ではなかった。そんな少女の姿に、黙ってやりとりを聞いていた加持は、ここには居ないもう一人の少女の姿を思い出した。

「天の配剤か……」

シンジが鹿児島に行ったのは偶然だが、彼らと巡り合ったのは必然なのだと。ならば、その少女が次に口にするであろう言葉も決まっていた。

「加持さん。お兄ちゃんの所へ連れていって下さい」

その言葉に加持は満足そうに頷いた。

***

シンジは、一人パイロットルームで時間を待っていた。後はやるべきことをやるべきなのである。あとに後悔はない。シンジは、静かにベンチに腰をかけ精神の集中を行っていった。そこには、誰もシンジに気を使って入ってこなかった。あたりは、しんとする静寂に包まれていた。そんな静寂を、闖入者たちが打ち破った。

「お兄ちゃん」

突然の闖入者に、シンジは意外なものを見る顔でその声の方を見た。

「マナ……みんなどうして」

だがマナは、シンジの言葉に答えず、いきなり歩み寄るとその頬を張った。シンジは頬を押さえ、激昂している妹の姿を呆然と見つめた。それは、そこにいないもう一人の少女を思い出させる姿だった。

(アスカ……)

見た目は全く違うのに、どうしてアスカに重ねてしまうのか。だが、マナの激情はまさしくアスカのそれと同じものだった。

「お兄ちゃん、何を考えてるの!」

そんなシンジの思いとは別に、マナは顔を真っ赤にしてシンジに詰め寄った。完全にマナの勢いに圧倒されたシンジは、壁際まで追いやられてしまっていた。

「相打ち狙いなんて馬鹿なことを考えないで」

シンジを壁際まで追いやったマナは、そのままの勢いでシンジの胸に飛び込んだ。

「こんなことでお兄ちゃんが死んでしまったら、
お兄ちゃんのことを送り出したお父さんとお母さんはどうなるの。
お兄ちゃんのことを待っているアスカさんはどうなるの。
レイコやムサシはどうなるの。
お兄ちゃんを待っていたみんなはどうなるの」

マナの涙がシンジの胸を濡らした。プラグスーツの上からでも、その熱い流れをシンジは感じることが出来た。

「帰ってきてよ……お願いだから。
アタシたちの前からいなくならないで。
お願い、どんなことをしてでも帰ってきて」

嗚咽混じりに自分に縋り付く妹に、シンジはそっとその体を抱きしめた。初めて出会った頃は、大して二人の身長は違わなかった。しかし今では、マナの体はすっかりとシンジに収まってしまう。それが、マナとシンジが過ごしてきた時間なのだ。

「マナ……」

シンジは、優しくマナの名前を呼んだ。大事な妹、自分に笑うことを思い出させてくれた女性(ヒト)。シンジの呼びかけに、マナの体がビクッと震えた。

「ありがとう……大切なことを思い出させてくれて。
帰ってくるよ。必ず」

シンジは、自分でも気障かなと思いつつマナのおでこにキスをした。そして時間だからと言ってその体を離すと、加持の方を一瞥した。加持には、シンジの瞳の色が先ほどと変わって見えた。確かな決意を秘めているのは変わらない。しかし、何かが違う……それが守るべきものへの思いの強さであることを加持は知らされた。

加持は、黙ってシンジに頷づいた。シンジも黙って頷き返すと、視線をムサシとレイコへと向けた。そして一言行って来ると言い残し、エヴァの待つケイジへと消えていった。マナは、先ほどとは違う理由で真っ赤になっていた。そして、出ていくシンジの後ろ姿に大きな声で呼びかけた。

「待ってるからね」

『分かっているよ』マナにはシンジの声が聞こえた気がした。

***

シンジは、一人ケイジでエヴァンゲリオン7号機を見上げた。白い人間的なフォルムに爬虫類、或いは鳥を思わせる頭部。3年前悪夢を呼び寄せた物体がここに有る。シンジはその巨体を見上げ不思議な感慨にとらわれていた。

「まさかこれに乗ることになるとは……」

忘れもしない出来事。苦しみから逃げ出すことで、より大きな苦しみの中へと落ちていった。だから今度こそは……

「絶対に逃げたりしない」

シンジはそう決意すると、プラグへとエントリーした。

続く